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北斎も広重も…シリーズで楽しませた、連作浮世絵の魅力
江戸時代から多くの人の心を魅了し続けている浮世絵。 1枚で完成する作品や和紙を2枚3枚と連ねて大きな作品を描く続絵、同じモチーフをさまざまな構図や構成で描く連作など、多種多様な作品が制作されています。 シリーズものとして大変人気を集めた連作の浮世絵作品も多く残されており、現在でも人気がある浮世絵ジャンルです。 連作浮世絵とは 連作浮世絵とは、1つのテーマに沿って制作されているシリーズ作品のことです。 名所絵や風景画、道中絵などお題を絞って制作されます。 同じテーマでもさまざまな表情を見せてくれる連作は、見る人を飽きさせない魅力のある作品で、多様な角度から描かれた作品を見比べながら楽しめます。 有名な連作浮世絵をぜひ観賞してみましょう。 歌川広重『東海道五十三次』 作家名:歌川広重(うたがわひろしげ) 代表作:『名所江戸百景』『東海道五十三次』 歌川広重は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、名所絵作品が有名です。 歌川広重が描いた数々の名所絵によって、江戸に旅行ブームが巻き起こったといっても過言ではありません。 歌川広重は、歌川豊広の門下に入って叙情的な作風を学んでいき、のちに名所絵の第一人者と呼ばれるほどの浮世絵師となります。 歌川広重の名作のひとつといえば『東海道五十三次』。 1833年ごろに制作された、日本橋から京都の間にある宿場町の風景を題材にした連作で、全55作品から成り立っています。 東海道中の名所や自然、名物、伝承などが、四季や天気の移り変わりとともに美しく表現された作品です。 また、時間帯までも描き分けており、そこで働き暮らす人々の活動や宿場町の賑わいの様子なども描いている点が魅力です。 叙情的な風景とともに、江戸時代を生きる人々の暮らしを描いた『東海道五十三次』は、当時の生活を知るための史料としても高い評価を得ています。 葛飾北斎『富嶽三十六景』 作家名:葛飾北斎(かつしかほくさい) 代表作:『北斎漫画』『富嶽三十六景』 葛飾北斎は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師の一人で、多彩な画風で人々を魅了していました。 その人気は日本国内だけにとどまらず、海外からも高い評価を受けています。 90歳で他界するまで、約3万点もの多くの作品を描き続けた葛飾北斎。 現代では、新紙幣のデザインに葛飾北斎が描いた『神奈川沖浪裏』が採用されることでも話題を集めました。 葛飾北斎は、さまざまな名前で活動していたり、同じ場所にとどまらず何度も引越しを繰り返したりしていたことでも有名です。 画号の変更は30回、引越しは93回したともいわれています。衣食住よりも絵を描くことを優先していた葛飾北斎は、家事をまったくしなかったために家の汚れが限界を迎えると、引越しをしていたといわれています。 葛飾北斎は、勝川春章の門人でしたが、ほかの流派である狩野派や土佐派、堤等琳、西洋画、明画などからも絵の技法や画風を学んでおり、のちの多彩な画風の礎を築いたといえるでしょう。一説には、ほかの流派を学んだことで破門されたともいわれています。 葛飾北斎の名作といえば、1831年ごろに制作された『富嶽三十六景』です。 三十六景としていますが、裏富士と呼ばれる10作品を加えた全46作品で構成された浮世絵の連作です。 この作品では、さまざまな地域や季節、時間帯、構図、色彩で富士山が描かれていますが、すべての作品が実在する構図で描かれているわけではありません。 葛飾北斎の独創的な視点から描かれた富士山も多く、デザイン性に富んだ作品が人々を魅了しました。 また、『富嶽三十六景』の中でもとくに有名なのが『神奈川沖浪裏』ではないでしょうか。 日本国内のみならず海外からも高い評価を受けているこの作品の魅力は、荒々しく大胆な大波と富士山の遠近法によるダイナミックな構図。波の細部までこだわった『神奈川沖浪裏』は、葛飾北斎の浮世絵に対する強い思いが見え隠れしています。 月岡芳年『大日本名将鑑』 作家名:月岡芳年(つきおかよしとし) 代表作:『新形三十六怪撰』『大日本名将鑑』 月岡芳年は、幕末から明治時代前期に活躍した浮世絵師で、血みどろ絵・残虐絵と呼ばれる『英名二十八衆句』で、一躍注目を浴びました。 また、月岡芳年は最後の浮世絵師とも称され、亡くなる直前まで浮世絵制作に没頭していたといわれています。 浮世絵の枠にとどまらない活躍を見せていた月岡芳年。 浮世絵作品には、洋風絵画でよく見られる明暗や逆光などの技法も積極的に取り入れていました。 月岡芳年の有名作品として、1877年ごろに制作された『大日本名将鑑』があります。 天照大神から江戸幕府3代将軍・徳川家光までの、神話や歴史上の偉人、英雄を51人も描いた作品です。 写実性が高く、月岡芳年の個性を十分に楽しめる作品といえるでしょう。また、単純な構図では描かれていない点から、月岡芳年のデッサン力の高さが垣間見えます。 歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』 作家名:歌川国芳(うたがわくによし) 代表作:『相馬の古内裏』『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』 歌川国芳は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、奇抜な発想から生み出されるユーモラスあふれる浮世絵作品で人気を集めました。 現代でも、武者絵や風刺画などで有名な歌川国芳ですが、江戸時代当時はなかなか日の目を見ず、注目を浴びたのは30歳を過ぎてからでした。 当時、歌川国芳を一躍有名にしたのが『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』と呼ばれる浮世絵の連作です。 1827年ごろに制作されたとみられるこの作品は、明の小説・水滸伝をモチーフにしており、登場キャラクターが一人ひとり描かれています。 作品名には百八人とありますが、現在は重複する人物を含めた74作品が確認されています。 魅力的なキャラクターたちがエキゾチックかつ躍動感あふれる姿で描かれている点が魅力の一つです。 鳥居清長『袖の巻』 作家名:鳥居清長(とりいきよなが) 代表作:『風俗東之錦』『袖の巻』 鳥居清長は、江戸時代中期に活躍した浮世絵師で、役者絵や美人画、春画などを得意としていました。とくに役者絵のモチーフになる歌舞伎とは、切っても切れない縁があります。 父・鳥居清元の代から江戸歌舞伎の看板絵を手がけており、鳥居清信も跡を継いで看板絵を描いていました。しかし、鳥居清信は看板絵だけにとどまらず、役者絵としても歌舞伎役者を描き人気を集めたのです。 鳥居清長の有名な連作に『袖の巻』があります。 『袖の巻』は、全12図からなる春画の連作です。春画とは、枕絵や危絵とも呼ばれる、昔の性風俗画を指します。 『袖の巻』は、浮世絵としてはめずらしい横長にトリミングされたレイアウトが特徴的。シンプルな線描で制作された作品で、耽美な世界を引き立たせています。 シリーズで楽しむ、連作浮世絵の魅力 同じテーマの作品をさまざまな角度から楽しめる連作浮世絵。 多くの有名絵師たちが連作の浮世絵を残していて、当時も今も多くの人を楽しませています。 一枚一枚鑑賞するのもよいですが、シリーズ作品の表現方法を比較しながら鑑賞するのも、連作浮世絵の楽しみ方の一つ。 ぜひ、連作浮世絵を見比べて、作品ごとに見せてくれる表情や表現を楽しんでみてください。
2024.08.13
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天才は一日にしてならず!葛飾北斎の初期作品からその進化を見る
日本だけではなく、海外からも高い評価を得ている浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)は、生涯にわたって絵を描き、追求し続けたといわれています。 世界的に有名な『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、北斎が70歳を超えてから描いたとされていることに、驚きを感じる方もいるのではないでしょうか。 そこに至るまでにどのような進化があったのかを知るために、北斎の初期作品から紐解いていきましょう。 葛飾北斎の初期作品とは 葛飾北斎は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。 十代の終わりに人気浮世絵師・勝川春章(かつかわしゅんしょう)に入門し絵師となりました。 90歳の長寿を全うし、生涯現役を貫いています。最期まであと5年、10年生きられれば真の絵描きになれたと話していたことから、北斎は常に高みを目指して描き続けていたことがわかります。 そんな絵に情熱を注いだ北斎が描いた作品がどのように進化していったのか、初期作品から見ていきましょう。 処女作『四代目岩井半四郎 かしく』など 葛飾北斎の処女策として知られているのは、『四代目岩井半四郎 かしく』です。 1779年と、勝川春章に弟子入りした翌年に発表されています。北斎の錦絵デビュー作品の1つで、勝川春朗と号して描かれた浮世絵です。 勝川春朗時代に描いた作品には、役者似顔絵や美人風俗、名所絵、相撲絵、伝説古典、和漢武者、信仰画、動植物、金太郎、日本や中国の子どもなどがあり、ジャンルを限定せず多種多様な作品を手掛けていました。 北斎は、好奇心旺盛で絵に対する熱意も高かったことから、師の模倣だけでは飽きたりず、狩野派や唐画、洋画の画法も学んでいきました。 しかし、ほかの流派の画法を学んだことを咎められ、勝川派を破門されています。 『おしをくり はとう つうせんのづ』 『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が描かれる30年近く前にも、葛飾北斎は同じ構図の波の絵を描いています。 それが、『おしをくり はとう つうせんのづ』。 この作品は『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の原型ともいわれ、北斎が45歳ごろに描いたものといわれています。 当時、北斎は西洋画の技法を学んでいたとされ、その影響が随所に現れている作品です。 原型ということもあり、構成は似ていますが、波の描かれ方が大きく異なっている点が見て取れます。 『おしをくり はとう つうせんのづ』では、丸みを帯びた波が描かれていますが、『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』では、波の先が鋭く細かく表現されており、波のしぶきにより勢いのある様子が表されています。 30年の時を経て写実性が高まったといえるでしょう。 また、構図にも微妙な違いがあります。 『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』では、下から見上げる視点で描かれていますが、『おしをくり はとう つうせんのづ』では、見下ろす画角で描かれているのです。 視点を低くしている方が、大波の迫力や臨場感が伝わってくる作品といえます。 北斎の絵が進化し続けたのは、その向上心から 90歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた葛飾北斎が絵にかけた情熱は、はかり知れません。 浮世絵版画以外にも、版本の挿絵や肉筆画も手掛けていました。 とくに版本は、力強く迫力のある描写や、ダイナミックな構図で読者を圧倒し、人気を集めていたそうです。 当時流行っていた作家・曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』といった作品をはじめ、さまざまな活字作品を圧倒的な表現力で絵画化していきました。 露木氏曰く、余北斎翁の門に入り、画法を学びしが、一日阿栄にむかひ、嘆息して謂て曰く、運筆自在ならず、画工とならんを欲するも、蓋し能はざるなり。 阿栄笑て曰く、我が父幼年より八十有余に至るまで、日々筆を採らざることなし。 然るに過ぐる日、猶自腕をくみて、余は実に猫一疋も画くこと能はずとて、落涙し、自ら其の画の意の如くならざるるを嘆息せり。 すべて画のみにあらず、己れ及ばずとて自棄てんとする時は、即これ其の道の上達する時なりと。 翁傍にありて、実に然り、実に然るなりといへり。 引用:飯島虚心 著、鈴木重三 編『葛飾北斎伝』岩波文庫 葛飾北斎が制作した作品は数多く、版画や錦絵のほかに挿絵や着物のデザインなど、浮世絵師として残した作品は約3万点を超えるといわれています。 このように情熱を燃やし生涯浮世絵を描き続けた北斎は、画狂人とも呼ばれています。 しかし、初期作品である『おしをくり はとう つうせんのづ』の画風と名作『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の画風には大きな違いが。 このことから、世界中で高い評価を得ている『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が完成するまでには、常に向上心と執着心を持ち続け、絵を描き続けた北斎の絶え間ない努力が垣間見えるでしょう。 亡くなる直前にも、まだ真の絵師にはなれていないと悔やむ姿があったとされることから、現状に満足することなく、常に進化し続けようと努力してきた北斎の姿が目に浮かびます。 葛飾北斎の作品に興味が湧いた方は、ぜひ有名作品だけではなく初期の作品も鑑賞し、その違いを楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.08.13
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新千円札に浮世絵デザイン!海外から「Great Wave」と呼ばれる名作
新千円札のデザインに採用されたのは日本の浮世絵です。 葛飾北斎が描いた『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は海外からの人気も高い作品で、新札の発表は日本国内だけではなく、海外でも話題になっています。 2024年、新千円札に浮世絵が! 現在、財務省が発表した2024年度から使用される1万円札、5千円札、千円札のデザインが話題に。 新千円札には、江戸時代に活躍した浮世絵師、葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いた『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が採用されました。 『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、荒れ狂う海と大きな波、その後ろに見える富士山の構図が特徴的な浮世絵です。 今回一新される紙幣の図柄には、新元号の時代に引き継いでいきたい日本を代表する歴史や伝統、文化、美しい自然にちなんだ人物や作品が選ばれたそうです。 上記の選定理由から、青色の新千円札には、日本の象徴でもある富士山を描いた『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が採用されています。 葛飾北斎は、江戸時代を代表する人気浮世絵師で、現在もなお高い人気を誇っています。 また、日本国内だけではなく海外からも高い評価を受けており、葛飾北斎の名と『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、世界の芸術家に大きな影響を与えた浮世絵師・作品です。 新札の発行日は、2024年7月3日に決定しています。 新千円札に描かれている『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』をきっかけに、浮世絵の存在を知り興味を持つ人もいるでしょう。 ぜひそこから、浮世絵を鑑賞したり購入したりと、日本の伝統的な芸術作品の楽しみを見つけてみてください。 日本だけではない!海外でも有名な『神奈川沖浪裏』 2024年度から一新される新札の中で、千円札のデザインとして採用された『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』。 日本で最も有名な絵画の1つであり、日本を象徴する富士山の絵が描かれています。 多くの日本人が一度は目にしたことがあるのはもちろん、海外でも非常に人気の高い作品なのです。 『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』には、大自然の脅威とそれに立ち向かう小さな人の姿、そして遠くに富士山が描かれています。 静と動、遠と近の鮮明な対比がテーマになっている浮世絵です。 この作品は、海外の有名芸術家にも大きな衝撃を与えており、画家であるゴッホは、弟のテオに宛てた手紙の中でこの浮世絵を絶賛しています。また、フランスの作曲家であるドビュッシーが、仕事場に『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』を掲げ、交響曲『海』を作曲したのは有名な話です。 海外でも高い人気を誇っている『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』。 ロンドンの大英博物館には、3枚もの『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が所蔵されています。なぜ同じ絵が3枚も存在しているのか、疑問に感じた人もいるでしょう。 実は、『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は肉筆画ではなく浮世絵版画であるためです。 浮世絵版画とは、浮世絵師が描いた原画を彫師が木の板に彫り、摺師がそれを紙に摺って制作されます。そのため、原画が描かれた版木があれば、何度も摺って量産することが可能です。ただし、何度も摺ると版木の状態が変化していき、最初と後半で違った印象の作品ができあがります。 さまざまなバージョンの作品が存在することは、制作された当時も人気が高かった証明ともいえるでしょう。 海外人気の高い葛飾北斎の作品には、多くのコレクターも存在しています。 海外からの反応もアツい!新千円札のGreat Wave 新千円札に採用された葛飾北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、海外では『Great Wave』の名で、大変人気を集めています。そのため、新札発表後に海外では、新札に選ばれた人物よりも、葛飾北斎の名や『Great Wave』が話題になったのです。 海外からの反応がアツい『Great Wave』を起用した千円札は、海外観光客の新しい定番土産にもなるかもしれません。 新千円札を手にした外国人観光客の反応も楽しみ キャッシュレス化が進みつつある中、新札の話題はそれほど多くありませんが、葛飾北斎の人気を考えると、外国人観光客の反応も楽しみになります。 また、新札をきっかけに浮世絵に興味を持ち、購入や鑑賞を楽しむ人が増えることも期待できます。 新札に描かれた『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の魅力を知り、実際の浮世絵も楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.08.13
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「だるせん」と呼ばれた葛飾北斎の達磨絵と名古屋との関係
世界中から高い評価を受けている葛飾北斎。浮世絵版画作品の印象が強い人も多いでしょう。しかし、葛飾北斎は、高い画力と奇抜な発想力により多彩な作品を手掛けています。名古屋との縁も深い葛飾北斎が「だるせん」と呼ばれていた由縁に迫っていきましょう。 葛飾北斎のニックネーム「だるせん」とは 江戸時代から現代まで絶大な人気を誇っている浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)は「だるせん」と呼ばれていたのをご存知でしょうか。さまざまな技術を学び多彩な画風が特徴の葛飾北斎は、だるまの絵を描いていたこともありました。 大達磨を描いた、葛飾北斎 1817年、名古屋に滞在していた葛飾北斎は、当別院境内で120畳敷の料紙にだるまの絵を描くイベントを行いました。この催しは、北斎漫画を広めるために行われたといわれています。葛飾北斎が大だるま絵を描くことを紹介した張り紙があちこちの店に張り出され、当日は張り紙を見たり、噂を聞きつけたりしてきた人々で大変にぎわっていたようです。 境内には足場が組まれ巨大な紙が用意されていました。見物人からの拍手喝采を受け、葛飾北斎はまず鼻を描いていきます。その後、右の眼、左の眼、口、髭を描き、紙を引き上げ衣紋を描いていきました。完成した大だるま絵の大きさは、18m×11mほどもあったといわれています。 このパフォーマンスは大きな話題をさらい、葛飾北斎はだるま先生を略して「だるせん」と呼ばれるようになりました。現在の名古屋、本願寺名古屋別院(西別院)は「大達磨絵揮毫の地」とされています。 葛飾北斎とは 出身地:東京都墨田区 代表作:『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』『富士越龍図』 葛飾北斎は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。現在の東京都墨田区に生まれ、幼いころから絵を描くのが好きだった北斎は、十代の終わりに人気浮世絵師・勝川春章に師事を受けています。その後、破門されてしまいますが、他流派や西洋画などさまざまな画風を学んだ葛飾北斎は、その圧倒的な画力と奇想天外なアイディアで数々の名作を完成させました。浮世絵版画を多く制作していますが、肉筆画も多く手掛けています。 尾張(現在の名古屋)でも人気だった葛飾北斎 葛飾北斎は、現在の名古屋である尾張でも人気を集めていました。1812年ごろ葛飾北斎は、関西方面へ旅に出たとされており、旅行の帰路で名古屋の門人・牧墨僊の家に滞在し、300枚以上の版下絵を描き上げました。 このとき描いた絵がのちに、門人の絵手本として有名な『北斎漫画』になるのです。『北斎漫画』は、名古屋の版元である永楽屋東四郎によって初版発行されています。 200年の時を経て再現された大達磨絵 1817年に葛飾北斎が名古屋で描いた大だるま絵は、第二次世界大戦時に消失してしまったといわれています。しかし、尾張藩士の高力猿猴庵(こうりきえんこうあん)によって書き留められた『北斎大画即書細図』に当時のイベントの情報が残されていました。書細図には、当時のスケジュールや賑わいの様子はもちろん、用意された和紙や筆、絵の具などまで詳細に記されています。 2017年、200年前に描かれた葛飾北斎の大だるま絵を再現して描くイベントが行われました。場所は、名古屋市中区の本願寺名古屋別院、愛知県立芸術大や名古屋市博物館の協力により実現されました。当時の記録をもとに、雨に強い和紙や米俵5俵分のわら筆を用意し、忠実に再現して描かれています。 当日は小雨が降り強風が吹いていましたが、約2時間で絵は完成され、観客から拍手と歓声がわき上がる素敵なイベントになったようです。 葛飾北斎の人気は当時からすごかった 現在でも、日本だけではなく世界中から高い評価を受けている葛飾北斎は、江戸時代当時から、江戸にとどまらず各地で人気を集めていました。名古屋とのゆかりも深く、当時は「だるせん(だるま先生)」と呼ばれていたそうです。大だるま絵をはじめとして、葛飾北斎の作品は、奇想天外なものも多く、作品によって異なる魅力を感じさせてくれます。有名な作品ばかりではなく、さまざまな地域や時代に描かれた葛飾北斎の作品を楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.08.13
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