-
四季を彩る花鳥画掛軸は買取市場でも人気!どんな作品がある?
日本の美しい四季を描く花鳥画掛軸は、現在でも高値で買取が行われています。作品や作家によってその価値は大きく変動しますが、有名作家であれば高価買取が狙えるでしょう。お手持ちの花鳥画掛軸が誰の作品かわからないこともあります。花鳥画の特徴や歴史とともに有名な作家や作品を確認して、花鳥画掛軸への知見を深めましょう。 花鳥画とは 花鳥画とは、花や鳥、虫などをモチーフにして描かれた東洋絵画です。花鳥画はさらに草と花のみをモチーフとして描かれる花卉画、草花と虫を一緒に描いた草虫画の2つのジャンルに分けられます。花鳥画は掛軸のみならず、屏風や襖絵としても親しまれてきました。また浮世絵にも描かれており、さまざまな作品に取り入れられているのが特徴の一つです。たとえば、草花と一緒に鹿や兎などの動物が一緒に描かれている絵画も花鳥画に該当します。 花鳥画に描かれている動植物はそれぞれに寓意があり、昔から富裕・長寿・子孫繁栄などの意味が込められています。現代でも、花鳥画は人気の芸術作品の一つで、作家や作品によっては高価買取が期待できるでしょう。 花鳥画掛軸の種類は? 花鳥画掛軸はその名の通り花や鳥はもちろん、草木や虫・水生生物・小動物なども描かれ、綿密な描写が特徴の絵画ジャンルです。古くから文人の贈答品としても大切にされていました。花鳥画は描かれるモチーフによってさらに2つのジャンルに分けられます。 「花卉画」と「草虫画」 花卉画は花や草をモチーフとして描かれている絵画です。また草虫画は草花とともに虫を描いている特徴があります。 花卉画として有名な作品に彭城百川(さかき ひゃくせん)によって描かれた『梅図屏風』があります。小さめの六曲一双の屏風に描かれた障屏画作品で、墨一色で左に白梅、右に紅梅を描き分けているのが特徴的です。 草虫画としては葛飾北斎(かつしかほくさい)によって描かれた『菊に虻』『牡丹に蝶』などがあります。色鮮やかかつ花びらの一枚一枚や葉脈を繊細に描いているのが特徴です。また蝶のふわふわとした体毛まで丁寧に表現されており、デザイン性の高さに目を惹かれます。 花鳥画では円山応瑞(まるやまおうずい)の『牡丹孔雀図』も人気の高い作品の一つです。孔雀のつがいとともに百花の長である牡丹を描き、画材には上質な群青、緑青、金泥を惜しみなく使用し、豪華絢爛な大幅として人々を魅了しました。 四季を表す、花や鳥たち 日本の花鳥画は四季の変化を楽しめる魅力があります。四季折々の花や鳥を鋭い観察力と繊細な筆さばきで描いていきます。 春を代表する花である牡丹は富貴や最高位の象徴でもあり、繁栄の永続の意味を持つ縁起の良い絵柄です。また、椿や鶯、雀なども春の花鳥画のモチーフとしてよく描かれています。 夏を代表するモチーフには柳やツバメ、カワセミなどがあります。特にカワセミは夏の鳥として多くの絵画作品に描かれているようです。カワセミは背の鮮やかな青色が美しい鳥で、獲物を確実に捉えることから目標を達成するという意味があります。 秋を代表するのは楓や竜胆、雉などです。雉は日本の国鳥で、多くの絵画作品に描かれています。幸運の象徴ともいわれています。 冬を代表するモチーフは梅や丹頂、鶯などです。梅は、春寒の中に咲く百花のさきがけであり、希望を表すとされています。襖や屏風などに花鳥画としてよく描かれていることでも有名です。 花鳥画の歴史 花鳥画の起源は六朝時代の中国といわれています。日本では平安時代に入ってから花鳥画が描かれるようになりました。南北朝時代には禅僧によって水墨画の花鳥画が描かれています。色彩鮮やかな花鳥画は室町時代に栄えました。桃山時代には日本独自の様式が確立され、江戸時代には写実的な花鳥画が多く制作されています。 特に有名な花鳥画掛軸の作品や作家たち 花鳥画は現代においても大変人気なジャンルの一つで、有名な作家や作品が高額で買取され出回っています。花鳥画の価値を知るためには、有名な作家や作品に目を向けてみるのもよいでしょう。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『雪松図屏風』 生没年:1733年-1795年 円山応挙の花鳥画の特徴は誰が見ても上手いとわかる絵柄です。実際の動植物を繰り返し写生して作品を制作していたため、これまでの形式的な絵画より本物らしさがある作品を描けたといわれています。 渡辺省亭 作家名:渡辺省亭(わたなべせいてい) 代表作:『藤に小禽図』『牡丹に蝶の図』 生没年:1852年-1918年 渡辺省亭は日本の画家として初めてパリに渡っています。そのため、渡辺省亭の作品は欧米でも高い人気を誇っています。帰国後は主に花鳥画を描き、高い評価を得ていました。帰国後も国内外の展覧会で花鳥画を中心とした絵画作品を多く発表しています。 荒木寛畝 作家名:荒木寛畝(あらきかんぽ) 代表作:『秋草に鶉』『竹雀』 生没年:1831年-1915年 荒木寛畝は9歳のころから南画家である谷文晁系の絵師である荒木寛快のもとへ入門し、絵画を学んでいます。1879年には英照皇太后の御影を描くことを命じられ『英照皇太后御肖像』を描いています。その後洋画から日本画へ転身し、第3回内国勧業博覧会へ出品した『孔雀図』を宮内庁が買い上げたことで、一躍話題の画家となりました。 人気を誇る花鳥画掛軸は買取価格も高騰 美しい草花や鳥、虫などが描かれた花鳥画掛軸。現代でも多くの人を魅了する芸術作品で、高価買取が狙える作品も多く存在しています。飾らなくなった花鳥画掛軸をお持ちの方は、一度経験豊富な査定士に依頼して価値を確認してみるのもよいでしょう。作家や作品名がわからなくても価値を知ることは可能です。倉庫に眠ったままになっている花鳥画掛軸をお持ちの方はぜひ一度お気軽にご相談ください。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
-
美しい自然が描かれた山水画掛軸、高価買取してもらうには
山水画は日本のみならず海外からも高い評価を受けている美術品です。有名作家が描いた作品は現代でも高値で買取される可能性があります。自然の風景を独自の思想感で描いていく山水画は作家の精神性が表現された文学作品でもあります。山水画の特徴や種類、有名作家を知り、山水画への興味をより深めていきましょう。 山水画とは 山水画とは、墨と水の濃淡のみで美しい自然の風景を描いた水墨画を指します。中国が起源の絵画で、人物画・花鳥画と並んで東洋絵画の三大ジャンルの一つでもあります。山水画に描かれる風景の多くは単なる自然の景色ではありません。山水画には山岳を霊的・精神的な存在と考える中国人の自然観が反映されており、幽玄な雰囲気で描いたり、想像上の風景を描いたりする特徴があります。 高い精神性に基づいて理想郷のような風景や普遍的な自然が好んで描かれました。画風は唐代の王維、李思・李昭道父子、呉道玄の時代に始まり、唐滅亡後の五代のころに確立されたといわれています。南宋時代には情緒的な表現がよく見られ、元代には北宋と南宋の特徴が合わさり文人たちから高い人気を集め南宋の山水画が誕生しました。その後、明清時代には文人山水画が主流になっていきました。 日本では飛鳥時代から山水画が描かれています。各時代で中国山水画の影響を大きく受けながら数々の有名作品が制作されました。日本には山水画と別に、四季折々の景色や自然の風景を描いたやまと絵と呼ばれる日本伝統の絵画があります。しかし、鎌倉時代に宋代の画家たちの山水画が多く日本に渡ってくるようになったころ、やまと絵よりも山水画がもてはやされるようになりました。 山水画掛軸の種類や特徴とは 山水画は中国から伝わった水墨画の一種で、主に山岳や河川をメインに描かれた絵画です。ただし、自然の風景を見たままに描いているわけではなく、想像上の景色が描かれている特徴があります。そのため、単なる風景画とは異なる作品といえるでしょう。山水画は写実性よりも芸術的かつ文学的な意味合いを重視し、作者の思想や精神性を表現するために幽玄な自然の風景を再構成して描く手法がとられています。 山水画には「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」がある 山水画とひと口にいっても、「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」など複数の種類があります。 水墨山水は、深い山々や流れる川などの風景を墨の濃淡だけで描いた山水画を指します。水墨山水は禅の教えとともに日本に伝わりました。そのため水墨山水には描き手の思いや物語が表現されています。また水墨山水は、下から近景・中景・遠景の3つに描き分けられています。そのため、下から上に向かって眺めていくと、近くから遠くへ風景が移動していくような感覚を味わえるのです。また、作品によっては距離感だけではなく時の流れを感じられる場合もあります。 彩色山水とは、水墨画とは異なり色を用いて描かれます。絵のモデルは水墨山水と同様に山々や河川です。彩色山水も遠近法が取り入れられており、1番手前に河川を描き、その奥が古家、真ん中には木々を、さらに奥には滝、一番遠い位置に描かれるのが山岳です。彩色山水は山水画に色を加えることで、より鮮やかで明るい印象の風景が楽しめる作品といえます。きらめく川は美しい水色で塗り、生い茂る木々にはやわらかな緑色を、山肌には淡い黄土色で色づけるのも特徴の一つです。彩色山水は自然そのものがもつ生命の息吹や躍動感を表現できる山水画といえます。 四神山水とは四神相応の土地が描かれた山水画です。四神相応とは古来中国から伝わる風水の一種で、方位に関連する思想の一つです。東西南北にはそれぞれ方角を守る四神がおり、良い条件である土地の状態を四神相応と呼びます。四神は青龍・白虎・朱雀・玄武からなります。青龍は川を好み住むとされ、白虎は道を走り、朱雀は低地に溜まる大きな池に降り立ち、玄武は山で逆風の盾になるとされており、四神に相応する土地に都市や家を築けば期の流れが整い、幸に恵まれると古くから伝えられていました。四神山水はこの四神相応にあてはまる風景を描いた絵画で、開運、厄除け、家運隆盛をもたらすよう願いが込められているのです。 日本独自の美しい特徴のある山水画 日本の山水画には、四季を感じられる山や川など自然の風景が多く描かれています。その時代に入ってきた中国山水画の影響を受けながら描かれており、鎌倉時代に最盛期を迎えました。鎌倉時代では、雪舟によってこれまでの中国の模倣的作品を脱した日本独自の山水画文化が確立されていきました。日本独自の山水画は実景描写が特徴的です。また、他の花鳥画や人物画などと同じように装飾的となり、やまと絵との融合により日本独自の山水画様式が生まれていきました。 一方で、中国の山水画は、山や川、渓谷などの単なる風景画にはとどまらず、自然の風景を創造的に描いたり、霊獣が住む理想郷として描いたりします。また多くの中国山水画は、力強くはっきりした印象を与えます。にじみやぼかしがあまり見られないのも特徴的です。また中国掛軸の特徴として、中国には古来より「書画同源」「詩画一如」という考え方があります。書と画を一つの掛軸におさめ、一体的な芸術を楽しむことが多く、山水画にも絵だけではなく書が描かれている作品が多く生まれているのです。 特に有名な山水画掛軸の作品や作家たち 山水画は中国から仏教の教えとともに日本へ伝わり、多くの日本画家の手によって描かれている作品です。室町時代には雪舟によって日本独自の山水画が確立されていき、明治時代に入っても狩野芳崖をはじめとした山水画家により、多くの有名な作品が描かれていきました。中国を起源としながらも独自の発展を遂げていった日本山水画は、現代においても多くの作品が高値で買取されています。特にその時代を象徴する有名画家の山水画は、人気が高く高価買取が狙える作品といえるでしょう。 ご自身でお持ちの山水画作品の価値を知るきっかけとして、有名な山水画家の名前をおさえておくことも大切です。 雪舟 作家名:雪舟(せっしゅう) 代表作:『四季山水図』『山水長巻』 生没年:1420年-1506年 雪舟は1420年に備中国で生まれ、禅宗の僧侶になるため10歳のころには臨済宗の寺院である宝福寺に預けられました。当時から絵をかくのが好きだった雪舟は、相国寺にいた室町幕府御用達絵師で日本水墨画を代表する画僧である周文のもとで水墨画を学び、才能を開花させていきます。京都で名の知られる画家となった雪舟は中国で本格的に水墨画を学びたいと考えます。周防国の守護大名に頼み込み、48歳のときに明と交易を行う遣明船に乗り中国へ渡りました。雪舟は、山水画のように美しい中国各地の風景を写生したり、中国の名画を模写したりと修行に励みます。雪舟の絵は明でも称賛され、天童山第一座の称号を獲得しています。 狩野芳崖 作家名:狩野芳崖(かのうほうがい) 代表作:『溪山幽趣』『雪景山水』 生没年:1828年-1888年 狩野芳崖は1828年生まれの江戸時代後期から明治にかけて活躍した画家のひとりです。19歳のころ江戸へ出て、木挽町の狩野勝川院雅信に教えを受け、雪舟を中心に諸派絵画の研究に努めました。3年勉強したのちに師である雅信の助手として絵画を描いていましたが、師と色彩について意見が食い違うこともしばしばあり、破門の危機が繰り返し発生していました。狩野芳崖は減筆体で簡略化を図る江戸狩野派よりも雪舟の空間表現を手本としていたため、狩野派である師との衝突が頻繁に起こっていたと考えられます。 明治維新が進む当時の日本では、狩野芳崖が描く前衛的な絵画は長らく評価されませんでした。評価されない理由の一つに狩野芳崖の国粋主義に対する反発があります。明治維新後、急速に進む欧米化から日本の文化を守ろうとする国粋主義が前衛的な芸術をも否定したのです。狩野芳崖の作品には欧米の構図を取り入れたものもあり、日の目を浴びない日々が続きます。しかし、近代化が進み欧米文化が日本にも浸透してくると徐々に狩野芳崖の作品も評価されていき、日本画近代化の作品として受け入れられるようになりました。 山水画の掛軸買取はプロの買取業者へ相談を 山水画は中国が起源といわれており、日本には禅の教えとともに伝わりました。日本画家によって描かれた多くの山水画は中国山水画からの影響を受けています。しかし、室町時代に活躍した雪舟の手によって日本独自の山水画が確立されていきました。また、山水画と一口にいっても「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」とさまざまな種類があります。それぞれ違った楽しみ方ができるのも魅力の一つです。 山水画の掛軸は作品によって高価買取が狙える美術品です。自宅の蔵を掃除したときに山水画が出てきて、価値を知りたいと考えている方もいるでしょう。山水画掛軸の価値を知りたい方は専門分野の査定士への査定依頼をお勧めします。長く放置して汚れや傷が付いた山水画も、まずはそのまま査定してもらいましょう。下手に修繕を行い汚れや傷が広がれば、価値を下げることにつながりかねません。有名作家の作品はもちろん、名前の知らない山水画もぜひ一度価値を確かめてみましょう。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
- 有名掛軸作家
-
菖蒲の掛軸はどんな時に飾る?その由来や有名作品とは
日本には美しい四季があり、掛軸でも季節を楽しむ文化が古くからあります。 菖蒲掛軸もその代表例。ではなぜ菖蒲の掛軸は多くの作家に描かれ、掛軸として親しまれているのでしょうか。その由来や、込められた思いなどを紐解いていきましょう。 菖蒲の掛軸の意味や由来とは 菖蒲の香りは邪気を清められるとされています。昔から中国では、5月に生まれてくる子どもは親を不幸にするとされていました。5月は不吉な月とされていて、そのせいで5月に生まれた子どもを捨ててしまう親が後を絶ちませんでした。子どもが捨てられるのを防ぐために、5月5日に魔除けや無病息災を願い邪気を払うさまざまな行事が誕生します。そこで、邪気を祓う菖蒲が利用されていました。 日本でも、旧暦の5月は梅雨の時期で水害や疫病が発生しやすく、作物も育ちにくくかびやすい、あまり良い月とはされていませんでした。水害や疫病を祓い、作物の豊作を祈るための行事として「さつき忌み」が誕生します。身を清めた女性が田植え前にヨモギや菖蒲で作った屋根の小屋で神様を迎え入れる行事です。 このように菖蒲には邪気を祓い清めてくれる効果があるとされ、植物そのものだけではなく掛け軸に描かれ厄除け祈願に用いられるようになりました。 菖蒲の掛軸を掛軸を飾る時期はいつ? 菖蒲の掛け軸は5月5日の端午の節句で飾られることが多くあります。 端午の節句は奈良時代から続く古き良き年中行事です。鎌倉時代ごろに、菖蒲と尚武が同じ読み方であることや、菖蒲の葉っぱが剣の形に見えることから端午は男の子の節句とされました。 そのため、端午の節句では男の子が健康ですくすくとたくましく成長できるよう祈り、厄除けを祈願するようになりました。子どもの成長を祈って、五月人形やこいのぼりを飾り、床の間には兜飾りと一緒に武者や菖蒲、鍾馗の掛軸をかける特徴があります。 菖蒲の掛軸を描いた作品や作家たち 端午の節句で厄除けとしてよく用いられる菖蒲の掛軸は、さまざまな作家によって描かれています。 小林古径 作家名:小林古径(こばやしこけい) 代表作:『紫苑紅蜀葵(しおんこうしょっき)』『楊貴妃』『菖蒲』 小林古径は1883年、新潟県中頸城郡高田土橋町(現・新潟県上越市大町)に生まれ、新古典主義と呼ばれる画風を確立した画家です。 1894年、11歳のときに東京美術学校で横山大観と同期だったとされる山田於菟三郎に日本画の教えを受け始めました。 その後、絵の道への興味が深まり、新潟で活動していた遊歴画家の青木香葩に教えを受け、歴史画を描きながら画家への道を目指します。1899年、16歳で上京して新聞小説等の挿絵画家として有名な梶田半古の画塾に入門。半古は当時、絵画共進会審査員も務める気鋭の画家でした。 1914年に描かれた『異端』は第1回再興日本美術院展で入選。その後、紅児会風の情緒的な表現から写実的な表現へと変化していきます。1922年には、前田青邨と一緒に日本美術院留学生としてヨーロッパに約一年滞在。西洋美術を学びます。 エジプト、ギリシャ、イタリア、フランスを周遊し帰国した後の画風は、線の表現が洗練され構図もより簡潔に変化しました。中世キリスト教美術とエジプト美術の様式美が影響を与えたとされています。 1944年には、帝室技芸員を拝命するとともに東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授となり、画家を指導する立場となります。1950年、67歳で文化勲章を受章。 1952年『菖蒲』の出典を最後に作品の出品は途絶え、1957年74歳で生涯を閉じました。 佐藤隆良 作家名:佐藤隆良(さとうたかよし) 代表作:『アグリジェント』『法起寺』『牡丹』 佐藤隆良は1950年、福島県生まれです。高校卒業後に画家を目指して上京しています。平山郁夫に教えを受け、1981年に開催された第66回日本美術院秋季展で『漁村』が初入選しました。2010年には鎌倉長谷寺宝物館で個展「祈りのひかり」を開催しています。個展をきっかけに開山1300年を迎える鋸山の日本寺の襖絵を依頼され制作しています。 佐藤隆良の受賞歴は以下のとおりです。 ・日本美術院展日本美術院奨励賞 ・日本美術院展春季展賞受賞 ・有芽の会展受賞 ・福島県展大賞受賞 北上聖牛 作家名:北上聖牛(きたがみせいぎゅう) 代表作:『青葉の蔭』『はなれ国の初夏』 北上聖牛は1891年、函館生まれで叔父は日本画家の北上峻山です。1907年、京都烏丸で薬屋を営む上羽氏のもとで約3年間、着物の染色や紋、上絵を行いました。その後、叔父にあたる北上峻山から約1年、教えを受けて日本画の絵具の扱い、古典派の美人画などを学びます。 1913年、京都で竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門し教えを受けます。1916年、第10回文展で『はなれ国の初夏』が初入選。1917年には、第11回文展で『睦しき日送り』が入選しています。1918年、京都の四季を画題にした『嵐山の春』が第1回帝展に入選。 1925年、京都で研究団体「冬心会」を設立しました。第1回道展には特別会員として『残月』を出品しています。写実的な花鳥画を得意とする画家で、1969年、78歳で息を引き取るまで熱心に作品を描き続けていました。 菖蒲に込められた意味を知ると、掛軸をもっと楽しめる 菖蒲には、古くから邪気を祓い清める力があるとされてきました。そのため、梅雨の時期にあたる旧暦の5月初めの端午の節句では、厄払いとして菖蒲湯に浸かる習慣があります。また、端午の節句では掛軸に描いた菖蒲を飾る習慣もあります。菖蒲の掛軸は厄除けとしても用いられているのです。 菖蒲の掛軸には季節を楽しむ目的以外にも、清めの目的があるとわかりました。菖蒲の掛軸を飾る時期は春分の日を過ぎてから5月いっぱいほどが目安です。菖蒲に込められた意味を振り返り、端午の節句をお祝いしましょう。
2024.09.14
- 掛軸の種類
- 有名掛軸作家
-
日本画掛軸は買取市場でも人気!プロの査定士へ買取相談を
日本国内のみならず世界からも高い評価を受けている、日本画。 古くから掛軸としても親しまれている、日本ならではの繊細なタッチや美しい色合いを楽しめる日本画掛軸は、骨董品・美術品市場でも人気の品です。 特に歴史に名を残している著名作家の作品は、非常に希少性が高いこともあり、今でも高額で買取されています。日本画にはどんな種類や歴史があるのか、またどんな日本画掛軸が残されているのかを見ていきましょう。 日本画とは 日本画とは、日本の伝統的な絵画全般を指します。中国や朝鮮からの影響を受けながら独自に発達した芸術です。日本画の名称は、明治以降に西洋から入ってきた油彩画と区別するために生まれた言葉です。明治20年代から30年代までは日本画という概念はありませんでした。日本画は伝統に基づく技法や感覚、美意識、表現などを時代とともに変化させながら常に進化し続けています。また、一般的に岩絵具や膠、和紙、絹などを使用した絵画全般を日本画と呼ぶケースもあります。 日本画掛軸の種類や特徴とは 日本画掛軸にはいくつかの種類があり、それぞれ特徴や意味合いが異なります。高価買取が可能な日本画掛軸を判断するためにも詳しい内容を把握していきましょう。 祝儀掛け 結婚や結納、お正月などお祝い事の日に飾る掛軸で、描かれる絵はお祝い事の内容に合わせてふさわしいものを飾ります。 例えば、子供が生まれた時は健やかに成長するよう願いを込めて鯉が滝を登る画の掛軸を飾るでしょう。 その他おめでたい意味を持つ絵には松竹梅、鶴亀、旭日、高砂などがあります。 節句掛け 季節の節目となる節句に飾られる掛軸です。 例えば桃の節句、端午の節句などがあります。桃の節句は女の子を祝う行事で、雛人形や桃などの絵柄があります。端午の節句は男の子の健やかな成長を祈る行事で、兜やトラ、菖蒲などが描かれた掛軸を飾るのが一般的です。飾られるのは節句の時期だけに限定されます。 花鳥画 元々は中国で描かれていました。日本に伝わってからは独自の進化を遂げ、日本らしい大和への手法を取り入れた画がよく見られます。花や鳥はもちろん虫や猫、木々など季節に咲く花や見かける鳥と一緒に、多くの生き物が描かれています。 日常生活の中で季節を楽しめることが魅力の一つです。玄関や客間に飾ればお客さまを迎える時にも季節を感じてもらえる素敵な空間づくりが可能です。季節ごとに掛軸を入れ替えて楽しむ人もいれば施設にはこだわらず好みの自然がを飾る楽しみ方もあります。 花鳥画の中に4枚揃えて飾る四季花鳥というものがあります。4つの絵柄に特別なルールはありません。お気に入りの絵柄を4つ選んでも良いですし、同じような雰囲気の花鳥画を季節ごとに選択すると、まとまりのある美しい空間の演出が可能です。 動物画 動物画の掛軸は、魔除けやお守り、運気向上の役目を期待して飾られます。 描かれている動物はさまざまで、日本画では虎 や龍が多く描かれています。迫力と力強さが人気の一つです。 例えば、虎の鋭い眼光は魔除けの意味を持つとされています。 また、龍は伝説上の生き物であり、神の使いや霊獣として崇められています。そのため、龍を飾ると家に大きな力を呼び込むとされています。 その他にも鯉は運気が上昇するといわれており、選挙や昇進祝いなどで飾られる掛軸です。 山水画 山水画は、山や川などの自然の風景が描かれている掛軸です。 比較的落ち着いた印象のある掛軸で、1年中飾っておいても問題ありません。上品な絵柄が多く万人受けしやすい掛軸のため新築祝いとしてもお勧めです。山水画の絵柄として特に好まれるのは日本の象徴でもある富士山の絵です。 幸運を招く縁起物として、外国の方にも人気があります。富士山だけでもさまざまな表情の絵柄が存在します。例えば夕日で赤く染まった赤富士、富士山と言われて多くの方が想像する雪化粧の富士山など、時間帯や季節、見る方角、構図などによりさまざまな表情を見せてくれる魅力的な掛軸です。 日本画掛軸の歴史とは 日本画掛軸の買取価格の相場を把握するためにも、歴史や背景を理解しておくことは大切です。こちらでは、日本画掛軸の誕生から現在に至るまでの流れを紹介します。 掛軸は中国で誕生し日本へ伝わってきました。中国の晋王朝(265年~420年)では、仏教を伝えるために仏画が使われていました。当時の仏画は持ち運ぶ時に壊れやすかったため、破損防止を目的に掛軸の原型となる巻物の仏画が作られています。 中国の仏教の影響を受けて、日本でも飛鳥時代から平安時代には掛軸タイプの仏画が礼拝で用いられました。この時代の掛軸はまだ庶民の手に渡ることはありませんでした。主に僧侶や貴族の間で利用されていたようです。平安時代に入って、現代で使われるような表装を施した掛軸が日本に入ってきたとされています。 鎌倉時代に入ると、禅宗とともに水墨画が日本に伝わり、庶民の間にも広がり始めました。当初は禅的思想の強い水墨画でしたが、少しずつ「枯山水」や「花鳥風月」などの画題が取り上げられ、鑑賞として楽しむ水墨画も描かれていきました。 江戸時代中期に入ると、職業画家とは別に画を専門としているわけではない文人が描いた文人画が流行し始めます。文化人や町人も自分で描いた画に表装を施し、楽しむ習慣ができていきました。 明治時代以降は日本が開国した影響もあり、急速に西洋の文化が伝わり多くの画家が影響を受けることになります。そして、技術が進歩していき日本画が世界でも評価される日本を代表する芸術となりました。 また、庶民の住宅にも床の間が設けられる建築様式が一般的になり、掛軸を飾る庶民が増えていきました。しかし、戦後は住宅の欧米化が進み、床の間のある住宅が減少しています。そのため、一度は庶民に親しまれた日本画掛軸ですが、日本人の掛軸離れが加速していきました。 自宅で飾る機会が減少した影響で美術的価値が高まっていき、美術館や寺院で楽しむ美術品として変貌を遂げました。現代では、美術品として楽しむ一方で洋間のインテリアとして和風の掛軸を飾り、アンバランスさを楽しむ人もいるようです。 特に有名な日本画掛軸の作品や作家たち 日本画掛軸の買取価格を把握するためには、有名な作家やその代表作などもぜひ知っておいてください。 狩野芳崖 作家名:狩野芳崖(かのうほうがい) 代表作:『不動明王』『悲母観音』 狩野芳崖は、1828年生まれ山口県出身の日本画家です。家は長府藩の御用絵師でした。 1846年に江戸へ上京し、木挽町狩野家に入門しています。アメリカ人御雇教師フェノロサと出会い、西洋絵画を勧められ空間表現や色彩などを学び、日本画の革新に努めました。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『朝顔狗子図杉戸絵』『幽霊図』『雪松図屏風』 円山応挙は、1733年生まれ丹波国桑田郡穴太村(現:京都府亀岡市)出身の絵師です。10代のころに京の都へ行き、画技の研鑽に努めています。一時は狩野派の絵師のもとで学びましたが、中国画まで含めたさまざまな流派で画風を確立させました。 伊藤若沖 作家名:伊藤若沖(いとうじゃくちゅう) 代表作:『仙人掌群鶏図障壁画』『釈迦三尊像』 伊藤若沖は江戸時代中期に京都の錦市場で生まれました。幼少期から優れた画才を発揮しています。10代半ば過ぎから狩野派の流れを汲む大岡春卜に教えを受け、その後は、中国から伝わった宋元画に魅了され熱心に模写して技術を習得しました。自宅で飼っている鶏や、農家の野菜、錦市場の魚など身近にある物を注意深く観察し、写生を続けることで技術を磨いていきました。花鳥画を得意とし、40歳で最高傑作との呼び声が高い『動植綵絵』を完成させます。 上村松園 作家名:上村松園(うえむらしょうえん) 代表作:『四季美人図』『花ざかり』『月かげ』 上村松園は1875年、京都府生まれで、京都府画学校(現:京都市立芸術大学美術学部)を中退しています。鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳に教えを受けました。四条派の技法に近代感覚をとり入れた優雅な作風が特徴です。1948年には女性初の文化勲章を受章。 掛軸買取を相談しませんか?その日本画掛軸、実は高い価値があるかもしれません 中国から伝わり日本で独自の発展を遂げた日本画掛軸には、高価買取の対象となっているものもあります。 自宅で見つかった日本画掛軸の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士にまずは相談してみましょう。 長く放置されていた日本画掛軸には汚れやシミが生じていることもありますが、完全な状態ではなくとも価値がつく場合もあります。その反対に、無理に補修を行いより傷みが増してしまうと、作品の価値を下げてしまう恐れがあります。 まずは、発見したそのままの状態で査定してもらいましょう。裸のままの掛軸よりも箱があると価値が上がる場合もありますので、倉庫で掛軸を発見したら箱もセットでしまわれていないかチェックすることをお勧めします。また落款、署名なども掛軸の価値を高めてくれるでしょう。 自宅の大掃除で発見された価値のわからない日本画掛軸をぜひ査定に出してみてください。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
-
時代の美しさを描いた美人画掛軸は骨董品買取市場でも人気
美人画の最も有名な作品と言えば、「見返り美人図」ではないでしょうか。江戸時代より多くの画家によって描かれてきた美人画は掛軸としても多数の作品を残されています。著名な画家の作品は現在も非常に人気があり、高額買取の対象となることも珍しくありません。その時々の時代の美しさを描いてきた美人画。その歴史や特徴などを見ていきましょう。 美人画とは 美人画とは女性の外見だけではなく、内面の美しさも含めて表現した絵画のことです。日本でいう美人画とは、江戸時代に確立された浮世絵とその流れを汲む絵画が該当します。美人画は日本の骨董品買取市場でも人気の高い美術作品です。 浮世絵の美人画はモデルとなる本人に似せて描かれることはあまりありません。多くの場合は様式化された表現が用いられます。そのためモデルの美人がどの浮世絵師のパターンで描かれているかが重要視されています。 美人画掛軸の種類や特徴とは 美人画は掛軸買取の中でも人気の美術作品の一つです。美人画とはその名の通り美人を描いた浮世絵のことです。実際の人物をモデルとすることもありますが、架空の女性を描くこともあります。絵柄の特徴は切れ長の細い目、細面、下膨れした顔などです。 美人画では花魁や太夫のような遊女、町娘などがモデルになっています。その後、多色で刷られた精巧な木版画が流行り始めると、華奢で少女のようなあどけなさを持つ女性も多く描かれました。江戸時代の美人画は、今でいうグラビアやファッション誌のような役割を持っています。ただ絵が美しいからだけではなく、着物の柄や着こなし、髪飾りなどの流行を取り入れることで、男性からだけではなくおしゃれの感度が高い女性からも一定の需要がありました。 美人画は顔のタッチや姿かたちが時代によって異なります。また、画風は作家の個性が出る部分でもありますが、その時代で流行りの描き方が生まれると、他の絵師も寄せて描く傾向もありました。そのため、絵柄によってその時代の流行りが判別できます。時代によって表情を変える美人の描き方を楽しむのも、美人画の醍醐味の一つです。 美人画掛軸の歴史とは 美人画掛軸の高価買取を目指すなら背景を把握して作品の価値を理解しましょう。美人画の誕生は江戸時代までさかのぼります。当時の町人たちが興味を寄せていた風俗を描いた浮世絵の一種です。江戸時代以前は、本のメインは文章で、絵はあくまでおまけのようなものでした。しかし、菱川師宣の描く美人画によって絵の価値が大きく変化します。有名な作品として見返り美人図があります。 師宣は一枚摺と呼ばれる本から絵を独立させた版画を作成し、人々に絵の魅力を広めました。これが浮世絵の始まりといわれています。浮世絵は画題によって武者絵・春画・役者絵・美人画などいくつかの種類に分類が可能です。 浮世絵の中でも美人画は、江戸時代前期から多くの人々に好まれていました。美人画は当初、絵師の理想の美人を具現化する手段でしたが、18世紀後半頃からは現実にいる花魁や遊女が名前とともに描かれるようになりました。その後は、芸者や水茶屋の看板娘、評判娘、町家の娘なども描かれています。看板娘の美人画は見て楽しむだけではなく広告的な役割も果たしていました。 多くの町人たちの間で楽しまれてきた美人画ですが、寛政の改革が起こった18世紀末に風紀を乱すものとして検閲されてしまいます。そして、自由に浮世絵を発行できなくなってしまいました。 浮世絵が人気を集めていたのは江戸時代だけではありません。明治時代にも新たな浮世絵が描かれていました。明治時代は貿易が盛んに行われていたこともあり浮世絵も近代化による西洋文化の影響を強く受けました。美人画も喪服だけではなく洋装などの新時代の文化風俗をまとった女性を描いた作品が登場し始めました。 江戸時代に引き続き美人画は、ただ見て楽しむだけではなく流行ファッションの情報源としての役割も担っています。当時の女性たちが美人顔を参考に着物の柄や着こなしを選んでいたのかもしれません。時代によって絵柄の変わる美人画を鑑賞してその時代の背景を知っていくのも醍醐味の一つです。 菱川師宣 作家名:菱川師宣(ひしかわもろのぶ) 代表作:『江戸雀』『和国諸職絵つくし』『北楼及び演劇図巻』 菱川師宣は、安房国保田(現:千葉県鋸南町保田)で7人兄弟の4番目として生まれました。幼いころから絵を描くのが好きで、家業の手伝いで刺繍の下絵などを描きながら、漢画や狩野派、土佐派などの諸流派と接点を持ちつつ独学で画を学んでいきます。その後、江戸に出ると版本の版下絵師として活躍。これまでの本とは大きく異なり、文章を少なく挿絵を大きく描いた絵本が江戸の町人の間で話題になり人気を集めました。手軽に見て楽しめる木版摺りの一枚絵を手掛け、絵画文化の大衆化に貢献した人物です。日本が世界に誇れる絵画文化「浮世絵」は菱川師宣の手によって始まったといっても過言ではありません。 代表作には『見返り美人図』があります。切手のデザインとしても有名な作品です。江戸時代前期の流行りのファッションやヘアスタイルが反映されている特徴があります。髪は玉結びスタイルで、着物は当時高級品であった紅で染められており、帯も当時の流行である吉弥結びが施されています。美人画は当時のファッション誌的役割を担っていたことが伺えるでしょう。 喜多川歌麿 作家名:喜多川歌麿(きたがわうたまろ) 代表作:『潮干のつと』『当時三美人』『美人大首絵』 喜多川歌麿は美人画の名手と呼ばれており、海外では、葛飾北斎と並び知名度の高い浮世絵師で、北尾重政や鳥居清長から作風を学び修業を重ねています。 当初は風景画・役者絵、黄表紙・洒落本の挿絵、錦絵などを描いていました。その後、美人画に専念すると女性の官能的な美しさを描いて、歌麿をしのぐ画師は存在しなかったといわれるほどの作品を残しています。 画中に政治批判が見られたという理由で、寛政の改革の際には入牢3日、手鎖50日の刑を受け、芸術生命を絶たれてしまいました。実際は、幕府が歌麿の影響力や版元蔦屋の急成長を警戒して実施したとされています。 代表作には『婦女人相十品 ポッピンを吹く娘』があります。 この作品は、婦女人相十品と呼ばれる大判錦絵十枚の揃物の1枚で、当時の江戸を生きる人気町娘を描いた美術作品です。ポッピンとは、息を吸ったり吹いたりすると「ポピン」可愛らしい独特な音を鳴らす舶来品のガラス玩具で、江戸時代に流行していました。町娘のあどけない表情が魅力的に表現されている一方で、赤い市松模様の着物とポッピン、花扇柄の簪を付けている様子から、町娘の豊かな暮らしぶりがうかがえる作品です。 竹久夢二 作家名:竹久夢二(たけひさゆめじ) 代表作:『黒船屋』『長崎十二景』『女十題』 竹久夢二は明治17年、岡山に生まれ画家としての道を進むために18歳で上京し、当初は雑誌や新聞にコマ絵を寄稿していました。独特の情感をたたえた美人画の『夢二式美人』によってスタイルを確立しています。叙情あふれる画集を続々と発表して人気作家になると、雑誌の表紙や広告から、千代紙、便箋、封筒、うちわ、半襟、浴衣などさまざまな日用品のデザインも手掛けるようになりました。画家の枠を飛び越え、イラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクターのような働き方を実現した人物です。 人気の美人画掛軸には驚きの査定額がつくことも 江戸時代から高い人気を集めている美人画掛軸には、予想できない高価買取価格がつく可能性もあります。 お持ちの美人画の価値が気になる方は、手入れを行う前に査定士へ査定を依頼してみることをお勧めします。古い美人画掛軸は傷みや破れなどの損傷がひどい場合もあるでしょう。査定で価値をつけてもらうためにまずは修復をしたいと考える方も多いですが、下手に修復を行ってしまうとかえって価値を下げてしまうことにもなりかねません。まずは、倉庫から出てきた状態のままで査定に出してみましょう。 親族から譲り受けたり、倉庫の奥から出てきたりした美人画掛軸は、価値をチェックするためにもまずは実績豊富な査定士へご相談ください。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
-
実は高額買取?!仏間掛軸には歴史的価値や希少性の高いものも
仏様や仏教に関することを描かれた仏画は、掛軸として仏間に飾られるなどしてきました。崇拝や礼拝の対象として長い歴史のある仏間掛軸は、著名な作家による作品や歴史的に価値の高い作品も。昔から実家の仏壇横に飾ってあった仏画掛軸を査定に出してみたところ、非常に貴重なもので予想もしない価格での買取となることも少なくないようです。仏画掛軸にはどんなものがあるのか、その特徴や歴史を紐解いていきましょう。 仏画とは 仏画とは仏教をテーマとした絵画を指しており、仏様の絵はもちろん、前世の物語を描いたものや、浄土や地獄の様子を描いたもの、禅宗僧の肖像画なども含まれます。掛軸、版画、曼荼羅は仏画に該当します。仏像では表しきれない複雑な仏教の教えを多くの人に広めるために利用されているのが特徴の一つです。礼拝の際に使用する目的だけではなく、仏教を広く伝えるためにも用いられています。例えば、礼拝に用いられる独尊で描かれた仏様や、菩薩様の尊像画、浄土図などです。 仏画はお寺の壁や掛軸に描かれるもので、仏画師には日本の伝統絵画に関する深い知識や高い技術が必要です。仏画師を目指す人は、内弟子を受け入れている現役の仏画師のもとで修業に励み、技術を習得する必要があります。現代では、弔事や年忌法要、お彼岸、お盆など先祖供養の場で仏画を飾ることが多い傾向です。また、お寺だけではなく骨董品として美術館や博物館でも仏画を鑑賞できます。 仏画掛軸の種類や特徴とは 仏画は描かれている対象によって複数に分類されます。 礼拝や崇拝の対象が描かれている仏画 描かれている主な仏様は以下のとおりです。 釈迦如来 (しゃかにょらい) 釈迦如来は、仏教の始祖です。インドの釈迦族の王子として実在していました。王位継承者の地位を28歳で捨て、生・老・病・死の四苦から解放される道を探し、6年にわたる苦行の末、大悟を得て仏陀となりました。釈迦如来は45年間インドの諸国を説法して巡り、教えを広めていきます。80歳を過ぎた釈迦如来は死期を悟り、弟子たちに囲まれながら最後の説法を行い、涅槃に入りました。 阿弥陀如来 (あみだにょらい) 阿弥陀如来は、無量寿如来や無量光如来とも呼ばれています。日本では極楽浄土の思想が広まり、西方極楽浄土の教主「阿弥陀」として広く信仰された仏です。阿弥陀如来には、説法相、定印相、来迎相の3種類の手の組み方があります。さらに往生者の機根の高低、信仰の深浅に応じて9種類の来迎があるとされており、3種の印相を基本として9つの手の種類による阿弥陀の姿が考え出されています。 大日如来 (だいにちにょらい) 大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。大日の智恵の光が昼夜で状態変化する太陽光とは比べ物にならないほど大きく、この世のすべてを智恵の光で照らし出すとともに慈悲の活動が活発で不滅永遠のため、太陽の象徴である「日」に「大」を付けて大日と名付けられました。 薬師如来 (やくしにょらい) 薬師如来には、瑠璃光如来や医王如来の別名が付けられています。薬師や医王の名からわかるように、病を治癒する徳を表現する仏様です。古来より大衆から人気のある仏様で、人々の救済のため十二の大誓願をたてています。薬師如来は死後の世界ではなく、この世に生を受けている人々を護り、病などの苦痛から救済する特徴があります。 弥勒菩薩 (みろくぼさつ) 仏陀が入滅されたあと、将来的に仏となりこの世に降りて法を説き、人々を救うと約束がなされているのが弥勒菩薩です。将来仏になることが約束されているため、弥勒仏とも呼ばれています。ただし、弥勒菩薩が救世仏としてこの世に現れるのは、釈迦の入滅後から56億7000万年後であるとされているため、現在生を受けている人々は残念ながら会えないでしょう。 観音菩薩 (かんのんぼさつ) 観音菩薩は、観音の力を念ずれば水難、火難などの七難や貪欲、瞋恚、愚痴の心から生じる3つの苦しみから人々を解放し、救いと喜びを与えるとされています。観音菩薩は、補陀落山と呼ばれる浄土にあり、人間界のどこにでも姿を表し、三十三応現身として場所や時、状態に合わせてふさわしい姿に変化して人々を苦悩から救うことが特徴の一つです。 密教の世界観を表現した曼荼羅 曼荼羅とは、密教の経典に基づく主尊を中心に諸仏諸尊が集まる様子を模式的に描いた図です。仏様のいる世界や悟りの境地が描かれている特徴があります。曼荼羅の起源は古代インドです。曼荼羅の種類は時代や宗派によってわかれています。修行を続けることで仏様と一体化できるという教えで、身、口、意の三密業を通して仏様と一体化するといわれています。 たとえば、日本でよく見られる四種曼荼羅は以下のとおりです。 1.大曼荼羅 仏様の姿をそのまま描き、仏の世界を表した曼荼羅です。すべての曼陀羅の基本といわれています。 2.法曼荼羅 すべての仏様が悟りに入った禅定の状態で描かれた曼荼羅です。文字をメインとして抽象的な描かれ方をする傾向があり、仏教の真理や仏の智慧を表現しています。 3.三昧耶曼荼羅 仏様をシンボルに置き換えて描かれた曼荼羅です。たとえば、阿弥陀如来は蓮華、宝生如来は宝などに置き換えられます。衆生救済、慈愛に焦点を当てていることが特徴的です。 4.羯磨曼荼羅 大日如来以外の仏様をすべて女尊で描いた曼荼羅です。羯磨は業(カルマ)や行為を表しており、実際に行われる供養に特化した曼荼羅といえます。 変相図 変相図とは、地獄や極楽、その他の相状を描いた絵画です。曼荼羅に似た雰囲気を持つため浄土曼荼羅とも呼ばれます。しかし、密教との関係はありません。 浄土図 浄土図は、仏教の浄土信仰による絵画です。浄土図は死後に向かう浄土のありさまを描いています。平安時代後期に盛んに描かれました。 六道輪廻図 仏教によると、世の中のすべての生き物は六道と呼ばれる世界で生死を繰り返しているとされています。六道は死後の世界で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つからなります。生きている時の行いによって世界が決まり、何度も生まれ変わるという考え方です。六道の考え方を画で示したのが六道輪廻図です。 垂迹画 垂迹とは仏様のことで、民衆を救うために仮の姿で人前に現れることです。垂迹画は本地垂迹説に基づいた絵画で、仏様や菩薩が垂迹という神に姿を変えて人々を救いに現れたとされています。 仏事や仏間で使用される、仏画掛軸 仏画掛軸とは、仏画や名号・経文などの書や、蓮や蝶など仏教に関係ある絵画など、仏様を祀るためや教義するための掛軸です。中国から伝えられた当初は、掛軸の題材はほとんど道教や仏教を取り扱う道釈画でした。 仏間で使用される掛軸に描かれる仏画は宗派によって異なります。代表的な宗派とそれぞれの仏画の特徴は以下のとおりです。 ・浄土宗 浄土宗の御本尊は舟型の光背が付いた阿弥陀如来です。真ん中に阿弥陀如来を祀り、両脇に掛軸を飾ります。正面から見て左側に法然聖人、右側に善導大師を祀るのが基本です。また、場合によっては正面から見て左側に勢至菩薩、右側に観音菩薩を祀ります。 ・浄土真宗本願寺派 浄土真宗本願寺派の御本尊は阿弥陀如来です。御本尊が仏像である場合は西立弥陀を祀ります。掛軸を御本尊に祀る場合は、8本の後光が差す阿弥陀如来の掛け軸を祀ります。また、両脇には正面から見て左側に蓮如聖人、右側に親鸞聖人を祀ります。 ・天台宗 天台宗の御本尊は本来釈迦如来です。しかし、阿弥陀如来や観音菩薩を祀る場合もあります。釈迦如来や阿弥陀如来を本尊に祀る場合、正面から見たときの左側に伝教大師、右側に天台大師を配置するのが基本です。 ・真宗大谷派 真宗大谷派の御本尊は阿弥陀如来です。御本尊が仏像の場合は東立弥陀を祀ります。掛軸を御本尊に祀る場合は、6本の後光が差す掛軸を祀るのが基本です。正面から見て左側に九字名号(南無不可思議光如来)、右側に十字名号(帰命盡十方無碍光如来)を配置します。 ・曹洞宗 曹洞宗の御本尊は釈迦如来です。しかし、寺院によっては阿弥陀如来や観音菩薩、地蔵菩薩などが祀られます。一般家庭の仏壇での祀り方は一般的に一仏両祖の三尊仏です。正面真ん中に釈迦牟尼仏を祀り、左側に常済大師、右側に承陽大師の掛軸を祀るのが多い傾向です。 仏間で使用される仏画は宗派によって異なるうえに、宗派の中でも寺院や地域によって違いが生じるケースがあります。そのため、利用する際はあらかじめ寺院や仏具店に相談することが大切です。 仏画掛軸の歴史とは 仏画掛軸は中国で誕生したとされています。中国の晋王朝(265年~420年)の時代には、仏教を布教する際の教義として仏画が利用されていました。仏画は礼拝で持ち運ぶ際に破損しやすく、それを防ぐために掛軸の原型となる巻物型の仏画が作成されたといわれています。現在広く知られている掛軸の様式は、唐(618年~907年)の時代に確立されたと考えられています。日本へは飛鳥時代に仏教とともに掛軸が伝わったという考え方が一般的です。 ここからは、時代ごとの仏画の特徴と有名な仏画作品を紹介します。 奈良と平安時代の仏画 奈良時代の仏教美術品は唐(当時の中国)の仏師からの影響が強い特徴があります。奈良時代の有名な仏画は「国宝薬師寺吉祥天像」「釈迦霊鷲山説法図」などです。 平安時代は、唐へ留学した空海や最澄などが系統的な密教や密教図像などを日本へ伝え、仏教絵画に大きな影響を与えたとされています。曼荼羅は密教の世界観を象徴的に描いたもので、平安時代に多く制作されました。 平安時代の後期になると阿弥陀如来の住む西方極楽浄土への再生を願う浄土信仰が流行。末法思想が広がり、浄土真宗では來迎図と呼ばれる仏画も描かれるようになりました。來迎図とは、人が亡くなった後に阿弥陀如来が迎えに来る浄土真宗の考えを表現しています。 平安時代の有名な仏画には「普賢菩薩像」「釈迦金棺出現図」「伝船中湧現観音像」「両界曼荼羅図」「来釈迦図」「善女龍王像」などが挙げられます。 鎌倉時代の仏画 鎌倉時代は貴族社会から武家社会への変化が起こりました。その影響もあり力強い作風の垂迹画や六道輪廻図が多く描かれています。この時代では、似せ絵と呼ばれる肖像画も流行りを見せ、仏画においては開祖の姿が描かれるようになりました。平安時代までは、仏教の教えを表現した作品が多数作成されていましたが、これまでの表現とは異なり鎌倉時代ではありのままの現実を描く作風の仏画が多く作成されています。 鎌倉時代の有名な仏画は「閻魔天像」「垂迹画」「阿弥陀二十五菩薩来迎図」「六道輪廻思想画」「地蔵菩薩像」などです。 室町時代~現代の仏画 室町時代の仏画は、幕府の保護を受けていた禅宗の影響を強く受けています。水墨画の仏教絵画が多く描かれたのも室町時代からです。江戸時代に狩野派の絵師が登場したことで、掛軸ではなく襖や壁、障子に仏画を描く手法が発展しました。その後は大きな特徴の変化は起きず、現在の仏画の形に収まっています。 室町時代の有名な仏画は『仏涅槃図』『賢劫千仏図』『不動明王二童子像』 『胎蔵界曼荼羅図』などです。 仏画掛軸を売るなら、実績のある査定士へ相談を 長い歴史の中でさまざまな種類に分かれていった仏画。仏画掛軸には高価買取の対象となっている作品もあります。高価買取を狙うのであれば、実績のある査定士に相談してみるのがお勧めです。倉庫で長い間放置されていた仏画掛軸は損傷がひどい場合もあるでしょう。修復を行い、きれいな状態で査定に出したいと考えがちですが、補修の質によっては価値を下げてしまうこともあるため注意しましょう。また、仏画掛軸の箱や落款、署名などがあればさらに価値が上がる可能性もあります。家族の遺品整理で仏画が発見されて価値が気になることもあるでしょう。そのような場合は専門家へ査定に出してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
-
東京の掛軸買取なら | 高額査定を狙うなら実績ある査定士へ
掛軸は、日本国内のみならず世界からも高い評価を受けている美術作品です。 日本には古来中国から伝わり、古くから親しまれています。同じ掛軸でも中国と日本では画のタッチや文字と画の組み合わせなどにより違いがあります。日本ならではの繊細な筆感や美しい色彩を楽しめる日本画掛軸は、骨董品・美術品市場でも人気の作品です。 東京出身や東京にゆかりのある掛軸も多く存在し、歴史に名を残している著名作家の作品は、今でも高額で買取されています。中には自分の出身地とゆかりのある掛軸を飾りたいと考える人もいるのではないでしょうか。有名な作家の生い立ちや代表作品などを知り、より掛軸への興味を深めましょう。 東京には価値の高い掛軸がたくさんあります 掛軸とはそもそも、書や絵を床の間に飾り鑑賞を楽しめるよう仕立てた美術作品です。 西洋絵画とは異なり、飾らないときは巻物にして箱の中にしまっておける特徴があります。掛軸は画や書が描かれている本紙と額縁に当たる表層の組み合わせによっても楽しめるのが魅力の一つです。 買取において、一見価値がなさそうな古びた掛軸も、ふたを開けてみると実は名作だったということもあります。掛軸の価値はなかなか自分では判断できません。東京で掛軸の処分をお考えの方は、掛軸査定の専門家に一度お見せすることをお勧めします。作者がわからない、表装がされていない、しわやシミなどの汚れがあるなどの場合でも価値がつくこともあります。 東京にゆかりのある、掛軸作家と代表作 多くの掛軸作家が多彩な作品を残し、一般家庭においても床の間へ掛軸を飾り楽しむ時代。中には自分の出身地とゆかりのある掛軸を飾りたいと考える人もいるのではないでしょうか。長い日本掛軸の歴史において、東京にゆかりのある掛軸作家も多く存在します。 葛飾北斎 作家名:葛飾北斎(かつしかほくさい) 代表作:『正宗娘おれん 瀬川菊之丞』『富嶽三十六景』『酔余美人図』 葛飾北斎(1760年-1849年)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。現在の東京都墨田区に生まれ、小さなころから絵を描くことに夢中でした。10代の終わりには、当時人気浮世絵師だった勝川春章に入門し、絵師となりました。代表作である「富嶽三十六景」は、46図におよぶシリーズものの浮世絵版画です。高い画力と思いもよらぬアイディアで、各地のさまざまな角度から眺めた富士山の姿を描いています。 富嶽三十六景に描かれている富士山はそれぞれ違った表情や魅力があり、たとえば陽の光に山肌を赤く染めた優美な姿や橋げたの奥に遠く望む富士山などさまざまなアイディアで富士山が描かれています。中でも多くの人を虜にしたのが、「波間の富士」の俗称を持つ「神奈川沖浪裏」です。船を飲み込む勢いの迫力ある大きな波の下に小さく富士を描いたその作品は、自然の脅威と人間の営み、それらを超越する霊峰の姿が見事に表されている魅力的な一枚です。 葛飾北斎は、およそ70年にもわたって絵を描き続け、多彩な作品を残しました。没後もますます高い評価を受け、現代においても世界の偉大な芸術家として国内外で人気を集めています。 片岡鶴太郎 作家名:片岡鶴太郎(かたおかつるたろう) 代表作:『東京夜景』『一富士二鷹三茄子』『彩雲不二』 片岡鶴太郎は日本のお笑い芸人、役者、画家とマルチに活躍するタレントです。 1954年に生まれ東京の下町で育ちました。画家としては、1995年に初の絵画展「とんぼのように」を東京で開催します。その後2001年にはフランス・パリで初の海外個展を開催。2011年には本格的な仏画を出店するなど、画家としても精力的に活動しています。2014年~2017年にかけては還暦と画業20周年を記念した個展「還暦紅」を全国20カ所で開催し、34万人を動員する大盛況を収めました。現在も群馬県草津、石川県山中、佐賀県伊万里、福島県飯坂に個人美術館を設立するなど、東京だけではなく全国で継続的に活動しています。 伊東明生 作家名:伊東明生(いとうめいせい) 代表作:『百事諧 ひゃくじ/ととのう』『南無阿彌佗佛』『龍虎二行書』 伊東明生は、1941年生まれ東京出身の画家です。日本水墨画協会に所属しており、市展、県展で入選を果たしています。現在は静岡に在住。 衣笠玉関 作家名:衣笠玉関(きぬがさぎょっかん) 代表作:『旭光照波』『お雛様』 衣笠玉関は、1950年生まれ東京在住の画家です。県展や市展に積極的に作品を出品し、個展も3回開催しています。得意な画は花鳥画と山水画です。 東京の掛軸買取は実績ある査定士へ相談を 東京にゆかりのある掛軸作家が描いた作品の中にも高価買取の対象となっている作品があります。 自宅や倉庫の大掃除を行っていて掛軸がでてきたときには、すぐに処分してしまわずに、まずは実績のある査定士に相談してみるのがお勧めです。 長い間ほこりをかぶって放置されていた掛軸は、汚れやシミが目立つ場合もあるでしょう。しかし、状態がきれいでなくとも価値のつく作品もあります。また、補修によって価値が変動することもあるため自己判断での修復は注意が必要です。自宅の倉庫から出てきた掛軸の価値を知っておきたいと考えている方は、実績や経験が豊富な専門の査定士へ査定をお願いしましょう。掛軸は、箱、落款、署名などがあればさらに価値が上がる可能性もあるため、査定前にチェックしてみてください。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 有名掛軸作家
-
日本と中国の掛軸にはどんな違いがある?
掛軸は、絵画や書道などの美術作品をより魅力的に展示するために装飾された作品を指します。 各時代や国の風景、自然、文学、時代背景などさまざまな環境の影響を受けて描かれた掛軸には、それぞれ違った魅力があります。気に入った掛軸を部屋に飾れば、作品の季節感や情緒と部屋の雰囲気や空間が調和し、見る者に癒しと感動を与える空間づくりが可能です。掛軸には大きく分けて日本掛軸と中国掛軸の2つがあります。こちらではそれぞれの特徴を複数の観点から解説していきます。 掛軸に興味をお持ちの方は、違いを理解することでより掛軸鑑賞を楽しめるでしょう。また、買取を行う際のポイントとしても覚えておきたい知識ですので、ぜひご参考ください。 掛軸はもともと中国から日本へ伝来した 掛軸は、平安時代に中国から日本へ伝わったとされています。空海が遣唐使として平安時代に唐(当時の中国)へ行った際に、曼荼羅を持ち帰ったといわれています。この歴史をきっかけに、仏画の制作とともに掛軸の技術と文化が日本で発展していきました。 掛軸はもともと仏教を広めるための道具として利用されてきました。僧侶や貴族が掛けて拝するための仏画が描かれた礼拝の道具です。仏画をどこへでも持ち運べるよう巻物型になっています。桐箱に収納できるため破損しにくく、良い保存状態を維持できる特徴があります。 掛軸と一口にいっても種類はさまざまで、仏画や書画、花鳥画、山水画、浮世絵、美人画などがあります。骨董品としての価値も作品や作家によって大きく違いがあるのも特徴の一つです。 日本と中国の掛軸の違い そもそも掛軸とは、絵画を鑑賞したり保管したりしやすいよう表装したものを指します。 日本では、中国から伝わった当初は仏画を持ち運び礼拝するために使用されていましたが、江戸時代ごろからは浮世絵が大衆文化として多くの人々に広まり、掛軸が庶民にとっても身近な娯楽の一つになりました。 日本の掛軸は住宅文化と一体化した芸術作品として捉えられている特徴があります。日本家屋の床の間に飾る芸術品として掛軸は重宝され、一般家庭においても掛軸がよく飾られていました。 現在では、洋風の住宅が増えたことから床の間が減少し、自宅に掛軸を飾る家庭も少なくなってきたように感じますが、茶室や旅館の部屋など日本の古き良き建築美が残る場所では今でも掛軸が飾られているでしょう。また、現在は美術品・芸術品としての価値が高まり、美術館や博物館では多くの歴史的な掛軸を拝観することが可能です。飾られる場所が違えど、日本掛軸は古くから現在まで日本人に愛され続けている芸術品といえるでしょう。 現在の中国では、自国の文化財保護を目的に、文化財の国外への持ち出しが禁止されています。 文化財とは、掛軸を含む、絵画や陶芸品などの骨董品が該当します。2007年に、1911年以前に制作された文化財は一律国外への持ち出しが禁止されました。また、歴史的・芸術的・科学的価値を有すると判断された文化財については、1949年以前に制作された作品は原則国外への持ち出しを禁止する規定も定められています。 掛軸の形状の違い 日本と中国の掛軸の違いとして、形状の違いが挙げられます。日本の掛軸は一般的に表木が半月形です。掛軸の裏面は壁に沿うよう平らに作られており、正面から観察すると丸くなっています。 一方、中国の掛軸は表木が四角い形をしているものがほとんどです。また、中国の掛軸は軸先の大きいデザインが多く採用されています。素材としては、高級素材がよく使われており、柄が彫り込まれている軸先もよく見かけます。 技法の違い 中国の掛軸に描かれている画は、力強い筆使いと線が特徴です。輪郭をはっきり描くため鋭く迫力のある画が印象的です。一方、日本掛軸は墨のにじみ、ぼかし、たらしこみなどによる表現方法をうまく使っています。中国掛軸は「筆重視」、日本掛軸は「墨重視」の傾向が見られます。 表装の違い 日本掛軸の表装様式の基本は、「真」「行」「草」の3形式があります。さらに「真」「行」の中でも「真」「行」「草」に分けられ、「草」では「行」「草」に分けられます。 「真」の表装は佛表装とも呼ばれており、「南無阿弥陀仏」の各号や観音図、曼荼羅、阿弥陀尊像、頂相画など佛事に関係する画を仕立てる場合に用いられる形式です。 「行」の表装は「大和表装」や「幢補(どうほ)」とも呼ばれており、日本では最も一般的とされる仕立ての形式です。禅僧の墨蹟、絵巻物、歌切、色紙、やまと絵、懐紙など幅広く利用されている特徴があります。 「草」の表装は「茶掛表装」や「輪補(りんぽ)」とも呼ばれており、禅僧や茶人によって描かれた書画に用いられるなど茶道に関連する場合に用いられる仕立て形式です。 一方、中国掛軸の表装は、中国明王朝時代に流行した袋表装(丸表装)の形式で仕立てられている作品がほとんどです。また、その他にも明朝仕立(文人表装)や太明朝仕立がよく用いられています。 絵画と詩句の有無の違い 中国には古来から「詩画一如」「書画同源」という考え方があります。「絵画」と「書」は、本来同じ根源から生まれたもののため、「絵画」と「書」は切り離せないものであるという考えです。そのため、中国の掛け軸にはそれぞれが描かれているものよりも、絵画に関する詩句が添えられた掛軸作品が多く残されています。一方で、日本の掛け軸は「絵画のみ」「書のみ」の作品が多い傾向です。 画風やモチーフの違い 掛軸のモチーフは複数あります。たとえば、動物画や花鳥画、山水画、美人画などです。同じモチーフの画でも、中国と日本の作品ではいくつかの違いがみられます。たとえば、両国でよく用いられる山水画は、中国と日本では方向性の違いが感じられます。 中国では、山や川など現実の存在をそのまま描くのではなく、心の中に存在する究極の理想郷を追求し描くことが特徴的です。そのため、自然の風景を幽玄な雰囲気で描いた画風の作品が多く存在します。 日本では、飛鳥時代から山水の風景が描かれており、各時代で中国山水画の影響を受けた作品が多く誕生しています。代表的な山水画家として知られている雪舟は、中国画の模倣から脱した独自の日本的山水画を確立させました。 イメージとして、日本の掛軸は四季を感じられるものとして制作されており、中国の掛軸は山の幽玄さを前面に出しているような感覚があります。 また、書や絵画などの美術作品には必ずといっていいほど落款と署名が施されています。制作した大切な掛軸の作者が誰かを判別する重要な役割を持っています。日本では、単なる人物を特定するための証として扱われていますが、中国ではそれ以上の価値をもっているのも違いの一つです。中国掛軸における落款は、そのもの自体に芸術的価値が付与されています。中国掛軸が落款自体に価値を見出しているのは、文人としての教養や技術の高さを示すものであったからとされているようです。 日本と中国、どちらの掛軸が人気? 日本掛軸と中国掛軸は異なる特徴を持ち合わせており、それぞれに違った魅力があります。どちらも人気の作品が多数存在し、価値が高い作品も多く出回っています。日本掛軸は国内外問わず人気が高い傾向です。 しかし、近年は中国美術の人気も高まっており、中国掛軸も注目を集めています。 日本と中国、それぞれで発展した掛軸文化 中国から日本へ伝わった掛軸文化はそれぞれ独自の発展を遂げていきました。中国掛軸は、詩と絵画を融合させた芸術表現として発展していき、筆の勢いや線の力強さが織りなす作品は見る者に深い感動と鑑賞の楽しさをもたらすでしょう。日本掛軸は繊細な技術を用いた芸術作品で、ぼかしやにじみ、たらしこみなど墨の濃淡をうまく利用して描かれた絵画は深い趣を感じられます。日本ならではの四季をさまざまな構図で美しく描かれた日本掛軸は贈り物としても喜ばれるでしょう。 日本や中国の掛軸を手放そうとお考えの方や遺品整理で出てきた掛軸の価値を知りたい方などは、ぜひ一度専門の査定士に査定を出してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
- 掛軸の種類
-
掛軸の修復は自分でできる?プロに依頼すべきか迷ったら
倉庫整理で発見された掛軸の状態を確認してみると、汚れやシミが目立ったり、しわや破れが生じていたり、完璧な状態で保管できていないことも多いでしょう。 適切な保管方法を実施していても、経年劣化は避けられません。 あるいは、所有していることに気づかず、何十年も適切な処置を行わず放置していれば、なおさら掛軸への傷みは避けられないでしょう。 この記事では、掛軸を自分で修復は可能か、修理のプロへ依頼するのが安心か、汚れがあっても買取をしてもらえるかなどをご紹介していきます。 掛軸は自分で修復できる? 自宅を整理していて掛軸が発見されたとき、まずは状態を確認するのではないでしょうか。ちょっとしたしわや汚れであれば、自分で調べて修復できるのではと考える人もいます。掛軸は非常に繊細な美術品です。独自の修復によりかえってダメージを大きくしてしまわないよう、適切な修理方法を知識として持っておくことが大切です。 シミ抜き 掛軸は湿気に弱い特徴があります。そのため、湿度の高い場所に放置しておくとシミが発生しやすくなってしまいます。また素材の経年劣化により変色もしやすいため、長年置いておくと黄ばみが発生することもあるでしょう。シミを放置しているとその部分からさらに劣化が進み、ひどい場合だと作品に穴が空いてしまうことも。 掛軸に生じたシミは、水洗浄と薬品によって落としていきます。湿気や水分が原因で発生したシミは、水洗浄にて修復可能です。水洗浄では落ち切らない経年劣化による変色や茶褐色のシミは、薬品を使用して落としていきます。 薬品は正しく使用しないとかえって作品の傷みの原因になりかねません。市販のシミ抜き剤を使うとシミと一緒に書や絵画まで色落ちするリスクがあります。どのシミに対してどの薬品を使用すればよいかの判断も難しいため、薬品を使用して自分で修復するのは避けたほうが良いでしょう。適切な薬品を選ぶためには専門的な知識と経験が必要です。 破れの修復 掛軸は和紙や絹で作られているため、慎重に取り扱わなければすぐに破れてしまいます。 片づけをしている際に、掛軸に物が当たってしまったり、強く引っ張ってしまったりすると簡単に破れてしまいます。また、適切な保管方法でしまっておかなかった場合、経年劣化によって破れが生じることも。 破れた掛軸の修復は裏から紙を当てて行います。 破れた範囲が広かったりダメージが大きかったりすると、作品の分解や表装のやり直しまで必要になる可能性があるでしょう。古い掛軸は素材そのものが傷んでいるためより破れやすくなっています。修復の際に作品を傷つけないよう細心の注意が必要です。一部分の破れだからと自分で修理しようとして、穴を広げてしまう恐れもあります。繊細な技術が必要な作業となるため、専門の修理業者にお任せしたほうが作品を傷つけるリスクは少ないでしょう。 ひび割れの修復 掛軸は、経年劣化によって細かなひび割れが発生します。湿度の変化に弱いため湿気の少ない空間で長い間放置すると、乾燥で素材がパリパリになってしまうことも。巻いてある状態で乾燥した掛軸を無理やり広げようとすると画中に亀裂が何本も入ってしまうこともあります。掛軸を保管する際は湿度への気配りが大切です。 では、ひび割れが生じてしまった掛軸の修繕ですが、漉きはめ修復と呼ばれる方法で行っていきます。掛軸を構成する素材と同質の紙の原料液を流し込みひびを埋めていく方法です。本紙を漉き簾の上に置き、画がにじまないよう対処した後に紙の原料液を流し込んでいきます。余分な水分を吸収し、十分に自然乾燥させることで修復が可能です。 漉きはめ修復は専門的な技術が必要な修理技法のため、一般の方が行うことは難しいでしょう。ひび割れが生じた際はプロにお任せするのも一つの手段です。 仕立て直し 掛軸は和紙や絹が何重にも重なって形成されているため、飾りっぱなしや巻きっぱなしにしておくと折れやしわが生じてしまうことも。折れやしわが目立つ場合は、仕立て直しを行います。仕立て直しでは、まず掛軸の状態を確認したのちに、大きさを計測して解体。 シミや破れなど別のダメージは解体した際に併せて修復を行い、再度掛軸に組み立てていきます。組み立ての際は、元の表装を利用する場合もあれば新しい表装を用いる場合もあります。新しい表装で仕立て直す場合は、作品のイメージに合った物を選ぶことが大切です。 掛軸の価値が落ちるリスクも…修復はプロへ相談しよう 掛軸の修理には専門的な知識と技術が欠かせません。小さな傷みだからと自分で修理を行おうとすると、かえってダメージを広げるおそれがあります。 また、専門の道具や材料を必要とする修理方法もあるため、一般の方は自分で修理するよりも専門の修理業者に頼んだほうが良いかもしれません。掛軸を自分で修理するのは大きなリスクがあるでしょう。 掛軸はシミや汚れがあっても売却できる! 古美術品である掛軸は、作家や作品によって高価買取の対象となる場合があります。自宅や倉庫の大掃除を行っていて汚れた掛軸がでてきたときには、すぐに処分してしまわずに、まずは実績のある査定士に相談してみるのがお勧めです。 長らく倉庫や押し入れで放置された掛軸は、経年劣化により素材が傷んでいたり、シミや破れが生じたりしている場合があります。 しかし、きれいな状態で買取に出したいからと自分で修理を行おうとするのは危険。かえって掛軸を傷めてしまう可能性があるでしょう。 状態がきれいでなくとも価値のつく作品もあります。むやみに修繕を行わず、まずは美術品の買取業者に相談してみましょう。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸とは
-
春を楽しむ季節掛け掛軸 | 梅・桜・桃
掛軸には季節を問わず年中掛けられる作品と、四季によって掛け替える作品があります。 基本的には季節掛け掛軸としてはその季節に咲く花が用いられます。たとえば、冬から春にかけての花である梅は、12月から2月、椿なら11月から4月、あじさいなら5月から7月といったように、掛け替えを行います。 季節の移ろいにあわせて掛軸を掛け替え、時期にあった画を楽しみましょう。こちらでは、春を楽しむ季節掛け掛軸を紹介します。 春の掛軸を楽しもう!季節掛け掛軸とは 季節掛け掛軸にはその季節ごとの魅力を存分に楽しめる魅力があります。 春の桜、夏の風情、秋の紅葉、冬の雪景色など自然の美しさや季節によって異なる風物詩を描いた作品が、より一層季節掛け掛軸を魅力的なものにします。繊細な筆使いや色彩、独特な構図などで季節の趣を表現し、見る者の心に季節感や情緒を呼び起こしてくれるでしょう。 春の季節掛けに人気の絵柄 季節によって掛軸を変える季節掛けは、日本の四季折々の美しさを表現し、季節の移り変わりや自然の豊かさを感じさせてくれる魅力があります。春といえば日本を象徴する花である「桜」が代表的な画題です。夜の桜を描いた掛軸は、「中国の古い詩」にある「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」と表されるようにとても美しい掛軸です。 春の掛軸としては桜以外にも木蓮が有名です。また、4月から6月頃までは牡丹をお勧めします。牡丹は正月や慶事などのめでたい日や、季節を問わず掛けることも可能です。2月であれば立春に合わせて梅の掛軸を飾ることも多いでしょう。そのほかにも季節掛け掛軸では、山吹、木瓜、うぐいす、桃、福寿草、雪割草、芥子、菜の花も描かれます。 また、春の掛軸としては花鳥画掛軸も人気があります。ものごとの始まりにあたる4月は、咲きはじめの花や爛漫の花、花蜜を好んで集まる鳥を描いた花鳥画がお勧めです。 「梅の花」の掛軸 梅は冬が明ける前にいち早く春を告げる花として日本文化になじみ深い人気の作品の一つです。 春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)などの別名を持っています。掛軸で用いられる梅の花の意味は、忍耐強さと大願成就。年始一番に花を咲かせ、真冬の極寒にも耐え美しく見事な花を咲かせることから忍耐強さと大願成就の意味が付けられました。 松竹梅の一つでもあり、松や竹と同じように縁起がよいとされています。 松と竹は寒中にも色褪せず、梅は寒い冬に花を咲かせることから、中国では清廉潔白、節操など文人の理想を表現した花とされていました。掛軸として楽しむ際は梅だけが描かれた作品以外にも、新春には鶴と亀を一緒に描いた松竹梅鶴亀や紅白梅などもお勧めです。梅の花の掛軸は立春ごろから掛け始め、4月くらいまで楽しめるでしょう。 「桜の花」の掛軸 桜の花の掛軸は2月下旬から4月頃まで楽しめます。 日本の国花として名高い桜。夢見草(ゆめみぐさ)、徒名草(あだなぐさ)などの別名を持っています。 華やかに花を咲かせたと思えばあっという間に儚く散りゆく姿は日本の「侘び・寂び」の心をしみじみと感じさせてくれます。 また、季節の風物詩を楽しむ日本の心、言い換えれば「和」の心を思い出させてくれるでしょう。春掛けの代表的な花である桜は日本の心ともいえます。伝統や文化を重んじる侘び・寂びの茶道にも掛軸がよく飾られますが、茶室においても桜の花の掛軸は欠かせない作品です。 白や淡紅、濃紅色の花の色、一重や八重の桜が咲く姿はまさに桜花爛漫。桜の花の掛軸の中でも小鳥と桜を組み合わせた桜花小禽図はとても可愛らしく魅力的です。また、樹齢千年を超える大木の桜が描かれた掛軸も迫力があり、多くの人の印象に残るでしょう。新しい始まりを予期させる桜は、祝賀や記念の式典の折に飾られることもしばしばあります。 「桃の花」の掛け軸 桃の節句に良く用いられるのが桃の花の掛軸です。 桃には昔から邪気を払う力があるとされてきました。陰陽師で有名な安倍晴明を祀る晴明神社には大きな厄落としの桃があり、邪気を払うといわれています。桃の節句は、女の子が美しく健やかに成長し、素敵なご縁に恵まれるようにと成長を祝う伝統文化です。魔よけの力があるともいわれる桃の花の掛軸を雛人形の後ろに飾り、厄を落とし邪気を払うことで、どのような困難に直面しても周囲の人々と乗り越え幸せな人生を歩んでいけるようにと願掛けを行います。 季節掛け掛軸で日本の春を感じよう 季節掛け掛軸は、四季折々の表情と日本文化の美しさを堪能できる美術作品です。春の季節掛け掛軸には、梅の花や桜の花、桃の花が描かれた作品が多く存在します。どれもが日本の眩い春の景色を描いた作品で、春の訪れや生気溢れる美しい自然を楽しませてくれることでしょう。 季節の掛け軸は作品や作家によって高価買取が可能な場合もあります。 一般の方が自分で価値を調べることが難しいため、知識の豊富な専門の査定士へ調査を依頼するのがお勧めです。春夏秋冬違った表情の掛軸を楽しめる季節掛け。倉庫からいくつも掛軸が出てきた際は、飾る前にまずは価値を知っておきたいこともあるでしょう。修復などを行うとかえって損傷を広げてしまう恐れがあるため、まずはそのままの状態で査定に出してみましょう。
2024.09.14
- 掛軸の種類
- 有名掛軸作家