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茶掛掛軸を高価買取してもらおう
茶掛掛軸は現代の日本においても価値が高く、作品によっては高価買取が目指せる芸術品です。 代々受け継がれてきた茶掛掛軸をお持ちの方や、自宅に飾っていた掛軸の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士に依頼してもらうのもよいでしょう。 査定に出す前に、茶掛掛軸にどのような価値があるのかを知るために歴史や文化を辿ることも大切です。 なぜ茶道において掛軸が重宝されているのかを知ることで、より茶掛掛軸の魅力や価値を再発見できるでしょう。 掛軸は茶会で欠かせない存在 古くから日本で親しまれてきた掛軸文化。 起源は中国ですが日本に入ってから独自の発展を遂げ、多くの名作が生まれています。 掛軸の中でも茶会で用いられる掛軸を茶掛掛軸といいます。 茶道では茶碗や茶杓などお茶をたてる道具に目が行きがちですが、実は掛軸も茶の湯の場に欠かせない道具の一つなのです。 今日までの日本で掛軸文化が親しまれているのは、茶道において掛軸を飾る文化があったからといっても過言ではありません。それほど茶道と掛軸は深い関係性にあります。 茶の湯とともに普及した茶掛掛軸 掛軸の起源は中国とされており、日本には仏教とともに伝わったといわれています。 飛鳥時代にはすでに仏画として掛軸が入ってきていたと考えられているようです。本格的に掛軸が制作されるようになったのは平安時代のころです。 平安時代は、遣唐使として中国に渡っていた空海が曼荼羅を持ち帰ったことにより、日本でも曼荼羅政策が始まった時代。そこから仏画の制作や掛軸の表装技術が急速に発展していったといわれています。 平安時代ごろ、中国ではすでに水墨画や山水画の技法が確立され多く描かれていましたが、日本の現存する作品の多くが仏画であることから、日本では仏教のための仏画が主流であったと推察されます。 鎌倉時代に入ると中国の禅宗の影響を受け、多くの水墨画が日本に渡ってきました。 その中には仏画以外にも花鳥画や山水画などがあり、日本における掛軸の存在が仏教を広めるためのものだけではなく、芸術品としての価値があるものに変わっていきました。 このころから水墨画を芸術作品として鑑賞するために飾る文化が始まっています。 室町時代になると「わびさび」「幽玄」など日本独自の美意識が成熟していきました。 また、掛軸と縁の深い存在である床の間もこの時代に確立されています。 そして、床の間で最も重要視されたのが掛軸です。床の間は日常と芸術をつなぐ空間という目的をもって作られており、風景画や花鳥画、肖像画、書画などさまざまな絵画が飾られるようになりました。 また、室町時代では中国からもたらされた茶の文化により、茶道が広く普及し始めます。 茶室の床の間に飾る絵画として、掛軸が茶道においても重要な存在になっていきました。 安土桃山時代には、茶の湯を大成させた茶人として有名な千利休が茶道における掛軸の重要性を説くようになり、茶道をたしなむ人々の間で急速に掛軸が流行します。 ただ飾っておくだけではなく、客人や季節、時間帯などを意識して掛軸を掛け替える習慣が生まれ、場面ごとの格式を掛軸で表現する考え方が広まっていきました。 また、安土桃山時代では、織田信長や豊臣秀吉などの名だたる時の権力者も茶の湯を好んでおり、床の間の様式が著しく発展していきました。それに伴い掛軸として飾る絵画の技術や表装技術も進化を遂げていきます。 このように掛軸文化と茶道文化は密接な関係性にあり、今日でも日本人の生活に根付く芸術性の高い文化となっているのです。 茶室に掛軸を飾る意味 茶道において茶室に飾る掛軸を、茶掛掛軸と呼びます。 茶の湯の文化では古くから、神聖な空間である茶室に飾るものは格式高いものであるべきとする考え方がありました。 茶掛掛軸には禅宗の教えである禅語が書かれた書を用いることが多くあります。 ありがたい言葉が書かれている茶掛掛軸は、茶の湯の道具の中で最も格式が高いものとされています。そのため、茶室には掛軸作品が飾られるようになりました。 安土桃山時代に活躍した茶人の千利休も、秘伝書である南方緑に「掛物ほど第一の道具はなし」と記しています。 それほど掛軸は茶席において重要な役割を果たしているとされていたのです。 また、それだけではなくお花やお香、お茶碗などとともに、掛軸は季節感を出すための役割も持っています。 あるいは、季節感を表す以外にも、茶席の主人がお茶にかける思いや客人をもてなす言葉なども掛軸に表すことがありました。 さまざまな意味や思いを持って飾られる茶掛掛軸。 あまり茶道に馴染みのない人は、茶碗や茶杓などに目が行きがちですが、実は、茶道において、茶掛掛軸が最も格式高い道具で、重要な役割を果たしているのです。 もし茶道をたしなむ機会があれば、作法や振る舞いだけではなく、飾られている茶掛掛軸にも意識を向けてみましょう。 茶掛掛軸に書かれている書や絵から茶席の主人のおもてなしの精神を想像してみるのも茶道と掛軸の楽しみ方の一つといえるでしょう。 茶の湯ではどんな茶掛が鑑賞されている? 茶の湯で飾られる茶掛掛軸には禅語が書かれた作品が多く存在します。 ほかにも季節を表す絵が描かれた作品もよく利用されています。 掛軸は茶をたてる主人の心を表すものでもあるため、流派を大切にする茶道では家元が自ら書いた書や絵の掛軸は、何代にもわたって大切にされ丁重に扱われてきました。 茶掛掛軸に書かれる禅語としては、茶道の精神を表している「日日是好日」や「和敬清寂」などが好まれており、この言葉が書かれた掛軸は多く存在しています。 また、書で季節感を表すこともあります。 たとえば、春であれば「春光日々新」や「桃花笑春風」などです。夏になると「薫風自南来」や「山是山水是水」などが飾られます。暑さが和らぐ秋には「万里無片雲」や「清風明月」など、空気が冷たく澄み渡る冬には「庭寒月色深」「三冬鉄樹満林花」などがお勧めです。 また、茶道では書が書かれた掛軸が好まれていますが、中には季節の絵が描かれた掛軸を飾る場合もあります。 たとえば、春には桜や木蓮などの掛軸がよく用いられています。夏になると紫陽花や朝顔、川蝉などが題材としてよく描かれていました。秋には秋の七草や紅葉、稲穂などの絵が親しまれています。そして、冬には南天や雪景、寒牡丹などの絵が好まれます。 室町時代ごろから親しまれるようになった茶道と掛軸を組み合わせた文化。 茶掛掛軸を飾る文化は歴史の中だけではなく、現在もなお多くの茶席で楽しまれています。 茶掛掛軸を買取してもらうには 茶の湯文化とともに古くから日本人に愛されてきた掛軸作品。 中国を起源として仏教を広めるための仏画から始まり、広く民衆が楽しむための芸術品へと発展していきました。 多くの人々から親しまれるきっかけを作ったのは、茶の湯文化ともいえるでしょう。 神聖な茶室には格式の高いものを飾るべきという風習があり、茶の心と通ずるものがある禅語が書かれた茶掛掛軸は、茶道において最も格式の高い道具とされてきました。 そのため、茶道をたしなむ人々の間では、茶碗や茶杓などの道具ではなく掛軸を最も意識して選んでいたともいえるでしょう。 茶掛掛軸には主に禅語が書かれた書を用いますが、季節に合わせた絵画を飾ることもしばしばありました。 現代においても、茶掛掛軸には高い価値があるとされています。 特に禅僧によって書かれた墨蹟は歴史的価値があるといわれています。 墨蹟とは禅僧が書いた肉筆の筆跡のこと。 禅僧が残した墨蹟のある茶掛掛軸は高額査定が期待できます。 ご自宅で茶掛掛軸を保管している方で、作品の価値を知りたい方は一度査定士に依頼を頼みましょう。茶の湯において最も大切にされていた道具の茶掛掛軸。作品によっては高価買取が目指せますので、まずはお気軽に査定をご依頼ください。
2024.09.15
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掛軸の肉筆と印刷を見分けるには?
高い芸術性があり、古くから日本人の間で親しまれてきた掛軸作品。 作家が一つひとつ思いを込めて描き上げた掛軸作品は、日本人の精神や魂を形成する貴重な芸術品です。 花鳥画や山水画、浮世絵、仏画、書画など種類がさまざまありどれも異なる特徴を持ち味わい深い作品といえます。人気の掛軸作品の中には、作家本人が書いた作品そのものではなく、作品を印刷した掛軸も多く出回っています。 もともと印刷作品と謳って販売されている掛軸もあり、そのような掛軸は比較的安価で販売されているため、掛軸に興味を持ち始めた方でも手軽に楽しめるのが魅力的です。 しかし、中には印刷の掛軸でありながら肉質の掛軸と謳って高額で販売されている場合もあります。そのような作品を誤って購入しないためにも、見分け方を知っておくことが大切です。 最近は技術の発展により、印刷作品でも精度の高い仕上がりの掛軸が多く販売されています。印刷の掛軸として安価で購入する分には問題ありませんが、肉筆と偽った印刷掛軸を誤って高額で購入してしまわないよう注意しましょう。 肉筆の掛軸は価値が高い 肉筆の掛軸は、作家本人が描いたその一点のみのため、非常に希少価値が高い掛軸作品です。 現代では印刷技術の発展により、印刷の掛軸でも高品質な作品が多く存在します。 名作と呼ばれる掛軸を手軽に楽しみたい、というニーズであれば、こうした掛軸でも良いでしょう。 しかし、肉筆の作品・本物の掛軸にこだわって収集したいという方も多いでしょう。 肉筆の掛軸は一点物のため、人気の作家や作品によっては非常に高値でやり取りされています。価値が高いため、購入の際は本当に肉筆の作家自身が描いた掛軸であるか慎重に見極めることが大切です。 肉筆と印刷を見分けるためには、まずそれぞれの特徴を理解する必要があります。 肉筆とは 肉筆とは、作者本人が直接描いた絵画や書を指します。 そのため、肉筆の掛軸は世界に一点しかありません。 掛軸作品には肉筆の作品と印刷の作品の2種類があります。肉筆の掛軸は作家本人が描いており、完成度の高い作品を作り上げるためには高度な技術と多くの時間を必要とします。 1枚1枚丁寧に描き上げていくため時間がかかる上に、この世に一点しかないとなると希少価値が付くのも頷けるでしょう。肉筆の掛軸は貴重な作品のため高価になりがちなのも特徴の一つです。 好きな作家の作品をコレクションしたいと考えている場合は、印刷の掛軸よりも肉筆の掛軸を手に入れたいと考えるでしょう。 日本の伝統的な美術品である掛軸をただ自宅に飾るのではなく、作品が持つ歴史や文化などの背景に触れながら、描いた作家について想いを馳せたいと考える場合、印刷よりも肉筆の掛軸のほうが深い感銘を受けられるでしょう。 印刷の掛軸も技術の進歩により高品質に仕上がっていますが、作家本人が描いた掛軸にこだわりたい方は肉筆の掛軸のコレクションがお勧めです。 ただし、人気作家の掛軸は印刷作品だけではなく、贋作も多く出回っているため、本物を見極めるポイントを知っておく必要があります。 人気の掛軸は印刷も多数ある 印刷の掛軸は作家本人が直接描いた作品そのものではないため、複数の同じ作品が市場に出回っています。 同じ作品に対して何枚も用意できるため、希少価値が低く、肉筆の掛軸と比較すると非常に安価で販売されています。 一般的に工芸画や複製画と呼ばれるものは、印刷の掛軸作品です。 印刷作品は、肉筆を印刷することもあればすでに出回っているレプリカ作品をさらに印刷する場合もあります。 現在では、技術が進歩し、写真を印刷して掛軸作品にすることも可能です。 印刷とはいえ、用紙の質にこだわり表装をしっかり行えば、自宅で飾る分には申し分ないといえます。有名な作品を安く入手し、自宅に飾れることは、掛軸を楽しみたい人にとってメリットといえるでしょう。 本物の掛軸作品の買取やコレクションを目的としているわけではない場合、印刷の掛軸は手軽に人気作品を楽しめる方法です。 これまで掛軸に興味がなかった人でも、何かのきっかけで興味が湧くこともあるでしょう。 そのようなときに肉筆の掛軸を高値で購入するのは、本物と偽物を見分ける知識や経験が少ないため贋作のリスクが伴います。印刷作品であれば、品質を維持しながらも有名作品を安価に購入できるため、掛軸趣味の入門編としてお勧めです。 掛軸が肉筆かどうか見分けよう 印刷技術も高度になってきているため、掛軸作品が肉筆と印刷のどちらであるかは、素人目ではなかなか判断が難しいものです。 最も分かりやすい肉筆と印刷を判別するポイントは作者のクセです。 たとえば、文字の「曲げ」や「はらい」、「止め」などの比較があります。同じ作家の掛軸を複数用意して比較する形でチェックします。そのため、同じ作家の作品が手元になければ比較は難しいでしょう。 また、印刷技術の発展により大きな違いがみられなくなってきているため、知識や経験が豊富でなければ確実な判断はできないといえます。 他にも、墨やインクなどの絵具から見分ける方法もあります。墨やインクは、ものによってにおいや質感が異なるため、直接においを確かめることで判別が可能です。 パソコンのインクのように一般的に使われているインクの場合、においがわかりやすいため、判断経験が少なくても気付ける可能性があります。 掛軸作品の色や墨の滲み方によって判別できる場合もありますが、一般の方が違いを見つけるのは難しいでしょう。 非常に細かい確認方法ではありますが、紙質での判別することもできます。印刷の掛軸では紙がツルツルとした手触りである可能性がありますし、印刷の掛軸はよく見ると印刷のドットが目視できる場合もあるでしょう。 掛軸の肉筆と印刷を見分ける方法はいくつかありますが、どの方法でも実物の掛軸を見比べる必要があります。スキャンした画像や写真で判別するのはプロの査定士であっても困難といえます。 肉筆の掛軸はとても貴重 肉筆の掛軸は、1つの作品に対して1点しかありません。 そのため希少価値が高く、掛軸や絵の美術品を集めるコレクターにとっては何としてでも手に入れたい芸術品ともいえます。 しかし、人気作品であるほど肉筆かつ本物の掛軸に出会える確率は低いでしょう。 人気の作家や作品は高値で買取されるため、その分贋作も多く出回っています。本物に似せて描かれた贋作もあれば、本物と似た品質の素材を用いて印刷を行った掛軸などもあります。 精巧に描かれた贋作や、高い印刷技術を用いて制作された印刷の掛軸は、素人目での判断は難しいといえるでしょう。 そのため、所有する掛軸が肉筆か印刷かわからない場合は、自分で判断するのではなくプロの査定士に査定を依頼しましょう。 掛軸査定の経験が豊富な査定士であれば、精巧に作られた贋作や高い技術を用いて作られた印刷の掛軸も判断できる可能性があります。先祖代々受け継がれてきた掛軸作品の価値を知っておきたい方は、一度査定に出してみてください。
2024.09.15
- 掛軸 買取
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この掛軸は本物?掛軸の真贋の見分け方とは
中国から仏教とともに海を渡り、日本で茶の湯において壁に飾る風習が生まれた掛軸。 現在でも和室の床の間にインテリアとして飾り楽しむ方もいれば、一方で歴史的価値のある芸術品として美術館や博物館に所蔵されている貴重な掛軸まで、さまざまな用途で親しまれています。 作品によっては高価買取が期待できる掛軸ですが、人気の作品は贋作も多く出回っているため本物を見極める方法を知る必要があるでしょう。 掛軸の真贋を見分けるには 書や絵画を床の間に飾り鑑賞するために表装された掛軸作品。 古くから日本人の生活に溶け込んでいる芸術作品です。 歴史的価値のある作品や人気作家も多く、現在でも高値でやり取りされ多くの人々に親しまれています。 先祖代々受け継がれてきた掛軸をお持ちの方もいるでしょう。保管しておくにしても自宅で飾るにしても、作品が本物なのか気になるものです。特に人気の作家では贋作も多く世に出回っています。そのため、本物と偽物の見分け方をある程度知っておくと良いでしょう。 掛軸そのものの真贋を見分ける 掛軸の真贋を見極める方法として、掛軸の端に押されている署名と落款で判断する方法があります。 落款とは、完成した絵画に作家自身が自筆で署名し雅号の印を押すことです。落款は作家によってデザインが異なります。 また筆跡にも作者のクセが出るため、真贋を見極めるポイントの一つです。有名作家の落款であれば、同じ作家の本物であると証明されている掛軸作品の落款と比較すると見分けられるでしょう。 古い掛軸では署名や落款が読みにくくなっている場合があります。その場合は保管していた木箱や一緒に入っていた書類をチェックしましょう。作家の署名や落款が残されている可能性があります。 落款や署名は作家のクセが出るため真贋を判断するポイントではありますが、人気の掛軸作品では精巧な模倣品が多く出回っています。そのため、一般の人が見比べてもはっきりと違いがわからない場合が多いでしょう。一説では、人気作家の掛軸作品の9割が贋作ともいわれています。素人目で判断するのは危険なため、真贋が気になる方は経験豊富なプロの査定士に依頼するのが良いといえるでしょう。 掛軸の付属品の真贋を見分ける 掛軸作品の真贋を見極める際、付属品に大きなヒントが隠されている場合があります。 素人目では判断できなくても、プロの査定士であれば違いに気づける場合があるため、木箱や一緒に保管されていた資料などは、捨てずに必ず大切に保管しておきましょう。 また、精密に描かれている掛軸の贋作でも、保管している木箱の作りが適当なこともあるようです。掛軸自体の信ぴょう性が高く、さらに付属品も精巧に作られている場合、本物である可能性が高まります。 プロの査定士が真贋を見極めるための判断材料を多く提供できるよう、掛軸そのものだけではなく、木箱や資料などの付属品も必ず取っておきましょう。また査定に出す際は掛軸と付属品をセットで持っていくことをお勧めします。 入手経路や査定書はある? 掛軸の真贋を確かめるためには入手経路も重要な判断材料です。 信頼できる人や会社からもらい受けた作品であれば本物の可能性が高まります。反対に、見かけたお店でなんとなく購入した作品の場合は、贋作の可能性も捨てきれません。 また、掛軸が本物であるか判断する資料として、査定書があります。 譲ってくれた人がすでに査定に出しており、書類を一緒にもらい受けている場合はなくさないように注意しましょう。ただし、人気の作品では査定書も偽造されたものの可能性があります。そのため、査定書があるからといって絶対に本物の作品とは言い切れません。 真贋を見極めるには落款や署名、付属品などさまざまなチェックポイントがありますが、素人目ではなかなか判断が難しいでしょう。そのためプロの査定士に判断してもらうことが大切です。正確な査定をしてもらうためには、判断材料は多いほうが良いでしょう。そのため、掛軸や木箱、資料、査定書などはすべてセットで保管するよう心がけてください。 人気作家の掛軸ほど、贋作が多い 人気作家の掛軸作品ほど贋作も多く出回っています。 また掛軸が古ければ古いほど贋作が多いともいわれています。 人気作家の作品は価値があるため高値でやり取りされる希少な芸術品であるため、偽物や贋作を売ってお金を稼ごうと考える人も出てきてしまうでしょう。 ブランド品に偽物が多いのと同様に、掛軸などの骨董品や美術品でも贋作はつきもの。贋作が作られるほど人気・有名な掛軸作家としては、横山大観や円山応挙などが挙げられます。 横山大観 作家名:横山大観(よこやまたいかん) 代表作:『瀟湘八景』『無我』 生没年:1868年-1958年 横山大観は近代日本画の巨匠として有名な画家です。 なかでも富士山をモチーフにした名画を数多く残しています。 「大観といえば富士」といわれるほど人気の高い作品で、今もなお多くの人々を魅了し続けています。生涯で描いた富士の絵は1500点。亡くなる直前に描いた作品も富士をモチーフにしたものでした。 横山大観の作品は、最高で推定1億円以上の価値がついたともいわれています。 そのため、価値を利用して金儲けを考えた人たちが、横山大観の作品に似せて作品を制作し、贋作が多く出回ってしまいました。 横山大観は日本作家の中でも贋作が多い作家として知られています。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『薔薇蝶狗子図』『江口君図』 生没年:1733年-1795年 円山応挙は江戸時代中期から後期にかけて活躍した日本画家です。 円山派の始祖で足のない幽霊を初めて書いた作家ともいわれています。 円山応挙は目の前の風景を見ながら描く写生を取り入れており、この時代では他に見ない斬新な手法でした。写生で技術を磨いた円山応挙の絵は、竜などの空想上の生き物もまるで本物を見ながら描いたようなリアルさがあります。 写実的で誰もがうまいとわかる円山応挙の作品は、富裕層から町民まで幅広い人々から支持を受けました。 円山応挙の作品は、その人気の高さから現代では贋作も多く出回っています。 写実的な絵画手法が模倣しやすかったとも考えられています。また、落款も丁寧な楷書が多かったため模倣しやすく、多くの贋作が出回るようになってしまったといえるでしょう。 掛軸の真贋を見分けるには、プロの査定士に依頼しよう 掛軸の真贋を素人目で見極めるのは困難といえるでしょう。 そのため、所有している掛軸作品の真贋を見分けるためにはプロの査定士に依頼する方法がお勧めです。査定士が査定する際の判断材料としては、掛軸自体だけではなく木箱や一緒に保管されている資料、査定書などが有効です。そのため付属品はすべて捨てずにとっておき、査定を依頼する際はすべてまとめて持っていくと良いでしょう。
2024.09.15
- 掛軸 買取
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風俗画掛軸の買取なら実績ある査定士へ相談しよう
風俗画とは、庶民の生活や日常の様子を描いた絵の総称です。 日本の風俗画がその名前をもって描かれたのは16世紀ごろから。 しかし、風俗描写自体は古くから利用されており、月次絵や名所絵、絵巻物などに多く見られました。江戸時代には浮世絵の題材として庶民の生活や遊里の事柄を描くことが多く、読本が流行り始めた江戸時代以降はとくに多くの人から好まれた題材だったといえるでしょう。 風俗画とは 風俗画とは、その名の通り風俗を題材とした絵画作品です。 日本では16世紀ごろから描かれ始めたとされています。しかし、風俗画描写自体はさらに古くから存在し、古代までさかのぼることが可能です。 奈良時代の法隆寺の天井裏や唐招提寺の梵天像台座などに描かれていた落書きは風俗画のような特徴をもっていました。平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて盛んに制作された絵巻には、風俗描写とも捉えられる絵が多く描かれています。 風俗描写をメインにした作品が生まれ始めたのは室町時代の後半ごろで、独立した風俗画が誕生した時期といわれています。 桃山時代から江戸時代初期の近世初期風俗画は、屏風絵や襖絵をメインに制作されました。 狩野派を中心に洛中洛外図をはじめとするさまざまな風俗画が描かれるようになりましたが、時代の流れとともに対象を絞り込むようになり、個々の人物へも目を向けるようになっていきます。 時代が移り変わっていくとともに風俗画を描く作家も民間の絵師たちへ移行していきました。 また、風俗画は過去の出来事や同時代の事件などをモチーフとして描かれることもあり、「事件画」とも呼ばれています。 風俗画にはどんなものが描かれた? 風俗画には庶民の暮らしや様子を描いた作品が数多くあります。 狩野永徳が描いた『洛中洛外図』には、京の市中と郊外の風俗が細かな描写で生き生きと描かれています。 また、風俗画を描いていた有名な流派には、狩野派以外にも海北派や雲谷派、土佐派などがありました。その画風はどれも明るく楽しげな雰囲気の作品が多く、現世肯定の生活感情の反映が見られるといえます。 元和・寛永期ごろからは遊里芝居が好まれ、モチーフとした作品が多く制作されました。遊女の生活に焦点をおき、風俗画の私的な特徴が増したことで書き手の主体も狩野派から民間の町絵師たちに写っていきました。 風俗画の代表的な作品とは 庶民の生活を描いた風俗画は、現代でも多くの有名作品が現存しています。 風俗画は古くから描かれている絵画のため、中には作者がわからないまま博物館や美術館に所蔵されている作品もあります。代表的な風俗画の作品を知ることで、より風俗画に対する知見を深めていきましょう。 阿国歌舞伎図屏風 『阿国歌舞伎図屏風』は桃山時代に描かれた風俗画で、作者は明らかになっていません。 歌舞伎の祖出雲の阿国を描いた作品で、阿国は一座を率いて四条河原などでやや子踊りや歌舞伎踊りを披露していました。その踊りがのちの歌舞伎に発展したといわれています。慶長8年、北野天満宮の能舞台を借りて常設の興行を始めました。 絵を見てみると、刀を肩にかけた傾奇者、柱のそばに坐す茶屋のかか、道化役の猿若が描かれており、阿国歌舞伎の代表的演目である茶屋遊びが演じられている様子を描いた作品であることが見て取れます。 『阿国歌舞伎図屏風』には北野天満宮での興業の様子が描かれているため、制作時期は慶長8年前後ではないかと推察されています。 遊女禿図 『遊女禿図』は松野親信(まつのちかのぶ)によって描かれた江戸時代の風俗画です。 松野親信は江戸時代の浮世絵師の一人で、落款は伯照軒または伯笑軒としています。 懐月堂派の画風で肉筆美人画を多く描いていますが、その流派であったかは分かっていません。現代では、十数点の肉筆画の存在が知られており、版画作品は確認されていないようです。画風は懐月堂派に近しいものがありますが、より温雅であると評価されています。 紙本著色布晒舞図 『紙本著色布晒舞図』は英一蝶によって描かれた風俗画です。若衆歌舞伎の役者と思われる人物が布を晒すしぐさや波の様を布で表現し、さらしの舞を披露する様子を描いた作品といわれています。 英一蝶は狩野安信に入門し、狩野派風の町絵師として活躍していましたが入門後わずか2年で破門。 英一蝶は狩野派で描いてはいけないとされていた風俗画を得意としていたため、破門されたのではと推察されています。 英一蝶の芸術家としての活動は浮世絵だけにとどまらず、宝井其角や松尾芭蕉から俳句を学び、さらに玄竜門下から書道を学びました。また、吉原遊郭では芸人としても活躍しており、多彩な才能を発揮しています。 風俗画掛軸を買取してもらうには 風俗画とは主に庶民の日常生活を描いた絵画作品で、現代でも高い評価を受けている作品が多くあります。 自宅の倉庫に保管していた風俗画掛軸を見つけたら、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。 古い風俗画掛軸の場合、作者や作品名がわからない場合もあるでしょう。しかし、詳細がわからないからとあきらめずに経験豊富な査定士に依頼すれば、適切な評価を付けてもらえる可能性があります。 また、古い掛軸ほど状態が悪く破れやシミがあると買取をしてもらえないのではと不安に思う方もいるでしょう。 しかし、掛軸自体がボロボロでも有名作家の作品であれば高価買取を狙える可能性もあります。そのため、自分で下手に修繕をせずまずはプロの査定士に正しい評価を付けてもらいましょう。
2024.09.15
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
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南画掛軸買取を査定士へ相談しよう
南画掛軸は現在でも人気の高い掛軸作品の一つで、作家や作品によっては高値でやり取りされる芸術品です。 有名な作家には与謝蕪村や池大雅などがいます。江戸時代から南画は盛んに描かれるようになり、現在でも多くの名作が残っています。南画掛軸の価値を知るためには、南画の歴史や特徴とともに有名作家とその作品を知ることも大切です。 南画掛軸の魅力を追求し、その価値を再認識しましょう。 南画とは 南画とは、日本の江戸時代後期に誕生した画派の一つです。 中国の元・明の絵画に影響を受けています。 中国絵画の一つに南宗画と呼ばれる画風があり、それに影響を受けたため南画と呼ばれています。南宗画は明の時代に生まれた言葉で、中国の江南地方の平坦な地形と温暖な気候風土の中で誕生した山水画のことです。 南画は江戸幕府の御用絵師であった狩野派の保守的な傾向に物足りなさを感じた絵師たちが、新たな表現や自由な創造、創作を求めて独自に中国の絵画を学んだことから始まっています。 南画の第一世代とされる作家は、祗園南海・服部南郭・柳沢淇園・彭城百川などです。 彼らは中国絵画を模写したり、中国から渡ってきた画譜を参考にしたりして中国風の山水画を描きました。 南画を文人画と呼ぶこともありますが、まったく同じ意味をあらわしているわけではありません。 文人画とは、中国の文人が描いた絵画を指します。 中国でいう文人とは、日本では学者を指していますが、学者たちが絵画を描くことはなかったため、真の意味での文人画は日本では生まれていないといえるでしょう。 しかし、日本の南画を描いた作家が文人画を手本にしたことで、南画が文人画と呼ばれることもあったようです。 南画を大成させた、与謝蕪村と池大雅 中国の南宗画をもとに誕生した南画を大成させたのは与謝蕪村と池大雅といわれています。 どちらも江戸時代中期に活躍した画家です。また二人は合作で作品を制作しており、当時からたくさんの人の目を引く作品を残しています。 与謝蕪村 作家名:与謝蕪村(よさぶそん) 代表作:『奥の細道図巻』『夜色楼台図』 生没年:1716年-1783年 与謝蕪村は池大雅とともに南画の大成者の一人として広く知られています。 また、画家として制作活動をする傍ら、俳人としても活躍していました。 松尾芭蕉や小林一茶と並び、江戸時代の俳諧の三大巨匠としても有名です。 与謝蕪村は、22歳で俳人が立ち上げた夜半亭に入門し俳句の修行をスタートさせました。当時から画家と俳人の両立を目指していたとされています。 27歳のときに早野巴人が亡くなり、同門の友人を頼って下総国結城に移り住んでから約10年間、絵画と俳句の基礎を固めながら関東から奥羽を旅しています。 諸国行脚を終えた与謝蕪村は、36歳のときに京都へ移り住みました。 本格的な障壁画や古典絵画などに触れ、絵画の技術と感性を磨いていきました。 39歳から3年間は、京都に滞在し画業に専念しています。天橋立に近い見性寺は与謝蕪村が仮住まいに定めた場所で、現在もなお与謝蕪村の作品が多く残されています。 また、与謝蕪村の作品の多くは重要文化財に指定されていることで有名です。 与謝蕪村の『奥の細道図巻』は、俳句と絵画を織り交ぜた俳画と呼ばれる独自のジャンルを確立した作品の一つです。 敬愛する松尾芭蕉の奥の細道を全文書き写し、そこに挿絵を入れた作品で、風景や風物の描写を文章に委ね人物のみを描くシンプルな魅力があります。 池大雅 作家名:池大雅(いけたいが) 代表作:『陸奥奇勝図』『白雲紅樹図』 生没年:1723年-1776年 池大雅は文人画の巨匠と呼ばれる人物です。 京都の町人の子として生まれ、7歳のときに万福寺で書を披露し絶賛され、早くから画家としての才能を開花させました。 禅僧と交流を深める中で大陸の文物に触れ合い、文人趣味の扇絵を描いていたとされています。その前後には柳沢淇園と出会い、絵の教えを受けています。 柳沢淇園が南画を得意としていたため、南画の基本を学んだほか、琳派からも技法を取り入れて絵の技術を磨いていきました。 旅行や登山が好きだった池大雅は、自らさまざまな場所に赴き、実際に見た景色を数多く描いていきました。 中国絵画の模倣だけでは終わらない独自の画風を確立して人気を集めていったとされています。 池大雅は特定の流派に属しておらず、自分が好むさまざまな技法を取り入れていたため、独自のスタイルを確立できたといえるでしょう。 自由を愛する清廉潔白な人柄であったとされる池大雅は、その人柄が垣間見える数多くの作品を世に残しており、多くの絵が国宝や重要文化財に指定されています。 『白雲紅樹図』は池大雅の傑作として古くから評価されている掛軸作品で、早い時期から重要文化財に指定されていました。 描法は緻密でありながらもゆったりとした雰囲気が失われないよう描かれたこの作品は、池大雅の特徴がもっともよく発揮されているといわれています。 南画掛軸買取は実績ある査定士へ相談を 中国の南宗画の影響を受けて江戸時代に登場した南画掛軸。 多くの有名作家が南画の作品を残しており、とくに有名なのが与謝蕪村や池大雅です。2人はそれぞれでも精力的に南画を制作して数々の名作を残しています。また合作でも『十便十宜』と呼ばれる名作を世に生み出しました。 南画掛軸は独自の画風で描かれている作品も多く、個性あふれる絵が魅力の掛軸です。作家や作品によっては高価買取も狙えるでしょう。 もし、自宅に南画掛軸が保管されている方は一度査定に出してみることをお勧めします。作品名や作家が不明で、どのような人が描いたか気になるという方も、査定士に依頼することでどのような作品か判明する場合があります。まずは気軽査定士へ相談してみましょう。
2024.09.15
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唐画掛軸は高額買取してもらえる?
唐絵とは、中国で描かれた作品と中国のものがモチーフの作品、中国風の作品などを総称したジャンルの絵画です。 中国が隋や唐と呼ばれる時代までは、色を付けた色彩豊かな絵画が好まれ、宋の時代からは墨の濃淡によって描く水墨画が盛んに制作されるようになりました。唐絵の掛軸は人気の作家や作品であれば高価買取も目指せる芸術品です。 所有する唐絵掛軸の価値を見極めるためには唐絵の特徴や歴史を知ることも必要でしょう。 唐絵とは 唐絵とは中国で制作された絵画と、日本で制作された中国風の絵画をまとめて指している言葉です。中国で描かれた作品だけだと思いがちですが、実は日本で描かれたものであっても中国の絵画に寄せた画風で描かれた作品は唐絵と呼びます。室町時代には当時の宋・元から伝わってきた水墨画を中心とした宋元画を唐絵と呼びました。 江戸時代に入ると、狩野永納(かのうえいのう)が元禄6年(1693)に刊行した『本朝画史』に狩野土佐氏是倭画之専門也、雪舟子是漢画之祖筆、狩野家是漢而兼倭者也と書かれているように、狩野派で漢画という名前を使い、このころからは日本人が描いた中国風の絵画は、漢画の呼び方で統一されています。 唐絵の歴史や特徴 唐絵が指す絵画は時代とともに変化してきました。 平安時代では中国から渡ってきた絵画だけではなく、中国の文化や風景をモチーフにして描かれた日本の絵画も唐絵と呼んでいます。 唐絵に対する呼称として、やまと絵と呼ばれる絵画があります。 やまと絵は、日本の文化の発展に合わせて生まれた絵画。鎌倉時代には中国の宋や元の絵画が日本に広く知れ渡っていき、新しい様式の中国画と中国画の影響を受けて描かれた日本画を総称して唐絵と呼んでいます。 中国の王朝が唐から宋・元へ変わっていったタイミングで、中国の絵画も宋元画と呼ばれるようになりましたが、鎌倉時代後半の日本では唐絵で統一して呼ばれていました。中国の唐絵は室町時代以降盛んに描かれるようになった水墨画に大きな影響を与えたといわれています。 いつの時代であっても、中国から伝わってきた絵画は唐絵と呼びますが、それ以外で唐絵に該当する絵画は時代によって多少の差があるといえるでしょう。 平安時代では中国を題材としていたら日本の作家が描いていても唐絵と呼びます。 鎌倉時代以降ではモチーフが中国と関係しているかどうかにかかわらず、中国の絵画に影響を受けて描かれたすべての作品を唐絵と呼びます。このように違いがありますが、唐絵は中国の影響を受けている作品であることに間違いはありません。 唐絵の主なモチーフは自然の風景や人物、花、鳥などです。 墨の濃淡を活用した美しい画風が特徴的です。 唐絵というと、中国の荒々しくも幽玄な山岳や河川が描かれた山水画をイメージする方も多いでしょう。しかし、唐絵の中にも人物や花鳥を描いた作品は多く存在します。また、唐絵は掛軸作品だけではなく、屏風や襖など多くの形で残されています。 唐絵の代表作『樹下美人図』 唐絵の有名な作品として『鳥毛立女屏風図』があります。 正倉院に伝わる屏風作品で六扇からなる作品です。 樹木の下に唐風の絵で美人をおいていることから、別名『樹下美人図』とも呼ばれています。 古代の美人画としても人気の高い作品で、ふくよかな出で立ちの女性が木の下に座った状態あるいは立った状態で描かれています。 そして、作品名の通りもともとは墨で描いた輪郭の内側に山鳥の羽毛が貼り付けられていました。 しかし時代が過ぎていき経年劣化が進んだ影響もあり、現在の『鳥毛立女屏風図』には羽毛がほとんど残っていません。しかし、顔や手に施された淡彩からは、いまだに少し色彩の名残が見られるでしょう。 樹下に人物を描く構図はインド起源の様式とされています。 そしてこの様式は、インドから中国、中国から日本へと伝わっていったと考えられています。 この『鳥毛立女屏風図』は作者不明とされていますが、唐で描かれた舶来品ではないかと推測されています。しかし、第五扇の下に天平勝宝四年の年号の記録があることと、わずかに残っている羽毛が日本産の山鳥のものであることがわかり、日本で描かれた作品という説も、長年の研究からその信ぴょう性が高まってきています。 唐絵掛軸の高額買取をしてもらうには 唐絵掛軸は中国で描かれた作品だけではなく、中国風の作品や中国のモチーフを描いた作品も該当します。 そのため、日本人が描いた絵画であっても、「やまと絵」ではなく「唐絵」と呼ぶ作品も多く存在します。中国で描かれた作品だけではないことが特徴的です。唐絵のモチーフには自然の風景や人物、花、鳥などがあります。中国の画というと、荒々しくも幽玄な山岳や河川など、中国の風景が描かれた山水画を想像する方もいるでしょう。しかし、唐絵は中国ならではの風景の絵画だけではなく、人物や花、鳥などが描かれた作品も多く現存しています。 唐絵掛軸は作品によって高額買取が可能な芸術作品です。 自宅に唐絵掛軸がある場合で価値を知りたい方はプロの査定士へ査定を依頼しましょう。 作家や作品の名前がわからなくても問題ありません。まずはそのまま持ち込んで相談してみてください。下手に修繕を行ってしまうと傷や汚れを広げてしまうリスクがあり、かえって掛軸の価値を下げてしまう可能性があります。 古くて傷みが激しい唐絵掛軸でもまずはそのまま査定に出してみましょう。
2024.09.15
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書画掛軸買取なら | 日本・中国の有名作家がのこした書画も多数
毛筆で描かれた絵や書が一緒になった掛軸作品を美術館や博物館で見かけたことがある人も多いでしょう。 これらは書画と呼ばれ、古くから中国や日本で親しまれてきた芸術作品の一つです。 書画掛軸は歴史的価値が高く、作品や作家によっては高価買取が狙える作品といえます。 書画掛軸の価値をあらためて再認識するためにも日本や中国で描かれた書画の特徴や歴史を学びましょう。 書画とは 書画とは、毛筆で描かれた文字や絵の作品を指します。 書画は、文字だけが書かれた作品、絵だけが描かれた作品、書と絵の両方が描かれた作品の大きく3つの形に分かれています。主に中国や日本などの東アジア周辺諸国で発展していったジャンルです。 また書画作品は掛軸や巻物、書籍、屏風などに表装されるのが基本の形です。そのため、鑑賞目的ではない手紙や書簡は書画に該当しません。 ただし、もともとは鑑賞目的ではなくとも、書かれたのちに表装され飾られることもあります。歴史上の有名な人物が書いた書簡や、有名な人物に宛てられた手紙は歴史的価値が高いとされ、のちの時代で表装される場合があるのです。 資料としての価値のみの場合は古文書に分類されますが、芸術的・骨董的価値があると判断し、鑑賞を目的とすれば書画に該当する場合があります。 書画の中でも書と絵の両方が描かれた作品でよく見られるのは、描かれている絵画にちなんだ漢詩が書かれている作品です。 掛軸として表装されている作品を詩画軸または詩軸と呼びます。 書と絵の両方が描かれる書画は、作家自身が書を書き込む場合と、鑑賞した人が賛を送るために絵画に書を書き込む場合の2通りです。後者は画賛とも呼ばれています。 画賛は掛軸作品だけではなく、やまと絵や水墨画、肖像画などあらゆる絵画の余白部分に書き込まれる書です。 文字通り絵画に対して賞賛を送る目的で書かれるのが一般的ですが、絵に合わせた漢詩や和歌、俳句が後から書かれる場合もあります。 書画の歴史 書画は中国が起源とされています。 中国には詩書画一致や書画同源といわれる考え方があります。 詩・書・画はお互いに深い関係性でつながっており、3つが一体となって歴史を作ってきました。日本の書画は中国の作品に大きな影響を受けているため、奈良時代には釈迦の生涯と前世の物語を下方半分に書き、上方半分に物語をわかりやすく絵画で描いた『絵因果経』と呼ばれる絵巻物が制作されています。 『絵因果経』は日本に現存する一番古い絵巻物とされており、釈迦の生涯と前世の物語を描いた作品です。同じ画題の絵巻物は奈良時代以降も複数制作されています。 また書のみが書かれた書画作品も起源は中国にあります。 日本には仏教の教えとともに持ち込まれました。 仏教では経典を書写する写経と呼ばれる修行があり、墨で文字を美しく書くためとして書画が受け入れられたと考えられます。 その後、書は実用性だけではなく筆や墨の繊細な手法を用いて豊かな表現ができると広まり、芸術の一つとして捉えられるようになりました。 平安時代には『源氏物語』や『枕草子』、『伊勢物語』などさまざまな絵巻物が制作されています。 平安時代の絵巻物は、当時の中国から伝わった唐絵を日本独自にアレンジしたやまと絵で描かれました。 平安時代の絵巻物は、歴史的価値の高い作品として現代まで作品の内容が受け継がれています。 鎌倉時代には禅宗とともに水墨画が中国から日本に伝わってきました。 この時代から日本でも水墨画や墨彩画に書を入れた書画作品が多く輩出されています。 安土桃山時代から江戸時代にかけては、多種多様な画風の流派が多く誕生しています。 たとえば、やまと絵と水墨画を融合させ屏風や襖などに豪華絢爛な絵を描く狩野派や、同様に水墨画を基礎とした琳派、円山派、南画などです。水墨画に書を書くスタイルの作品が確立され、現代まで同様のスタイルが続いています。 特に有名な書画掛軸の作品や作家たち 中国や日本をはじめとした東アジア諸国で盛んに描かれていた書画掛軸。 もともと鑑賞用ではない手紙や書簡も、掛軸として表装され書画としての価値が生まれることもしばしばありました。中国や日本は書画掛軸を制作する有名な作家を多く輩出しています。 呉鎮(ご ちん) 作家名:呉鎮(ご ちん) 代表作:『洞庭漁隠』『蘆灘釣艇図巻』 生没年:1280年-1354年 呉鎮は元時代に活躍した中国の文人画家です。 黄公望・倪瓚・王蒙と並ぶ元末四大家の一人としても有名なため、名前を耳にしたことがある人も多いでしょう。また、元の山水画様式を確立させた人物でもあります。現在の浙江省嘉興市嘉善県である嘉興府嘉興県魏塘出身で、字は仲圭、号を梅花道人・梅花和尚といいます。 呉鎮は漢詩や書にも通じていましたが、一生のうちに仕官することなく易卜(えきぼく:易を使用した占い)や売画を行ったり、村塾を開いたりして生活を送っていました。 決して裕福ではありませんが、世俗を離れた生活を楽しんでいたとされています。 五代南唐・宋初の画家である巨然の点描法を学び、墨で竹を描く墨竹は北宋の文人である文同から学びを得ています。 雪舟 作家名:雪舟(せっしゅう) 代表作:『破墨山水図』 生没年:1420年-1506年 雪舟は室町時代に活躍した日本の水墨画家です。 10歳のころに禅宗の僧侶となるために臨済宗の寺院に預けられ、その後は相国寺にて修行を行っています。相国寺には室町幕府の御用絵師であり、日本の水墨画を代表する画僧の周文がいました。 当時から絵を描くことが好きだった雪舟は、周文から水墨画を学び才能を開花させていきます。 京都で名の知られた水墨画家となった雪舟は、日本での学びだけでは足りず、中国で本格的な水墨画を学びたいと考えるようになりました。 山口の守護大名大内氏の庇護を受けていた雪舟は、48歳のときに明と交易を行う船に同乗させてもらえることになり、待ち望んでいた中国での修行を開始します。中国各地を旅して幽玄で美しい風景を写生したり、本場中国の名画を模写したり、技術や感性に磨きをかけていきました。 やがて雪舟の作品は明でも評価されるようになり、天童山第一座の称号を取得しています。 以後の雪舟作品には天童山第一座の称号が書き入れられています。 2年の修行を終え帰国した雪舟でしたが、京都は応仁の乱により焼け野原となっていました。そのため雪舟は全国を旅しながら創作活動を続け、周防国や豊後国、石見国、美濃国など場所を転々としながら明の水墨画に独自の手法を取り入れた画風の作品を制作し続けました。 画家としての創作意欲は80代半ばを過ぎても衰えることを知らず、1506年に描いた山水画を生前最後の絵として87歳の生涯に幕を閉じています。 雪舟が描いた作品の一つである『破墨山水図』は、雪舟が描いた絵に対して6人の有名な詩僧が詩を書いた書画です。抽象的な風景表現が特徴的で、墨面のいきいきとした表情が楽しめます。 富岡鉄斎 作家名:富岡鉄斎(とみおかてっさい) 代表作:『楽此幽居図』『仙縁奇遇図』 生没年:1837年-1924年 富岡鉄斎は明治・大正時代の文人画家であり儒学者です。 世界的に評価されている近代日本画家であり、日本最後の文人とも謳われています。 遺作展は日本のみならず、イギリスやフランス、イタリアなどの西欧諸国からアメリカやブラジルなどの諸外国で開催されるほど世界的に人気の高い画家です。しかし、富岡鉄斎自身は生涯儒学に力を注ぎ、自らを画家と呼ぶことを嫌っていたとされています。 町人道徳哲学を家学とした家系に生まれた富岡鉄斎は、幼いころより町人道徳哲学を学び、少年のころに家を出て六孫王神社に弟子入りしています。 修業時代は儒学を学びつつ、大角南耕と窪田雪鷹から画の教えを受けていました。 師は自由な流派であったとされ、富岡鉄斎はやまと絵、琳派、浮世絵、大津絵などの学びを得たとされています。この学びが富岡鉄斎の描く作品に影響しているといえるでしょう。 書画掛軸の買取を相談してみよう 書のみの作品や絵のみの作品、書と絵が融合した作品のどれもが書画と呼ばれます。 また書画の特徴として、絵を描いた作家自身が書も書く場合と、絵を鑑賞した人が賛として書を書き入れる場合の2パターンがあります。 どちらも作品によっては高価買取が可能です。自宅にある書画の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士に査定を頼みましょう。 査定を依頼する際は修繕を行わず、そのままの状態で出すことをお勧めします。作家や真贋が不明な場合でもまずは気軽に相談してみましょう。
2024.09.15
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肖像画掛軸の買取なら | 有名肖像画や歴史的価値の高いものまで
特定の人物をモデルとして描かれた肖像画。肖像画掛軸の中には歴史的価値が高い作品も多く存在します。 日本の名だたる戦国武将も肖像画として多く残されており、作品から歴史的背景を知ることもできるでしょう。 肖像画掛軸の高価買取を狙うのであれば、肖像画の背景や歴史、作品のモデルについて知ることも大切です。肖像画掛軸への知見を深めてさらなる魅力を発見しましょう。 肖像画とは 肖像画とは絵画ジャンルの一つで、特定の個人をモデルにした作品を指します。 描かれ方は多種多様で、モデルを見たまま写実的に描かれる場合もあれば、理想化されたり戯画化されたりして描かれる場合もあります。 肖像画はさまざまな表現方法で特定のモデルを引き立たせることも魅力の一つです。 肖像画が描かれ始めたのは古代エジプトといわれています。 当時のエジプト・アル=ファイユーム地方には、葬儀の様子を描いた一般人の肖像画が残されています。 この肖像画はフレスコ画以外では古代ローマ時代から残っている唯一の絵画です。 古代から描かれていた肖像画ですが、4世紀末にキリスト教がローマ帝国の国教となった際、人間は神より劣るというキリストの教えにより特定の個人をモデルに描かれる肖像画の文化は一時的に廃れてしまいました。 その後、14世紀ごろに王侯や高位聖職者など高貴な身分の人々が画家に自分の肖像画を描くよう依頼し始めるようになります。 15世紀に入ると「古代の再生と人間性の復活」をスローガンにしたルネサンスの思想が広まり、さらに肖像画の制作が活発に行われました。芸術作品の一つとして独立した分野となった肖像画は多くの貴族たちをモデルに描かれていくようになります。ルネサンス時代が終わりバロック時代に移り変わっていくと、肖像画は一般庶民の間でも制作されるようになりました。また肖像画のジャンルも多様化し、宗教画の聖人にモデルの特徴を入れ込む肖像画や風俗画風の肖像画なども描かれています。 また、日本の肖像画としては『唐本御影』が有名です。 『唐本御影』は聖徳太子を描いており、日本で初めて描かれた肖像画といわれています。日本の旧一万円札に描かれていた聖徳太子、というとイメージがつく人も多いのではないでしょうか。 日本の絵画は中国からの影響を強く受けており、『唐本御影』も唐時代の肖像画の伝統を引き継いでいます。衣文に沿って薄く陰影があるのが特徴的で、この画風は中国で六朝時代(222年~589年)の肖像画に見られるのと同じ特徴です。 このほかにも歴史に名を残す戦国武将や、天皇、僧侶などの肖像画が国内でも数多く残っており、その面影を肖像画から伺い知ることができます。 肖像画掛軸の歴史 東洋や日本でも肖像画は古くから描かれてきました。 特に中国では早くから肖像画が絵画の主要ジャンルとして確立されています。 日本の絵画は中国絵画の影響を強く受けていますが、肖像画もその一つです。 平安時代までは礼拝用の絵画として制作され、その後は絵画や彫刻に神仏や人の姿を表す御影像が生まれました。西洋の肖像画は威厳を擬人化させた作品が多いのに対し、日本の肖像画は描かれた人の霊力がこの世に及ぶよう期待が込められていたり、親に対する親愛の情を表したりするために描かれていました。 肖像画掛軸は鎌倉時代から普及した 日本の肖像画掛軸は、鎌倉時代に中国との禅僧の往来が盛んになった時期に水墨画や掛軸とともに広く知れ渡りました。 禅宗は悟りの法を師匠から弟子へ教える流れを重視するため、師匠の法を受け継いだ証明のために弟子に贈る師匠の肖像画「頂相」や、禅宗の始祖である達磨大師をはじめとした祖師像の絵画などが日本へ伝わっています。 また、鎌倉時代に日本で広まった水墨画によって、これまでの掛けて拝する仏教仏画の掛軸世界から、山水画や花鳥画など芸術品としての魅力を備えた作品が多く制作されるようになりました。 肖像画に描かれた戦国武将たち 戦国時代の武将も肖像画に描かれています。 有名な武将では何枚も肖像画が残っている人もいるでしょう。肖像画にはいくつか種類があり、モデルとなる武将が生きているうちに描かれた肖像画を寿像といいます。 一般的には本人を目の前にして観察しながら描かれるため、多少の美化はあっても本人に近い絵が描かれるでしょう。 モデルとなる武将が亡くなった後に描かれる肖像画を遺像といいます。 多くの戦国武将の肖像画は遺像であるとされています。描かれる時期はモデルとなる武将によってさまざまで、死後間もない時期に描かれることもあれば、数百年経った後に描かれることも。遺像は一般的に一周忌や三回忌など供養のタイミングで制作されます。 徳川家康三方ヶ原戦役画像 作者:不明 制作年:江戸時代ごろ 徳川家康といえばふくよかな印象がありますが、『徳川家康三方ヶ原戦役画像』では30歳ごろのほっそりとした徳川家康の姿が描かれています。 『徳川家康三方ヶ原戦役画像 』は、1572年に三方ヶ原の合戦で武田信玄に敗れた家康が、この敗戦を肝に銘ずるために敗走時の姿を描かせたといわれています。 そのため、恰幅が良く堂々とした他の肖像画とは異なり、憔悴しきった徳川家康の表情が繊細に描かれているのです。『徳川家康三方ヶ原戦役画像』は別名『しかみ像』とも呼ばれています。徳川家康はこの肖像画を慢心の自戒として生涯座右を離さなかったともいわれています。 また、近年では『徳川家康三方ヶ原戦役画像』を描かせたのは徳川家康自身ではないとされる説も。紀伊徳川家から嫁いだ従姫の嫁入り道具に入っていたことから、尾張家初代の徳川義直が徳川家康の苦難を思い返し忘れないようにと描かせたともいわれています。 松本図書父子肖像掛軸 作者:不明 制作年:不明 『松本図書父子肖像掛軸』は、会津中世の武士である松本氏を描いた肖像画掛軸です。 松本氏は会津中世の武士であり、会津地方の戦国大名である葦名氏の優秀な家臣でした。なお、松本氏の詳細な起源は分かっていません。 鎌倉時代以後、会津に住んでいた武士とされています。松本氏の肖像画掛軸が伝えられている松沢寺は松沢氏が開いたとされ、松本氏の住まいも近くにありました。 『松本図書父子肖像掛軸』は、中世の記録が少ない会津における貴重な絵画資料で、1976年には町指定重要文化財に登録されています。 武田信玄肖像画賛幅 作者:住吉内記広尚 制作年:江戸時代後期 『武田信玄肖像画賛幅』は武田信玄の肖像画賛幅です。 画賛とは画の余白に詩文が書き入れられた人物画を指します。 この肖像画に書かれている「知信仁勇巌」という言葉は、孫子の兵法に書かれている「将とは智信仁勇巌なり」にちなんだ言葉とされています。つまり、大勢を率いる大将は知恵・信頼・情け・勇気・厳しさを持ち合わせている必要があるという言葉です。 甲斐の虎とも呼ばれた戦国武将である武田信玄は、信濃の諏訪氏、小笠原氏を倒し、上杉謙信とも何度も合戦を繰り広げています。 さらに三方ヶ原の戦いでは織田信長・徳川家康が率いる軍に勝利しています。 この強さの秘訣は、勇猛なだけではなく儒学、兵法、詩歌にも秀でていたためとされ、『武田信玄肖像画賛幅』に書かれている詩がその一端をうかがわせるでしょう。 歴史的に価値のある肖像画掛軸を高額買取してもらうなら 肖像画は特定のモデルを描いた絵画ジャンルの一つです。 古代エジプトで制作が始まり、14世紀ごろから王侯や高位聖職者など高貴な身分の人々が、自身の肖像画を描かせたことで盛んになっていきました。 日本では鎌倉時代の水墨画の広がりと同時期に肖像画も広く知れ渡っています。戦国時代の武将たちも肖像画として残っており、今でも歴史的価値が高い作品も多く存在します。 これまで大切にしてきた肖像画掛軸や祖父母から引き継いだ掛軸をお持ちの方で、作品の価値が気になっている方もいるでしょう。肖像画掛軸の買取査定を依頼するなら、長年の査定経験がある専門の査定士への依頼をお勧めします。 名のある武士の肖像画はもちろん、作家やモデルがわからない肖像画でも、まずは一度査定を依頼してみましょう。
2024.09.14
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古筆掛軸を買取してもらおう | 歴史ある美しい日本の書
古筆掛軸には歴史的価値の高い作品も多く存在します。 また有名な作品ほど贋作が多く制作されているため、真贋や価値が気になる場合は査定士への査定依頼がお勧めです。 古筆掛軸の中には高価買取が目指せる作品もあります。 古筆掛軸の歴史的価値を実感するためには、種類や歴史を把握するとともに有名作品の特徴を知っておくことが大切です。古筆掛軸の魅力をより深堀りしていきましょう。 古筆とは 古筆とは、平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様書道の名品を指します。 古来に書かれた筆跡すべてを古筆というわけではありません。また、古筆には、古筆切、懐紙、色紙、詠草、短冊などの形状があります。 桃山時代から江戸時代初期にかけては茶の湯が盛んになり、鑑賞用として古筆の作品が親しまれていました。 当時、巻子や冊子の完全な形で制作された歌集などが多く、古筆を好む人々のために幅仕立に適する大きさに切断され楽しまれていました。 巻子や冊子を切断したものは古筆切や断簡と呼ばれています。 一部を掛軸として飾ることもありました。現代でも同様に断簡は掛軸として親しまれており、切断された当時の地名にちなんで名称がつけられています。掛軸は作品を壁や床の間に飾るだけではなく、作品自体を保護する役割もあります。 古筆掛軸の種類や歴史とは 桃山時代から江戸時代初期ごろ、古筆とされる作品は巻子や冊子として制作されたものが多かったとされています。 主に貴族文化の中で大切に保存、鑑賞されてきましたが、古筆を楽しみたい人々が増えてくると古筆の絶対数が不足したため、切断して一部分ずつを各々が所有し楽しむ手法がとられていったのです。 古筆切とは、和歌の世界でも特に賞賛されている平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた古筆を切断した断片を指します。 これまで茶の湯の席では墨跡を掛けるのが定番とされていましたが、時代の流れにより豊臣秀吉のころには古筆を掛軸として飾ることが好まれました。 さらに時が経ち、明治時代からはより古筆が芸術作品として多くの人に愛されるようになっていき現在に至ります。 古筆の中には、万葉集や古今和歌集、和漢朗詠集などさまざまな歌集があります。 平安時代から鎌倉時代は、万葉仮名からひらがな、またさらに個性のある書体へと変化していた時代であり、優れた能筆家と歌集が登場し名作が多く生まれました。 古筆掛軸の有名作品 歌集の巻物や冊子の1紙もしくは1頁または数行を切断し、掛軸として表装した古筆掛軸。 室町時代以降、茶の湯の席に飾る掛軸として親しまれてきました。 また、歌集だけではなく特定の古写経の断簡も経切れとして鑑賞されていました。 1冊1巻のままでは楽しめる人数が限られていましたが、切断して断簡とすることで楽しめる人数が大幅に増えたといえるでしょう。 古筆として有名な作品の中には、『高野切』や『本阿弥切』、『石山切』などがあります。 高野切 『高野切』は古今和歌集の断簡です。 古今和歌集は西暦905年ごろに醍醐天皇が貫之らに編集を命じた和歌集とされています。 『高野切』は1049年ごろに藤原道長の子である藤原頼道が書かせたといわれています。 現在、古今和歌集の原本は発見されておらず、『高野切』が最も古い写本です。古くて人気の高い書は時代の流れの中で最初の持ち主の手を離れ、ばらばらに解体されたり、消失したりしてしまうことが多々あります。 『高野切』は本来、全部で20~22巻ほどあったと考えられていますが、現在においてはばらばらに所有されており、すべては揃っていない状態です。なお、『高野切』は通称で、古筆の一部が高野山にあったことからその名がつけられました。 『高野切』は現存する古今和歌集最古のテキストとされているため、現代においても日本文学史や日本語史の研究資料として貴重な作品です。 本阿弥切 『本阿弥切』は古今集第十二恋歌二の巻頭の和歌49首、132行分の断簡です。 『本阿弥切』の名は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した芸術家である本阿弥光悦が、その一部を愛蔵していたため一連の古筆を『本阿弥切』と呼称するようになりました。 『本阿弥切』は平安時代の能書家である小野道風によって書かれたと伝えられていますが、明確な根拠はありません。『本阿弥切』の価値を高めるために広まった噂とも考えられています。 『本阿弥切』は古今和歌集の写本で、部分的には作品としての価値に差があるとされており、全体として優れた古筆ではないとの評価も耳にします。 しかし、『本阿弥切』は独特の連綿や余白が美しい古筆といえるでしょう。 また古来より尊重され愛好されてきた経緯もあります。文字は丸みのあるフォルムで、運筆は関戸古今集に通ずるものがあるといわれています。 石山切 『石山切』は西本願寺本三十六人集のうち貫之集・下と伊勢集の断簡です。 藤原公任によって書かれたとする説や友則集・斎宮女御集と同じ筆者が書いたとする説もあります。 『石山切』は西本願寺本三十六人集の中でも特に料紙が美しいと有名です。 唐紙や蝋箋、染紙を用いて紙質の異なる紙を継ぐ手の込みようで、紙肌の美しさや立体感が魅力でもある作品です。 書の優美さと工芸技術の粋を尽くした料紙の華麗さが高い人気の理由で、王朝貴族趣味を存分に詰め込んだ作品としても知られています。 本願寺がもとあった摂津の石山にちなんで『石山切』の名が付きました。 『石山切』の書風は、漢字的要素を限りなく減らし仮名に重点をおいています。 やわらかく弾力性のある線で、変化に富んだ緩急抑揚のある字形が特徴です。 墨色の濃淡にも変化があり、線の濃淡がより格調高い印象を与えています。 すべての古筆が掛軸になっているわけではありませんが、これらの美しい古筆は掛軸や巻物などとしても楽しめる芸術作品といえるでしょう。 歴史を感じる美しい古筆掛軸、買取を希望するなら 平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた歌集の巻子や冊子を切断して、壁や床の間に飾って楽しむために表装された古筆掛軸。主に茶の湯の席が盛んになった桃山時代から江戸時代初期に親しまれてきました。 古筆には、古筆切、懐紙、色紙、詠草、短冊などの形状があり、切断した断簡は古筆切と呼ばれています。 古筆掛軸の価値を自身で判断するのは難しく、専門の査定士に依頼して査定してもらう方法が有効です。 先祖代々受け継がれてきた古筆掛軸の場合、作家や作品名がわからないまま保管していることも多いでしょう。所有する古筆掛軸の価値を知りたい場合は、修繕や修理などはせず、そのままの状態で査定を依頼してください。
2024.09.14
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水墨画掛軸の買取は高額査定のチャンス?!中国・日本水墨画の歴史と特徴を知ろう
水墨画掛軸には山水画や花鳥画、詩画軸などさまざまな種類があります。国宝に指定されている作品も多く、作家や作品によっては高価買取が期待できるでしょう。中国の水墨画、日本の水墨画問わず、価値の高い作品が多く現存しています。水墨画の魅力や価値を理解するためには、それぞれの特徴や歴史、有名な作家、作品などを知ることも大切です。 水墨画とは 水墨画とは墨の濃淡で描かれた絵画を指します。 ぼかしやかすれ、にじみ、グラデーションなどによって表現されます。 また、筆使いによってもさまざまな表現が可能で、筆を運ぶ際の強弱や筆圧などを用いて繊細な表現を行う絵画です。 筆と墨だけのシンプルな作品でありながら細かい描写が可能です。 またモデルとするものをすべて描くのではなく、無駄をそぎ落とし描かれる水墨画は、自然や人生の奥深さ、わびさび、静寂、哀歓、素朴さなどを伝えるのに適した芸術作品で、見るものの心を魅了します。 中国水墨画掛軸とは 中国の水墨画掛軸は力強い線と筆使いが特徴的です。 筆を重視した手法を用いて描かれる水墨画は迫力のある絵が人気を集めています。 また、中国では書画同源や詩書画一致の思想があります。この思想は、詩と画は切り離すことはできず根本的に同じであるという考え方です。そのため中国水墨画掛軸には画だけ、書だけではなく画と書が一緒に描かれた作品が多く存在します。 たとえば、山水画や文人画の中には作家や鑑賞した人の詩文や感想が組み合わされた作品もあります。詩とそれに見合う書や詩で世界観を表現する中国水墨画掛軸は、芸術と文学を結び付けた独自の芸術品といえるでしょう。 中国水墨画掛軸の歴史 墨の一色のみを用いて描かれる絵画は、唐の時代から描かれていたとされています。 水墨画である山水画が多く描かれるようになったのも唐の時代です。 墨を活用すること自体は中国の殷の時代からありました。 墨を利用して描かれた絵画は漢の時代にもありましたが、当時の絵画は墨一色ではなく、墨の線に着色が施されていました。 その後、宋代では文人官僚の遊びとして水墨画が描かれるようになり、禅宗が広まっていった時代には禅宗にかかわる人物画が水墨画で描かれています。 また宋代では花卉雑画が水墨画のジャンルとして確立されるとともに宮廷では画院が設立され、花鳥画を中心として写実表現が追求されていきました。 宋代で山水画・文人画・花鳥画の3つのジャンルが確立されたといえるでしょう。 中国の水墨画は当時から現代にいたるまで長い間親しまれ続け、掛軸としても多くの人を魅了しています。 中国水墨画掛軸の特徴や魅力 中国の水墨画は、写実表現を追求する中で生まれた絵画とされています。 写実的表現を極めていった結果、色を足さずに墨の濃淡だけでモチーフを表現する方法が生まれました。 また、写実的表現といっても写真のような精密な描写は追及していない点や西洋絵画のような影を表現せずに描かれていることも特徴の一つです。 西洋画の写実的表現は、見たままの自然な姿をありのままに描写することに重きをおいていますが、中国の水墨画はモチーフとするものの本質を描こうとしているため、目的の違いから表現方法の違いが生まれたといえるでしょう。 また、中国水墨画は筆の水分量を調節し濃淡を活用することで一筆の中にグラデーションを作り出しています。線表現にも特徴があり、古くから描かれている仏画では抑揚の少ない均一な線で描く手法が用いられていたのに対し、山水画では輪郭線の中に線を引く皴法が積極的に活用されています。また、輪郭線を用いない没骨法と呼ばれる技法も生まれ、模索が繰り返されてきました。 中国水墨画掛軸の有名作品や作家 五代・北宋期に活躍した中国水墨画で有名な作家は以下のとおりです。 ・荊浩(けいこう) ・関同(かんどう) ・董源(とうげん) ・巨然(きょねん) ・李成(りせい) ・郭照(かくき) 荊浩の代表作といえば『匡廬図』や『雪景山水図』などです。 初期の水墨山水画を描いた代表的な作家で、その後の山水画に大きな影響を与えたとされています。 関同の代表作といえば『秋山晩翠図』や『山谿待渡図』などです。 シンプルな筆さばきでありながら雄大な山水画を描き、宋代の山水画に大きな影響を与えました。 董源の代表作といえば『瀟湘図巻』や『寒林重汀図』などです。 江南山水画の創始者としても知られており、淡い墨を重ねて江南地方の景色を描いています。また、麻の繊維をほぐしたように波打たせて山や岩を表現しており、立体感を演出した披麻皴と呼ばれる筆法を生み出した作家としても有名です。 巨然の代表作といえば『煙嵐暁景図』や『層巌叢樹図』などです。 巨然の師は董源であり、董源の画風を受け継いだ作品が特徴的で、董巨と称される江南山水画家として人気を集めていました。 李成の代表作といえば『喬松平遠図』があります。 五代・北宋の画家で、夢幻的な雰囲気の煙林平遠と呼ばれる山水画を描き、淡い墨で霧を表現している特徴があります。 郭照の代表作といえば『渓山秋霽図巻』や『早春図』などです。 北宋の宮廷画家、理論家の一人で、豊かな変化が魅力の自然風景を写実的かつ壮大な画風で表現している特徴があります。李郭とも呼ばれ、李成とともにその後の山水画に大きな影響を与えました。 日本水墨画掛軸とは 日本の水墨画掛軸の始まりは鎌倉時代に禅とともに受け入れられた中国の水墨画であるとされています。 当初は禅僧が修行の一環として禅林画や禅宗画を描いていましたが、その後、高僧の肖像画や山水画も描かれるようになっていきます。 日本の水墨画は中国の水墨画を模倣した作品が多く、特に人気のあった中国水墨画家には牧谿や夏珪、馬遠などがいます。 貴族や大名たちの間では、牧谿風の水墨画、夏珪風の水墨画といったように模倣作品が広く親しまれていました。 その後、室町時代に登場した雪舟の影響により、日本独自の水墨画の画風が確立されていきます。 日本の水墨画は、現代においても歴史的価値があるとされ、多くの有名作品が美術館に所蔵されたり、高価買取されたりしています。 日本水墨画掛軸の歴史 日本の水墨画は、奈良時代に唐から墨や墨で描かれた絵画の技法が伝わり始まったとされています。 当時は掛軸ではなく木簡や壁画などに墨で描いた文字や墨画が主流でした。 水墨画の大きな特徴である墨の濃淡だけでモチーフを表現する水墨画技法は、鎌倉時代に入ってから確立されていきました。 鎌倉時代に当時の中国から入ってきた水墨画は、禅の思想を表現する『達磨図』『瓢鮎図』などです。 禅宗が武士から広く支持を集めたことにより、水墨画も多く描かれるようになっていきます。 室町時代に入ると中国の模倣作品としての水墨画ではなく、日本独自の水墨画が発展していきます。室町幕府では足利家が禅宗を庇護したことにより禅宗の思想や文化が栄えていき、水墨画で有名な作品を残している如拙、周文、雪舟など多くの水墨画家を輩出しました。 日本では、中国の水墨画家である牧谿の作品が広く知られており、一番優れた絵師と評され牧谿の作品を模写した作品が多く制作されています。 初期の水墨画は人物画や花鳥画も多く描かれていましたが、15世紀ごろの戦国時代からは日本でも本格的な山水画が描かれるようになりました。 また、詩画軸が描かれ始めたのも戦国時代ごろからです。 詩画軸とは詩・書・画が一体となり作品の下方に絵が描かれ、余白部分を埋める形で漢詩文が書きこまれた作品を指します。 日本の水墨画は中国から伝わった当初から現在にいたるまで多くの人々を魅了し続けている芸術作品です。掛軸としても親しまれており、現代でも歴史的価値の高い作品が数多く現存しています。 日本水墨画掛軸の特徴や魅力 日本の三大巨匠と呼ばれる水墨画掛軸の有名作家は以下のとおりです。 ・雪舟(せっしゅう) ・牧谿(もっけい) ・狩野探幽(かのうたんゆう) 雪舟の代表作といえば『四季山水図巻(山水長巻)』や『天橋立図』などです。 雪舟は突出した画家としての才能から画聖とも呼ばれています。48歳で中国に渡り本場の水墨画を学んだ雪舟は、約3年の修行の中で中国各地の山岳や河川などの景勝地で写生を行い、中国の雄大な自然から創作意欲を得たことで、躍動感ある山水画を描いています。 牧谿の代表作といえば『観音猿鶴図』や『漁村夕照図』などです。 牧谿は中国の僧侶で日本の水墨画に大きな影響を与えた中国画家でもあります。伝統を重視した写実的な院体画を描いており、中国ではあまり有名な画家ではありませんでした。中国から日本へ渡ってきた水墨画の主流が院体画であったため、日本で広く知れ渡ったと考えられます。 狩野探幽の代表作といえば『四季松図屏風』や『東照宮縁起』などです。 16歳のころには江戸幕府の御用絵師として活躍した天才水墨画家として有名です。探幽独自の技法は探幽様式と呼ばれ、画面の余白をそのままに余韻を残し、景観に続きがあるかのように表現した手法が多くの人々を魅了しました。 日本と中国、いずれの水墨画掛軸も人気 中国の水墨画と日本の水墨画は異なる表現方法で描かれており、それぞれに独自の良さがあります。 現代においても、各水墨画掛軸は芸術作品や歴史的資料として価値のある作品として人々の興味を引いています。家族代々受け継がれてきた水墨画掛軸を所有していて、作品の価値を知りたいと感じている方は、一度査定を依頼してみましょう。 適切な価値を知りたい方は水墨画家を専門とする経験豊富な査定士への依頼がお勧めです。また、古くなった水墨画掛軸は傷や汚れがついている場合もあります。しかし、自身の判断だけで修繕を行うことはお勧めできません。かえって傷や汚れを広げてしまう恐れがあります。 まずは気軽に専門の買取業者へ相談してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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