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掛軸の出来栄えは「表具師」の腕次第?!
掛軸作品を飾るためには、表具による仕立てが必要です。 この仕事を担っているのが表具師と呼ばれる職人です。 専門的な技術や経験を活かし、作品を引き立てるための手助けをする仕事ともいえるでしょう。 掛軸作品を鑑賞する際は、表具師が仕立てた表装にも注目して見ると、これまでとは違う視点から作品を楽しめるでしょう。 掛軸に欠かせない表具師の存在 掛軸を飾るためには、表具が欠かせません。 表具とは、布や紙などを貼って巻物や掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などを仕立てることをいいます。 また、表装とも呼ばれています。 表具師とは 表具師とは、紙に関する多くの仕事を担っている職業です。 たとえば、掛軸や屏風などの芸術作品や美術作品の修復、寺院の天井や壁の表装など日常とは異なる場面だけではなく、ふすまや障子など日常で使用する紙の建具も、表具師が担っています。 表具師は、表装師、経師、表補絵師などとも呼ばれています。 表具師は、紙のなんでも屋であり、専門性の高い技術力を駆使して、さまざまな作品の修復を手がけているのです。 表具師のセンスが現れる、色や模様 掛軸作品の見どころは、なんといっても描かれているモチーフや構図などです。 そのため、人気の掛軸作品においては、絵師たちが注目を集めています。 あまり意識していない人も多い表具は、掛軸作品の魅力を引き立たせるために、欠かせない存在です。 表具は、絵画作品を鑑賞や保存のために、布や紙に書画を貼り付けて掛軸や巻物、屏風などにして楽しめるようにする、東アジア独自の文化です。 日本に表具が伝わったのは、平安時代から鎌倉時代にかけてといわれています。 中国から伝わった表具は、日本で独特の発展を遂げていき、独自の様式が誕生しました。 表装は多彩な種類があり、配置や組み合わせによって、絵の意味や格を表したり、絵をより引き立たせたりする役割があります。 表装は古くから、色や柄などを表具師が選んでいました。 表具師が描かれた『三十二番職人歌合』とは 三十二番職人歌合とは、12世紀から16世紀ごろに内容がまとめられた4種5作の職人歌合の一つです。 15世紀末ごろから注目を浴び始めた職人をテーマに、32種類の職種をピックアップして構成された絵巻物です。 この作品の中で、表具師は「へうほうゑ師(表補絵師)」として登場しています。 主役を引き立てる表装には、センス抜群の表装師の存在があった 表装や表具は、掛軸作品の魅力を引き立たせるためのものであるため、主張が強すぎてもよくありません。 また、掛軸の絵柄や背景にマッチしていない表装をしてしまうと、掛軸作品の価値を下げてしまうおそれがあるでしょう。 そのため、主役を引き立てる表装の組み合わせを決める表装師は、センスのいる仕事であるといえます。 掛軸作品の魅力を後押しする表装にも目を向けて、掛軸作品の鑑賞を楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.10.04
- 掛軸とは
- 掛軸の歴史
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かわいい?こわい?!達磨の掛軸は縁起物
禅寺を訪れたとき、ぎょろっとした大きな目がこちらを睨んでいるような、奇抜な人物画を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。 この人物画は、達磨図と呼ばれています。 達磨図は、禅を描く・悟りを描くための表現方法として用いられていたといわれています。 かわいい?こわい?!達磨の掛軸 達磨の掛軸というと、赤くて丸い達磨を想像しますが、実際に掛軸として描かれている多くの達磨は、達磨大師をモデルにしたものです。 縁起物として重宝された達磨 達磨は、古くから縁起物として知られていますが、なぜ縁起物として親しまれるようになったのか知らない方も多いでしょう。 達磨のルーツは、中国のおもちゃです。 唐の時代に酒胡子(しゅこし)と呼ばれるおもちゃが流行り、明の時代になると代わって不倒翁(ふとうおう)と呼ばれる転がしても倒れない人形が登場しました。 この不倒翁(ふとうおう)は、室町時代に日本に伝えられ、起き上がり小法師(こぼし)に発展していきました。 江戸時代に入ると起き上がり達磨が誕生します。 達磨が縁起物といわれる理由は、達磨がえらいお坊さんであったことや倒れてもすぐに起き上がることから、倒産せず商売繁盛するとされていたためです。 願い事をして達磨の目を書く風習は、達磨大師のようにいかなる困難も克服して、願い事が成就するよう願掛けのために行われています。 また、達磨は赤いイメージがありますが、さまざまな色があり、色によって縁起物としての意味が異なる特徴があります。 達磨大師とはどんな人だったのか 達磨の名前の由来でもある達磨大師は、実在した高僧の名で、ほかにも菩提多羅や達磨祖師などの名があります。 達磨大師は、4世紀の終わりごろに南天竺の香至国の第三王子として生まれました。 父である国王の死をきっかけに般若多羅尊者のもとで出家し、40年余り修行に努めています。 修行を終えた後は、インド各地を渡り歩き67年間布教を続けたといわれています。 その後は、中国各地で10年間布教しました。 また、崇山少林寺では壁に向かい9年間座禅を続け、悟りを開いたといわれています。 この姿から、人々は達磨大師のことを壁観婆羅門僧と呼んでいたそうです。 達磨大師は、反発する僧たちに毒を6回も盛られ、西暦528年10月5日に150歳で入寂したといわれています。 達磨大師の死後であるとされる613年12月に、聖徳太子が奈良の片岡山で飢えた人に出会い、食べ物や自分が身に付けていた紫の衣を与えました。 しかし、その人は亡くなってしまい、聖徳太子は墓を作り手厚く葬りました。 数日後に墓をあけると遺体はなく、紫の衣だけが残されていたのです。 この逸話は『日本書紀』や『元亨釈書』に記されており、この飢えた人が達磨大師の化身であったといわれており、片岡山に達磨寺が建設されました。 掛軸に描かれている「達磨」は「達磨大師」の姿であることが多く、今日縁起物として見かける達磨の置物とは少しイメージが異なるでしょう。 達磨掛軸を描いた有名作家たち 達磨掛軸は、多くの有名作家たちが描いています。 代表的な作家は、白隠慧鶴 (はくいんえかく)、仙厓義梵(せんがいぎぼん)、長沢芦雪(ながさわろせつ)、宮本武蔵(みやもとむさし)などです。 白隠慧鶴 (はくいんえかく) 作家名:白隠慧鶴 代表作:『達磨図』『半身達磨図』 生没年:1685年-1768年 白隠慧鶴は、500年にひとりと称えられた高僧で、臨済宗中興の祖でもあります。 称津駿州原宿(現在の沼津)で生まれ、全国を行脚した後に再び駿河で教えを説いた白隠は、その功績は富士山にも匹敵するともいわれました。 徳の高い高僧でありながらも、白隠慧鶴が描く禅画は、破天荒なインパクトがあるといわれています。 禅僧であり、達磨大師をはじめとした禅画を描く絵師でもあった白隠慧鶴の有名な作品は、『半身達磨図』です。 デフォルメされた菩薩達磨が座禅している姿が印象的です。 仙厓義梵(せんがいぎぼん) 作家名:仙厓義梵 代表作:『達磨図』など 生没年:1750年-1837年 仙厓義梵は、禅僧でありながらユーモアあふれる書画を描く絵師でもあります。 その自由奔放な絵画をとおして、禅の教えを広く伝えました。 江戸時代に九州で活動していた仙厓は、日本最古の禅寺である聖福寺の第123世(および125世)の住持でもあります。 臨済宗の古月派を代表する名僧としても有名です。 60歳代で虚白院へ隠棲してからは、晩年まで数多くの書画を描いたとされています。禅僧であり、達磨大師をはじめとした数多くの禅画を残しています。 長沢芦雪(ながさわろせつ) 作家名:長沢芦雪 代表作:『隻履達磨図』 生没年:1754年-1799年 長沢芦雪は、江戸時代に活躍した絵師で、円山応挙の弟子でもあります。 師匠とは対照的に、大胆な構図や斬新な着眼点で奇抜な絵画を多く描いていたため、奇想の絵師とも呼ばれていました。 常に新しい表現や技法を追求し、精力的に活動していた芦雪は、200年以上経った今も、名作が多くの人々に親しまれています。 芦雪は、達磨掛軸も手がけており、有名な作品は、『隻履達磨図』です。 宮本武蔵(みやもとむさし) 作家名:宮本武蔵(みやもとむさし) 代表作:『蘆葉達磨図』 生没年:1584年-1645年 二刀流の剣豪として有名な宮本武蔵。 実は画人でもあり、「二天」と号して絵画作品を多く制作しています。 個性豊かな水墨画を多く手がけており、禅にかかわる達磨図や布袋図などを多く描いていました。 本格的に絵を描き始めたのは、二天一流を創始した後の寛永17年ごろからといわれており、中国の梁楷や同じ武人であり画家の海北友松などから減筆体を学んだと考えられています。 達磨掛軸は縁起物として人気が高い 達磨掛軸は、縁起物として現代でも人気の高い掛軸作品です。 達磨と聞くと赤くて丸いものをイメージしますが、掛軸では達磨大師が多く描かれています。 高僧である達磨大師が描かれた掛軸は、縁起物として親しまれているため、高値での買取も期待できる作品です。 商売繁盛や開運出世などの願いが込められた達磨掛軸をお持ちの方は、自宅に飾るもよし、一度査定に出して価値を確認して見るのもよいでしょう。
2024.10.04
- 掛軸の種類
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あの有名な、『見返り美人』(菱川師宣)を掛軸で楽しもう
女性の後ろ姿と振り向いた瞬間を描いている『見返り美人図』は、最も有名な浮世絵作品の1つです。 女性の優雅で美しい後ろ姿は多くの人の目を引き、現代に至るまで多くの人の心を魅了しています。 この作品を描いた菱川師宣は、浮世絵の祖ともいわれており、菱川師宣がいなければ浮世絵の発展は進んでいなかったかもしれません。 江戸時代に浮世絵を広める大きな役割を果たした菱川師宣と『見返り美人図』の歴史や特徴を知り、美人画掛軸への魅力を深めていきましょう。 誰もが見たことのある、見返り美人図 『見返り美人図』は浮世絵の中でも人気のある美人画です。 美人画とは、江戸時代における流行りの美人の姿を描いた作品で、多くの作家が描いている画題の1つ。 美人画は、当時の絵師たちが理想とする美人を具現化して描いていたものでしたが、のちに芸者や水茶屋の看板娘、町娘なども描かれています。 また、美人画は、単なる芸術作品ではなく、当時流行っていたファッションが図柄に色濃く反映されていたことも特徴の一つで、版画技術が広まった江戸時代では、美人画が流行ファッションの情報源としての役割も果たしていたといわれています。 『見返り美人図』は肉筆浮世絵の元祖 『見返り美人図』とは、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が描いた肉筆浮世絵です。 菱川師宣は、浮世絵の祖と呼ばれるほど、浮世絵の歴史を語るのに欠かせない絵師の一人。 海と山に囲まれた大自然が広がる房州保田で生まれた菱川師宣は、幼少期から絵を描くことを好んでいました。 彼が若い頃は、長男として家業を継ぐために縫箔師の仕事を手伝っていました。この頃、図案のデザインに多く触れたことで、絵画的なセンスと技術を磨いていったとされています。 諸説ありますが、菱川師宣は16歳ごろに房州から海路を使い、江戸に出向いたといわれています。しかしそれは絵師としての道を進むためではなく、縫箔師の技術を学ぶことがきっかけだったとも。菱川師宣は、江戸で絵師の名門として知られる狩野派や土佐派、長谷川派の三大流派の技法を学び、技術に磨きをかけていきました。 菱川師宣がいつ頃から縫箔師ではなく絵師としての道1本で進み始めたかは、資料が残されていません。しかし、縫箔師としての活動を続ける中で、徐々に絵師の世界に足を踏み入れていったとされています。 菱川師宣は浮世絵の祖とも呼ばれていますが、実は、浮世絵を広めたのは菱川師宣だけではなく、ほかにも岩佐又兵衛など複数の絵師がいました。 こういった複数の絵師の活躍と出版産業の変化がうまく合わさり、浮世絵文化が誕生したといえるでしょう。 菱川師宣が浮世絵を大きく発展させるきっかけとなったのが、挿絵を大きくしたことでした。 それ以前の挿絵は、読者の理解を補助する添え物の役割としてで、あくまでもメインは文字でした。 しかし、菱川師宣は絵をメインとする描き方に逆転させたのです。これが文字を読むのが苦手だけど本を読みたいと考えている庶民の心を掴み、庶民が出版ブームの新たな消費者として取り込まれていったのでした。 菱川師宣は、版画だけではなく肉筆画でも才能を開花させ、絵巻や屏風、軸物などで多くの名作を残しており、特に晩年には多くの肉筆画の傑作を生み出しています。 肉筆浮世絵とは、版画の浮世絵と区別するために生まれた言葉で、浮世絵師が自らの筆で直接紙や絹に描いた浮世絵を指しています 菱川師宣の肉筆浮世絵の中でも最も有名なのが、あの『見返り美人図』。 このあまりに作品は、現在まで使われる「見返り美人」の言葉の語源となっています。 『見返り美人図』には、当時流行っていたファッションを取り入れ描かれています。 髪型は玉結びと呼ばれるものです。前髪を別に取って立て、背後の髪は輪っか状に結びます。べっ甲模様の差し櫛と笄を刺しており、笄の先端には家紋の透かし彫りまで描く凝りようです。 また、着物は当時高級品として知られていた紅で染めた生地に絞りが入れてあり、白や水色、金糸で刺繍された花柄が赤い着物に映えています。 帯も当時流行りの吉弥結びで描かれています。 『見返り美人図』を含めた当時の美人画は、現代でいうファッション誌のような役目を果たしていたといえるでしょう。 切手のデザインとしても有名に 『見返り美人図』の絵柄はその人気ぶりから切手にもなっています。 これまでに3度発行されており、1度目は1948年に切手の収集家向けに発行されている切手趣味週間シリーズの第2弾として登場しました。当時は浮世絵の切手自体が大変珍しかったため人気が集中し、1960年代の切手収集ブームを引き起こしたともいわれています。 その後、1991年には郵便事業120周年記念切手として、1996年には郵便切手の歩みシリーズとして合計3回発行され、現在でも中古市場で人気の高い絵柄となっています。 掛軸でも楽しまれる、見返り美人図 「浮世絵の祖」と呼ばれる菱川師宣が描いた『見返り美人図』は、大変有名かつ人気の作品であるため、レプリカ作品も多く市場に出回っています。 切手のデザインとしても有名な『見返り美人図』。 当時のファッションを取り入れたデザインは、その時代の流行りや暮らしぶりも想像しながら楽しめる作品です。 この作品は、東京国立博物館(東京/上野)に収蔵されており、展覧会などで鑑賞することができます。 近代の浮世絵ブームの火付け役ともなった人気の高い『見返り美人図』。 手元に置きたいと複製品を掛軸で楽しむ人が多いのも納得できる、素晴らしい作品です。
2024.10.04
- 掛軸の種類
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縁起のいい富士山の掛軸を床の間に掛けよう
迫力のあるシルエットと四季折々の変化によってさまざまな表情を魅せてくれる富士山。 日本の誇りともいうべき富士山は、古くから多くの人々を魅了し続けています。 富士山の山頂を目指す人もいれば、一瞬の絶景をカメラに収めようとする人、掛軸に描かれた美しい富士山を鑑賞して楽しむ人もいます。 富士山はさまざまな方法でいつも私たちを感動させてくれているのです。 言わずと知れた縁起物、富士山 古くから現代まで多くの人を魅了し続ける富士山は、縁起物としても知られています。 「一富士二鷹三茄子」でもおなじみで、初夢に見ると縁起がいいのが富士山です。 富士山が昔から縁起がいいといわれるのには、主に4つの理由があります。 1つ目はその末広がりの形。 富士山の姿は、山頂からふもとにかけて漢字の八を描くようにゆったりと末広がりになっています。末広がりの形は、古くから子孫繁栄や、商売繁盛など明るい将来を思わせる縁起物として扱われてきました。 また、富士山は語呂合わせで「不死」「無事」に似た発音をすることから、健康長寿や無病息災、家内安全などを願う対象とされています。 また、日本には神道における八百万の神という考え方があります。 物や自然などあらゆるものに神様が宿るとし、日本で最も標高の高い富士山は霊峰として信仰の対象となっているのです。 富士山のふもとと山頂には、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る神社があります。 木花咲耶姫命には、火難除け、縁結び、子授け、安産などの御利益があるとされ、この準者に参拝に訪れる人も多くいます。 富士山は、季節や時間、方角、気象条件によって違った姿を現してくれるのも魅力の一つです。 特定の条件がそろわないと見られない富士山の絶景は、「〇〇富士」と呼び縁起物として知られています。 富士山の絶景は、多くの作家が描いていることでも有名です。特に有名な、赤富士や紅富士、逆さ富士、影富士などは、写真や絵画、掛軸などで一度は目にしたことがあるという人も多いでしょう。 赤富士は、いつもは青いさわやかな色をしている富士山が、朝日に照らされて赤く染まった様子を表しています。 赤富士が見られる条件は、山頂に雪が積もっていない夏から秋にかけての時期かつ空気が澄んでいる晴天の日の早朝です。昔から赤は厄除けに効くとされており、赤富士は厄除けや商売繁盛、願望成就、悪縁を切るなどの効果がある縁起物として知られています。 紅富士は、山頂付近に雪が積もっている冬から初春にかけて見られる風景です。 雪で白くなっている斜面が真っ赤に染まる様子は、とても幻想的です。赤富士と同じように赤い富士山であるため、縁起物としての意味合いが同様と考えてよいでしょう。 逆さ富士は、湖や水辺の水面に上下逆さまになった富士山がはっきりと写り込んだ様子をいいます。 きれいな逆さ富士を楽しめるのは良く晴れて空気が澄み、風がなく水面に波が立っていない状態のときです。逆さ富士は開運の御利益がある縁起物として知られています。 影富士は、富士山麓の地表や雲海に富士山の巨大なシルエットが映し出されている様子を指します。 影富士は、主に山頂から西側の5合目以上の高さで観察可能です。影富士はほかの特別な富士山とは異なり、自分の足で富士山に登らないと見られない貴重な景色です。 影富士が見られるのは時間帯や方角、気象条件などがすべてそろったときのみ。 その他にも縁起のいい富士山としてはダイヤモンド富士などがあげられます。 富士山信仰はいつからはじまった? 富士山は、その雄大な姿や幻想的な美しさから日本一の山として、国内だけではなく海外の人々をも魅了しています。 富士山は名山でもありますが、霊山の一つとして古くから信仰の対象にもなっているのです。 霊山とは、神仏を祀っている神聖な山のこと。 繰り返される噴火を鎮めるために浅間大神を祀ったのが、富士山の山岳信仰の始まりとされています。 平安時代末期に噴火活動が鎮静化されると、仏教の僧侶が富士山に入り修業を始めるように。 この頃には、日本古来の神々と仏教の仏は一体である、とする神仏習合の考えが誕生しました。これを機に、富士山の本当の姿とされる大日如来をはじめとした多くの仏像が奉納されるようになっていきます。 この信仰の形が、ふもとから富士山を拝む遙拝から、山中で修行を行い富士山の護神徳を拝しながら登山する形へと変化していきました。 富士山の掛軸はいつ掛ける? 富士山の掛軸は、年中掛けも可能な画題です。 また、縁起が良い絵柄のため、お正月にもよく飾られています。 新年の始まりには縁起の良いものを鑑賞したいものです。 富士山は初夢に見ると縁起が良い縁起物として知られているため、正月に飾ってその年1年をより良いものにしたいと考えるでしょう。 また、掛軸作品は、描かれている富士山の様子から、それぞれの絵に込められた意味が少し違うこともあります。 たとえば、真っ赤に染まった幻想的な姿に多くの人が心を奪われた赤富士や紅富士は、厄除けや商売繁盛、願望成就、悪縁を切るなどの効果が期待されています。 また、富士山単体で描かれた掛軸だけではなく、鶴亀などの縁起物と一緒に描かれた掛軸も大変人気の高い作品です。 富士山が描かれた掛軸を掛ける際は、細かく季節を問われることはありません。 しかし、縁起物としての意味合いが強いため、お正月やお祝い事の席で飾るのも良いでしょう。 富士山の掛軸は誰もが知る縁起物 富士山は、日本はもちろん、海外からも人気が高く、世界中の人々を虜にしている日本一の山です。 直接拝むこともあれば、掛軸に描かれた富士山の絵を鑑賞したり、拝んだりすることもあります。 富士山と一口にいっても、さまざまなシチュエーションの富士山掛軸が存在します。 たとえば、静かで澄み渡った水面に映る壮大な逆さ富士や、朝日に照らされた赤富士など、富士山は私たちにさまざまな表情を魅せてくれる、日本自慢の山。 このような美しい富士山の姿は、掛軸で鑑賞して楽しむのも一つの手段です。 さまざまな作家が自分の思い浮かべた富士山掛軸を制作しており、富士山の豊かな表情はもちろん作家の個性も楽しむことができるでしょう。 「一富士二鷹三茄子」といわれるほど縁起の良い富士山の掛軸を自宅に飾り、その年1年を幸せに過ごせるよう願掛けを行うのもお勧めです。 富士山は人気の画題のため数多くの掛軸作品が存在します。 自分の気に入った富士山の掛軸を自宅に飾り、美しい富士山の風景を楽しみましょう。
2024.10.04
- 掛軸の種類
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昇り龍の掛軸を飾りたい!骨董品的価値や縁起が良いとされる理由とは
日本では床の間や茶室に掛軸を飾る文化が古くからあります。 掛軸に描かれるモチーフはさまざまありますが、なかでも人気なのが龍の姿です。 特に天まで昇っていく様子が描かれた龍の掛軸は、縁起の良い掛軸として人気を集めています。 昇り龍の掛軸には前向きな意味が込められているため、意味や由来を知ることで適切なタイミングで飾れるでしょう。 龍の迫力のある掛軸が気になっている方は、ぜひ昇り龍の掛軸に込められた意味を探ってみてください。 昇り龍とは 龍は掛軸のモチーフとしてよく描かれています。 龍は神聖なものの象徴として古くから崇拝の対象となっている生き物で、水神の一種ともいわれています。 また、古代中国では四方四神という思想に出てくる守り神とされており、日本でも古来から天候を司る神として雨乞い祈願をすることもあり、農耕の神として広く浸透しています。 龍の発祥は中国とされており、現代にいたるまで中国文化を象徴する信仰の対象です。 中国では、石器時代に陶器の文様や像に龍らしきものが発見されています。 青銅器時代には、祭礼用の青銅器にも龍の姿が描かれるようになりました。 当時の人々は、自然が持つ巨大なエネルギーを人間にはない神秘的な能力を持つ動物によるものと考えていました。そこから空想的な生き物が生まれ、龍が誕生したといわれています。 日本では、弥生土器に龍のような図案が描かれており、弥生時代にはすでに中国の龍のイメージが伝わっていたと考えられています。 また、仏教で仏法の守護神とされている龍はインド神話に登場する「ナーガ」です。 ナーガは蛇の精霊の一種とされており、コブラが神格化され聖獣となった姿とされています。半人半蛇で四肢や髭、角などはなく、7つの頭を持った姿で描かれることも。 中国の龍とは異なるデザインですが、どちらも蛇をモチーフにしている共通点があります。 また、どちらも雨をもたらす水の神であったことも共通点の一つです。 現代の日本の龍神信仰は、中国とインドの龍のイメージが組み合わさって誕生したといえるでしょう。 中国とインドの龍と、日本にもともとあった水神や蛇神などの自然信仰が結びつき、独自の龍神信仰へと発展していきました。 やがて、日本の龍神は、雨を降らす神から稲作の豊穣神や天候を司る神に変化し、信仰されていきます。 また、龍神は水中に棲み天に昇る姿から、運気を上げる縁起の良い生き物のイメージが出来上がっていきました。 縁起の良い龍の掛軸でよくみられるのが、昇り龍の絵です。 龍が天に昇っていく姿を描いた掛軸には、勝負運上昇、立身出世など、上昇志向を後押しする意味合いが込められています。 掛軸に描かれる昇り龍の絵は、地上に降りてきた龍が人々に願いを叶える如意宝珠を授けた後に、再び天に昇っていく様子を描いています。そのため、降り龍には宝珠が描かれますが、多くの昇り龍には宝珠が描かれていません。 また、昇り龍は子どもの人生の大願成就を願うモチーフでもあります。 急流を登りきり登龍門を通過した鯉が、天まで昇ると龍神に変化するという言い伝えがあり、それが由来で大願成就の願いが込められるようになりました。 また、上野東照宮には、左甚五郎が制作した降り龍と昇り龍の彫刻が彫られていますが、頭が下を向いているほうが昇り龍と呼ばれています。偉大な人ほど頭を垂れることから、下を向いているほうを昇り龍と呼ぶそうです。 昇り龍の持っている玉…「如意宝珠」 掛軸に描かれる昇り龍や降り龍の絵には、如意宝珠と呼ばれる玉が一緒に描かれる場合があります。 描かれ方は作家によってさまざまで、手に持つ姿や口に加えている姿などがよく描かれています。 如意宝珠とは、あらゆる願いを叶える力を持った玉のこと。完全な球体で描かれることもあれば、玉ねぎのように先がとがった形で描かれることも。 如意宝珠の「如意」は意のままにという意味を持ち「宝珠」は宝物の意味を持っています。 如意は仏教発祥の言葉であることから、如意宝珠は仏教における宝物です。 また、サンスクリット語では、思考を意味する「チンタ」と、珠を意味する「マニ」を組み合わせて「チンターマニ」と呼ばれています。 仏教では、感情や感覚を苦と取るか楽と取るかを左右するのは思考であると考えられており、思考を変えることで苦から楽に変えられるとされています。そのため、思考の珠であるチンターマニは世界を変える力を持つ宝といわれるようになりました。 如意宝珠は龍王の脳からとれる珠で、龍の神通力の源とされています。 思考が存在するとさまざまな煩悩が生まれてしまうため、龍は如意宝珠を手元に置いている限り悟りを開けないのです。仏教では成仏を願う龍女が釈迦に如意宝珠を奉納して悟りを得たという話もあります。 昇り龍の掛軸はいつ掛ける? 昇り龍の掛軸は古くから日本で描かれてきた作品です。 力強く天まで昇っていく龍の姿には大願成就の願いが込められ、縁起物として人気を集めています。 登龍門の話とあわせて、子どもの健やかな成長や将来立身出世できるようにと願いを込めて、端午の節句に掛けられることもあります。 こうした前向きな意味が込められている昇り龍の掛軸は、季節を問わず飾れるため、お気に入りの昇り龍の掛軸を見つけたら年中掛けとして利用するのも良いでしょう。また、お祝い事や縁起物としてもお勧めです。 毎日見る掛軸なら、昇り龍のパワーをもらえる 龍は水神の一種とされており、起源は中国で日本では弥生時代にすでに伝わっていたと考えられています。 その後日本に入ってきた仏教は、インド神話に登場する蛇の精霊ナーガを守護神としていたことから、現代における日本の龍神は、中国の龍とインドの龍のイメージが混ざり合ったものと考えられるでしょう。 神様として崇められている神聖な龍を描いた作品は多く存在します。 その一つが昇り龍の掛軸。昇り龍の掛軸には、勝負運の上昇や立身出世、大願成就など縁起の良い意味が込められています。 龍がモチーフの絵は季節問わず飾れるため、年中掛けとしても利用しやすいといえるでしょう。お気に入りの昇り龍の掛軸を見つけたら、普段飾っておく掛軸の1つとして手元に置いておくとよいでしょう。 また、勝負事やお祝い事の際にも飾っておける掛軸なので、慶事掛けとしても飾ることができます。 このように飾って楽しむ機会の多い昇り龍の掛軸は、掛軸文化にあまり触れてこなかった方でも親しみやすい作品。 毎日目にする掛軸だからこそ、自身の思いや願いのこもったものを飾りたいですね。
2024.10.04
- 掛軸の種類
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掛軸にしたい言葉…お気に入りの言葉をいつも目に入る場所へ掛けよう
自分でつくる掛軸の愉しみ 日本の伝統的な芸術作品で古くから愛され続けている掛軸。 有名作家の書画や絵画を飾って楽しむだけではなく、自分で掛軸を書いて飾るのもまた魅力の一つです。 自分で掛軸を書く場合、どのような言葉を選べばよいか迷う人も多いでしょう。掛軸によく書かれている言葉には、禅語や季節の言葉、仏事の言葉などがあります。 掛軸作品をより楽しむために、文字の雰囲気と言葉の意味を理解して、気に入った言葉を掛軸に書いて飾ってみましょう。 どんな言葉を掛軸にする? 掛軸を自分で書くとき、どのような言葉を書けばよいか迷うものです。 見た目のバランスだけではなく、一言一言に込められている意味に耳を傾けてみるのも良いでしょう。 掛軸にはよく禅語が用いられます。 禅語は禅の教えを説いた言葉で、心の動きを知るための大切な言葉です。 そのため、掛軸として飾ることでその意味を自分の中に落とし込み、人生に生かすというのも良いでしょう。 また、禅語には客人をおもてなしする言葉もあるため、シーンに合わせて言葉を選んでみてください。 掛軸にしたい「禅語」 日日是好日(にちにちこれこうにち) 日日是好日とは、毎日が大切な日であるという意味と、その日に起こったことの良し悪しにかかわらずその日をありのままのいい日として受け入れるという意味があります。 どちらも1日1日が大切な時間であることを教えてくれる言葉です。 また、一喜一憂せずひたむきに頑張ることの大切さも説いています。 一期一会(いちごいちえ) 一期一会とは、一生に一度きりの機会という意味です。 一期一会は普段からよく使われる言葉の一つですが、実は茶道が発祥といわれています。 今この瞬間を流れる時間は一生に一度きりであるから、しっかりとおもてなしをするという茶室の主人の心遣いを表す言葉です。 和敬清寂(わけいせいじゃく) 和敬清寂は茶道の心得を示す言葉で、千利休が唱えたお茶の精神としても知られています。 和敬清寂とは、主人と客人がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶の湯の席を清浄にするという意味です。 「和」は主人と客人がお互いに心を開いて相対すること、「敬」はお互いを敬うこと、「清」は心の清らかな状態を、「寂」はどのようなときも動じない心を表しています。 清坐一味友(せいざいちみのとも) 清坐一味友とは、小さな茶室に数人の仲間が集まり、1つの釜の茶を通じてともに味わい、心も一つになったすがすがしさを表す言葉です。 且坐喫茶(しゃざきっさ) 且坐喫茶とは「まあ座ってお茶でも飲んでいってください」と相手の緊張をほぐす意味があります。 掛軸にしたい「季節の言葉」 花知一様春(はなはしるいちようのはる) 花知一様春とは、花が咲いて春になり、やがて月がでて明月の秋となる様子を表す言葉です。 自分自身がそこに無心でいることで、本来の自分になれるという意味合いがあります。 雲悠々水潺々(くもゆうゆうみずせんせん) 雲悠々は雲が空をゆったりと漂い悠然としている様子を表しています。 水潺々は川の水がさらさらとひとときも休まず流れ続けている様子を表現している言葉です。 空には大きな雲が浮かび、小川がさらさらと流れる情景が目に浮かぶ涼しげな禅語で、夏に飾る掛軸としてお勧めの言葉といえます。 山是山水是水(やまはこれやまみずはこれみず) 山是山水是水とは、山は山、水は水とお互い別のものですが、自然を一緒に形成しているという意味があります。 山是山水是水も7月や8月など夏の暑い時期に掛けたい掛軸の言葉です。 山や水の文字から涼しさを感じられるでしょう。 自分は自分で他人にはなれませんが、誰もがありのままの自分で他人と接することでバランスが取れるのだと気づかせてくれる言葉です。 山高月上遅(やまたかくしてつきののぼることおそし) 山高月上遅とは、山が高いと月が昇るのも遅いが、高い山を昇りきった月はすでに光り輝いているという意味があり、大器晩成を表現した言葉です。 月が高い山に遮られてなかなか姿を現さないのと同じように、何かを達成するためにはそれに見合った労力や時間がかかります。 しかし、すぐに結果はでなくても諦めずにコツコツと続ければ努力が報われるという考えを表しています。 歳月不待人(さいげつひとをまたず) 歳月不待人とは、その名の通り歳月は人を待ってくれないという意味があります。 日常的にも良く使う言葉の一つで、掛軸としては12月によく飾られます。 歳月は人を待ってくれないため、今を楽しみましょうという意味も込められている言葉です。 12月にこの言葉の掛軸を飾り、今年が終わりに近づいて何かやり残していることはないかと振り返ってみるのも良いでしょう。 「仏事」にふさわしい掛軸の言葉 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) 南無阿弥陀仏は浄土宗、浄土真宗、天台宗などで唱えられている念仏です。 南無阿弥陀仏と唱えると死後に阿弥陀如来が自分のもとを訪れ救いに導いてくれ、極楽浄土を連れて行ってくれるといわれています。 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ) 南無釈迦牟尼仏は曹洞宗、臨済宗、黄檗宗などの禅宗で唱えられている念仏です。 南無は仏様の御心のまま教えに帰依しますという意味があり、釈迦牟尼仏はお釈迦さまを意味します。 つまり、私はお釈迦さまの教えに帰依します、すべてお釈迦さまの御心にお任せしますという意味のお経です。 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう) 南無大師遍照金剛は真言宗で唱えられている念仏です。 大師とは真言宗を開いた空海を表しています。遍照金剛は真言宗の本尊佛である大日如来を表現する言葉です。つまり、私は空海や大日如来の教えに帰依しますといった意味が込められています。 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 南無妙法蓮華経は日蓮宗で唱えられているお経です。 妙法を蓮華によってたとえたお経に心の底から帰依するという意味があります。法事では、南無妙法蓮華経が書かれた掛軸を飾ることもあります。 大切にしたい言葉を掛軸にしよう 絵や書の一つひとつに意味が込められている掛軸は、単なるインテリアではなく、見る人へ気持ちを伝えるための手段でもあります。 茶席で飾られる掛軸には、来客へのおもてなしの心が込められています。 見た目の良さも大切ですが、自分にあった言葉や大切にしたい言葉を選んで飾ることで、より掛軸作品が魅力的なものになるでしょう。 せっかく掛軸を自分で書くなら、言葉の意味を調べてお気に入りの一文を見つけてみてください。
2024.09.19
- 掛軸とは
- 掛軸の種類
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色褪せた掛軸でも買取ってくれる?劣化しても高額査定が期待できるかも
掛軸には風景画や花鳥画、山水画、書画などさまざまな種類があり、好みの掛軸を選んで飾り楽しめる魅力があります。 古くから床の間や茶室に飾られて鑑賞されてきた掛軸ですが、近年は床の間がある家庭も減ってしまい、掛軸を自宅で楽しむのは難しいのではと感じている人もいるでしょう。 しかし、掛軸は必ず床の間や茶室に飾らなければいけないという決まりはありません。 洋室や廊下、玄関、階段など自分の好きな場所の壁に飾って楽しみましょう。 ただし、掛ける場所によっては掛軸の劣化を速めてしまう恐れがあります。 たとえば、直射日光があたる場所に掛けておくと掛軸が日焼けしてしまうでしょう。そのため、掛軸が劣化しない場所を探すことも大切です。 掛軸が色褪せてしまった… 掛軸は紫外線に弱い性質があります。色褪せの原因となるため、直射日光があたる場所は避けて飾りましょう。 太陽光には紫外線・赤外線・可視光線と波長の異なる3種類の光が含まれています。3種類のうち紫外線は、絵の具や染料のインクを退色させてしまう働きがあります。そのため、直射日光にあたる場所へ掛軸を飾っていると日焼けや色褪せを引き起こしてしまうのです。 また、日光があたらない場所に飾っていても日焼けが発生してしまうこともあります。 紫外線とは太陽光線の1つですが、実は蛍光灯といった照明の光にも含まれているためです。 そのため、掛軸を年中かけっぱなしにしていることで、色褪せが起こってしまう恐れがあります。 直射日光があたらない場所でも定期的に掛軸の掛け替えを行い、掛軸の色褪せを防ぎましょう。 掛軸を長く楽しむためには、掛け替えも必要 掛軸は直射日光にあたったり、照明の光を浴び続けたりすると色褪せを起こしてしまいます。 色褪せや日焼けによる劣化を防ぐためにも、定期的に掛軸の掛け替えを行いましょう。 また掛軸は光による色褪せだけではなく、さまざまな要因で劣化してしまいます。 たとえば、湿気も掛軸の状態に大きな影響を与えます。 湿気の多い場所に飾っておくとシミやカビが発生する原因になることも。反対に、乾燥しすぎている場所でも掛軸の折れや割れが発生してしまう可能性があります。 掛軸の品質を低下させてしまう要因はさまざまあり、それらを防ぐためにも定期的な掛け替えが大切。掛け替えにより適切な保存状態を作ることで芸術品としての価値を維持できるでしょう。 また、掛軸の掛け替えは鑑賞を楽しむ手段の一つでもあります。 掛軸には季節掛け掛軸や行事掛け掛軸など、季節や行事によって掛け替えるタイプの作品があります。季節掛け掛軸を四季の移り変わりにあわせて掛け替えることで、自宅に居ながら日本の美しい自然を春夏秋冬楽しめるでしょう。また、行事ごとに縁起の良い掛軸を飾ることで、特別な日をより一層意識でき、行事を家庭や生活に取り入れる楽しさを味わえるでしょう。 色褪せてしまった掛軸は修復できる? 日焼けで色褪せてしまった掛軸を自分で修復するのは難しいです。 掛軸は繊細な芸術作品のため、経験や技術のない素人が見よう見まねで修理を行ってしまうと、かえって掛軸の状態を悪化させてしまうリスクがあります。 掛軸修理の専門家が修復を行う際は、色止めと呼ばれる工程を初めに行います。 色止めとは、特殊な薬品を用いて絵の具や墨の色褪せや変色を停止させる作業です。色止めにより作品の色褪せを防ぎ、掛軸の図柄を長く楽しめるようになるでしょう。 プロの修理業者に任せると、掛軸のシミやシワ、折れ、変色、破れなども修復可能です。 シミ抜きは水洗浄もしくは薬品を使用して行われます。 折れやシワの修復は、裏打紙をはがして本紙に水分を与え、再度裏打を行うことで修復可能です。変色の修復は着色によって行います。破れの修復は裏から紙をあてて補修を行いますが、損傷が大きい場合は分解や表装のやり直しなどが必要です。 色褪せた掛軸も価値があるかも?まずは買取相談を 色褪せや日焼けが気になる掛軸も買取相談は可能です。 掛軸が傷んでしまったからといって、諦める必要はありません。 ただし、色褪せを放置してさらに損傷が広がってしまえば、掛軸の価値はどんどん下がっていってしまいます。 そのため、まずは直射日光のあたらない場所に掛け替えたり、ほかの掛軸と掛け替えを行ったりして、これ以上日焼けや色褪せが進行しないようにすることが大切です。 掛軸の色褪せや日焼けは、日光だけではなく、照明の光でも引き起こされます。そのため、掛軸を年中かけっぱなしにしておくのは避け、複数の掛軸を定期的に掛け替えて日焼けを防ぐようにしましょう。 また、買取前に色褪せやシミなどを補修しておきたいと考える場合もあるでしょう。 しかし、修理を行うことでかえって価値を下げてしまう可能性もあります。 そのため買取査定に出す予定がある場合は、先に修理を行わずまずはプロの査定士に相談してみると良いでしょう。 先に修理をしてしまうと、買取費用より修理費用の方が高くついてしまうことにもなりかねません。せっかく買取に出すならきれいな状態に戻したいと考えますが、修理を急がず現在の状態の価値を確認しましょう。
2024.09.19
- 掛軸 買取
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作者不明の掛軸でも買取してもらえる?高額査定に期待できるポイントとは
掛軸は日本の歴史の中で長く親しまれてきた芸術品です。 自宅の床の間に飾って楽しむ人もいれば、自宅で保管していた掛軸を手放すことを考えている人もいるでしょう。掛軸の査定を考えたときに、確認しておきたいのが掛軸の作者です。 有名作家の作品であれば高価買取の可能性もあるため、事前に誰が描いた作品なのか知っておきたいと考える人も多くいるでしょう。 有名な作家であれば、署名や落款を目にしたことがある可能性も高く、調べずともわかる場合があります。しかし、掛軸作家に詳しくない場合や署名や落款印がかすれて読み取れないなどの場合は、作者を調べる必要があります。 署名や落款印をヒントに作家を調べるのは時間がかかるうえに、素人目では判断が難しい場合もありますが、調べ方を知っておくことで、高価買取の可能性が広がるでしょう。 掛軸の作者が分からない…どうやって調べる? 自宅の押し入れや倉庫の大掃除をしているときに掛軸が出てくることもあるでしょう。 しかし、落款や署名が誰のものなのかわからない、掛軸が古く落款や署名がかすれて読み取れないこともあります。前者であれば自分で調べることが可能です。自宅に保管してあった掛軸がどの作家が描いたものか知りたいときや、買取を依頼する前に作家を調べておきたいときなどは、署名や落款を調べることで作者がわかる可能性があります。 掛軸の署名で調べる 掛軸の作者の調べ方として、署名を確認する方法があります。 署名とはいわゆるサインのことで、作品が完成した際、主に筆で描きます。 署名を読み取れれば、誰が描いた作品か確認が可能です。 掛軸の落款で調べる 掛軸の作者は落款からも調べることが可能です。 落款とは落成款識の略語で、作家が書き上げた書画や絵画に押された雅号の印を指します。さらに細かくいうと以下のような意味があります。 ・書画や絵画作品における筆者の姓名や字号の署名 ・書いた年月日や場所 ・書いた理由や依頼主の情報 ・何を書いたかの情報 ・書いた方法や種類 ・雅号の押印 落款の目的は誰が書いた作品かを示すことです。また同時に作品の芸術性を高める役割も担っています。そのため、落款は位置や大きさ、太さなどに気を配って押されるのです。 落款印は日本の作品と中国の作品で意味合いが異なります。日本では落款印を作者のサインや作品が完成した証明として扱います。しかし、中国では落款印そのものにも芸術的な価値があるとされているのです。 中国の掛軸には落款印が一つだけではない場合があります。中国掛軸は、作者だけでなく所有者も落款印を押すのが特徴的です。 所有者が落款印を押すことで、過去に誰が所有していたかを示す役割があります。つまり、中国掛軸では落款印がたくさん押されているほど多くの所有者の手に渡った作品といえるでしょう。そのため、落款印の数が掛軸の価値にも影響します。 中国の掛軸は落款印が複数押されている場合が多いため、所有する掛軸の作者を知りたい場合は、どの落款印が作者のものかを調べる必要があります。そのため、日本の掛軸よりも調べるのが大変な場合があるでしょう。 掛軸の箱書きで調べる 掛軸が古くなり、そもそも署名や落款がかすれて読み取れないこともあります。 その場合は、掛軸本体ではなく、箱や同梱されている書類などに署名や落款印がないか確認してみましょう。もし、署名や落款印があれば掛軸の作者である証明となるため、そちらをインターネットや書籍で調べていきます。 掛軸が保管されている桐箱は掛軸の保存や買取の際だけではなく、このように作者を調べる際にも役立ちます。そのため、処分はせず必ず掛軸とセットでとっておくようにしましょう。 インターネットや本で調べる 掛軸の署名の調べ方として、インターネットで調べる方法や、図書館で辞書や図録を確認する方法があります。 近年、インターネット上で美術品の落款や署名を集めたデータベースのようなWebサイトがあります。ただし、会員登録をしないと利用できない場合も。 ネット上で調べる際は、作者が誰かわかっている状態で署名や落款を調べるという使い方が向いています。署名や落款を手掛かりとして作者を調べるという使い方は難しいでしょう。 あるいは、作者が有名な作品であれば、掛軸作品の画像をチェックして、同じ署名や落款を見つける方法がとれます。 しかし、いずれにせよ一般の方がインターネットで作者を調べるのは時間がかかるといえるでしょう。また、インターネットの情報は発信源がわからないものも多く、信用性が低い点にも注意が必要です。 辞書や図録を用いれば、掛軸に書かれている署名や押されている落款印がどの作者のものであるか確認することが可能です。 書店では辞書や図録などの書籍が販売されていない可能性もあるため、規模の大きな図書館で調べてみましょう。 辞書や図録は情報の信用性が高いメリットがあります。辞書や図録の中には、掛軸研究を行っている学者がまとめた書籍もあります。また、学術論文からも探すことも可能です。そのため、精度の高い情報を入手することができるでしょう。図書館に出向いて調べる必要がありますが、作者を確実に知りたい方は、辞書や図録の利用がお勧めです。 作者不明の掛軸でも買取してもらえる?安易に手放さず、まずは相談を! 掛軸の作者がわからないときは署名や落款印、箱書きなどが手掛かりになります。 作者名が分かれば高価買取も期待できますが、掛軸は作者が不明だからといって買取してもらえないわけではありません。 作者を見つけられなかった場合はプロの査定士に調査を依頼するのも一つの手段です。 素人目では作者の判断が難しくても、プロの査定士に調べてもらうことで作者が判明するかもしれません。 そのため、作者不明の掛軸でも高価買取してもらえないと諦めずに、まずは相談してみると良いでしょう。
2024.09.17
- 掛軸 買取
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縁起のいい鯉の掛軸を鑑賞しよう
鯉は古くから縁起が良いとされ好まれてきた題材で、掛軸としても長く楽しまれてきました。 鯉が滝を登る姿や飛び跳ねる様子と水しぶきなどが、自然の美しさも感じさせてくれる作品です。 鯉の掛軸にはさまざまなシチュエーションを用いた作品があります。それぞれに意味が込められているため、鯉の掛軸を鑑賞する際は作品そのものの美しさに触れるだけではなく、描かれた意味にも心を傾けてみることで、より芸術作品としての魅力を感じられるでしょう。 縁起の良い「鯉」は掛軸でも人気 鯉が題材になった掛軸は現代でも人気のある作品の一つです。 鯉の滝登りや跳鯉、登竜門など画題はさまざまで、2匹の鯉が対になって泳ぐ遊鯉の画題も人気があります。 鯉の掛軸は縁起が良いとされており、さまざまな意味が込められています。 たとえば、鯉が滝を登る姿は鯉の力強さを感じさせてくれるとともに、滝を登った鯉はやがて龍になるという伝説があり、立身出世や金運上昇、商売繁盛などの意味が込められている掛軸です。 激流を鯉が登る姿は、さまざまな障害を乗り越えることや勢いがあることを意味し、目標を達成する強さ、勇気、忍耐力なども表現しています。また、子どもが滝を登る鯉のようにたくましく育つようにと願いを込めて、出産や入学などのお祝い事で飾られる場合もあります。 鯉の滝登りの起源は古代中国とされており、「急流の滝を登る鯉は、登竜門をくぐり天まで登って龍になる」という登竜門の故事から伝わりました。 この伝説の影響を受け、日本でも立身出世の象徴として盛んに鯉の絵画が描かれるようになったといわれています。 また、鯉はなわばりをもたない魚で、けんかをせず穏やかに泳いで暮らすことから、2匹が対になって泳ぐ遊鯉の掛軸は、夫婦円満・家庭円満の意味が込められている画題でもあります。 そして、松と鯉を組み合わせて描かれた掛軸も多く存在します。 「松鯉」と書いて「しょうり」と読めるため、勝利につながる縁起の良い画題とされています。そのため、勝負事の運気上昇や受験合格などの時期によく飾られる掛軸です。 同じ鯉の滝登りという画題でも、作家によって表現方法がさまざまである点も、鯉を題材とした掛軸作品の魅力といえます。 鯉は端午の節句でも掛軸として掛けられる 鯉の掛軸は端午の節句でもよく掛けられている作品です。 端午の節句とは、毎年5月5日に男の子の誕生を祝うとともに健やかな成長を祈る行事です。 古代中国では月と日に奇数の同じ数字が入ることを忌み嫌っており、重なる日の邪気を祓うためのさまざまな行事が存在しました。 端午は、はじめの午の日を意味しており、「午」を「ご」と発音することもあるため、数字の五と混同され、日本では5月5日に端午の節句として厄除けの儀式を行うようになったといわれています。 端午の節句では五月人形を飾ったり、鯉のぼりをあげたりします。 鯉のぼりをあげる理由と鯉の掛軸を飾る理由は共通のものです。 鯉が急流の滝を登り切り、天まで昇ると龍になるという中国登竜門の故事の言い伝えがあります。この言い伝えから鯉は生命力の強さと立身出世を象徴しているのです。 そのため、男の子の健やかな成長を願う端午の節句で縁起が良いとされる鯉のぼりがあげられたり、鯉の掛軸が飾られたりするようになりました。 また、鯉の掛軸には、鯉と金太郎がセットになって描かれている「鯉金(こいきん)」と呼ばれる作品があります。 鯉金は伝統的な画題で、江戸時代から男の子の立身出世や身体堅固の願いを込めて描かれてきました。 鯉を描いた有名作家とその作品 鯉を題材にした掛軸は縁起が良いとされ古くから描かれており、現代でも人気のある作品です。 鯉の掛軸は多くの作家が制作しており、鯉の滝登りや遊鯉など同じテーマであったとしても、まったく異なる雰囲気をもつ作品に仕上がっている特徴があります。 鯉の掛軸は、絵のタッチや表現方法だけではなく、鯉の構図にも注目して鑑賞してみましょう。作家によってさまざまな構図から描かれた鯉は、一つひとつ違った魅力を感じられるといえます。 森田光達 作家名:森田光達(もりたこうたつ) 生没年:1898年-1976年 森田光達は鯉の絵を得意とする日本画家で、鯉の光達とも呼ばれています。 1898年に鳥取県淀江町に生まれました。1918年に京都へ上り、戸島光阿弥に教えを受け、漆画を習得しています。 鯉を描いた作品は、『躍鯉』『松鯉』『双鯉図漆絵』などがあります。 立身出世や繁栄の象徴とされてきた鯉は、掛軸にも多く作品があり、端午の節句掛けとしてはもちろん、年中掛けとしても鑑賞されています。とくに『躍鯉』は男の子の健やかな成長を願う端午の節句への願いが込められた作品であるといえるでしょう。 森田光達が描く鯉を題材とした作品は、鳥取県立博物館や米子市美術館などに収蔵されています。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 生没年:1733年-1795年 円山応挙は日本写生画の祖と呼ばれる有名な画家です。 円山応挙も鯉の絵画を描いています。 円山応挙が描いた『龍門鯉魚図』は、鯉の滝登りの絵画の一標範になったといわれている作品です。 墨の濃淡を活用して鯉の体の立体感やうろこの質感を表現している点も魅力の一つですが、この作品の見ごたえは斬新な構図にあります。 『龍門鯉魚図』は独特なアングルで描かれており、滝を登る鯉の背中を真上から見た様子が描かれています。 一般的に、滝を眺めるときは滝壺近くから滝を見上げるか、崖の上から滝を見下ろすことになるでしょう。 しかし、円山応挙が描いたのは滝の中腹を駆け登る鯉の背中をまっすぐに見た図。 通常であれば空に浮かんでいない限り見られない構図といえます。 日常生活では見ることが叶わない斬新な視点から描かれたこの作品は、現代だけではなく当時の人々をも新鮮な驚きに包んだことでしょう。 また『龍門鯉魚図』はもともと2つの掛軸を対にして掛けることを意図して制作されています。 縁起物として、涼しげな姿として、鯉の掛軸は楽しまれている このように鯉は縁起の良いものとされ、掛軸にも多くの作品があります。 端午の節句に飾る行事掛けとしても利用でき、年中掛けとしても楽しめるでしょう。 また、滝の涼しげな図柄から夏の季節掛け掛軸としても人気を集めています。 鯉の生き生きとした動きや色彩、水面に描かれた波紋は見るものの心を引き込みます。 縁起の良い鯉の掛軸には金運上昇、商売繁盛などの願いも込められており、美術的な価値だけではなく心に温かい感動と幸福感をもたらしてくれる作品といえるでしょう。
2024.09.17
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色鮮やかで美しい孔雀を題材とした掛軸
掛軸の題材としても特に目を引く美しさの孔雀。 圧倒的な美しさで人々を魅了してきた孔雀は、多くの著名作家によって描かれています。 神秘的な姿が魅力の孔雀は古くから日本芸術の画題として扱われてきました。孔雀はギリシャ神話で女神ヘラの象徴といわれ、仏教の世界では孔雀明王といわれています。またインドでは国鳥になっています。 世界中で時代を超えて人々の視線を集めてきた孔雀が、日本にもたらされ芸術作品に取り入れられていった軌跡を辿ってみましょう。孔雀の歴史や魅力を知ることで日本の美術作品の楽しみ方も増えるかもしれません。 孔雀はいつから日本にいた? 生きた宝石ともいわれる美しい鳥「孔雀」の絵が日本に入ってきたのは飛鳥時代といわれています。 日本書紀の記録によると、598年に朝鮮半島の新羅から推古天皇のもとへ献上品として孔雀が贈られました。 以来、日本で孔雀は仏教彫刻や仏教絵画として表現されてきました。 たとえば、狩野派発展の基礎を確立したとされる狩野元信は『四季花鳥図屏風』のなかで四季折々の花と一緒に艶やかな孔雀を描いています。 江戸時代に入ると、絵師たちは鶏や鶴など日本に生息する鳥以外にも孔雀やオウムなど舶来の鳥をモチーフに絵画を制作するようになりました。 孔雀は花鳥画の一部としてだけではなく、日本絵画の主役としても描かれるようになっていきます。 孔雀を主題として描いた有名作品の一つに、尾形光琳が描いた『孔雀立葵図屛風』があります。 江戸時代後期になると、写実派の絵師である森狙仙が印象的な孔雀の絵を描きました。 森狙仙といえば「猿描き狙仙」と称されるほど生き生きとした猿の絵を描くことで有名ですが、この写生に重きをおいた彼の画風は、孔雀をはじめとするほかの動物の絵画においてもその技術を存分に発揮しています。 縁起物としての孔雀 鮮やかで美しい羽根が印象的な孔雀は、生命力が強い鳥といわれており、毒蛇や害虫すらも食べてしまうといわれています。そのため、古来より孔雀は、邪気を払う鳥として信仰されてきました。 また、繁殖力も高いため子孫繁栄の意味をも持っている鳥です。そのため、結婚式用の着物には孔雀の柄がよく利用されています。 古くから不滅のシンボルとして世界中で崇められるとともに、孔雀の美しい羽と優雅な姿は富をイメージさせ、繁栄をもたらすとされてきました。特にインド文化では孔雀が富と吉祥の象徴とされており、寺院や宮殿の装飾や祭りでよく使用されています。 キリストの聖書では、扇のように広げられた孔雀の飾り羽は太陽を表しており、神の象徴として扱われています。また古代ギリシャ人は孔雀の肉は死後も腐らないと信じていたため、孔雀は不死の象徴となりました。 有名作家も描いた、美しい孔雀 飛鳥時代に日本へ伝わってきた孔雀は、多くの掛軸作家によって描かれています。 世界中の人々を魅了する孔雀を日本作家はどのように描き、表現しているのか気になるところです。また作家の画風や特徴が反映された孔雀画を見比べて鑑賞してみるのもよいでしょう。 有名作家が描いた孔雀作品を知り、孔雀掛軸の鑑賞の楽しみ方を見つけてみましょう。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『牡丹孔雀図屏風』 生没年:1733年-1795年 円山応挙は日本写生画の祖といわれている画家で、江戸時代の半ばに京の都を活動の場としていました。 円山応挙が描く多くの作品は、優れた写生技術と余白の空間意識が見事に表現されています。 数多くの名作を生み出した円山応挙は、孔雀の絵を描いていることでも有名。円山応挙が描いた『牡丹孔雀図屏風』には、雄孔雀が太湖石に立ち美しい飾り羽をたらしている様子と、そのそばに歩み寄る雌孔雀が描かれています。 円山応挙は狩野派や舶来玩具に使われていた西洋の遠近法や陰影法、さらには中国の写生的な花鳥画に学んだ南蘋派などさまざまな画風から学び、絵の技術を磨いていきました。『牡丹孔雀図屛風』も円山応挙の高い写生技術と装飾的な画風が魅力を呼び、人々から人気を集めていました。 作品を細かくみていくと、雄孔雀の首から胸元にかけては羽毛が詰まって膨らんでいるような表現が、絵具をあまり盛らずに表現されています。 飾り羽は重なりを表現するかのように、下から繰り返し線を重ねて描かれているのが分かります。 これらの高い絵の技術により、量感や質感が巧みに表現されているのが魅力といえるでしょう。 長沢芦雪 作家名:長沢芦雪(ながさわろせつ) 代表作:『牡丹孔雀図』 生没年:1754年-1799年 長沢芦雪は20代後半で奇想の画家と呼ばれ、人気絵師として多くの有名作品を残しています。 そしてその長沢芦雪もまた迫力のある孔雀の絵を描いています。 『牡丹孔雀図』は、孔雀の羽の質感を表現しているかすれた墨線や、意識的に形をゆがませている玉模様、水墨画のにじみによりリアリティのある岩など、長沢芦雪の形態感覚や運動感覚が活かされた作品です。 空中には紋白蝶が飛んでおり、牡丹の花弁や地面に小さな蟻や蜘蛛まで描かれています。 随所に繊細な長沢芦雪の絵画技術がみられる『牡丹孔雀図』は、すみずみまで鑑賞したい作品といえるでしょう。 伊藤若冲 作家名:伊藤若冲(いとうじゃくちゅう) 代表作:『孔雀鳳凰図』 生没年:1716年-1800年 伊藤若冲は江戸時代に活躍した画家の一人。 独学で絵を学び、1800年に84歳で亡くなるまで多くの名作を生み出し続けました。 伊藤若冲作品の魅力は、卓越した技巧から生み出される色彩豊かで綿密な描写と、どこか超現実主義を思わせるような幻想的な表現力です。 斬新な発想力や常識に捉われない画法が今日まで多くの人を魅了しています。 伊藤若冲は動物や植物などの自然を題材にした作品を多く残しており、孔雀を題材にした作品も描いています。 『孔雀鳳凰図』は伊藤若冲の生誕300年にあたる2016年に発見された絵画です。 42歳前後に制作された絵といわれており、伊藤若冲の画風がまだ成熟する前の時期にあたります。そのため、この作品からは初々しさが感じられるものの、細部まで綿密に描かれた描写が魅力的な作品であるといえるでしょう。 縁起の良い孔雀掛軸を観賞しましょう 鮮やかで大きく広がった羽が印象的な孔雀を題材とした作品は、日本でも多く描かれており、写実的な作品から色鮮やかで幻想的な作品までさまざま。現に、孔雀を題材とした掛軸も多く残されています。 孔雀の幻想的な姿は、現在に至るまで多くの絵師たちの創作意欲を掻き立て、今もその作品は多くの人を魅了し続けています。 孔雀は古くから世界中で縁起の良い鳥とされ、子孫繁栄の意味や不死の象徴、富と繁栄をもたらすなどといわれてきました。 日本の絵師たちが描いた孔雀作品を鑑賞するとき、孔雀の絵に込められた意味や思い、歴史を想像して見ると、より一層深く作品を堪能することができるでしょう。
2024.09.17
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