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書画掛軸買取なら | 日本・中国の有名作家がのこした書画も多数
毛筆で描かれた絵や書が一緒になった掛軸作品を美術館や博物館で見かけたことがある人も多いでしょう。 これらは書画と呼ばれ、古くから中国や日本で親しまれてきた芸術作品の一つです。 書画掛軸は歴史的価値が高く、作品や作家によっては高価買取が狙える作品といえます。 書画掛軸の価値をあらためて再認識するためにも日本や中国で描かれた書画の特徴や歴史を学びましょう。 書画とは 書画とは、毛筆で描かれた文字や絵の作品を指します。 書画は、文字だけが書かれた作品、絵だけが描かれた作品、書と絵の両方が描かれた作品の大きく3つの形に分かれています。主に中国や日本などの東アジア周辺諸国で発展していったジャンルです。 また書画作品は掛軸や巻物、書籍、屏風などに表装されるのが基本の形です。そのため、鑑賞目的ではない手紙や書簡は書画に該当しません。 ただし、もともとは鑑賞目的ではなくとも、書かれたのちに表装され飾られることもあります。歴史上の有名な人物が書いた書簡や、有名な人物に宛てられた手紙は歴史的価値が高いとされ、のちの時代で表装される場合があるのです。 資料としての価値のみの場合は古文書に分類されますが、芸術的・骨董的価値があると判断し、鑑賞を目的とすれば書画に該当する場合があります。 書画の中でも書と絵の両方が描かれた作品でよく見られるのは、描かれている絵画にちなんだ漢詩が書かれている作品です。 掛軸として表装されている作品を詩画軸または詩軸と呼びます。 書と絵の両方が描かれる書画は、作家自身が書を書き込む場合と、鑑賞した人が賛を送るために絵画に書を書き込む場合の2通りです。後者は画賛とも呼ばれています。 画賛は掛軸作品だけではなく、やまと絵や水墨画、肖像画などあらゆる絵画の余白部分に書き込まれる書です。 文字通り絵画に対して賞賛を送る目的で書かれるのが一般的ですが、絵に合わせた漢詩や和歌、俳句が後から書かれる場合もあります。 書画の歴史 書画は中国が起源とされています。 中国には詩書画一致や書画同源といわれる考え方があります。 詩・書・画はお互いに深い関係性でつながっており、3つが一体となって歴史を作ってきました。日本の書画は中国の作品に大きな影響を受けているため、奈良時代には釈迦の生涯と前世の物語を下方半分に書き、上方半分に物語をわかりやすく絵画で描いた『絵因果経』と呼ばれる絵巻物が制作されています。 『絵因果経』は日本に現存する一番古い絵巻物とされており、釈迦の生涯と前世の物語を描いた作品です。同じ画題の絵巻物は奈良時代以降も複数制作されています。 また書のみが書かれた書画作品も起源は中国にあります。 日本には仏教の教えとともに持ち込まれました。 仏教では経典を書写する写経と呼ばれる修行があり、墨で文字を美しく書くためとして書画が受け入れられたと考えられます。 その後、書は実用性だけではなく筆や墨の繊細な手法を用いて豊かな表現ができると広まり、芸術の一つとして捉えられるようになりました。 平安時代には『源氏物語』や『枕草子』、『伊勢物語』などさまざまな絵巻物が制作されています。 平安時代の絵巻物は、当時の中国から伝わった唐絵を日本独自にアレンジしたやまと絵で描かれました。 平安時代の絵巻物は、歴史的価値の高い作品として現代まで作品の内容が受け継がれています。 鎌倉時代には禅宗とともに水墨画が中国から日本に伝わってきました。 この時代から日本でも水墨画や墨彩画に書を入れた書画作品が多く輩出されています。 安土桃山時代から江戸時代にかけては、多種多様な画風の流派が多く誕生しています。 たとえば、やまと絵と水墨画を融合させ屏風や襖などに豪華絢爛な絵を描く狩野派や、同様に水墨画を基礎とした琳派、円山派、南画などです。水墨画に書を書くスタイルの作品が確立され、現代まで同様のスタイルが続いています。 特に有名な書画掛軸の作品や作家たち 中国や日本をはじめとした東アジア諸国で盛んに描かれていた書画掛軸。 もともと鑑賞用ではない手紙や書簡も、掛軸として表装され書画としての価値が生まれることもしばしばありました。中国や日本は書画掛軸を制作する有名な作家を多く輩出しています。 呉鎮(ご ちん) 作家名:呉鎮(ご ちん) 代表作:『洞庭漁隠』『蘆灘釣艇図巻』 生没年:1280年-1354年 呉鎮は元時代に活躍した中国の文人画家です。 黄公望・倪瓚・王蒙と並ぶ元末四大家の一人としても有名なため、名前を耳にしたことがある人も多いでしょう。また、元の山水画様式を確立させた人物でもあります。現在の浙江省嘉興市嘉善県である嘉興府嘉興県魏塘出身で、字は仲圭、号を梅花道人・梅花和尚といいます。 呉鎮は漢詩や書にも通じていましたが、一生のうちに仕官することなく易卜(えきぼく:易を使用した占い)や売画を行ったり、村塾を開いたりして生活を送っていました。 決して裕福ではありませんが、世俗を離れた生活を楽しんでいたとされています。 五代南唐・宋初の画家である巨然の点描法を学び、墨で竹を描く墨竹は北宋の文人である文同から学びを得ています。 雪舟 作家名:雪舟(せっしゅう) 代表作:『破墨山水図』 生没年:1420年-1506年 雪舟は室町時代に活躍した日本の水墨画家です。 10歳のころに禅宗の僧侶となるために臨済宗の寺院に預けられ、その後は相国寺にて修行を行っています。相国寺には室町幕府の御用絵師であり、日本の水墨画を代表する画僧の周文がいました。 当時から絵を描くことが好きだった雪舟は、周文から水墨画を学び才能を開花させていきます。 京都で名の知られた水墨画家となった雪舟は、日本での学びだけでは足りず、中国で本格的な水墨画を学びたいと考えるようになりました。 山口の守護大名大内氏の庇護を受けていた雪舟は、48歳のときに明と交易を行う船に同乗させてもらえることになり、待ち望んでいた中国での修行を開始します。中国各地を旅して幽玄で美しい風景を写生したり、本場中国の名画を模写したり、技術や感性に磨きをかけていきました。 やがて雪舟の作品は明でも評価されるようになり、天童山第一座の称号を取得しています。 以後の雪舟作品には天童山第一座の称号が書き入れられています。 2年の修行を終え帰国した雪舟でしたが、京都は応仁の乱により焼け野原となっていました。そのため雪舟は全国を旅しながら創作活動を続け、周防国や豊後国、石見国、美濃国など場所を転々としながら明の水墨画に独自の手法を取り入れた画風の作品を制作し続けました。 画家としての創作意欲は80代半ばを過ぎても衰えることを知らず、1506年に描いた山水画を生前最後の絵として87歳の生涯に幕を閉じています。 雪舟が描いた作品の一つである『破墨山水図』は、雪舟が描いた絵に対して6人の有名な詩僧が詩を書いた書画です。抽象的な風景表現が特徴的で、墨面のいきいきとした表情が楽しめます。 富岡鉄斎 作家名:富岡鉄斎(とみおかてっさい) 代表作:『楽此幽居図』『仙縁奇遇図』 生没年:1837年-1924年 富岡鉄斎は明治・大正時代の文人画家であり儒学者です。 世界的に評価されている近代日本画家であり、日本最後の文人とも謳われています。 遺作展は日本のみならず、イギリスやフランス、イタリアなどの西欧諸国からアメリカやブラジルなどの諸外国で開催されるほど世界的に人気の高い画家です。しかし、富岡鉄斎自身は生涯儒学に力を注ぎ、自らを画家と呼ぶことを嫌っていたとされています。 町人道徳哲学を家学とした家系に生まれた富岡鉄斎は、幼いころより町人道徳哲学を学び、少年のころに家を出て六孫王神社に弟子入りしています。 修業時代は儒学を学びつつ、大角南耕と窪田雪鷹から画の教えを受けていました。 師は自由な流派であったとされ、富岡鉄斎はやまと絵、琳派、浮世絵、大津絵などの学びを得たとされています。この学びが富岡鉄斎の描く作品に影響しているといえるでしょう。 書画掛軸の買取を相談してみよう 書のみの作品や絵のみの作品、書と絵が融合した作品のどれもが書画と呼ばれます。 また書画の特徴として、絵を描いた作家自身が書も書く場合と、絵を鑑賞した人が賛として書を書き入れる場合の2パターンがあります。 どちらも作品によっては高価買取が可能です。自宅にある書画の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士に査定を頼みましょう。 査定を依頼する際は修繕を行わず、そのままの状態で出すことをお勧めします。作家や真贋が不明な場合でもまずは気軽に相談してみましょう。
2024.09.15
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肖像画掛軸の買取なら | 有名肖像画や歴史的価値の高いものまで
特定の人物をモデルとして描かれた肖像画。肖像画掛軸の中には歴史的価値が高い作品も多く存在します。 日本の名だたる戦国武将も肖像画として多く残されており、作品から歴史的背景を知ることもできるでしょう。 肖像画掛軸の高価買取を狙うのであれば、肖像画の背景や歴史、作品のモデルについて知ることも大切です。肖像画掛軸への知見を深めてさらなる魅力を発見しましょう。 肖像画とは 肖像画とは絵画ジャンルの一つで、特定の個人をモデルにした作品を指します。 描かれ方は多種多様で、モデルを見たまま写実的に描かれる場合もあれば、理想化されたり戯画化されたりして描かれる場合もあります。 肖像画はさまざまな表現方法で特定のモデルを引き立たせることも魅力の一つです。 肖像画が描かれ始めたのは古代エジプトといわれています。 当時のエジプト・アル=ファイユーム地方には、葬儀の様子を描いた一般人の肖像画が残されています。 この肖像画はフレスコ画以外では古代ローマ時代から残っている唯一の絵画です。 古代から描かれていた肖像画ですが、4世紀末にキリスト教がローマ帝国の国教となった際、人間は神より劣るというキリストの教えにより特定の個人をモデルに描かれる肖像画の文化は一時的に廃れてしまいました。 その後、14世紀ごろに王侯や高位聖職者など高貴な身分の人々が画家に自分の肖像画を描くよう依頼し始めるようになります。 15世紀に入ると「古代の再生と人間性の復活」をスローガンにしたルネサンスの思想が広まり、さらに肖像画の制作が活発に行われました。芸術作品の一つとして独立した分野となった肖像画は多くの貴族たちをモデルに描かれていくようになります。ルネサンス時代が終わりバロック時代に移り変わっていくと、肖像画は一般庶民の間でも制作されるようになりました。また肖像画のジャンルも多様化し、宗教画の聖人にモデルの特徴を入れ込む肖像画や風俗画風の肖像画なども描かれています。 また、日本の肖像画としては『唐本御影』が有名です。 『唐本御影』は聖徳太子を描いており、日本で初めて描かれた肖像画といわれています。日本の旧一万円札に描かれていた聖徳太子、というとイメージがつく人も多いのではないでしょうか。 日本の絵画は中国からの影響を強く受けており、『唐本御影』も唐時代の肖像画の伝統を引き継いでいます。衣文に沿って薄く陰影があるのが特徴的で、この画風は中国で六朝時代(222年~589年)の肖像画に見られるのと同じ特徴です。 このほかにも歴史に名を残す戦国武将や、天皇、僧侶などの肖像画が国内でも数多く残っており、その面影を肖像画から伺い知ることができます。 肖像画掛軸の歴史 東洋や日本でも肖像画は古くから描かれてきました。 特に中国では早くから肖像画が絵画の主要ジャンルとして確立されています。 日本の絵画は中国絵画の影響を強く受けていますが、肖像画もその一つです。 平安時代までは礼拝用の絵画として制作され、その後は絵画や彫刻に神仏や人の姿を表す御影像が生まれました。西洋の肖像画は威厳を擬人化させた作品が多いのに対し、日本の肖像画は描かれた人の霊力がこの世に及ぶよう期待が込められていたり、親に対する親愛の情を表したりするために描かれていました。 肖像画掛軸は鎌倉時代から普及した 日本の肖像画掛軸は、鎌倉時代に中国との禅僧の往来が盛んになった時期に水墨画や掛軸とともに広く知れ渡りました。 禅宗は悟りの法を師匠から弟子へ教える流れを重視するため、師匠の法を受け継いだ証明のために弟子に贈る師匠の肖像画「頂相」や、禅宗の始祖である達磨大師をはじめとした祖師像の絵画などが日本へ伝わっています。 また、鎌倉時代に日本で広まった水墨画によって、これまでの掛けて拝する仏教仏画の掛軸世界から、山水画や花鳥画など芸術品としての魅力を備えた作品が多く制作されるようになりました。 肖像画に描かれた戦国武将たち 戦国時代の武将も肖像画に描かれています。 有名な武将では何枚も肖像画が残っている人もいるでしょう。肖像画にはいくつか種類があり、モデルとなる武将が生きているうちに描かれた肖像画を寿像といいます。 一般的には本人を目の前にして観察しながら描かれるため、多少の美化はあっても本人に近い絵が描かれるでしょう。 モデルとなる武将が亡くなった後に描かれる肖像画を遺像といいます。 多くの戦国武将の肖像画は遺像であるとされています。描かれる時期はモデルとなる武将によってさまざまで、死後間もない時期に描かれることもあれば、数百年経った後に描かれることも。遺像は一般的に一周忌や三回忌など供養のタイミングで制作されます。 徳川家康三方ヶ原戦役画像 作者:不明 制作年:江戸時代ごろ 徳川家康といえばふくよかな印象がありますが、『徳川家康三方ヶ原戦役画像』では30歳ごろのほっそりとした徳川家康の姿が描かれています。 『徳川家康三方ヶ原戦役画像 』は、1572年に三方ヶ原の合戦で武田信玄に敗れた家康が、この敗戦を肝に銘ずるために敗走時の姿を描かせたといわれています。 そのため、恰幅が良く堂々とした他の肖像画とは異なり、憔悴しきった徳川家康の表情が繊細に描かれているのです。『徳川家康三方ヶ原戦役画像』は別名『しかみ像』とも呼ばれています。徳川家康はこの肖像画を慢心の自戒として生涯座右を離さなかったともいわれています。 また、近年では『徳川家康三方ヶ原戦役画像』を描かせたのは徳川家康自身ではないとされる説も。紀伊徳川家から嫁いだ従姫の嫁入り道具に入っていたことから、尾張家初代の徳川義直が徳川家康の苦難を思い返し忘れないようにと描かせたともいわれています。 松本図書父子肖像掛軸 作者:不明 制作年:不明 『松本図書父子肖像掛軸』は、会津中世の武士である松本氏を描いた肖像画掛軸です。 松本氏は会津中世の武士であり、会津地方の戦国大名である葦名氏の優秀な家臣でした。なお、松本氏の詳細な起源は分かっていません。 鎌倉時代以後、会津に住んでいた武士とされています。松本氏の肖像画掛軸が伝えられている松沢寺は松沢氏が開いたとされ、松本氏の住まいも近くにありました。 『松本図書父子肖像掛軸』は、中世の記録が少ない会津における貴重な絵画資料で、1976年には町指定重要文化財に登録されています。 武田信玄肖像画賛幅 作者:住吉内記広尚 制作年:江戸時代後期 『武田信玄肖像画賛幅』は武田信玄の肖像画賛幅です。 画賛とは画の余白に詩文が書き入れられた人物画を指します。 この肖像画に書かれている「知信仁勇巌」という言葉は、孫子の兵法に書かれている「将とは智信仁勇巌なり」にちなんだ言葉とされています。つまり、大勢を率いる大将は知恵・信頼・情け・勇気・厳しさを持ち合わせている必要があるという言葉です。 甲斐の虎とも呼ばれた戦国武将である武田信玄は、信濃の諏訪氏、小笠原氏を倒し、上杉謙信とも何度も合戦を繰り広げています。 さらに三方ヶ原の戦いでは織田信長・徳川家康が率いる軍に勝利しています。 この強さの秘訣は、勇猛なだけではなく儒学、兵法、詩歌にも秀でていたためとされ、『武田信玄肖像画賛幅』に書かれている詩がその一端をうかがわせるでしょう。 歴史的に価値のある肖像画掛軸を高額買取してもらうなら 肖像画は特定のモデルを描いた絵画ジャンルの一つです。 古代エジプトで制作が始まり、14世紀ごろから王侯や高位聖職者など高貴な身分の人々が、自身の肖像画を描かせたことで盛んになっていきました。 日本では鎌倉時代の水墨画の広がりと同時期に肖像画も広く知れ渡っています。戦国時代の武将たちも肖像画として残っており、今でも歴史的価値が高い作品も多く存在します。 これまで大切にしてきた肖像画掛軸や祖父母から引き継いだ掛軸をお持ちの方で、作品の価値が気になっている方もいるでしょう。肖像画掛軸の買取査定を依頼するなら、長年の査定経験がある専門の査定士への依頼をお勧めします。 名のある武士の肖像画はもちろん、作家やモデルがわからない肖像画でも、まずは一度査定を依頼してみましょう。
2024.09.14
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古筆掛軸を買取してもらおう | 歴史ある美しい日本の書
古筆掛軸には歴史的価値の高い作品も多く存在します。 また有名な作品ほど贋作が多く制作されているため、真贋や価値が気になる場合は査定士への査定依頼がお勧めです。 古筆掛軸の中には高価買取が目指せる作品もあります。 古筆掛軸の歴史的価値を実感するためには、種類や歴史を把握するとともに有名作品の特徴を知っておくことが大切です。古筆掛軸の魅力をより深堀りしていきましょう。 古筆とは 古筆とは、平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様書道の名品を指します。 古来に書かれた筆跡すべてを古筆というわけではありません。また、古筆には、古筆切、懐紙、色紙、詠草、短冊などの形状があります。 桃山時代から江戸時代初期にかけては茶の湯が盛んになり、鑑賞用として古筆の作品が親しまれていました。 当時、巻子や冊子の完全な形で制作された歌集などが多く、古筆を好む人々のために幅仕立に適する大きさに切断され楽しまれていました。 巻子や冊子を切断したものは古筆切や断簡と呼ばれています。 一部を掛軸として飾ることもありました。現代でも同様に断簡は掛軸として親しまれており、切断された当時の地名にちなんで名称がつけられています。掛軸は作品を壁や床の間に飾るだけではなく、作品自体を保護する役割もあります。 古筆掛軸の種類や歴史とは 桃山時代から江戸時代初期ごろ、古筆とされる作品は巻子や冊子として制作されたものが多かったとされています。 主に貴族文化の中で大切に保存、鑑賞されてきましたが、古筆を楽しみたい人々が増えてくると古筆の絶対数が不足したため、切断して一部分ずつを各々が所有し楽しむ手法がとられていったのです。 古筆切とは、和歌の世界でも特に賞賛されている平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた古筆を切断した断片を指します。 これまで茶の湯の席では墨跡を掛けるのが定番とされていましたが、時代の流れにより豊臣秀吉のころには古筆を掛軸として飾ることが好まれました。 さらに時が経ち、明治時代からはより古筆が芸術作品として多くの人に愛されるようになっていき現在に至ります。 古筆の中には、万葉集や古今和歌集、和漢朗詠集などさまざまな歌集があります。 平安時代から鎌倉時代は、万葉仮名からひらがな、またさらに個性のある書体へと変化していた時代であり、優れた能筆家と歌集が登場し名作が多く生まれました。 古筆掛軸の有名作品 歌集の巻物や冊子の1紙もしくは1頁または数行を切断し、掛軸として表装した古筆掛軸。 室町時代以降、茶の湯の席に飾る掛軸として親しまれてきました。 また、歌集だけではなく特定の古写経の断簡も経切れとして鑑賞されていました。 1冊1巻のままでは楽しめる人数が限られていましたが、切断して断簡とすることで楽しめる人数が大幅に増えたといえるでしょう。 古筆として有名な作品の中には、『高野切』や『本阿弥切』、『石山切』などがあります。 高野切 『高野切』は古今和歌集の断簡です。 古今和歌集は西暦905年ごろに醍醐天皇が貫之らに編集を命じた和歌集とされています。 『高野切』は1049年ごろに藤原道長の子である藤原頼道が書かせたといわれています。 現在、古今和歌集の原本は発見されておらず、『高野切』が最も古い写本です。古くて人気の高い書は時代の流れの中で最初の持ち主の手を離れ、ばらばらに解体されたり、消失したりしてしまうことが多々あります。 『高野切』は本来、全部で20~22巻ほどあったと考えられていますが、現在においてはばらばらに所有されており、すべては揃っていない状態です。なお、『高野切』は通称で、古筆の一部が高野山にあったことからその名がつけられました。 『高野切』は現存する古今和歌集最古のテキストとされているため、現代においても日本文学史や日本語史の研究資料として貴重な作品です。 本阿弥切 『本阿弥切』は古今集第十二恋歌二の巻頭の和歌49首、132行分の断簡です。 『本阿弥切』の名は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した芸術家である本阿弥光悦が、その一部を愛蔵していたため一連の古筆を『本阿弥切』と呼称するようになりました。 『本阿弥切』は平安時代の能書家である小野道風によって書かれたと伝えられていますが、明確な根拠はありません。『本阿弥切』の価値を高めるために広まった噂とも考えられています。 『本阿弥切』は古今和歌集の写本で、部分的には作品としての価値に差があるとされており、全体として優れた古筆ではないとの評価も耳にします。 しかし、『本阿弥切』は独特の連綿や余白が美しい古筆といえるでしょう。 また古来より尊重され愛好されてきた経緯もあります。文字は丸みのあるフォルムで、運筆は関戸古今集に通ずるものがあるといわれています。 石山切 『石山切』は西本願寺本三十六人集のうち貫之集・下と伊勢集の断簡です。 藤原公任によって書かれたとする説や友則集・斎宮女御集と同じ筆者が書いたとする説もあります。 『石山切』は西本願寺本三十六人集の中でも特に料紙が美しいと有名です。 唐紙や蝋箋、染紙を用いて紙質の異なる紙を継ぐ手の込みようで、紙肌の美しさや立体感が魅力でもある作品です。 書の優美さと工芸技術の粋を尽くした料紙の華麗さが高い人気の理由で、王朝貴族趣味を存分に詰め込んだ作品としても知られています。 本願寺がもとあった摂津の石山にちなんで『石山切』の名が付きました。 『石山切』の書風は、漢字的要素を限りなく減らし仮名に重点をおいています。 やわらかく弾力性のある線で、変化に富んだ緩急抑揚のある字形が特徴です。 墨色の濃淡にも変化があり、線の濃淡がより格調高い印象を与えています。 すべての古筆が掛軸になっているわけではありませんが、これらの美しい古筆は掛軸や巻物などとしても楽しめる芸術作品といえるでしょう。 歴史を感じる美しい古筆掛軸、買取を希望するなら 平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた歌集の巻子や冊子を切断して、壁や床の間に飾って楽しむために表装された古筆掛軸。主に茶の湯の席が盛んになった桃山時代から江戸時代初期に親しまれてきました。 古筆には、古筆切、懐紙、色紙、詠草、短冊などの形状があり、切断した断簡は古筆切と呼ばれています。 古筆掛軸の価値を自身で判断するのは難しく、専門の査定士に依頼して査定してもらう方法が有効です。 先祖代々受け継がれてきた古筆掛軸の場合、作家や作品名がわからないまま保管していることも多いでしょう。所有する古筆掛軸の価値を知りたい場合は、修繕や修理などはせず、そのままの状態で査定を依頼してください。
2024.09.14
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水墨画掛軸の買取は高額査定のチャンス?!中国・日本水墨画の歴史と特徴を知ろう
水墨画掛軸には山水画や花鳥画、詩画軸などさまざまな種類があります。国宝に指定されている作品も多く、作家や作品によっては高価買取が期待できるでしょう。中国の水墨画、日本の水墨画問わず、価値の高い作品が多く現存しています。水墨画の魅力や価値を理解するためには、それぞれの特徴や歴史、有名な作家、作品などを知ることも大切です。 水墨画とは 水墨画とは墨の濃淡で描かれた絵画を指します。 ぼかしやかすれ、にじみ、グラデーションなどによって表現されます。 また、筆使いによってもさまざまな表現が可能で、筆を運ぶ際の強弱や筆圧などを用いて繊細な表現を行う絵画です。 筆と墨だけのシンプルな作品でありながら細かい描写が可能です。 またモデルとするものをすべて描くのではなく、無駄をそぎ落とし描かれる水墨画は、自然や人生の奥深さ、わびさび、静寂、哀歓、素朴さなどを伝えるのに適した芸術作品で、見るものの心を魅了します。 中国水墨画掛軸とは 中国の水墨画掛軸は力強い線と筆使いが特徴的です。 筆を重視した手法を用いて描かれる水墨画は迫力のある絵が人気を集めています。 また、中国では書画同源や詩書画一致の思想があります。この思想は、詩と画は切り離すことはできず根本的に同じであるという考え方です。そのため中国水墨画掛軸には画だけ、書だけではなく画と書が一緒に描かれた作品が多く存在します。 たとえば、山水画や文人画の中には作家や鑑賞した人の詩文や感想が組み合わされた作品もあります。詩とそれに見合う書や詩で世界観を表現する中国水墨画掛軸は、芸術と文学を結び付けた独自の芸術品といえるでしょう。 中国水墨画掛軸の歴史 墨の一色のみを用いて描かれる絵画は、唐の時代から描かれていたとされています。 水墨画である山水画が多く描かれるようになったのも唐の時代です。 墨を活用すること自体は中国の殷の時代からありました。 墨を利用して描かれた絵画は漢の時代にもありましたが、当時の絵画は墨一色ではなく、墨の線に着色が施されていました。 その後、宋代では文人官僚の遊びとして水墨画が描かれるようになり、禅宗が広まっていった時代には禅宗にかかわる人物画が水墨画で描かれています。 また宋代では花卉雑画が水墨画のジャンルとして確立されるとともに宮廷では画院が設立され、花鳥画を中心として写実表現が追求されていきました。 宋代で山水画・文人画・花鳥画の3つのジャンルが確立されたといえるでしょう。 中国の水墨画は当時から現代にいたるまで長い間親しまれ続け、掛軸としても多くの人を魅了しています。 中国水墨画掛軸の特徴や魅力 中国の水墨画は、写実表現を追求する中で生まれた絵画とされています。 写実的表現を極めていった結果、色を足さずに墨の濃淡だけでモチーフを表現する方法が生まれました。 また、写実的表現といっても写真のような精密な描写は追及していない点や西洋絵画のような影を表現せずに描かれていることも特徴の一つです。 西洋画の写実的表現は、見たままの自然な姿をありのままに描写することに重きをおいていますが、中国の水墨画はモチーフとするものの本質を描こうとしているため、目的の違いから表現方法の違いが生まれたといえるでしょう。 また、中国水墨画は筆の水分量を調節し濃淡を活用することで一筆の中にグラデーションを作り出しています。線表現にも特徴があり、古くから描かれている仏画では抑揚の少ない均一な線で描く手法が用いられていたのに対し、山水画では輪郭線の中に線を引く皴法が積極的に活用されています。また、輪郭線を用いない没骨法と呼ばれる技法も生まれ、模索が繰り返されてきました。 中国水墨画掛軸の有名作品や作家 五代・北宋期に活躍した中国水墨画で有名な作家は以下のとおりです。 ・荊浩(けいこう) ・関同(かんどう) ・董源(とうげん) ・巨然(きょねん) ・李成(りせい) ・郭照(かくき) 荊浩の代表作といえば『匡廬図』や『雪景山水図』などです。 初期の水墨山水画を描いた代表的な作家で、その後の山水画に大きな影響を与えたとされています。 関同の代表作といえば『秋山晩翠図』や『山谿待渡図』などです。 シンプルな筆さばきでありながら雄大な山水画を描き、宋代の山水画に大きな影響を与えました。 董源の代表作といえば『瀟湘図巻』や『寒林重汀図』などです。 江南山水画の創始者としても知られており、淡い墨を重ねて江南地方の景色を描いています。また、麻の繊維をほぐしたように波打たせて山や岩を表現しており、立体感を演出した披麻皴と呼ばれる筆法を生み出した作家としても有名です。 巨然の代表作といえば『煙嵐暁景図』や『層巌叢樹図』などです。 巨然の師は董源であり、董源の画風を受け継いだ作品が特徴的で、董巨と称される江南山水画家として人気を集めていました。 李成の代表作といえば『喬松平遠図』があります。 五代・北宋の画家で、夢幻的な雰囲気の煙林平遠と呼ばれる山水画を描き、淡い墨で霧を表現している特徴があります。 郭照の代表作といえば『渓山秋霽図巻』や『早春図』などです。 北宋の宮廷画家、理論家の一人で、豊かな変化が魅力の自然風景を写実的かつ壮大な画風で表現している特徴があります。李郭とも呼ばれ、李成とともにその後の山水画に大きな影響を与えました。 日本水墨画掛軸とは 日本の水墨画掛軸の始まりは鎌倉時代に禅とともに受け入れられた中国の水墨画であるとされています。 当初は禅僧が修行の一環として禅林画や禅宗画を描いていましたが、その後、高僧の肖像画や山水画も描かれるようになっていきます。 日本の水墨画は中国の水墨画を模倣した作品が多く、特に人気のあった中国水墨画家には牧谿や夏珪、馬遠などがいます。 貴族や大名たちの間では、牧谿風の水墨画、夏珪風の水墨画といったように模倣作品が広く親しまれていました。 その後、室町時代に登場した雪舟の影響により、日本独自の水墨画の画風が確立されていきます。 日本の水墨画は、現代においても歴史的価値があるとされ、多くの有名作品が美術館に所蔵されたり、高価買取されたりしています。 日本水墨画掛軸の歴史 日本の水墨画は、奈良時代に唐から墨や墨で描かれた絵画の技法が伝わり始まったとされています。 当時は掛軸ではなく木簡や壁画などに墨で描いた文字や墨画が主流でした。 水墨画の大きな特徴である墨の濃淡だけでモチーフを表現する水墨画技法は、鎌倉時代に入ってから確立されていきました。 鎌倉時代に当時の中国から入ってきた水墨画は、禅の思想を表現する『達磨図』『瓢鮎図』などです。 禅宗が武士から広く支持を集めたことにより、水墨画も多く描かれるようになっていきます。 室町時代に入ると中国の模倣作品としての水墨画ではなく、日本独自の水墨画が発展していきます。室町幕府では足利家が禅宗を庇護したことにより禅宗の思想や文化が栄えていき、水墨画で有名な作品を残している如拙、周文、雪舟など多くの水墨画家を輩出しました。 日本では、中国の水墨画家である牧谿の作品が広く知られており、一番優れた絵師と評され牧谿の作品を模写した作品が多く制作されています。 初期の水墨画は人物画や花鳥画も多く描かれていましたが、15世紀ごろの戦国時代からは日本でも本格的な山水画が描かれるようになりました。 また、詩画軸が描かれ始めたのも戦国時代ごろからです。 詩画軸とは詩・書・画が一体となり作品の下方に絵が描かれ、余白部分を埋める形で漢詩文が書きこまれた作品を指します。 日本の水墨画は中国から伝わった当初から現在にいたるまで多くの人々を魅了し続けている芸術作品です。掛軸としても親しまれており、現代でも歴史的価値の高い作品が数多く現存しています。 日本水墨画掛軸の特徴や魅力 日本の三大巨匠と呼ばれる水墨画掛軸の有名作家は以下のとおりです。 ・雪舟(せっしゅう) ・牧谿(もっけい) ・狩野探幽(かのうたんゆう) 雪舟の代表作といえば『四季山水図巻(山水長巻)』や『天橋立図』などです。 雪舟は突出した画家としての才能から画聖とも呼ばれています。48歳で中国に渡り本場の水墨画を学んだ雪舟は、約3年の修行の中で中国各地の山岳や河川などの景勝地で写生を行い、中国の雄大な自然から創作意欲を得たことで、躍動感ある山水画を描いています。 牧谿の代表作といえば『観音猿鶴図』や『漁村夕照図』などです。 牧谿は中国の僧侶で日本の水墨画に大きな影響を与えた中国画家でもあります。伝統を重視した写実的な院体画を描いており、中国ではあまり有名な画家ではありませんでした。中国から日本へ渡ってきた水墨画の主流が院体画であったため、日本で広く知れ渡ったと考えられます。 狩野探幽の代表作といえば『四季松図屏風』や『東照宮縁起』などです。 16歳のころには江戸幕府の御用絵師として活躍した天才水墨画家として有名です。探幽独自の技法は探幽様式と呼ばれ、画面の余白をそのままに余韻を残し、景観に続きがあるかのように表現した手法が多くの人々を魅了しました。 日本と中国、いずれの水墨画掛軸も人気 中国の水墨画と日本の水墨画は異なる表現方法で描かれており、それぞれに独自の良さがあります。 現代においても、各水墨画掛軸は芸術作品や歴史的資料として価値のある作品として人々の興味を引いています。家族代々受け継がれてきた水墨画掛軸を所有していて、作品の価値を知りたいと感じている方は、一度査定を依頼してみましょう。 適切な価値を知りたい方は水墨画家を専門とする経験豊富な査定士への依頼がお勧めです。また、古くなった水墨画掛軸は傷や汚れがついている場合もあります。しかし、自身の判断だけで修繕を行うことはお勧めできません。かえって傷や汚れを広げてしまう恐れがあります。 まずは気軽に専門の買取業者へ相談してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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四季を彩る花鳥画掛軸は買取市場でも人気!どんな作品がある?
日本の美しい四季を描く花鳥画掛軸は、現在でも高値で買取が行われています。作品や作家によってその価値は大きく変動しますが、有名作家であれば高価買取が狙えるでしょう。お手持ちの花鳥画掛軸が誰の作品かわからないこともあります。花鳥画の特徴や歴史とともに有名な作家や作品を確認して、花鳥画掛軸への知見を深めましょう。 花鳥画とは 花鳥画とは、花や鳥、虫などをモチーフにして描かれた東洋絵画です。花鳥画はさらに草と花のみをモチーフとして描かれる花卉画、草花と虫を一緒に描いた草虫画の2つのジャンルに分けられます。花鳥画は掛軸のみならず、屏風や襖絵としても親しまれてきました。また浮世絵にも描かれており、さまざまな作品に取り入れられているのが特徴の一つです。たとえば、草花と一緒に鹿や兎などの動物が一緒に描かれている絵画も花鳥画に該当します。 花鳥画に描かれている動植物はそれぞれに寓意があり、昔から富裕・長寿・子孫繁栄などの意味が込められています。現代でも、花鳥画は人気の芸術作品の一つで、作家や作品によっては高価買取が期待できるでしょう。 花鳥画掛軸の種類は? 花鳥画掛軸はその名の通り花や鳥はもちろん、草木や虫・水生生物・小動物なども描かれ、綿密な描写が特徴の絵画ジャンルです。古くから文人の贈答品としても大切にされていました。花鳥画は描かれるモチーフによってさらに2つのジャンルに分けられます。 「花卉画」と「草虫画」 花卉画は花や草をモチーフとして描かれている絵画です。また草虫画は草花とともに虫を描いている特徴があります。 花卉画として有名な作品に彭城百川(さかき ひゃくせん)によって描かれた『梅図屏風』があります。小さめの六曲一双の屏風に描かれた障屏画作品で、墨一色で左に白梅、右に紅梅を描き分けているのが特徴的です。 草虫画としては葛飾北斎(かつしかほくさい)によって描かれた『菊に虻』『牡丹に蝶』などがあります。色鮮やかかつ花びらの一枚一枚や葉脈を繊細に描いているのが特徴です。また蝶のふわふわとした体毛まで丁寧に表現されており、デザイン性の高さに目を惹かれます。 花鳥画では円山応瑞(まるやまおうずい)の『牡丹孔雀図』も人気の高い作品の一つです。孔雀のつがいとともに百花の長である牡丹を描き、画材には上質な群青、緑青、金泥を惜しみなく使用し、豪華絢爛な大幅として人々を魅了しました。 四季を表す、花や鳥たち 日本の花鳥画は四季の変化を楽しめる魅力があります。四季折々の花や鳥を鋭い観察力と繊細な筆さばきで描いていきます。 春を代表する花である牡丹は富貴や最高位の象徴でもあり、繁栄の永続の意味を持つ縁起の良い絵柄です。また、椿や鶯、雀なども春の花鳥画のモチーフとしてよく描かれています。 夏を代表するモチーフには柳やツバメ、カワセミなどがあります。特にカワセミは夏の鳥として多くの絵画作品に描かれているようです。カワセミは背の鮮やかな青色が美しい鳥で、獲物を確実に捉えることから目標を達成するという意味があります。 秋を代表するのは楓や竜胆、雉などです。雉は日本の国鳥で、多くの絵画作品に描かれています。幸運の象徴ともいわれています。 冬を代表するモチーフは梅や丹頂、鶯などです。梅は、春寒の中に咲く百花のさきがけであり、希望を表すとされています。襖や屏風などに花鳥画としてよく描かれていることでも有名です。 花鳥画の歴史 花鳥画の起源は六朝時代の中国といわれています。日本では平安時代に入ってから花鳥画が描かれるようになりました。南北朝時代には禅僧によって水墨画の花鳥画が描かれています。色彩鮮やかな花鳥画は室町時代に栄えました。桃山時代には日本独自の様式が確立され、江戸時代には写実的な花鳥画が多く制作されています。 特に有名な花鳥画掛軸の作品や作家たち 花鳥画は現代においても大変人気なジャンルの一つで、有名な作家や作品が高額で買取され出回っています。花鳥画の価値を知るためには、有名な作家や作品に目を向けてみるのもよいでしょう。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『雪松図屏風』 生没年:1733年-1795年 円山応挙の花鳥画の特徴は誰が見ても上手いとわかる絵柄です。実際の動植物を繰り返し写生して作品を制作していたため、これまでの形式的な絵画より本物らしさがある作品を描けたといわれています。 渡辺省亭 作家名:渡辺省亭(わたなべせいてい) 代表作:『藤に小禽図』『牡丹に蝶の図』 生没年:1852年-1918年 渡辺省亭は日本の画家として初めてパリに渡っています。そのため、渡辺省亭の作品は欧米でも高い人気を誇っています。帰国後は主に花鳥画を描き、高い評価を得ていました。帰国後も国内外の展覧会で花鳥画を中心とした絵画作品を多く発表しています。 荒木寛畝 作家名:荒木寛畝(あらきかんぽ) 代表作:『秋草に鶉』『竹雀』 生没年:1831年-1915年 荒木寛畝は9歳のころから南画家である谷文晁系の絵師である荒木寛快のもとへ入門し、絵画を学んでいます。1879年には英照皇太后の御影を描くことを命じられ『英照皇太后御肖像』を描いています。その後洋画から日本画へ転身し、第3回内国勧業博覧会へ出品した『孔雀図』を宮内庁が買い上げたことで、一躍話題の画家となりました。 人気を誇る花鳥画掛軸は買取価格も高騰 美しい草花や鳥、虫などが描かれた花鳥画掛軸。現代でも多くの人を魅了する芸術作品で、高価買取が狙える作品も多く存在しています。飾らなくなった花鳥画掛軸をお持ちの方は、一度経験豊富な査定士に依頼して価値を確認してみるのもよいでしょう。作家や作品名がわからなくても価値を知ることは可能です。倉庫に眠ったままになっている花鳥画掛軸をお持ちの方はぜひ一度お気軽にご相談ください。
2024.09.14
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美しい自然が描かれた山水画掛軸、高価買取してもらうには
山水画は日本のみならず海外からも高い評価を受けている美術品です。有名作家が描いた作品は現代でも高値で買取される可能性があります。自然の風景を独自の思想感で描いていく山水画は作家の精神性が表現された文学作品でもあります。山水画の特徴や種類、有名作家を知り、山水画への興味をより深めていきましょう。 山水画とは 山水画とは、墨と水の濃淡のみで美しい自然の風景を描いた水墨画を指します。中国が起源の絵画で、人物画・花鳥画と並んで東洋絵画の三大ジャンルの一つでもあります。山水画に描かれる風景の多くは単なる自然の景色ではありません。山水画には山岳を霊的・精神的な存在と考える中国人の自然観が反映されており、幽玄な雰囲気で描いたり、想像上の風景を描いたりする特徴があります。 高い精神性に基づいて理想郷のような風景や普遍的な自然が好んで描かれました。画風は唐代の王維、李思・李昭道父子、呉道玄の時代に始まり、唐滅亡後の五代のころに確立されたといわれています。南宋時代には情緒的な表現がよく見られ、元代には北宋と南宋の特徴が合わさり文人たちから高い人気を集め南宋の山水画が誕生しました。その後、明清時代には文人山水画が主流になっていきました。 日本では飛鳥時代から山水画が描かれています。各時代で中国山水画の影響を大きく受けながら数々の有名作品が制作されました。日本には山水画と別に、四季折々の景色や自然の風景を描いたやまと絵と呼ばれる日本伝統の絵画があります。しかし、鎌倉時代に宋代の画家たちの山水画が多く日本に渡ってくるようになったころ、やまと絵よりも山水画がもてはやされるようになりました。 山水画掛軸の種類や特徴とは 山水画は中国から伝わった水墨画の一種で、主に山岳や河川をメインに描かれた絵画です。ただし、自然の風景を見たままに描いているわけではなく、想像上の景色が描かれている特徴があります。そのため、単なる風景画とは異なる作品といえるでしょう。山水画は写実性よりも芸術的かつ文学的な意味合いを重視し、作者の思想や精神性を表現するために幽玄な自然の風景を再構成して描く手法がとられています。 山水画には「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」がある 山水画とひと口にいっても、「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」など複数の種類があります。 水墨山水は、深い山々や流れる川などの風景を墨の濃淡だけで描いた山水画を指します。水墨山水は禅の教えとともに日本に伝わりました。そのため水墨山水には描き手の思いや物語が表現されています。また水墨山水は、下から近景・中景・遠景の3つに描き分けられています。そのため、下から上に向かって眺めていくと、近くから遠くへ風景が移動していくような感覚を味わえるのです。また、作品によっては距離感だけではなく時の流れを感じられる場合もあります。 彩色山水とは、水墨画とは異なり色を用いて描かれます。絵のモデルは水墨山水と同様に山々や河川です。彩色山水も遠近法が取り入れられており、1番手前に河川を描き、その奥が古家、真ん中には木々を、さらに奥には滝、一番遠い位置に描かれるのが山岳です。彩色山水は山水画に色を加えることで、より鮮やかで明るい印象の風景が楽しめる作品といえます。きらめく川は美しい水色で塗り、生い茂る木々にはやわらかな緑色を、山肌には淡い黄土色で色づけるのも特徴の一つです。彩色山水は自然そのものがもつ生命の息吹や躍動感を表現できる山水画といえます。 四神山水とは四神相応の土地が描かれた山水画です。四神相応とは古来中国から伝わる風水の一種で、方位に関連する思想の一つです。東西南北にはそれぞれ方角を守る四神がおり、良い条件である土地の状態を四神相応と呼びます。四神は青龍・白虎・朱雀・玄武からなります。青龍は川を好み住むとされ、白虎は道を走り、朱雀は低地に溜まる大きな池に降り立ち、玄武は山で逆風の盾になるとされており、四神に相応する土地に都市や家を築けば期の流れが整い、幸に恵まれると古くから伝えられていました。四神山水はこの四神相応にあてはまる風景を描いた絵画で、開運、厄除け、家運隆盛をもたらすよう願いが込められているのです。 日本独自の美しい特徴のある山水画 日本の山水画には、四季を感じられる山や川など自然の風景が多く描かれています。その時代に入ってきた中国山水画の影響を受けながら描かれており、鎌倉時代に最盛期を迎えました。鎌倉時代では、雪舟によってこれまでの中国の模倣的作品を脱した日本独自の山水画文化が確立されていきました。日本独自の山水画は実景描写が特徴的です。また、他の花鳥画や人物画などと同じように装飾的となり、やまと絵との融合により日本独自の山水画様式が生まれていきました。 一方で、中国の山水画は、山や川、渓谷などの単なる風景画にはとどまらず、自然の風景を創造的に描いたり、霊獣が住む理想郷として描いたりします。また多くの中国山水画は、力強くはっきりした印象を与えます。にじみやぼかしがあまり見られないのも特徴的です。また中国掛軸の特徴として、中国には古来より「書画同源」「詩画一如」という考え方があります。書と画を一つの掛軸におさめ、一体的な芸術を楽しむことが多く、山水画にも絵だけではなく書が描かれている作品が多く生まれているのです。 特に有名な山水画掛軸の作品や作家たち 山水画は中国から仏教の教えとともに日本へ伝わり、多くの日本画家の手によって描かれている作品です。室町時代には雪舟によって日本独自の山水画が確立されていき、明治時代に入っても狩野芳崖をはじめとした山水画家により、多くの有名な作品が描かれていきました。中国を起源としながらも独自の発展を遂げていった日本山水画は、現代においても多くの作品が高値で買取されています。特にその時代を象徴する有名画家の山水画は、人気が高く高価買取が狙える作品といえるでしょう。 ご自身でお持ちの山水画作品の価値を知るきっかけとして、有名な山水画家の名前をおさえておくことも大切です。 雪舟 作家名:雪舟(せっしゅう) 代表作:『四季山水図』『山水長巻』 生没年:1420年-1506年 雪舟は1420年に備中国で生まれ、禅宗の僧侶になるため10歳のころには臨済宗の寺院である宝福寺に預けられました。当時から絵をかくのが好きだった雪舟は、相国寺にいた室町幕府御用達絵師で日本水墨画を代表する画僧である周文のもとで水墨画を学び、才能を開花させていきます。京都で名の知られる画家となった雪舟は中国で本格的に水墨画を学びたいと考えます。周防国の守護大名に頼み込み、48歳のときに明と交易を行う遣明船に乗り中国へ渡りました。雪舟は、山水画のように美しい中国各地の風景を写生したり、中国の名画を模写したりと修行に励みます。雪舟の絵は明でも称賛され、天童山第一座の称号を獲得しています。 狩野芳崖 作家名:狩野芳崖(かのうほうがい) 代表作:『溪山幽趣』『雪景山水』 生没年:1828年-1888年 狩野芳崖は1828年生まれの江戸時代後期から明治にかけて活躍した画家のひとりです。19歳のころ江戸へ出て、木挽町の狩野勝川院雅信に教えを受け、雪舟を中心に諸派絵画の研究に努めました。3年勉強したのちに師である雅信の助手として絵画を描いていましたが、師と色彩について意見が食い違うこともしばしばあり、破門の危機が繰り返し発生していました。狩野芳崖は減筆体で簡略化を図る江戸狩野派よりも雪舟の空間表現を手本としていたため、狩野派である師との衝突が頻繁に起こっていたと考えられます。 明治維新が進む当時の日本では、狩野芳崖が描く前衛的な絵画は長らく評価されませんでした。評価されない理由の一つに狩野芳崖の国粋主義に対する反発があります。明治維新後、急速に進む欧米化から日本の文化を守ろうとする国粋主義が前衛的な芸術をも否定したのです。狩野芳崖の作品には欧米の構図を取り入れたものもあり、日の目を浴びない日々が続きます。しかし、近代化が進み欧米文化が日本にも浸透してくると徐々に狩野芳崖の作品も評価されていき、日本画近代化の作品として受け入れられるようになりました。 山水画の掛軸買取はプロの買取業者へ相談を 山水画は中国が起源といわれており、日本には禅の教えとともに伝わりました。日本画家によって描かれた多くの山水画は中国山水画からの影響を受けています。しかし、室町時代に活躍した雪舟の手によって日本独自の山水画が確立されていきました。また、山水画と一口にいっても「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」とさまざまな種類があります。それぞれ違った楽しみ方ができるのも魅力の一つです。 山水画の掛軸は作品によって高価買取が狙える美術品です。自宅の蔵を掃除したときに山水画が出てきて、価値を知りたいと考えている方もいるでしょう。山水画掛軸の価値を知りたい方は専門分野の査定士への査定依頼をお勧めします。長く放置して汚れや傷が付いた山水画も、まずはそのまま査定してもらいましょう。下手に修繕を行い汚れや傷が広がれば、価値を下げることにつながりかねません。有名作家の作品はもちろん、名前の知らない山水画もぜひ一度価値を確かめてみましょう。
2024.09.14
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菖蒲の掛軸はどんな時に飾る?その由来や有名作品とは
日本には美しい四季があり、掛軸でも季節を楽しむ文化が古くからあります。 菖蒲掛軸もその代表例。ではなぜ菖蒲の掛軸は多くの作家に描かれ、掛軸として親しまれているのでしょうか。その由来や、込められた思いなどを紐解いていきましょう。 菖蒲の掛軸の意味や由来とは 菖蒲の香りは邪気を清められるとされています。昔から中国では、5月に生まれてくる子どもは親を不幸にするとされていました。5月は不吉な月とされていて、そのせいで5月に生まれた子どもを捨ててしまう親が後を絶ちませんでした。子どもが捨てられるのを防ぐために、5月5日に魔除けや無病息災を願い邪気を払うさまざまな行事が誕生します。そこで、邪気を祓う菖蒲が利用されていました。 日本でも、旧暦の5月は梅雨の時期で水害や疫病が発生しやすく、作物も育ちにくくかびやすい、あまり良い月とはされていませんでした。水害や疫病を祓い、作物の豊作を祈るための行事として「さつき忌み」が誕生します。身を清めた女性が田植え前にヨモギや菖蒲で作った屋根の小屋で神様を迎え入れる行事です。 このように菖蒲には邪気を祓い清めてくれる効果があるとされ、植物そのものだけではなく掛け軸に描かれ厄除け祈願に用いられるようになりました。 菖蒲の掛軸を掛軸を飾る時期はいつ? 菖蒲の掛け軸は5月5日の端午の節句で飾られることが多くあります。 端午の節句は奈良時代から続く古き良き年中行事です。鎌倉時代ごろに、菖蒲と尚武が同じ読み方であることや、菖蒲の葉っぱが剣の形に見えることから端午は男の子の節句とされました。 そのため、端午の節句では男の子が健康ですくすくとたくましく成長できるよう祈り、厄除けを祈願するようになりました。子どもの成長を祈って、五月人形やこいのぼりを飾り、床の間には兜飾りと一緒に武者や菖蒲、鍾馗の掛軸をかける特徴があります。 菖蒲の掛軸を描いた作品や作家たち 端午の節句で厄除けとしてよく用いられる菖蒲の掛軸は、さまざまな作家によって描かれています。 小林古径 作家名:小林古径(こばやしこけい) 代表作:『紫苑紅蜀葵(しおんこうしょっき)』『楊貴妃』『菖蒲』 小林古径は1883年、新潟県中頸城郡高田土橋町(現・新潟県上越市大町)に生まれ、新古典主義と呼ばれる画風を確立した画家です。 1894年、11歳のときに東京美術学校で横山大観と同期だったとされる山田於菟三郎に日本画の教えを受け始めました。 その後、絵の道への興味が深まり、新潟で活動していた遊歴画家の青木香葩に教えを受け、歴史画を描きながら画家への道を目指します。1899年、16歳で上京して新聞小説等の挿絵画家として有名な梶田半古の画塾に入門。半古は当時、絵画共進会審査員も務める気鋭の画家でした。 1914年に描かれた『異端』は第1回再興日本美術院展で入選。その後、紅児会風の情緒的な表現から写実的な表現へと変化していきます。1922年には、前田青邨と一緒に日本美術院留学生としてヨーロッパに約一年滞在。西洋美術を学びます。 エジプト、ギリシャ、イタリア、フランスを周遊し帰国した後の画風は、線の表現が洗練され構図もより簡潔に変化しました。中世キリスト教美術とエジプト美術の様式美が影響を与えたとされています。 1944年には、帝室技芸員を拝命するとともに東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授となり、画家を指導する立場となります。1950年、67歳で文化勲章を受章。 1952年『菖蒲』の出典を最後に作品の出品は途絶え、1957年74歳で生涯を閉じました。 佐藤隆良 作家名:佐藤隆良(さとうたかよし) 代表作:『アグリジェント』『法起寺』『牡丹』 佐藤隆良は1950年、福島県生まれです。高校卒業後に画家を目指して上京しています。平山郁夫に教えを受け、1981年に開催された第66回日本美術院秋季展で『漁村』が初入選しました。2010年には鎌倉長谷寺宝物館で個展「祈りのひかり」を開催しています。個展をきっかけに開山1300年を迎える鋸山の日本寺の襖絵を依頼され制作しています。 佐藤隆良の受賞歴は以下のとおりです。 ・日本美術院展日本美術院奨励賞 ・日本美術院展春季展賞受賞 ・有芽の会展受賞 ・福島県展大賞受賞 北上聖牛 作家名:北上聖牛(きたがみせいぎゅう) 代表作:『青葉の蔭』『はなれ国の初夏』 北上聖牛は1891年、函館生まれで叔父は日本画家の北上峻山です。1907年、京都烏丸で薬屋を営む上羽氏のもとで約3年間、着物の染色や紋、上絵を行いました。その後、叔父にあたる北上峻山から約1年、教えを受けて日本画の絵具の扱い、古典派の美人画などを学びます。 1913年、京都で竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門し教えを受けます。1916年、第10回文展で『はなれ国の初夏』が初入選。1917年には、第11回文展で『睦しき日送り』が入選しています。1918年、京都の四季を画題にした『嵐山の春』が第1回帝展に入選。 1925年、京都で研究団体「冬心会」を設立しました。第1回道展には特別会員として『残月』を出品しています。写実的な花鳥画を得意とする画家で、1969年、78歳で息を引き取るまで熱心に作品を描き続けていました。 菖蒲に込められた意味を知ると、掛軸をもっと楽しめる 菖蒲には、古くから邪気を祓い清める力があるとされてきました。そのため、梅雨の時期にあたる旧暦の5月初めの端午の節句では、厄払いとして菖蒲湯に浸かる習慣があります。また、端午の節句では掛軸に描いた菖蒲を飾る習慣もあります。菖蒲の掛軸は厄除けとしても用いられているのです。 菖蒲の掛軸には季節を楽しむ目的以外にも、清めの目的があるとわかりました。菖蒲の掛軸を飾る時期は春分の日を過ぎてから5月いっぱいほどが目安です。菖蒲に込められた意味を振り返り、端午の節句をお祝いしましょう。
2024.09.14
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日本画掛軸は買取市場でも人気!プロの査定士へ買取相談を
日本国内のみならず世界からも高い評価を受けている、日本画。 古くから掛軸としても親しまれている、日本ならではの繊細なタッチや美しい色合いを楽しめる日本画掛軸は、骨董品・美術品市場でも人気の品です。 特に歴史に名を残している著名作家の作品は、非常に希少性が高いこともあり、今でも高額で買取されています。日本画にはどんな種類や歴史があるのか、またどんな日本画掛軸が残されているのかを見ていきましょう。 日本画とは 日本画とは、日本の伝統的な絵画全般を指します。中国や朝鮮からの影響を受けながら独自に発達した芸術です。日本画の名称は、明治以降に西洋から入ってきた油彩画と区別するために生まれた言葉です。明治20年代から30年代までは日本画という概念はありませんでした。日本画は伝統に基づく技法や感覚、美意識、表現などを時代とともに変化させながら常に進化し続けています。また、一般的に岩絵具や膠、和紙、絹などを使用した絵画全般を日本画と呼ぶケースもあります。 日本画掛軸の種類や特徴とは 日本画掛軸にはいくつかの種類があり、それぞれ特徴や意味合いが異なります。高価買取が可能な日本画掛軸を判断するためにも詳しい内容を把握していきましょう。 祝儀掛け 結婚や結納、お正月などお祝い事の日に飾る掛軸で、描かれる絵はお祝い事の内容に合わせてふさわしいものを飾ります。 例えば、子供が生まれた時は健やかに成長するよう願いを込めて鯉が滝を登る画の掛軸を飾るでしょう。 その他おめでたい意味を持つ絵には松竹梅、鶴亀、旭日、高砂などがあります。 節句掛け 季節の節目となる節句に飾られる掛軸です。 例えば桃の節句、端午の節句などがあります。桃の節句は女の子を祝う行事で、雛人形や桃などの絵柄があります。端午の節句は男の子の健やかな成長を祈る行事で、兜やトラ、菖蒲などが描かれた掛軸を飾るのが一般的です。飾られるのは節句の時期だけに限定されます。 花鳥画 元々は中国で描かれていました。日本に伝わってからは独自の進化を遂げ、日本らしい大和への手法を取り入れた画がよく見られます。花や鳥はもちろん虫や猫、木々など季節に咲く花や見かける鳥と一緒に、多くの生き物が描かれています。 日常生活の中で季節を楽しめることが魅力の一つです。玄関や客間に飾ればお客さまを迎える時にも季節を感じてもらえる素敵な空間づくりが可能です。季節ごとに掛軸を入れ替えて楽しむ人もいれば施設にはこだわらず好みの自然がを飾る楽しみ方もあります。 花鳥画の中に4枚揃えて飾る四季花鳥というものがあります。4つの絵柄に特別なルールはありません。お気に入りの絵柄を4つ選んでも良いですし、同じような雰囲気の花鳥画を季節ごとに選択すると、まとまりのある美しい空間の演出が可能です。 動物画 動物画の掛軸は、魔除けやお守り、運気向上の役目を期待して飾られます。 描かれている動物はさまざまで、日本画では虎 や龍が多く描かれています。迫力と力強さが人気の一つです。 例えば、虎の鋭い眼光は魔除けの意味を持つとされています。 また、龍は伝説上の生き物であり、神の使いや霊獣として崇められています。そのため、龍を飾ると家に大きな力を呼び込むとされています。 その他にも鯉は運気が上昇するといわれており、選挙や昇進祝いなどで飾られる掛軸です。 山水画 山水画は、山や川などの自然の風景が描かれている掛軸です。 比較的落ち着いた印象のある掛軸で、1年中飾っておいても問題ありません。上品な絵柄が多く万人受けしやすい掛軸のため新築祝いとしてもお勧めです。山水画の絵柄として特に好まれるのは日本の象徴でもある富士山の絵です。 幸運を招く縁起物として、外国の方にも人気があります。富士山だけでもさまざまな表情の絵柄が存在します。例えば夕日で赤く染まった赤富士、富士山と言われて多くの方が想像する雪化粧の富士山など、時間帯や季節、見る方角、構図などによりさまざまな表情を見せてくれる魅力的な掛軸です。 日本画掛軸の歴史とは 日本画掛軸の買取価格の相場を把握するためにも、歴史や背景を理解しておくことは大切です。こちらでは、日本画掛軸の誕生から現在に至るまでの流れを紹介します。 掛軸は中国で誕生し日本へ伝わってきました。中国の晋王朝(265年~420年)では、仏教を伝えるために仏画が使われていました。当時の仏画は持ち運ぶ時に壊れやすかったため、破損防止を目的に掛軸の原型となる巻物の仏画が作られています。 中国の仏教の影響を受けて、日本でも飛鳥時代から平安時代には掛軸タイプの仏画が礼拝で用いられました。この時代の掛軸はまだ庶民の手に渡ることはありませんでした。主に僧侶や貴族の間で利用されていたようです。平安時代に入って、現代で使われるような表装を施した掛軸が日本に入ってきたとされています。 鎌倉時代に入ると、禅宗とともに水墨画が日本に伝わり、庶民の間にも広がり始めました。当初は禅的思想の強い水墨画でしたが、少しずつ「枯山水」や「花鳥風月」などの画題が取り上げられ、鑑賞として楽しむ水墨画も描かれていきました。 江戸時代中期に入ると、職業画家とは別に画を専門としているわけではない文人が描いた文人画が流行し始めます。文化人や町人も自分で描いた画に表装を施し、楽しむ習慣ができていきました。 明治時代以降は日本が開国した影響もあり、急速に西洋の文化が伝わり多くの画家が影響を受けることになります。そして、技術が進歩していき日本画が世界でも評価される日本を代表する芸術となりました。 また、庶民の住宅にも床の間が設けられる建築様式が一般的になり、掛軸を飾る庶民が増えていきました。しかし、戦後は住宅の欧米化が進み、床の間のある住宅が減少しています。そのため、一度は庶民に親しまれた日本画掛軸ですが、日本人の掛軸離れが加速していきました。 自宅で飾る機会が減少した影響で美術的価値が高まっていき、美術館や寺院で楽しむ美術品として変貌を遂げました。現代では、美術品として楽しむ一方で洋間のインテリアとして和風の掛軸を飾り、アンバランスさを楽しむ人もいるようです。 特に有名な日本画掛軸の作品や作家たち 日本画掛軸の買取価格を把握するためには、有名な作家やその代表作などもぜひ知っておいてください。 狩野芳崖 作家名:狩野芳崖(かのうほうがい) 代表作:『不動明王』『悲母観音』 狩野芳崖は、1828年生まれ山口県出身の日本画家です。家は長府藩の御用絵師でした。 1846年に江戸へ上京し、木挽町狩野家に入門しています。アメリカ人御雇教師フェノロサと出会い、西洋絵画を勧められ空間表現や色彩などを学び、日本画の革新に努めました。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『朝顔狗子図杉戸絵』『幽霊図』『雪松図屏風』 円山応挙は、1733年生まれ丹波国桑田郡穴太村(現:京都府亀岡市)出身の絵師です。10代のころに京の都へ行き、画技の研鑽に努めています。一時は狩野派の絵師のもとで学びましたが、中国画まで含めたさまざまな流派で画風を確立させました。 伊藤若沖 作家名:伊藤若沖(いとうじゃくちゅう) 代表作:『仙人掌群鶏図障壁画』『釈迦三尊像』 伊藤若沖は江戸時代中期に京都の錦市場で生まれました。幼少期から優れた画才を発揮しています。10代半ば過ぎから狩野派の流れを汲む大岡春卜に教えを受け、その後は、中国から伝わった宋元画に魅了され熱心に模写して技術を習得しました。自宅で飼っている鶏や、農家の野菜、錦市場の魚など身近にある物を注意深く観察し、写生を続けることで技術を磨いていきました。花鳥画を得意とし、40歳で最高傑作との呼び声が高い『動植綵絵』を完成させます。 上村松園 作家名:上村松園(うえむらしょうえん) 代表作:『四季美人図』『花ざかり』『月かげ』 上村松園は1875年、京都府生まれで、京都府画学校(現:京都市立芸術大学美術学部)を中退しています。鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳に教えを受けました。四条派の技法に近代感覚をとり入れた優雅な作風が特徴です。1948年には女性初の文化勲章を受章。 掛軸買取を相談しませんか?その日本画掛軸、実は高い価値があるかもしれません 中国から伝わり日本で独自の発展を遂げた日本画掛軸には、高価買取の対象となっているものもあります。 自宅で見つかった日本画掛軸の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士にまずは相談してみましょう。 長く放置されていた日本画掛軸には汚れやシミが生じていることもありますが、完全な状態ではなくとも価値がつく場合もあります。その反対に、無理に補修を行いより傷みが増してしまうと、作品の価値を下げてしまう恐れがあります。 まずは、発見したそのままの状態で査定してもらいましょう。裸のままの掛軸よりも箱があると価値が上がる場合もありますので、倉庫で掛軸を発見したら箱もセットでしまわれていないかチェックすることをお勧めします。また落款、署名なども掛軸の価値を高めてくれるでしょう。 自宅の大掃除で発見された価値のわからない日本画掛軸をぜひ査定に出してみてください。
2024.09.14
- 掛軸 買取
- 掛軸の種類
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時代の美しさを描いた美人画掛軸は骨董品買取市場でも人気
美人画の最も有名な作品と言えば、「見返り美人図」ではないでしょうか。江戸時代より多くの画家によって描かれてきた美人画は掛軸としても多数の作品を残されています。著名な画家の作品は現在も非常に人気があり、高額買取の対象となることも珍しくありません。その時々の時代の美しさを描いてきた美人画。その歴史や特徴などを見ていきましょう。 美人画とは 美人画とは女性の外見だけではなく、内面の美しさも含めて表現した絵画のことです。日本でいう美人画とは、江戸時代に確立された浮世絵とその流れを汲む絵画が該当します。美人画は日本の骨董品買取市場でも人気の高い美術作品です。 浮世絵の美人画はモデルとなる本人に似せて描かれることはあまりありません。多くの場合は様式化された表現が用いられます。そのためモデルの美人がどの浮世絵師のパターンで描かれているかが重要視されています。 美人画掛軸の種類や特徴とは 美人画は掛軸買取の中でも人気の美術作品の一つです。美人画とはその名の通り美人を描いた浮世絵のことです。実際の人物をモデルとすることもありますが、架空の女性を描くこともあります。絵柄の特徴は切れ長の細い目、細面、下膨れした顔などです。 美人画では花魁や太夫のような遊女、町娘などがモデルになっています。その後、多色で刷られた精巧な木版画が流行り始めると、華奢で少女のようなあどけなさを持つ女性も多く描かれました。江戸時代の美人画は、今でいうグラビアやファッション誌のような役割を持っています。ただ絵が美しいからだけではなく、着物の柄や着こなし、髪飾りなどの流行を取り入れることで、男性からだけではなくおしゃれの感度が高い女性からも一定の需要がありました。 美人画は顔のタッチや姿かたちが時代によって異なります。また、画風は作家の個性が出る部分でもありますが、その時代で流行りの描き方が生まれると、他の絵師も寄せて描く傾向もありました。そのため、絵柄によってその時代の流行りが判別できます。時代によって表情を変える美人の描き方を楽しむのも、美人画の醍醐味の一つです。 美人画掛軸の歴史とは 美人画掛軸の高価買取を目指すなら背景を把握して作品の価値を理解しましょう。美人画の誕生は江戸時代までさかのぼります。当時の町人たちが興味を寄せていた風俗を描いた浮世絵の一種です。江戸時代以前は、本のメインは文章で、絵はあくまでおまけのようなものでした。しかし、菱川師宣の描く美人画によって絵の価値が大きく変化します。有名な作品として見返り美人図があります。 師宣は一枚摺と呼ばれる本から絵を独立させた版画を作成し、人々に絵の魅力を広めました。これが浮世絵の始まりといわれています。浮世絵は画題によって武者絵・春画・役者絵・美人画などいくつかの種類に分類が可能です。 浮世絵の中でも美人画は、江戸時代前期から多くの人々に好まれていました。美人画は当初、絵師の理想の美人を具現化する手段でしたが、18世紀後半頃からは現実にいる花魁や遊女が名前とともに描かれるようになりました。その後は、芸者や水茶屋の看板娘、評判娘、町家の娘なども描かれています。看板娘の美人画は見て楽しむだけではなく広告的な役割も果たしていました。 多くの町人たちの間で楽しまれてきた美人画ですが、寛政の改革が起こった18世紀末に風紀を乱すものとして検閲されてしまいます。そして、自由に浮世絵を発行できなくなってしまいました。 浮世絵が人気を集めていたのは江戸時代だけではありません。明治時代にも新たな浮世絵が描かれていました。明治時代は貿易が盛んに行われていたこともあり浮世絵も近代化による西洋文化の影響を強く受けました。美人画も喪服だけではなく洋装などの新時代の文化風俗をまとった女性を描いた作品が登場し始めました。 江戸時代に引き続き美人画は、ただ見て楽しむだけではなく流行ファッションの情報源としての役割も担っています。当時の女性たちが美人顔を参考に着物の柄や着こなしを選んでいたのかもしれません。時代によって絵柄の変わる美人画を鑑賞してその時代の背景を知っていくのも醍醐味の一つです。 菱川師宣 作家名:菱川師宣(ひしかわもろのぶ) 代表作:『江戸雀』『和国諸職絵つくし』『北楼及び演劇図巻』 菱川師宣は、安房国保田(現:千葉県鋸南町保田)で7人兄弟の4番目として生まれました。幼いころから絵を描くのが好きで、家業の手伝いで刺繍の下絵などを描きながら、漢画や狩野派、土佐派などの諸流派と接点を持ちつつ独学で画を学んでいきます。その後、江戸に出ると版本の版下絵師として活躍。これまでの本とは大きく異なり、文章を少なく挿絵を大きく描いた絵本が江戸の町人の間で話題になり人気を集めました。手軽に見て楽しめる木版摺りの一枚絵を手掛け、絵画文化の大衆化に貢献した人物です。日本が世界に誇れる絵画文化「浮世絵」は菱川師宣の手によって始まったといっても過言ではありません。 代表作には『見返り美人図』があります。切手のデザインとしても有名な作品です。江戸時代前期の流行りのファッションやヘアスタイルが反映されている特徴があります。髪は玉結びスタイルで、着物は当時高級品であった紅で染められており、帯も当時の流行である吉弥結びが施されています。美人画は当時のファッション誌的役割を担っていたことが伺えるでしょう。 喜多川歌麿 作家名:喜多川歌麿(きたがわうたまろ) 代表作:『潮干のつと』『当時三美人』『美人大首絵』 喜多川歌麿は美人画の名手と呼ばれており、海外では、葛飾北斎と並び知名度の高い浮世絵師で、北尾重政や鳥居清長から作風を学び修業を重ねています。 当初は風景画・役者絵、黄表紙・洒落本の挿絵、錦絵などを描いていました。その後、美人画に専念すると女性の官能的な美しさを描いて、歌麿をしのぐ画師は存在しなかったといわれるほどの作品を残しています。 画中に政治批判が見られたという理由で、寛政の改革の際には入牢3日、手鎖50日の刑を受け、芸術生命を絶たれてしまいました。実際は、幕府が歌麿の影響力や版元蔦屋の急成長を警戒して実施したとされています。 代表作には『婦女人相十品 ポッピンを吹く娘』があります。 この作品は、婦女人相十品と呼ばれる大判錦絵十枚の揃物の1枚で、当時の江戸を生きる人気町娘を描いた美術作品です。ポッピンとは、息を吸ったり吹いたりすると「ポピン」可愛らしい独特な音を鳴らす舶来品のガラス玩具で、江戸時代に流行していました。町娘のあどけない表情が魅力的に表現されている一方で、赤い市松模様の着物とポッピン、花扇柄の簪を付けている様子から、町娘の豊かな暮らしぶりがうかがえる作品です。 竹久夢二 作家名:竹久夢二(たけひさゆめじ) 代表作:『黒船屋』『長崎十二景』『女十題』 竹久夢二は明治17年、岡山に生まれ画家としての道を進むために18歳で上京し、当初は雑誌や新聞にコマ絵を寄稿していました。独特の情感をたたえた美人画の『夢二式美人』によってスタイルを確立しています。叙情あふれる画集を続々と発表して人気作家になると、雑誌の表紙や広告から、千代紙、便箋、封筒、うちわ、半襟、浴衣などさまざまな日用品のデザインも手掛けるようになりました。画家の枠を飛び越え、イラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクターのような働き方を実現した人物です。 人気の美人画掛軸には驚きの査定額がつくことも 江戸時代から高い人気を集めている美人画掛軸には、予想できない高価買取価格がつく可能性もあります。 お持ちの美人画の価値が気になる方は、手入れを行う前に査定士へ査定を依頼してみることをお勧めします。古い美人画掛軸は傷みや破れなどの損傷がひどい場合もあるでしょう。査定で価値をつけてもらうためにまずは修復をしたいと考える方も多いですが、下手に修復を行ってしまうとかえって価値を下げてしまうことにもなりかねません。まずは、倉庫から出てきた状態のままで査定に出してみましょう。 親族から譲り受けたり、倉庫の奥から出てきたりした美人画掛軸は、価値をチェックするためにもまずは実績豊富な査定士へご相談ください。
2024.09.14
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実は高額買取?!仏間掛軸には歴史的価値や希少性の高いものも
仏様や仏教に関することを描かれた仏画は、掛軸として仏間に飾られるなどしてきました。崇拝や礼拝の対象として長い歴史のある仏間掛軸は、著名な作家による作品や歴史的に価値の高い作品も。昔から実家の仏壇横に飾ってあった仏画掛軸を査定に出してみたところ、非常に貴重なもので予想もしない価格での買取となることも少なくないようです。仏画掛軸にはどんなものがあるのか、その特徴や歴史を紐解いていきましょう。 仏画とは 仏画とは仏教をテーマとした絵画を指しており、仏様の絵はもちろん、前世の物語を描いたものや、浄土や地獄の様子を描いたもの、禅宗僧の肖像画なども含まれます。掛軸、版画、曼荼羅は仏画に該当します。仏像では表しきれない複雑な仏教の教えを多くの人に広めるために利用されているのが特徴の一つです。礼拝の際に使用する目的だけではなく、仏教を広く伝えるためにも用いられています。例えば、礼拝に用いられる独尊で描かれた仏様や、菩薩様の尊像画、浄土図などです。 仏画はお寺の壁や掛軸に描かれるもので、仏画師には日本の伝統絵画に関する深い知識や高い技術が必要です。仏画師を目指す人は、内弟子を受け入れている現役の仏画師のもとで修業に励み、技術を習得する必要があります。現代では、弔事や年忌法要、お彼岸、お盆など先祖供養の場で仏画を飾ることが多い傾向です。また、お寺だけではなく骨董品として美術館や博物館でも仏画を鑑賞できます。 仏画掛軸の種類や特徴とは 仏画は描かれている対象によって複数に分類されます。 礼拝や崇拝の対象が描かれている仏画 描かれている主な仏様は以下のとおりです。 釈迦如来 (しゃかにょらい) 釈迦如来は、仏教の始祖です。インドの釈迦族の王子として実在していました。王位継承者の地位を28歳で捨て、生・老・病・死の四苦から解放される道を探し、6年にわたる苦行の末、大悟を得て仏陀となりました。釈迦如来は45年間インドの諸国を説法して巡り、教えを広めていきます。80歳を過ぎた釈迦如来は死期を悟り、弟子たちに囲まれながら最後の説法を行い、涅槃に入りました。 阿弥陀如来 (あみだにょらい) 阿弥陀如来は、無量寿如来や無量光如来とも呼ばれています。日本では極楽浄土の思想が広まり、西方極楽浄土の教主「阿弥陀」として広く信仰された仏です。阿弥陀如来には、説法相、定印相、来迎相の3種類の手の組み方があります。さらに往生者の機根の高低、信仰の深浅に応じて9種類の来迎があるとされており、3種の印相を基本として9つの手の種類による阿弥陀の姿が考え出されています。 大日如来 (だいにちにょらい) 大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。大日の智恵の光が昼夜で状態変化する太陽光とは比べ物にならないほど大きく、この世のすべてを智恵の光で照らし出すとともに慈悲の活動が活発で不滅永遠のため、太陽の象徴である「日」に「大」を付けて大日と名付けられました。 薬師如来 (やくしにょらい) 薬師如来には、瑠璃光如来や医王如来の別名が付けられています。薬師や医王の名からわかるように、病を治癒する徳を表現する仏様です。古来より大衆から人気のある仏様で、人々の救済のため十二の大誓願をたてています。薬師如来は死後の世界ではなく、この世に生を受けている人々を護り、病などの苦痛から救済する特徴があります。 弥勒菩薩 (みろくぼさつ) 仏陀が入滅されたあと、将来的に仏となりこの世に降りて法を説き、人々を救うと約束がなされているのが弥勒菩薩です。将来仏になることが約束されているため、弥勒仏とも呼ばれています。ただし、弥勒菩薩が救世仏としてこの世に現れるのは、釈迦の入滅後から56億7000万年後であるとされているため、現在生を受けている人々は残念ながら会えないでしょう。 観音菩薩 (かんのんぼさつ) 観音菩薩は、観音の力を念ずれば水難、火難などの七難や貪欲、瞋恚、愚痴の心から生じる3つの苦しみから人々を解放し、救いと喜びを与えるとされています。観音菩薩は、補陀落山と呼ばれる浄土にあり、人間界のどこにでも姿を表し、三十三応現身として場所や時、状態に合わせてふさわしい姿に変化して人々を苦悩から救うことが特徴の一つです。 密教の世界観を表現した曼荼羅 曼荼羅とは、密教の経典に基づく主尊を中心に諸仏諸尊が集まる様子を模式的に描いた図です。仏様のいる世界や悟りの境地が描かれている特徴があります。曼荼羅の起源は古代インドです。曼荼羅の種類は時代や宗派によってわかれています。修行を続けることで仏様と一体化できるという教えで、身、口、意の三密業を通して仏様と一体化するといわれています。 たとえば、日本でよく見られる四種曼荼羅は以下のとおりです。 1.大曼荼羅 仏様の姿をそのまま描き、仏の世界を表した曼荼羅です。すべての曼陀羅の基本といわれています。 2.法曼荼羅 すべての仏様が悟りに入った禅定の状態で描かれた曼荼羅です。文字をメインとして抽象的な描かれ方をする傾向があり、仏教の真理や仏の智慧を表現しています。 3.三昧耶曼荼羅 仏様をシンボルに置き換えて描かれた曼荼羅です。たとえば、阿弥陀如来は蓮華、宝生如来は宝などに置き換えられます。衆生救済、慈愛に焦点を当てていることが特徴的です。 4.羯磨曼荼羅 大日如来以外の仏様をすべて女尊で描いた曼荼羅です。羯磨は業(カルマ)や行為を表しており、実際に行われる供養に特化した曼荼羅といえます。 変相図 変相図とは、地獄や極楽、その他の相状を描いた絵画です。曼荼羅に似た雰囲気を持つため浄土曼荼羅とも呼ばれます。しかし、密教との関係はありません。 浄土図 浄土図は、仏教の浄土信仰による絵画です。浄土図は死後に向かう浄土のありさまを描いています。平安時代後期に盛んに描かれました。 六道輪廻図 仏教によると、世の中のすべての生き物は六道と呼ばれる世界で生死を繰り返しているとされています。六道は死後の世界で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つからなります。生きている時の行いによって世界が決まり、何度も生まれ変わるという考え方です。六道の考え方を画で示したのが六道輪廻図です。 垂迹画 垂迹とは仏様のことで、民衆を救うために仮の姿で人前に現れることです。垂迹画は本地垂迹説に基づいた絵画で、仏様や菩薩が垂迹という神に姿を変えて人々を救いに現れたとされています。 仏事や仏間で使用される、仏画掛軸 仏画掛軸とは、仏画や名号・経文などの書や、蓮や蝶など仏教に関係ある絵画など、仏様を祀るためや教義するための掛軸です。中国から伝えられた当初は、掛軸の題材はほとんど道教や仏教を取り扱う道釈画でした。 仏間で使用される掛軸に描かれる仏画は宗派によって異なります。代表的な宗派とそれぞれの仏画の特徴は以下のとおりです。 ・浄土宗 浄土宗の御本尊は舟型の光背が付いた阿弥陀如来です。真ん中に阿弥陀如来を祀り、両脇に掛軸を飾ります。正面から見て左側に法然聖人、右側に善導大師を祀るのが基本です。また、場合によっては正面から見て左側に勢至菩薩、右側に観音菩薩を祀ります。 ・浄土真宗本願寺派 浄土真宗本願寺派の御本尊は阿弥陀如来です。御本尊が仏像である場合は西立弥陀を祀ります。掛軸を御本尊に祀る場合は、8本の後光が差す阿弥陀如来の掛け軸を祀ります。また、両脇には正面から見て左側に蓮如聖人、右側に親鸞聖人を祀ります。 ・天台宗 天台宗の御本尊は本来釈迦如来です。しかし、阿弥陀如来や観音菩薩を祀る場合もあります。釈迦如来や阿弥陀如来を本尊に祀る場合、正面から見たときの左側に伝教大師、右側に天台大師を配置するのが基本です。 ・真宗大谷派 真宗大谷派の御本尊は阿弥陀如来です。御本尊が仏像の場合は東立弥陀を祀ります。掛軸を御本尊に祀る場合は、6本の後光が差す掛軸を祀るのが基本です。正面から見て左側に九字名号(南無不可思議光如来)、右側に十字名号(帰命盡十方無碍光如来)を配置します。 ・曹洞宗 曹洞宗の御本尊は釈迦如来です。しかし、寺院によっては阿弥陀如来や観音菩薩、地蔵菩薩などが祀られます。一般家庭の仏壇での祀り方は一般的に一仏両祖の三尊仏です。正面真ん中に釈迦牟尼仏を祀り、左側に常済大師、右側に承陽大師の掛軸を祀るのが多い傾向です。 仏間で使用される仏画は宗派によって異なるうえに、宗派の中でも寺院や地域によって違いが生じるケースがあります。そのため、利用する際はあらかじめ寺院や仏具店に相談することが大切です。 仏画掛軸の歴史とは 仏画掛軸は中国で誕生したとされています。中国の晋王朝(265年~420年)の時代には、仏教を布教する際の教義として仏画が利用されていました。仏画は礼拝で持ち運ぶ際に破損しやすく、それを防ぐために掛軸の原型となる巻物型の仏画が作成されたといわれています。現在広く知られている掛軸の様式は、唐(618年~907年)の時代に確立されたと考えられています。日本へは飛鳥時代に仏教とともに掛軸が伝わったという考え方が一般的です。 ここからは、時代ごとの仏画の特徴と有名な仏画作品を紹介します。 奈良と平安時代の仏画 奈良時代の仏教美術品は唐(当時の中国)の仏師からの影響が強い特徴があります。奈良時代の有名な仏画は「国宝薬師寺吉祥天像」「釈迦霊鷲山説法図」などです。 平安時代は、唐へ留学した空海や最澄などが系統的な密教や密教図像などを日本へ伝え、仏教絵画に大きな影響を与えたとされています。曼荼羅は密教の世界観を象徴的に描いたもので、平安時代に多く制作されました。 平安時代の後期になると阿弥陀如来の住む西方極楽浄土への再生を願う浄土信仰が流行。末法思想が広がり、浄土真宗では來迎図と呼ばれる仏画も描かれるようになりました。來迎図とは、人が亡くなった後に阿弥陀如来が迎えに来る浄土真宗の考えを表現しています。 平安時代の有名な仏画には「普賢菩薩像」「釈迦金棺出現図」「伝船中湧現観音像」「両界曼荼羅図」「来釈迦図」「善女龍王像」などが挙げられます。 鎌倉時代の仏画 鎌倉時代は貴族社会から武家社会への変化が起こりました。その影響もあり力強い作風の垂迹画や六道輪廻図が多く描かれています。この時代では、似せ絵と呼ばれる肖像画も流行りを見せ、仏画においては開祖の姿が描かれるようになりました。平安時代までは、仏教の教えを表現した作品が多数作成されていましたが、これまでの表現とは異なり鎌倉時代ではありのままの現実を描く作風の仏画が多く作成されています。 鎌倉時代の有名な仏画は「閻魔天像」「垂迹画」「阿弥陀二十五菩薩来迎図」「六道輪廻思想画」「地蔵菩薩像」などです。 室町時代~現代の仏画 室町時代の仏画は、幕府の保護を受けていた禅宗の影響を強く受けています。水墨画の仏教絵画が多く描かれたのも室町時代からです。江戸時代に狩野派の絵師が登場したことで、掛軸ではなく襖や壁、障子に仏画を描く手法が発展しました。その後は大きな特徴の変化は起きず、現在の仏画の形に収まっています。 室町時代の有名な仏画は『仏涅槃図』『賢劫千仏図』『不動明王二童子像』 『胎蔵界曼荼羅図』などです。 仏画掛軸を売るなら、実績のある査定士へ相談を 長い歴史の中でさまざまな種類に分かれていった仏画。仏画掛軸には高価買取の対象となっている作品もあります。高価買取を狙うのであれば、実績のある査定士に相談してみるのがお勧めです。倉庫で長い間放置されていた仏画掛軸は損傷がひどい場合もあるでしょう。修復を行い、きれいな状態で査定に出したいと考えがちですが、補修の質によっては価値を下げてしまうこともあるため注意しましょう。また、仏画掛軸の箱や落款、署名などがあればさらに価値が上がる可能性もあります。家族の遺品整理で仏画が発見されて価値が気になることもあるでしょう。そのような場合は専門家へ査定に出してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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