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日本と中国の掛軸にはどんな違いがある?
掛軸は、絵画や書道などの美術作品をより魅力的に展示するために装飾された作品を指します。 各時代や国の風景、自然、文学、時代背景などさまざまな環境の影響を受けて描かれた掛軸には、それぞれ違った魅力があります。気に入った掛軸を部屋に飾れば、作品の季節感や情緒と部屋の雰囲気や空間が調和し、見る者に癒しと感動を与える空間づくりが可能です。掛軸には大きく分けて日本掛軸と中国掛軸の2つがあります。こちらではそれぞれの特徴を複数の観点から解説していきます。 掛軸に興味をお持ちの方は、違いを理解することでより掛軸鑑賞を楽しめるでしょう。また、買取を行う際のポイントとしても覚えておきたい知識ですので、ぜひご参考ください。 掛軸はもともと中国から日本へ伝来した 掛軸は、平安時代に中国から日本へ伝わったとされています。空海が遣唐使として平安時代に唐(当時の中国)へ行った際に、曼荼羅を持ち帰ったといわれています。この歴史をきっかけに、仏画の制作とともに掛軸の技術と文化が日本で発展していきました。 掛軸はもともと仏教を広めるための道具として利用されてきました。僧侶や貴族が掛けて拝するための仏画が描かれた礼拝の道具です。仏画をどこへでも持ち運べるよう巻物型になっています。桐箱に収納できるため破損しにくく、良い保存状態を維持できる特徴があります。 掛軸と一口にいっても種類はさまざまで、仏画や書画、花鳥画、山水画、浮世絵、美人画などがあります。骨董品としての価値も作品や作家によって大きく違いがあるのも特徴の一つです。 日本と中国の掛軸の違い そもそも掛軸とは、絵画を鑑賞したり保管したりしやすいよう表装したものを指します。 日本では、中国から伝わった当初は仏画を持ち運び礼拝するために使用されていましたが、江戸時代ごろからは浮世絵が大衆文化として多くの人々に広まり、掛軸が庶民にとっても身近な娯楽の一つになりました。 日本の掛軸は住宅文化と一体化した芸術作品として捉えられている特徴があります。日本家屋の床の間に飾る芸術品として掛軸は重宝され、一般家庭においても掛軸がよく飾られていました。 現在では、洋風の住宅が増えたことから床の間が減少し、自宅に掛軸を飾る家庭も少なくなってきたように感じますが、茶室や旅館の部屋など日本の古き良き建築美が残る場所では今でも掛軸が飾られているでしょう。また、現在は美術品・芸術品としての価値が高まり、美術館や博物館では多くの歴史的な掛軸を拝観することが可能です。飾られる場所が違えど、日本掛軸は古くから現在まで日本人に愛され続けている芸術品といえるでしょう。 現在の中国では、自国の文化財保護を目的に、文化財の国外への持ち出しが禁止されています。 文化財とは、掛軸を含む、絵画や陶芸品などの骨董品が該当します。2007年に、1911年以前に制作された文化財は一律国外への持ち出しが禁止されました。また、歴史的・芸術的・科学的価値を有すると判断された文化財については、1949年以前に制作された作品は原則国外への持ち出しを禁止する規定も定められています。 掛軸の形状の違い 日本と中国の掛軸の違いとして、形状の違いが挙げられます。日本の掛軸は一般的に表木が半月形です。掛軸の裏面は壁に沿うよう平らに作られており、正面から観察すると丸くなっています。 一方、中国の掛軸は表木が四角い形をしているものがほとんどです。また、中国の掛軸は軸先の大きいデザインが多く採用されています。素材としては、高級素材がよく使われており、柄が彫り込まれている軸先もよく見かけます。 技法の違い 中国の掛軸に描かれている画は、力強い筆使いと線が特徴です。輪郭をはっきり描くため鋭く迫力のある画が印象的です。一方、日本掛軸は墨のにじみ、ぼかし、たらしこみなどによる表現方法をうまく使っています。中国掛軸は「筆重視」、日本掛軸は「墨重視」の傾向が見られます。 表装の違い 日本掛軸の表装様式の基本は、「真」「行」「草」の3形式があります。さらに「真」「行」の中でも「真」「行」「草」に分けられ、「草」では「行」「草」に分けられます。 「真」の表装は佛表装とも呼ばれており、「南無阿弥陀仏」の各号や観音図、曼荼羅、阿弥陀尊像、頂相画など佛事に関係する画を仕立てる場合に用いられる形式です。 「行」の表装は「大和表装」や「幢補(どうほ)」とも呼ばれており、日本では最も一般的とされる仕立ての形式です。禅僧の墨蹟、絵巻物、歌切、色紙、やまと絵、懐紙など幅広く利用されている特徴があります。 「草」の表装は「茶掛表装」や「輪補(りんぽ)」とも呼ばれており、禅僧や茶人によって描かれた書画に用いられるなど茶道に関連する場合に用いられる仕立て形式です。 一方、中国掛軸の表装は、中国明王朝時代に流行した袋表装(丸表装)の形式で仕立てられている作品がほとんどです。また、その他にも明朝仕立(文人表装)や太明朝仕立がよく用いられています。 絵画と詩句の有無の違い 中国には古来から「詩画一如」「書画同源」という考え方があります。「絵画」と「書」は、本来同じ根源から生まれたもののため、「絵画」と「書」は切り離せないものであるという考えです。そのため、中国の掛け軸にはそれぞれが描かれているものよりも、絵画に関する詩句が添えられた掛軸作品が多く残されています。一方で、日本の掛け軸は「絵画のみ」「書のみ」の作品が多い傾向です。 画風やモチーフの違い 掛軸のモチーフは複数あります。たとえば、動物画や花鳥画、山水画、美人画などです。同じモチーフの画でも、中国と日本の作品ではいくつかの違いがみられます。たとえば、両国でよく用いられる山水画は、中国と日本では方向性の違いが感じられます。 中国では、山や川など現実の存在をそのまま描くのではなく、心の中に存在する究極の理想郷を追求し描くことが特徴的です。そのため、自然の風景を幽玄な雰囲気で描いた画風の作品が多く存在します。 日本では、飛鳥時代から山水の風景が描かれており、各時代で中国山水画の影響を受けた作品が多く誕生しています。代表的な山水画家として知られている雪舟は、中国画の模倣から脱した独自の日本的山水画を確立させました。 イメージとして、日本の掛軸は四季を感じられるものとして制作されており、中国の掛軸は山の幽玄さを前面に出しているような感覚があります。 また、書や絵画などの美術作品には必ずといっていいほど落款と署名が施されています。制作した大切な掛軸の作者が誰かを判別する重要な役割を持っています。日本では、単なる人物を特定するための証として扱われていますが、中国ではそれ以上の価値をもっているのも違いの一つです。中国掛軸における落款は、そのもの自体に芸術的価値が付与されています。中国掛軸が落款自体に価値を見出しているのは、文人としての教養や技術の高さを示すものであったからとされているようです。 日本と中国、どちらの掛軸が人気? 日本掛軸と中国掛軸は異なる特徴を持ち合わせており、それぞれに違った魅力があります。どちらも人気の作品が多数存在し、価値が高い作品も多く出回っています。日本掛軸は国内外問わず人気が高い傾向です。 しかし、近年は中国美術の人気も高まっており、中国掛軸も注目を集めています。 日本と中国、それぞれで発展した掛軸文化 中国から日本へ伝わった掛軸文化はそれぞれ独自の発展を遂げていきました。中国掛軸は、詩と絵画を融合させた芸術表現として発展していき、筆の勢いや線の力強さが織りなす作品は見る者に深い感動と鑑賞の楽しさをもたらすでしょう。日本掛軸は繊細な技術を用いた芸術作品で、ぼかしやにじみ、たらしこみなど墨の濃淡をうまく利用して描かれた絵画は深い趣を感じられます。日本ならではの四季をさまざまな構図で美しく描かれた日本掛軸は贈り物としても喜ばれるでしょう。 日本や中国の掛軸を手放そうとお考えの方や遺品整理で出てきた掛軸の価値を知りたい方などは、ぜひ一度専門の査定士に査定を出してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
- 掛軸の種類
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春を楽しむ季節掛け掛軸 | 梅・桜・桃
掛軸には季節を問わず年中掛けられる作品と、四季によって掛け替える作品があります。 基本的には季節掛け掛軸としてはその季節に咲く花が用いられます。たとえば、冬から春にかけての花である梅は、12月から2月、椿なら11月から4月、あじさいなら5月から7月といったように、掛け替えを行います。 季節の移ろいにあわせて掛軸を掛け替え、時期にあった画を楽しみましょう。こちらでは、春を楽しむ季節掛け掛軸を紹介します。 春の掛軸を楽しもう!季節掛け掛軸とは 季節掛け掛軸にはその季節ごとの魅力を存分に楽しめる魅力があります。 春の桜、夏の風情、秋の紅葉、冬の雪景色など自然の美しさや季節によって異なる風物詩を描いた作品が、より一層季節掛け掛軸を魅力的なものにします。繊細な筆使いや色彩、独特な構図などで季節の趣を表現し、見る者の心に季節感や情緒を呼び起こしてくれるでしょう。 春の季節掛けに人気の絵柄 季節によって掛軸を変える季節掛けは、日本の四季折々の美しさを表現し、季節の移り変わりや自然の豊かさを感じさせてくれる魅力があります。春といえば日本を象徴する花である「桜」が代表的な画題です。夜の桜を描いた掛軸は、「中国の古い詩」にある「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」と表されるようにとても美しい掛軸です。 春の掛軸としては桜以外にも木蓮が有名です。また、4月から6月頃までは牡丹をお勧めします。牡丹は正月や慶事などのめでたい日や、季節を問わず掛けることも可能です。2月であれば立春に合わせて梅の掛軸を飾ることも多いでしょう。そのほかにも季節掛け掛軸では、山吹、木瓜、うぐいす、桃、福寿草、雪割草、芥子、菜の花も描かれます。 また、春の掛軸としては花鳥画掛軸も人気があります。ものごとの始まりにあたる4月は、咲きはじめの花や爛漫の花、花蜜を好んで集まる鳥を描いた花鳥画がお勧めです。 「梅の花」の掛軸 梅は冬が明ける前にいち早く春を告げる花として日本文化になじみ深い人気の作品の一つです。 春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)などの別名を持っています。掛軸で用いられる梅の花の意味は、忍耐強さと大願成就。年始一番に花を咲かせ、真冬の極寒にも耐え美しく見事な花を咲かせることから忍耐強さと大願成就の意味が付けられました。 松竹梅の一つでもあり、松や竹と同じように縁起がよいとされています。 松と竹は寒中にも色褪せず、梅は寒い冬に花を咲かせることから、中国では清廉潔白、節操など文人の理想を表現した花とされていました。掛軸として楽しむ際は梅だけが描かれた作品以外にも、新春には鶴と亀を一緒に描いた松竹梅鶴亀や紅白梅などもお勧めです。梅の花の掛軸は立春ごろから掛け始め、4月くらいまで楽しめるでしょう。 「桜の花」の掛軸 桜の花の掛軸は2月下旬から4月頃まで楽しめます。 日本の国花として名高い桜。夢見草(ゆめみぐさ)、徒名草(あだなぐさ)などの別名を持っています。 華やかに花を咲かせたと思えばあっという間に儚く散りゆく姿は日本の「侘び・寂び」の心をしみじみと感じさせてくれます。 また、季節の風物詩を楽しむ日本の心、言い換えれば「和」の心を思い出させてくれるでしょう。春掛けの代表的な花である桜は日本の心ともいえます。伝統や文化を重んじる侘び・寂びの茶道にも掛軸がよく飾られますが、茶室においても桜の花の掛軸は欠かせない作品です。 白や淡紅、濃紅色の花の色、一重や八重の桜が咲く姿はまさに桜花爛漫。桜の花の掛軸の中でも小鳥と桜を組み合わせた桜花小禽図はとても可愛らしく魅力的です。また、樹齢千年を超える大木の桜が描かれた掛軸も迫力があり、多くの人の印象に残るでしょう。新しい始まりを予期させる桜は、祝賀や記念の式典の折に飾られることもしばしばあります。 「桃の花」の掛け軸 桃の節句に良く用いられるのが桃の花の掛軸です。 桃には昔から邪気を払う力があるとされてきました。陰陽師で有名な安倍晴明を祀る晴明神社には大きな厄落としの桃があり、邪気を払うといわれています。桃の節句は、女の子が美しく健やかに成長し、素敵なご縁に恵まれるようにと成長を祝う伝統文化です。魔よけの力があるともいわれる桃の花の掛軸を雛人形の後ろに飾り、厄を落とし邪気を払うことで、どのような困難に直面しても周囲の人々と乗り越え幸せな人生を歩んでいけるようにと願掛けを行います。 季節掛け掛軸で日本の春を感じよう 季節掛け掛軸は、四季折々の表情と日本文化の美しさを堪能できる美術作品です。春の季節掛け掛軸には、梅の花や桜の花、桃の花が描かれた作品が多く存在します。どれもが日本の眩い春の景色を描いた作品で、春の訪れや生気溢れる美しい自然を楽しませてくれることでしょう。 季節の掛け軸は作品や作家によって高価買取が可能な場合もあります。 一般の方が自分で価値を調べることが難しいため、知識の豊富な専門の査定士へ調査を依頼するのがお勧めです。春夏秋冬違った表情の掛軸を楽しめる季節掛け。倉庫からいくつも掛軸が出てきた際は、飾る前にまずは価値を知っておきたいこともあるでしょう。修復などを行うとかえって損傷を広げてしまう恐れがあるため、まずはそのままの状態で査定に出してみましょう。
2024.09.14
- 掛軸の種類
- 有名掛軸作家
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行書の掛軸買取なら | 日本・中国の有名作品を高額査定
中国で生まれた行書を利用した掛軸である行書掛軸。 なかでも日本・中国の有名作品は高額査定で取引されることもあります。 また、日本では、行書掛軸は茶道とも深い関係があります。 行書掛軸の魅力を知るためにも、まずは行書掛軸の特徴や歴史、茶道との関係性、有名な作家の概要を見ていきましょう。 行書掛軸の種類や特徴とは 行書掛軸とは、文字が書かれた書画の中でも、行書体で書かれた掛軸を指します。 行書とは、草書と同様に隷書がもとになり誕生した書体の一つです。楷書を略した形のように見えますが、楷書よりも歴史が古く後漢時代に生まれたとされています。 楷書とは異なり文字の点がつながっていたり、省略されていたりしますが、草書のように楷書からまったく離れている書体というわけでもありません。そのため、速筆向きでありながら読みやすさも兼ね備えている書体といえます。 行書はその読みやすさから古代中国では荘重な式典や格式の高い場などの公務文書や祭礼の文書として使われていたようです。 行書は、一つの文字に対して複数の文字の崩し方が存在します。 そのため、同じ書き順で書いた字でも崩し方によってさまざまな雰囲気を楽しめるでしょう。 また行書は曲線的で丸みのある字形が特徴です。 行書には複数の崩し方があるように、厳格なルールが存在していません。そのため形が流動的で書き方次第でさまざまな表現が可能です。書く人の個性が反映されやすいため、美術品にもよく利用され多くの行書掛軸が書かれています。 行書の歴史 行書は後漢時代に隷書をもとに生まれたとされています。 行書の誕生を知るうえで、まずは中国で生まれた漢字の歴史を見ていきましょう。 漢字は約3300年前の中国で誕生しました。最初に書かれたのが甲骨文字とされています。殷の末期から周の初期に利用されていた漢字で、現存する最古の漢字といわれています。甲骨文字はどちらかというと絵に近いデザインをしていました。 その後、殷の末期から三国時代頃には金文が使われ、甲骨文字や金文をもとにして篆書が作られます。篆書には数種類の書体があり、中でも代表的なのが小篆です。 秦の時代では大篆とよばれる書体が利用されていましたが、形が複雑で書くのに時間がかかる上に、各地域で独自の発展を遂げ、地域ごとに全く異なる字体が生まれてしまいました。 そのため、中国統一を果たした始皇帝は字体の統一を図りました。字体統一のために誕生したのが小篆です。 しかし、小篆も字体が複雑かつ難解で実用性が高いわけではなかったため、人々はより書きやすい形に小篆を簡略化していきました。曲線を直線にして書くようになり、やがて隷書とよばれる書体が誕生します。 そして、この隷書から草書・行書・楷書の3つの書体が作られました。 分岐としては、隷書→草書のルートと、隷書→行書→楷書のルートに分かれて作られたとされています。 行書は隷書と草書の間の書体として誕生し、後漢時代から利用され始めています。行書と楷書の成立時期は諸説ありますが、行書が先とする考えが多いようです。 行書の名作・「蘭亭序」 掛軸ではありませんが、有名な行書の美術作品として『蘭亭序(らんていじょ)』があります。東晋時代に王義之(おうぎし)が蘭亭の会のときに作られた詩集『蘭亭集』に行書で書いた序文です。書聖と評される王義之が書いた『蘭亭序』は最高傑作として後の書家や書人に大きな影響を与えました。 行書掛軸が用いられる場面とは 行書掛軸をはじめとした掛軸は茶道と深い関係があります。 茶道といわれ連想するものとしては、茶碗や茶室などが多いのではないでしょうか。 しかし、掛軸こそ茶席において最も大切な道具ともいわれています。 茶室にはよく茶道の根底にある禅の文化を表現する禅語が書かれた掛軸が飾られています。 描かれる主な禅語は、日日是好日・和敬清寂・一期一会・松無古今色など。円相とよばれる円形を一筆で描いた書画もよく掛けられています。 禅の思想を表す書画で、悟りや真理、仏性、宇宙全体を表している掛軸で、一円相や円相図とも呼ばれています。 また、掛軸は茶道の世界観や精神的なメッセージを伝える手段としても利用されています。 文字や詩の引用で茶道の世界観やテーマを表現し、茶会に訪れた人に深い印象を残すでしょう。 茶室に掛けられた掛軸により、空間の雰囲気や趣が印象付けられます。行書掛軸は茶席の雰囲気を引き立て、茶会の趣向やテーマを表現する役割もあるといえるでしょう。 茶道と書道は日本の伝統文化として密接に結びついており、お互いの価値を高めあう存在でもあります。そのため、行書をはじめとした書画が茶掛としてよく用いられています。 行書掛軸の作品や作家たち 和室を彩る装飾品として重宝される掛軸。 特に行書掛軸は茶道の禅の文化を表す一つの道具としても用いられています。行書掛軸は日本や中国をはじめとしたさまざまな作家の手によって描かれています。中には歴史的価値が高い掛軸も存在するでしょう。 頼 山陽 作家名:頼 山陽(らい さんよう) 頼 山陽は1780年生まれ、没年1832年の日本を代表する歴史家兼漢詩人・漢学者です。 大阪江戸堀で生まれ、1781年には広島藩藩儒に就任した父・頼春水(しゅんすい)とともに広島に移住します。1797年に江戸幕府直轄の学校へ入学するものの約1年で広島に戻り、数年後に脱藩をはかり京都へ逃亡しました。叔父の春風(しゅんぷう)に見つかり広島へ戻された後、5年間屋敷内の座敷牢へ幽閉されました。 謹慎中に没後ベストセラーとなる『日本外史』の初稿を完成させています。その後、後藤松蔭をはじめとする優秀な弟子を育てながら多くの優れた書画や詩文を残しています。1826年には20年以上歳月をかけた『日本外史』が完成し、翌年に元老中松平定信へ献上。結核により53歳という若さで亡くなっています。 勝 海舟 作家名:勝 海舟(かつ かいしゅう) 勝海舟は江戸時代末期である幕末から明治時代初期にかけて活躍した武士・政治家です。勝海舟が書をしたため始めた理由は諸説あります。一説によると、蘭学を学ぶときに辞書「ドゥーフ・ハルマ」を筆写した経験から書を作成するようになりました。漢詩を元にした作品が多く、一行書や五行書、詩書などさまざまな作品が残されています。 顔真卿 作家名:顔 真卿(がん しんけい) 顔 真卿は中唐時代の政治家です。王羲之風の書が主流となっていた時代に異議を唱えた人物とされています。 顔真卿の書は素朴で太く力強い印象があります。また、蔵鋒とよばれる書かれたときに毛筆の穂先の形が現れないよう書かれた線の中に隠す技法を生み出しました。 これまでの書にはなかった新たな書風を生み出したとして王羲之に並ぶ書の第一人者とよばれることもあれば、書の破壊者と評されることもあります。また、顔真卿の書風は別名弘法大使とよばれていた空海にも大きな影響を与えました。 行書掛軸には歴史的価値が高いものも。買取相談は”価値の分かる”プロへ 自宅で大切にしている行書掛軸の価値を知りたい方は、一度査定に出してみるのも良いでしょう。自分で作家や作品について調べ、有名な掛軸ではないからと置いたそのままにしておくのは勿体ありませんもったいないです。掛軸の知識や実績が豊富な査定士に依頼して、本来の価値を確かめて置くことをお勧めします。シミや汚れがあっても作品によっては価値がつくため、まずは気軽に相談してみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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日本の歴史画掛軸は高価買取の期待大!
日本には国内外問わず人気の高い歴史画が多く存在します。歴史上の出来事や神話、宗教などを想像して描く歴史画は、知識と力量が必要な絵画のジャンルです。歴史画の魅力を知り、高価買取につなげるためにも、歴史画の特徴や種類、有名な作家や作品を見ていきましょう。 歴史画とは 歴史画とは、歴史上の事件や神話、宗教などをテーマにした絵画を指します。学問の美術史と同様に明治時代に西洋から伝わった概念です。しかし、日本でも古くから歴史上の事件や神話、宗教をテーマとした絵画は描かれており、平安時代後期以降に描かれた大和絵、江戸時代初期に確立された浮世絵なども、歴史画に該当する内容が描かれている作品が多く存在します。 明治時代、西洋の文化が日本へ次々と入ってくる中、社会は伝統回帰の動きも見せ始めました。日本の伝統的絵画への関心が高まり、歴史画が流行します。日本の伝統的な技法や表現を用いる旧派と新時代に適した新しい技法や表現を用いる新派に分かれ、歴史画は盛り上がりを見せていました。 歴史画の種類や特徴とは 歴史画とよばれる絵画の中に、合戦絵や武者絵などがあります。武者絵とは、勇ましい武士の姿を描いた絵画を指します。歴史上の武将や伝説の豪傑が英雄として活躍するシーンを想像して描かれた作品です。 合戦絵とは、平安時代から江戸時代後期にかけて起きていた合戦をテーマにした絵画を指します。浮世絵が生まれた江戸時代は戦がほとんどない天下秦平の時代であったため、想像で描く武者絵に相当する物語絵として描かれていました。 江戸時代に描かれた合戦絵や武者絵は古い史実をもとにしていることもあるため、明治時代に入ってきた歴史画の概念に該当するといえるでしょう。 有名な歴史画・歴史画掛軸 歴史画の概念は明治時代に入ってきたものですが、歴史画に相当する作品は日本でも古くから描かれています。中には、後世にも大きな印象を与えた作品や幕府の御用絵師として活躍した作家の作品などもあります。大切にしている歴史画の価値を知りたいとき、有名な作家や作品名を把握しておくと、価値を理解しやすいでしょう。 月岡芳年 作家名:月岡芳年(つきおかよしとし) 代表作:『英名二十八衆句』『魁題百撰相 金吾中納言秀秋』 月岡芳年は1839年生まれ、没1892年の明治時代を代表する浮世絵師です。 江戸新橋の南大阪町に生まれ、のちに大叔父にあたる画家の月岡雪斎の姓を継いだため月岡の姓を名乗っています。月岡芳年の師匠は江戸時代後期に活躍した浮世絵師の歌川国芳です。1850年、12歳のころに歌川国芳の門をたたき、教えを受けています。浮世絵師としてのデビューは3年後の1853年で、武者絵の3枚続きである『文治元年平家の一門亡海中落ち入る図』を描きました。初期のころの作品では役者絵、武者絵を多く手掛けていました。 その後、1858年に刊行されてた『江戸の花子供遊の図』をきっかけに妖怪画や故事をテーマとした作品も多く発表しています。 兄弟子の落合芳幾との競作『英名二十八衆句』は、後世に残る残虐絵・血みどろ絵の代表作となりました。江戸末期から明治の転換期を生きた月岡芳年は、戊辰戦争を題材として『魁題百撰相』を描いています。晩年には和漢の物語や故事など文学をテーマにした作品も多く残しています。 狩野探幽 作家名:狩野探幽(かのう たんゆう) 代表作:『雪中梅竹遊禽図襖』『雲龍図』 狩野探幽は1602年生まれ、没1662年の江戸時代初期に活躍した狩野派の絵師です。日本絵画史上最大の流派である狩野派は、室町時代後期から江戸時代末期まで約400年間にわたり、ときの権力者の御用絵師として活躍していました。狩野探幽は徳川家康に仕えた絵師で、波乱の戦国時代から落ち着きと秩序を求める時代の流れにあった繊細優美な画風が特徴です。 狩野探幽の画人としてのデビューは1612年、11歳のころです。父に連れられて駿府を訪れ、徳川家康に拝謁。続けて江戸で江戸幕府2代将軍 徳川秀忠にも拝謁し、画人としてのデビューを果たしました。12歳のころに描いた『渡唐天神像』は、12歳とは思えないほどの画力を発揮しています。その後1621年、20歳のときに江戸幕府の御用絵師として、江戸屋敷を授かりました。狩野探幽の画風は、詩情豊かかつ余白を活かした画面構成や、繊細かつ柔らかな筆使いが特徴です。落ち着きのある味わい深い独自の表現を確立しています。そして、狩野探幽は狩野派一族の地位を不動のものとしました。画家としての最高位である法院を60歳で授かり、72歳で死去するまで精力的に作品を制作しました。 長谷川貞信 作家名:長谷川貞信(はせがわ さだのぶ) 代表作:『徳川治績年間紀事 十四代昭徳院殿家茂公』『徳川治績年間紀事 十五代徳川慶喜公』 長谷川貞信は1809年生まれ、没1879年の江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。長谷川貞信の名は後世へ受け継がれていき、現在5代まで続いています。長谷川貞信は小さいころから絵を描くことが好きで、日本画における一大派閥である四条派の絵師上田公長の門人となります。師から有長の画名を受けるものの修行中に実家が商売に失敗し、経済的に厳しい状況に立たされました。 そのため、浮世絵師として稼ぐことを目標に、浮世絵師である歌川貞升に師事します。才能を開花させ役者絵を描いていた長谷川貞信ですが、天保の改革により役者絵に厳しい規制がかけられたため作品の題材を風景画に変更しています。歌川広重を思わせる画風でさまざまな作品を制作し、長谷川貞信は関西地方を代表する浮世絵師となりました。 役者絵や風景画、名所絵のほか、芝居絵や美人画など多様な作品を描き続けた長谷川貞信は、明治時代に入ると文明開化が進む街の様子をテーマとした開化絵にも取り組んでいます。 掛軸として保存される貴重な歴史画も 明治時代に入ってきた歴史画の概念に該当する絵画は、平安時代後期ごろから描かれていました。江戸時代に流行した浮世絵の中にも歴史画に該当する作品がたくさんあり、合戦絵や武者絵など戦のない時代に想像を膨らませて描かれた歴史画も多く残されています。日本の歴史画は、独自の技法や雰囲気から海外でも高い評価を受けています。 ご自宅で大切にしている歴史画や、倉庫や押し入れを整理していて発見された歴史画の価値を知りたい方は、絵画の実績が豊富な査定士に査定を依頼してみましょう。歴史として語り継がれる著名な作家や有名作品ではなくとも価値がつくこともあります。また、保存状態が悪く破れや傷みが目立つからといって諦める必要はありません。保存状態が良い作品と比較すると査定額は下がってしまいますが、希少な作品であれば高額買取も可能です。まずは、知識や経験が豊富な査定士に相談してみましょう。
2024.09.14
- 掛軸 買取
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- 有名掛軸作家
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有名歴史人がのこした書簡掛軸を買取してもらうには
歴史上の人物が思いを綴った書簡掛軸。 当時は手紙の役割として活用されていましたが、現代においては当時の歴史を知る手掛かりになる貴重な資料としても扱われています。作家が有名であれば時として高値でやり取りされることも。書簡の特徴や歴史を知り、その価値に触れるとともに、書簡掛軸を高値で買い取ってもらうためのポイントも押さえていきましょう。 書簡とは 書簡とは、手紙や書状を指し主に文章語として使われている言葉です。特定の相手に向けて書かれる文書を書簡と呼び、一般的には個人的なメッセージや情報、感謝の意を伝えるためであったり、連絡をとりあうためであったりします。書簡は手紙の形式をとるため、送り先の住所や氏名、日付、挨拶文、本文、署名などの項目が書かれている文書を多く目にします。言葉でのコミュニケーションを通じて、情報や気持ち、感情などを伝え、相手との絆を深める手段としても有効といえるでしょう。 書簡は古くから日本で利用されており、薄い細長い木の板に墨をつけた筆で文字を記したことから始まったとされています。紙が用いられるようになったのはおよそ6~7世紀ごろといわれています。紙自体はそれよりも古くから存在していましたが、耐久性を考えて長らく木簡を活用していました。当時の文具には筆や墨、硯はもちろん、木を削るための小刀が含まれていたそうです。書簡には文通のような軽い意味合いのものもあれば、政治的な情報や議論などにも用いられていました。 なぜ書簡が掛軸になるのか 書簡は本来、特定の人物に向けて書かれた手紙のようなもののため、不特定多数の目にさらされたり、所持されたりするものではありません。 しかし、現代では歴史的に活躍を納めた偉人の書簡は、当時の暮らしぶりや時代の動きを今に伝えるための貴重な資料として価値が見いだされています。歴史的な資料として書簡を軸装し、掛軸作品として飾る機会も多くあります。芸術作品としての一面だけではなく歴史を記した貴重な資料としての価値もあるため、高額で取引されることも。 多くの歴史的な芸術家や偉人の書簡も掛軸になっており、例えば陶芸家で人間国宝 の濱田庄司(はまだしょうじ)が書いた書簡や、幕末から明治初期にかけて政治家として活躍した松平春嶽(まつだいらしゅんがく)の書簡 、江戸時代前期に活躍した俳諧師の松尾芭蕉 (まつおばしょう)の書簡など、偉人たちの書簡が掛軸として現代にも残されており、高価買取が行われています。 現代でも愛される、歴史的価値ある書簡掛軸 書簡は思いや情報を綴った手紙を指しており、歴史上の人物の交友関係や心情など、当時の様子をより深く想像するための貴重な作品です。有名な作家や偉人であったり人気のタイトル作品であったりするほど市場価値が高まります。査定士に依頼して作品を見てもらい、査定書にて真作であると証明できると、高価買取が期待できるでしょう。 書簡掛軸作品を高値で買い取ってもらうためのポイントは以下のとおりです。 ・保存状態の確認 書簡掛軸が高価買取できるかどうかには保存状態が深くかかわってきます。破れやシミなどの劣化が少なく状態が良好であれば価値もあがるでしょう。歴史的価値のある有名な作家が書いた作品だとしても保存状態が悪くボロボロになってしまっていては査定額が伸び悩んでしまいます。 特に墨で書かれている掛軸作品は太陽光により退色やシミが発生しやすい美術品です。丸めて倉庫でしまっておくのはもったいないからと自宅の床の間に飾り、日光を長時間浴びてしまっている状態だと劣化が進行してしまいます。そのため、自宅で飾る際は直射日光が当たらない場所を選びましょう。また、複数作品お持ちであれば定期的にほかの作品と掛け替えることをお勧めします。 ・共箱があるかどうか 掛軸作品を入れる専用の木箱を共箱と呼びます。共箱があるのとないのとでは査定額が大きく変わります。作家本人が共箱の表面に作品名を、裏面に署名や落款を残しているのが一般的です。掛軸を保管する箱には他にも種類があり、識箱は査定人や査定団体親族が箱書きしたものであり、共箱と同じように扱われます。署名がなく掛軸のサイズにあわせてただ用意されているだけの木箱は相箱と呼ばれています。 ・印刷と肉筆どちらであるか 掛軸作品には、印刷作品と肉筆作品の2つがあります。肉筆作品とは作家本人がその紙に直接描いたもので、世界に1点しかない掛軸のため印刷作品よりも価値が大幅に高くなります。印刷にかけられた工芸品や複製画は、肉筆作品と比較すると価値が下がってしまうでしょう。肉筆かつ有名な作家が書いた作品であれば、多少状態が悪くとも高額査定が期待できます。 書簡掛軸が自宅から出てきて、有名な作家なのか、人気の作品なのか、その作品の価値を知りたい方は多くいるのではないでしょうか。書簡掛軸の価値を知りたい方は、掛軸作品に知見のある査定士に査定を依頼しましょう。なるべく高値を付けてもらいたいと、査定前に修復や修繕を行ってしまう方もいます。しかし、修繕によってかえって傷みが増してしまったり、贋作で作品の価値より修繕費の方が高くついてしまったりといったリスクがあります。そのため、まずはそのままの状態で査定を依頼するのがお勧めです。
2024.09.14
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夏を楽しむ季節掛け掛軸 | 朝顔・立葵・鮎
中国から日本へと伝わり古くから親しまれている芸術品の掛軸。 現在でも、床の間や茶室などに掛軸を飾り、鑑賞やインテリアとして楽しまれています。掛軸には、年中飾っておける掛軸と、季節に合わせて掛け替える季節掛け掛軸があります。 日本特有の四季に合わせて掛軸を替えることで、部屋の中でも季節の移り変わりを楽しめるでしょう。 夏の掛軸を楽しもう!季節掛け掛軸とは 季節掛け掛軸とは、日本の四季に合わせて掛け替える掛軸を指しています。基本的にはその季節に咲く花の画が描かれた掛軸を飾りましょう。夏の時期には、夏らしい掛軸・涼を感じる掛軸があるのです。また、花だけではなく季節に合った風景を用いた掛軸を飾ることもあります。 季節掛け掛軸は日本特有の四季の美しさを堪能できる魅力があります。季節掛け掛軸は、庭のない都心部の住宅やマンションでも自然や季節を楽しめるでしょう。 夏の季節掛けに人気の絵柄 夏の季節掛け掛軸には涼しげな画がお勧めです。たとえば、川蝉や青い楓、鮎、紫陽花などの清涼感ある花や鳥がよく用いられています。とくに、川蝉はその鮮やかな青色の羽から翡翠とも呼ばれており、夏を代表する鳥の一種です。狙った獲物を確実に仕留める特徴から、大願成就に通ずるとして夏の縁起物でもあります。 6月頃の湿気の多い梅雨時は、掛軸を掛け替えて気分を切り替えるのもお勧めです。梅雨の時期の代表的な季節掛け掛軸は紫陽花や立葵などがあります。7~8月初旬のお盆に入るまでの時期は、夏が本格的に始まり暑さが厳しくなってくるタイミングです。暑さの厳しい時期には涼しげな朝顔や鮎、金魚の掛軸を飾りましょう。また、お盆明けの8月下旬~9月末頃は残暑が続きますが、秋支度を始める時期でもあります。夏から初秋にかけて飾れる掛軸には、露草や桔梗、菊、葛などがあります。 四季の楽しみを教えてくれる季節掛け掛軸。しかし、毎月掛軸を変えるのは大変なため、四季に合わせての掛け替えがお勧めです。 「朝顔」の掛け軸 朝顔の掛軸は6~8月頃まで飾られます。 朝顔は朝の容花という意味を持ち、薄い青色や白、桃色、紅色、紫、濃紺など色とりどりの花を咲かせます。容花とは、美しい容姿を持つ花のことです。夏の暑い時期の朝露に濡れた朝顔は、心が洗われるような美しさを見せてくれます。朝顔は七夕の時期に花を咲かせることから伝説にも登場する縁起物とされてきました。 また風情があり、床の間に朝顔の掛軸を飾っておくと爽やかな気分になります。朝顔は数ある花の中でもモチーフにされることが多く、夏で連想される花としては向日葵に並んで多く挙げられるのではないでしょうか。日本の夏の風物詩ともいえる朝顔の掛軸は、鮮やかな色合いと涼しげな印象から、夏の季節感を演出してくれます。 朝顔の花言葉のひとつに「明日もさわやかに」という言葉があり、暑い夏にぴったりの花言葉ともいえるでしょう。朝顔の掛軸はシンプルな画の作品も多くあるため、茶の間だけではなく書斎に掛けても清々しい気分を味わえます。 「立葵」の掛け軸 6月頃のジメジメとした梅雨の時期にお勧めの掛軸が立葵です。 立葵は、アジア原産のアオイ科の多年草で、暑さや寒さに強い丈夫な草花として知られています。風格のある出で立ちで、梅雨の気分が落ちやすい時期に楽しめるテーマといえるでしょう。また梅雨入り頃に花を咲かせ始め、梅雨が明けるとともに花期が終わるため「梅雨葵」という名前でも呼ばれています。立葵を描いた作品としては、江戸琳派の祖と呼ばれる酒井抱一が描いた掛軸が有名です。 「鮎」の掛け軸 鮎の掛軸は5~8月頃によく飾られる季節掛け掛軸です。 鮎は透明で清らかな水でしか生きられないため、清流の女王とも呼ばれています。また独特の香りがあることから香魚と表記されることも。鮎は、願いごとが叶うか魚釣りで占った神功皇后の鮎釣り伝説で有名です。 掛軸では、夏の植物である楓や撫子などと一緒に描かれている作品が多くあります。鮎の姿と川のせせらぎが涼しげな印象を与え、夏の掛軸として欠かせないテーマといえるでしょう。鮎は春の終わりに稚鮎と呼ばれ成長していくと若鮎、落ち鮎と呼び名も変わることから、自然を深く観察する日本人の精神が垣間見える味わい深いテーマといえます。 そのほかにも、夏の掛軸としてはl芙蓉、鬼灯、女郎花、百合などの季節掛けがあります。 季節掛け掛軸で日本の夏を感じよう 四季折々の風景や自然の美しさを描いた季節掛け掛軸は、その季節に合った風情を楽しめる芸術品です。 季節によって掛け替えることで、一時の美しさだけではなく季節が移り変わっていく時間の流れを感じさせてくれます。春の花が咲き、夏の涼しげな緑や青が色濃くなり、秋の紅葉、冬の雪景色と、季節の移ろいを楽しませてくれるでしょう。 夏の季節掛け掛軸としては、朝顔や立葵、鮎などが有名です。また夏の暑さを和らげてくれる涼しげな画が描かれた作品が多くあります。自宅の床の間や書斎に夏の季節掛け掛軸を飾り、部屋に涼風を取り込んでみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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秋を楽しむ季節掛け掛軸 | 紅葉・稲穂・柿
仏教とともに中国から日本へ伝わってきた掛軸文化。 その後、水墨画が伝わり徐々に芸術作品としての楽しみ方も増えていきました。室町時代ごろから、茶室や床の間に掛軸を飾り鑑賞する文化も始まっていきました。掛軸作品に描かれるジャンルも多様化していき、年中飾れる掛軸から、季節によって掛け替える掛軸なども作られています。季節掛け掛軸の種類を知り、掛軸の世界をより楽しみましょう。 秋の掛軸を楽しもう!季節掛け掛軸とは 季節掛け掛軸とは、四季折々の自然の移り変わりに合わせて掛け替える掛軸のことです。大きく分けると、春夏秋冬の4つの季節に合わせた掛軸の画題が存在します。また、月ごとに画題を分けることも可能です。 季節掛け掛軸の大きな魅力は、それぞれの季節の美しい風景や花などの自然の姿を自宅で楽しめることです。都心で緑の少ない地域に住んでいても、自宅に季節掛け掛軸を飾れば季節感を満喫できるでしょう。季節掛け掛軸が、都会に住み忘れかけていた自然の美しさを思い出させてくれるのではないでしょうか。 特に、秋の季節掛けは、実り豊かな季節ということもあり、色鮮やかで美しい題材が数多くあります。 秋の季節掛けに人気の絵柄 秋の掛軸には、鮮やかな色に染まり始める植物や実り始める食物などがよく用いられています。たとえば、残暑がありながらも秋の始まりを感じさせてくれる9月には、栗や葡萄、松茸、萩などの掛軸がお勧めです。 10月に入り緑が鮮やかな赤や黄色に染まり始める時期には、紅葉や柿、竜胆、芒などを飾り、秋の風物詩を掛軸でも楽しみましょう。秋から冬へ移っていく季節の11月は、季節の移ろいを感じられる銀杏並木や枯木の風景、初冬の山水などの風景画がお勧めです。季節に合わせた好みの掛軸を見つけて、四季折々の空気感を掛軸で味わいましょう。 「紅葉」の掛け軸 紅葉の季節掛け掛軸は9~11月にかけて飾られます。 葉が赤に色づくことを紅葉、黄色になることを黄葉、褐色に変わるのを褐葉と呼ぶこともありますが、一般的にはすべてまとめて紅葉と呼ばれています。紅葉は「春は桜、秋は紅葉」といわれるように日本の季節を象徴する風物詩です。桜と比較すると、見ごろの時期が長いため楽しめる機会が多いのも魅力といえます。 掛軸としては紅葉と一緒に鳥を描き花鳥画とする場合もあれば、遠くからのアングルで風景画として描かれることもあり、掛軸作家からするとさまざまな表情を描けるため、描きがいのあるテーマともいえるでしょう。 秋の訪れを気づかせてくれる紅葉の景色は、その美しい黄金色や橙色、赤色などの多彩な色を用いていることが特徴です。掛軸に描かれた紅葉は、鮮やかな色合いが見るものの目を引き、秋の風情を感じさせてくれるでしょう。 「稲穂」の掛け軸 9、10月に飾るお勧めの季節掛け掛軸として、稲穂の画題があります。 秋は農家の人にとって収穫の時期であり、食べ物の収穫ができることを神さまへ感謝する時期でもあるでしょう。そのため、秋の収穫を象徴する稲穂の絵は古くからよく描かれてきました。 また、稲穂はよく雀とあわせて描かれています。雀は子をたくさん生むことから子孫繁栄や、害虫を食べてくれることから厄をついばむものとして、昔から縁起が良いとされてきた鳥です。雀単体では年中掛けとしてよく用いられています。10月頃になると稲穂と雀をあわせた掛軸を多く見かけます。 豊作の願掛けとしても用いられる掛軸ですが、豊かさも象徴しています。稲穂と雀を描いた掛軸は縁起がよいとされているうえに、鑑賞用として楽しむ場合も秋としての風情を感じられる人気の高い季節掛け掛軸です。 「柿」の掛け軸 柿の掛軸も秋を代表する季節掛け掛軸の一つです。 9~12月頃まで長い期間楽しめる画題です。「嘉来」と読めることから縁起の良い画題として親しまれています。柿の語源は諸説あり、暁を略したものといわれていたり、輝きが転じたものともいわれています。 柿は初夏に可愛らしい黄色や白の花を咲かせ、秋には鮮やかな橙色の実をつけるのが特徴。昔から「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざがあるように、柿の収穫の季節は、柿の実を食べて病気にならず医者が必要なくなるといわれるほど、栄養価の高い果物として知られています。そのため、古くから料理で柿の実を砂糖の代わりに使ったり、刻んで柿の茶葉を作ったりして食されていました。 掛軸においては、その木の立ち姿に風情があり多くの作品に描かれ愛されてきました。来年もまた柿が実るようにと柿の木に1つ2つ柿を残しておく木守りと呼ばれる習慣があります。この習慣をモチーフにして、柿の木に1つ2つ実を残した絵が描かれている掛軸作品も多くあります。 秋にお勧めの季節掛け掛軸は、そのほかにも葡萄や栗、菊、松茸、竜胆などがあります。画題の意味だけではなく、描かれ方にも意味が込められている季節掛け掛軸。代表的な画題を把握して、好みの季節掛け掛軸を自宅に飾りましょう。 季節掛け掛軸で日本の秋を感じよう 季節ごとに違った表情を楽しめる季節掛け掛軸。 主に春夏秋冬4つの季節に分けられさまざまな自然や花、鳥などが題材として用いられています。秋の季節掛け掛軸では、紅葉はもちろん、秋に実る果物や植物などが題材になることが多い傾向です。自宅に鮮やかに色づいた秋の自然を描いた季節掛け掛軸を飾って、秋らしい季節感を味わってみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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冬を楽しむ季節掛け掛軸 | 烏瓜・南天・雪景
日本ならではの四季折々の季節感を楽しめる季節掛け掛軸。日本の美しい自然や風景とともに季節を感じさせる題材を描き、季節の移ろいを絵で楽しめる掛軸です。日本で掛軸は主に、床の間や茶室などに掛けて鑑賞を楽しむ装飾品として親しまれています。 掛軸には絵だけではなく詩を書くこともあります。美しい自然の風景に合わせられた詩や名言の意味を考えながら鑑賞を楽しむのもよいでしょう。季節掛け掛軸は季節に合った日本文化や自然豊かな風景を感じられるとして、日本でも古くから愛されています。 冬の掛軸を楽しもう!季節掛け掛軸とは 季節掛け掛軸とは、四季に合わせた絵が描かれた掛軸のことです。 季節によって掛け替えることで、自宅の床の間でも季節感を楽しめる美術品です。日本には四季があり、自然の風景は季節ごとに違った表情を見せてくれます。春は桜が満開に咲き誇り、夏には緑が青々と生い茂る、秋には植物の葉が赤や黄色に染まり始め、やがて冬になると葉が落ち一面が真っ白な雪景色になります。 このような、日本の四季折々の美しさを楽しめるのが季節掛け掛軸です。 四季の美しさや変化を感じるのは、日本人にとっては生活の一部ともいえるでしょう。季節の移り変わりに対する感受性が日常生活に根付いている日本人にとって、季節掛け掛軸は親しみやすい美術品です。 冬の季節掛けに人気の絵柄 冬と聞いて思いつく自然の風景というと雪景色が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。 雪景色の掛軸は、冬の季節掛け掛軸の定番ともいえます。しかし、そのほかにも冬の季節掛けにぴったりな画題は多くあります。たとえば、椿です。品種によって開花時期がかなり異なる花ですが、一般的には冬から春にかけて咲く花として描かれています。 また、水仙も冬を表現する画題の一つです。 水仙の名は、水辺に育つ植物で仙人のように寿命が長いことから名づけられたといわれています。そのほかにも、秋から冬に移り変わる12月ごろは山茶花や烏瓜が好んで描かれています。冬の季節掛け掛軸は、定番の雪景色以外にも多くの画題があるため、好みの掛軸を見つけ自分だけの冬景色を楽しみましょう。 「烏瓜」の掛け軸 烏瓜はとくに冬の訪れを感じ始める晩秋の時期に楽しみたい掛軸です。 晩秋は冬至のころから冬の季節掛け掛軸を飾るようになり、年末年始に向けてお正月を意識した掛軸を飾り始める時期でもあります。秋の掛軸からお正月の掛軸に掛け替えることも多いため、晩秋や冬ならではの掛軸を楽しむ期間は短いといえるでしょう。オレンジや朱色の鮮やかな実をつける烏瓜は、晩秋に飾れる数少ない画題の一つです。 「南天」の掛け軸 南天はよく12月ごろに飾られる冬の季節掛け掛軸の画題です。 南天は寒さが厳しい雪中に実がなります。「難を転じて福となす」の言葉を重ねて幸福祈願の植物としても知られています。年末年始に家内安全を祈り、厄除けとして飾る家庭もあるようです。季節掛け掛軸の中でも飾れる期間が限定される画題ですが、縁起物として好まれています。 また、同じく冬の植物で幸福と長寿の意味を持つ福寿草と組み合わせると、より縁起の良い掛軸となります。何ごともなく無事に新年を迎え、明るい気持ちでスタートしたいという方は、12月ごろから2月ごろの間に南天の掛軸を飾っておくとよいでしょう。 「雪景」の掛け軸 雪景色の掛軸は、冬の定番の掛軸で多くのシチュエーションで飾られています。 雪景の山水画もあれば、雪景色が美しい名所が画題になることも。日本の雪景色の中では、とくに神社や仏閣とあわせた風景が美しいと人気を集めており、古くから好んで描かれてきました。雪が積もった山々や木々、庭園や神社・仏閣など雪景色ならではの荘厳な雰囲気が楽しめるでしょう。 絵師たちが掛軸の中で真っ白な雪景色をどのように表現しているのか、どのような画題とあわせてコントラストを生み出しているのかなど、ただ冬の風景を楽しむのではなく表現方法に注目してみるのもお勧めです。雪景掛軸のこれまでとは違った魅力に気付けるかもしれません。 そのほかにも冬の季節掛け掛軸には、南天に似た赤い実をつける千両や万両、2月に入ると春を少しずつ意識し始める梅や桃なども描かれます。正月は初日の出、富士山、鶴亀、七福神など縁起の良い正月掛けや慶事掛けを飾るのもお勧めです。 季節掛け掛軸で日本の冬を感じよう 冬の季節掛け掛軸では、雪景色だけではなく冬の花や植物、それにあわせて鳥などが描かれていることも多くあります。真っ白な雪景色の美しさを感じられるだけではなく、寒さの厳しい時期でも生き生きとした植物や動物が描かれ、生命の力強さも同時に感じられるでしょう。冬の季節掛け掛軸を飾り、季節感豊かな風景と寒さに負けじとたくましく生きる動植物の美しさを楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.09.14
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日本と中国の水墨画は表現や筆遣いなどに違いがあります
墨の濃淡や線の太さなど筆の使い方によって多彩な表現ができる水墨画。 中国から日本へ伝わり独自の進化を遂げ、風景や人物を美しく描いた作品が数多く生み出されています。力強いタッチで描かれた迫力のある作品や、繊細な筆使いで豊かな表情を描写している作品など、作家・作品によって水墨画から受け取れるイメージはさまざまです。 また、起源である中国と日本でも表現や筆使いに違いがみられます。 水墨画は、独特の墨の質感や線の表現方法による繊細な美しさが特徴であり、シンプルでありながら奥深い美術品です。違いを知ることでより、見る者の心に感動を与える水墨画の魅力を感じられるでしょう。 中国から日本へ伝来した水墨画 水墨画は、墨の濃淡や筆の使い方でさまざまな表現を行う絵画です。 水墨画の始まりは、唐時代の中国であるとされています。古くは殷の時代から既に墨が利用されており、墨で描いた絵画も漢の時代には存在したといわれています。 その後、唐の時代に入りさらに進化していき、墨の濃淡で表現する絵画が描かれるようになりました。唐時代の後半には、水墨画は山水画の技法として広く知れ渡っていきました。 中国から日本に水墨画が入ってきたのは、14世紀前半の鎌倉時代末期とされています。 禅宗文化とともに山水画が日本へ伝わってきました。このとき伝わってきたのは禅の思想を表す達磨図や瓢鮎図でした。墨の濃淡で精神世界を表現している禅宗美術は、武士の心に通じるものがあるとして人気を集め、禅僧の手によって日本でも広がっていきます。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したのが黙庵(もくあん)や可翁(かおう)などの禅僧です。 室町時代に入ると、足利将軍家の庇護を受けた禅宗文化が繁栄していき、水墨画は日本独自の発展を遂げていきました。 室町時代後半に登場する雪舟(せっしゅう)の描く水墨画によって、水墨画は全盛期を迎えます。雪舟が現れるまでの日本の水墨画は、中国から伝わってきた人気絵師たちが描く水墨画の特徴や癖を真似して描く方法が主流でした。 雪舟は、日本で修行を続けていましたが、当時の日本の画風になじめずなかなか納得のいく作品を生み出せずにいました。より自分らしい新たな水墨画を描こうと中国に渡り学びを続けます。しかし、中国でも雪舟が納得するような師はおらず「天地こそが我が師なり」という言葉とともに中国中を回って山河の四季を描き続けたとされています。 雪舟が日本独自の水墨画の画風を確立させてからは、私淑した雪村周継(せっそんしゅうけい)らに受け継がれ、絢爛豪華な画風が好まれた桃山時代以降も水墨画は重要な技法として学ばれていきました。 また、雪舟のいる室町時代に活躍した宗湛(そうたん)の跡を継いだのが、狩野派の始祖となる狩野正信(かのうまさのぶ)です。 狩野派は室町時代中期から江戸時代末期にかけての約400年間、日本画壇の中心となって活躍した流派でした。江戸時代後期からは多くの人を惹きつけていた狩野派や琳派などが次第に衰えていき新しい流派が登場していきます。水墨画は、南画と円山・四条派に引き継がれ現代へと続いていきました。 日本と中国の水墨画の違いとは 鎌倉時代に中国から日本に伝わったとされる水墨画。 当初は中国から伝わってきた水墨画を模写する方法が主流でしたが、雪舟の登場により日本独自の画風が確立され、中国の水墨画と大きな違いがみられるようになりました。 日本と中国の水墨画では筆の使い方や自然の表現方法、線の書き方、墨の使い方などに違いがみられます。違いを知ることで自分がどちらの画風を好んで見ているかを知るきっかけにもなるでしょう。 輪郭線の描き方の違い 中国の水墨画は力強い線と筆使いが特徴的です。対象の外形を輪郭線でとらえる描き方が一般的で、輪郭線をはっきりと描く特徴もあります。また、対象の肌感や質感を線や墨で表現し、自然の光や陰影はあまり反映させない画風です。 日本の水墨画でも輪郭線は描かれますが、墨のにじみによる繊細な表現方法が特徴です。日本の水墨画では、にじみ・ぼかし・たらしこみと呼ばれる3つの技法が活用されています。 季節感の表現の違い 中国の水墨画は、山や川そのものの特徴に注目して描いている作品が多い傾向です。中国の山水画は唐代の王維、李思・李昭道父子、呉道玄や唐滅亡後の五代の時代に確立されました。自然の風景を幽玄な雰囲気で描く特徴があり、風景画というよりも山を神聖なものと捉え、霊獣の住みかである神秘的なものとして描く傾向があります。 中国の水墨画は理想郷を描いているイメージ。中国の高い精神性が水墨画に反映されているといえるでしょう。そのため、中国の水墨画は実際には存在しない風景が描かれていることも多くあります。 日本の水墨画では、山や川の自然な風景に季節感を盛り込むことが多い傾向です。現に、年中掛けと呼ばれる掛軸のほかに、季節掛けと呼ばれる四季にあわせて掛軸を掛け替える風習があるほど、日本人は四季折々の自然美を大切にしています。 筆や墨の使い方の違い 中国の水墨画では筆の使い方を重視します。筆を運ぶときの勢いを利用して強弱を表現する方法が主流です。 一方で日本の水墨画は墨の使い方を重視します。にじみやぼかしなどの墨の技法を利用して柔らかい印象を表現する描き方が多い傾向です。 にじみ にじみとは、まず絵を描く前に和紙に霧吹きや刷毛で水を吹きかけます。その上に墨をおいてにじませて描く手法です。水を吹きかけて墨をのせる方法もあれば、薄い墨を先に張りその上に濃い墨をのせてにじませていく方法もあります。 ぼかし ぼかしとは、にじみ同様和紙に水を張り、軽く筆を動かしながら墨を広げていき、遠くにぼやけて見えるような表現方法をする手法です。 たらしこみ たらしこみとは、水を張ったり薄い墨で描いたりした箇所が乾く前に墨をたらしこむ手法です。にじみと似た手法ですが、たらしこみは水や墨が和紙に染み込まないよう水を吸いにくい紙を用いて描かれます。 日本独自の進化を遂げた、水墨画 中国から鎌倉時代に伝わったとされる水墨画は時代が進むにつれて独自に発展していきました。 禅宗の影響を受けて描かれた時代から、中国絵師の作品の模写を経て、室町時代後期に雪舟によって確立された日本独自の画風が現在もなお受け継がれています。筆の使い方を重視する中国とは違い、墨の使い方を重視する日本の水墨画は、墨の濃淡を活かして四季折々の自然の美しさを表現しています。 独自の技法の発達 日本の水墨画独自の技術である、たらしこみ。 水が染みにくい紙を用いて、先に張った水や墨が乾かないうちに異なる濃淡の墨を上からたらす手法です。たらしこみにより、先に張った水や墨と混じり合うことでできる自然な形や、濃淡による陰影や立体感を加えられます。 この手法は俵屋宗達が確立した手法といわれています。その後、琳派の絵師に受け継がれ、琳派の代名詞的な技法となりました。 日本でたらしこみの技法が生まれた理由には、日本の水質が関係していると考えられます。硬水の中国とは違い、日本の水は軟水です。墨を利用するとき、軟水の方がより滑らかなにじみがでるため、繊細なたらしこみを活かすのに向いていたと考えられます。水質は水墨画を描くうえで妥協できない重要な要素です。絵師の中には少しでも良い水を求めて朝露で墨を摺ったという話も残っています。 また、たらしこみ技術が発展したのは日本ならではの紙も関係しているでしょう。たらしこみは水がにじみにくい紙を利用する必要があったため、日本の丈夫な和紙がそれを可能にしたといえます。 水墨画の三大画題とは 水墨画の画題はさまざまですが、最も有名で描かれているのが山水画・人物画・花鳥画で、三大画題ともよばれています。山水画では、日本の四季折々の自然美が印象的な作品が多く生み出されています。花鳥図の代表として有名なのが、狩野元信(かのうもとのぶ)の『山水花鳥図』です。四季それぞれの山水に花鳥をあしらったこの作品は、水墨をメインとしながらも花鳥部分に淡彩を施している特徴があります。 中国の力強く美しい水墨画 日本の水墨画とは違い、中国の水墨画は力強い美しさがあります。筆の使い方を重視しており、輪郭線をはっきりと描き迫力のある自然美が魅力の一つです。また、日本とは違い季節感をあまり重視していません。中国の水墨画は対象物そのものに焦点を当てて描かれていることも特徴的です。 水墨画の三大巨匠とは 日本には三大巨匠とよばれる有名な絵師が3人います。 雪舟・牧谿・狩野探幽の3人はそれぞれ日本の水墨画に大きな影響を及ぼした人物。歴史の中でどのような水墨画を描き人々に影響を与えたのかを知ることで、より水墨画の鑑賞を楽しめるでしょう。 雪舟 作家名:雪舟(せっしゅう) 代表作:『天橋立図』『山水長巻』 生没年:1420年-1506年 雪舟は絵の才能を見出され京都に出て相国寺で修業に励みます。 しかし、当時主流だった繊細な画風になじめず34歳のころ山口へ移転しました。山口で修業をし14年が過ぎた48歳ごろ、水墨画家として頭角を現し始めていた雪舟は遣明船の一員として中国へ渡る機会が与えられました。 3年の旅の中で見た中国のダイナミックな山水画は、雪舟が得意としていた画風だったこともあり、その後の日本画の型にはまらない水墨画作成のきっかけとなったのです。 雪舟の生み出した作品のうち、国宝に指定されている6点はすべて60代半ばから晩年に描かれた作品です。 牧谿 作家名:牧谿(もっけい) 代表作:『漁村夕照図』『観音猿鶴図』 生没年:1127年-1279年 牧谿は13世紀後半の中国南宋末元の僧で、水墨画家としても日本で高く評価されている人物です。牧谿の水墨画は湿潤な空気感が特徴的です。牧谿の作品は室町時代以降の日本の水墨画に大きな影響を与えています。人気のあまり贋作が大量発生するほどでした。日本では輸入により中国の院体画家の作品が入ってきていたため、牧谿をはじめとする院体画家の画風が狩野派などの大きな流派の画家たちに影響を与えていきました。 狩野探幽 作家名:狩野探幽(かのうたんゆう) 代表作:『両帝図屏風』『雪中梅竹遊禽図襖』 生没年:1602年-1674年 狩野探幽は江戸時代の狩野派絵師の一人です。狩野探幽の画風は、余白を活かした詩情豊かな構成や繊細かつやわらかい筆使いが特徴的で、落ち着きのある味わい深さが感じられます。有名な作品の一つに『雲龍図』があります。鳴き龍ともよばれ大徳寺の法堂の天井に描かれた作品です。龍の絵の真下で手を叩くと共鳴して龍の鳴き声のような音が堂内に響き渡ります。 それぞれの文化や歴史の違いを楽しめる、水墨画 日本の水墨画は中国が起源といわれていますが、日本に入ってから独自の発展を遂げ、日本ならではの画風を確立していきました。そのきっかけを与えたのが雪舟とされています。 中国の水墨画と日本の水墨画にはさまざまな違いがありますが、どちらも魅力的な面を多く持っています。そしてそれらの違いを知ることで、水墨画を鑑賞するときの楽しみ方も増えるのではないでしょうか。歴史と特徴を知り、これまで以上に水墨画の深い芸術を味わいましょう。
2024.09.14
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狩野派の掛軸買取なら、実績ある査定士へ相談を
室町時代~江戸時代にかけて幕府の御用絵師として活躍した狩野派と呼ばれる絵師集団がいました。歴史上でも最も大きな絵師集団とされています。狩野派絵師が手掛けた作品は金色を多く使い、迫力のある豪華絢爛な作品が多い傾向です。 血縁関係者を中心に集まった狩野派は幕府の命を受けて大量の作品を制作するために独自の学習方法や工房制作スタイルを生み出し、日本画界に大きな影響を与えました。狩野派の掛軸の価値を知るためにも、歴史や画風などについて理解を深めましょう。 日本絵画史上最大の画派、狩野派とは 狩野派とは、幕府の御用絵師として室町時代~江戸時代にかけて約400年にわたり襖や障壁画を手掛けてきた絵師の流派を指します。 創始者は室町時代に活躍した絵師の狩野正信(かのうまさのぶ)。狩野派は、幕府の名を受けて数多くの作品を描いています。狩野正信から始まり、狩野家の血縁者を中心に集まった狩野派は、家の格式や序列によってどの城や寺院の障壁画を手掛けるかが決められていました。戦国時代が明けて江戸時代に入り安定した社会が訪れると、狩野家は幕府から障壁画の制作を数多く依頼されるようになり、狩野正信は一門を率いて任にあたりました。 また、狩野派の絵師や作品は近代日本画へも大きな影響を与えています。 各所で壁画や屏風絵を大量に制作するために構築された、工房制作の体制と学習方法は日本絵画史において画期的な変革であったといえるでしょう。工房制作となっても現存する作品からも見て取れるよう、狩野派の技術はとても高かったとうかがえます。 狩野派の歴史や主要な絵師たちを知り、それぞれの作品に込められた思いを想像して楽しみましょう。 狩野派の歴史 狩野派は、室町時代に狩野正信の手によって誕生しました。 室町幕府から始まり織田信長、豊臣秀頼、江戸幕府と御用絵師として約400年もの間、数多くの歴史的な作品を作り続けました。これほど長く幕府の下で絵の制作を行った流派はほかにありません。 伝統的なスタイルを守り続けるもの、革新的な画風を確立するものなど、さまざまな絵師を輩出しながら長く制作を行い続けました。 江戸幕府が始まったころには、京都から江戸へ移転し、京都に残った京狩野と江戸に移り住んだ江戸狩野に分かれることもありました。京狩野は独自の画風を確立し幕末まで独自のスタイルを継承しています。江戸狩野は幕府の命を受けたり、分家や門人筋の仕事を請け負ったりと幅広く活躍していました。全国各地に広がる巨大企業のような様相で、幕末の狩野芳崖(かのうほうがい)や橋本雅邦(はしもとがほう)などが明治維新後に横山大観(よこやまたいかん)らを育成することになります。 狩野派の有名絵師や作品 狩野正信 作家名:狩野正信(かのうまさのぶ) 代表作:『周茂叔愛蓮図』『崖下布袋図』 生没年:1434年-1503年 狩野正信は狩野派の始祖とされる室町時代に活躍した絵師です。第8代将軍の足利義政の下で幕府御用達絵師として絵を描いていました。中国から伝わった水墨画を学び、足利義政や禅寺の要望に合わせて好みの絵師の画風を真似して絵を描きあげていました。 これまで将軍家に仕えた絵師たちは禅の修行を積んだ画僧とよばれる人たちでしたが、狩野正信は僧の修行を積まずに幕府御用達絵師に抜擢された革新的な人物です。 狩野元信 作家名:狩野元信(かのうもとのぶ) 代表作:『四季花鳥図屏風』『瀟湘八景図』 生没年:1476年-1559年 狩野元信は室町後期に活躍した絵師です。狩野派の始祖である狩野正信の長男と次男のどちらかであるといわれています。誕生した狩野派の基礎を確立させ発展に貢献した人物として有名です。1513年頃に大徳寺大仙院客殿襖絵を制作。水墨でありながらも随所に濃彩を施した障壁画で、桃山期障壁画の先駆となる作品といえます。 狩野元信は、幕府だけではなく宮廷や公武、町衆など幅広い層からの需要に応えるため多くの門人とともに障屏画や絵馬、扇画面などさまざまな作品を制作しました。 狩野永徳 作家名:狩野永徳(かのうえいとく) 代表作:『唐獅子図』『檜図屏 風』 生没年:1543年-1590年 狩野永徳は狩野正信のひ孫にあたる人物で、狩野派の御曹司として幼いころから絵師としての才能を幕府に期待されていました。9歳になる頃には室町幕府将軍に拝謁しています。また、公家との関わりも深く、五摂家の障壁画も描いています。当時の戦国武将は狩野永徳を高く評価しており、織田信長が天下統一を目指して建てた安土城や豊臣秀吉の邸宅である聚楽第の障壁画を手掛けるなど、権力者たちから人気を集めていました。 狩野永徳が唐獅子や大樹を題材に描いた『唐獅子図屏風』は、織田信長が本能寺で襲撃されたとき、豊臣秀吉が備中高松城で攻めていた毛利氏に対して和睦の証として贈呈したものといわれています。しかし、近年の調査によると元から屛風図だったものではなく、豊臣秀吉の城の障壁画を屏風のように仕立てた作品であることが分かってきました。 狩野探幽 作家名:狩野探幽(かのうたんゆう) 代表作:『雪中梅竹遊禽図襖』『富士山図』 生没年:1602年-1674年 狩野探幽は、狩野永徳の次男「狩野孝信」の長男として、江戸時代に活躍した絵師です。狩野探幽は、狩野永徳が築き上げてきた安土桃山時代を象徴するような豪華絢爛で迫力のある画風とは打って変わり、軽淡瀟栖な画風を確立させました。余白を存分に生かした繊細で詩情あふれる数多くの作品は、狩野派一族の地位を不動のものにしました。 狩野探幽が作り上げた画風はその後の規範となり、狩野派だけではなく光琳や応挙をはじめとする江戸時代の絵画界に大きな影響を与えたとされています。狩野探幽は1662年に60歳で画家としての最高位である法院を授かり、その後も晩年まで精力的に作品を描き続けました。 狩野芳崖 作家名:狩野芳崖(かのうほうがい) 代表作:『不動明王』『悲母観音』 生没年:1828年-1888年 狩野芳崖は明治時代に活躍した絵師で、家は長府藩の御用絵師を担っていました。江戸木挽町の狩野勝川院雅信に教えを受け、雪舟を中心に諸派絵画の研究を行います。 明治10年代半ばに米国人哲学者のアーネスト・フェノロサと出会い、西洋絵画の空間表現や色彩などを学び、日本画の革新に努めました。その後、東京美術学校の創立に尽力し、教授に任命されるものの開校を前に亡くなっています。 狩野派の画風、特徴 狩野派が描く作品は、現代美術のようにひとり一人の個性が生きた作品ではなく、これまでの伝統的な粉本や筆の使い方を忠実に再現し、描かれていました。現代の個性あふれる芸術に触れていると、芸術性や創造性が欠けていると指摘されることもありますが、忠実に再現する学びの方法は当時ほかの流派でもみられる一般的な学習方法でした。 狩野派の始祖である狩野正信が描く作品は、中国の水墨画とやまと絵のやわらかい表現を併せ持つ日本人の感性に響く画風です。この画風を幕府が気に入り御用絵師としての歴史がスタートしたといえるでしょう。 2代目である狩野元信が描く作品は、狩野正信同様に中国と日本の水墨画を融合させたものです。狩野元信は、狩野派として多くの作品を手掛けていくために、工房制作の体制づくりを本格的に進めます。武家や公家、有力寺院などからも依頼を受けるようになり、狩野派としての地位を確立させました。 江戸の狩野派を代表する狩野探幽は、これまでの画風を覆し、瀟洒で枯淡な作品を多く描いていきました。江戸の平和な世界を制作に反映させていたといわれています。 狩野派の基本に忠実な画風とは一線を画す制作をしていたのが狩野山雪。京都に残った狩野派は京狩野とよばれ、その一人である狩野山雪は狩野派としては異端的表現で制作を行い、奇想画家の一人にも数えられています。 また、明治時代に活躍した狩野芳崖もこれまでの伝統を打ち破り、新しい日本画の制作に打ち込みました。伝統的な狩野派の画風に西洋画の技法を応用し、近代日本画の確立に貢献したとされています。古くから日本画に用いられてきた技法である輪郭線を描かず、対象物と背景を自然に融合させる画風を確立しました。 狩野派の作品は掛軸としても残されている 幕府の御用絵師として、障壁画や屛風絵を多く描いてきた狩野派絵師たちですが、掛軸作品も多く残されています。 工房制作スタイルで大量生産を行ってきたため作品数は多い傾向ですが、その分、贋作も多く出回っています。このため、掛軸が本物であるかどうかを自身で見極めるのは難しいでしょう。 倉庫や蔵から発見した狩野派と思われる掛軸の真贋を見極めるには、プロの査定士への査定依頼がお勧めです。 狩野派の掛軸作品は高値で買取が可能なものも多くあります。汚れや傷みがひどい場合でもそのままお持ちください。修復を行ってしまうと、かえって掛軸を傷つけてしまったり、修理費用の方が高くついてしまう可能性があります。もし、狩野派掛軸と思われる作品をお持ちであれば、まずは査定を依頼してみましょう。
2024.09.14
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