日本画の伝統を受け継ぎつつ、新たな表現を追求する場として広く知られる「再興院展(院展)」は、日本美術院が主催する公募展として1914年に始まりました。
その後100年以上にわたり、日本画の魅力を発信し続けているこの展覧会は、歴史ある作品とともに、革新性あふれる新しいアプローチを持つ作品が一堂に会する特別な場です。
日本美術の伝統的な価値観を守りながらも、次代の画家たちによる挑戦的な試みが息づく再興院展。
その見どころと長い歴史に触れ、日本美術の奥深さを感じてみましょう。
目次
再興院展 (院展)はどのような展覧会?
再興院展は、日本美術院が主催する歴史ある日本画の公募展で、1914年の創設以来、100年以上にわたり日本画の発展と普及を支え続けています。
この展覧会は、毎年9月の東京展を皮切りに全国を巡回する形式で行われ、多くの地域で日本画の魅力を伝える場として親しまれています。
神奈川県・横浜での開催は注目されており、岡倉天心の出身地であることから、日本美術院との深い縁が感じられる重要な開催地です。
この地は、山海の自然が織りなす豊かな風土と文化的な深みを背景に、多くの芸術家たちがアトリエを構え、創作活動を行ってきました。
平山郁夫や松尾敏男、伊藤髟耳などの著名な画家たちも、神奈川と縁のある作家として知られています。
再興院展は、伝統と革新が交錯する日本画の世界を次代の画家たちへとつなぐ役割を果たしており、その魅力は今も広く支持されています。
新たな取り組みをしている作品が多くある
再興院展は、伝統的な日本画に新たな視点や技法を加える場としても注目されています。
その始まりは1914年、岡倉天心の死去後、横山大観や下村観山を中心とした芸術家たちによって再興日本美術院が結成されたことにさかのぼります。
この展覧会では、当初から日本画だけでなく、洋画や彫刻などのジャンルを取り入れ、幅広い芸術表現を追求してきました。
日本画部では、小川芋銭や安田靫彦、速水御舟、今村紫紅らが「新南画」と呼ばれる独創的なスタイルを生み出し、既存の枠にとらわれない表現が注目されました。
一方、洋画部では、小杉未醒や村山槐多、柳瀬正夢らが表現主義的な作品を発表し、近代日本美術の新しい可能性を示しています。
また、彫刻部では平櫛田中がその名を広め、多様な芸術の融合が見られる場となりました。
戦後においては、小倉遊亀や平山郁夫などの作家たちが、再興院展を通じて一般の人々にも親しまれる作品を発表し、展覧会の大衆的人気を高めました。
これらの歴史を背景に、再興院展は現代においても伝統を大切にしながら、新たな挑戦を続ける作品が多く集まる場として、進化し続けています。
再興院展 (院展)の歴史
再興院展は、1898年に岡倉天心を中心として設立された日本美術院が主催する、日本画の伝統を受け継ぐ展覧会です。
設立当初の日本美術院は、日本画の革新を目指すために活動していましたが、経済的な困難などにより一時活動を停止しました。
その後、1914年に横山大観らの尽力により再興され、この年から再興院展がスタートします。
再興院展は100年以上にわたる歴史を持ち、近代日本画の発展を牽引してきました。
明治以降に誕生した新しい日本画の潮流を形作るうえで、歴代の名だたる画家たちがこの展覧会を舞台に多くの傑作を発表してきました。
その結果、再興院展は日本画の技術や美意識を深めるだけでなく、後進の育成や伝統の継承にも大きな役割を果たしています。
現在も年に一度開催される再興院展は、日本美術の豊かな歴史と未来をつなぐ場として、多くの芸術愛好家から支持されています。
再興院展 (院展)に出展(受賞)した有名作家・作品
再興院展(院展)は、100年以上の歴史を持つ日本画の展覧会であり、その舞台からは数多くの著名な画家と名作が誕生しています。
日本画の伝統を守りつつも新たな表現を追求するこの展覧会は、多くの作家たちにとって自身の才能を示し、評価を受ける重要な場です。
横山大観や菱田春草など初期の巨匠から、平山郁夫や小倉遊亀など戦後の人気作家に至るまで、歴代の受賞作や出展作品は、日本美術の進化と多様性を物語っています。
小川芋銭
小川芋銭は、1868年に江戸で生まれ、1938年に亡くなった日本画家であり、河童の絵で知られています。
小川は本多錦吉郎の画塾で洋画を学び、その後独学で日本画を習得しました。
素朴でユーモアにあふれたスタイルが特徴で、特に水辺の風物や河童をテーマにした作品が多く残されています。
再興第1回院展では、『水魅戯』を発表しています。
安田靫彦
安田靫彦は、日本画の伝統を受け継ぎながらも、独自のスタイルを確立した重要な作家の一人とされています。
14歳のときに小堀鞆音に師事し、1898年には日本美術院展に初めて出品しました。
古典的なテーマをベースにしながらも、現代的な感覚を取り入れた作品が特徴的です。
再興第28回院展にて『黄瀬川陣』を出品し、朝日文化賞を受賞しています。
今村紫紅
今村紫紅は、日本画の革新を目指し、独自のスタイルを確立した重要な作家の一人です。
伝統的な日本画の技法を用いながらも、印象派の色彩感覚や南画の要素を取り入れた新しいスタイルが特徴です。
再興第1回院展において代表作『熱国之巻』を出品しており、大胆な構成と明快な色調が評価され、彼の芸術の頂点を示すものであるともいわれています。
速水御舟
速水御舟は、14歳のときに松本楓湖のもとで日本画を学び始めました。
その後、今村紫紅らと共に「紅児会」を結成し、新しい日本画のスタイルを模索しました。
彼の作品は、細密描写と象徴的な表現が特徴です。
再興第1回院展に『近村』を出品しており、院友に推挙されています。
再興院展を通じて日本画の革新に貢献し、彼の作品は今なお多くの美術館に所蔵され、評価されています。
小杉未醒
小杉未醒は、洋画から日本画に転向し、水墨画や淡彩画を描いていたことで知られています。
1914年に日本美術院が再興されると、彼は同人として参加し、洋画部を牽引しました。
自然や風景をテーマにしたものが多く、特に水墨画や淡彩画において独自の境地を切り開いています。
再興第1回院展に『飲馬』を出品し、洋画部同人として活動を開始しています。
村山槐多
村山槐多は、短い生涯の中で、独自の画風を確立し、大正時代の美術界において重要な存在となった日本の洋画家であり詩人です。
若いころから絵を描くことに興味を持ち、14歳で画家を志して上京しました。
その後、小杉未醒のもとに下宿し、高村光太郎の工房にも出入りしています。
再興第2回院展に『カンナと少女』を出品し、院賞を受賞しています。
柳瀬正夢
柳瀬正夢は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本の洋画家であり、漫画家でもあります。
1925年には、日本プロレタリア文芸連盟に参加し、同年創刊された「無産者新聞」に政治漫画を掲載しています。
彼の作品は、社会問題や戦争に対する批判をテーマにしており、民衆の視点を大切にしたものでした。
15歳のとき、再興第2回院展に『河と降る光と』を出品して入選しています。
小倉遊亀
小倉遊亀は、日本を代表する日本画家であり、女性として初めて日本美術院の同人に推挙され、また日本美術院の理事長を務めたことでも知られています。
細密な描写と豊かな色彩が特徴で、特に静物画や人物画において高い評価を受けています。
再興第39回院展に出品した『裸婦』は、芸術選奨美術部門文部大臣賞を受賞しました。
平山郁夫
平山郁夫は、日本画家として活躍した人物で、仏教やシルクロードをテーマにした作品で知られ、戦後の日本画壇において重要な役割を果たしました。
平山は15歳のときに広島で原爆投下を経験しています。
この経験が彼の作品に深い影響を与え、平和を祈るテーマを持つ作品を描くきっかけとなりました。
再興第46回院展に出品した『入涅槃幻想』は、日本美術院賞(大観賞)を受賞しています。