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葛飾北斎と門人が描いた平安の美を味わえる「北斎が紡ぐ平安のみやびー江戸に息づく王朝文学」に行ってみた!
誰しも一度は耳にしたことのある超有名浮世絵師・葛飾北斎(1760年-1849年)。 江戸時代後期に活躍した絵師で、日本のみならず海外からも高い評価を得ている人物です。 大きな波の後ろに富士山が描かれた絵を見たことがある人も多いでしょう。 あの有名な『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』を描いたのが北斎なのです! 富士山をテーマにした連作を手がけ、大変有名になったため、風景画を得意とする浮世絵師のイメージをもっている人も多いのではないでしょうか。 しかし、実は風景画だけではなく、美人画や花鳥画、妖怪画など、さまざまなジャンルの浮世絵を残しているのです。 そして、北斎とその門人は平安時代に活躍した人物や都の暮らしをイメージした浮世絵も多く描いています。 今回は、すみだ北斎美術館で開催されている「北斎が紡ぐ平安のみやびー江戸に息づく王朝文学」に行ってきました! 「北斎が紡ぐ平安のみやびー江戸に息づく王朝文学」はすみだ北斎美術館にて開催中 江戸時代の日本では、平安時代の宮廷文化や古典文学が再び注目を集めていました。 多くの芸術家たちがその風雅な世界観に魅了され、画で表現することに力を注いだのです。 北斎と門人たちも、平安の雅に魅了された人々のうちの一人で、平安時代の貴族生活や文学をテーマに、王朝の優雅さを映し出す作品を数多く制作しています。 北斎は『源氏物語』や『伊勢物語』などの名場面を描き、登場人物や風景から平安の美意識を感じさせてくれます。 また単に物語のワンシーンや歌意を画にするだけにはとどまらず、着物の模様や調度品など王朝文学の雅も表現されているのです。 今回の企画展「北斎が紡ぐ平安のみやび―江戸に息づく王朝文学」では、北斎と門人たちが手がけた、平安時代や王朝文学に関する作品が一堂に集められています。 北斎たちが思い描いていた平安時代の雅やかなイメージや物語の魅力を楽しめる企画展です! 江戸時代に生きた彼らが抱いた平安時代への憧れや、文学に対する深い理解を想像するとともに、北斎たちが再構築して描き出した平安の世界観を楽しみましょう。 すみだ北斎美術館を利用するにあたっての注意事項 すみだ北斎美術館では、貴重な作品を保護するためのいくつかのルールが設けられています。 まず、展示室内では鉛筆以外の筆記具の使用は控えるよう案内されています。 シャープペンシルやボールペンの芯やインクが万が一作品に触れてしまうと、汚損のリスクがあるため、鉛筆のみ使用可となっているのです。 また、館内は撮影禁止のエリアがあり、撮影可能エリアが限られています。 撮影可能な場所は、地下1階ホワイエ、1階エントランス(ミュージアムショップを除く)、3階・4階の展望ラウンジ、4階常設展示室「AURORA」です。 展示作品の保存上の理由から、他のエリアでは撮影が禁止されているため注意しましょう。 地下1階にはロッカーが完備されていますが、サイズが小さいため大きな荷物をお持ちの方は、受付に預けるのがおすすめです。 見たことない・知らなかった北斎の視点や作品が堪能できる展示 今回の企画展「北斎が紡ぐ平安のみやびー江戸に息づく王朝文学」は、江戸時代の人々が抱いた「平安」の美意識を、北斎とその門人が作品として描き堪能できる内容となっています。 江戸時代における平安時代の文学や文化に対する関心の高まりを背景に、優雅な「みやび」の世界を多彩な角度から紹介しています。 企画展を構成する4つの章は、それぞれ以下の通りです。 序章:江戸時代の「平安」像 第一章:「みやび」なイメージの形成 一節:都の暮らし 二節:怪異への恐れ 第二章:描かれた王朝文学 第三章:王朝文学ゆかりの意匠 一節:文学にまつわる文様 二節:一場面が意匠に 企画展入ってすぐの場所には「浮世絵豆知識」が掲示されており、北斎と浮世絵の基礎知識を得ることで、作品の背景が一層理解しやすくなっています。 序章:江戸時代の「平安」像 江戸時代に入ると、民衆の『源氏物語』や『伊勢物語』などの古典文学への関心が高まり、写本や解説書などが広がっていきました。 また、学問や教育の発展に伴い、和歌の代表作である『古今和歌集』が親しまれるようになり歌仙絵が流行り、王朝文学が江戸の人々の生活や文化に深い影響を与えていったのです。 序章では、こうした背景を通じて江戸時代に形成された「平安」への憧憬が感じられる作品が展示されています。 葛飾北斎『枕草子を読む娘』 江戸時代の遊女文化と文学への関心を感じさせる魅力的な一枚です。 描かれている女性は、振袖新造と呼ばれる遊女としての地位が高まりつつある若い女性で、本を読む知的な姿が印象的です。 美しい着物に身を包みながら『枕草子』を読む姿からは、当時の遊女たちがただ美しいだけでなく、文学や教養も求められていた様子が見て取れますね。 第一章:「みやび」なイメージの形成 王朝風の作品では、宮廷行事や都の華やかな日常がテーマとして描かれています。 またこの時代、大陸から伝わった思想や信仰が、日本に古くからある信仰や伝説と結びつき、怪異の存在が身近になっていました。 この章では、江戸時代以降に想像された平安朝の生活や文化、妖怪や怪異などの伝説が近い存在であったことを感じられる作品が展示されています。 一節:都の暮らし 葛飾北斎『五十三次江都の往かい 京』 東海道の宿駅を舞台にした作品で、江戸時代の都の生活を鮮やかに映し出しています。 二人の童子が舞っている舞楽「胡蝶」は、平安時代から続く伝統的な舞いであり、作品の中でのその表現は、まさに江戸時代の人々が抱いた「平安」のイメージを象徴しているかのようでした。 二節:怪異への恐れ 葛飾北斎『北斎漫画 五編 柿本貴僧正』 この作品は、平安時代に活躍したとされる歌人・柿本人麻呂の伝説をもとに描かれたとされています。 真済が恋い焦がれた藤原明子に取り憑く様子は、愛情が生み出す悲劇的な側面を浮き彫りにしています。 手前に恐ろしい紺青鬼姿の真済が描かれていますが、その表情はどこか悲しげなような苦しげなような、異界の存在となってしまったことへの苦悩が見え隠れしているようにも感じられますね。 本の形で展示されている作品も多くあり、現代の漫画を思わせる構造で枠内に絵が描かれているのが特徴的でした。 本は視覚的にストーリーを伝えるだけではなく、自分で冊子をめくり読み進めていくことで、より作品に対する興味を引き立ててくれるものだと感じられました。 第二章:描かれた王朝文学 江戸時代、王朝文学は絵画で盛んに表現され、多くの作品が描かれました。 北斎やその門人も『源氏物語』や『伊勢物語』などの古典的な作品をテーマにして、それぞれ独自の支店や表現で描いています。 また、王朝文学に登場する人物に、江戸時代の髪型や服装などのアレンジを当てはめ、歴史と現代を融合させた作品も生み出しているのです。 第二章は、過去の文化がどのように江戸時代に受け継がれていたのかが感じられる展示となっています。 葛飾北斎『風流源氏うたがるた』 『風流源氏うたがるた』は、華やかな『源氏物語』の中の和歌が使われた歌がるたです。 ただ遊びに使われるかるたではなく、文学と美術が融合した一つの作品として、とても惹きつけられました。 青い縁の札に上の句、黄色い縁の札に下の句が書かれ、各巻にまつわる絵がそえられており、視覚的にも楽しませてくれます。 古典文学が江戸時代から多くの人に愛されてきたことが分かる作品ですね。 葛飾北斎『諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図』 この作品からは、単なる風景画ではなく古典文学の豊かな歴史を感じられます。 八ツ橋は、昔から歌枕として親しまれており、『伊勢物語』の主人公である在原業平が和歌を詠んだ地としても伝わっています。 北斎が描いたこの作品では、八ツ橋を題材に江戸時代の風俗を取り入れながら、湿原に咲く杜若を楽しむ旅人たちの姿が描かれており、オレンジと青色のコントラストが印象的です。 古図という表現が示す通り、すでに失われた風景を思い起こさせ、見る者にノスタルジーを感じさせてくれますね。 葛飾北斎『百人一首乳母か絵説 在原業平』1835年/大判錦絵 竜田川の流れの中に散る紅葉が、秋の深まりを感じさせてくれる魅力的な作品で、印象に残っています。 勢いのある川の流れで水が白く波立つ様子が表現されており、その上に鮮やかなオレンジの紅葉が描かれていることで、自然の美しさをより一層感じられました。 また、北斎の繊細な描写の技術を垣間見えたともいえます。 第三章:王朝文学ゆかりの意匠 平安時代の文学にまつわる文様や物語から着想を得たデザインは、江戸時代の調度品や衣服の意匠に取り入れられるなど、当時の生活文化にも深く影響を与えていました。 北斎たちの作品においても、『源氏物語』をはじめとした古典文学の要素が多く取り入れられ、着物や調度品にゆかりある文様や物語の場面が表現されています。 歌がるたのような和歌の句や場面をモチーフにしたデザインが織り込まれた着物は、見る者に雅やかな王朝文化の空気を感じさせてくれますね。 また、調度品や着物にさりげなく描かれる物語の場面は、日常に文学的な雰囲気を漂わせ、観る者に豊かな想像を提供してくれます。 一節:文学にまつわる文様 葛飾北斎『美人カルタ』 『美人カルタ』には、かるた取りに興じる美人たちの優雅な姿が描かれており、頬杖をつく女性の着物には、源氏車の文様があしらわれています。 源氏車は、平安貴族が使用していた御所車の車輪を図案化したもので、平安時代から文様として広く使用されるとともに、家紋としても利用されていたのです。 『源氏物語』第九帖「葵」に登場する車争いの場面が強く思い起こされ、源氏物語を連想させてくれます。 二節:一場面が意匠に 葛飾北斎『今様櫛きん雛形』櫛之部 上 源氏うきふね この作品は、櫛のデザインを描いた絵手本です。 「浮舟」は、光源氏の息子である薫と孫の匂宮を中心に展開されていく物語で、この作品では匂宮が宇治へ赴き、浮舟を隠れ家に連れ出すシーンが取り入れられています。 櫛のデザインに王朝文学のワンシーンを取り入れることで、単なる髪を梳かす櫛ではなく芸術品としての価値も高まるだろうと感じられました。 オリジナルグッズや「雅」なグッズまで 1階エントランスにあるミュージアムショップでは、今回の企画展「北斎が紡ぐ平安のみやびー江戸に息づく王朝文学」にちなんだ多彩なグッズが並んでいます。 図録やリーフレットに加え、所蔵品から着想を得たオリジナルアイテムや北斎の浮世絵をデザインした商品、さらには地元・墨田の技術を駆使した「メイドインすみだ」シリーズもそろっており、訪れた人々を楽しませてくれています。 さらに、ミニ書道セットやミニ屏風、和を感じられる折り紙や箸、御朱印帳などのアイテムは、持ち帰って使用することで日常生活にも雅な雰囲気を取り入れられるでしょう。 観覧券がなくてもミュージアムショップだけの利用も可能なため、美術館を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみてください。 世界から注目される北斎作品のいつもと違う切り口が楽しい 「北斎が紡ぐ平安のみやび―江戸に息づく王朝文学」展は、平安時代の優美な文学の世界が北斎とその門人たちの手によってどのように再解釈されたのかを堪能できる貴重な機会です。 海外でも人気の高い北斎作品が並び、海外からの観光客の姿も多く見受けられました。 展示解説は日本語だけでなく英語も併記されており、海外から訪れた方々も作品の背景や意図を深く理解しながら楽しめる内容となっています。 美術展の余韻を楽しんだあとは、ぜひ最寄り駅である両国駅近くの「カフェ・ベローチェ」でひと息つきましょう。 心落ち着く空間で、展示で鑑賞した作品たちをゆっくりと振り返りながら、コーヒーやスイーツでほっとひと息つくのもよいですね。 豊かな香りのコーヒーや軽食もそろい、展示の感想を語り合うひとときにもぴったりです。 企画展鑑賞後のひとときを、ベローチェで過ごしてみてはいかがでしょうか。 店舗情報 カフェ・ベローチェ 両国店 https://c-united.co.jp/store/detail/000404/ 開催情報 『北斎が紡ぐ平安のみやびー江戸に息づく王朝文学』 場所:〒130-0014 東京都墨田区亀沢2丁目7番2号 期間:2024/9/18~2024/11/24 公式ページ:https://hokusai-museum.jp/ チケット:一般 1,000円、高校生・大学生 700円、65歳以上 700円、中学生300円、小学生以下 無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.26
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府中市美術館 [東京都府中市]へ行ってみよう
都立府中の森公園内にある、緑豊かな美術館 東京都府中市にある「府中市美術館」は、緑豊かな都立府中の森公園内に建てられています。 「生活と美術=美と結びついた暮らしを見直す美術館」というテーマを掲げ、2000年10月に開館しました。 美術館では、多彩な作品展示や学習プログラムを通して、訪れる人々が美術と身近に触れ合える環境を提供しています。 府中市美術館では、美術作品の鑑賞だけではなく、学習や創作、作品発表の機会を提供し、地域の芸術活動を支える役割も果たしているため、アートに親しみを感じながら生活の中で美を楽しむ空間として愛されています。 府中市美術館では、日常に新たな視点や美的感覚が広がる、特別な体験が待っているでしょう。 展示 府中市美術館のコレクションは、江戸後期から現代に至るまでの絵画を中心とした1,000点以上を所蔵しており、幅広い時代の日本美術を一望できる貴重な内容となっています。 多彩なコレクションの中から、厳選された約60点が常時展示されており、訪れるたびに異なる作品に出会えるのも魅力の一つです。 その中から厳選された約60点が常時展示されており、訪れるたびに異なる作品に出会えるのも大きな魅力です。 展示作品は定期的に入れ替えられるため、何度でも新しい発見を楽しめる場所として、多くの美術愛好家や市民に親しまれています。 コレクション 府中市美術館では、近代以降の日本美術に焦点を当てた展示を行っており、特に日本と西洋美術の相互関係や、日本の伝統美意識の展開を意識したコレクションが特色です。 日本近代美術の流れや、独自の特質を広く展望できる作品群を収集・展示しており、江戸時代から近現代にかけての美術作品を通じて、時代を超えた美意識の変遷や、当時の西洋との文化交流の影響を鑑賞者が感じ取れる内容になっています。 府中市美術館のコレクションは、親しみやすくも奥深い日本美術の魅力をさまざまな角度から楽しめ、訪れる人々がより美術と身近に向き合う機会を提供しています。 青木繁『少女群舞』 司馬江漢『相州江之島児淵図』 セザール・ド・コック『12月のノルマンディー風景』 特徴/ここがオススメ 府中市美術館の1階には、無料で利用できる多彩なスペースが備わっています。 来館者が自由に利用できる美術図書館や、市民による作品展示が行われる市民ギャラリー、のんびり過ごせるカフェなどがあります。 さらに、ワークショップや美術館講座、ミュージアムコンサートなどのイベントが定期的に開催され、来場者がさまざまな形で美術の魅力を体験できる場所として、人気を集めているのです。 また、館内には「公開制作室」が設けられており、作家が作品を制作する姿を間近で観覧できます。 公開制作室では、制作プロセスを見学し、作家の創作や考えに触れられるため、美術が生まれる現場を体験できる貴重な場所として訪れる人々からの人気を集めています。 美術館情報 府中市美術館 住所:〒183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地(都立府中の森公園内) GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/pfNDzqhMK2M1LCY5A アクセス:京王線府中駅からちゅうバス(多磨町行き)「府中市美術館」下車すぐ ほか 開館時間:10:00~17:00(展示室への最終入場は午後4時30分まで) 休館日:月曜日(この日が祝日の場合はその翌日)、年末年始 、展示替えの期間など ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:展示によって異なります 公式サイト:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/ 年間パスポート:個人会員 一般 2,500円、高校生・大学生 1,500円、小学生・中学生 800円
2024.11.26
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ポスターと油彩画に追求する「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展を観てきた!
皆さんは、アルフォンス・ミュシャ(1860年-1939年)という画家を知っていますか? ミュシャは、「アール・ヌーヴォーの旗手」として世紀末に多大な影響を与えた芸術家です。 彼の作品は、優美な女性像、風になびく豊かな髪、流れるような衣装、装飾的なモチーフが特徴であり、その独創的なデザインは当時の芸術界に新しい美意識をもたらしました。 ミュシャのスタイルは華やかで繊細であり、時代の寵児として愛され、その後多くの芸術家が彼を模範としました。 今回は、府中市美術館で開催されている「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」に行ってきました! ミュシャの魅力を深く味わえる貴重な機会のため、ぜひ興味のある方は訪れてみてください。 「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」は府中市美術館にて開催中 府中市美術館で開催中の「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展では、ポスターで世紀末パリを彩ったデザイナーとしてのミュシャと、重厚な油彩で壮大なテーマを描いた画家としての二面性が見どころです! ミュシャが描く華やかなポスター作品だけでなく、力強い油彩画や貴重な下絵も一堂に展示されており、ミュシャ独自の美的世界を存分に堪能できます。 世紀末のパリを彩ったアール・ヌーヴォーの魅力と、壮大なテーマを持つ作品を同時に味わえる貴重な機会です。 ミュシャの創造力が溢れるこの展覧会をじっくり鑑賞していきましょう。 都立府中の森公園内の府中市美術館には、ミュシャの企画展を宣伝する案内板が設置されていました。 ポスターと油彩画が対になった案内板から、すでに企画展を訪れる人をわくわくさせてくれますね。 ポスターと油彩画を比較しながら楽しめる企画展 「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展では、ミュシャが手がけたポスターと油彩画の両方を同時に鑑賞できます。 パリ時代の華やかな版画と、パリを離れた後半生に打ち込んだ油彩画。 両者を一つの視点から眺め渡す機会が、これまでほとんどなかったために、まるで別世界のもののように語られてきました。 しかしながら、固定観念を取り払って各々の作品に向き合えば、色やかたち、構図の作り方など、絵作りの要素には、共通点が多いことに気づきます。 また、時代の流行り廃りに振り回され、なかなか日の目をみなかったミュシャの油彩画をじっくりと鑑賞できる企画展ともいえます。 まったく異なるスタイルで描かれている版画と油彩画ですが、どちらもミュシャの強い想いが込められています。 本展では、ミュシャが制作活動を行っていた時代の背景にも目を向けながら、ミュシャがどのような想いをもってポスターを描き、油彩画に注力するようになったのかを想像してみましょう。 なお、「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展は、展示室内の写真撮影ができません。 美術館スタッフに確認したところ、ロビーや企画展示室前の垂れ幕や入口のロゴまでは撮影ができるとのことでした。 展示室内では、スマホの操作を注意されている方もいたため、メモを取るならメモ帳と鉛筆を持参するのがおすすめです。 なお、鉛筆は美術館内で貸出を行っていたため、メモ帳だけはもっておくとよいでしょう。 展示室内には、ミュシャの世界観を体感できる作品が多く展示されています。 代表作の版画や素描が並び、彼の魅力を存分に楽しめる内容です。 また、下絵と完成作品を見比べることで、ミュシャの創作過程に迫る楽しさも味わえます。作品のディテールから、ミュシャの「造形力」の奥深さを感じられるでしょう。 入口の前の壁面には、白地に金の装飾が施された企画展のタイトルがデザインされています。 また、ミュシャの絵がデザインされた垂れ幕が出迎えてくれ、まさにここからミュシャの世界へと誘われるようでした。 『ジスモンダ』1894年/紙・リトグラフ/サントリーポスターコレクション 『ジスモンダ』は、主演のサラ・ベルナール自身がプロデュースした舞台のために制作されたポスターです。 舞台美術や衣装の細部までが忠実に再現されている点から、ミュシャの高い観察力と表現力がうかがえますね。 初期の作品ならではの人間味あふれる表現が魅力的で、装飾や衣装の模様が特に美しく描かれており、心を打たれました。 『サラ・ベルナール』1903年/紙・リトグラフ/OGATAコレクション こちらも今回の企画展で印象に残った作品の一つです。 この作品は、一般的に知られているミュシャのポスターとは異なり、初期のためか水彩画や油彩画のような柔らかなタッチが感じられ、独特の魅力を放っていました。 よく見るポスターのイメージとは異なる作品に触れてみて、ミュシャの多様な表現方法の奥深さや、彼の作品が持つ深さを改めて実感しました。 企画展内では、ミュシャの作品のデザインが施されたお菓子の缶も展示されています。 アールヌーヴォーを代表する優美なデザインが施されたお菓子の缶は、中身を食べた後も捨てたくないと思わせる魅力がありますね。 缶の形状に合わせたデザインが工夫されており、視覚的な楽しさだけでなく、実用性も兼ね備えた作品として、さまざまな側面から楽しめます。 ミュシャのアートが日常に溶け込む瞬間を体感できるのは、新しい発見でした! また、いくつかの作品では、額縁から飛び出すような立体感のある絵もあり、印象に残っています。 身体の一部や衣服が枠を越えて描かれていることで、観る者を引き込む力を感じます。 また、四季をテーマにした作品群は、色彩豊かで魅力的。ミュシャ作品では、太い輪郭線や四季など、日本や日本美術を思わせるような特徴があると感じました。 準備段階の習作と完成画を見比べる展示は興味深く、習作では表情がぼんやりとして表情は分からなかったのが、完成作で細部が明らかになる様子を比較して見れたのが印象に残っています。 ミュシャの創作過程を垣間見ることができ、深い感銘を受けました。 『メディア』1898年/紙・リトグラフ/株式会社インテック 『メディア』では、描かれているサラ・ベルナールの見開かれた目の鋭さに圧倒されました。 この作品は、サラ・ベルナールの舞台のためにミュシャが手掛けたもので、彼が宝飾品やアクセサリーに力を入れるきっかけとなった作品としても知られています。 画面には、メディアが血のついた短剣を握り、狂気的な視線で観る者を見つめる姿が描かれています。 足元には自らの手で刺殺した息子が倒れ、不吉な朝日が背後に昇っている様子が印象的です。 この強烈なシーンは、ミュシャの描写力によって一層深みを増しているように感じられます。 『宝石』シリーズ 1900年/紙・リトグラフ/株式会社インテック 今回の企画展では、4つの絵の連作である『宝石』シリーズも印象に残っています。 ルビー、アメジスト、トパーズ、エメラルドの作品が並び、タイトルに反して宝石自体は描かれていませんが、それぞれ異なる色調や雰囲気を持つ女性たちが、独自の魅力を放っています。 さらに、額縁のデザインもほかにはない独特な特徴があり、上部にはポスターの女性のモチーフが施されており、額縁を含めて一つの作品であると感じさせてくれるものでした。 このシリーズを通じて、ミュシャの繊細な感性を楽しむことができました。 展示の終盤には、ミュシャの代表的なポスター作品に加えて、展覧会の目玉である大型の油彩画も登場します。 特に、堺市以外での公開がほとんどない貴重な2点は見逃せません。 この特別な機会に、ミュシャの圧巻のスケール感と細部に込められた情熱を体感してみてはいかがでしょうか。 また、ミュシャがデザインしたうちわの図案や、モエ・エ・シャンドンのポスターをうちわに仕立てた紙工作も展示されています。 これらはミュシャの独創的なデザインと日本文化が融合した作品であり、遊び心のある一面を楽しめるのも今回の企画展の魅力です。 「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展の見どころ 近年、ミュシャの油彩画は注目を集めており、その作品に込められた神秘性や荘厳さが、画家としての深みを強く印象付けます。 本展「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」では、ミュシャの多才な魅力に迫り、デザインの枠を超えた芸術家としての真髄を感じられるでしょう。 版画や油彩に加え、貴重な下絵も展示され、ミュシャが描いた心の奥深さと表現力を堪能でき、見どころが満載です。 心の世界を見つめる瞑想 世紀末のヨーロッパで広まった象徴主義は、文学や美術、音楽など幅広い芸術に影響を与え、表現の革新性を追求しました。 ミュシャもまた、この流れの中で内面的な深みを追求し、神秘的な油彩画や奥行きある版画を生み出しました。 彼の作品には、心の世界を探求する姿勢が貫かれています。 クラシックな絵画と最新のデザイン感覚 ミュシャのポスターは、クラシカルな表現に最新のデザインを融合させた新鮮さが特徴です。 人物の立体感を強調しつつ、背景をシンプルにデザイン化することで、調和のとれた美しさを実現しました。 日本の浮世絵にもみられるような太い輪郭線を用いることで、作品全体に独自のバランスが生まれています。 創作の過程に迫る ミュシャのデザインの秘密を探る鍵は、貴重な下絵にあります。 彼のデッサンや試行錯誤のプロセスを通じて、完成作との比較を楽しめるとともに、ミュシャの創作過程に近づける企画展です。 ミュシャの原点 物語の挿絵 貴重な下絵も公開! ミュシャが芸術家としてのキャリアを歩み始めたのは、本の挿絵からでした。 画学生時代に生活のために始めた挿絵の仕事は、彼にとって大切な原点であり、その経験は生涯にわたり影響を与えました。 今回の展示では、この初期作品を貴重な下絵とともに紹介しています。 世界的コレクションの名品 ミュシャ人気の高い日本には、質の高い作品が数多く収蔵されています。 特に堺市に寄贈されたドイ・コレクションは世界的にも評価が高く、大型油彩画《ハーモニー》や《クオ・ヴァディス》といった名作が含まれています。 普段は公開機会の少ないこれらの名品も、この展覧会で間近に鑑賞できる点が魅力です。 ミュシャと日本の近代洋画 ミュシャが影響を受けたローランスやコランは、明治期の日本洋画家にとっても師であり、日本人の兄弟弟子が多く存在しました。 さらには、ミュシャから直接学んだ日本人画家もおり、同時開催のコレクション展ではこの意外なつながりにも焦点を当てています。 全部ほしくなる…洗練されたデザインのグッズたち 府中市美術館で開催中の「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展を堪能した後は、1階ロビーに設置された特設ブースでミュシャグッズをチェックしましょう。 定番のポストカードやペンケース缶、図録、クリアファイル、マスキングテープなど、他にも多彩な商品がそろっていて、どれもミュシャの世界観を楽しめるアイテムばかり。 美しいミュシャの作品がデザインされたアイテムが豊富に並んでいて、どれを選ぶか迷ってしまいます。 各アイテムごとにデザインも複数用意されているものが多いため、企画展でお気に入りの作品を見つけ、グッズでも選んでみるのがおすすめです。 ミュシャの新たな一面を発見できるかもしれない「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」 今回の企画展を通して、版画にも油彩画にも、一目でミュシャと分かる強い個性があふれていることを感じられました。 ミュシャはポスター作品が注目を浴びることも多いですが、今回のように油彩画にも焦点を当て、比較して鑑賞することで、ミュシャの新しい一面を発見できました。 企画展では、作品が制作された時代背景やミュシャの想いなどを紹介する展示もあるため、詳しく知らなかった人でもミュシャに興味津々になること間違いなしではないでしょうか。 府中市美術館内には、カフェ「府中乃森珈琲店」があります。 こちらは、美術館を利用しなくても利用できるので、誰でも気軽に立ち寄れます。 店内は落ち着いた雰囲気で、テラス席もあり、特に晴れた日にはテラスでの食事がおすすめです。 席数は少なめのため、週末に訪れる際は早めに行くのがよいでしょう。 さらに、テラス席はワンちゃんも同伴可能なため、愛犬と一緒に過ごしてみてはいかがでしょうか。 開催情報 『アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界』 場所:〒183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地(都立府中の森公園内) 期間:2024/9/21~2024/12/1 公式ページ:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/ チケット:一般 1000円、高校生・大学生 500円、小・中学生 250円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.26
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パリの華やかな時代の芸術と文化を辿る「ベル・エポック 美しき時代パリに集った芸術家たち」を鑑賞!
「ベル・エポック」と呼ばれる時代を知っていますか? 今回の企画展では、19世紀末から1914年の「ベル・エポック」と呼ばれる華やかな時代をテーマに、当時の美術、工芸、舞台、音楽、文学、モード、科学技術など多岐にわたる文化が紹介されています。 今回は、パナソニック汐留美術館で開催されている「ベル・エポック 美しき時代パリに集った芸術家たち」展に行ってきました! 西暦1900年前後、パリが世界で最も輝いていた「ベル・エポック」時代の空気を、ロートレックやキャバレーのポスターなどで味わいましょう。 「ベル・エポック 美しき時代パリに集った芸術家たち」展はパナソニック汐留美術館にて開催 「ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち」展は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリの華やかな文化を存分に味わえる企画展です。 フランスのワイズマン&マイケルコレクションから初来日した絵画やグラフィック作品。 当時のパリの賑やかな情景や人々の暮らしを鮮明に描いたこれらの作品が、華やかな時代の空気感を伝えます。 美術、ファッション、日用品など、多彩な展示内容が見どころとなっています。 展示について 展示会場では、油彩画だけでなく、クレヨンやパステル、コラージュ、リトグラフ、水彩、鉛筆といったさまざまな技法を用いた作品が展示されており、芸術の幅広さを感じさせてくれます。 さらに、小説や当時のドレス、子ども服、ガラス製品、アクセサリー、帽子など、当時のパリの日常や華やかさを象徴する品々もそろっているのが見どころの一つです! 企画展を鑑賞していると、まるでベル・エポック時代のパリにタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。 また、会場そのものも特別な演出が。 暖色を基調とした壁紙やレースカーテン、舞踏会を彷彿とさせる壁紙の模様など、当時のパリの雰囲気を感じさせる工夫が随所に見られます。 また、会場全体に広がる柔らかな照明や展示空間の演出が、100年前のパリの文化空間へと来場者を誘います。 細やかな配慮が、展示品の魅力をさらに引き立てていますね。 第1章:古き良き時代のパリ – 街と人々 第1章「古き良き時代のパリ – 街と人々」では、当時の暮らしや社会を感じさせる作品が多数展示されています。 特に目を引くのが、ブルジョワ階級の女性や子どもの服飾作品です。 華やかなドレスやアクセサリーはアール・ヌーヴォーの影響を強く受けており、花や植物をモチーフにした装飾が印象的です。 展示されている帽子にはたくさんの羽が使われており、まるで鳥そのものが帽子の上にとまっているかのような大胆なデザインに驚きました。 19世紀末から20世紀初頭にかけてのファッションは、体のラインを強調するようなデザインのドレスが多いように感じられます。 また、子ども服も大人の衣装のミニチュア版のようなデザインが多く見られますが、やがて「締め付けのある服は健康に悪影響を及ぼす」という考えが広まり、現在のようなゆったりとしたデザインの洋服へと進化していったそうです。 絵画は、当時のブルジョワ女性を描いた作品が並びます。 画家によって女性の表情が異なり、堂々とした気品ある姿や、少し意地悪そうに見える顔つきなど、社会的地位や個性が垣間見える作品群を比較しながら楽しめます。 当時のファッション誌も展示されており、緻密に描かれた服装の図版から当時の流行を読み取ることができるのも魅力的です。 当時の流行を今に伝える貴重な資料ともいえますね。 また、工芸品としてマイセン磁器の展示もあり、花や植物をふんだんに表現した燭台の装飾は目を見張るものがあり、翼の生えたプットー(天使)の存在が豪華さを一層引き立てています。 このような装飾美術からも、当時の豊かな社会を感じることができます。 第2章:総合芸術が開花するパリ 第2章「総合芸術が開花するパリ」では、当時の芸術家たちがどのように互いに影響し合い、新しい文化を創造していったかを感じられる展示が行われています。 ベルエポック時代の夜のパリが持つ華やかさがテーマとなり、舞踏会や演劇鑑賞、ブルジョワ階級の集いなど、賑やかで洗練された社会の一端を垣間見ることができます。 特に印象的だったのが、当時のパリの部屋を再現したであろう展示スペースです。 ルイ・マジョレルによる木製の椅子と小さなテーブルが手前に配置され、エミール・ガレのランプが部屋全体に温かみを与えていました。 家具や装飾品が、アール・ヌーヴォーのデザイン美学を体現しており、芸術がどのように日常生活に浸透していたかを実感できます。 背景の壁にはクロード・モネが印象派として活躍する直前の作品が展示され、時代の移り変わりを象徴しています。 また、水瓶やペン軸、ペーパーナイフといった小物の展示も充実しており、日用品が持つ芸術性が、当時の生活そのものがアートであるというような気分になりました。 絵画や家具、装飾品が融合する様子が当時の文化的豊かさを鮮やかに物語っており、芸術と生活が一体となった空間を体験できます。 第3章:華麗なるエンターテイメント 劇場の誘惑 第3章、「華麗なるエンターテイメント 劇場の誘惑」は、当時のパリの劇場文化や芸術家たちのコラボレーションの魅力に迫ります。 キャバレーや劇場が織りなすエンターテインメントの世界を、絵画やポスター作品を通じて楽しめます。 特に注目したいのは、キャバレー「ル・シャ・ノワール」に実際に飾られていたジュール・シェレのリトグラフ作品『パントマイム』『コメディー』『ダンス』『音楽』の4枚です。 鮮やかで軽やかな色彩が特徴で、見る人の心をときめかせるようなデザインが魅力的でした。 ベルエポック時代の劇場やキャバレーの華やかな雰囲気を感じさせるこれらのポスターは、当時のエンターテイメント文化の象徴ともいえるでしょう。 また、ベルエポック時代の劇場やキャバレーが、どれほど多くの芸術家にとってインスピレーションの源となり、互いに影響し合う場であったかを感じられます。 また、第3章は唯一写真撮影が許可されている展示スペースです。 特別な空間で、当時のパリの活気あふれる夜の世界をカメラに収め、鑑賞後もお気に入りの作品を眺め余韻に浸りましょう。 第4章:ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち 第4章「女性たちが活躍する時代へ」では、時代の中で自らの才能を発揮し、道を切り開いた女性たちに焦点を当てた作品群が展示されています。 この章では、アール・ヌーヴォーの巨匠アルフォンス・ミュシャによる華やかなポスターが一際目を引きます。 当時の人気舞台女優サラ・ベルナールを描いたもので、彼女が身につけていた冠や招待客用の記念メダルも併せて展示されていました。 その豪華な装飾品は、ベルエポックの華麗さを象徴しているといえるでしょう。 一方、注目すべきもう一人の女性、シュザンヌ・ヴァラドン。 彼女は洗濯婦として働きながら画家たちのモデルとして活動していましたが、自身でも絵を描き始め、画家ロートレックやドガによってその才能を評価されました。 彼女の描いた作品は、彼女の生活と芸術的な視点を反映し、観る者に力強い印象を与えます。 また、20世紀に入ってからのファッションも印象的です。 展示されているドレスや子ども服は、第1章で紹介されたものとは対照的に、シンプルでエレガントなデザインが特徴。 体の線を強調しないスタイルでありながら、アールデコの影響を受けた上品さが際立っています。 当時の服飾が、社会の変化や女性たちの新しい役割に適応していく過程を感じられる展示といえます。 芸術や文化の中で輝いた女性たちの物語が描き出され、ベルエポックの華やかさと変革の時代を象徴する展示を楽しめました。 https://daruma3.jp/kaiga/322 美術館外の映像作品 「ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち」展は、館内の展示だけでなく、美術館の外でも楽しみが広がっていました! 美術館入口前のスペースでは、当時のパリの様子を伝える映像作品が放映されており、こちらはなんと無料で観ることができます。 企画展に入場しなくても気軽に立ち寄れるため、ベルエポック時代の華やかな文化を少しだけ体験したい方にもおすすめです。 映像では、当時のパリの雰囲気や、舞台で活躍した歌手や舞台女優たちと画家との関係性が紹介されています。 特に感動的だったのは、歌手アリスティード・ブリュアンの肉声や、画家ロートレックの作品で有名なジャンヌ・ギルベールの動く姿を見れたことです! 絵画の中でおなじみとなっている彼らが動き、声を発することで、まるで当時のパリにタイムスリップしたかのような気分になりました。 さらに、第3章の展示室で鑑賞できるジュール・シェレの4枚の作品『パントマイム』『コメディー』『ダンス』『音楽』がキャバレー「ル・シャ・ノワール」に飾られている様子の写真も映像で紹介されています。 実際にカフェに飾られていた様子を知ると、展示室での鑑賞がより特別なものに感じられますね。 美術館外での映像上映は、展覧会をより深く楽しむためのプレリュードのような役割を果たしており、訪問者に新しい発見をもたらしてくれます。 ベルエポック時代の文化にどっぷり浸りたい方にとって、映像コーナーも見逃せないポイントです! グッズ 企画展を堪能した後は、グッズショップにも立ち寄りたいところです。 企画展会場から出たすぐの場所がグッズショップになっています。 ショップでは、展示されている作品を取り入れた多彩なアイテムが販売されており、訪れた記念として手に入れたいアイテムがそろっています。 展示作品のデザインを再現したポストカードやクリアファイル、しおり、マグネット、そしてリングノートなどが販売されていました。 ベル・エポック時代の華やかな芸術と文化を日常に取り入れられるアイテムで、観覧後の余韻に浸りながらその魅力を持ち帰ることができます。 また、ベル・エポックに関する知識を深めることができる書籍も豊富に取り揃えられています。 ベル・エポックの時代背景や芸術家たちの活動についてさらに学びたい方におすすめです。 展示の内容をより深く理解し、パリの「美しき時代」を心から感じられるようになること間違いなしでしょう。 まとめ 華やかな時代の美術や文化が集結したこの企画展は、ベル・エポック時代のパリを楽しむ絶好の機会です。 パリの優雅さや活気を感じたい方には特におすすめです。 ぜひ足を運んで、タイムスリップ気分を味わってみてはいかがでしょうか。 パナソニック汐留美術館では、2024年10月5日から12月15日まで、「ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち」展が開催されています。 開催情報 『ベル・エポック 美しき時代パリに集った芸術家たち展』 場所:〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階 期間:2024/10/05~2024/12/15 公式ページ:https://panasonic.co.jp/ew/museum/ チケット:一般:1,200円、65歳以上:1,100円、大学生・高校生:700円、中学生以下:無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.26
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太田記念美術館[東京都渋谷区] へ行ってみよう
いつでも浮世絵を堪能できる、太田記念美術館 太田記念美術館は、浮世絵専門の展示を行っている美術館です。 東邦生命保険相互会社の社長を務めていた五代太田清藏が収集していた浮世絵コレクションを、多くの人に広く公開するために設立されたのが太田記念美術館です。 都心でも数少ない浮世絵専門の美術館として、国内からだけではなく日本文化に興味や関心をもっている海外の人々からも人気が高く、多くの人が足を運んでいます。 展示 太田記念美術館では、毎年多くの展覧会を開催しており、月ごとに異なるテーマを決めて、それに沿った浮世絵作品を選定して展示しています。 1年に何度も展示品の入れ替えが行われるため、いつ美術館を訪れても新鮮な気持ちで鑑賞を楽しめるでしょう。 独特な魅力をもつ浮世絵は、光により退色しやすいため、保存の関係上毎月展示替えを行わなければなりません。 そのため、浮世絵を専門に展示している太田記念美術館では、ほかの美術館よりも展覧会の本数が多いのです。 コレクション 太田記念美術館に収蔵されているコレクションは、五代太田清蔵が収集した約12000点を含めた約15000点にもおよびます。 喜多川歌麿や歌川広重、葛飾北斎などの浮世絵を代表する作家だけではなく、浮世絵の始まりから終わりまで、歴史をたどりながら鑑賞を楽しめるよう、幅広い範囲の作品を収蔵しています。 『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』葛飾北斎 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』歌川広重 『初代市川鰕蔵の竹村定之進』東洲斎写楽 特徴/ここがオススメ 太田記念美術館は、浮世絵専門の美術館であり、展示スペースがコンパクトなため、大きな移動がないメリットがあります。 多くの作品をコンパクトな展示室で鑑賞できるため、最後まで集中して楽しめるでしょう。 また、浮世絵作品には、肉筆画と版画の2種類があり、太田記念美術館ではどちらの作品も数多く所蔵しており、浮世絵の個人コレクションとしては世界有数の規模といえます。 美術館情報 太田記念美術館 住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-10 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/E4UQ6ECdaHAaSDBF9 アクセス:JR山手線:原宿駅表参道口より徒歩5分 ほか 開館時間:10:30~17:30 休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)、展示替え期間、年末年始 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:展示によって異なります 公式サイト:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/ 年間パスポート:7000円 ※有効期間は年度によって異なります
2024.11.25
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歌川芳艶(1822-1866)浮世絵師 [日本]
歌川国芳の門弟「歌川芳艶」とは 歌川芳艶は、江戸時代末期に活躍した浮世絵師で、奇想の絵師と呼ばれていた歌川国芳の弟子の一人です。 月岡芳年や落合芳幾などの国芳門下と比べると、知名度の低い浮世絵師ですが、国芳の武者絵の才能を最も引き継いだ浮世絵師ともいわれています。 15歳で歌川国芳の門下に入る 芳艶は、日本橋本町の駕籠屋である「十ノ字」の息子として生まれ、15歳になると武者絵を得意とする国芳の門下に入ります。 17歳のときに、髪結床ののれんに中国の人気小説である『水滸伝』に登場するキャラクターの「九紋竜」と「魯智深」の雪中奮闘の図を描きました。 それを見た国芳は、力強さと艶やかな色彩から、画号「芳艶」を与えました。 歌川芳艶と呼ばれていますが、歌川の名が入った落款が見られないため、後半生に使用していた「一英斎」という画号と芳艶を組み合わせ、「一英斎芳艶」と呼ぶのが正しいとする意見もあります。 芳艶は、同じ歌川派の門下である歌川国輝とライバル関係にあり、刺青の下絵で競い合うと、芳艶といえば「自来也」、国輝といえば「狐忠信」と並んで称されました。 30歳を過ぎて賭博にはまる 芳艶は、師匠の国芳譲りの迫力ある武者絵で頭角を現していきましたが、30歳を過ぎたころ、賭博にはまるようになり、遊郭のある色街に入り浸るようになっていきました。 その行動は、同門の浮世絵師たちから反発を買い、師匠の国芳から破門を言い渡されてしまうのでした。 破門後、芳艶は2、3年の間、浮世絵師としての仕事から距離を置きます。 しかし、1856年ごろから浮世絵師の本業を再スタートさせ、師匠にも劣らない力強い武者絵を数多く制作するようになりました。 芳艶が再び筆を執り浮世絵制作に踏み切ったのは、博打仲間であった歌川芳鶴が獄死したためといわれています。 役者絵や風景画も描いている 再スタートを決めた芳艶は、武者絵だけではなく役者絵や風景画、開港した横浜をテーマにした横浜絵など、多彩なジャンルに挑戦しますが、国芳譲りの武者絵ほど個性を発揮する作品は生まれませんでした。 また、武者絵以外のジャンルの作品は、多く残されていません。 一方で、のれんや看板絵などの大きな作品も手がけるようになり、こちらでは制作した作品が多くの人からの人気を集めていたようです。 1863年、徳川14代将軍である徳川家茂の上洛に取材した『御上洛東海道』シリーズの制作にも参加し、芳艶は全162作品中16作品を担当しました。 当時の幕府では、徳川将軍を浮世絵に描くことは禁止されていたため、『御上洛東海道』シリーズでは、家茂の行列をモデルに鎌倉幕府初代将軍であった源頼朝の姿で作品を描いています。 芳艶は、生涯作品を制作し続けており、45歳で亡くなりました。 芳艶亡き後は、門下であった2代 歌川芳艶や歌川艶長、歌川一豊などが、江戸時代の終わりから明治時代にかけて活躍しました。 国芳魂を受け継いだ浮世絵師 江戸時代の終わりに活躍した浮世絵師の芳艶は、ほかの才能ある国芳門下の陰に存在が隠れてしまい、現代においてはほとんど名前が知られていません。 しかし、師匠の国芳が得意としていた武者絵の画風を継承していた芳艶は、師匠を超えるとも思わせてくれる迫力と魅力に満ち溢れた作品を残しています。 国芳の武者絵の才能を、最も色濃く受け継いだのは、芳艶ともいわれているのです。 歌川芳艶が描いた浮世絵作品 芳艶は、師匠の国芳譲りの迫力ある武者絵が有名な浮世絵師です。 『川中島大合戦組討尽 帆品弾正昌忠 高松内膳』 この作品は、1857年に制作された全12枚の『川中島大合戦組討』シリーズの8枚目にあたる作品です。 川中島の戦いとは、現在の長野県北部である北信濃をメインの舞台とし、現在の山梨県である甲斐国の戦国大名の上杉謙信が1553年から1564年の間にわたって繰り広げた合戦を指します。 『川中島大合戦組討尽 帆品弾正昌忠 高松内膳』では、武田信玄軍の帆品弾正昌忠と、上杉謙信軍の高松内膳の戦いが描かれています。 『頼光雲気を察して足柄山に公時を得る』 この作品は、平安時代の伝承をテーマにしており、平安京の武将である源頼光が、静岡県と神奈川県の境にある金時山周辺の足柄山の峠を通ったときの様子を描いています。 作品は、足柄山の地で暮らす怪力自慢の金太郎と出会ったときの様子を描いており、頼光と金太郎、頼光四天王と呼ばれる重臣の碓井貞光、渡辺綱、卜部季武が登場します。 5人がいる場所に、突然雲気が立ち上り、その中から金太郎を育てた山姥が登場するシーンが描かれており、浮世絵の右手側には扇を高々と掲げる頼光は、目の前で起こった摩訶不思議な光景にまったく動じない様子が表現されているのです。 『高松城水責之図』 この作品は、1582年に巻き起こった備中高松城の水攻めの様子を描いています。 備中高松城の水攻めとは、織田信長の命を受けた豊臣秀吉が、毛利氏配下の清水宗治が守っている備中高松城を水攻めにした戦いのことです。 備中高松城を孤立させるために荒々しく流れ込んでいく水を大胆かつ繊細な表現で描いているのが特徴です。 風にたなびく吹き流しの動きには躍動感があり、戦いの迫力が伝わってきます。 武者絵を得意としていた芳艶の多彩な表現力がうかがえる作品です。 年表:歌川芳艶 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1822(文政5年) 0 日本橋本町二丁目に生まれる。本名は甲胡万吉。 1837(天保8年) 15 歌川国芳に入門。師匠から「芳艶」の号を与えられる。 1839(天保10年) 17 『花紅葉錦伊達傘』の挿絵を手掛ける。 1856(安政3年) 34 再び画業に復帰し、武者絵で人気を博す。代表作に『本朝武者鏡』がある。 1860(万延元年) 38 武者絵に加え、役者絵や横浜絵など新たなジャンルにも挑戦。 1866(慶応2年) 44 死去。狩野派の影響を受けつつ、武者絵を中心に後世に影響を与える。
2024.11.25
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信長の新たな一面や性格が垣間見れる「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」
戦国時代を駆け抜けた武将「織田信長」。 信長は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した日本の武将であり、天下統一を目指した人物です。 信長の性格は、一般的に冷酷とされることが多いですが、実際には複雑な側面を持っていました。 永青文庫で開催中の「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」では、そんな信長の意外な一面を感じ取れるかもしれません。 今回は、永青文庫で開催中の「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展に行ってきたので、その魅力をお伝えします! 歴史好きの方だけではなく、ちょっと信長に興味がある人でも心をぐっと掴まれる内容でした。 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展は永青文庫にて開催中 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」は永青文庫にて開催されています。 今回は、江戸川橋駅から15分ほど歩いて、会場まで向かいました。 永青文庫につく手前、胸突坂と呼ばれる傾斜が急な坂があるため、体力に自信がない方はバスで向かうとよいかもしれません。 バスはJR山手線の目白駅や東京メトロ副都心線の雑司ヶ谷駅などから出ています。 胸突坂をのぼると永青文庫に到着します。 外観は白い壁とシンプルなデザインが印象的です。 周囲の閑静な住宅街に溶け込むように建てられており、一見すると美術館とは気づきにくい造りになっています。 また、館内全体は、展示されている貴重な美術品や歴史資料の保護を目的として撮影禁止となっています。 さっそく、歴史を読み解くヒントにもなるであろう信長の手紙を鑑賞していきましょう。 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」の概要 戦国乱世を駆け抜けた織田信長、その名を聞いて思い浮かぶのは「革新者」「破天荒な戦国武将」など、さまざまなイメージでしょう。 そんな信長の知られざる一面に触れられる特別な企画展が永青文庫で開催中の「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」です。 永青文庫が所蔵する細川家伝来の信長の手紙は、重要文化財に指定されている貴重なコレクションで、その数なんと59通! さらに2022年に新たに発見された1通を加え、合計60通が今回の企画展で公開されています。 一人の武将に関するこれだけの書状がまとまって残っている例は他になく、質・量ともに圧巻の内容です! この企画展では、長の手紙を通じて、室町幕府滅亡や一向一揆との戦い、長篠合戦、荒木村重の謀反、そして本能寺の変に至るまでの激動の10年間を、配下の細川藤孝らとのやり取りを交えてじっくり紐解いていきます。 革新的で残虐、時に超人的とも評される信長像は果たして事実なのでしょうか。 本展は、信長自身の言葉から、その真実に迫る絶好の機会です。 これまで漠然と抱いていた信長のイメージが覆されるかもしれません。 当時の武将たちが書いた手紙…その姿を想像するだけですごい! 会場は4階から2階までと広く、まさに信長の人生の一部を辿る旅のような企画展でした。 4階では、新発見の手紙や、今回の展示の目玉となる文書が並び、まさに「信長ファン必見」の空間ともいえるのではないでしょうか。 3階には、戦国時代の重要な出来事が歴史順に展示されており、歴史の流れを感じながら鑑賞を楽しめます。 展示されている手紙たちには、詳細な解説と現代語訳が添えられていました。 戦国時代の言葉に疎い私でも意味が伝わり、手紙の重要性や歴史的背景が理解でき、より感動が深まりました! 永青文庫に信長からの手紙が集結している理由 企画展に訪れてみて気になったのが、どうして永青文庫にこんなにも多くの信長の手紙が伝わっているのかということです。 実は、そのカギを握っているのが細川家の当主たちなのです。 まず注目したいのが初代当主・細川藤孝。 信長からの手紙の多くは藤孝宛てで、内容もさまざまあります。 戦功を称える感状(戦功を報いる書状)や日常的な贈答の礼状、さらには戦況報告などがあり、信長と藤孝の信頼関係が感じられます。 その後、2代当主・細川忠興宛ての手紙もあり、現存する唯一の信長直筆の手紙も忠興へのもの。 藤孝と息子の忠興が信長から大変大きな信頼を受けていたことが、これほど多くの信長の手紙が細川家に伝わる一因だといえます。 また、信長からの手紙たちが現代まで細川家に伝わる背景には、3代当主・細川忠利の努力も大きく関わっています。 忠利は、祖父である藤孝の功績を証明するため、手紙の保護に尽力したそうです。 信長の書状は一時、細川孝之(藤孝と正妻・麝香の末子)の元に渡ってしまっていたのですが、忠利はなんとその書状を自分の手元に戻すため、父・忠興を通じて回収を試み、成功しています。 忠利の熱い思いがあったからこそ、信長の貴重な手紙が現在もこうして残り、私たちが触れることができるのです。 新発見となった信長の手紙から読み取れる歴史的背景 今回新たに発見されたのは、元亀3年(1572年)の信長から藤孝宛ての書状。 この年は室町幕府が滅亡する前年で、信長の政治的な動きが激しく変わっていく時期にあたります。 永青文庫が所蔵する手紙の中でも最も古い年代のものとなり、その貴重さもひとしおです。 信長が藤孝に宛てたこの手紙では、信長は、足利義昭を将軍として擁立していたものの、その関係が崩壊し始めていたことに言及しています。 「元亀3年の年頭から、将軍の側近たちは誰も手紙や贈り物を寄こさず、絶交状態になっているが、そんな中で藤孝、あなただけは毎年のように音信をくれる。本当に嬉しい」と手紙の中で感謝の気持ちを表現。 そして、「大事な時期になった今、あなたの働きかけにかかっている」と、藤孝に対して信長派への支持を拡大するよう頼んでいるのです。 これは信長がその時期、いかに藤孝を信頼していたかを示すエピソードであり、当時の政治的な緊張感をひしひしと感じさせます。 新発見の手紙をはじめ、手紙の内容からは、信長の周囲との細やかなコミュニケーションが垣間見えます。 信長のイメージはしばしば攻撃的で冷徹なものとして語られますが、これらの手紙からは、周囲の武将たちとの協力や信頼関係の構築に積極的に努めていた様子がうかがえます。 信長の人間性や政治的な手腕を深く掘り下げる貴重な資料が揃っており、展示を見ていると、これまでの信長のイメージが少しずつ変わっていくかもしれませんね。 織田信長自筆の手紙は60通中たった1通のみ 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展では、信長が藤孝らに宛てた数多くの手紙を見られますが、実際には信長がすべて自ら筆を執っていたわけではありません。 当時の武将たちの多くは、右筆(書記官)が内容を口頭で聞き取って文書を作成し、武将はそれを確認して最後に花押(署名)を押す形でした。 それでも、信長が用いた「天下布武」印や、豪快な花押は、彼の力強い個性を感じさせてくれますね。 そんな中、特に目を引いたのは、15歳ごろの忠興(細川忠興)に宛てた信長自筆の感状です。 松永久秀追討のための軍に参加し、軍功を挙げた際に信長が忠興に送った手紙で、その筆跡はまさに「天下を治める者」の風格を感じさせる堂々としたものでした! 45歳の信長の自筆の字は、力強く、筆圧が強く、右筆(書記官)が書いたものと比べると、その豪快さに圧倒されました。 意外な関係性が垣間見える石田三成が細川忠興に宛てた自筆書状 2021年に紙背文書として新たに発見された、石田三成が細川忠興に宛てた自筆の書状も、歴史を知っている人からすると貴重な手紙なのではないでしょうか。 この書状は、関ヶ原の戦い(1600年)で二人が敵対する関係となる前、1586年ごろのものです。 まだ20代の若き武将である三成と忠興が「茶会」を巡って気軽にやり取りをしている内容が綴られています。 書状の中で、27歳の石田三成が24歳の忠興に対し、「いいことがあったから金を貸し付ける。忠興もいくらか金子を出資しないか?」と提案しています。 三成らしい鋭い金銭感覚が垣間見えるもので、当時の彼の性格や考え方をうかがわせますね。 一般的に、石田三成と細川忠興は関ヶ原で敵対関係にあったとされ、その後の歴史で不仲だったことはよく知られています。 しかし、この文書からは、まだ両者が若かったころに、冗談を交えた気楽なやり取りをしていたことがわかります。 のちの展開を知っている人たちにとっては、少し切なさが感じられる一通です。 また、この書状は細川忠興が記した「風姿花伝」の裏紙に書かれていたことが発覚し、その発見エピソードもとても興味深いものでした。 藤孝・忠興父子に協力を仰いだ明智光秀の直筆書状 本展では、明智光秀の直筆書状も展示されていました。 この手紙は、本能寺の変からわずか7日後に書かれたもので、信長を討った理由が書かれた貴重な史料です。 光秀の心情が率直に綴られており、藤孝・忠興父子が信長の死を受けて剃髪し弔意を示したことに対して「当初は立腹したが思い直した」という言葉を残しています。 そして、この手紙では信長を殺した光秀が藤孝と忠興父子に対して、「自分に味方してほしい」と切実に訴えているのです。 実際、藤孝と光秀は非常に密接な関係にあり、光秀の娘・玉(後のガラシャ)を忠興が妻に迎えるなど、家族ぐるみでの繋がりがありました。 しかし、光秀がこの手紙を送ったときには、藤孝・忠興父子はすでに豊臣秀吉側についており、光秀の申し出には応じませんでした。 このことが光秀にとってどれほど大きな痛手となったかは言うまでもなく、その後、光秀は秀吉に敗れることとなります。 本展では、秀吉と細川家が通じていたことを示す資料も紹介されています。 「杉若藤七書状写」では、秀吉の家臣である杉若藤七が藤孝の家臣である松井康之に宛てた手紙の写しで、細川家が謀反に関与していないことを秀吉が理解していると記されています。 この手紙は光秀の書状が書かれる前日に送られたものです。 これらの書状を通して、本能寺の変という戦国時代最大の事件における人物たちの複雑な思惑や微妙な立場が浮かび上がります。 光秀、秀吉、そして細川家の三者がどのように絡み合っていたのかを知ることができ、歴史の渦中で繰り広げられたドラマを感じることができました。 歴史のリアルを感じる、「信長の手紙」展 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展を訪れた後、感じたのは、書状が持つ力強いリアルさでした。 信長が部下に宛てた戦功を称える言葉や、細川家と信長の両者がどれだけ互いの絆を大切にしていたか、光秀が本能寺の変の後に書いた心情など、どれも一瞬一瞬の感情が切り取られた貴重な資料です。 文字の背後には、織田信長や細川家、そして時代を生きた武将たちの生々しい感情が宿っているのだと感じられる企画展でした。 また、展示を通して、ただの歴史の一部を学んだのではなく、信長の時代を生きた人々の心の動きに触れたような気がしました。 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」は、歴史的な出来事を俯瞰するだけでなく、その時代を生きた人々の思いに寄り添うことができる貴重な企画展です。 永青文庫で開催されている「信長の手紙」展をじっくり鑑賞した後は、ぜひ徒歩1分の場所にある「肥後細川庭園」へ足を運んでみてはいかがでしょうか。 熊本藩主・細川家の下屋敷跡として整備されたこの庭園は、池泉回遊式庭園の美しさが楽しめる癒しのスポットです。 歴史と自然が融合したこの空間で、展覧会で感じた時代の息吹を静かに振り返りながら、のんびりとしたひとときを楽しんでみてください。 織田信長や戦国時代に興味のある方には、企画展へぜひ一度足を運んで、この書状に込められた歴史の重みを直接感じてほしいと思います。 開催情報 『信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―』 場所:永青文庫 住所:〒112-0015 東京都文京区目白台1-1-1 期間:2024年10月5日~2024年12月1日 公式ページ:https://www.eiseibunko.com/ チケット:一般1,000円、シニア(70歳以上)800円、大学・高校生500円、中学生以下は無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.11
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現代日本美術の息吹を感じられる「日展」へ訪れてみた
皆さんは、日展を知っていますか? 正式名称は、「日本美術展覧会」といいます! 明治に開催されて以降、文展・帝展・新文展・日展と名称を変えながら開催が続いている伝統的な展覧会なのです。 毎年秋に東京の上野公園にある東京都美術館で開催されていましたが、現在は六本木の国立新美術館で開催されています。 日展では、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5つの部門の作品が勢ぞろいしており、国立新美術館の1階から3階までのフロアを使用して、毎年約3000点の新作が並びます。 今回は、そんな国立新美術館で開催されている「日本美術展覧会」に行ってきました! 公募展の入選・特選作品と会員作品が集まる日展は国立新美術館にて開催中 日展は110年以上続く歴史ある展覧会で、伝統的な作品から現代的な作品まで、幅広い分野の作品が並ぶのが特徴です。 部門は、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5つあり、国立新美術館の1・2・3階のフロアを使って膨大な量の作品を展示しています。 作品の数は、入選者と会員あわせて約3000点以上と見ごたえがあります。 「日展」は三部構成の見ごたえ抜群な展示 日展は、1階が日本画と工芸美術、2階が洋画と彫刻、3階が書の構成で展示されています。 膨大な量の作品が展示されていますが、会場内はスペースが大きく空いていて広々としているので、ゆっくり・じっくりと鑑賞を楽しめます。 また、複数の分野をまとめて鑑賞できるため、ふだん日本画は鑑賞するけどほかの分野はあまり見たことがなかった、という方でも興味を広げられる場であると感じられました! 展示されている作品の横にQRコードが示されているものもあり、スマートフォンで読み取ってみると、作家からのコメントや想いを読むことが可能です。 目に留まった作品にQRコードが示されていれば、ぜひ作家の作品に対する想いをみてみましょう。 また、彫刻作品の中には手で触れてよいマークが示されたものもあります。 ふだんの美術鑑賞では、なかなか作品に触れる機会がないかもしれません。 実際の作品に触れてみることで、いつもとは異なる新鮮な気持ちで作品と向き合えるでしょう。 日展は伝統ある展覧会でありながら、作家と鑑賞者の距離が近くなる展示の工夫がされており、子どもから大人まで楽しめる展覧会であると感じられました! それでは、さっそく1階の日本画の展示会場から見ていきます。 日本画というと、歴史や古典をベースにした、古き良き日本を思わせるような作品が多いのかなという印象をもっていました。 しかし、実際にはカラフルで鮮やかな絵や、現代の人物や風景を描いた新しい表現やユニークなモチーフの作品も多く、新鮮な気持ちで鑑賞を楽しめました。 日本画の作品は、額縁もシンプルなものが多い印象でしたが、中にはオリジナルの画を描いた額縁に飾っている作品も。 ゆるっとした可愛い猫たちが描かれていて、暖かい気持ちになりました。 みなさんは、フィナーレと聞くとどのような光景をイメージしますか? もともとは、オペラや交響曲などの楽曲の最終楽章を指す言葉で、終幕のような意味合いがあります。 フィナーレと聞くと、最後の盛り上がりをみせるシーンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 例えば、花火大会の最後に大量の花火が一斉に打ちあがり、夜空を鮮やかな色で埋め尽くす瞬間を思い浮かべます。 また、映画やドラマのストーリーが終息し、感動的なシーンとともに美しい音楽が流れる時間など。 希望的、感動的な印象を創造する人が多いでしょう。 しかし、この作品では、フィナーレというタイトルでたくさんのひまわりが枯れてうなだれている様子が描かれています。 夏の終わり、生命の終わりを想像させ、美しさと儚さの両方を感じさせてくれます。 また、多くの人が想像するフィナーレよりも寂しげな印象がありますが、枯れた生命がもう一度夏に咲き誇るという自然のサイクルを思わせ、新たな始まりや希望が含まれているようにも感じられますね。 この作品にはQRコードはありませんでしたが、気になる作品が描かれた意図や込められた気持ちを想像するとともに、QRコードで作家のコメントを確認してみるのも新しい美術鑑賞の楽しみ方といえます。 続いては、日本画部門に隣接している工芸美術部門を見ていきます。 工芸美術部門では、多彩なジャンルの作品が展示されていました。 陶芸から磁器、漆、染め、織り、彫金、ガラスなど、素材も形態も多種多様で、自由を感じさせる展示でした。 ジャンルが豊富なため、何をどこからどのように見たらよいのかと迷ってしまいます。 しかし、バラエティに富んでいるからこそ、自分の直感に従って目に留まった作品をじっくり鑑賞してみるのもよいでしょう。 たくさんの出会いにより、自分がどのようなものが好きなのかが見えてくるかもしれませんね。 真っ黒なオブジェに描かれた繊細でありながらも色鮮やかな羽に目を惹かれて足を留めました。 漆で絵や文様を描き、金や銀の蒔絵粉で装飾する蒔絵の技法によって制作されたオブジェで、漆黒のような黒色に金色と細く鮮やかな羽が儚げに表現されていて、幻想的な雰囲気が印象的でした。 次に2階へ移動して、洋画の会場を見ていきます。 大きなサイズの作品が多いように感じられ、会場内の四方の壁を埋め尽くすように配置されており、見ごたえのある会場でした。 また、洋画を鑑賞していく際に、日本画とは異なる豪華な印象の額縁が多く使用されているように感じました。 細部まで装飾が施された額縁は、作品そのものの存在感も引き立てており、絵画がもつ魅力を最大限に引き出しているような印象を受けます。 洋画部門では、ボールペンで描かれた作品も展示されていました! ボールペンというシンプルな道具でありながらも、顔の凹凸や祈るように組まれた手の影までリアルに表現されている点が印象的です。 背景には星座と細かい字がたくさん描かれており、ボールペンならではの表現に魅了されました。 彫刻の会場内では、さまざまな作品が目を引きます。 人をモデルにしたものが多いのですが、その表現は多種多様! 裸のものもあれば、服を着ているもの、さらには布を一枚羽織っただけのスタイルまで。 中には、ジーンズを履いた現代的な彫刻もあって、思わず「今っぽい!」と感じてしまいます。 また、人だけではなく動物たちの彫刻も展示されていました。 熊やワニなど、リアルなフォルムで作られた彫刻が目の前に現れると、その迫力に思わず圧倒されます。 素材やスタイルの幅広さが魅力の彫刻たちは、見るたびに新しい発見があってとても楽しめます。 数多くの彫刻からお気に入りの一体を見つけるのも、この展示の楽しみ方かもしれませんね。 彫刻を見るとき、「なぜこのポーズを選んだのか」「何をみてポーズを決めたのだろうか」など、さまざまな想像が膨らみます。 想像力を働かせると、作品が一気に生き生きと感じられて、鑑賞がもっと楽しくなります! さらに、素材やモチーフからも作者の個性が伝わってきます。 同じ「人」や「動物」を描いていても、作品ごとにまったく違う雰囲気やメッセージが込められているのが面白いところです!。 最後に3階の書を鑑賞していきます。 書の展覧会と聞くと、いわゆる「縦長の掛け軸風の書」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、ここではそんなイメージを覆すような作品がたくさんありました。 縦長の作品だけではなく、冊子くらいの小ぶりな書や、横長のダイナミックな書もあって、サイズも形もいろいろ。 さらに、字体も作品ごとに違っていて、力強い筆遣いが印象的なものもあれば、繊細で美しいラインを描いたものもあります。 実は、日展で最も応募作品数が多いのがこの書部門だそうです。 楷書や草書など、さまざまな書体が並ぶと、そのバリエーションの豊富さに圧倒されます。 大小のサイズや独自の表現が感じられる作品が目を引き、どれもが一つの芸術として見応えたっぷりです! 筆の運びや文字の形に込められた感情や技術の違いを見ると、書道がただの文字を書く作業ではなく、深い表現の世界であることを改めて実感します。 毎回見るたびに新たな発見があり、書体の持つ力強さや優雅さに魅了されること間違いなしです。 お気に入りの作品のグッズが見つかるかも 展示作品をモチーフにした絵はがきやポスターをはじめ、多彩なアイテムが並んでいます。 お気に入りの作品を手元に置いておきたいという気持ちを、叶えてくれるラインナップです。 友人へのちょっとした贈り物にもぴったりであり、自分の部屋をギャラリーのように彩るアクセントになります。 展示の余韻をそのまま持ち帰り、日展の世界を日常でも楽しむのも、アート鑑賞の醍醐味です。 アートを楽しむすべての人に日展はオススメ! 国立新美術館で開催中の日展では、期待以上に充実した時間を過ごすことができました。 広々とした展示会場で作品の前に立ち、細部を間近で眺めたり、少し距離を取って全体の構成をじっくり楽しんだりと、さまざまな視点から鑑賞できるのが魅力です。 また、会場内ではスーツ姿の関係者と思われる方々も多く見かけ、日展がいかに多くの人々にとって重要な場であるかを実感しました。 展示されている作品の美しさだけでなく、アートを愛する人々との交流の場としての雰囲気も楽しめるのが、この展覧会の素敵なところです。 「アートの世界に浸る」とはまさにこのことでしょう。 また、国立新美術館内には、1つのレストランと3つのカフェがあり、待ち合わせや軽食、くつろぎの時間、さらには特別なご会食まで、さまざまなシーンに合わせた食の空間が充実しています。 展示を鑑賞した後は、カフェで美味しい飲み物を片手に余韻を楽しむのもおすすめです。 次回開催が楽しみになるほど、心に残る体験を提供してくれる日展。 また訪れる機会があれば、さらに深くその魅力を味わいたいと思います。 開催情報 『日展』 場所:国立新美術館 住所:〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2 期間:2024/11/1~2024/11/24 公式ページ:https://www.nact.jp/ チケット:一般1,400円、高・大学生 無料、中学生以下 無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.11
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伝統工芸品・工芸品・民芸品の違いとそれぞれの特徴
古くから伝わる技術を使って日本各地で作られるさまざまな工芸品は、伝統工芸品や民芸品などと呼ばれています。 地域に密着した工芸品や民芸品の違いを知ることは、旅の楽しみを増やしてくれるでしょう。 国内外から注目される、日本の工芸技術 日本では昔から、さまざまな技術を使った工芸品や民芸品が作られています。 工芸品とは 工芸品とは、日常的に使われる陶磁器や木工品、漆器などのうち、実用性に加えてデザイン性が認められるもののことです。 特に伝統的な技法を用いて作られるものは、伝統工芸品または伝統的工芸品と呼ばれることもあります。 民芸品とは 民芸品とは、人々の暮らしの中で生まれた手づくりの日用品のこと。 工芸品の中でも、より小規模に生産されるものが民芸品と呼ばれる傾向にあります。 生産地の風土や風習を色濃く反映したものが多いことも、民芸品の特徴です。 伝統工芸品と伝統的工芸品とは 伝統工芸品と伝統的工芸品は、同じような意味で使われることが少なくありません。 しかし、厳密には「伝統的技法を使用する」「主に手作業で製造されている」など、5つの条件を満たすとして、経済産業省が指定する工芸品だけを伝統的工芸品といいます。 2023年10月現在、日本には241種類の伝統的工芸品があります。 一方、伝統工芸品に明確な定義はありません。 長い年月にわたって受け継がれた技法を用いて、手作業で作られていると多くの人々が認めているものが、伝統工芸品であるとする考え方もあります。 お土産などで人気の工芸品・民芸品 伝統工芸品は、お土産としても人気です。 各地を代表する工芸品・民芸品を押さえておきましょう。 北海道・東北地方 木彫りの熊や曲げわっぱは、北海道・東北地方の代表的な工芸品・民芸品です。 木彫りの熊 (北海道) 北海道のお土産として有名な木彫りの熊は、函館近郊の八雲町が発祥といわれています。八雲町は、明治維新の後に旧尾張徳川家の藩士たちが移り住んで開かれた町。旧尾張徳川家19代藩主の徳川義親は、旅行で訪れたスイスの民芸品を参考に、副業として木工品を作ることを町民に奨励しました。 その結果、作られた品物の1つが木彫りの熊です。 木彫りの熊には、定番の鮭を加えたポーズのものから、抽象的で作家性の高いものまでさまざまな種類があります。 曲げわっぱ (秋田県) 曲げわっぱの産地としては、秋田県大館が有名です。 大館曲げわっぱは、天然の秋田杉を薄く加工して作られます。 丸みのある形状を生かし、弁当箱やおひつなどに使われることが多いことも特徴です。 寒い気候の秋田県では、真っ直ぐで強度の高い杉が育ちます。しかし、自然保護のため、2012年に天然の秋田杉の伐採は禁止されてしまいました。 在庫を使って曲げわっぱの生産が続けられているものの、天然の原料を使うものは、今後も希少価値が高まっていくでしょう。 関東地方 関東地方に今も伝わる伝統工芸品としては、高崎だるまや江戸切子があります。 高崎だるま (群馬県) 群馬県高崎市周辺で生産されているだるまを、高崎だるまと呼びます。 だるまの生産が始まったのは、江戸時代に、豊岡村で山縣友五郎が作ったのがきっかけといわれています。当時は、赤色の原料の入手が難しく生産量は限定的でした。 しかし、江戸時代後期に幕府が開国を決めると、海外から原料を輸入できるようになり生産量は増加しました。 現在では、だるまの国内シェアの8割を高崎だるまが占めるといわれています。 江戸切子 (東京都) 江戸切子とは、江戸(現在の東京)で作られている切子細工のガラス工芸品。1834年、加賀屋久兵衛がイギリスのカットグラスを真似て作ったのがはじまりといわれています。 明治時代には、イギリスから招いた技師の指導を受けたことで技術も向上しました。 江戸切子の独特の文様は、菊の花や麻の葉、籠の目などをモチーフとしています。江戸切子の製造工程の中でも、文様を刻むのは特に難しく、熟練の技が必要です。 中部地方 伊賀焼や豊橋筆は、中部地方を代表する伝統工芸品です。 伊賀焼 (三重県) 伊賀焼とは、三重県伊賀市周辺で生産される陶器です。 高音で何度も焼くことにより、独特の力強い風合いが生まれます。桃山時代には、侘び寂びを感じさせるとして、千利休などの茶人に愛好されました。 現代では、耐火性を生かして土鍋や食器などに使われます。 同じ原料を使う信楽焼とは、耳と呼ばれる取っ手の有無で区別されます。 取っ手があるのが伊賀焼です。 豊橋筆 (愛知県) 愛知県豊橋市周辺で生産される筆を豊橋筆と呼びます。 70%のシェアを占める書道用の高級筆として特に有名です。また、最近では化粧用や工業用としても使われて、熊野筆に次ぐ全国第2位の生産量を誇ります。 1804年に豊橋市周辺を治めていた吉田藩が、京都から職人を呼び寄せたことで筆の生産が始まりました。練りまぜという技法を用いて作られる豊橋筆は、なめらかな使用感や墨とのなじみのよさが評判です。 近畿地方 近畿地方では、丹波焼や紀州漆器が今も生産されています。 丹波焼 (兵庫県) 平安時代末期から鎌倉時代にかけて生産が始まった丹波焼は、六古窯の1つです。 かつては壺や甕、現代では食器や花器など一貫して日用品が中心に作られてきました。なお、鎬模様と呼ばれる、ヘラやカンナでつけられた稜線模様は、丹波焼の特徴。また、窯元によってさまざまな個性の作品が作られているため、好みや用途によって選ぶとよいでしょう。 紀州漆器 (和歌山県) 紀州漆器とは、和歌山県の海南市で作られる漆器です。 当初は生産地の名前を取り、黒江塗と呼ばれることもありました。 紀州檜を原料に、室町時代から生産が始まったといわれています。 黒塗りの上に朱塗りを重ねることで強度が高まるのに加えて、わずかに透ける黒と赤の美しいコントラストが特徴です。 水や熱に強く実用性が高いため、椀や箸、弁当箱などとして日常的に使用できます。 中国・四国地方 中国・四国地方の伝統工芸品として、三次人形や土佐打刃物が挙げられます。 三次人形 (広島県) 三次人形は、広島県北部の三次地方で江戸時代から作られている人形です。 焼成した粘土をニカワで彩色した人形は、光沢があるため「光人形」と呼ばれることもあります。 子どもの成長を願い、出産や節句のお祝い品として贈られるほか、最近は記念品やお土産としても人気。モデルとなっている人物は、天神や七福神などの神様、花魁、武者など約140種類にもおよびます。 土佐打刃物 (高知県) 土佐打刃物とは、高知県の高知市周辺で作られる各種刃物のことです。 職人が一つひとつ丁寧に作るため、注文に合わせて鎌から包丁まで多種多様な形や大きさの刃物があることが特徴です。 高知市周辺では、林業が盛んなため、昔から木を切るための刃物が必要とされてきました。 また、17世紀に土佐藩が行った元和改革により、農耕用の刃物の需要も高まったことが、土佐打刃物の起源になったといわれています。 九州地方 九州や沖縄の民芸品としては、オッのコンボやシーサーが有名です。 オッのコンボ (鹿児島県) オッのコンボは、鹿児島県に伝わる起き上がりこぼしです。 七福神の1人である大黒天の妻をかたどっているといわれており、赤く丸みのある姿はだるまのようにも見えます。 鹿児島では、台所に大黒天の人形とともにオッのコンボを飾る風習があります。 シーサー (沖縄県) シーサーは、ライオンをモデルとする魔除けの像で、石や陶器で作られたものを屋根の上に置くのが一般的です。最近はコンクリートや金属で作られたものもあります。 また、カラフルに彩色された小型のものは、お土産として人気です。 1689年に設置された「富盛の石彫大獅子」が記録に残っている最も古いシーサーです。当初は、琉球王国の施設や、村落の入口などに設置されていました。 一般家庭に普及したのは、明治時代からだといわれています。 地域の特色のある工芸品・民芸品は旅の楽しみの1つ 日本全国には、地域ごとにさまざまな種類の工芸品・民芸品があります。 土産物の定番になっているものもあれば、全国規模の知名度を誇り、日用品として一般的に使われているものもあります。 それぞれに由来や歴史があるため、詳しく知れば知るほど奥深いのが工芸品や民芸品です。 工芸品・民芸品をその土地を知る楽しみの1つにしてみてはいかがでしょうか。
2024.11.10
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伝統工芸品(伝統的工芸品)の種類と価値とは
伝統工芸品または伝統的工芸品と呼ばれるものには、さまざまな種類があります。伝統工芸品と気づかずに、日常的に使っているものもあるかもしれません。 伝統工芸品と伝統的工芸品 伝統工芸とは、長い年月にわたって受け継がれてきた技術や技法のこと。伝統工芸を使って作られた工芸品は、伝統工芸品や伝統的工芸品と呼ばれます。 2つの用語の定義は、やや異なります。 伝統工芸品とは 伝統工芸品と呼ばれるものには、明確な定義はありません。 一般的に伝統的な技術を使って作られており、製造工程に手作業が多いものを伝統工芸品と呼ぶ傾向にあります。 なお、各都道府県や自治体が伝統工芸品として認めたものは、全国に1200種類程度あるといわれています。 伝統的工芸品とは 「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて経済産業省が指定したものが、伝統的工芸品と呼ばれます。 伝統的工芸品に指定されるのは、以下の5つの条件を満たす工芸品です。 ・主として日常生活の用に供されるもの ・その製造過程の主要部分が手工業的 ・伝統的な技術又は技法により製造されるもの ・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの ・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの 引用元:経済産業省HP:https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html なお、伝統的工芸品に指定されるには、産地から経済産業省に対して申請手続きが必要です。したがって、5つの条件を満たしていても、伝統的工芸品としての申請を行っていない工芸品もあります。 伝統工芸品の種類 伝統工芸品というと、陶磁器や人形、織物などを思い浮かべる方が多いでしょう。 しかし実は、伝統工芸品には、非常に多くの種類があります。 例えば、香川県の丸亀うちわや兵庫県の播州そろばんも伝統工芸品の一つです。 そのほか、伝統的工芸品の種類としては、織物、染織品、その他繊維、陶磁器、漆器、木工品、竹工品、金工品、仏壇・仏具、和紙、文具、石工品、人形、その他の工芸品、工具用具・材料などがあります。 身近な日用品にも、伝統工芸品に該当するものがあるかもしれません。 代表的な伝統的工芸品 日本全国各地で、さまざまな伝統的工芸品が作られています。 中にはお土産としてもらったり、日用品として使用したりしているものがあるでしょう。 なお、2023年10月時点で経済産業省が指定する伝統的工芸品は、全部で241品目あります。 北海道・東北地方 北海道・東北地方の伝統的工芸品には、南部鉄器や宮城伝統こけし、会津塗などがあります。 南部鉄器(岩手県) 南部鉄器は、岩手県の主に盛岡市や奥州市水沢で作られている伝統的工芸品です。 江戸時代の盛岡藩主である南部重直が、茶の湯のために京都から鋳物師を呼んで作らせた湯釜が南部鉄器のルーツです。 現代では、和モダンをテーマに可愛いフォルムやスタイリッシュなデザインなど、さまざまな南部鉄器が販売されています。 おしゃれで実用的なため、現代では国内外から人気があります。 宮城伝統こけし(宮城県) 宮城県伝統こけしは、すべての工程を手作業で行い制作されたこけしを指します。 江戸時代から主に温泉地での土産物として盛んに作られるようになりました。 こけしには、伝統こけしと呼ばれる種類があります。 11系統あるうちの、鳴子系・弥治郎系・遠刈田系・作並系・肘折系の5種類が、宮城県にあるのです。 昭和前期以降、芸術品としての評価が高まり「こけしブーム」が起きたこともあります。 会津塗(福島県) 会津塗とは、福島県会津地方で作られる漆工芸です。 1590年、豊臣秀吉の命で会津領主となった蒲生氏郷が、奨励したことで大きく発展しました。 木地には、朴、栃、欅などが用いられており、沈金や蒔絵などによる優美な意匠が特徴です。 関東地方 益子焼、江戸木目込人形などは関東地方の伝統的工芸品です。 益子焼(栃木県) 益子焼は、江戸時代ごろから栃木県の南部に位置する益子で盛んに作られるようになった陶器です。 現在、益子には250以上の窯元があるといわれており、国内だけではなく海外からも多くの陶芸家が益子に移住し、陶器を制作しています。 流し掛けと呼ばれる技法によって生み出される、流れるような勢いのある絵柄が特徴です。 江戸木目込人形(埼玉県) 木目込人形とは、桐のおが屑と糊を混ぜて固めたものに溝を彫り、そこへ布地を入れ込んで作る人形のことです。 京都で発祥し、江戸で発展したものを江戸木目込人形と呼びます。 京都で作られるものよりもほっそりとした顔立ちで、目鼻立ちがくっきりしているのが特徴です。 江戸木版画(東京都) 江戸木版画とは、多色刷りの技術ならびにその技術によって作られた木版画のことです。 色ごとに複数の原版を作り、それらを重ねながら何度も摺ることで、カラフルな一枚の絵を作り上げます。 江戸時代に確立した技法であり、絵師・彫師・摺師の分業制によって制作されることも特徴です。 鎌倉彫(神奈川県) 鎌倉彫とは、繊細な彫刻を施した木製の箱などに、漆を塗り重ねた漆器です。 乾口色と呼ばれる茶褐色のものが一般的で、古くは仏具や香入れとして、最近ではお盆や皿などとして使用されることがあります。 中部地方 中部地方の伝統的工芸品には、美濃焼や常滑焼などの陶磁器や小千谷縮のような織物などがあります。 小千谷縮(新潟県) 小千谷縮とは、新潟県塩沢町の小千谷地区で作られている麻織物です。 平安後期には、現代に伝わるいざり機を使う技法が確立していたとされています。 1200年以上にもわたって技術を継承してきたことが評価され、「小千谷縮・越後上布」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。 美濃焼(岐阜県) 岐阜県の東濃地方で作られている美濃焼は、素焼きしたものに釉薬をかけ、もう一度焼いて仕上げられる陶器で、釉薬が生み出す美しい色合いが特徴です。 ろくろなどを使う成形の工程や、素焼きの前の絵柄つけなどに多くの手作業を必要とします。 常滑焼(愛知県) 常滑焼は、愛知県の常滑市を中心に作られている焼き物です。 平安時代後期に始まったとされ、六古窯の一つにも数えられています。 基本的に釉薬をかけないため、土に含まれる酸化鉄の働きによって焼き上がりが赤褐色になることが特徴です。 輪島塗(石川県) 輪島塗は、石川県輪島地方で作られてきた漆器です。 布で補強した器に、土を混ぜた下地を塗ることで強度の高い漆器ができることが特徴です。 漆を複数回にわたって丁寧に塗り重ねているため、堅牢かつ金銀が鮮やかに映る艶やかな漆器が魅力です。 現代のような輪島塗は、江戸時代に完成したと考えられています。 近畿地方 近畿地方の伝統工芸品には、さまざまな種類の陶磁器があります。 伊賀焼(三重県) 伊賀焼とは、三重県伊賀市と名張市で作られる陶器のことです。 8世紀の天平年間に、伊勢神宮の神瓶を制作するために興された窯が、伊賀焼のはじまりと伝えられています。 何度も高温で焼成される伊賀焼には、土に含まれるガラス質や焦げなどにより表面に模様が生まれます。 その模様が侘び寂びを感じさせるとして、茶人に愛されました。 信楽焼(滋賀県) 信楽焼は、滋賀県甲賀市を産地とする焼き物で、六古窯の一つに数えられています。 信楽焼の原料は、伊賀焼と同じく琵琶湖層土で、茶碗や花瓶、建築用のタイルまで現在でも多くの日用品が生産されています。 京焼・清水焼(京都府) 京焼・清水焼は、京都で生産される焼き物の総称です。 多種多様な技法を用いたものがそろうため、用途や好みに合わせて選べます。 特に、ご飯茶碗や抹茶碗などが多く作られています。 播州そろばん(兵庫県) 兵庫県小野市で作られているのが、播州そろばんです。 江戸時代初期から、商人や寺子屋に通う子どもたちの間で計算道具として使用されてきました。 播州そろばんは、珠が均一にそろっており使い勝手がよいことや、見た目の美しさが高く評価されています。 中国・四国地方 陶磁器のほか、筆やうちわなども中国・四国地方の伝統工芸品です。 備前焼(岡山県) 岡山県で生産されている備前焼は、六古窯の一つに数えられる炻器です。 炻器とは、陶磁器の一種で、磁器のように叩くと金属のような音がする一方、陶器の光を通さないという性質を持っています。 保温性が高く丈夫であることから、実用性が高いとして人気があります。 熊野筆(広島県) イタチやたぬきといった動物の毛を使って伝統的な技法で作られる熊野筆は、筆記用具としてだけではなく、最近では化粧筆や画筆などとしても人気です。 なお、江戸時代末期に村人たちが農閑期に作ったのが、熊野筆のはじまりといわれています。 萩焼(山口県) 山口県萩市で生産される陶器を萩焼と呼びます。 江戸時代に当時の藩主であった毛利輝元の命により、朝鮮出身の李勺光と李敬が窯を興したのが萩焼のはじまりといわれています。 素朴な見た目ながら、使うほどに味わいが出るのが萩焼の魅力です。 砥部焼(愛媛県) 砥部焼は、愛媛県伊予郡砥部町を中心に作られている磁器です。 近くの砥石山から石を切り出した際に取れる屑石を原料に作られます。 白磁に藍色の染付が特徴です。 丸亀うちわ(香川県) 丸亀うちわは、47もの工程を経て香川県丸亀市周辺で作られるうちわです。 現代では、年間1億本以上が生産され、国内シェアの9割を占めるといわれています。 九州地方 九州・沖縄地方にも、さまざまな種類の伝統工芸品があります。 博多人形(福岡県) 江戸時代頃から福岡県博多地区で作られている、色付けされた素焼きの人形を、博多人形と呼びます。 明治時代には国際的にも評判となり、1925年にはパリ万博に出品されました。 型を使う複製品と1点ものがあります。 有田焼(佐賀県) 日本を代表する焼き物の一つである有田焼は、佐賀県有田町周辺で生産されている磁器です。 真っ白な素地に、さまざまな釉薬を使って色や絵柄をつけている特徴があります。 また、ヨーロッパなどの海外への貿易品として発展した歴史もあるため、龍や吉祥文様など中国風の柄が多いことも特徴です。 琉球漆器(沖縄県) 沖縄で生産される琉球漆器は、芸術性が高く、贈答品としても人気の漆器です。 中国から伝来した技法をベースとしているため、中国風の絵柄やハイビスカスなどの沖縄の植物をモチーフにしたものが多く見られます。 日本の文化に触れる、伝統工芸品・伝統的工芸品 伝統工芸品・伝統的工芸品は、日本の伝統的な技術を用いて作られる工芸品です。 全国各地で、その地方の風習や風土に根ざした伝統工芸品が作られています。 伝統工芸品・伝統的工芸品を使ったり所有したりすることは、日本の文化に触れることにつながるでしょう。
2024.11.10
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