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東京都現代美術館[東京都江東区] へ行ってみよう
歴史ある作品から現代アートまで:東京都現代美術館 東京都現代美術館は、東京府美術館(現在の東京都美術館)の現代美術のコレクションを引き継いだ美術館で、1995年3月に開館しました。 緑あふれる木場公園の一角に建てられた東京都現代美術館は、美術館建築としては日本最大級の延床面積を誇っています。 展示 東京都現代美術館収蔵されている作品は、コレクション展示室にて「MOTコレクション」展と銘打って公開されています。 MOTコレクション展では、1年間を3~4期に分けて、会期ごとにユニークなテーマを設定し、多数の収蔵作品の中から100~200点ほどを選定して展示会を行っています。 コレクション 1926年、上野公園内に開館した東京府美術館から東京都美術館へと活動が引き継がれていくなかで、約3000点におよぶ美術作品が収集され、現在の東京都現代美術館が開館するとともに引き継がれることとなりました。 現在、東京都現代美術館が新たに収集している国内外の作品とともに、過去の作品も活用されています。 歴史的な観点から見て、戦後美術を体系的に収集するとともに、現在の美術界を表現している若手作家の作品収集にも努めており、現在の収蔵作品数は約5800点にもおよびます。 各時代で生み出されてきた革新的な芸術作品を中心に収蔵していることも、東京都現代美術館の魅力の一つです。 『1963』朝倉摂 『Book - tear』横内賢太郎 『Metropolitan Orpheum, L.A.』杉本博司 特徴/ここがオススメ 東京都現代美術館は、過去に活躍した歴史上の芸術家だけではなく、今後活躍が期待される若手アーティストの作品収集も積極的に行っているのが特徴です。 現代美術の復興と、芸術文化の基盤を充実させる大切な役割も担っているといえます。 美術館では、現代アート作家と共同で作品を制作するワークショップや講演会など、美術や芸術を広めるための活動も頻繁に行っています。 東京都現代美術館は、約3年間の休館を経て2019年3月にリニューアルオープンしました。 カフェ&ラウンジや美術図書室などのパブリックスペースを用意し、すべての館内施設を楽しめるよう新たなサインと一体的にデザインされた什器を導入しています。 まちに開かれたに美術館を目指している東京都現代美術館は、企画展やコレクション展を目的に訪れるのはもちろん、木場公園のお散歩ついでに覗いてみるのもよいでしょう。 美術館情報 東京都現代美術館 住所:〒135-0022 東京都江東区三好4丁目1−1 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/wwxe8qHqkNWpCeZVA アクセス:東京メトロ半蔵門線「清澄白河駅」B2番出口より徒歩9分 ほか 開館時間:10:00〜18:00 ※展示室入場は閉館の30分前まで 休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、展示替え期間、年末年始 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:展示によって異なります 公式サイト:https://www.mot-art-museum.jp/ 年間パスポート:4000円 ※限定枚数につき、なくなり次第販売を終了 近隣のおでかけスポット 東京都現代美術館のある清澄白河エリアは、下町情緒が残りつつも新しいおしゃれなスポットもたくさんある魅力満点な地域です。 深川江戸資料館 深川江戸資料館は、江戸時代末期の深川佐賀町の街並みを再現した実寸大ジオラマで、実際に歩きながら歴史上の街並みを体感できる施設です。 長屋の中まで正確に再現されており、当時使われていた一部の生活用具は実際に触れることが可能で、当時の暮らしを実際に体験できる魅力があります。 江戸時代にタイムスリップしたかのような気分が味わえる歴史体験スポットです。 清澄庭園 清澄庭園は、東京都指定名勝に選ばれている日本庭園で、泉水・築山・枯山水を主体にした園内を散策しながら鑑賞できる回遊式林泉庭園です。 園内の中心には池があり、つつじをはじめとした草花が楽しめる築山は富士山を模しています。 新宿御苑から移築された大正記念館もあり、関東大震災時には避難所としても活躍しました。 隅田川テラス 隅田川テラスは、隅田川に沿って整備された親水施設で、約32kmにもわたって続いています。 テラスには、散策コースや休憩所なども設置されており、人々の憩いの場となっています。 フォトスポットとしても人気の高い場所で、年間を通してイベントも開催されているのが魅力です。
2024.11.09
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塩田千春(1972年-)現代画家[日本]
ベルリン在住の現代美術家「塩田千春」とは 塩田千春は、1972年、大阪府岸和田市生まれ、ベルリン在住の現代美術家です。 生と死や、存在とは何か、など人間の根源的な問題をテーマに、糸を紡いだ大規模インスタレーションをメインに制作しています。 そのほか、立体や写真、映像など多彩な手法を用いて作品を制作しています。 空間に糸を張り巡らせた迫力のあるインスタレーションを、直接はなくともSNSで見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。 高校から美術系の学校へ進学した千春は、京都精華大学洋画科に進学します。 在学中に、オーストラリア国立大学キャンベラスクールオブアートへ留学。 その後、ブラウンシュバイク美術大学やベルリン芸術大学でもアートを学び、ベルリンを拠点に活動するようになりました。 2008年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞すると、2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表に選ばれています。 2008年に国立国際美術館、2012年に丸亀猪熊源一郎現代美術館、2013年に高知県立美術館、2018年に南オーストラリア美術館、ヨークシャー彫刻公園、2019年に森美術館と、国内外問わず数多くのギャラリーで個展を開催しており、国際的な活躍を見せています。 2001年の横浜トリエンナーレ、2010年の瀬戸内国際芸術祭、2012年のキエフ国際現代美術ビエンナーレ、2016年のシドニー・ビエンナーレにも参加しており、世界各国に活動の幅を広げているといえるでしょう。 塩田千春の思想と世界観 千春は、記憶や不安、沈黙、夢など、カタチのないものを表現したインスタレーションやパフォーマンスを行っています。 これらの作品は、個人的な体験を出発点にしているのが特徴です。 作品制作は足りない何かを埋めるための行動 ガンにより療養していた期間、千春は、自分に何かが足りていないという感覚を常に持っていました。 自身には足りないものばかりであり、その満たされない何かを埋めるために作品を制作しているのです。 そのため、千春の作品はちょっとした欠けやズレがきっかけで始まることが多いといいます。 ベルリンに3年ほど住み、久しぶりに日本へ帰ると、さまざまな違和感を覚えたそうです。 靴のサイズは、昔と変わらないはずなのに履き心地がしっくりこなかったり、昔の友人と会っても何かが違う感覚があったり、人や物、風景などすべてが3年離れている間に想像していたものとズレてしまっていました。 しかし、この想像と実際のギャップにより生まれた「なぜ」が、作品制作につながっていくのです。 千春は、想像したものをすぐにカタチにするのではなく、自分の中で温める期間があるといいます。 心で感じたことと向き合い、イメージを膨らませてからカタチにしていきます。 想像から制作までの間に、新しいアイディアが浮かんでも、スケッチはあえてしないそうです。 絵にしてしまうと、絵という作品になってしまうため、言葉だけで書きだすことが多くあります。 自由な時間がクリエイティブな発想を生む 数々の作品を生み出していく中で、千春が特に大切にしているのが自由な時間です。 ヨーロッパには、カフェ文化がありますが、何をして暮らしているのかわからないような人々が、昼間からカフェでお茶を飲んでいる姿をよく見かけていたそうです。 クリエイティブな発想を生み出すためには、何もない、何にもならない時間をただぼーっと過ごすことが大切だと考えています。 自由な空気のベルリンに惹かれる 千春は、ベルリンに住み制作活動を進めていますが、最初からベルリンに住もうと決めていたわけではありませんでした。 美大を卒業した後、すぐにギャラリーで個展を開催したり美術館で展覧会を開催したりするのは難しいため、さらにアートを学ぼうと留学を考えたそうです。 当時、ドイツに留学の受け入れ先があったこと、たまたま訪れたベルリンの街が魅力的だったことから、移住を決意しました。 ドイツを東西に分けるベルリンの壁が壊されたのは1989年、千春がドイツに留学したのは、その数年後のことでした。 さまざまな場所で改装工事が行われており、アーティストたちは次々と現場に入り、自由な空気が流れていたそうです。 世界中から集まったアーティストがアトリエを構え、多種多様な国々の芸術家が混じり合い、個性を主張しながら創造を広げている空間に魅了されたのでした。 国境のない現代美術を目指す 千春は、本来自由であるはずの現代美術の世界にも国境やナショナリズムの意識が残っていると感じているそうです。 たとえば、グローバリゼーションの展覧会として開催されていても、日本人作家、アフリカ人作家、アメリカ人作家など、数カ国の芸術を集めただけの展覧会が多く、ナショナリズムが残っていると感じたそうです。 千春が、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館で展示を行った際「日本の代表としていかがでしょうか?」と質問され、違和感があったといいます。 千春は、日本の文化を伝える作品を制作しているわけではなく、国籍や性別などに関係なくわかりあえる現代美術を目指しています。 ガンにより死と向き合い個展を開催する 2017年、千春は2度目の卵巣がんを発病し、死と向き合いました。 6時間にもおよぶ大手術の末、卵巣を摘出し、5か月にわたり抗がん剤治療を続けることで、ガンを克服しました。 病に打ち勝った千春は、2019年に「魂がふるえる」という個展を森美術館にて開催します。 展示された『Cell』シリーズは、細胞をテーマにした作品群で、生と死を命題に作品を制作しました。 心と身体が引き裂かれるような苦しい体験をした千春が、人間としての尊厳や自我を、再び自分の身体へと取り戻すために作られたのが『Cell』です。 塩田千春が制作した作品たち 千春の作品は、作品の中を歩き回れるほど大規模なものも多く、そのインパクトに圧倒される人も多くいます。 『不確かな旅』 真っ赤な糸が展示室全体に広がる大規模なインスタレーション作品で、千春といえば「糸」シリーズを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。 もつれあったり、絡まりあったりしている赤い糸は、体内をめぐる血液を表現しているようでもあり、人と人とのつながりを表現しているとも捉えられます。 「舟」も千春がよく活用するモチーフの一つで、骨組みだけで作られた舟は、行く先がわからない不安や不確かさなどを象徴しているように感じられます。 『静けさのなかで』 黒い糸が張り巡らされた空間で、焼けたピアノと椅子が静かに佇んでいる様子が印象的な作品です。 空間とモチーフを覆いつくす黒い糸は、見る者に不穏な気持ちや不安を感じさせます。 『静けさのなかで』は、千春が幼いころに見た近所の火事と、焼け跡から見つかったピアノという実体験の記憶をもとに制作されています。 『内と外』 2004年ごろから制作を開始した「窓」シリーズの一つで、『内と外』には旧東ベルリンで使用されていた古い窓枠が約250枚も使われています。 すべての窓に歴史や生活感が残っていて、住んでいた人たちの記憶を覗き込んでいるかのような感覚を味わえます。 年表:塩田千春 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1972(昭和47年) 0 大阪府岸和田市に生まれる。 1993(平成5年) 21 京都精華大学在学中、オーストラリア国立大学に交換留学。大規模ドローイングや糸を使った作品を制作。 1996(平成8年) 24 ハンブルク美術大学に入学。 1997(平成9年) 25 ブラウンシュヴァイク美術大学でマリーナ・アブラモヴィッチに師事。 2000(平成12年) 28 ベルリンを拠点に国際的な展示活動を開始。 2008(平成20年) 36 平成19年度芸術選奨新人賞、咲くやこの花賞美術部門を受賞。 2015(平成27年) 43 第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本代表として「掌の鍵」を展示。 2019(令和元年) 47 森美術館で個展「魂がふるえる」を開催。過去25年間の活動を回顧。
2024.11.09
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東京国立博物館 [東京都台東区]へ行ってみよう
東京国立博物館は、1872年に開館した歴史ある博物館です。 150年以上の歴史の中で受け継がれてきた収蔵品は約12万点で、そのうち国宝が89点、重要文化財が649点も保存されています。 東京国立博物館には、教科書でも見たことがあるような有名な作品が多く展示されています。 美術品に詳しくない人でも一度は見たことがあるようなものもたくさん展示されているため、子どもから大人まで鑑賞を楽しめるでしょう。 展示 東京国立博物館の敷地は広大で、展示施設もいくつかの建物に分かれています。 ・本館 ・平成館 ・東洋館 ・法隆寺宝物館 ・表慶館 ・資料館 など 日本だけではなく東洋の美術や考古を中心に、さまざまなジャンルの文化財が収蔵・展示されているため、特定のジャンルに偏らずまんべんなく歴史的価値のある展示品を鑑賞できます。 コレクション 東京国立博物館では、絵画から書跡、彫刻、工芸、考古などさまざまなジャンルの名品が約12万点も収蔵されています。 公式サイトでは、博物館が所蔵している優良品約500件のデータを閲覧可能です。 博物館を訪れて気になったものがあれば後から見直してみたり、先に所蔵品をチェックし展示中のものの下見として活用するのもよいでしょう。 所蔵されている国宝には以下のようなものがあります。 ・『銀象嵌銘大刀』熊本県和水町 江田船山古墳出土 ・『千手観音像 』 ・『秋冬山水図』雪舟等楊筆 特徴/ここがオススメ 東京国立博物館には、国宝や重要文化財に指定されている物品が多く収蔵・展示されているのが魅力の一つです。 国宝や重要文化財は歴史的・文化的価値の高い大変貴重なものであり、なかなか直接みれる機会は少ないといえます。 東京国立博物館には、多くの国宝や重要文化財が所蔵されているとともに、定期的に入れ替えを行いながら展示をしています。 いくつもの国宝や重要文化財をまとめて鑑賞できる機会はなかなかありません。 東京国立博物館を訪れたら、国宝や重要文化財に指定されているかにも注目して見てみるとよいでしょう。 美術館情報 東京国立博物館 住所:〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/PqxJFp5TykHzKap97 アクセス:JR上野駅公園口、または鶯谷駅南口下車 徒歩10分 ほか 開館時間:9:30~17:00(金・土は19:00まで)※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日・年末年始 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:総合文化展(平常展)は一般1000円、大学生500円 ※特別展は展示によって異なります 公式サイト:https://www.tnm.jp/ 年間パスポート:友の会 年会費7000円、国立博物館メンバーズパス 一般2500円 学生1200円 近隣のおでかけスポット 上野公園の敷地内にある東京国立博物館。 建物の目の前には公園の噴水があり、噴水越しの博物館は涼し気で壮大な雰囲気があります。 上野動物園 上野公園内には、東京国立博物館から歩いて数分の距離に上野動物園があります。上野動物園では、約300種3000点の動物が飼育されており、東京都心でありながら自然の景観を再現しているのが特徴です。エリアは東園、西園の大きく2つに分けられており、上野動物園の名物であるジャイアントパンダが暮らすパンダもりは、西園にあります。 上野恩賜公園 東京台東区にある広大な敷地の上野恩賜公園には、さまざまな施設が併設されており、東京国立博物館もそのうちの一つです。 上野恩賜公園は、自然や噴水など散策を楽しめる空間があるとともに、数々の銅像や施設などもあり、見どころがたくさんあります。 散歩やアート鑑賞、寺社巡りと、自分の興味のある楽しみ方をみつけられる公園です。 春にはソメイヨシノが満開になり、お花見スポットとしても有名です。 上野アメ横商店街 上野公園がある上野駅からすぐの場所にアメ横と呼ばれるにぎやかな商店街があります。 約500mの道には、400店舗以上のお店が軒を連ねています。 アメ横では、珍品・貴品などを扱う専門店がたくさん集まっており、上野公園の観光ついでに寄ってみるのもおすすめです。
2024.11.09
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国宝や重要文化財はどうやって選ばれるのか?
国宝や重要文化財が日本にとって大切なものであると漠然としたイメージはあっても、具体的にどのようなものを指しているのか、どのように指定されているのか知らない人も多いでしょう。 国宝や重要文化財がどのように指定されているのかを知ることで、歴史的・文化的な価値を理解したうえでの鑑賞を楽しめるようになります。 国宝とは 国宝とは、簡単にいうと「日本の宝」です。 古くは、1897年の「古社寺保存法」、1929年の「国宝保存法」により指定された6847件の物品を国宝と呼んでいました。 しかし、1950年に「文化財保護法」が新たに制定されると、過去に国宝と指定された物品は一度「重要文化財」と呼ばれるようになり、文部科学省が「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いものかつ、国民の宝たるもの」と認めたものを国宝として指定しました。 そのため、現在国宝として認められている物品は、もともと国宝として扱われていたものの中からさらに価値が高いと判断された国宝中の国宝ともいえます。 国宝は、8つのジャンルに分けられており、項目は以下の通りです。 ・工芸品 ・絵画 ・彫刻 ・書跡、典籍 ・建造物 ・古文書 ・考古資料 ・歴史資料 国宝指定が最も多いジャンルは工芸品で、陶磁器や仏教の法具、刀剣などが該当します。 考古資料とは、土偶や青銅器などの出土品です。 国宝の選び方 国宝は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いものかつ、たぐいない国民の宝たるものと認められたものが指定を受けます。 また、国宝は重要文化財から指定されるため、まず重要文化財として指定される必要があります。 国宝は、文化財分科会が文部科学大臣に対して、該当の文化財を国宝に指定するよう答申し、それを受けた文部科学大臣が指定することで国宝と認められるようになるのです。 旧国宝もある 旧国宝とは、昔の法律により定められていた国宝を指します。 美術鑑賞をしているとき、「重要文化財(旧国宝)」の文字を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。 旧国宝は、1929年に制定された「国宝保存法」によって指定されていた国宝で、1950年の「文化財保護法」により国宝が一度すべて重要文化財となり、その後国宝として指定されなかった物品です。 国宝から重要文化財に変更されたからといって歴史・文化的価値が下がったわけではありません。 制度上の変更であり、現在の精度では重要文化財も極めて重要な物品とされています。 重要文化財とは 重要文化財とは、過去に制定されていた「古社寺保存法」や「国宝保存法」にて国宝と指定されながらも、新たに制定された文化財保護法では国宝に指定されなかった物品です。 過去の法律により国宝とされていた時期があるため、旧国宝とも呼ばれています。 また、国宝や重要文化財は、毎年新たに指定が行われており、新たに重要文化財となるものもあれば、重要文化財から国宝に格上げされる物品も多くあるのです。 重要文化財の選び方 文部科学大臣が、有形文化財のうちさらに重要であると判断したものを重要文化財として指定します。 文化財保護法では、文部科学大臣が文化審議会に諮問し、答申を受けてから指定を行うよう定められています。 また、諮問前には文化庁や都道府県教育委員会が文化財の所在調査を行い、指定候補となる物品をピックアップし、さらに詳細な調査を行ってから諮問が実施されているのです。 文化庁では、所在調査のほか美術史や建築史、土木史など関連分野の学術研究の成果も情報収集し、指定の参考としています。 諮問後、文化審議会から答申が出された後は、文部科学大臣が重要文化財に指定、登録または選定を行い指定書を所有者に交付します。 国宝・重要文化財のジャンル 国宝・重要文化財の主なジャンルは以下の8つです。 ・工芸品 ・絵画 ・彫刻 ・書跡、典籍 ・建造物 ・古文書 ・考古資料 ・歴史資料 建造物では、城郭や神社、寺院、住宅などが該当します。 江戸時代までに建てられ、天守が保存されている天守閣のある城を現存天守と呼びます。 現存天守は現在12城あり、そのうち国宝に指定されているのは、松本城・松江城・姫路城・犬山城、彦根城の5つです。 絵画では、古墳壁画や密教曼荼羅、やまと絵、水墨画、絵巻、近代絵画などが該当します。 日本の絵画様式として有名なやまと絵の国宝としては『鳥獣戯画』や『源氏物語絵巻』などがあります。 彫刻では、仏像が該当し、特に京都や奈良に集中しているのが特徴です。 国宝第一号となった広隆寺の仏像『弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)』は、1951年に指定されました。 国宝に指定されている仏像の中で最も大きいのが、神奈川県鎌倉市の高徳院にある『銅造阿弥陀如来坐像』で約15m、ついで奈良県の東大寺金堂にある『銅造盧舎那仏坐像』で約13mです。 工芸品の国宝として有名なのが『曜変天目茶碗』です。 茶碗の内側に大小さまざまな斑点模様が散らばっており、角度を変えて鑑賞すると玉虫色の鮮やかな輝きをみせ、宇宙の星のように鮮やかな輝きを放っているのが特徴で、藤田美術館・静嘉堂文庫・龍光院がそれぞれ所蔵している3点すべてが国宝に指定されています。
2024.11.09
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国宝や重要文化財の宝庫「東京国立博物館」の常設展を観に行ってみた!
東京の上野公園内にある大規模な博物館「東京国立博物館」を知っていますか? 東京国立博物館には、150年以上にわたり受け継がれてきた約12万点の収蔵品があります。 そのうち、国宝が89点、重要文化財が648点と、質と量ともに日本を代表するコレクションといえるでしょう。 総合文化展では、常に3000件以上の収蔵品や寄託品を展示しており、見どころがたくさんです! 今回は、国宝や重要文化財などの貴重な品を収蔵・展示している東京国立博物館の総合文化展を観に行ってきました。 東京国立博物館は5つの展示館からなる博物館 東京国立博物館は、上野駅からすぐの場所にある上野公園内に建設されている博物館です。 上野公園内の中でも開放感があり、噴水が涼しげな空気を作り出してくれている広場の奥に博物館があります。 平日の11時ごろに訪れましたが、すでにチケット売り場には行列ができていました。 また、上野公園内を歩いているときから感じていましたが、外国人観光客も多くチケット売り場に並んでいます。 体感では、日本人よりも外国人観光客のほうが多かったように感じます…! そのため、平日でもある程度の混雑が予想されます。 東京国立博物館自体、広く展示数も多いため、ゆっくりと見て回りたい方は、朝一の開館と同時に入館するのがおすすめです。 チケットを購入してさっそく敷地内に入ると、建物がいくつも建ち並んでいます。 どこから行けばよいか迷ってしまう方は、まずは本館の展示から鑑賞するのがおすすめです。 本館と平成館は建物内でつながっているため、本館の作品を鑑賞した後に外に出なくともそのまま平成館の鑑賞も楽しめます。 東京国立博物館の総合文化展では国宝・重要文化財がいくつも展示されている 東京国立博物館の特徴といえば、収蔵・展示されている国宝・重要文化財の数が多いこと! 現在は、国宝が89点、重要文化財が648点収蔵されています。 美術品の中でも、歴史的・文化的価値が高く大変貴重なものが指定される国宝と重要文化財。 国民的財産を一目見てみたいという方も多いでしょう。 東京国立博物館では、一つや二つだけでなく、数十点、数百点の国宝と重要文化財が展示されており、国の宝を一目見てみたい!という方にもおすすめの博物館です。 東京国立博物館には、本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館・黒田記念館・表慶館の6つの展示館があります。 黒田記念館では、洋画家の黒田清輝の作品が展示されており、表慶館は基本的に特別展やイベントが開催される建物です。 今回は、それ以外の4館に展示されている作品について紹介していきます。 本館:日本の美術 日本美術を取り扱っている本館の展示は、1階と2階に分かれています。 2階では、日本美術の移り変わりが分かるよう時代別に展示が行われており、日本美術のもつ独特で豊かな魅力を堪能できる展示になっています。 1階の展示は、彫刻や近代美術、刀剣などジャンル別に深堀していけるような展示になっていました。 アイヌ文化や琉球文化に関連した歴史資料も多く展示しており、美術品の鑑賞を楽しむとともに歴史の勉強もできるため、子どもの学びにもぴったりです! 本館1階から2階に上がる大階段は、ドラマやミュージックビデオなどでもたびたび使われており、博物館に行ったことがない人でも見覚えがあるかもしれません。どこから見ればよいか迷ったら案内図に表示されている番号順にみていくとスムーズに進めます。 本館に設置されている案内板には、写真撮影禁止のマークがある作品のみ撮影ができないと案内が書かれています。 撮影OK作品と同じように間違えて撮影しないよう、作品の近くにマークが設置されていないか必ず確認してから写真を撮るようにしましょう。 十六羅漢像(第三尊者) 平安時代・11世紀 国宝(1952年指定) この作品は、滋賀の聖衆来迎寺に伝来した現存する最古の十六羅漢像の一幅です。 お堂の前に経机をおいてイスに座っているのが羅漢です。 羅漢とは仏教を開いた釈迦の教えを守り伝える聖者であるといわれています。 本館の国宝室に飾られていたこの作品は、鮮やかな色合いが今でも残っており、描かれた平安時代のころには、さらに色彩豊かな掛軸であったのだろうと感じられました。 服やものの輪郭ははっきりと描かれていますが、顔の輪郭は薄く柔らかな線で描かれているような印象を受けました。 この作品は、絹の裏側から絵具を塗って絹目を通して柔らかな彩色効果を生み出す裏彩式と呼ばれる技法が用いられています。 裏彩式と柔らかな輪郭線により、800年以上経った今でも温かみのある絵に見えるのでしょう。 康円作 鎌倉時代・1273年 木造/彩色/玉眼 重要文化財 真ん中の獅子に乗っているのが文殊菩薩、左端から大聖老人、于闐王、善財童子、仏陀波利三蔵です。 文殊菩薩と4人の従者が海を渡る「渡海文殊」の群像を表現した像です。 光背の細かなデザインや衣服のシワやヨレなども巧みに表現されている点に感心しました。 また、黒い床と背景に置かれた立像は、照明によって光り輝き、神々しさを演出している点も印象に残っています。 照明により背景に映し出されているシルエットの光背もとてもきれいでした! 平成館:日本の考古 平成館の1階にある考古展示室では、旧石器時代から江戸時代までの歴史をたどりながら考古資料を鑑賞できます。 縄文時代の土偶や弥生時代の銅鐸、古墳時代のはにわなど、教科書で見たことがある作品もたくさん見かけるかもしれません! 現在タイムリーで勉強中のお子さんとも一緒に学びながら楽しめる展示ですね! 扁平鈕式銅鐸 弥生時代(中期)・前2~前1世紀 伝香川県出土 青銅製 国宝 銅鐸とは、弥生時代に作られた釣鐘の形をした青銅器のことで、当時祭りに用いられていたといわれています。 扁平鈕式銅鐸は、弥生時代の中期に作られたとされており、描かれている模様をよく見てみると、魚をついばむ鳥や、イノシシ猟などが表現されています。 また、杵で臼をつく人や梯子がかけられた高床建物も描かれていることから、銅鐸が農耕祭祀と深いかかわりがあるのではと考えられるようになったそうです。 この銅鐸は、弥生時代に作られたものでかなり古い出土品ですが、照明の光があたり表面が輝いており、こんなにも状態のよいものが発掘されるのだと感動しました! 模様も細かい線で描かれていますが、はっきりと絵が残っており、タイムマシンで過去から現代に運んできたかのような印象を受けました。 東洋館:東洋の美術 東洋館では「東洋美術をめぐる旅」のコンセプトのもと、朝鮮半島や中国、東南アジア、インド、エジプトなどアジア各地の文化を展示しています。 各国で独自に発展していった東洋の美を堪能できる展示館です。 勢至菩薩立像 中国 隋時代・6世紀 重要文化財 国宝や重要文化財に指定されているのは、日本の美術品だけではありません。 こちらの勢至菩薩立像は中国で作られたものです。 丸顔でスラッとした細身の長身、繊細なデザインの装身具などは、隋時代に流行していた典型的な表現方法。 小さな立像ですが、装身具の模様が細かく表現されており、顔を近づけて何度もまじまじと眺めてしまいました。 法隆寺宝物館:法隆寺献納宝物 法隆寺宝物館には、1878年に奈良の法隆寺から皇室に献納され、戦後になって国に移管された宝物300点が収蔵・展示されています。 大変貴重な宝物の数々を間近で鑑賞できる機会はなかなかありません! 法隆寺宝物館には、金銅仏、伎楽面、押出仏、仏画、経典、仏具などが所蔵されており、そのうち国宝が11点、重要文化財が182点と価値のある美術品が数多く所蔵・展示されているのも見どころの一つです。 正倉院宝物は8世紀の作品がメインですが、法隆寺宝物館はそれよりも古い7世紀の宝物も含まれており、より歴史の古い宝物を拝めるかもしれません。 灌頂幡 飛鳥時代・7世紀 国宝 灌頂とは、頭に水を注いで仏の弟子として高位に昇ったことを照明する儀式のことです。 灌頂幡は、その儀式で使用する旗を指しています。 灌頂幡の全体には、透彫による仏や天人、雲、唐草などの模様があります。 最上部は、天蓋とその中央に吊り下げられた6枚の大幡からなっており、天蓋は4枚の金銅板を傘の形に組み合わせ、周囲に蛇舌と呼ばれる飾金具を設置し、その下に垂飾を垂らしているのが特徴です。 蛇舌の細かい模様に心惹かれ、飛鳥時代に使われていたころはさらに輝きを放ち、儀式の雰囲気を高めていてくれたのだろうなと感じました。 また、法隆寺宝物館では、ガラスのケースに入れられた立像が規則正しく並んでいる展示室があり、神々しさや厳かな雰囲気を感じられました。 神聖な空気感を味わいたい方は、ぜひ訪れてみてください。 デジタル法隆寺宝物館では法隆寺ゆかりの名宝を鑑賞できる 法隆寺宝物館内には、常時展示できない法隆寺ゆかりの名宝をデジタル技術を用いて鑑賞できる展示室があります! デジタル法隆寺宝物館では、国宝の「聖徳太子絵伝」「法隆寺金堂壁画」の2つのテーマを主軸に、グラフィックパネルと大型8Kモニターを使って絵の詳細まで自由に鑑賞できるデジタルコンテンツを展示しています。 国宝の中には、傷みがひどく展示ができないものや、肉眼で細部まで鑑賞できないものもたくさんあります。 そんな作品でも、高精細画像として大型8Kモニターに映し出すことで衣類の細部から人物の表情まで、見たい部分を大きく拡大して存分に鑑賞を楽しめます! 法隆寺宝物館に展示されている数々の名宝とあわせて、肉眼では拝むことのできない国宝や名宝もデジタル技術を駆使してあわせて鑑賞してみましょう。 数々の日本の宝を鑑賞できる貴重な博物館 東京国立博物館では、保護の観点から国宝や重要文化財などの美術工芸品の長期間の公開が難しいため、定期的に展示入れ替えを行っています。 そのため、展示の名称も常設展ではなく、総合文化展としているのです。 収蔵品と寄託品で構成されている約3000件の展示は、ほぼ毎週どこかの展示室で展示替えが行われており、その数はなんと年間300回以上といわれています! そのため、特別展やイベントではなくとも何度も訪れて新しい名宝を鑑賞したくなってしまいます。 いつ見ても必ず新しい美術工芸品と出会える東京国立博物館。 特別展やイベントも頻繁に開催されているため、あわせて鑑賞を楽しみましょう。 また、東京国立博物館近くには、EVERYONEs CAFEがあり、東京都を産地とする江戸前食材や、東京野菜および江戸野菜などを取り入れた料理が楽しめます。 開放感のあるオープンテラスもあるため、博物館鑑賞のあとに上野公園の自然を感じながら美味しい料理を味わいましょう! 店舗情報 EVERYONEs CAFE https://shop.create-restaurants.co.jp/0941/ 開催情報 『総合文化展』 場所:東京都台東区上野公園13-9 期間:常時 公式ページ:https://www.tnm.jp/ チケット:総合文化展(平常展)は一般1000円、大学生500円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.09
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久隅守景(生没年不詳)画家/絵師[日本]
最も国宝らしくない国宝を描いた「久隅守景」とは 久隅守景は、江戸時代の前期に活動していた狩野派の絵師です。 狩野探幽の弟子であり、最も優秀な後継者ともいわれていました。 また、国宝にも指定されている『納涼図屏風』は、最も国宝らしくない国宝として、現代でも注目を集めています。 狩野探幽の弟子で優秀な後継者だった 守景は、若いころに探幽の門下となり、神足高雲や桃田柳栄、尾形幽元らとともに四天王と称されていました。 1831年に書かれた『画乗要略』では、山水と人物を得意としており、その技術は雪舟や伯仲、探幽門下で右に出るものなしとまで評価されています。 狩野派一門の逸材として活躍していた守景は、探幽の姪である国と結婚し、師匠の一字を拝領して「守信」と名乗っていました。 狩野派絵師として活躍していた当時の初期作品には、1634年に描かれた『劉伯倫図』があります。 また、1641年には探幽の弟である狩野尚信と探幽、尚信の姉婿である狩野信政とともに制作に参加した、滋賀県にある天台宗の寺院の聖衆来迎寺客殿の障壁画では『十六羅漢図』、富山県にある曹洞宗の寺院の瑞龍寺には『四季山水図襖』を描いています。 当時の守景は、探幽の画風を忠実に習い描いており、習作期間に位置づけられているのです。 子どものトラブルをきっかけに狩野派から距離を置く 結婚後、守景は1男2女に恵まれ、長女の清原雪信と長男の彦十郎は、父の守景を継いで絵師になっています。 雪信は、父の師でもある探幽に絵を学んだ狩野派随一の女性絵師で、探幽様式を忠実に習いながらも、女性らしい繊細な筆の運びや彩色で優美な作風の絵を描いていました。 作家の井原西鶴が書いた『好色一代男』にも、雪信の名前が登場していることから、当時の人気の高さがうかがえます。 高い評価を得ていた雪信でしたが、狩野門下の絵師であり尼崎の仕官の子である平野伊兵衛守清と駆け落ちをしてしまいます。 息子の彦十郎も探幽門下の絵師として活躍していましたが、悪所通いが原因となり探幽から勘当され破門、のちに師へ告げ口した同門絵師をうち果たすと口走り投獄され、佐渡へ島流しとなってしまいました。 しかし、彦十郎は佐渡でも狩野派の画風を忠実に学んだ作品を制作し続け、注文を受けて制作を行っていたそうです。 長女・長男は波乱万丈な人生を送ったといえるでしょう。 これらの問題がきっかけとなり、守景は狩野派から距離を置くようになり、金沢で制作活動を行うようになりました。 晩年まで制作活動は続けていた 狩野派と距離を置いた守景は晩年、加賀藩前田家に招かれて金沢の城下に滞在しました。 探幽の門下生として描いた瑞龍寺の襖絵は、前田利常の命によるもので、当時は加賀藩の重臣である今枝と小幡の両家にお世話になっていたそうです。 晩年の招待も、瑞龍寺の襖絵制作がきっかけであったと考えられます。 一説によると、2度目の滞在時は五代藩主・綱紀が招き、今枝、小幡の両家と町奉行の片岡孫兵衛の家にお世話になり、6年間滞在していたといわれています。 守景の代表作である『納涼図屏風』や『鷹狩図屏風』は、2度目の金沢滞在期間に描かれたと推測されているそうです。 晩年、絵を描き続けていた守景は、加賀の地でさらに飛躍的な成長を遂げたといえるでしょう。 最晩年は、京都に移住して『加茂競馬・宇治茶摘図屏風』を制作しており、年を重ねても老いを感じさせない素晴らしい作品を残しています。 久隅守景が描く絵の特徴 守景が描く作品は、初期こそ探幽に習い忠実に探幽様式を再現していましたが、狩野派と距離を置いて以降は、独自の画風を確立していきました。 守景は、味わいのある墨線が魅力の一つで、耕作図といった農民の生活を描いた風俗画を多く手がけています。 探幽以後の狩野派は、守景の画風を敵対視して形式化・形骸化していきますが、守景は個性的な画風を確立していき、高く評価されていました。 また、守景は農村の人々の暮らしをよく描いており、武士が領民の暮らしを守り自らを戒める鑑戒画として知られています。 国宝らしくない国宝『納涼図屏風』 国宝らしくない国宝と呼ばれる『納涼図屏風』は、2度目の金沢滞在時に描かれたといわれています。 おぼろげな月光のもとで、筵を敷いて夕涼みする納付の親子が描かれている作品です。 地面には、細かい砂利のようなものが描かれており、近くに小川が流れているのかと想像させてくれます。 1日の労働を終えて家族で夕涼みするその様子は、くつろぎのひとときといえますが、シンプルな構成からどこかもの悲しさも感じられるでしょう。 また、くつろいでいる3人の表情からは、何気ない日常風景の詩情豊かに表現する守景の才能が見え隠れしています。 日常風景を描いたこの作品は、華やかさがなく一見地味であるとも捉えられ、国宝らしくない国宝ともいわれているのです。 しかし、すみずみまで細かく鑑賞してみると、神経の行き届いた繊細な筆使いが見受けられます。 男性側は太くはっきりとした輪郭線が描かれているのに対して、女性側は細く繊細な輪郭線が描かれています。 『納涼図屏風』は、見れば見るほどその味わい深さに魅了される作品といえるでしょう。 年表:久隅守景 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1620年代頃(元和期) 不詳 生まれる。 1630年代(寛永期) 10代 狩野探幽に師事し、狩野派四天王と称される。 1634(寛永11年) 不詳 作品『劉伯倫図』を制作。探幽門下でその才能を評価される。 1641(寛永18年) 不詳 『四季山水図』を知恩院にて制作。探幽や他の弟子と協力。 1642(寛永19年) 不詳 聖衆来迎寺に『十六羅漢図』を制作。 1672(寛文12年) 50代頃 息子の不行跡により破門。弟子たちから距離を置くようになる。 1700年代初頭(元禄期) 不詳 死去。晩年は不明な点が多いが、後世に影響を与えた。
2024.11.09
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日本だけじゃない!今や世界へ広がる刀剣ブーム
日本における刀剣ブームは漫画やアニメがきっかけ? 日本で起きた刀剣ブームの背景には、漫画やアニメの影響が大きく関係しています。 特に、バトル系のアニメや漫画では、「刀剣」がよく登場します。 日本刀はその美しい曲線や細身のデザインから、「最強の武器」として描かれることが多く、見る人の心を強く惹きつけているのです。 また、アニメや漫画などの二次元作品が好きな人たちは、キャラクターそのものだけでなく、そのキャラクターに関連する物品やイメージカラーなどにも深い愛着を持つ傾向があります。 そのため、キャラクターが使っている日本刀や関連するグッズを買い集めることが、ファン活動の一環として広がっていきました。 漫画やアニメがきっかけとなり、刀剣ブームは子どもから大人まで、特に若い女性たちの間で大きく広がり、日本社会において一大ブームとなっています。 名刀を展示する博物館などに多くの若い女性が訪れる光景が日常的に見られるようになったことは、このブームがいかに影響力を持っているかを物語っています。 るろうに剣心 るろうに剣心は、1994年から1999年にかけて週刊少年ジャンプで連載されていた、和月伸宏による人気漫画です。 「るろ剣」の愛称で親しまれ、90年代後期の週刊少年ジャンプを代表する作品の一つとして広く知られています。 漫画の人気は、アニメ化や実写映画化によってさらに広がり、多くの世代から支持を得ました。 物語の舞台は明治時代の日本で、作品内には数々の刀剣が登場します。中でも注目を集めたのが、主人公・緋村剣心が使用する「逆刃刀」。 逆刃刀は、通常の刀とは異なり、刃と峰が逆になっている特殊な刀剣です。敵を切ることなく戦いたいという剣心の不殺の誓いを象徴しています。 剣心は、かつて幕末最強と恐れられた伝説の人斬り抜刀斎として名を馳せていましたが、ある不幸なできごとをきっかけに人を斬ることをやめ、逆刃刀を手に取るようになりました。この設定は、多くの読者や視聴者に強い印象を与え、刀剣に対する関心を大きく引き上げたといえるでしょう。 るろうに剣心が人気を集めたことで、日本刀の美しさや強さが再評価され、日本国内外で刀剣への興味が広まり、刀剣ブームの一端を担ったことは間違いありません。特に若い世代の中で、日本刀を象徴的な存在として捉えるきっかけとなり、刀剣に対する関心が高まったのです。 ONE PIECE ONE PIECEは、1997年から週刊少年ジャンプで連載されている尾田栄一郎による漫画で、世界中で大人気の作品です。 物語の中心にあるのは、海賊たちが「ひとつなぎの大秘宝[ワンピース]」を巡って繰り広げる冒険とバトル。 多彩な武器や能力が登場する中でも、特に注目されるのが主人公モンキー・D・ルフィの仲間であるロロノア・ゾロが使う「三刀流」の剣術です。 ゾロは、両手と口に刀を持つ独特な戦闘スタイルで知られており、その剣術は達人級です。 ゾロが使用する刀には、「和道一文字」や「三代鬼徹」、「秋水」などの名前が付けられており、これらの名称は実在の名工や名刀からインスピレーションを受けているとされています。 例えば、「和道一文字」は平安時代から室町時代にかけて活躍した刀鍛冶「一文字派」が作り上げた刀をモデルにしていると考えられます。また、「三代鬼徹」は江戸時代中期に実在した刀工「虎徹」の作品をモデルにしているともいわれているのです。 ONE PIECEに登場する刀剣は、実際に模造刀として販売され、ファンの間で人気を集めています。 BLEACH BLEACHは、2001年から2016年にかけて週刊少年ジャンプで連載され、久保帯人が手がけた人気漫画です。 死神と呼ばれるキャラクターたちが登場し、その死神たちが使用する特殊な刀剣「斬魄刀」が物語の中心となっています。 斬魄刀は、死神が悪霊「虚」を斬り浄化するための武器であり、所有者の魂に基づいて形状や能力が決定されます。 能力が解放されていない状態では、斬魄刀は通常の日本刀と似た形状をしていますが、力が解放されると、さまざまな特殊能力を発揮する点が特徴です。 斬魄刀の設定は、物語の中で非常に重要な要素となっており、多くのファンを惹きつけました。 斬魄刀の存在を通して、特に若い世代を中心に、刀剣に対する憧れや興味が広まり、実際の日本刀や刀剣文化への関心をも呼び起こすきっかけになったといえるでしょう。 戦国BASARA 刀剣ブームが盛り上がりを見せたのは平成時代後半のことですが、それ以前にも若い女性たちを虜にした作品がありました。 それは、2005年に発売されたアクションゲーム「戦国BASARA」です。 日本の戦国時代を舞台にしており、歴史上の武将たちが個性豊かに描かれたキャラクターとして登場します。 戦国BASARAは、「戦国時代を舞台にしたゲームに女性ファンを増やした作品」として知られており、特に若い女性の間で大きな人気を博しました。 当時、女性はアクションゲームに対してあまり興味を持たない、あるいは戦国時代に興味がないというイメージが一般的でしたが、このゲームはその常識を覆しました。 二次元作品のファンたちは、その作品に関連するグッズを購入することが「ファン活動」の一環とされていますが、戦国BASARAも例外ではありません。 ゲームの人気と共に、キャラクターの姿が描かれたグッズや、彼らが使用する日本刀をモデルにしたアイテムなどが次々と販売され、特に武器関連のグッズは発売と同時に売り切れることも。 さらに、熱心なファンの中には、キャラクターのコスプレをするために衣装や模造刀を専門業者に依頼して制作する人もいました。 戦国BASARAは、単なるゲームとしての枠を超え、ファンの間で深く愛され、さまざまな形でその人気を保ち続けています。 戦国BASARAは、若い女性に刀剣や戦国時代に対する関心を高め、刀剣ブームを支える重要な作品の一つといえるでしょう。 刀剣乱舞 刀剣乱舞は、2015年に配信開始されたブラウザゲームで、実在する日本刀や伝説的な名刀を「イケメン」に擬人化しており、そのキャラクターを操作するのが特徴です。 ゲームの成功をきっかけに、アニメ、舞台、漫画といったさまざまなメディアミックス展開が行われ、大きな人気を博しました。 刀剣乱舞は、平成の刀剣ブームを牽引する作品となり、女性ファンを中心に広がりを見せました。 このブームによって生まれた新語として、2015年に流行語大賞にノミネートされた「刀剣女子」という言葉があります。 「刀剣女子」は、日本刀が好きな女性、または刀剣乱舞の女性ファンを指し、この言葉から多くの女性が刀剣に対する深い興味を持つようになったことがうかがえるでしょう。 ゲームに登場するキャラクターは刀剣男士と呼ばれ、多くが現存する名刀をモデルにしています。 刀剣女子たちは、自分が好きな刀剣男士のモデルとなった実物の刀を一目見ようと、全国各地の博物館や美術館を巡り、その様子をSNSで共有することがファン活動の一環として定着。 特別展示として名刀が期間限定で展示される際には、各施設が過去最高の来場者数を記録することもしばしばあります。 さらに、一度訪問したことのある施設でも、別の名刀が展示されると聞くと、再度訪れる熱心なファンも少なくありません。 展示施設側も、この刀剣ブームに対応するために、刀剣に関する解説をより分かりやすくしたり、地域の商業施設と連携して町おこしを行ったりなど、さまざまな取り組みを進めています。 刀剣女子たちも、これらの施設の努力や心遣いに感謝し、その体験をSNSで共有することで、さらに多くのファンが興味を持って訪れるという相乗効果が生まれています。 刀剣乱舞は、単なるゲームとしての枠を超え、日本刀への関心を高め、社会現象ともいえる刀剣ブームを生み出す大きなきっかけとなりました。 鬼滅の刃 鬼滅の刃は、2016年から2020年まで週刊少年ジャンプで連載された吾峠呼世晴による漫画で、その人気は日本国内のみならず世界中に広がっています。 連載終了後もその人気は衰えることなく、さまざまなメディアミックス展開が続いているのです。 鬼滅の刃の物語では、登場人物たちが使用する「日輪刀」が重要な役割を果たしています。 日輪刀は「猩々緋砂鉄」や「猩々緋鉱石」などの特別な鉱石から作られ、所有者によって刀身の色が変化するため、色変わりの刀とも呼ばれています。 主人公・竈門炭治郎が所属する鬼を退治する特殊部隊「鬼殺隊」では、各隊員がそれぞれ独自の呼吸法を用いて、個性豊かな日輪刀を駆使して戦うのが特徴です。 呼吸法や日輪刀の使い方は、子どもたちの間で「ごっこ遊び」としても大流行し、キャラクターたちの技や刀を模倣する遊びが広まりました。 また、日輪刀はおもちゃとしてだけでなく、模造刀としても非常に人気が高まり、大人のコスプレアイテムとしても需要が高まっています。 さらに、鬼滅の刃をきっかけに、若い世代を中心とした「居合道」や「剣道」のブームが生まれました。 鬼殺隊のメンバーに憧れを抱いた人々が、各地の道場に問い合わせをしたり、実際に入門したりと、刀剣文化に対する関心が急激に高まったのです。 「鬼滅の刃」は、単なるエンターテインメント作品としての枠を超えて、日本刀や武道への関心を広め、現代の刀剣ブームを後押しする大きなきっかけとなりました。 海外に広がった刀剣ブーム 日本刀は、その美しい造形と優れた実用性により、国内外で広く愛されてきました。 特に最近では、映画やゲーム、文化交流を通じて、その魅力が世界中で再評価されています。 日本刀は、単なる武器としてだけでなく、芸術品や象徴としての価値が認識され、多くの国々で注目されています。 海外における刀剣ブームは、こうした背景を反映し、さまざまなメディアやイベントを通じて日本刀への関心を深めるきっかけとなっているのです。 欧米における日本刀ブーム 日本の刀剣は、ヨーロッパやアメリカを中心に広がり、現地のミュージアムで芸術品として高く評価されています。 特に日本刀は、美しさと技術の結晶として海外のコレクターや芸術愛好家に注目され、数多くの日本刀が各国のミュージアムに所蔵されています。 所蔵されている日本刀は、主に貴族や実業家たちのコレクション寄贈によって集められ、海外での日本刀の認知度向上に貢献してきました。 特にボストン美術館は、アメリカにおける日本美術の拠点の一つです。 明治時代には美術思想家である岡倉天心が美術館に招かれ、日本美術の普及に貢献しました。 ボストン美術館は、50,000点以上の日本美術品を所蔵しており、その中には「宗吉」や「来国光」、「志津三郎兼氏」など、歴史的に貴重な日本刀も含まれています。 欧米のミュージアムは、日本刀を芸術品として評価し、広く一般に紹介することで、欧米における日本刀ブームを促進してきました。 日本刀が持つ美しさや歴史的価値は、今や世界中で認識され、多くの人々に愛され続けています。 中国における日本刀ブーム 日本刀は、中国でも古くから高い評価を受けてきました。 その美しさや機能性は、中国の詩人や文人たちの心を惹きつけ、文化的な交流の一環として深く根付いています。 日本刀が中国に輸出されるようになったのは、平安時代ごろです。 中国の北宋時代に活躍した文人・詩人・政治家である「欧陽脩」は、日本刀の美しさに感銘を受け、「日本刀歌」という詩を残しています。 鮫皮で装飾された鞘や金銀混ざり合った真鍮と銅の組み合わせに注目し、日本刀が単なる武器ではなく、神聖で崇高な存在として見なされていたことがうかがえます。 中国での日本刀ブームがさらに広がったのは、日明貿易が始まったころです。 足利義満が始めた日明貿易(朱印船貿易)は、1401年から1549年まで続きました。 この公式貿易の枠組みの中で、日本から中国へ多くの日本刀が輸出されました。 特に明の時代、中国は倭寇と呼ばれる海賊の襲撃に悩まされており、倭寇が使用していた日本刀の優れた切れ味に対抗するため、同じ日本刀を武器として手に入れようとしたといわれています。 その結果、日明貿易を通じて約10万振の日本刀が中国に輸出され、その多くは「数打ち」と呼ばれる大量生産の備前刀でした。 日本刀は洋画にも登場する 現代において、日本刀は洋画の中でもその魅力を発揮し、海外での関心を高めています。 映画監督であるクエンティン・タランティーノの作品には、日本刀が登場し、重要な役割を果たしているのです。 タランティーノ監督は、独特なスタイルとエンターテインメント性で知られ、多くの作品で日本刀を取り入れています。 代表作である「パルプ・フィクション」や「キル・ビル」は、その一例です。 「キル・ビル」では、主人公のザ・ブライドが日本刀を武器として使用します。 架空の刀鍛冶「服部半蔵」が作った「ハンゾーソード」は、映画の中で非常に象徴的な存在となっています。 「キル・ビル」は、日本刀が持つ美しさと実用性を映画の中で際立たせ、その存在感を強調しました。 日本刀の登場は、単なる武器としての役割を超えて、映画の中で重要な象徴となり、視覚的にも文化的にも深い影響を与えているのです。
2024.11.09
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刀剣博物館 [東京都墨田区]へ行ってみよう
世界が注目する美しい日本の刀剣を堪能する「刀剣博物館」 「刀剣博物館」は、日本刀の保存と美術的価値の普及を目的に「日本美術刀剣保存協会」によって運営されている専門博物館です。 1968年(昭和43年)に東京・渋谷区で開館し、その後、2018年(平成30年)には両国の旧安田庭園内に移転して、新館としてオープンしました。 この新館は、建築家・槇文彦氏がデザインしたもので、曲線美が際立つモダンな3階建ての建物です。 展示 刀剣博物館では、さまざまな国宝や重要文化財の刀剣を鑑賞できます。 国宝「明石国行」は、正式には「太刀 銘 国行(来)」といいます。 鎌倉時代に活動した山城国(現在の京都府)の刀工で、来派の創始者である「来国行」が鍛えた名刀です。 この刀は、かつて明石藩(現在の兵庫県)に伝わっていたため、「明石国行」という号が付けられました。 所蔵されている刀は常設展示ではありませんが、随時展示されることがありますので、展覧会情報を確認するために、ぜひホームページをチェックしてみてください。 コレクション 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会は、日本刀の保存と普及を目的とする団体として60年以上の歴史を誇ります。また、同協会が運営する刀剣博物館は、日本国内でほとんど類を見ない日本刀専門の博物館です。これにより、多くのコレクターから作品の寄贈を受けるほか、さまざまな所蔵者から刀剣や刀装具の保管や管理を依託されているものも多数存在しています。 「国宝 太刀 銘 延吉」 「国宝 太刀 銘 国行(来)」 「重要文化財 短刀 銘 兼氏」 特徴/ここがオススメ 1階にあるミュージアムショップでは、製鉄施設「日刀保たたら」を有する刀剣博物館ならではのお土産として、小箱に入った「玉鋼」が販売されており、非常に人気です。 また、1階には庭園を眺められるカフェスペースがあり、さらに3階の屋上には屋上庭園が設けられており、訪れる人々に癒しのひとときを提供しています。 美術館情報 刀剣博物館 住所:〒130-0015 東京都墨田区横網1-12-9 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/uukEKiMFNkTg6tRB6 アクセス:JR総武線 両国駅西口から徒歩7分 ほか 開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで) 休館日:毎週月曜日(祝日の場合開館、翌火曜日が休館)・展示替期間・年末年始 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:通常展 大人1000円、会員700円、学生(高校・大学・専門学校)500円、中学生以下無料 公式サイト:https://www.touken.or.jp/museum/ 年間パスポート:記載なし
2024.11.09
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月山貞一(1907年-1995年)刀工[日本]
人間国宝として刀を作る「月山貞一」とは 月山貞一(がっさんさだかず) 生没年:1907年-1995年 二代・月山貞一は、大阪にて刀匠である月山貞勝の子として生まれました。 1918年ごろからは、父の貞勝から作刀を学び、16歳になると月山貞光を名乗って大阪美術協会展に初入選し、刀匠界で一目置かれるようになります。 貞一は、戦時中の日本における重要な作刀を依頼される機会が多く、1929年には昭和天皇に贈呈するための『大元帥刀』を父の貞勝とともに作刀しました。 同年、父が亡くなると日本帝国陸軍の兵器製作所である「大阪陸軍造兵廠」と呼ばれる大阪工場の軍刀鍛錬所責任者に任命されます。 戦時中において、西日本の刀匠の最高峰となるのでした。 1945年、日本が第二次世界大戦に敗れ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により日本刀の製造が禁止されてしまい、日本の伝統である作刀の技術は衰退の危機を迎えます。 1954年に制定された武器製造法令により文化財保護委員会から作刀の許可を得るまでは、刀匠として不遇の時代を過ごしました。 作刀の許可を得てからは、精力的に作品を作り、1966年に刀匠として名高い祖父「月山貞一」の名を受け継ぎ、二代・月山貞一として作刀を続けていきました。 刀匠としての才能を天から与えられた貞一は、月山家伝統の綾杉鍛えを継承するだけに留まらず、五箇伝の技法すべてを習得したのです。 1971年には、作刀における卓越した技術が認められ、人間国宝の認定を受けました。 初代「月山貞一」は帝室技芸員に任命されている 二代・月山貞一の祖父にあたる初代・月山貞一は、帝室技芸員に任命された優れた刀匠でした。 1836年、初代・月山貞一は、現在の滋賀県にあたる近江国にて、塚本家の子として生まれました。 7歳になると、大阪で活躍していた刀匠「月山貞吉」の養子となり、刀匠としての道を歩みはじめます。 11歳ごろから刀工の修業を開始した貞一は、めきめきと技術を上げていき、1851年16歳のときには、『月山貞吉造之嫡子貞一十六歳ニ而彫之、嘉永四年八月吉日』と銘のある平造りの脇差を作刀します。 鍔には滝不動と呼ばれる滝と不動明王を描く日本伝統的な構図を彫り、この脇差の完成度の高さから、貞一は作刀における才能を持ち合わせていたことがうかがえるでしょう。 1876年、廃刀令が制定されると、日本刀の需要は急激に下がってしまい、多くの刀工職人たちは、転職を余儀なくされました。 しかし、初代・月山貞一は、刀工として作刀を続け、1906年、ついに当時の刀匠としては最高の名誉であった「帝室技芸員」に任命されるのでした。 帝室技芸員となった初代・月山貞一は、宮内省御用刀匠として、愛刀家であると有名な明治天皇の軍刀や、皇族、著名人の刀剣を作刀し、刀匠界で名を広めます。 初代・月山貞一が作刀する刀たちは、どれも豪快な造込みがされており、綾杉肌と呼ばれる大きく波を打っているように見える形状の鍛肌を得意としていました。 作刀だけではなく、刀身彫刻の技術も卓越しており、濃厚で緻密な彫物を刀身に行う月山彫りと呼ばれる技法で名をはせています。 二代・月山貞一が習得した「五箇伝」とは 二代・月山貞一が習得したとされている五箇伝とは、大和伝・山城伝・備前伝・相州伝・美濃伝の5つの地域に伝わる日本刀作りを指します。 大和伝は、現在の奈良県である大和国に伝えられた鍛錬法で、寺院と密接な関係をもっていました。 山城伝は、平安京に都が移された794年ごろから繁栄しはじめた鍛錬法で、優美で気品に満ちた刀剣が特徴です。 貴族の依頼によって作られていたため、実践の技術は問われず、姿や形の美しさに重点が置かれました。 備前伝は、987年の古備前鍛冶からはじまり、時代の波に乗るようにして名匠が誕生し、受け継がれていきました。 戦国時代には、数打ち物と呼ばれる大量生産をこなし、さらに反映していったのです。 相州伝は、現在の神奈川県である相模国に鎌倉幕府が誕生したことをきっかけに生まれた鍛錬法で、強く鍛えた鋼を高温で熱したあと、急速に冷却する難しい技術が取り入れられています。 美濃伝は、現在の岐阜県である美濃国に伝えられた鍛錬法で、五箇伝では最も新しい流派です。 大量生産する数打ちと高品質な注文打ちを両立させ、名をはせていきました。 年表:月山貞一 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1907(明治40年) 0 大阪府に生まれる。父は刀工の月山貞勝で、本名は月山昇。 1929(昭和4年) 22 昭和天皇に贈呈するための大元帥刀を父と共に作刀。 1940年代(昭和期) 30代 戦時中、大阪陸軍造兵廠の軍刀鍛錬所責任者を務める。 1954(昭和29年) 47 武器等製造法の施行により文化財保護委員会の許可を得て作刀を再開。 1966(昭和41年) 59 祖父の名を継いで月山貞一を名乗る。 1967(昭和42年) 60 新作名刀展で正宗賞、文化財保護委員長賞を受賞。 1971(昭和46年) 64 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 1979(昭和54年) 72 勲四等旭日小綬章を受章。 1995(平成7年) 87 奈良県桜井市で死去。
2024.11.09
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東京国立近代美術館 [東京都千代田区]へ行ってみよう
皇居近くにある、日本最初の国立美術館 東京国立近代美術館は、東京の中心部に位置する美術館で、皇居や北の丸公園、千鳥ヶ淵など日本の文化や自然を感じられる環境の近くにあります。 また、東京国立近代美術館は、日本で最初の国立美術館でもあります。 もともとは1952年に中央区京橋に開館し、その後コレクションが増加したため、1969年に現在の千代田区に移転しました。 2001年には大幅なリニューアルが行われ、展示室の拡張やミュージアムショップ、レストランの新設などにより見どころがさらに増えました。 展示 東京国立近代美術館では、所蔵作品展と企画展を開催しています。 所蔵作品展では、日本画・洋画・版画・写真・映像・彫刻など1万3000点を超える所蔵作品から約200点を選出して、会期ごとに入れ替えを行いながら展示しています。 国内最大級のコレクション展示であり、所蔵作品展でありながらも来るたびに新しい作品を鑑賞できるのが魅力の一つです。 企画展では、国内外問わずさまざまな作家の個展や、時代や社会をテーマにした展示会、ユーモアのある展覧会を年に数回開催しています。 コレクション 東京国立近代美術館には、約1万3000点を超える膨大なコレクションが所蔵されています。 19世紀末から現在まで、日本の近現代美術作品を中心に、社会的文脈やグローバルな視点も取り入れながら、収集を続けています。 また、所蔵している作品の国内外の美術館で開催される展覧会への貸出も行っており、近代美術を世に広める役割も担っているといえるでしょう。 東京国立近代美術館に所蔵されている主な作品は以下の通りです。 ・『大きな花束』ポール・セザンヌ ・『ラ・ガループの海水浴場』パブロ・ピカソ ・『王昭君』菱田春草 ・『仁王捉鬼図』狩野芳崖 特徴/ここがオススメ 東京国立近代美術館の最大の魅力は、1万3000点を超える国内最大級のコレクションです。 所蔵作品の中には、横山大観や菱田春草、岸田劉生など重要文化財に指定されている作品も多くあります。 一般的に、企画展をメイン会場で展示する美術館では、常設展の規模が小さくなりがちですが、東京国立近代美術館では膨大なコレクションがあるため、所蔵作品展も充実しているのが大きな魅力です。 所蔵作品展である「MOMATコレクション」では、会期ごとに作品の入れ替えを行うため、常設展でありながら何度訪れても新鮮な気持ちで鑑賞を楽しめます。 1万3000点を超えるコレクションの中から、研究員が季節や社会の状況などにあわせてテーマを決め、約200点を選出し入れ替えを行っています。 さまざまな名画に巡り会えるチャンスのある美術館といえます。 また、所蔵作品は近代の日本画から洋画、国内外の現代アート、彫刻、版画、写真、映像などジャンルが多彩です。 多種多様なジャンルの作品を時代の流れとともに楽しめるのも魅力の一つといえるでしょう。 東京国立近代美術館では、重要文化財を15点所蔵しています。 こちらも常にすべてが展示されているわけではなく、入れ替えが行われているため、すべての重要文化財を自分の目で見てみたいという方は、会期ごとに何度も訪れてみましょう。 美術館情報 東京国立近代美術館 住所:〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/jXpdPobqagGT8AEv9 アクセス: 東京メトロ東西線「竹橋駅」 1b出口より徒歩3分、東京メトロ東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅」4番出口より徒歩15分ほか 開館時間:10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00) 休館日:月曜日、展示替期間、年末年始 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金: 所蔵作品展 一般500円、大学生250円 企画展 展示によって異なります 公式サイト:https://www.momat.go.jp/ 年間パスポート:1200円 ※初めて利用した日から1年間有効
2024.11.09
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