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ジャン=ミシェル・バスキア(1960年-1988年)画家[アメリカ]
グラフィティの申し子と呼ばれた「ジャン=ミシェル・バスキア」とは ジャン=ミシェル・バスキア 生没年:1960年-1988年 ジャン=ミシェル・バスキアとは、グラフィティ・アートをモチーフにした作品で活躍したアメリカの画家です。 バスキアは、ストリート・アートを芸術の分野に押し上げ、世界に広めた重要なアーティストの一人です。 バスキアが亡くなったあとも、残された作品は高い評価を得て、人々に大きな影響を与えました。 一見、街中にあるような落書きに見える作品たちの背景には、貧富や黒人差別などに対する強い社会的メッセージが込められています。 幼いころにもらった『グレイの解剖学』 バスキアは、アメリカのニューヨーク市ブルックリンにて、プエルトリコ系移民の母とハイチ系移民の父の間に生まれました。 バスキアは、幼いころから絵を描いていたといわれており、これは母からの影響が大きかったとされています。 母は幼いバスキアを連れて、よく地元の美術館に行ったり、ブルックリン美術館のジュニア会員に登録させたりと、バスキアが美術に触れられる環境を熱心に作っていました。 バスキアは勉強もでき、4歳になるころには読み書きを習得したそうです。 ニューヨークのアート専門私立学校である聖アンズ学校に入学したバスキアは、友人となるマーク・プロッツォと出会い、2人で子ども向けの絵本を制作し、早くからアートに関する才能を表していました。 しかし1968年、7歳のころ、道路で遊んでいたバスキアは、車に轢かれる交通事故に遭ってしまいます。 腕を骨折、内臓破裂の重傷を負い、脾臓の摘出手術を受けるほどの大きなけがをしてしまいました。 母は、入院中のバスキアが退屈しないようにと、よく医学生が読んでいる『グレイの解剖学』という有名な本をプレゼントします。 『グレイの解剖学』には、学術書でありながらも図版が豊富にあり、この本がのちのバスキアのアートに大きな影響を与えたといわれています。 バスキアの作品でよく描かれている人体模型のようなモチーフは、幼いバスキアがみた解剖図が源泉といえるでしょう。 ユニット「SAMO」でスプレーペインティングを始める バスキアは、15歳のときに家出をし、ニューヨークのマンハッタンにあるトンプキンス・スクエア公園のベンチでしばらく過ごしていましたが、警察に逮捕されてしまい、父の保護観察下に置かれることに。 しかし、17歳のときに父がバスキアを家から追い出したため、友人の家に居候しながら、自ら作成したTシャツやポストカードを販売して生計を立てるようになりました。 その後、1976年に友人のアル・ディアスとともにSAMOというユニットを結成します。 SAMOは「SAMe Old shit(いつもと同じだよ)」という意味をもっており、2人は学校新聞にマンガを連載するといった活動からはじめ、やがてストリートでグラフィックアートを描くようになっていきます。 マンハッタンのダウンタウンの建物や壁、地下鉄などさまざまな場所にスプレーペインティングを施し、社会を風刺するバスキアの政治的かつ詩的な作品は、少しずつ注目を集めていくようになりました。 当時バスキアは、昼間はノーホーにあるアパレル倉庫で働きながら、夜になると街に出てスプレーペインティングを描く日々を続けていたのです。 また、ダウンタウンのナイトクラブの常連にもなっており、夜は多くのクラブにも出入りしていました。 ある夜、バスキアがいつものようにスプレーペインティングをしているとき、ユニーク・クロシングの社長であるハーベイ・ラッサックが偶然通りかかり、バスキアの才能を認め生活費をサポートするために仕事を依頼するようになります。 1978年には、雑誌「ザ・ヴィレッジ・ボイス」でSAMOの特集が組まれ、活動が世間に広まっていきました。 しかし翌年、ディアスとの関係を解消し、SAMOとしての活動も終了します。 その際は、ソーホーの建物の壁には「SAMO IS DEAD」の文字が描かれました。 キース・ヘリングをはじめとした仲間との親交 1979年、18歳のバスキアは、グレン・オブライエンが司会の番組「TV Party」に出演し、これをきっかけにオブライエンと親交を深めていったバスキアは、その後の数年間、定期的に「TV Party」に出演しました。 バスキアは、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ周辺でもグラフィックアートを制作しており、当時学生であったパフォーマンス・アーティストのジョン・セックス、ストリート・アーティストのケニー・シャーフ、キース・ヘリングらとも親交を深めていきました。 バンド「GRAY」を結成する 1979年、バスキアはヒップホップに通ずるマイケル・ホルマンとパーティーで出会い、「Test Pattern」というノイズロックバンドを結成しました。 バンド名はのちに、幼いころにみた解剖学の教科書『グレイの解剖学』からとって「GRAY」に改名されました。 メンバーには、シャノン・ドーソン、ウェイン・クリフォードなどがおり、当時彼らはCBGB、Hurrah、Mudd Clubなどの大きなクラブのステージでの演奏経験もあり、実力が認められていた人物です。 現代アートの巨匠アンディ・ウォーホルとの出会い 高校を中退してオリジナルのポストカードやTシャツを販売して生計を立てていたバスキアは、20歳前後のときに運命的な出会いを果たします。 バスキアがソーホーでポストカードを売っていたとき、美術評論家のゲルドザーラーと現代アートの巨匠アンディ・ウォーホルを見かけ、バスキアは2人が昼食をとっていたレストランに押しかけポストカードを売りつけました。 突然のできごとで、ゲルドザーラーは若すぎると興味を示しませんでしたが、ウォーホルはバスキアの才能を認め、1ドルでポストカードを購入しました。 この出会いがきっかけとなり、のちに共同制作を行うまでの関係性になります。 のちに、美術商のビショフベルガーが、バスキアとウォーホルのランチをセッティングすると、2人はすぐに意気投合。 ウォーホルは、ポラロイドカメラで2人のセルフポートレートを撮影します。 ランチを終えて帰宅した後、バスキアは写真をもとに2時間ほどで2人の絵を描き、ウォーホルのもとに送ったそうです。 絵を受け取ったウォーホルは、のちに絵はまだ濡れていたと当時の様子を語っています。 アーティストとして名声を得る バスキアは、親交を深めていたオブライエンの縁により「Graffiti '80: The State of the Outlaw Art」へ出演し、少しずつ世間から認知されるようになるとともに名声が全米に広がり始めていきました。 1980年、「タイムズ・スクエア・ショー」という展覧会に参加したバスキアは、ジェフリー・ディッチをはじめとした多くの批評家やキュレーターに注目されるようになり、ディッチは雑誌「アート・イン・アメリカ」にて、バスキアへの評価を綴っています。 さらに翌年、現在MoMAニューヨーク近代美術館に統合されているニューヨークの P.S.1で開催された「ニューヨーク/ニューウェーブ」展に参加し、大きな存在感を発揮しました。 この展覧会をきっかけにイタリアでの個展や売却が行われるようになりました。 1982年には、国際的なアートフェア「ドクメンタ」にも参加しており、21歳で当時史上最年少として参加したバスキアの記録は、現在も破られていません。 著名アーティストとの関係 1983年、美術商のビショッフフェルガーは、翌年1984年に開催されるロサンゼルス夏季オリンピックを記念するための作品として、バスキアやウォーホル、イタリア人アーティストのフランチェスコ・クレメンテに共同制作を依頼します。 また、ドクメンタに参加した後、バスキアは独立したばかりのディーラーであるラリー・ガゴシアンが作ったスペースをスタジオとして利用し、制作を行っていました。 のちに、ガゴシアンはバスキアの作品の力を借りつつも、世界有数のギャラリーへと成長していきます。 さらにバスキアは、当時まだ無名だったマドンナとも付き合っていました。 そのほかにも、グラフィティ・アーティスト仲間のポートレートを描いたり、ラッパーとして活動していたRammellzeeやK-Robのレコードデザインを担当したりと、さまざまな方面に活動や交友を広げていました。 22歳のときには、ホイットニー・ビエンナーレへの参加やコム・デ・ギャルソンとのコラボなど、大きなプロジェクトをいくつも手がけ、さらに人気が高まっていきます。 オーバードーズによる早すぎる死 1985年ごろ、ポップアート界のスターの地位に昇りつめ、名声を手にしたバスキアは、年間140万ドルほど稼いでいたといわれています。 しかし、成功の陰でバスキアの精神状態は大変不安定なものになっていました。 稼ぎが増え人気が高まっていくほど、プレッシャーも大きくなっていき、ヘロインに溺れるようになってしまったのです。 1986年ごろ、当時ガールフレンドだったジェニファー・グッドとともに、ヘロインへの依存を高めていき、中毒に拍車がかかったと考えられています。 また、1987年にウォーホルが亡くなったことで、バスキアはより一層孤独を深め、薬に依存していきました。 うつ病も悪化し、ハワイのマウイにて静養していましたが、ノーホーのスタジオに戻り1988年8月、ヘロインのオーバードーズにより、27歳という若さで人生の幕を下ろしました。 バスキアが描いた3つのシンボル バスキアの作品には、社会的なメッセージが込められているものも多くあります。 また、特定の意味をもったモチーフが繰り返し登場するのも特徴の一つです。 王冠 バスキアは、王冠のモチーフを好んでよく描いていました。 王冠は、権力や支配の象徴といった意味あいに解釈されることが多くあります。 バスキアは、黒人のアーティストとして、社会の不平等さや人種差別などの問題に強い関心を抱いていたことから、作品でよく権力問題へのメッセージを表現していました。 王冠のモチーフは、支配的な存在や権力に対する挑戦の意思を表現するために描かれ、不正義に対する抗議の象徴であったと考えられます。 また、王冠はアフリカの王や神話的な存在と関連しており、バスキア自身もアフリカ芸術の影響を受けていたことから、アフリカの伝統的な王権の象徴である王冠を描いていたともいわれています。 スカル バスキアの作品のモチーフを思い浮かべたとき、真っ先にイメージされるのがスカルのデザインではないでしょうか。 バスキアが人体の構造に興味をもつきっかけとなったのは、幼いころに事故で重傷を負い入院していたころに読んだ『グレイの解剖学』であるといわれています。 また、頭蓋骨はアフリカ文化圏で行われるブードゥーと呼ばれる儀式を想起させるものでもあり、バスキアはアフリカ芸術の影響を受けていたため、よくスカルのモチーフを描いていたとも考えられるでしょう。 黒人アーティストとしてのレッテルに悩んでいたバスキアは、肌の色に関係ない頭蓋骨をはじめとした皮膚の下の人体構造を描くことで、人種差別に対する強いメッセージを送っていたのかもしれません。 テキスト バスキアの作品には、絵だけではなくテキストも多く描かれており、ほとんどテキストだけで構成されている作品もあるほど、テキストにこだわりを見せています。 テキストの内容は多岐にわたり、お金やモノの価値に関する文章や、商品名、器官の名称、アーティストの名前、社会に向けたメッセージなどがあります。 バスキアは、さまざまなテキストを規則的に並べたり、繰り返し書いたり、ときにはバラバラに配置したりして作品を制作しました。 テキストは説明文としての役割ではなく、視覚的な要素の一つとして用いられています。 文章ではなく、いくつもの単語から生まれる意味や再構築された文が生み出すイメージを表現したのです。 黒人アーティストのレッテルと葛藤 ストリート・アーティストとして名声を手に入れたバスキアですが、自信が黒人アーティストとしてのレッテルを貼られることを大変嫌っていたそうです。 バスキアの作品に、黒人差別をテーマにしたものが多く残されていることからも、黒人アーティストと呼ばれることに悩み、抗議していたことが分かります。 バスキアは、初期のころから黒人差別や人種問題などへ強い関心や共感をもち、作品によって表現していました。 そのため、バスキアの作品には黒人ミュージシャンや黒人のスポーツ選手、歴史上の黒人の政治家や指導者などが、たびたび登場しています。 しかし、バスキアの活躍は黒人アーティストであったからこそ、黒人の音楽や歴史、文化、スポーツなどをテーマにした作品を制作でき、世間から評価を得られたという側面をもっており、そのためバスキアはより一層黒人アーティストとしての立ち位置に葛藤していたと考えられるでしょう。 バスキアが制作した作品の特徴 スプレーペインティングから始まったバスキアのアートには、主に3つの特徴があります。 一見、落書きにも見えてしまう作品の鑑賞を楽しむためには、特徴を理解し、鑑賞時に注目してみるとよいでしょう。 文字や記号を用いた作品 バスキアの作品には、記号や文字が多く描かれている特徴があります。 たとえば、人種差別に関する内容、聖書の引用、社会を強く批判するメッセージなどです。 また、文章としてではなく、単語や記号などを断片的に用いているのも特徴の一つです。 絵と文字や記号を融合させたアートは、グラフィティ・アート出身のバスキアならではの表現方法といえるでしょう。 解剖学からインスピレーションを受けた作品 バスキアの作品には、解剖学からインスピレーションを受けたであろうものが多くあります。 幼いころにみた『グレイの解剖学』がきっかけとなり、解剖学的なドローイングを行うようになり、バスキアの作品には、スカルや人体構造などがたびたび登場しています。 挑発的二分法を用いた作品 バスキアは、挑発的二分法と呼ばれる手法を用いた作品を多く制作しています。 挑発的二分法とは、一つの作品の中に黒人と白人、富裕層とホームレスなど相対する2つの要素に焦点をあてて描き、対比を強調する表現方法です。 社会への批判的なメッセージを作品で多く表現していたバスキアは、よく挑発的二分法を用いて社会へのメッセージを表していました。 年表:ジャン=ミシェル・バスキア 西暦 満年齢 できごと 1960 0 ニューヨーク市ブルックリンで誕生。母親はプエルトリコ系、父親はハイチ出身。幼少期から絵に親しみ、母親の影響で美術館に通う。 1968 7 車にはねられ、脾臓を摘出する大けがを負う。入院中に母から解剖図『グレイの解剖学』を贈られ、後の作風に影響を与える。 1976 15 SAMO(セイモ)という名前でグラフィティアートを開始。ニューヨーク市内の壁や建物にメッセージ性のある言葉や絵を描き、注目される。 1978 17 高校を中退し、家出。生活費を稼ぐために自作のポストカードやTシャツを販売し始める。この頃、アンディ・ウォーホルやキース・ヘリングといったアーティストとも出会う。 1981 20 グラフィティアートがアート界で注目され始め、『ザ・ヴィレッジ・ヴォイス』紙に取り上げられる。アートコレクターやギャラリーからの関心を集め、ロサンゼルスで初個展を開催する。代表作には『アンディ・ウォーホルの肖像』『無題』などがある。 1982 21 国際的に評価が高まり、ニューヨーク近代美術館の展覧会にも参加。同年、代表作『頭』を発表し、抽象と具象を融合させた独自のスタイルを確立する。 1983 22 アンディ・ウォーホルと本格的に親交を深め、共同作品も制作。代表作『ドス・カラベラス』や『フレックス』などを制作し、商業的にも成功を収める。 1985 24 ウォーホルとの共同作品が評価される一方で、「商業主義に屈した」と批判を受けることもある。この頃、『無題(悪魔)』を含むダークなテーマの作品も発表。 1988 27 精神的な孤立が深まり、薬物依存に悩む。代表作『王冠』を発表するが、8月12日、ヘロインの過剰摂取により自宅で死去。彼の死は多くのファンやアーティストに衝撃を与えた。
2024.11.09
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新たな発見が生まれる「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション展」レポ
東京国立近代美術館では、パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館のコレクションを、テーマごとにトリオに分けて展示するユニークな企画展を開催しています。 トリオで並べて鑑賞することで、共通点を発見したり、意外な組み合わせに驚かされたりと、多彩な楽しみ方のある企画展です。 今回は、東京国立近代美術館で開催されている「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション展」に行ってきました! トリオ作品をじっくりと鑑賞して新たな共通点や発見を楽しみましょう。 これまでにない組み合わせで作品を展示する「TRIO展」は東京国立近代美術館にて開催中 TRIO展は、独自の文化を育んできたパリ・東京・大阪の3都市にある美術館のコレクションが集結し、共通する特徴ごとにトリオで分けた珍しい企画展です! 展示会場となる東京国立近代美術館の前庭には、TRIOのオブジェが設置されており、訪れた人を歓迎しています。 また、企画展に入ると撮影についての注意書きの看板が設置されているため、写真を撮りながら鑑賞を楽しみたいと考えている方は必ず確認しましょう。 「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション展」のみどころ TRIO展の内容を紹介していく前に、みどころを簡単に紹介していきます! テーマやコンセプトに沿って7つの章に分け、3つセットで比較しながら鑑賞していくTRIO展。 どのような点に着目して作品を鑑賞してみるとよいかの参考にしてください。 3つの美術館の作品が一堂に集結 TRIO展は、パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館の作品が一堂に集結する夢の企画展です! 3つの美術館による共同企画であり、34のテーマに沿ってそれぞれの美術館が作品を提供しています。 「モデルたちのパワー」、「空想の庭」、「現実と非現実のあわい」など独特なテーマに沿って組み合わされた作品たちを比較しながら鑑賞すると、これまでとは違った新たな発見ができるかもしれません。 ジャンルの垣根を越えて110人約150作品が集結する豪華な展示会 TRIO展は、パブロ・ピカソ、岸田劉生、萬鉄五郎、ジャン=ミシェル・バスキア、草間彌生など、時代やジャンルを超えて全110人、約150作品が集結する豪華でにぎやかな展示会です! 20世紀から現代にかけて活躍した日本と西洋のアーティストの作品が集まり、トリオ展示ならではの魅力を見せてくれるでしょう。 モダンアートを代表する巨匠から、現代で活躍し続けているアーティストまで、時代やジャンルに捉われることなく、自由な視点で鑑賞を楽しむのがおすすめです。 意外なトリオの組み合わせを楽しもう TRIO展では、共通するテーマに沿ってトリオで作品が展示されています。 たとえば、アンリ・マティス、萬鉄五郎、アメデオ・モディリアーニがTRIOになり展示されている作品があります。 アーティスト名を並べただけでは、何がテーマになっているか分かりませんよね。 作品を見てみると、3人の作家はみな女性が横たわる構図の絵を描いています。 3つの作品に描かれた女性たちからは、堂々とした女性の強い美を感じさせられます。 このようにTRIO展は、いままで比較して見たことがなかった作品たちを、テーマにあわせて比較しながら鑑賞できる貴重な企画展です! バスキアと佐伯祐三の作品が、都市のグラフィティとして並んで展示されていたり、女神を描いた作品としてマリー・ローランサンと藤田嗣治が並べられていたりと、普段の美術館では見られない組み合わせを楽しみましょう。 音声ガイドは女優の「有村架純」さん TRIO展では、女優の有村架純さんがナビゲーションを務める音声ガイドを楽しめます。 会場レンタル版とアプリ配信版があり、会場レンタル版はチケットで入場した後、展示会場前で受付を行っています。 貸出料金は1台650円(税込)です。 また、アプリ配信版は自分のスマホやタブレットが音声ガイドになり、展示会場内だけではなくどこでも自由に音声を楽しめます。 アプリ配信版は700円(税込)で、事前にダウンロードしておくと、当日はスムーズに鑑賞を進められるでしょう。 7つの章と34のテーマに分けられたTRIO展 TRIO展では、7つの章と34のテーマによって分けられた作品がトリオで展示されており、テーマに沿った共通点を発見しながら鑑賞を楽しめます。 ロベール・ドローネー『鏡台の前の裸婦(読書する女性)』 1915年 パリ市立近代美術館 安井曽太郎『金蓉』 1934年 東京国立近代美術館 佐伯祐三『郵便配達夫』 1928年 大阪中之島美術館 展示会場に入ってすぐに展示されているのがこの3つの作品です。 パッと見て分かる共通点は、モデルがみなイスに座っていることではないでしょうか。 そして、実はほかにも共通点があるのです! 『鏡台の前の裸婦(読書する女性)』は、パリ市立近代美術館の開館の契機を作ったジラルダン博士の遺贈品、『金蓉』は、東京国立近代美術館が最初に購入した作品の一つ、『郵便配達夫』は、大阪中之島美術館構想のきっかけとなった実業家の山本發次郎の急増品なのです。 つまり、3作品とも今回コラボした3つの美術館のはじまりに関連した作品です! そのため、今回のTRIO展では「コレクションのはじまり」というテーマでトリオになっているんですね。 はじまりのきっかけとなった作品が、すべてイスに座った絵なのも新たな発見になりました。テーマになっている共通点だけではなく、自分だけの共通点も発見しながら楽しめます。 第1章の「3つの都市:パリ、東京、大阪」では、3都市をテーマにした作品が展示されています。 モーリス・ユトリロ『セヴェスト通り』 1923年 パリ市立近代美術館 長谷川利行『新宿風景』 1937年 東京国立近代美術館 河合新蔵『道頓堀』 1914年 大阪中之島美術館 この3作品は、それぞれ3都市での生活や風景を切り取って描いた作品です。 ユトリロが描いたのは、モンマルトルの丘近くにある石造りの建物が建ち並んでいる通りと、その道を歩く女性。 利行は、昭和初期の新宿のビル街と行き交う人々の賑わいを描いています。 新蔵は、水の都と呼ばれる大阪の道頓堀川に沿って建ち並ぶ建物と船を漕いで移動する人々を描きました。 別々の土地、異なるタッチで描かれたこの作品たちは、都市と人々を描いた作品という共通点のもとトリオで展示されています。 第2章の「近代化する都市」では、伝統的なテーマから脱却し、現代社会を表現することに挑んだ作品をメインに展示しています。 フランソワ・デュフレーヌ『4点1組』 1965年 パリ市立近代美術館 佐伯祐三『ガス灯と広告』 1927年 東京国立近代美術館 ジャン=ミシェル・バスキア『無題』 1984年 大阪中之島美術館 この3作品は、路上アートをテーマにしている点で共通しています。 パリの詩人であったデュフレーヌは、重なり合った複数のポスターをはがしてキャンバスに貼り、作品を制作しています。 佐伯は、いくつものポスターが重ね貼りされているパリの街角を、素早い筆さばきで描きました。 バスキアは、ストリートアーティストとして活躍していた芸術家で、ニューヨークと東京にインスピレーションを受けて描いた作品を展示しています。 路上アートという共通するテーマでありながら、ポスターそのものを使った作品、ポスターが貼られている風景を描いた作品、ストリートアーティストとしての作品と、異なる手法で制作された作品を並べて見比べるのは新鮮な気持ちでした。 東京からもインスピレーションを受けているというバスキアの作品の中には、漢字も描かれています。 3作品を比較しながら全体を鑑賞した後は、気に入った作品の細部をじっくり鑑賞し、新たな気付きを得られるのもTRIO展ならではの楽しみ方ですね。 第3章の「夢と無意識」では、シュルレアリスムをはじめとした幻想、空想、夢、無意識、非現実、メタファーなどを表現した作家の作品が展示されています。 ジョルジョ・デ・キリコ『慰めのアンティゴネ』 1973年 パリ市立近代美術館 イケムラレイコ『樹の愛』 2007年 東京国立近代美術館 コンスタンティン・ブランクーシ『眠れるミューズ』 1910-1911年ごろ 大阪中之島美術館 この3つの作品は、すべて頭部に大きな印象を受ける作品です。 絵画と彫刻作品がトリオになる新しい組み合わせが印象に残りました! 『慰めのアンティゴネ』は、ギリシャ悲劇の王女アンティゴネが盲目の父王オイディプスを腕に抱く様子を描いていますが、頭部はマヌカンで表情が見えず無気力な印象を与えます。 ブランクーシの彫刻も表情のないマネキンのような作品ですが、目鼻立ちを際立たせており、上品な顔立ちに見えますね! タイトルになっているミューズとは、知的活動をつかさどる女神を指しており、作品には表情がないにもかかわらず、くっきりとした目鼻立ちから神秘性を生み出しているように感じられました。 『樹の愛』は、比較的新しい作品で、瞼を閉じた人の頭部を樹の愛という概念として表現しています。 第4章の「生まれ変わる人物表現」では、伝統的な人物表現から新たな表現を生むために、理想美の解体や新たな美の創造を追求していった作品が展示されています。 ジャン・メッツァンジェ『青い鳥』 1912-1923年 パリ市立近代美術館 藤田嗣治『五人の裸婦』 1923年 東京国立近代美術館 マリー・ローランサン『プリンセス達』 1928年 大阪中之島美術館 西洋絵画では、三美神と呼ばれる伝統的なテーマがありますが、20世紀に活躍していた画家たちは、この伝統に捉われず、さまざまな技法や人数によって女神たちを描いています。 『青い鳥』は、キュビスムの画家メッツァンジェが描いた作品で、メーテルリンクの童話創「青い鳥」をモチーフに描いています。 キュビスム特有の多視点から3人の女性を捉え、分割・統合しながら大画面に大胆に描いています。 ぱっと見ただけでは、どこに女神が描かれているのか分からない人も多いのではないでしょうか…。 じっくり鑑賞してみると、黄色い扇子で顔を隠している女性と、青い鳥をつかんでいる女性、横たわっている女性の3人が描かれています! 『五人の裸婦』は、藤田が初めて群像に挑戦した作品です。 藤田特有の乳白色の下地の色合いが表現された女性たちの肌の色が美しく、思わず見とれてしまいました。 それぞれの女性が独特なポーズをとっているのも印象的でした。 ローランサンの『プリンセス達』は、やはり淡い色彩表現が可愛い! 真っ白な肌と華やかな装いがマッチしていて女性の華麗さが際立っているように感じられました。 女性が抱いている犬のつぶらな瞳にも心惹かれてしまいました。 第5章の「人間の新しい形」では、都市化や工業化、世界大戦によって変化していく人間性や表現を追求した作品が展示されています。 カレル・アペル『村の上の動物たち』 1951年 パリ市立近代美術館 パウル・クレー『黄色の中の思考』 1937年 東京国立近代美術館 菅井汲『風の神』 1954年ごろ 大阪中之島美術館 この3作品は、自由奔放に引かれたかのような線を描いているのが共通する特徴です。 3人とも、子どもの絵や先史民族の象形文字、日本古来の神話などに注目して作品を制作しており、よく見ると人の形や動物の姿が認識できますが、一見落書きのような絵にも見えてしまいますね。 しかし、これらの作品は規範的で機械的な線からの解放を表現しているのです。 人々が古来より持ち合わせていた原始的な創造エネルギーが感じられるこれらの作品は、絵そのものを見るのではなく、描かれた創造のパワーを感じ取ることが大切かもしれません! 第6章の「響きあう色とフォルム」では、人物や風景を主題とするのではなく色や形そのものが作品のメインとなっていった20世紀の美術作品を展示しています。 セルジュ・ポリアコフ『抽象のコンポジション』 1968年 パリ市立近代美術館 辰野登恵子『UNTITLED 95-9』 1995年 東京国立近代美術館 マーク・ロスコ『ボトル・グリーンと深い赤』 1958年 大阪中之島美術館 この3作品は、どれも抽象的な要素で構成されており、色彩に目が惹かれます。 絵画や彫刻を構成する基本的な要素である色と形に焦点があてられた作品たちで、20世紀に入ってからの人物や風景などの主題をもたず、色や形が作品の主題になっていった作品の代表ともいえるでしょう。 第7章の「越境するアート」では、これまで生み出されてきた絵画や彫刻などの基本的な美術ジャンルには当てはまらない表現を用いた作品を展示しています。 使われている素材は、既製品や日用品、廃材など多種多様で、映像表現の作品も数多く展示されていました。 アートは時代を映す鏡ともいわれています。 現代社会で多様性のある働き方が広がっているように、美術界でも多様な表現方法が生み出されていっていると感じました。 TORIO展はオリジナルグッズも大充実 今回展示されていた作品をプリントアウトしたポストカードやピンバッジ、マグネットセット、丸皿などさまざまなオリジナルグッズが販売されています! 眠れるミューズクッションやオダリスクの椅子のクッションなど、癖の強いグッズも販売されていて、グッズショップも見どころ満載です。 また、東京国立近代美術館限定の複製画の予約販売も行われていました。 会場で販売されていたのは、ジクレーと呼ばれる複製技法を用いて制作される複製画です。 複製画は、4原色の掛け合わせにより印刷されるのが一般的ですが、ジクレーによって制作されるTRIO展の複製画は、10色を掛け合わせて制作されており、これまで以上に細かな色彩やタッチの強弱、作品の繊細なニュアンスなどが表現できるようになりました。 販売価格が数万円とほかのグッズと比べると高価ですが、精密に再現された複製画は、自宅に飾っておくと雰囲気をがらっと変えてくれるでしょう。 気に入った作品があれば、ぜひ予約複製画を検討してみてはいかがでしょうか。 ちょっとしたお土産を買いたいという方は、缶バッジやアクリルキーホルダーのガチャガチャがおすすめです。 グッズショップの出口付近にありますので、見逃さないよう注意しましょう! 奇想な展示で新たな発見を生み出す「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション展」 TRIO展は、これまで見たことがある作品も見たことがない作品も、新たな視点から楽しめる企画展です。 もともと知っている作品、気に入っている作品とトリオになって展示されている知らない作品にも興味をもつきっかけになりますね。 また、同じテーマの作品を比較して鑑賞することで、それぞれの特徴やよさなどの発見にもつながるかもしれません。 知らなかった作品に興味を抱き、知っている作品の魅力はさらに増し、美術鑑賞の方法や知識などを広げる素敵な企画展でした! 美術に詳しい人も詳しくない人も、それぞれの視点から自由に比較し共通点を探し出し、感性を豊かにしてくれるTRIO展。 「見て、比べて、話したくなる。」のキャッチコピーのように、鑑賞後は友人とカフェに入って感想を伝え合うのもよいですね。 東京国立近代美術館には、フレンチとイタリアンが融合したアートなレストラン「L'ART ET MIKUNI ラー・エ・ミクニ」が併設されています。 本格的なクリエイティブ料理を提供してくれるレストランで、店内からは皇居を眺められる点もポイントです。 東京国立近代美術館でアートを鑑賞した後は、皇居の自然を眺めながら優雅に食事をとり、展示会の余韻に浸りましょう。 店舗情報 L'ART ET MIKUNI ラー・エ・ミクニ https://lart-et-mikuni.jp/ TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクションは、2024年5月21日(火)~8月25日(日)まで開催中です。 2024年9月14日(土)~12月8日(日)までは、大阪中之島美術館 4階展示室にて開催予定のため、東京で見逃してしまった人は、ぜひ大阪中之島美術館で開催される際に訪れてみてください。 開催情報 『TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション展』 場所:東京国立近代美術館 期間:2024/5/21~2024/8/25 公式ページ:https://www.momat.go.jp/ チケット:一般 2200円、大学生 1200円、高校生700円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.09
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骨董品の処分方法は?手放すときには納得の選択を
骨董品を処分するための方法はいくつかあり、そのときの状況や目的により適切な方法を選択することが重要です。 また、処分方法によって特徴が異なるため、よく考えて処分方法を選ばなければなりません。 骨董品を処分する方法 長い年月を経て古びてしまったもの、傷・汚れのひどいもの、故人が遺したものなど、どのように処分すればよいかわからない骨董品をお持ちの方もいるでしょう。 骨董品の処分は、一般的には何度も行う経験ではないといえます。 一度も処分したことがなく、どのような方法があるのか知らない方もいるのではないでしょうか。 そのため、骨董品の処分を検討する際は、処分の方法を把握し、それぞれの方法のメリット・デメリットを正しく理解する必要があります。 ゴミとして処分する 骨董品をゴミとして処分する場合、主に以下の3つの方法が考えられます。 ・普通ゴミとして処分する ・粗大ゴミとして処分する ・ゴミ処理場に持ち込む 掛け軸や絵画など、可燃性の骨董品であれば、普通ゴミとして処分可能です。 各自治体が、週に1〜2回無料で回収してくれるため、最も手軽な方法といえるでしょう。 ただし、自治体によって分別のルールが異なるため、居住している地域の分別方法をよく確認しておくことが大切です。 粗大ゴミとして処分する場合、多くの自治体で回収が有料のため、事前に申し込みを行い、粗大ゴミ処理券をコンビニや郵便局で購入します。 ゴミ処理施設に連絡し直接持ち込む方法も、施設によって受け入れているゴミの種類が異なるため、事前に連絡して確認することが大切です。粗大ゴミとして出したり、処理場に持ち込んだりする場合は有料のため、必要な費用を事前に調べておきましょう。 ネットオークションやフリマで売る 現代には、ネットオークションやフリマのサイトやアプリが数多く存在しています。そのため、誰でも気軽に骨董品を他人に販売できるといえるでしょう。 自分で価格設定が行えるため、希望の金額で骨董品を販売できる点が魅力です。ネットオークションやフリマサイトの利用方法は簡単で、会員登録が済めば、商品の写真を掲載して説明文を書くだけで販売をスタートできます。 しかし、自分が正当な価値をわかっていないと、値打ち物を安く買い叩かれてしまうリスクがあるため注意が必要です。また、すぐに売れるとは限らないため、急いで骨董品を処分したい方には、適していません。 欲しい人へ譲り渡す 不要になった骨董品を処分するのなら、必要とする人に譲るのも一つの方法です。 友人や知人に尋ねてみて、欲しい人がいれば無料や格安で譲ることで、大切にしてもらえるという安心感が得られます。 ただし、この方法は、骨董品に興味のある友人・知人が周りにいない場合、処分するまでに時間がかかってしまう可能性があります。 欲しい人が見つからない場合は、速やかにほかの方法を検討するのがよいでしょう。 遺品整理業者・不用品回収業者に依頼する 故人が遺したものの整理で、できるだけ早く処分する必要があれば、遺品整理業者や不用品回収業者に依頼するのがお勧めです。 遺品整理業者に依頼する際に、骨董品の査定もお願いできる場合があり、適切な価格をつけてもらえる可能性があります。また、不用品回収業者によっては、無償での引き取りを行っているところもあるため、事前に確認しておくとよいでしょう。 しかし、業者によっては処分費用が発生する場合や、骨董品の適切な価値を評価してもらえない場合があります。利用する際は、複数の業者を比較し、相場をリサーチすることでリスク回避が可能です。 本当に処分していい?高い値打ちのある骨董品もあるかもしれません 骨董品は、興味のない人からすると、ただのガラクタや古いだけのものに見えるかもしれません。 しかし、単なる不用品として処分してしまう前に、その価値を見直してみることをお勧めします。 骨董品買取業者へ依頼する 処分しようと考えている骨董品は、まず骨董品買取業者に査定を依頼してみましょう。 骨董品買取業者は、遺品整理業者や不用品回収業者とは異なり、骨董品の価値を正確に見極められる専門業者です。 骨董品買取業者の鑑定士は、骨董品の歴史や希少性をプロの目で評価し、適正な買取価格を提示してくれます。処分しようとしている品物が、骨董品としての価値を持つのかどうか、素人目にはわかりません。 そのため、無料査定を実施している買取業者に依頼し、正確な価値を査定してもらうのがお勧めです。 思わぬ価値が見つかることも 古びたものに高い価値が認められる可能性もあるのが、骨董品の魅力です。 汚れや傷があるものでも、査定に出せば思わぬ価値をつけてもらえることもあります。 汚れや傷は無理に綺麗にしようとせず、そのまま骨董品買取業者に持ち込むのがよいでしょう。 無料査定や相見積もりで納得できる選択を 多くの骨董品買取業者では、持ち込みや訪問で無料査定を実施しています。 訪問査定であれば、大量の骨董品がある場合でも、持ち込みの手間が発生しません。 また、適切な価格を知りたい場合は、複数の骨董品買取業者をピックアップして、相見積もりを取るとよいでしょう。 骨董品の処分に迷ったら…価値を残す選択肢を考えてみて 遺品や不用品を処分する際に、その中に骨董品が眠っている場合があります。 骨董品の処分には、ゴミに出したり不用品回収業者に回収してもらったりと、いくつかの方法があります。 そのため、自分の目的と状況に合った手段を選ぶのが良いでしょう。 不要になった骨董品の処分に迷った際は、その価値をできるだけ残す選択肢を考えてみてはいかがでしょうか。骨董品買取業者であれば、正しい知識と経験を持ったプロが査定し、適正な価値を見極めてくれます。 まずは無料査定で、骨董品の価値をみてもらいましょう。
2024.10.28
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骨董品と美術品の違い・定義
骨董品と美術品は、同じジャンルのものとして語られることもありますが、定義や年代、価値といったさまざまな観点から、違いが定められています。 骨董品や美術品に興味がある人の中でも、自分で楽しみたい人、投資や資産として所有したい人など、目的はさまざまです。 それぞれ求めるものは異なるため、骨董品と美術品の「違い」について理解し、楽しみ方の幅を広げましょう。 骨董品と美術品の定義 骨董品と美術品の定義は、それぞれ異なります。 違いを知るためにまずは定義を理解することが大切です。 骨董品とは 骨董品とは「希少品のある工芸品や美術品」を指す言葉です。 1934年にアメリカで制定された通商関税法においては、「製造してから100年経過した手工芸品・工芸品・美術品」が骨董品と定められています。 通商関税法では、経過年数がひとつのポイントになっているのです。 一方、日本では製造してから数十年経過すると骨董品と呼ばれることがしばしばあります。国や文化によって骨董品に該当するか否かは変わるといえるでしょう。 骨董品に該当する具体的な品物は、次のとおりです。 ・絵画、掛け軸 ・茶道具 ・焼き物、陶磁器 ・刀剣、甲冑類 ・象牙、珊瑚、翡翠製品 美術品とは 美術品は、骨董品と比べると、美術的価値に重きをおいた表現の言葉です。 そのため、骨董品を定義するポイントである年代については重要視されていません。 骨董品と美術品の違いは、美的価値をどれだけ重要視するかの違いといえます。 骨董品に該当するような古い年代の美術品は、古美術品と名称分けされている点が特徴です。 なお、古美術品は、古い時代に制作された絵画や彫刻、陶磁器などを総称した言葉です。 骨董品と美術品にはどのような違いがある? 骨董品と美術品の大きな違いは、美的価値に重きをおいているか否かです。 それ以外には、どのような違いがあるのでしょうか。 目的と用途については、骨董品は作品の用途が多岐に渡ることがほとんどです。 コレクションやディスプレイに用いられることが多いイメージですが、アンティーク家具であれば、現役として日常使いするケースもあります。 一方、美術品は主に美的鑑賞が目的とされています。そのため、鑑賞としてディスプレイすることに限定された使い方になるでしょう。 また、国や文化によって骨董品や美術品の定義は変わります。 日本では、骨董品の中でも古い陶磁器や工芸品、茶道具などは、鑑賞の対象として古美術品にあたりますが、これは日本の文化的背景があるためです。 ほかの国では、それぞれの文化に基づいた美的意識のもと、さまざまな捉え方に分かれています。 このように、骨董品と美術品は、美術的価値に重きをおいているかを重要視しますが、明確な線引きは難しいでしょう。 歴史的価値や美術的価値には、主観的な要素が多分に含まれており、明確に分けることが難しいといえます。 市場価値の高い骨董品や美術品とは 市場価値の高い骨董品や美術品には、どのようなものがあるのか見ていきましょう。 骨董品としての市場価値の高さを構成する要素として、次の項目が挙げられます。 ・年代 ・作家 ・素材 ・希少性 ・保存状況 加工技術が今ほど優れていなかった時代では、金銀や翡翠など高級な素材が用いられていると価値が高くなる傾向がありました。 骨董品の市場価値の高さは、有名作家が制作している、高級素材が用いられた希少性の高い作品である、などの条件によって決定づけられます。 美術品に関しても、骨董品と同じ項目が市場価値の高さを構成する項目として挙げられます。しかし、近年では市場価値が大きく変化する可能性が秘められているため、投資目的で美術品を収集している方が少なくありません。 ゴッホは、生涯で1枚しか絵が売れていないのに、現代においては価値が高騰しています。また、バンクシーは、作品の価値が4年で4倍まで膨れるほど、未知数な投資価値を秘めていました。 目的によって骨董品・美術品への目線は違う 美術的価値や投資的価値など、何に注目しているかによって骨董品や美術品の楽しみ方は異なってくるでしょう。 そのため、鑑賞用として所有したい場合と、投資や資産として所有したい場合とでは、見極めるポイントが変わるといえます。 それぞれの目的に合わせて、骨董品や美術品を楽しんだり、価値を見定めてみたりしてはいかがでしょうか。
2024.10.28
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骨董品を手放すなら…オークションと買取業者のどちらがいい?
家族の趣味で集めていた骨董品や、遺品整理で出てきた骨董品の処分を、どうしたらよいのか迷っている人は少なくありません。 価値のある骨董品であれば、高額で売却できるのが望ましいですが、骨董品に関する知識がなければ、正しい価値を見極めることが困難です。 そのため、まずは売却前に手持ちの骨董品の価値を知りたいと考えます。 骨董品をそのままオークション(フリマ)に出品するのか、買取業者に査定買取してもらうのか、手間や金額面でどちらがお得なのでしょうか。 骨董品を手放す方法 家の中にあった骨董品の処分に、頭を悩ませている方は多いのではないでしょうか。 骨董品を手放す方法は、主に2つあります。 1つ目は、オークションやフリマで売却する方法です。 2つ目は、買取業者へ依頼する方法です。 それぞれの方法にメリット・デメリットがあります。 オークションやフリマでの売却と、買取業者への依頼に、両者の具体的な内容を押さえておきましょう。 オークションやフリマで売却 骨董品のオークションは、主に次の3種類に分けられます。 ・プロも参加するような競売専門オークション ・骨董市などのオークションやフリマ ・ネットオークションやネットフリマ 競売専門のオークションは、骨董品店や競売専門会社が開催するオークションを指します。 オークションの主催側が、骨董品や美術品の真贋を見極め、保存状態をチェックし、出品するのに問題ないと判断されてはじめて参加できるため、一般人にとってはハードルが高いオークションです。 また、出品に際して参加登録料をはじめとした諸経費が必要になるケースが多いため、出品までに費用の負担が発生する可能性があります。 しかし、買い手もプロばかりのため、落札金額は骨董品の価値に見合った適正価格が付けられやすく、高額落札も夢ではありません。 骨董市などのオークションやフリマは、競売オークションと比べると出品のハードルが下がります。参加者には、プロやマニアがいるかもしれませんが、フランクな雰囲気の場合が多いようです。 毎月のイベント行事として開催されていれば、事前連絡をして気軽に出品できるでしょう。フランクなため、希少品が出品されることは少なく、売買価格もリーズナブルな額に落ち着く傾向にあります。また、出品する骨董品の真贋は、出品条件に含まれないことも多いため、その点は注意が必要です。 ネットオークションやネットフリマは、オークションサイトのアカウントさえ持っていれば誰でも気軽に出品できる点が特徴です。ヤフオクやメルカリなど、知名度のあるサイトに出品できますが、真贋や保証についてトラブルが起きやすい点に注意しましょう。 買取業者へ依頼 次に買取業者へ査定を依頼する方法についてです。 骨董品の買取は、店舗持ち込みや出張査定など、業者ごとに特色やメリットが異なります。 主に、次のような査定方法を展開している業者がいます。 ・店舗型(大手フランチャイズ買取店、有名リサイクルショップ) ・店舗型(小規模経営店舗) ・出張、訪問買取専門型 ・宅配買取専門型 ライフスタイルに合わせて、利用しやすいサービスを提供している買取業者を選びましょう。 骨董品の真贋を見極めることは難しく、取り扱い経験や目利きの力がある業者でなければ、本当は価値のある骨董品でも、安値の買取金額を提示されるパターンがあるため要注意です。もし業者選びに迷う場合は、複数業者に相見積もりを依頼してみてもよいかもしれません。 オークション・フリマと買取業者への依頼…どっちがいい? 次のポイントにあてはまる場合は、オークションやフリマの利用をお勧めします。 ・骨董品の価値をきちんと把握している ・高額な売却額がついて欲しい 骨董品の価値を事前に把握できていれば、オークションの売却金額を適正価格からスタートできます。 その結果、適正金額よりも高価な売却額が見込めます。 骨董品の価値を把握していて高値で売却したい人は、オークションやフリマが適しているでしょう。 また、すぐに手放す必要がなく、買い手がつくまで気長に待てる方にとってもお勧めの方法です。 一方、次のポイントにあてはまる人は、買取業者への査定依頼をお勧めします。 ・骨董品の価値が事前に分かっていない ・信頼できる業者に買い取って欲しい ・複数の骨董品を買い取って欲しい 買取業者に依頼する最大のメリットは、査定時に真贋の確認をしてもらえる点です。所有する骨董品の価値が分かっていなくても、手間をかけずに適切な価値を確認できます。また、複数の骨董品を一度に査定できるため、手放したい骨董品の数が多い人にとってもお勧めな方法です。 骨董品を手放すときは納得できる方法で 骨董品を手放すにあたって、オークションやフリマなのか買取業者へ依頼するのか、取れる選択肢は複数存在します。 それぞれの方法に特徴がありますが、使いやすさや買取金額の高額化を考えると買取業者へ依頼することがお勧めです。 骨董品の取り扱い経験や知識が豊富な業者であれば、希望の査定額を提示してもらえる可能性が高いでしょう。 適正価格が気になる方は、プロの鑑定士へ相談してみてはいかがでしょうか。
2024.10.28
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鑑定書がない骨董品も買い取ってくれる?
遺品の整理や倉庫の片付けをしているときに、先祖から受け継いだ家宝や骨董品が家の中から見つかることは少なくありません。 また、骨董品コレクターとして収集した骨董品を鑑賞して楽しむ方もいます。 しかし、骨董品の中には、鑑定書が付帯されていないものもしばしばあります。 骨董品における鑑定書の価値を知ることで、骨董品の価値がどのように決まるかが見えてくるでしょう。 この骨董品は本物?鑑定書が証明するもの 骨董品に置ける鑑定書は、骨董品が本物であることを証明するものと位置づけられています。 しかし、全ての骨董品に鑑定書がついているわけではなく、本物と証明する書類がない場合は、素人目で見分けるのは難しいでしょう。 骨董品の中でも、贋作の多いジャンルが存在します。鑑定書の重要性を知るとともに、骨董品の購入や買取時に贋作と疑える知識を身に付けることが大切です。 価値の高い骨董品には、偽物も多い… 骨董品を楽しむにあたって、良い品に贋作はつきものです。 日本画であれば、谷文晃や山下清、横山大観などは、贋作が多く出回っています。骨董品コレクターの間では、本物と贋作の見分け方が永遠の課題といわれています。しかし、素人の目では、精巧に作られた骨董品の真贋を見分けるのは難しいでしょう。 骨董品の中でも、高い確率で贋作の可能性があるジャンルは茶碗や徳利、盃などです。例えば、絵唐津茶碗や朝鮮唐津徳利、三島盃、粉引盃などが挙げられます。 骨董品の価値を証明する、鑑定書 鑑定書は、骨董品や古美術品に付随する鑑定書であり、作家の親族や専門の鑑定機関などが本物と判断した作品に付与されます。 別名「極書」と呼ばれており、鑑定書に記載される内容は、作者名、作品名、鑑定者名です。 紙や札に自筆で鑑定結果を記載し、最後に花押もしくは、印を押すのが一般的とされています。 鑑定書は、紙の書類として保管されているイメージがありますが、箱に直接記載されている場合もあります。 鑑定書や箱書があれば真贋を判断しやすくなりますが、鑑定書や箱書の証明書自体が偽物のパターンもあるため、骨董品の購入時には細心の注意を払わなければなりません。 鑑定書がないと骨董品に価値はない? 骨董品を購入したり楽しんだりする場合、鑑定書は必須なのでしょうか。 鑑定書が骨董品を本物であると証明する書類だとすると、鑑定書のついていない骨董品は、価値がないように感じてしまうでしょう。 しかし、骨董品を自宅で楽しむ分には、鑑定書がなくても問題ないでしょう。骨董品を売買せず鑑賞するだけであれば、偽物であったとしても特に不都合はなく、誰にも迷惑をかけないためです。 なお、骨董品に鑑定書がついていなくとも、売買に直接的な影響はありません。鑑定書がなくても、プロの鑑定士であれば作者の署名や作成時期から真贋を見極めることが可能です。 また、骨董品の状態から品質の評価を行い、査定額を導き出してくれます。しかし、ポイントをおさえていたとしても100%偽物を回避することは難しいといえます。十分な知識や経験を持ち合わせていなければ、専門家でも見極めが困難となる場合もあるでしょう。 そのため、もし取引や売買を検討しているのであれば、取り扱い実績や鑑定実績のある業者に必ず見積もり査定の依頼をお勧めします。 また、鑑定書がないと、買取できない、価値が付かないと判断するような業者は避けましょう。 骨董品には贋作による事件もあった 鑑定書がなくても、経験と知識が豊富な専門業者であれば、適切な買取価格を提示してくれる可能性があります。 しかし、プロでも真贋の見極めが難しいケースもあるため、鑑定書があるに越したことはありません。過去には、真贋の見極めが難しい精巧な贋作が市場に出回り、事件になったこともあります。 永仁の壺事件 1959年に発生した事件は、永仁の壺事件と呼ばれています。 1924年(永年2年)の銘を持つ瓶子が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作であるとして、国の重要文化財に指定されました。しかし、その直後に瓶子が偽物であると疑いをかけられ、登録から2年後に重要文化財の指定が取り消されているのです。重要文化財に推薦した文部技官が引責辞任したり、美術史学会、古美術界、文化財保護行政を巻き込んだりと、大スキャンダルに至った事件といえます。 専門家をもってしても、真贋の見極めがいかに難しいかがわかるでしょう。 戦前戦中の陶芸家が制作したものであり、鎌倉時代の釉薬に用いられた素材の元素とは異なる釉薬が用いられていたことが、永仁の壺が贋作であると発覚した経緯です。 春峯庵事件 春峯庵事件とは、1934年に発生した肉筆浮世絵の大規模な偽造事件です。 1934年、東京美術倶楽部に峯庵なる旧家の所蔵品として、東洲斎写楽や喜多川歌麿などがオークションに出品され、入札会が開かれました。世紀の大発見と取り沙汰されましたが、のちに全てが贋作であるとわかります。画商や絵師が共謀して贋作を作成したことがはじまりで、美術史権威で推薦文を寄稿した笹川臨風までもが共謀したとして、拘留される騒ぎに発展しました。 こちらも専門家をもってしても本物か偽物かを判別できなかった事件です。 この事件の結果、研究者や画商、コレクターは肉筆浮世絵に対して積極性を失い、一時期浮世絵に関する研究も進まなくなりました。贋作に惑わされることで、社会に対する悪影響が甚大であるとわかります。 鑑定書は骨董品購入・売却の際の重要な判断基準 偽物が混ざりやすい骨董品の例や偽物にまつわる事件がわかったことで、見極めの難しさも伝わったことでしょう。 もし、自宅で骨董品をお持ちで、取り扱いに困っているのであれば、一度知識や経験が豊富なスタッフによる査定を受けてみてはいかがでしょうか。鑑定書があれば、その評価にも期待できることでしょう。
2024.10.28
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その石、実は骨董品かも?高価買取が期待できる銘石・鑑賞石とは
石の中には、鑑賞石やパワーストーンと呼ばれるものがあります。 骨董品としての価値が認められれば、高価買取も期待できるでしょう。 鑑賞石やパワーストーンは買取してもらえる? 日本には美しい石を愛でる文化があり、鑑賞用の石を鑑賞石と呼びます。 鑑賞石には鎌倉時代から歴史があり、現代でも多くのコレクターがいます。 自宅にある石…価値ある銘石・鑑賞石かもしれません 石は山や川などの自然の中から公園や道端などまであらゆるところにあるため、価値はないと思われがちです。 しかし、銘石や鑑賞石は違います。骨董品の一つとして、コレクターも多い銘石や鑑賞石は、専門業者に買取してもらうことも可能です。 鎌倉時代に生まれたといわれる銘石や鑑賞石を愛好する文化は、元は天皇や貴族、武士などの上流階級の人々に楽しまれていました。しかし、昭和時代には大衆の間にも広まり、1960年代ごろには「石ブーム」と名付けられるほど大流行しました。 自宅の蔵や庭にある石は、価値ある銘石や鑑賞石の可能性があります。処分を考えている方は、一度買取を依頼してみてはいかがでしょうか。 美しい天然石やパワーストーンも人気 水晶や翡翠などの美しい天然石には、古くから特別な力が宿っていると考えられています。 これらの石は、パワーストーンとも呼ばれています。天然石やパワーストーンを集めたり身につけたりするのは、日本だけでなく世界各地で見られる文化です。 人気の天然石やパワーストーンも、骨董品としての価値があります。 不要な場合は、買取を検討しましょう。 骨董品価値のある石の種類 天然石の種類によって、骨董品としての価値には違いがあります。 特に高い価値があるとされている石の種類を押さえておきましょう。 菊花石(きっかせき) 菊花石とは、菊の花のような模様が入った石のことです。鑑賞石の最高峰と呼ばれ、人気を集めてきました。 玄武岩などの石に何らかの理由で内部にヒビが入り、放射状の模様ができるといわれているものの、詳しいことは分かっていません。 日本では、岐阜県で採取できる根尾谷の菊花石が最も有名です。 しかし、1952年に天然記念物に指定され、この地域での石の採取は禁止されています。そのため、現在流通している菊花石は、天然記念物指定前に採取されたもの、もしくはほかの地域で採れたものです。 菊花石は希少性が高いため、石ブームの際には、1,000万円もの価格で取引されたこともあります。 梅花石(ばいかせき) 梅花石とは、梅の花のような小さな白い模様が表面についた石のことです。 その美しい見た目から、「菊花石」や「桜石」と合わせて日本三大奇石と呼ばれます。 梅の花のように見えるのは、3億年以上前の古代生物であるウミユリの化石です。ウミユリは深海に棲むため、梅花石は水辺で多く産出されます。 主な産地は、北九州の門司港付近や北海道の空知川周辺です。 梅花石は、学術的にも貴重とされているため、福岡県では天然記念物に指定し、採取を禁止しています。 碧玉 (へきぎょく) 碧玉とは、昔から勾玉やアクセサリーの材料として使われてきた宝石です。 「碧」とは、深い青を指す言葉であるものの、碧玉が青いとは限りません。赤や黄色、青緑などさまざまな色が入り混じっているのが一般的です。 碧玉の主な成分は石英です。 しかし、内部に酸化鉄やクレイ粘土などの不純物が混ざることで複雑な色合いが生まれたとされています。 碧玉は、現在でも宝石として価値があります。 特に、表面の模様が美しいものや、なめらかに磨きがかけられたものは、買取価格が高くなりやすいでしょう。 孔雀石(くじゃくいし) 孔雀石は、美しい緑色を特徴とする鉱石です。 表面のマーブル状の模様が、孔雀の羽のように見えることから日本語では孔雀石と呼ばれています。英語ではマラカイトといい、主にアクセサリーの材料として流通しています。 また、鉱物の中では柔らかく加工しやすいことから、削って絵の具の材料とすることもありました。古代エジプトの女王クレオパトラが愛用したアイシャドウは、孔雀石を原料としていたといわれています。 高額買取されやすい孔雀石は、美しい模様を持つものです。 一方、傷があると価値が下がりやすくなります。 孔雀石は、特に柔らかく傷つきやすいため、保管の際は注意しましょう。 紫水晶(紫石英/アメジスト) 紫水晶は、名前の通り紫色を特徴とする水晶です。 紫石英やアメジストと呼ばれることもあります。 ライラックのような淡い色から、黒に近い紫までさまざまあり、一般的に色が濃いほど価値が高いとされています。 2月の誕生石であり、装飾用としてもよく使用される宝石です。 ブラジルの大規模な産地が有名で、日本国内では宮城県や鳥取県で産出されています。 翡翠(ひすい) 英語でジェイドとも呼ばれる翡翠は、日本や中国のほか、中南米などで人気のある宝石です。 特に中南米のアステカ文明では、金よりも価値があるとされ、主に支配階級に珍重されていました。 エメラルドグリーンのような神秘的な色合いから、日本や中国では成功と繁栄、不老不死などを象徴する石だと考えられてきました。日本では、約7000年前から翡翠を加工していたことが分かっており、縄文時代の遺跡から勾玉 といった製品として出土したことがあります。 2016年には、日本の国石に指定されました。また、中国では腕輪をはじめとする装飾品や器として加工されたり、彫刻を施した上で置物として使われたりしていました。 翡翠は、エメラルドと同様に5月の誕生石であり、パワーストーンとしても人気があります。 上記のほかにもオニキスやターコイズ、トパーズなどが人気の天然石です。 特に細工を施したものは、骨董品としての価値が期待できるでしょう。 鑑賞石にはどのくらいの骨董品価値がある? 鑑賞石の相場は、種類や大きさなどによって異なるものの、一般的に数万円〜数十万円といわれています。 高額で取引されることが珍しくなかった昭和の石ブームのころに比べると、現在の相場は落ち着いているといえるでしょう。 一方で、菊花石や梅花石のように過去数十年の間に採取が禁止され、現在では以前よりも希少価値の高くなった石もあります。 鑑賞石の中には、価値が分かりにくいものもあります。ただの石のように見えても、不用品として処分せずに査定を依頼するのがお勧めです。 骨董品価値のある石を査定してもらおう 銘石や鑑賞石、パワーストーンなどと呼ばれる石は、骨董品としての価値が高く、現代でも人気があります。 中には、現在新たに採取することが禁止されている石もあります。 そのような石は、希少性が高いため高価買取が期待できるでしょう。 実家の整理で出てきた石の処分に困っているという方は、骨董品買取業者に相談しましょう。 以下のランキングでは、お勧めの骨董買取業者を紹介しています。複数の業者にまとめて見積もりを依頼することもできるため、効率的です。 価値のある石を持っている方はもちろん、価値があるかどうか分からない石も、一度プロの査定士に相談してみてはいかがでしょうか。
2024.10.28
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骨董品をまとめて買取してほしい!コツやポイントを伝授します
骨董品をまとめて処分したい方は、買取してもらいましょう。 業者によっては、大量の骨董品をまとめて買取できます。多くの時間をかけずに、高く売れるかもしれません。 骨董品をまとめて買い取ってほしい 大量の骨董品を処分する方法として、ごみとして捨てる方法があります。 しかし、骨董品の中には大きいものや重いものもあるため、捨てるのに費用がかかるかもしれません。 また、一見ガラクタのように見えても、高い価値がある可能性も考えられます。そのため、まとめて捨てるのを躊躇する方も多いのではないでしょうか。 一方で、数多くの骨董品を一つひとつ整理するのは大変です。「骨董品をまとめて買い取ってほしい」というときには、骨董品専門の買取業者がお勧めです。 その骨董品には価値があるかも?! 実家の片づけや相続などで骨董品が出てくることがあります。必要なければ処分しようと思う方もいるでしょう。 骨董品を処分する際は、捨てるよりも買取がお勧めです。 プロに鑑定してもらうことで、思いがけない価値があると分かるかもしれません。 まとめて買取はラクだけど損するかも 骨董品を買取できる業者として、遺品整理業者や不用品回収業者などがあります。 これらの業者は、骨董品以外の不用品もまとめて引き取りしてくれるため、楽なのがメリットです。骨董品の中には、いくら思い入れがあっても値段がつかず、処分するしかないものもあります。 また、不用品の量が多くて、一つひとつ整理する時間が取れない方もいるでしょう。急いでいる方や手間をかけたくない方には、まとめて買取できる業者は魅力的といえます。 一方で、まとめて買取してもらうことで損する可能性に注意しましょう。まとめて買取する場合、一点ずつ査定するのに比べて買取価格が低くなることがあります。また、業者が骨董品について詳しくない場合、本来の価値を見落としてしまう可能性も考えられます。 不用品の中に価値が高い骨董品が含まれていることに気付かないで、手放してしまうおそれもあるのです。 遺品整理や実家の片づけは、時間をかけずに終わらせたい方が多いでしょう。しかし、楽だからといってまとめて買取してもらうと、知らないうちに価値の高い骨董品を低い価格で売却してしまい、損するかもしれません。特に骨董品は、プロの鑑定士でないと価値が分かりにくいものも少なくありません。 骨董品だけでも、専門知識を持つ買取業者に依頼するのがお勧めです。 どんな買取業者に相談すべき? 骨董品の買取は、信頼できる業者に依頼しましょう。 信頼できる業者を見分けるポイントは以下の3つです。 ・骨董品の価値が分かる、査定ができる ・実績がある ・見積もり無料、かつ相見積もりを嫌がらない 骨董品買取の実績の多い業者であれば、相場を踏まえた価格で買取してもらえるでしょう。 一方で、以下のような業者には注意が必要です。 ・骨董品専門でない遺品整理業者、不用品回収業者 ・買取を急かしてくる業者(相見積もりを嫌がる業者) 骨董品買取の知識がない業者は、相場よりも安い価格を提示してくる可能性が少なくありません。 また、引取費用がかかるケースもあります。相見積もりを嫌がり、契約を急ごうとする業者も信頼できないため注意が必要です。 まとめて買取依頼をする前に確認したいこと 急いでいる場合や、実家が遠方にあり時間が限られている場合などには、骨董品をまとめて買取してもらうこともあるでしょう。 まとめて買取してもらう際、少しでも高く買取してもらうコツがあります。 少しの工夫で、買取価格が大きく変わるかもしれません。 付属品や箱などは捨てないで! 骨董品に付属品や箱があれば、買取の際に一緒に査定してもらいましょう。 買取価格が高くなる可能性があります。 例えば、陶磁器は多くの場合、桐の箱に入っています。 この箱に作者名や作品名が刻印されていることがあるため、誤って捨てないように注意が必要です。箱自体に価値があるほか、刻印から中に入っている骨董品の作者名や作品名などが分かれば、高価買取につながると期待できます。 また、鑑定書や図録などの付属品も、一緒に査定してもらうことで買取価格アップが期待できるアイテムです。 特に鑑定書があれば、骨董品が本物だと証明できます。もし見つけたら、忘れずに査定士に見せましょう。 汚れやシミはそのままにして! 当然のことながら骨董品は古いものが多いため、汚れやシミがついていることがあります。少しでもきれいなほうが高く売れるのではないかと思う方もいるでしょう。 しかし、骨董品の汚れやシミをクリーニングするには、特殊な技術が必要になることもあります。もし汚れやシミが気になっても、自分で掃除することは避けてください。 骨董品は、少し触れるだけでも傷がついたり壊れたりする可能性があります。掃除しようとして傷がつけば、買取価格は下がってしまうかもしれません。あえて自分では触らず、そのままの状態で査定してもらうことが大切です。 骨董品を専門に買取している業者は、傷つけない取り扱い方法を熟知しています。骨董品を見つけたらできる限り触れずに、業者へ任せることをお勧めします。 高額買取が期待できる骨董品の例 骨董品と一口にいっても、さまざまな種類があります。 高額買取が期待できるのは以下の6種類です。 ・掛軸 ・茶道具 ・絵画 ・陶磁器 ・刀剣 ・香木 これらの種類は、買取できる業者も多いため高く売れる傾向にあります。 また、同じ種類の骨董品であれば、有名作家や人気作家の作品ほど高額買取してもらいやすくなります。 以下は、高額買取が期待できる有名作家・人気作家の例です。 掛軸:富岡鉄斎、棟方志功など 絵画:歌川広重、岸田劉生など 陶磁器:酒井田柿右衛門、河井寛次郎など なお、刀剣や香木は、最近海外でも注目されており、価格が高騰する傾向にあります。 買取価格も同様に上昇しているため、高額買取が期待できるでしょう。 クチコミやランキングからおすすめ業者を見つけてみよう 遺品整理や片づけで骨董品をまとめて処分する方には、買取がお勧めです。全国で多くの業者が骨董品の買取を行っています。 ただし、選択肢が多いため、どの業者を選ぶべきか、かえって迷ってしまう方もいるかもしれません。 業者選びに迷ったときは、骨董品買取業者ランキングやクチコミを参考にしてみましょう。 実績や買取方法を基準に希望に合う業者を選んだり、複数の業者にまとめて問い合わせしたりすることも可能です。急いでいる方でも、信頼できる業者を効率的に探せるでしょう。
2024.10.28
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大規模回顧展「田名網敬一 記憶の冒険」を見に行ってみた!
皆さんは、田名網敬一(1936年-2024年)という日本人アーティストを知っていますか? 彼の作品は、色鮮やかな独特の世界観と、戦争体験やアメリカ大衆文化からの影響が色濃く反映されていることが特徴です。 そんな田名網の60年以上にわたる創作活動をまとめた初の大規模回顧展「田名網敬一 記憶の冒険」が、現在、国立新美術館で開催されています。 今回、実際に国立新美術館へと足を運び、田名網敬一の膨大な作品群を堪能してきました! 「田名網敬一 記憶の冒険」は国立新美術館にて開催 「田名網敬一 記憶の冒険」では、田名網が武蔵野美術大学でキャリアをスタートさせたころから、1975年に日本版『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めた時代、そして現在に至るまでの多岐にわたる作品群が展示されています。 彼はデザイナーとして培った技術をもとに、絵画、コラージュ、アニメーション、立体作品、実験映像、インスタレーションなど、ジャンルやルールに縛られることなく活動を続け、美術史に重要な足跡を残してきました。 今回の企画展で注目すべきポイントは、初公開の最新作を含む膨大な作品の数々です! 「記憶」をテーマに掲げた今回の展示は、戦争の記憶とその後の文化的影響を追体験するような構成になっており、これまで包括的に触れられることのなかった田名網の創作の全貌が明らかにされています。 展示について 国立新美術館の敷地に入り、室内に入っていく手前のスペースに、さっそく田名網敬一の作品『金魚の大冒険』が展示されています! 巨大なバルーンで作られた金魚は、金・土曜日の夜になるとライトアップされ、ミュージアムナイトを照らしてくれるそうです。 昼間とは違った印象の『金魚の大冒険』を鑑賞したい方は、ぜひ金・土曜日の夜にも訪れてみてください。 国立新美術館内に入ると広々とした空間が広がっています。 ロッカールームが充実しているため、荷物が多い方はチケットを購入したあとにロッカーに荷物をしまって、身軽な格好で回るのがお勧めです! 大規模な企画展で展示会場も広いため、ストレスなく見て回るなら荷物は少ないほうがよいでしょう。 展示会場では、田名網の作品をより深く理解し、楽しむためのオーディオガイドが無料で提供されていました。 スマートフォンでQRコードを読み取るだけで、アーティストの背景や作品の解説を耳で聞きながら鑑賞できます! 作品を目で見て鑑賞しながら、オーディオガイドでその背景に迫ることで、創作意図やメッセージがより鮮明に伝わってくるため、彼の生み出した膨大な作品の世界観をより深く味わいたいなら、オーディオガイドを聞くことをお勧めします。 特に、戦争やアメリカ大衆文化の影響を受けた作品は、彼の記憶や経験が作品にどのように反映されているのかを再認識させてくれました。 田名網敬一の広大なアートの世界を体感し、耳でも楽しんでみましょう! 全11章で構成された膨大な創作変遷を堪能できる「田名網敬一 記憶の冒険」 展覧会の入り口では、田名網の幼少期のエピソードと、最新作のインスタレーション『百橋図』で構成された「プロローグ」から始まります。 戦争の記憶やアメリカ文化の影響を受けた色鮮やかな作品群に引き込まれつつ、11章にわたって彼の創作の変遷をたどります。 企画展会場に入ってすぐ目に飛び込んでくるのが、圧倒的な存在感を放つ『百橋図』の絵画とインスタレーションです。 絵画は、屏風のような形で展示されており、その背後にインスタレーションが展示されています。 いくつもの太鼓橋が重なりあってジャングルジムのようにそびえたつこの作品には、プロジェクションマッピングにより魚たちが橋をわたっていく様子が表現され、幻想的な光景を生み出していました。 田名網は、「橋」は俗世と聖なる世界をつなぐものであり、また死とも密接に結びついた象徴的なモチーフであると語っています。 このモチーフは、まさに展覧会全体に流れる死生観を象徴するテーマでもありますね。 展覧会のプロローグにふさわしい作品であると感じさせられました! 企画展示室内を進んでいくと、次に飛び込んできたのが天井から地上まで壁一面に飾られた数々の絵画です。 広い空間を埋め尽くす数と鮮やかさに圧倒されました! 壁一面に並べられた極彩色の絵画が目を引き、そのポップな色使いや力強い輪郭が特徴的であり、幼少期に経験した戦争の記憶が色濃く反映された作品の数々は、見る者に強烈な印象を残します。 フリーのグラフィックデザイナーとしても活躍していた田名網は、個人的な趣味としてコラージュ作品を多数制作していました。 国内外で活躍する著名人やキャラクターに加え、日本の歌舞伎役者も取り入れられた和洋折衷な作品たち。 今にもアニメーションのように動きだしそうなコラージュ作品に、思わず魅入ってしまいました。 田名網は、1980年に中国を旅行したときに見た自然の景観や、1981年に多忙な生活がたたり結核で4か月ほど入院した際に薬の副作用により見た幻覚を作品に取り入れていきました。 鮮やかな色使いはそのままに、病院から見た松の木がぐにゃぐにゃと曲がって見えた様子も作品に取り入れており、入院中の幻覚体験が彼に新しい創造を与えたともいえそうです。 企画展では、横幅3メートルを超える巨大な作品や、アニメーション、コラージュ、インスタレーションなど多彩なジャンルの作品が展示されています。 デザイナーからスタートし、多彩なアプローチで作品を生み出してきた田名網は、どの手法を用いても一貫してポップでおどろおどろしい世界観を展開しているのが印象的です。 まるで絵画や立体作品が今にも動き出しそうな感覚に襲われ、何度も田名網の世界観に入り込む感覚を味わえました! 終盤では、田名網が手がけたアーティストやブランドとのコラボレーション作品が並び、特に赤塚不二夫とのコラボ作品が印象的でした! 「シェー」のポーズでおなじみのイヤミやバカボンのパパ、ひみつのアッコちゃんなど、さまざまなキャラクターと田名網の独特な世界観が交じり合っていました。 赤塚不二夫が手がけた愛らしいキャラクターたちが、田名網の手によってモンスターに変貌し、キャンバスいっぱいに広がっているのが印象的ですね。 企画展の最後には、田名網のインタビュー映像が展示された「エピローグ」で締めくくられ、田名網敬一という人物の多面性を感じさせてくれる企画展でした。 「田名網敬一 記憶の冒険」のみどころ 「田名網敬一 記憶の冒険」では、田名網敬一の60年以上にわたる多彩な創作活動を余すところなく紹介しているのが魅力の一つです! その作品は、戦後の日本文化や個人の記憶、夢、死生観など、様々なテーマが絡み合い、ジャンルを超えた豊かな表現が展開されています。 彼の過去の重要な作品から最新作まで、田名網がこれまで追求してきたアートの世界にどっぷりと浸ることができるでしょう。 日本の戦後文化史と密接に結びついた作品 田名網が生み出してきた作品は、日本の戦後文化史と深い結びつきがあります。 企画展では、1960年代から1970年代にかけて制作された、日本最初期のポップアートの一つともいえる『ORDER MADE!!』シリーズや、アメリカの『Avant Garde』誌が主催したベトナム反戦ポスターコンテストで注目された『NO MORE WAR』シリーズが展示されています。 アンディ・ウォーホルの影響を受けつつも、田名網独自の視点で表現されたこれらの作品は、当時の社会的・政治的な動きに敏感に反応したものばかりです。 これらの作品は、企画展に訪れる人々を、日本の戦後アートシーンの中心へと引き込んでくれるでしょう。 増幅を続ける「記憶」 田名網は、ここ数年「記憶」というテーマを深く掘り下げた作品を数多く手がけていました。 幼少期に体験した戦争や、病による生死を彷徨った経験が、彼の創作活動に大きな影響を与えていたといいます。 人間が記憶を無意識に作り変えながら生きているという考えに基づき、増幅される記憶をモチーフに制作された作品が本展でも多く展示されています。 展示には未発表の新作に加え、彼が長年にわたって記録してきた夢日記やドローイングも並び、田名網の記憶と創造力の深淵に迫ることができます! これらの作品を通じて、彼がどのように自身の内面と向き合い、それをアートへと昇華させてきたのか、その過程が垣間見える展示内容となっています。 変幻自在なコラボレーション 田名網は、その長いキャリアの中で、多くのファッションブランドやミュージシャンとコラボレーションを行ってきました。 特に注目すべきは、adidasやJUNYA WATANABEとの協働や、EXILE TRIBEや八代亜紀、RADWIMPSとの音楽コラボレーションです。 また、ウルトラマンや赤塚不二夫とのコラボレーション作品も展示され、彼の幅広いクリエイティブな交流が紹介されています。 田名網の作品は、常に新たな視点や化学反応を生み出してきたため、こうしたコラボレーションの背景を知ることで、彼の多面的な魅力をより深く理解できることでしょう。 個性あふれる魅力的なグッズたち 展覧会を訪れた後は、ぜひ特設ショップにも立ち寄ってみましょう! グッズショップでは、田名網敬一の世界観が詰まったオリジナルグッズが勢揃いしています。 定番のポストカードやポスターだけでなく、Tシャツ、トートバッグ、マグカップ、刺繡ワッペンなどの商品も販売。 どのアイテムも田名網の奇想天外なモチーフと極彩色のデザインが施され、ファンならずとも手に取りたくなるような魅力的なグッズばかりです! 企画展の思い出として、また田名網アートの一部を自分の生活に取り入れるアイテムとして、ぜひお気に入りのグッズを見つけてください。 濃密な色彩と膨大な作品数に圧倒される展示 「田名網敬一 記憶の冒険」では、鮮やかで濃密な色彩と膨大な作品の数に圧倒されました! 大胆なモチーフやユニークなコラージュ技法が織り成す独特の世界観は、観る者の感覚を刺激し、思わず見入ってしまう魅力がありますね。 彼の作品は、見た瞬間に心に残る強烈なビジュアルでありながら、その背後には戦争や文化、個人の記憶という深いテーマが潜んでいます。 「田名網敬一 記憶の冒険」は、田名網敬一というアーティストの全貌を知る絶好の機会ではないでしょうか。 60年を超える彼の創作活動を通して、私たちが普段意識しない「記憶」の力や文化的影響を感じ取ることができるでしょう。 ぜひ、皆さんも「記憶の冒険」に足を運んで、田名網敬一の世界を体感してみてください! 国立新美術館内には、カフェやレストランがいくつか併設されています。 しっかりと食事をとりたいなら3Fのブラッスリーポールボキューズミュゼやカフェテリアカレがお勧めです! 軽食とドリンクを飲みながら、企画展の余韻に浸るならカフェコキーユもお勧めです。 図録を購入してお気に入りの作品を振り返ってみたり、友人と印象に残った作品について話したりするのもよいですね。 開催情報 『田名網敬一 記憶の冒険』 場所:国立新美術館 期間:2024/8/7 ~ 2024/11/11 ※休館日:毎週火曜日 公式ページ:https://www.nact.jp/exhibition_special/2024/keiichitanaami/ チケット:2000円(一般)、1400円(大学生)、1000円(高校生) ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.10.27
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幼少期から最晩年までの作品を公開した「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」レポ
皆さんは、田中一村(1908年-1977年)という画家を知っていますか? 幼いころから卓越した画才を発揮していた人物で、神童とも称されていました。 しかし、東京美術学校に入学しながらも、わずか2か月で退学し、公募展も落選続きと、現役時代に才能を見出されていたわけではなかったのです。 今回は、東京都美術館で開催される「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」に行ってきました! 一村がまだ10歳にも満たない子ども時代に描いた作品から、奄美で過ごした最晩年の作品までを一堂に集めた大規模な回顧展。 神童と称された幼いころの才能あふれる作品から、終焉の地・奄美大島で描かれた生命力に満ちた絵画まで、一村の人生と芸術を追体験できる内容の企画展です! 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は東京都美術館にて開催中 東京都美術館では、2024/9/19~2024/12/1まで「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開催されています。 企画展示室のLBF・1F・2Fと3つのフロアを使った大規模な企画展です! 作品をじっくり・ゆっくり見て回りたいと考えている方は、チケットを購入後にロッカーに荷物を預けておきましょう。 300点以上の作品が3フロアにわたって展示されていて、ボリューム満点のため身軽な格好で鑑賞するのがお勧めです! また、「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は展示室内の写真撮影が禁止されています。 展示室を抜けた後にフォトスポットがあり、そちらのみ撮影が可能となっていました! 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」の入口では、音声ガイド機器の貸し出しが行われています。 俳優の小泉孝太郎さんがアンバサダー・音声ガイドナビゲーターに就任、声優・中村悠一さんも一村の言葉を力強い声で表現しています。 一村が描いた作品と、一村という人物を深く知りながら鑑賞を楽しみたいと考えている方は、音声ガイドを利用してみましょう! 企画展入口での貸出価格は650円(税込)です。 アプリ版の配信もあり、こちらは一度購入すれば展覧会開催期間中は、何度でも視聴が可能です。 展示について 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は、一村の幼少期から最晩年までの作品を一堂に集め、その芸術的な軌跡をたどる大回顧展です。 会場は、「第1章 若き南画家の活躍 東京時代」「第2章 千葉時代」「第3章 己の道 奄美へ」という3つのテーマに分かれており、それぞれの時代における一村の進化と、彼が生きた風景や思想が豊かに表現されています。 第1章の東京時代では、神童と称された彼の幼きころからの作品が展示され、南画の伝統的な技法に基づきながらも、独自の視点で自然を描き出した若き一村の姿が浮かび上がります。 その筆使いは繊細で、南画の技法に洗練された感性を加え、すでに一村ならではの感覚がうかがえるものばかりです。 第2章の千葉時代は、一村が27歳で父を亡くし、30歳のときに親戚を頼り千葉に移住した後の作品を追うセクションです。 この時期は、千葉の風景を描いた丁寧な絵画や、季節を感じさせる掛け軸、デザイン的な仕事が多く、一村の誠実な芸術への姿勢が伝わってきます。 そして、展示の最終章である「己の道 奄美へ」では、奄美大島に渡り見つけた新たな芸術の可能性が展開されています。 奄美の光や自然、生き物たちが一村の筆によって生き生きと描かれ、その明るく鮮烈な色彩は彼の集大成と呼ぶにふさわしいものでした。 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は、一村が「己の道」を見つけ、芸術にすべてを捧げたその魂の深さに触れることができる、感動的な展示です! また、真っ白な壁に一村の掛軸や絵画作品が飾ってあるというシンプルな造りの展示会場で、一村の作品そのものの魅力を存分に味わえます。 第1章:若き南画家の活躍 東京時代 第1章では、7~8歳の幼いころから20代にかけての制作活動が紹介されています。 10歳にも満たない年齢で描いた作品からも、力強い筆使いや卓越した色彩感覚がにじみ出ていました。 このころに描かれた作品をじっくり鑑賞していると、一村が神童と称されていた理由にすぐ納得がいきます。 『池亭聞蛙』紙本墨画淡彩/掛軸(仮巻)/1幅(1922年7月/個人蔵) 中学校に入学した翌年、14歳のころに描いた作品で、今回の展覧会が初公開です。 中国製の紙を用いて描かれたこの作品には、柳が枝垂れる池の情景や人々の営みが描かれています。 このころの一村は、南画や漢詩だけではなく山水画もしっかりと学んでいたことが、作品からうかがえます。 鑑賞する中で印象に残ったのが、葉や枝の細かい描写です。 木の枝先は葉が少ないため、墨の色も薄く表現されていますが、枝の中心にいくにつれて葉が密集し、濃い墨で力強く描かれています。 濃淡のコントラストが、木々に生命力を宿らせ、作品全体に深みを与えているように感じられました。 また、水面には点描のように小さなきらめきが巧みに描かれているのが特徴です。 まるで人々の営みの中で静かにゆっくりと広がる音の波のように感じられ、幻想的な雰囲気も体験できます。 『蘭竹図/富貴図 衝立』絹本金地墨画/絹本金地着色/衝立(両面)/1基(表裏)(1929年2月・3月/個人蔵) 一村が20歳のころに依頼を受けて描いた作品で、その圧倒的な存在感と技術の高さが際立っています。 衝立は両面に異なる画風で描かれており、表裏で対照的な世界を楽しめるのが魅力です。 墨画で描かれた『蘭竹図』は、幽玄さを感じられる作品でした。 金箔を貼り、薄墨を重ねた地に、竹の葉や蘭の花が生い茂る様子が力強い筆のタッチで描かれ、墨の濃淡が作り出す空気感に引き込まれます。 一方、裏面に描かれた『富貴図』は、鮮やかな色彩が目を引きます。 金の地に青い太湖石や赤、白、黄色の牡丹が咲き誇り、蝶や蜂が軽やかに飛ぶ様子が描かれていました。 蝶や蜂の模様が細かく表現されており、明るくカラフルで大胆さがあるように見えて、繊細な筆使いも感じられる素敵な作品です。 『椿図屏風』絹本金地着色/屏風/2曲1双(1931年/千葉市美術館蔵) この作品は、一村の創作活動における空白期とされていた20代半ばの時期に描かれた作品で、2013年に新たに発見されました。 また、この時期の彼のイメージを一新させる作品でもあります。 絢爛たる金屏風に広がる紅白の椿は、まるで生き生きとした生命力を宿しているかのようです。 濃密な絵具が幾重にも重ねられ、その厚みと質感が枝葉にリアルな存在感を与えています。 枝の重なりや葉の一枚一枚が細部まで緻密に描かれており、一村の自然への深い敬愛が感じられますね。 屏風の左側には白梅の枝が描かれ、屏風の右下に目をやると、梅と椿の幹が異なる質感で入念に描き分けられており、自然観察の鋭さと表現力の高さが感じられます。 第2章:千葉時代 第2章では、掛軸だけではなく小さな色紙に描かれた作品が多く展示されているのが印象的でした。 色紙だけではなく、色紙大に切り取られた画用紙に描かれている作品もあります。 発表の場が限られていた一村にとって、色紙という小さなキャンバスは、気軽に描ける大切な表現の場だったのでしょう。 また、千葉時代の一村は、江戸時代の文人画や古典的な山水画を学び、作品に昇華していきました。 このころの一村は、羅漢像や観音像など宗教的なテーマをモチーフにした作品も多く描いています。 作品によってさまざまなタッチで描かれており、筆を走らせるように大胆に描かれた絵から、観音像の装飾品を繊細に表現した作品まで、幅広い表現技法が印象に残っています。 また、公募展で唯一入選を果たした作品も展示されていました。 『白い花』紙本金砂子地着色/屏風/2曲1双(1947年9月/田中一村記念美術館蔵) 第19回青龍展で初入選を果たしており、画号を柳一村にあらためて挑戦した際の作品です。 ヤマボウシの白い花とその緑の葉で画面が覆いつくされており、花々の間に伸びる竹の枝には、ひときわ目を引くトラツグミがとまっています。 この作品は、多くの下書き線が残されているのが特徴です。 村が自らの構図の癖を少し整理し、新たな画面構成と描写に挑戦した姿勢がうかがえます。 『黄昏』紙本着色/額装/1面(1948年/株式会社ジャパンヘルスサミット蔵) 画面に夕陽は描かれていませんが、モチーフの後方に沈みゆく太陽があることを予感させるように、モチーフの縁が薄く輝いているのが印象的でした。 淡い色合いのグラデーションにより描かれた空は、黄昏時の儚さや静けさを繊細に表現しているように感じられます。 夕日の光を受けたモチーフの繊細な輝きが、画面に流れる時間の儚さと、瞬間の美を見事に捉えており、彼の芸術的な深さと感受性が感じられる作品でした。 ほかにも、鶏を描いた作品も多く見受けられました。 一村は、繊細な表現を実現するために、死んだ鳥を横たわらせ、その姿をさまざまな方向からスケッチしたとも伝えられています。 特に驚いたのが、鶏の足の表現です! 固い皮膚の模様が非常に細かく描かれており、そのディテールはまるで鶏が古代の恐竜から進化してきたことを思い起こさせてくれるほどでした。 第3章:己の道 奄美へ 第3章では、一村が50歳で単身奄美大島へと移住し、自然を題材にして独自の絵画世界を築き上げた時期の作品が展示されています。 奄美の自然に魅了され、生涯奄美の風景を描き続けたこの時代の作品は、彼の芸術の頂点ともいえるでしょう。 『奄美の海に蘇鉄とアダン』絹本墨画着色/額装/1面(1961年/田中一村記念美術館蔵) この作品は、一村が奄美から一度千葉に戻ったときに描いた作品です。 横長の画面に広がるのは、一村が奄美で目にした自然の光景が、まるで眼前に広がっているかのように描かれています。 奄美特有の珍しい植物が生き生きと描かれており、左上には木立朝鮮朝顔が、下には蘇鉄の雌花、右にはアダンが墨彩で描かれています。 画面に生い茂る葉の間からは、奄美の青い海と沖にそびえる立神の岩が。 立神は、遠くのネリヤカナヤから神が渡ってくるとされる神聖な島で、地元の信仰の対象となっています。 単なる奄美の自然だけではなく、神聖なモチーフを構成に盛り込んでいることから、奄美についてより深く理解しようとする一村の心が感じられます。 一村が奄美に強く惹かれていたことがうかがえますね。 ほかにも、一村が制作した晩年の作品が企画展のハイライトを飾っています。 今回の企画展のポスターにもなっている『アダンの海辺』や、代表作『不喰芋と蘇鐵』は、一村が奄美の植物や風景に寄せた深い愛情と洞察を感じさせる作品です。 一村が奄美の自然をどれほど深く見つめ、理解しようと努めたかが鮮明に表現されています。 さらに、未完の大作『白花と瑠璃懸巣』や『枇榔樹の森に赤翡翠』も展示されており、一村の芸術家としての情熱と意欲がいかに強かったかを物語っていますね。 また、企画展の締めくくりとして、約5分の映像が上映されており、一村が実際に目にした奄美の風景が映し出され、彼の作品の源となった美しい自然の姿がリアルに感じられます。 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」のグッズについて 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」を見終わったあとはオリジナルグッズもチェックしましょう! ショップには、一村の芸術を日常に取り入れられる素敵なグッズが揃っていました。 定番のポストカードやスマホショルダー、ミニ屏風などとともに、泥染めTシャツといったグッズも販売されています。 また、奄美に移住した一村が頻繁にモチーフとして取り上げた植物「アダン」をテーマにしたオリジナル商品が豊富で、どれも個性的かつ魅力的です。 本展会場でしか手に入らないオリジナルグッズもあり、どれも一村の芸術的な世界観を身近に感じさせてくれるアイテムばかりです。 ぜひ、「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」鑑賞後は、展覧会の余韻を楽しむためにお立ち寄りください。 グッズショップを出てすぐ左手側には、一村の作品が印刷された缶バッジとアクリルキーホルダーのガチャガチャが設置されていました。 1回300円と手ごろな価格のため、ちょっとしたお土産が欲しい方にお勧めです! 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」のフォトスポット 企画展示室内は、すべて撮影禁止となっていますが、グッズショップを出た後の廊下に、フォトスポットが2ヶ所設置されています! 1つ目は、ポスターにもなっている『アダンの海辺』のフォトスポットです。 2つ目は、代表作の『不喰芋と蘇鉄』です。 展示室内は撮影ができませんが、2つもフォトスポットが用意されているため、企画展を楽しんだ後は、写真を撮って帰宅後も余韻に浸りましょう。 作品を通して田中一村の人生を辿る「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は、一村が全身全霊をかけて描き続けた作品群を通じて、彼の生涯と情熱の軌跡をたどることのできる企画展です。 彼の描いた風景や植物は、澄んだ光にあふれ、彼の内なる情熱と魂の輝きを静かに伝えているかのようです。 今回の企画展を通じて、一つひとつの作品だけではなく、幼いころから卓越した画才をもっていた一村が奄美に魅了され、晩年を奄美の豊かな自然をモチーフにした作品に全力を注ぐまでの物語を楽しめました! 東京都美術館は、上野駅から近い場所に位置しており、企画展鑑賞後は上野公園内をゆっくり散歩しながら、展示会や作品を振り返ってみるのもお勧めです。 また、上野公園内にはいくつかカフェがあります。 スターバックスにはテラス席があり、天気のよい日には外の席でコーヒーを飲みながら友人と企画展の感想を言い合うのもよいですね。 店舗情報 スターバックス 上野恩賜公園店 https://store.starbucks.co.jp/detail-1087/ 開催情報 『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』 場所:東京都美術館 東京都台東区上野公園8-36 期間:前期展示2024/9/19~2024/10/24 後期展示2024/10/25~2024/12/1 公式ページ:https://www.tobikan.jp/ チケット:一般2,000円、大学生・専門学校生1,300円、65歳以上1,500円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.10.27
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