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東郷青児(1897年-1978年)画家[日本]
日本最初期の前衛絵画を描いた「東郷青児」とは 東郷青児 生没年:1897年-1978年 東郷青児は、夢見るような甘い女性像を描き人気を博した日本の洋画家で、昭和の美人画家として、戦後の日本で一世を風靡しました。 絵画作品だけではなく、本や雑誌、包装紙などにも作品が使われ、多くの人に親しまれていました。 詩人画家・竹久夢二の雑貨店で働く 東郷は、鹿児島県鹿児島市に生まれ、幼いころに家族で東京に引っ越しており、小学校の同級生には洋画家の林武がいました。 東郷は、中学時代から絵画を学んでおり、中学4年のころに出会った画家で詩人の竹久夢二の作品に感動し、青山学院中等部を卒業すると画家を志すようになりました。 夢二に憧れを抱いた東郷は、17歳で夢二の雑貨店「港屋絵草紙店」で働き始めます。 このお店は、恋多き夢二が唯一籍を入れた女性、たまきのために開かれたお店で、たまきは一回り以上年の離れた東郷を弟のようにかわいがり、夢二の写しの手伝いを東郷にお願いしていました。雑貨店で写しをして技術を磨いていった東郷の美人画には、夢二の影響を受けているであろう特徴が見受けられます。その後も、東郷は女性美への探求を続けていくのでした。 前衛的なピカソ・女性的な作風のラファエロから影響を受ける 東郷が18歳のころ、東郷の才能に気づいた作曲家の山田耕筰から支援を受け、絵画の世界へと進んでいきます。耕筰は、作曲家として活動していましたが、当時のヨーロッパ絵画の最先端を研究していた人物でもありました。 その後、有島生馬に師事し、18歳のときに開催した初個展では、未来派風の前衛的な新人として注目を集めています。翌年、19歳で二科会に初出品した『パラソルさせる女』が二科賞を受賞し、才能を開花させていきました。 20代になるとヨーロッパへ留学し、東郷の作風に大きな影響を与える転機が訪れます。 東郷は、20世紀最大の画家と評されるピカソや、エコール・ド・パリの代表的な画家といわれていた藤田嗣治らと交流する機会を得て、画家として新しい学びや影響を受けました。 また、ピカソの前衛的な芸術だけではなく、ミケランジェロをはじめとした古典芸術にも深く感銘し、ヨーロッパにいる間にキュビズムや未来派、シュルレアリスムなど、さまざまな芸術を吸収し、独自のスタイルを確立させていきました。女性的で優美な作風が特徴のラファエロにも影響を受けており、東郷独自の美人画を描くベースとなったともいえるでしょう。 帰国後は、震災から復興した東京を彩るモダニズム文化の流れに乗り、絵画だけではなくさまざまな分野で活躍していきます。 1935年前後からは、洋画家の大先輩である藤田嗣治と大画面の装飾画に挑み、百貨店や画商から毎年のように個展開催の依頼がくるようになりました。 1960年代からは、二科会の交換展のために毎年世界各国を訪れるようになり、同時にこれまでのスタイルを変化させ、盛り上がった絵の具と荒々しいタッチで抽象画にようなデフォルメを取り入れていきました。 また、アフリカやアラブ諸国、南米などの風俗をモチーフに取り入れ新しいスタイルを生み出していきます。 64歳になると二科会会長に就任し、72歳のころにフランス政府から「芸術文化勲章オフィシエ」を授与されます。 さらに翌年、日本でも「勲三等旭日中綬章」を受章するなど、画家としての地位を確立させていきました。 洋菓子店の包装紙のデザインも手がける 東郷は、絵画だけにとどまらず、さまざまな分野でデザインの才能を発揮しました。 挿絵や洋菓子の包装紙、化粧品のパッケージ、マッチ箱、本の装丁など、あらゆる製品のデザインを手がけています。 東郷のアートは身近なものにも組み込まれ、多くの人に愛されました。特に、洋菓子店の包装紙はファンの間で人気が高く、ブックカバーや栞として利用する人もいたそうです。 2007年に閉店した吉祥寺の老舗喫茶店「ボア」では、包装紙だけではなくケーキの箱や店の名前、ロゴに至るまで東郷がプロデュースしたことで知られています。 また、小説家の谷崎潤一郎とコラボし、谷崎の耽美的な言葉と東郷の柔らかな曲線の美人画が融合した作品も制作しています。画業だけではなく、フランス文学の翻訳や小説の執筆など、幅広い分野で活躍を収めました。 芸術のデパートと呼ばれる芸術家ジャン・コクトーが書いた小説『恐るべき子供たち』は、翻訳から挿絵、装丁まで東郷が担いました。 東郷青児が描く美人画の特徴 東郷の描く美人画は、「青児美人」や「東郷様式」などと呼ばれ、独自のスタイルを確立していました。 ヨーロッパ留学を得てさまざまな経験と刺激を受け、西洋絵画の伝統技法を融合させ時代の先駆けとなる、新しい女性の理想像を表現しました。 デフォルメされた艶やかな曲線や、限られた色数のみを用いたシンプルな色彩が、青児美人の大きな特徴といえます。 大胆な構図やフォルムは、ピカソからの影響を受けており、自信のある色以外は使わないという教えのもと、東郷は独自のセンスで女性を表現していきました。 東郷は、流行りのファッションにも敏感で、女性が着用しているトレンドアイテムを絵画に取り入れていました。 東郷の描く女性像には、着物から洋服、当時フランスで流行っていたモード系、世界各国の伝統衣装など、さまざまな衣装が着せられ、東郷の繊細な美意識が表現されています。 年表[東郷青児] 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1897年(明治30年) 0歳 4月28日、鹿児島県鹿児島市稲荷馬場町に生まれる。 1914年(大正3年) 17歳 青山学院中等部を卒業。この頃、竹久夢二の「港屋絵草紙店」に出入りし、下絵描きなどを手伝う。 1915年(大正4年) 18歳 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所で制作。日比谷美術館で初個展を開催。有島生馬に師事。 1916年(大正5年) 19歳 第3回二科展に『パラソルさせる女』を出品し、二科賞を受賞。 1920年(大正9年) 23歳 永野明代と結婚。 1921年(大正10年) 24歳 フランスに留学。国立高等美術学校に学ぶ。長男志馬が誕生。 1924年(大正13年) 27歳 ギャラリー・ラファイエット百貨店のニース支店とパリ本店で装飾美術のデザイナーとして働く。 1928年(昭和3年) 31歳 帰国し、第15回二科展に留学中の作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。西崎盈子と関係を持つ。 1929年(昭和4年) 32歳 愛人の西崎盈子と心中未遂事件を起こす。事件後、宇野千代と同棲。 1930年(昭和5年) 33歳 ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳し、白水社より刊行。 1931年(昭和6年) 34歳 二科会に入会。 1933年(昭和8年) 36歳 宇野千代と別れ、みつ子と同棲開始。 1934年(昭和9年) 37歳 麻雀賭博の容疑で警視庁に検挙される。 1939年(昭和14年) 42歳 みつ子との間に長女たまみ誕生。 1951年(昭和26年) 54歳 歌舞伎座用の緞帳を制作。 1957年(昭和32年) 60歳 日本芸術院賞を受賞。 1960年(昭和35年) 63歳 日本芸術院会員に就任。 1961年(昭和36年) 64歳 二科会会長に就任。 1969年(昭和44年) 72歳 フランス政府より芸術文化勲章オフィシエを授与される。 1970年(昭和45年) 73歳 勲三等旭日中綬章を受章。 1976年(昭和51年) 79歳 勲二等旭日重光章を受章。東京・西新宿に東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館)が開設される。 1978年(昭和53年) 80歳 4月25日、急性心不全により熊本市で死去。正四位、文化功労者追贈。
2024.09.10
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岡本太郎記念館 [東京都港区南青山]へ行ってみよう
岡本太郎をリアルに感じられる、元アトリエ兼住居の記念館 岡本太郎記念館は、岡本太郎が亡くなる1996年に84歳で亡くなるまでの42年間、実際にアトリエ兼住居として利用されてきたスペースです。 パートナーである岡本敏子が、次世代の人々に岡本太郎とその芸術を伝えたいとして、亡くなってわずか2年後に記念館として開館しました。 かつてモダニズム建築を実践した建築家の坂倉準三が設計した旧館はそのままに、隣接する木造2階建ての書斎や彫刻アトリエを新築し、展示棟を建て直しました。 現在、記念館としてアトリエやサロン、庭を公開しており、2階の企画展示室では、たびたび企画展を開催しています。 日本万国博覧会に飾られた『太陽の塔』をはじめとしたさまざまな巨大モニュメントや壁画などの構想を練り、制作していたアトリエには、今も太郎の爆発的なエネルギーが満ちているでしょう。 展示 岡本太郎記念館は2階建てになっており、1階のサロンとアトリエは、常設展示室として利用されています。 建物に入ってすぐ右手側の通路を進むと、1954年に建てられた自宅兼アトリエにつながります。 サロンは、かつて岡本太郎が来客を応対をしたり、取材を受けたりしていた場所です。 実際に利用されていた当時から、岡本太郎の作品が飾られていました。 アトリエには、床に飛び散った絵の具や、デスクの上に散らかった画材道具などが、岡本太郎が実際に使っていた当時のまま残されているのが特徴です。 しばらく眺めていると、何事もなく岡本太郎が現れ作品制作を行いそうなほど、自然な状態で残っています。 2階は企画展示室となっており、さまざまなテーマで年間を通して企画展を実施しています。 テーマごとに展示される作品が変わるとともに、雰囲気も一新されるため、何度来館しても新鮮な気持ちで展示を楽しめるでしょう。 庭も展示スペースの一つとなっており、遊び心溢れた空間が広がっており、オブジェと緑に満ちた空間では、作品に触ったり座ったりできます。 名古屋の久国寺に依頼されて制作した梵鐘『歓喜の鐘』の模型は、木づちが用意されており、実際に鳴らして音色を楽しむことも可能です。 実際の『歓喜の鐘』よりもサイズが小さいため、高く澄んだ音がします。 本物の音色を聞いたことがある人は、聞き比べてみるのもよいでしょう。 ミュージアムショップには、100冊以上の関連書籍や岡本太郎の作品をデザインしたさまざまなグッズが販売されています。 グッズ目当てで訪れるファンの方もいるそうです。 コレクション 岡本太郎記念館では、主に未完成作品やマルチプル、そのような作品のスケッチ、関連資料などが収蔵されています。 『坐ることを拒否する椅子』 『こどもの樹』 『岡本太郎の等身大マネキン』 なお、岡本太郎が制作した完成品のほとんどは、川崎市の岡本太郎美術館に寄贈されています。 特徴/ここがオススメ 岡本太郎記念館は、すべての場所で自由に写真撮影ができます。 サロンに設置されている等身大の岡本太郎マネキンとも記念撮影が可能です。 ただし、作品保護のため、館内でのフラッシュ撮影は禁止されているため注意しましょう。 館内の作品は、見て楽しむものですが、庭に飾られているオブジェたちは触れたり座ったりして楽しめます。 岡本太郎が制作した作品に触れてみて、さらには一緒に写真撮影をして、岡本太郎の芸術性に対する理解をより深めていけるでしょう。 美術館情報 岡本太郎記念館 住所:〒107-0062 東京都港区南青山6-1-19 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/SHfJuFYGcLaY3KRJ6 アクセス:銀座線・千代田線・半蔵門線 表参道駅より徒歩8分 ほか 開館時間:10:00~18:00(最終入館17:30) 休館日:火曜日※祝日の場合は開館 年末年始(12/28~1/4) ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 岡本太郎記念館の展示・イベント
2024.09.10
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オディロン・ルドン(1840年-1916年)画家[フランス]
象徴主義絵画をけん引した「オディロン・ルドン」とは オディロン・ルドン 生没年:1840年-1916年 オディロン・ルドンは、フランスの象徴主義を代表する画家で、モノクロの作品が多かったことから「黒の画家」とも呼ばれていました。 ルドンの作品は、1884年にジョリス=カルル・ユイスマンスが書いた小説『さかしま』で取り上げられたことで注目を集めるようになっていきました。 15歳ごろから本格的に素描を学ぶ ルドンは、南フランスのボルドーの街で、裕福な家庭に生まれました。 身体が弱かったルドンは、その後ボルドーから30kmほど離れた田舎町ペイル=ルバードへ里子に出され育ちます。 幼いころから素描を描き始めており、10歳のときには学校で素描の賞をもらっています。 15歳のとき、地元の水彩画家であるスタニスラス・ゴランから本格的に素描を学び始めました。 絵を描くことが好きだったルドンですが、父は画家に反対し建築家になることを勧めていたため、建築家を目指すことに。 1862年、22歳の秋、ルドンはフランスの美術学校であるエコール・デ・ボザールの試験を受けますが、不合格となり建築家への道をあきらめます。 再び画家を目指し始めたルドンは、1864年に新古典派の画家ジャン=レオン・ジェロームのもとで絵を学びますが、アカデミックな教育があわず翌年に帰郷しました。 終戦後はパリで芸術活動を開始する 故郷のボルドーに帰ってからのルドンは、彫刻制作を始めるとともに、フランスの版画家ロドルフ・ブレダンのもとで版画やエッチングを学びました。このころから「黒」のカラーがもつ無限の可能性に着目し、自身の木炭画や版画を「ノワール(私の黒)」と呼び、黒を用いた独創的な作品を描くようになっていきました。 普仏戦争が勃発してからは、芸術活動を一時中断し従軍しますが、1871年末に病気のため戦線離脱。終戦後は、素描家を目指し再びパリに移住し、芸術活動を再開させます。移住当時は、木炭を使った素描をメインに活動を進めていましたが、サロンでリトグラフの技法を学び、木炭画とリトグラフを主軸として芸術活動を進めていきました。 1879年、初の石版画集『夢の中で』を刊行。 発行部数は25部と少ないものですが、職業画家としての記念すべき第一歩の作品といえるでしょう。 その後、ルドンは石版画集や単独絵画作品を数多く手がけ、グラフィック画家として活躍の場を広げていきました。 象徴主義の画家として注目を集める 1890年代、ルドンはノワールではなく、パステル画や油彩画を好んで描くようになりました。 1894年、老舗のデュラン・リュエル画廊にて大規模な個展を開催し見事成功をおさめ、象徴主義の画家としての地位を確立させていきました。 1899年、同画廊にてナビ派やシニャックを含む若い画家たちが、尊敬の意を込めてルドンを迎え、グループ展を開催し、ルドンはナビ派として紹介されます。 当時、象徴主義が注目を集めていたことから、ルドンの作品は多くの若手画家たちの心を打ち、新しい絵画の先駆者として認識されるようになっていったのです。 ルドンは、若手画家たちと交流を深めていくようになり、その影響から絵画作品だけではなく室内装飾も手がけるようになりました。 装飾絵画から抽象絵画へ変化する 1899年、ルドンはロベール・ド・ドムシー男爵から、ブルゴーニュのセルミゼルにあるドムシー・シュール・レ・ヴォルト城のダイニングルームに飾るための装飾絵画の制作を依頼されました。 この装飾絵画17枚が、ルドンが制作した作品の中でも最も先鋭的といわれるものとなり、ルドンの作品が装飾絵画から抽象絵画へ移行するターニングポイントになりました。 また、ルドンはドムシー男爵に依頼され、夫人と娘のジャンヌの肖像画も描いています。 ルドンの芸術活動の特徴 ルドンは、夢や無意識下の幻想的で不思議な世界観をもった作品を多く制作しました。 幻想的でファンタジー性のある作品たちは、ルドンの死後、シュルレアリスムの先駆けとも評価されています。 多彩な画法を使い分けていた ルドンといえば、モノクロで描かれた木炭画を想像する人が多いのではないでしょうか。 しかし、得意としていた木炭画以外にも、パステル画や油彩画などへ表現方法を広げ、多彩な作品を制作しています。作品の色合いも、モノクロから色彩豊かなものに移り変わっていきました。 仏教やヒンドゥー教にも関心があった ルドンは、仏教やヒンドゥー教をはじめとしたさまざまな宗教にも関心をもっていたといわれており、それらの世界観を融合させた作品も多く制作しています。ルドン作品の幻想性や神秘的な世界観は、宗教の思想が影響しているとも考えられるでしょう。 ルドンは、若いころから植物学者であるアルマン・クラヴォーから読書の手ほどきを受けており、アルマンはルドンの精神的指導者でもありました。 アルマンから文学をはじめとし、最先端の科学や世界の多種多様な思想などを教わったことがきっかけで、東洋の思想にも強い興味を抱いたと考えられます。 20世紀はじめごろの10年間では、さまざまな宗教絵画が一つの作品に混ざりあった神秘的な作品を描いています。 代表的な作品には、『釈迦の死』、『釈迦』などがあり、東洋の宗教に強い影響を受けていることがわかりますね。 幻想的な世界観 ルドンが描く作品の大きな特徴は、無意識下を投影した幻想的な世界観をもっている点です。 当時、心理学者フロイトが唱えていた無意識の存在が世の中に広まっており、精神世界を投影したルドンの不思議な世界観の作品は、広く受け入れられたのです。 また、ルドンの画風は、19世紀後半のパリで巻き起こっていた反物質主義的な運動に後押しされ、写実主義や印象派へのアンチテーゼとしての評価も受けています。 退廃的な雰囲気 ルドンが制作した作品には、退廃的で暗い印象を受けるものも多くあります。その中でもとくに、モノクロのリトグラフ作品では、不安や絶望を思わせる印象の作品が多く残されています。 しかし、モチーフの表情をよく見てみると、どこか愛嬌のあるキャラクターに見えることも。 不穏な空気感を抱かせながらも、どこか人間としての温かみも感じられる不思議な世界観が、多くの人の心を惹きつけているのでしょう。 目と花をよく描いていた ルドンは、目と花に着目した作品をよく描いていました。 目に重きをおいた代表作の一つに『キュクロプス』があります。 キュクロプスとは、ギリシャ神話において卓越した鍛冶技術をもつ隻眼巨人として登場する下級神。凶暴で人を食らう恐ろしい人物像で知られていますが、ルドンが描くキュクロプスは、どこか寂しげな表情に見えます。 まるで、ルドン自身の内向的な性格をキュクロプスに反映しているかのようにも感じられるでしょう。 ルドンがよく花の絵を描いていたのは、若いころに植物学者アルマンのもとで学んでいたことがきっかけで、よく植物観察をしていたためともいわれています。 息子の死と誕生により作品に変化が ルドンは、若いころからモノクロのリトグラフや鉛筆画を多く制作していました。 しかし、49歳で次男のアリが誕生したころから、カラフルな作品も増えていったといわれています。 ルドンは、長男を半年で亡くしており、アリの誕生は大変喜ばしいことであったと考えられるでしょう。 アリの成長がルドンの生きがいになり、人生にも彩が生まれ、そのような色彩豊かな作品が増えていったのではと想像させてくれます。 しかし、アリも第一次世界大戦で生死不明となってしまい、76歳だったルドンはアリの行方を探すために各地を訪ねて回りました。 ルドンは、アリを探して回るなかで、風邪をこじらせ1916年にパリの自宅でその生涯に幕を閉じました。 ルドンが描いた色鮮やかな世界観は、息子アリをきっかけに始まり、終わったといえるでしょう。 [年表]オディロン・ルドン 西暦 満年齢 できごと 1840年 0歳 4月20日、フランスのボルドーで生まれる。本名はベルトラン=ジャン・ルドン。 1851年 11歳 ボルドー近郊の町ペイル=ルバードで、少年期を過ごす。 1860年 20歳 植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に影響を受ける。 1864年 24歳 パリでジャン=レオン・ジェロームに入門するも、数か月で辞め、ボルドーに戻る。 1870年 30歳 普仏戦争に従軍。 1872年 32歳 パリに定住。 1879年 39歳 初の石版画集『夢の中で』を刊行。植物学者アルマン・クラヴォーに捧げる。 1880年 40歳 クレオールの女性、カミーユ・ファルテと結婚。 1882年 42歳 新聞社ル・ゴーロワで木炭画と版画の個展を開催。石版画集『エドガー・ポーに』を刊行。 1886年 46歳 長男ジャンが誕生するが、半年後に夭折。 1889年 49歳 次男アリが誕生し、画風が明るい色彩を使うスタイルに変わる。 1904年 64歳 レジオンドヌール勲章を受章。 1913年 73歳 アーモリーショーにて1室を与えられ展示を行う。 1916年 76歳 7月6日、パリの自宅で死去。直前に消息不明だった次男アリの捜索に奔走していた。
2024.09.10
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移ろいゆく季節を楽しめる根津美術館の「夏と秋の美学」展に行ってみた
皆さんは、江戸琳派の異才・鈴木其一(1795年-1858年)を知っていますか? 彼は、江戸時代後期に活躍した琳派の絵師で、独自のスタイルを確立させ近代日本画に大きな影響を与えたといわれています。 今回は、そんな鈴木其一と琳派の作品を展示する根津美術館の「夏と秋の美学展」に行ってきました! 「夏と秋の美学展」は根津美術館にて開催 日本の夏から秋にかけて移ろいゆく季節の美しさを堪能できる「夏と秋の美学展」は、表参道駅から徒歩8分の都会にある根津美術館で開催されています。 根津美術館は、美術品鑑賞だけではなく、広い庭園を散策できる美術館でもあります。 庭園については、のちほどあらためて紹介します! 根津美術館は、入り口から館内に入るまでの廊下に竹がズラリと生えており、外観から日本の趣深さがあるすてきな美術館です。 開館10分前に到着しましたが、すでに入り口前には十数人の人が並んでいました! 美術品だけではなく、日本らしい外観や庭園があるためか、海外観光客と思われる人たちもたくさん待っていたのが印象的でした。 「夏と秋の美学展」のチケットは、日時指定の事前予約が可能です。 当日、予約をしている人としていない人で列が分けられ、予約している人たちが優先的に案内されるため、待つのが苦手な人は事前予約がおすすめです! 開館時間となり、さっそく館内に足を踏み入れてみると、目の前がガラス張りになった開放的な空間が広がっています。 展示室は1階と2階であわせて6つあり、「夏と秋の美学」展は、展示室1・2で行われています。 なお、展示の写真撮影は禁止されています。 写真撮影は根津美術館の庭園で楽しむのがお勧めです! 琳派作品を中心とした「夏と秋の美学」展の展示について 日本では、古くから春と秋の季節が好まれ、『古今和歌集』でもその偏愛が表れています。 しかし、江戸時代になると、夏と秋の組み合わせも目立ち始めたそうです。 暑い夏に力強く生きる生命と静けさが訪れる秋を対比する感性が、高まっていったといわれています。 「夏と秋の美学」展では、そんな季節感を表現した美術作品を通して、日本の伝統的な美意識がどのようなものだったのかに迫っていきます! 展示されている作品には、初夏から晩秋までの季節の移り変わりを描いたものが多くあります。 メインともなる鈴木其一の大胆な色使いや独特の筆致が光る作品も公開されています! また、琳派の祖・俵屋宗達の工房の優品も合わせて展示されており、夏から秋に移り変わる季節を美術の中でどのように表現してきたかを堪能できる企画展です。 作品は、以下5つのテーマに分けられ展示されていました。 ・夏のおとずれ ・真夏の情趣 ・夏から秋へ ・涼秋の候 ・秋の叢 また、この企画展では琳派作品だけではなく、歌川広重や冷泉為恭、上村松園、住吉広定など名だたる画家が描いた作品も展示されています。 季節の移り変わりをどのように表現しているのか、一つひとつの作品を鑑賞していくのもよいですが、琳派はとそれ以外で比較してみたり、制作された時代でどのように変わるか比較してみたりと、いろいろな楽しみ方ができますね。 冷泉為恭の『納涼図』では、親子と思われる3人が屋敷の一角で涼を取る姿が描かれており、はだけた着物が夏の暑さを象徴しているように感じられます。 また、着物のゆるさと、身をくつろがせる姿からは、現代にも通じる夏の過ごし方を思わせてくれますね。 「夏から秋へ」をテーマにした展示では、夏の花として白い百合がさまざまな作品に登場しているのが印象的でした。 暑い季節に咲く優雅で美しい白百合は、古くから多くの人々を魅了していたようですね。 白い百合が描かれている作品で、印象に残ったのが鈴木其一の『夏秋渓流図屏風』です。 くっきりとした色使いと大胆な構図で異彩を放っていました! 川の流れが鮮やかな群青で描かれ、植物は鮮やかな緑で表現されており、そのコントラストがとても強烈でした。 また、金色の線を用いて川の流れを表現しており、琳派ならではのデザイン的な要素が強く感じられる一方で、他の作品とは一線を画す独特の画風が印象に残っています。 濃い青や緑の背景に浮き上がるように描かれている真っ白な百合は、とても素敵に見えました。 また、右から左に視線を移すにつれて、枝に垂れ下がる枯れ葉が目に入ります。 枯れ葉はグラデーションで描かれ、ほかの植物や川の描写とは異なる繊細さが感じられました。 淡い黄色や橙色で表現された枯れ葉は、夏の終わりから冬の訪れまでの静かな自然の移ろいを表現しており、その繊細な色の変化は、季節の微妙な移り変わりを見事に捉えているようでした。 住吉広定の『舟遊・紅葉狩図』は、作品全体が「漢と和」「夏と秋」「男性と女性」といった対比で構成されている点が印象的です。 画面右側では、鮮やかな緑と青を背景に、日本らしい松の木と白い州浜が描かれ、女性たちが優雅に舟遊びを楽しんでいる姿が和の風情を漂わせていますね。 公家の女性たちが着物をまとい、静かに舟を漕ぐ様子は、穏やかな夏のひとときを象徴しているかのようです。 一方で、画面左側には、険しい崖を背に滝のように流れる川が描かれ、その荒々しい風景が中国の山水画を思わせます。 男性貴族たちが紅葉狩りを楽しむ様子が描かれており、秋の深まりを感じさせる紅葉と、滝の力強い水流が対照的に表現されています。 左右に配置された異なる季節と風景の対比が巧みに描かれており、色彩の鮮やかさやモチーフの違いが視覚的な楽しさを引き立てていると感じられました。 秋の叢というテーマで展示されていた2つの『武蔵野図屏風』も印象に残っています。 それぞれが秋の風景を象徴する美しさを異なる視点で描いていました。 No.27の『武蔵野図屏風』は、その独特な構図と表現がとても記憶に焼き付いています。 風景画では、よく山や川、海などが描かれるイメージがありますが、この作品ではそれらの要素が一切描かれていません。 屏風の下半分に、背の高い草が密集して生い茂っており、その中に風景の広がりを感じさせるものが一切なく、草むらが全体を覆っています。 さらに、よく目を凝らしてみると、濃密な草の間にぽっかりと浮かぶ丸い月が描かれています。 この月の描かれ方は特に不思議で、草の中に月が沈んでいくのではなく、草の上を転がっているかのように見えるのです。 月が空ではなく、草の中に「落ちている」ように見えるこの表現が、この屏風の独自性を際立たせています。 自然の中にある静けさと、奇妙な月の存在感が融合し、見る者に秋の深まりを感じさせるとともに、少し異世界に迷い込んだような感覚を味わわせてくれる作品でした! 一方、No.28の『武蔵野図屏風』は、屏風の右側には太陽、左側には月が描かれています。 の対比は、昼と夜、あるいは時の移ろいを表しており、自然のリズムを感じさせてくれますね。 太陽は叢の奥にゆっくりと沈み、月は奥からゆっくりと昇っていくような描かれ方をしており、これによって見る者は昼から夜へ、夏から秋への移り変わりを視覚的に体験できるのではないでしょうか。 根津美術館のみどころは美術作品だけではなく庭園にもある! 根津美術館の魅力は、貴重な美術作品だけではありません! 根津美術館の敷地内に広がる大きな庭園も魅力の一つです。 庭園内には順路がなく、自由に散策できるため、訪れるたびにルートを変えて異なる景色を楽しめます。 庭園内には、鎌倉時代の石仏や灯籠、中国の明時代のブロンズ像、韓国・調整時代の石塔や灯籠といった、初代根津嘉一郎が集めたコレクションが点在しており、精巧な美術品が散策中に突然目の前に現れる瞬間は、まるで異世界に迷い込んだかのような感覚を与えてくれます。 この異世界感には心を打たれるものがあり、まるで物語の一端に立っているかのような独特の景観は、ほかの日本庭園では味わえない特別な体験ではないでしょうか。 特に印象的だったのは「天神の飛梅祠」。 学問の神様である菅原道真にちなんだ「飛梅伝説」に基づいて名づけられたものだそうです。 飛梅伝説とは、左遷された道真を慕い、一夜にして太宰府まで飛んでいった梅の木の伝説です。 歴史的な背景を知ると、庭園の一つひとつのスポットにもより深い感慨を抱くことができますね。 また、根津美術館の庭園は、東京都内でも有数の紅葉の名所としても知られており、秋には美術展鑑賞とともに、色鮮やかな紅葉の庭園を楽しむために多くの人が訪れます。 庭園と美術が調和するこの場所は、まさに季節の美しさを五感で味わえる贅沢な空間です。 根津美術館の企画展に訪れた際は、ぜひ庭園散策もしてみてくださいね。 ミュージアムショップでは作品をデザインしたオリジナルグッズが販売されている 根津美術館のミュージアムショップでは、展示作品に関連した魅力的なグッズが数多く取り揃えられていました。 企画展の作品を印刷したポストカードやミニ屏風、折り畳み傘、オリジナルスカーフ、香り箱、扇子、クリアファイルなど、オリジナル商品が充実しており、ここでしか手に入らないアイテムが並んでいます。 特に注目したいのが、色鮮やかな染め布「更紗(さらさ)」をモチーフにしたグッズです。 更紗は、4000年以上前にインドで発祥し、大航海時代に世界中に広まった布で、ペルシャやエジプト、ヨーロッパ、東洋などで人気を集めました。 日本でも大名や茶人が愛した美しい更紗が、根津美術館で丁寧に再現され、スカーフやポーチなどのアイテムとして展開されています。 ミュージアムショップで販売されているグッズには、東洋古美術を中心に展示する根津美術館ならではのこだわりが詰まっており、お気に入りのグッズを購入することで展覧会の余韻を日常でも楽しめます。 「夏と秋の美学」は季節の移り変わりの美しさを思い出させてくれる企画展 「夏と秋の美学」展は、数百年も前に描かれた琳派や有名画家の作品たちが、今なお私たちに季節の移り変わりの美しさを感じさせてくれる素敵な企画展でした! 夏の爽やかな情景や秋の深まる風情が繊細に描かれた作品たちは、時を越えて夏から秋への季節の移り変わりの美しさを私たちに感じさせてくれます。 今回の企画展を通じて、絵画の中に息づく自然の美しさと季節の儚さをあらためて感じました。 また、日本の伝統美術の豊かさを再認識する貴重な機会となり、充実した美術鑑賞となりました。 根津美術館には、庭園を望めるNEZUCAFEが併設されています。 季節によって異なる表情をみせてくれる庭園の景色をガラス越しに眺めながら、おいしいフードとドリンクを楽しめます。 企画展を鑑賞した後は、庭園の景観を堪能しつつ、展示会の余韻に浸るのもおすすめです。 なお、NEZUCAFEの利用は美術館入館者のみとなっているため、美術鑑賞とあわせて楽しみましょう! 店舗情報 NEZUCAFÉ 根津美術館 https://www.nezu-muse.or.jp/sp/guide/cafe.html 開催情報 『夏と秋の美学展』 場所:〒107-0062 東京都港区南青山6-5-1 期間:2024/9/14~2024/10/20 公式ページ:https://www.nezu-muse.or.jp/ チケット: オンライン日時指定予約:一般1,300円、学生(高校生以上)1,000円 当日券(窓口販売):一般1,400円、学生(高校生以上)1,100円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.27
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ヤノベケンジの妄想が爆発した「太郎と猫と太陽と」展に行ってみた!
皆さんは、現代アートシーンの風雲児「ヤノベケンジ」を知っていますか? オレンジの宇宙服のような潜水服のようなものを着た白い猫のオブジェを見かけたことがある人もいるのではないでしょうか。 猫が宇宙服を着るという摩訶不思議なオブジェを制作したのがヤノベケンジなのです! 今回は、岡本太郎記念館で開催されている「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」に行ってきました。 ヤノベケンジは、なぜ宇宙猫という不思議な生き物を生み出したのか、太陽の塔からどのような着想を得て制作にあたったのか。 岡本太郎記念館の中を縦横無尽に飛び回る『宇宙猫』を眺めながら、ヤノベケンジの原点となる岡本太郎の『太陽の塔』をオマージュした作品制作の背景に触れていきましょう。 岡本太郎の自宅兼アトリエだった岡本太郎記念館にて開催中 「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」は、南青山にあるかつて岡本太郎が自宅兼アトリエとして実際に使っていた岡本太郎記念館にて開催されています。ここは岡本太郎記念館ということもあり、岡本太郎が制作した作品もあらゆる場所に展示されており、建物内に入る前の庭スペースにもオブジェがところ狭しと飾ってありました! 2階のベランダには、ミニ太陽の塔が手すりに手をかけて外をのんびり眺めています。 2階から庭を眺めているのか、記念館に訪れる人を観察しているのか、そんなミニ太陽の塔に軽く会釈をして記念館に入っていきます! 入口入ってすぐ左の小さなカウンターにてチケットを購入します。スタッフの方に確認したところ、館内は写真撮影OKでミュージアムショップのグッズも撮影OKとのことでした。 また、館内は、もともと自宅兼アトリエであったからなのか土足厳禁。チケットを購入したら靴を脱いでスリッパに履き替え、作品を観ていきましょう! 「太郎と猫と太陽と」展の展示について 展示は、岡本太郎のサロン・アトリエスペースと2階上がってすぐの展示スペース、2階の奥にある部屋での映像上映スペース、庭スペースの4つに分かれていました。 展示のメインとなるのは『BIG CAT BANG』。 ヤノベケンジの壮大な妄想ストーリーである『BIG CAT BANG』は、初めタイトルを聞いただけでは「大きい猫が爆発する展示…?」とピンときていませんでしたが、オブジェたちやヤノベケンジが描いたスケッチ、さらにはヤノベケンジと岡本太郎、太陽の塔らの関係性の分かる映像上映を見ていくうちに、どんどんとストーリーに引き込まれていってしまいました! 『BIG CAT BANG』にピンときていない方、すでに理解していて展示を楽しめている方も、まずは映像上映を鑑賞すると、よりヤノベケンジや太陽の塔に対する知識を深められ展示を楽しめるかもしれません。 岡本太郎のサロン・アトリエに散らばる宇宙猫 1階入口入って右手側には、岡本太郎のサロン・アトリエがそのまま残されています。 岡本太郎が実際に制作をしていた空間を眺めていると、宇宙服を着た猫があちこちを飛び交っているのが目に入ってきます! 岡本太郎が制作したオブジェの上で、泳ぐような姿勢をみせる宇宙猫。 さらに、岡本太郎本人がシリコンに埋まって作ったといわれているマネキンの上にもちょこんと宇宙猫が! 腕をだらんと下げてくつろいでおり、岡本太郎になついているようにも見えますね。 サロンから奥に進むと、かつて岡本太郎が制作に没頭していたであろうアトリエがあります。 棚にはキャンバスが大量に置かれており、デスクの上には筆などの画材が大量に置かれていました。 そして、もちろん机の上にも宇宙猫が飛び交っていました! アトリエに残されているピアノの鍵盤の上にも宇宙猫が。 岡本太郎が残した芸術性にあわせて音楽を奏でてくれているのでしょうか。 サロンやアトリエを飛び交う宇宙猫はまだまだたくさんいます! ぜひ、企画展中に訪れて、岡本太郎の作品と宇宙猫がどのような配置で置かれて、どのような意味を持たせているのか、自分の目で見て妄想してみてください。 2階展示室の宇宙猫オブジェたち 2階の展示室に上がると、ヤノベケンジが制作した宇宙猫をメインに作品が展示されています。 まず目に飛び込んできたのは、黒い壁一面に描かれた宇宙船『LUCA号』と宇宙猫たちです! 太陽の塔をオマージュした宇宙船を中心に、周囲には宇宙猫が地球に生命の種をまき、人類の誕生をも守るシーンなどが描かれています。壁画の下側には、猫化した岡本太郎の姿もあります。 「始まりは爆発だ!」と叫んでいる岡本太郎あらため猫本太郎。 岡本太郎の名言「芸術は爆発だ!」をオマージュしたセリフと思われますが、芸術の衝動に突き動かされて創作を続けた天才芸術家岡本太郎と、地球の誕生を見届け衝動に突き動かされるまま地球に降り立ち、そこで生命を爆発的に繁殖・進化させていった宇宙猫を重ね合わせてこのセリフを使用したのかなと感じました。 また、今回は宇宙船『LUCA号』の内部が初公開となり、赤い内壁はよく見ると猫の顔の形をしています。 おびただしい数の真っ赤な猫の顔はどこか不気味さも感じられ、宇宙船の中心には金色の生命の種が! そのほかにも宇宙船『LUCA号』の一部分のオブジェや、『BIG CAT BANG』の絵をつなぎあわせた映像作品などさまざまな展示物があるため、ぜひ一つひとつのストーリーを妄想しながら鑑賞を楽しみましょう! 2階の映像上映と構想スケッチたち 2階展示室の奥の小部屋では、ヤノベケンジのプロジェクト映像が放映されていました。 内容は『太陽の塔、乗っ取り計画』『太陽の子、太郎の子』『インタビュー』の3本立てとなっており、ヤノベケンジをよく知らない方は、初めにこの映像を見てから作品を鑑賞すると、より理解が深まるのではと思います! ヤノベケンジと岡本太郎の関係性についても深く知ることができるでしょう。 また、プロジェクト映像を上映している部屋の壁一面には、これまでヤノベケンジが考えてきたアイデアのドローイングや作品がびっしり貼られています! 青い壁面が、地球や宇宙の神秘性を表しているようにも感じられ、わくわくするようなドローイングに不思議さが加わり、一つひとつの作品に魅了されてしまいました。 こちらの部屋には小さなイスがいくつか用意されており、座って鑑賞を楽しめます。映像も写真や動画撮影がOKで、多くの人が映像でヤノベケンジという人物像に触れながら、貴重な映像の撮影をしていました。 「インタビュー」の映像では、岡本太郎の「芸術は爆発だ」からインスピレーションを受けて、『猫大爆発』の展示作品を制作したことや、パンデミック後の憂いを払拭し、未来ある若い世代の人たちが、新しい未来を見つめるきっかけになればという気持ちをもって作品を制作していることなどが語られており、ヤノベケンジがどのような思いで作品を制作しているか、何をきっかけにプロジェクトを企画しているかなどが分かる映像になっています。 また、今回のメインテーマになっている宇宙猫と宇宙船『LUCA号』についても語られており、宇宙人である宇宙猫が地球に生命の種をまき、生命を育てていく過程のストーリーは、太陽の塔の生命の樹の前日譚として制作したそうです。 また、太陽の塔は燃料が切れて帰れなくなった宇宙船『LUCA号』の耳が落ちた残骸の姿であるとしています。 ストーリーについて知識を深めてからもう一度展示室の作品をみてみると、これまでとは異なる見方ができ2度楽しめるのではないでしょうか! 庭に君臨した迫力のある巨大宇宙猫 岡本太郎記念館の庭には、岡本太郎のオブジェがいくつも展示されていますが、今回庭の奥にはこれまでのシリーズで最も大きい『SHIP’S CAT』が展示されていました! 妖しく緑色に光る眼は、夜になるとその輝きがさらに妖しさを増し、宇宙猫が地球外生命体であることを思い知らせてくれるでしょう。 庭にももちろんミニ宇宙猫が飛び交っています。 巨大『SHIP’S CAT』にばかり目が行きがちですが、小さな宇宙猫たちもしっかり探してみてくださいね。 https://daruma3.jp/kaiga/332 ミュージアムショップにてヤノベケンジグッズも販売中 館内のミュージアムショップでは、ヤノベケンジのグッズもいくつか販売されていました。 今回の展示のメインである宇宙猫を正面にプリントしたTシャツも販売されており、キャラクター性がありながらもちょっとリアルな宇宙猫のデザインは、個性を出すのにぴったりですね! ほかにもサコッシュや絵本、フィギュアマスコットなども販売されていました。 岡本太郎グッズもあわせて販売されているので、セットで購入するのもおすすめです。 また、宇宙猫のミニフィギュアが手に入るガチャガチャも用意されていました! 1回500円と、グッズとしてはお手頃価格のため、何か一つ記念に持ち帰りたい…!という方は、記念にガチャガチャをするのもおすすめです。 ヤノベケンジの壮大なストーリー作品と岡本太郎との関係性が分かる企画展! 「太郎と猫と太陽と」展は、ヤノベケンジの壮大な妄想ストーリーである『BIG CAT BANG』の世界観が存分に楽しめる展示となっています! また、ヤノベケンジを創作の世界に駆り立てた岡本太郎の存在や、関係性などに触れる映像作品も鑑賞できるため、ヤノベケンジ本人はもちろん岡本太郎の人物像についても知識を深められるでしょう。 岡本太郎記念館で開催されたこの企画展は、奇想天外な発想が面白いと岡本太郎も喜んで天から見守っているのではないでしょうか。 もしかしたら、自分も一緒に参加して新しい芸術を爆発させたかったなんて思っているかもしれませんね。 キャッチーなオブジェたちがわくわくを生み出してくれるとともに、これからを生きるわたしたちに夢や希望を与えてくれる壮大な作品を鑑賞した後は、近くの南青山骨董通りにあるスターバックスで余韻に浸るのもおすすめです! 岡本太郎記念館を出て右に進むとある骨董通りにあるこちらのお店は、店内も広くカウンター席やテラス席もあるため、その日の気分にあわせて場所を変え、楽しむのもよいでしょう。 店舗情報 スターバックス 南青山骨董通り店 https://store.starbucks.co.jp/detail-410/ 「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」開催情報(岡本太郎美術館) 「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」 場所:岡本太郎記念館 住所: 東京都港区南青山6-1-19 Google map:https://maps.app.goo.gl/NMectzn7pHhERYqr9 期間:2024/7/12~2024/11/10 公式ページ:https://taro-okamoto.or.jp/ チケット:一般 650円(550円)、小学生300円(200円)※()内は15人以上の団体料金 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.26
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ひんやり涼しくなれる太田記念美術館開催の「浮世絵お化け屋敷」展!
皆さんは、浮世絵がどのような作品か知っていますか? 浮世絵とは、江戸時代から大正時代にかけて描かれていた風俗を題材にした絵画作品です。 憂き世に浮かれて楽しく暮らそうという意味を込めて、「浮世」の字が使われています。 浮世絵に描かれるジャンルはさまざまです! 武将を題材とした「武将絵」、美女をメインに描く「美人画」、風景に焦点を当てた「風景画」、歌舞伎役者を描く「歌舞伎絵」など、多彩な種類があります。 そして、今回、太田記念美術館で開催される企画展で展示される浮世絵の題材となっているのは、暑い夏にぴったりの「妖怪・お化け・幽霊」です! 今回は、太田記念美術館で開催されている暑い夏を涼しくする企画展「浮世絵お化け屋敷」に行ってきました! 暑い夏を涼しくしてくれる「浮世絵お化け屋敷」は太田記念美術館にて開催中 妖怪や幽霊などのお化けを描いた浮世絵は、近年人気を集めています。 荒れ果てた屋敷に棲みついた妖怪、無念を晴らすべく人を襲う幽霊、ユーモアたっぷりの憎めない妖怪など、浮世絵にはさまざまなお化けが登場します。 「浮世絵お化け屋敷」でも恐ろしい姿で人を怖がらせる妖怪や、ユーモラスな姿でくすっと笑わせてくれる妖怪まで、前後期あわせて174点が展示される、みどころ満載の展示会です! 初日の夕方16時ごろ訪れてみると、次々に美術館に入っていく人が! 17時に受付終了、17時半の閉館ですが、館内もまだまだ人がたくさんいました。 壁面に飾られた浮世絵たちを、順路に沿って見ていく形式ですが、どの展示室でも壁沿いにお客さんの列ができていました。 太田記念美術館は、原宿駅から近い場所にあるアクセスのよい美術館であるため、夏休み中は平日でも混雑が予想されます! 17時になり受付が終了した後は、徐々に人も減っていき、自由に見て回れるようになりました。 全体を鑑賞して、さらに気に入った作品をじっくり鑑賞したいと考えている方は、閉館30分前や開館直後など、人の少ない時間帯を狙いましょう! また、浮世絵は海外からの人気も高い日本伝統の絵画ジャンルだけあって、海外からのお客さんもたくさん来館していました。 「浮世絵お化け屋敷」のみどころ 太田記念美術館で開催されている「浮世絵お化け屋敷」では、さまざまな浮世絵師のお化けを描いた絵が展示されています。 歌川国芳や歌川国貞、月岡芳年など人気浮世絵師が描いた不気味で恐ろしい妖怪や幽霊の代表作も大集合します! ネットやポスターなどで見かけていた有名な作品を、生で鑑賞できるチャンスです! また、お化け屋敷ということで、恐ろしい妖怪や幽霊も描かれていますが、浮世絵によってはユーモラスで可愛らしい妖怪たちもたくさん登場します。 踊る猫又やゆるキャラのような姿の妖怪など、恐ろしいはずなのにどこか憎めない愛嬌のあるお化けに目を惹かれます。 「浮世絵お化け屋敷」では、怖カワな浮世絵を楽しみましょう! また、今回展示される作品の約2割が新収蔵品の浮世絵です。 これまで、太田記念美術館では何度か妖怪や幽霊をテーマにした浮世絵企画展を開催していますが、今までの企画展を見てきた人でも新たな作品に出会えます! 新たに収蔵された初公開作品は38点ありますので、繰り返し訪れたことがある人も足を運んでみましょう。 全11ジャンル!さまざまな妖怪・お化けたちが… 「浮世絵お化け屋敷」は、展示室内全体、全作品の撮影が禁止されていますので、間違って写真を撮らないよう注意しましょう。 1階展示室の始まりには、浮世絵とは何かを説明するポスターが掲載されているため、浮世絵を詳しく知らない方は、よく読んでから作品を鑑賞すると、より楽しみ方の幅が広がります! 展示は、以下11のジャンルに分けられ展示されていました。 ・不気味な屋敷 ・祟る怨霊たち ・怒れる亡霊たち ・哀しむ幽霊たち ・鬼 ・河童 ・天狗 ・土蜘蛛 ・狐 ・さまざまな妖怪たち ・慌てふためく人間たち 『和漢百物語 大宅太郎光國』月岡芳年/1865年 この作品は、大宅太郎光國が相馬の古内裏に潜入した際に、骸骨と遭遇したシーンを描いています。 相馬の古内裏と聞くと、歌川国芳の有名な『相馬の古内裏』を思い浮かべる人も多いでしょう。 この作品は、その『相馬の古内裏』と同じ物語のワンシーンを描いているのです! 国芳の浮世絵では巨大な骸骨が登場しますが、芳年の浮世絵では巨大な骸骨は登場しません。 その代わり、人よりも少し小さな骸骨が複数登場しており、大宅太郎光國を襲うわけでもなく、互いに戦いを繰り広げ、しばらくすると霧のように消えてしまったと作品紹介がされています。 「浮世絵お化け屋敷」展では、同じ物語を描いた作品が複数登場します。 一つひとつの作品の描き方や雰囲気、内容を見て楽しむのはもちろん、浮世絵師によってどのような描き方の違いがあるかを比較してみると、新たな発見ができるかもしれません! 前期の展示では、相馬の内裏をテーマにした作品が3つほど展示されていました。 骸骨のほかに、がまがえるや妖怪が登場する作品もあるため、見比べてみるのがお勧めです! 『東駅いろは日記』歌川国貞(三代目豊国)/1861年 この作品は、市村座で公演された「東駅いろは日記」に取材して制作された浮世絵です。 画面の中央には、大きな黒い影のような化け猫が墨で描かれ、闇の中で光る黄色い鋭い目が怪しげで恐ろしい雰囲気を醸し出しています。 中央にいる十三代目市村羽左衛門が演じる女性は、化け猫に身体を乗っ取られており、手足をくねらせるような姿勢が猫を連想させます。 この作品で、注目したいのが大きな化け猫ではなく、画面の手前で踊っている小さな猫又です。 手ぬぐいを被り軽快な踊りのポーズを決めている猫又がなんとも可愛らしく、恐ろしいワンシーンであるにもかかわらず、小さな猫又の姿を見て笑顔になってしまいました! 祟る怨霊たちをテーマにした浮世絵群では、四ッ谷怪談の絵が4つ、皿屋敷の絵が2つ(前期展示)と、同じ物語の作品が複数展示されているため、こちらも比較して見てみるとよいでしょう。 『新形三十六怪撰 四ッ谷怪談』月岡芳年/1892年 この作品では、毒を飲まされる前のお岩が、赤子と仲良く横になっている暖かなシーンが描かれています。 しかし、天井からは帯が垂れ下がり、蛇のようにうねっている様子も描かれており、この後の不穏な展開を予期させるような構成になっています。 『木曽街道六十九次之内 追分 おいは 宅悦』歌川国芳/1852年 この作品では、毒を飲まされ顔がただれて醜くなったお岩が描かれています。 一つ前の『新形三十六怪撰 四ッ谷怪談』と連続して展示されていて、別々の浮世絵師が手がけた四ツ谷階段の話がつながるよう展示に工夫がされていました。 作品の雰囲気を比較するとともに、つながったストーリーを楽しみながら鑑賞するのもよいですね。 怒れる亡霊たちをテーマにした浮世絵では、亡霊が雷を落としたり、大波を起こしたり、大蛇になったりと、さまざまな形で恨みを晴らす姿が浮世絵の中で表現されていました。 また、平知盛の亡霊がさまざまな作品に登場しているのが印象に残っています。 源義経に壇ノ浦まで追い詰められ、平家を率いていた平知盛は、最期を覚悟し入水。 平家は滅び無念の死を遂げた知盛の怨念がすさまじく、江戸時代でもインパクトのあるエピソードとなり、浮世絵の題材として用いられていたのではないでしょうか。 さまざまな妖怪たちをテーマにした浮世絵作品では、ワニやタコ、コウモリ、海坊主、古狸、真っ青な山姥、蛇など多彩な妖怪やお化けが描かれており、江戸時代の人たちがどのようなものに恐れを抱いていたかが分かります。 水の中や山の中を背景にした作品も多く、自然に対する脅威の感情を、潜在的に持ち合わせていたのではとも感じさせられました。 『越中立山の地獄谷に肉芝道人蛙合戦の奇をあらはし良門伊賀寿の両雄に妖術を授く』歌川芳虎/1852年 中央背景には、巨大なかえるを描き、それを従える、がまがえるの精霊・肉芝道人が妖術でたくさんのかえるを召喚させ、戦わせる様子が描かれています。 かえるたちは真剣に戦っているのですが、蒲の穂や蓮の葉を槍のように構えて戦う姿が可愛らしく見えてしまいました。 描かれた人物の真剣さに迫力を覚える一方で、背後に描かれた妖怪たちもキャラクター性が強く、ポップな印象を受けました。 『髪切の奇談』歌川芳藤/1868年 この作品で登場するのは、髪を切る妖怪「髪切」です。 夜中に突然出現し、女性の髪の毛を食いちぎる恐ろしい妖怪ですが、絵に描かれた髪切の姿は、二足歩行のずんぐりむっくりなまっくろい生物。 恐ろしくはありますが、どこか現代のゆるキャラのようなデザインにも感じられますね。 慌てふためく人間たちをテーマにした浮世絵では、妖怪のいたずらに慌てる人間たちの様子をユーモアたっぷりに描いている作品が多く、愉快な気持ちで楽しめました! 狸に化かされる人、真っ黒な獣に驚き悲鳴をあげて尻もちをつく女性、籠にいれた魚を幽霊にとられる人など、妖怪たちがどのようなドッキリを行っているか楽しみながら鑑賞しましょう。 『新形三十六怪撰 おもゐつつら』月岡芳年/1892年 舌切り雀の結末を描いたこちらの浮世絵では、葛籠から飛び出してきた妖怪たちの姿に驚いたお婆さんが尻もちをつく様子が描かれています。 ろくろ首や河童やかえるを思わせる緑色の妖怪とともに、宇宙人としても出てきそうなデザイン性の妖怪も登場しているのがみどころです! お土産にも!浮世絵モチーフのユニークなグッズたち 太田記念美術館は館内受付にて、「浮世絵お化け屋敷」展の作品全174点を掲載した展覧会ブックレットを販売しています。 A4サイズでカラーの全64ページとボリューム満載です! 今回の企画展の作品を気に入り、自宅でもう一度見返したいという方にお勧めです。 また館内の地下1階には、手ぬぐい専門店が併設されています。 伝統的な文様からモダンなデザインの手ぬぐいまで多彩なグッズを取り扱っているため、あわせて見てみるのもよいでしょう。 涼しげな空気を感じたいなら「浮世絵お化け屋敷」展を見に行こう 総勢174点の作品が大集合し、妖怪やお化けの恐ろしい姿で、暑い夏に涼し気な空気を送り込んでくれる「浮世絵お化け屋敷」展。 恐ろしいだけではなく、ユーモラスな妖怪やお化けもたくさん描かれているため、子どもと一緒に楽しめる夏休みにぴったりな企画展です! 前期と後期ですべての作品を入れ替えるため、同じ企画展で2度楽しめるのも魅力的ですね。 ぜひ、夏休みの思い出の一つとして、太田記念美術館で開催されている「浮世絵お化け屋敷」展を訪れてみてください。 開催情報 『浮世絵お化け屋敷展』 場所:東京都渋谷区神宮前1-10-10 期間:前期2024/8/3~2024/9/1、後期2024/9/6~2024/9/29 公式ページ:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/ チケット:一般1200円・大高生800円・中学生(15歳)以下無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.25
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国立西洋美術館[東京都台東区]へ行ってみよう
さまざまな西洋美術に触れる、国立西洋美術館 1959年、国立西洋美術館は、フランス政府から寄贈返還された「松方コレクション」を保存するとともに多くの人に作品を公開するために設立されました。 松方コレクションとは、株式会社川崎造船所の初代社長である松方幸次郎が、ヨーロッパで収集した西洋美術コレクションのことです。 美術館を建設するにあたって、日本政府はフランスで有名な建築家ル・コルビュジエに設計を依頼し、建設には彼のアトリエで仕事をした経験のある日本人の3人の弟子、板倉準三・前川國男・吉阪隆生があたりました。 1959年当時に設立された建物は、現在「本館」と呼ばれており、1979年には新館、1997年には、前庭の地下に企画展示館が増築されました。 展示 国立西洋美術館では、常設展と企画展の両方の展示があります。 常設展では、中世末期から20世紀の初めにかけての西洋絵画と、ロダンをメインにフランス近代彫刻を展示しています。 また、1960年に開館1周年を記念して「松方コレクション名作選抜展」を開催して以降、さまざまな特別展や共催展などを開催してきました。 2023年には、「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」、「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」など、7つの展覧会が開催されました。 また、国立西洋美術館の正面入り口前の広場には、彫刻作品が展示されています。美術館内に入る前から、西洋の美術を堪能できる魅力があります。 コレクション 国立西洋美術館は、370点もの松方コレクションを中心に始まり、現在では6000点もの作品を所蔵しています。 そのジャンルも多岐にわたり、絵画から彫刻、素描、版画、写本、工芸などさまざまです。 『三連祭壇画:キリスト磔刑』ヨース・ファン・クレーヴ 『シャボン玉を吹く少年と静物』ヘーラルト・ダウ 『自画像』マリー=ガブリエル・カペ 『アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)』ピエール=オーギュスト・ルノワール 『赤い鶏と青い空』フェルナン・レジェ 絵画作品では、14世紀半ばから20世紀半ばまでの作品を展示しており、時代の移り変わりとともに変化していく西洋美術を堪能できます。 特徴/ここがオススメ 国立西洋美術館は、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の一部として世界文化遺産に登録されています。 ル・コルビュジエが長年追求した、無限成長美術館というアイディアのもと設計された国立西洋美術館は、巻貝のような渦巻き状の平面構成をとっており、年月を経て所蔵品が増えていっても、展示室を外側に増築できる画期的な建築構造になっています。 無限成長美術館の実現例は、この国立西洋美術館とインドにある2つの美術館の合計3館しかありません。 作品を鑑賞したあと、西洋美術についてもっと知りたくなった方向けに、本館のカフェ「すいれん」前のフロアには、西洋美術に関連した本が置かれています。 国立西洋美術館を訪れた際は、鑑賞した作品に関連する図書で、さらに興味を深めてみるのもよいでしょう。 美術館情報 国立西洋美術館 住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/gXFmZgSp9AtSpsRv8 アクセス:JR上野駅下車(公園口出口)徒歩1分 ほか 開館時間:火~水 9:30~17:30 金・土 9:30~20:00 ※入室は閉室の30分前まで 休館日:毎週月曜日 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:常設展 一般500円(400円)、大学生250円(200円)※()内は20名以上の団体料金 ※企画展は展示によって異なります 公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/
2024.08.19
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リトグラフの魅力に触れる「西洋版画を視る」に行ってみた!<国立西洋美術館(東京都台東区)>
国立西洋美術館で開催されている「西洋版画を視る」シリーズは、今回で3回目。これまで西洋版画の主な技法に着目し、制作方法や特徴的な表現を紹介してきました。そして現在開催されている「西洋版画を視る」では、石版画と呼ばれるリトグラフをメインに取り上げています。 リトグラフという言葉を聞いたことがあっても、どのように作品が制作されているのか知らない人も多いのではないでしょうか。 今回は、国立西洋美術館で開催されている「西洋版画を視る」に行ってきました! 「西洋版画を視る」は国立西洋美術館にて開催中 国立西洋美術館で開催されている今回の「西洋版画を視る」シリーズでは、リトグラフ作品がおよそ40点集結しています。 リトグラフ発祥の地といわれているドイツから各国への広がっていた初期作品から、リトグラフが大衆から人気を集めていたころの作品、多色刷りによりポスター作品で多くの人から高い評価を得ていたころの作品まで、時代の移り変わりによって変化していったリトグラフ作品を楽しめるのが見どころです! また、「リトグラフ作品ってどのように作られているの?」と思っている方も安心です。 制作工程の一例を映像と展示で解説されているため、リトグラフそのものの知識を身に付けてから作品を楽しめる工夫がされています。 リトグラフならではの描写と魅力に意識を向け、歴史を辿りながら作品をじっくり「視て」楽しみましょう! 「西洋版画を視る」は、常設展のチケットにて鑑賞できます。 チケット売り場は国立西洋美術館の入口手前の右側にありますので、購入してから館内に入りましょう。 なお、国立西洋美術館内には、ロッカーが用意されていますので、荷物が多い方は、こちらで預けてから鑑賞するのがおすすめです。 リトグラフとは リトグラフの「リト(litho)」は、ギリシャ語で「石」という意味の「lithos」が語源。 リトグラフでは、水と油が反発しあう特性を利用して制作が行われます。木版画やエングレーヴィング、エッチングなどのように版に凹凸をつけるのではなく、石版の上に絵を描き、化学処理を施すことで平らな状態でも作品を印刷できるのが大きな特徴です。 「西洋版画を視る」の展示について 「西洋版画を視る」の展示は、常設展スペースの一角(新館2階 版画素描展示室)で行われており、常設展のチケットを購入すれば鑑賞できます。 常設展内のスタッフさんに確認したところ、基本的に写真撮影OKとのことでした! NGの作品には、カメラに✕マークの印がありますが、「西洋版画を視る」の展示作品は、すべて撮影ができましたので、直接目で楽しむとともに、写真に撮って自宅に帰ってから改めてじっくり見てみるのもおすすめです。 常設展を進んでいくと、版画素描展示室前に「西洋版画を視る」のポスターがあるため、迷わずたどり着けるかと思います! 展示室前では、リトグラフが完成するまでの流れを放映していました! リトグラフがどのように作られているかを確認できる映像のため、リトグラフについてのイメージを膨らませておきたい人は、映像を見てから作品鑑賞に移りましょう!上映時間は約5分で、手軽に見ることができるのも嬉しいポイントです。 版画ができあがるまでの流れを把握してから展示を鑑賞すると、これまでとは違った視点で作品を楽しめますね! 映像を見ていて、作品を制作し始める前に、石同士を削って前に描いた作品の絵を消す作業が印象的でした。一つの石で何枚もの版画を刷れるとともに、別の絵にも再利用しているからこそ、安価で制作でき、大衆にも広まったのではと考えさせられますね。また、石を削ってしまえば、同じ作品はもう制作できなくなるため、少しもったいないなという気持ちにもなりました! いよいよ、展示室に入っていくと、壁面はすべて濃い青色で統一されており、作品の額縁もやわらかな印象のある明るい木材で統一されており、シンプルでリトグラフ作品を引き立たせる工夫が印象的でした。 1.リトグラフの誕生と伝播 リトグラフは、1798年ごろのミュンヘンにて、俳優で劇作家であったアロイス・ゼネフェルダーによって考案されました。瞬く間にヨーロッパ中に広まっていったリトグラフの技術は、多くのロマン主義の画家たちに取り入れられました。 ここでは、リトグラフが伝わっていった初期のころの作品が紹介されています! 『プルチネッラ』エドゥアール・マネ(1874年) 『プルチネッラ』 作家名:エドゥアール・マネ 制作年:1874年 カラー・リトグラフ、ウォーヴ紙 展示室に入ってすぐにある作品です。 マネによる唯一の多色刷り作品であり、カラー・リトグラフが流行するより前に先駆的に制作された作品といわれています。 カラフルな軍服が、真っ白で立派な髭を際立たせているように感じられました。 軍服なのに、多彩な色を使っており、道化師プルチネッラのつぶらな瞳も相まってポップで可愛らしい印象があります!細かく見ていくと、洋服のシワや光のあたり具合によってできる明暗まで繊細に表現されており、リトグラフも直接描くように細かな表現ができることに驚きました。 『ザルツブルクとベルヒテスガーデンの7つの地方 一週間の7日に合わせて』より『月曜:ザルツブルク手前のローゼネッカーガルテン』(1818/23年) 『月曜:ザルツブルク手前のローゼネッカーガルテン』 作家名:フェルディナント・オリヴィエ 制作年:1823年 この作品は、白黒のリトグラフで、まるで鉛筆でデッサンしたかのような繊細さが感じられました。 リトグラフは、クレヨンや鉛筆タッチの自由な線や風合いを表現できる技法といわれていますが、この作品をみると、鉛筆で直接描いたといわれたら信じてしまうほど、細かなタッチで人物や風景が描かれていました。 のどかな自然と町の風景が描かれており、手前の人物は濃く、背景の山々は薄くなっていて遠近感が表現されているのも印象的です。 モノクロのリトグラフでも、色の濃さを細かく変え、遠近感を表現できるんですね! 『ボルドーの闘牛』より『二分された闘牛場』フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1825年) 『二分された闘牛場』 作家名:フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 制作年:1825年 こちらは、クレヨンによるスケッチ風の大胆なタッチが特徴的な作品です。 先ほどの作品と比較すると、インクの色合いが濃く感じられますね。 芯の太い鉛筆で塗ったような表現が印象的で、絵ではありますが走り書きのような表現方法が作品の躍動感を生んでいるように感じられ、作品から闘技場の熱が伝わってくるようでした! 2.リトグラフの大衆化 ドーミエと『カリカチュール』 リトグラフによる制作が広まっていく中で、政治や社会を風刺する作品が発展していきました。 写実主義の画家で知られているオノレ・ドーミエは、鋭い洞察力とユーモアに加え、卓越したデッサン力をもっており、権力を痛烈に批判したリトグラフ作品を制作し、多くの民衆に支持されました。 『誘惑』オノレ・ドーミエ(1835年) 『誘惑』 作家名:オノレ・ドーミエ 制作年:1835年 画面上部の作品が『誘惑』です。風刺新聞「カリカチュール」に掲載された作品の一つで、『聖アントニウスの誘惑』の主題をパロディ化した作品です。 描かれている悪魔たちは、閣僚を表現しており、誘惑される聖人は豚の顔をしているのが印象的でした。 悪魔といえど恐ろしすぎず、キャラクター性の強いデザインから、ドーミエのユーモアが感じられますね。 3.リトグラフ芸術の再燃 ―ブレダン、マネ、ルドン リトグラフは、1820年代に最盛期を迎え、商業的に盛り上がっていく一方、芸術作品としては衰退の一途を辿っていきました。 しかし、1860年代になると芸術家の関心は再びリトグラフに向けられるようになり、独創的な作品も数多く誕生したのでした。 『善きサマリア人 』ロドルフ・ブレダン(1822年-1885年) 『善きサマリア人 』 作家名:ロドルフ・ブレダン 制作年:1822年-1855年 リトグラフ、チャイナ紙 新約聖書の中で、イエスが語った「善きサマリア人」のたとえ話がモチーフとなっている作品です。 この作品を見たとき、繊細な描写に圧倒されました!作品の隅から隅まで自然の風景を細かく描いており、ブレダンの卓越した技術を堪能できる作品ではないでしょうか。木の枝1本1本や葉の葉脈も生き生きと描かれており、近くでじっくりゆっくり鑑賞したくなる作品です。 森の奥に小さく見える一つひとつの建築物も細かく表現されており、空には何羽も鳥が飛び、鑑賞するほど気付きが生まれ、一つの作品でいくつもの作品を鑑賞したかのような充実感を味わえます! 緻密に描かれた森の中をよく観察してみてください。 よくよく見ると、森のさまざまな場所に動物が隠れるように描かれています。遠くから鑑賞していると木々の模様に見えていた場所も、よく見てみると動物が!さるやふくろう、犬、とかげのようなものも描かれており、「ウォーリーを探せ」のような楽しみ方もできます。 ぜひこの作品を鑑賞するときは、どんな動物が描かれているか探してみると、さらに楽しめること間違いなしです。 『キリスト』オディロン・ルドン(1887年) 『キリスト』 作家名:オディロン・ルドン 制作年:1887年 先ほどの『善きサマリア人』とは異なり、シンプルな作りが印象的な作品です。 象徴主義を代表する画家オディロン・ルドンが描く作品は、無意識化を投影した幻想的な世界観が特徴です。 この作品は、全体的に薄暗く、顔がこけているようにも見え、退廃的な印象に感じられますが、大きく描かれた目に少し可愛らしさもあり、暗さの中にユーモアも感じられる作品でした。 4.カラー・リトグラフの流行とポスター芸術の開花 『ノートルダム・ド・ラ・クラルテ』マキシム・モーフラ(1861年-1918年) 『ノートルダム・ド・ラ・クラルテ』 作家名:マキシム・モーフラ 制作年:1861年-1918年 この作品は、何人もの画家たちによるオリジナル版画を集めた版画集『レスタンプ・オリジナル』に掲載された一作品です。この展示では、4枚の絵が横並びに飾られており、色が塗り重ねられていく様子がわかるよう、展示方法が工夫されていました。 1枚目は、まだ下書きのような印象がありますね。 2枚目では、輪郭がはっきりとしてきますが、まだまだ完成形には遠いような印象を受けます。 3枚目で、雲の模様が浮かび上がってきて、建物の影も表現されていますが、まだぼんやりした色合いのように感じられます。 4枚目では、輪郭がくっきりとして、それぞれのモチーフが独立しているのがわかりますね。 重ね刷りによって作品が作り上げられていく様子を楽しめる展示でした。 『フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー』ジュール・シェレ(1893年) 『フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー』 作家名:ジュール・シェレ 制作年:1893年 カラー・リトグラフ この作品を制作したシェレは、ロンドンでカラー・リトグラフの技術を学び、1866年にパリで印刷所を開設した人物でもあります。アメリカ出身のダンサーであるロイ・フラーを描いたこのポスターは、彼女のパリ・デビュー公演で飾られたもので、ドレスの色合いが鮮やかかつポップで、真っ黒な背景が明るいイエローのドレスを引き立たせている印象でした! また、ドレスの影は黒ではなく、薄いブルーで表現しているのも印象的です。 顔の影も薄いブルーで表現しており、独特な雰囲気に惹きつけられました。 背景と影の薄暗い色が、鮮やかなドレスとオレンジのヘアーをより際立たせているようにも感じられました。 5.「画家にして版画家」 ―ボナール〈パリの生活情景〉 ピエール・ボナールは、ポスター作品により人気を高めたカラー・リトグラフをさらに発展させた人物といわれています。 ボナールは、日本の浮世絵からインスピレーションを受け、大胆な構図や平坦な色彩を特徴とした作品を制作しました。 この最後の章では、リトグラフが100年の時を経て辿り着いた芸術性を楽しめます。 『パリの生活情景』より『夕べ、雨の街』ピエール・ボナール(1899年) 『パリの生活情景』より『夕べ、雨の街』 作家名:ピエール・ボナール 制作年:1899年 カラー・リトグラフ この作品は、パリの日常的な生活情景に着目して描かれた表紙と12点のカラー・リトグラフ作品からなる連作の一つ。4年もの制作期間を経ているため、少しずつ作風が変化していっており、ぜひ展示会では作品を順に鑑賞していき、違いを楽しんでみてください。 『夕べ、雨の街』では、雨上がりのパリの街並みが描かれています。濡れた地面に街の灯りが反射している様子を描くことで、雨上がりの街を表現している点に魅力を感じました。画面のほとんどが黒で描かれている分、灯りを表現している黄色のカラーが映えていますね。雨や水を表現する色は一切使われていないにもかかわらず、雨上がりを表現している点に感動しました! 国立西洋美術館では西洋美術に関連するグッズが販売されている 「西洋版画を視る」の展示に特化したグッズ販売はされていませんが、国立西洋美術館のミュージアムショップでは、西洋美術に関連するさまざまな商品が販売されていました。また、グッズだけではなく西洋美術に関する本や、特定の画家に特化した本、子ども向けの美術本なども販売されており、展示を鑑賞したあと、西洋美術についての知識を付けたいと感じた人は、ぜひ書籍もチェックしてみてください! そのほかにも、西洋絵画が描かれた絵はがきや、クリアファイル、ネクタイ、ポスター、額絵専用フレームなどさまざまなグッズが販売されていました。 西洋美術の中でもリトグラフ作品を深く知りたい人はぜひ「西洋版画を視る」の展示会へ! 今回、「西洋版画を視る」シリーズのリトグラフ作品に着目した展示会を鑑賞してきました! リトグラフ作品が何か知らない人も、展示室前の映像や展示室内の説明書きをみればどのような作品であるかが掴めます。 平日の午前中に鑑賞しましたが、比較的人が少なく、じっくり作品を見て回ることができました。私は11時過ぎごろ美術館を後にしたのですが、そのときにはチケット売り場に列ができていました。 今回の展示は写真撮影ができるため、ゆっくり作品を見て回りつつ写真撮影も行いたい方は、人の少ない平日午前に行くことをおすすめします! 描いたままの線が版画になるリトグラフは、画家が描いた絵の雰囲気を忠実に再現できる魅力があります。 リトグラフに興味がある方は、リトグラフの制作工程から、時代に移り変わりによって発展していったリトグラフ作品を鑑賞できる「西洋版画を視る」にぜひ訪れてみてください。 「西洋版画を視る」開催情報(国立西洋美術館) 「西洋版画を視る」 場所:国立西洋美術館 住所:東京都台東区上野公園7-7 Google map:https://g.co/kgs/PPhLcrw 期間:2024/06/11~2024/09/01 公式ページ:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024lithography.html チケット:一般500円、大学生250円、高校生以下及び18歳未満・65歳以上は無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.19
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GMOデジタル美術館[東京都渋谷区]へ行ってみよう
現代アートを気軽に楽しめる、GMOデジタル美術館 GMOデジタル美術館は、GMOインターネットグループ株式会社が運営している美術館です。 第2本社「渋谷フクラス」の2階に併設されており、現在バンクシー展を開催しています。 また、美術館にはミュージアムショップが併設されており、バンクシーの作品をデザインしたさまざまなグッズが販売されています。 GMOデジタル美術館は、2021年9月に「現代アートをすべての人に」をコンセプトにオープンしました。 展示 現在開催中のバンクシー展では、グラフィティアーティストのバンクシーが手がけた希少な3つの作品が展示されています。 GMOデジタル美術館は、企画展のみで常設展は行っていません。 バンクシー展は、美術館オープン時の2021年9月から開催されており、終了時期は決まっていません。 コレクション GMOデジタル美術館では、グラフィティアーティストのバンクシーが制作した3つの作品を所蔵・展示しています。 『風船と少女』 『Bomb Love Over Radar』 『花束を投げる暴徒』 特徴/ここがオススメ GMOデジタル美術館は、一般的な美術館とは異なり、映像と音で鑑賞する美術館です。 美術館では、バンクシーの作品を鑑賞する前に、約10分間のスペシャルムービーが放映されます。 220インチディスプレイとロールスクリーンで構成される四方の壁に映し出される映像により、まるでバンクシーの世界観に入り込んだような没入感ある体験が楽しめます。 バンクシーについて詳しく知らない人も、バンクシー自身と作品の魅力を紹介するスペシャルムービーを見てから作品を鑑賞できるため、より作品の深い部分まで鑑賞しながら想像を膨らませられるでしょう。 作品鑑賞後は、スクリーンに映し出されたフォトスポットで写真撮影ができたり、センシング技術によりスクリーンに触って作品と触れ合えたりと、新感覚の美術鑑賞体験ができます。 これまで美術や芸術に触れてこなかった人でも、気軽にアートを楽しめる新感覚の美術館といえるでしょう。 美術館情報 GMOデジタル美術館 住所:〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂1-2-3 東急プラザ渋谷 2F(渋谷フクラス内) GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/vsVEX4CFByZePnpB9 アクセス:JR渋谷駅南改札西口より徒歩約1分 開館時間:11:00~20:00 休館日:1月1日 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:一般・大学生 300円、小・中・高校生 100円、未就学のお子様 無料 公式サイト:https://banksy.tokyo/ 年間パスポート:記載なし 近隣の美術館 近隣のおでかけスポット 大規模な開発が進み、常に進化し続ける渋谷駅周辺。 若者の街とも呼ばれ、さまざまな複合ビルが建ち並ぶとともに、インターネットが普及してからは、オフィスビルの建設も進み、学生から若手IT起業家まで、多くの若者の中心地となりました。 渋谷フクラス https://www.shibuya-fukuras.jp/ 渋谷フクラスは、2019年12月に渋谷駅西口に建設された新商業施設です。 高層部にはオフィスが入っており、東急プラザ渋谷フロアには、食・健康・美・趣味・ライフプランをキーワードにさまざまなショップが入っています。17・18階には、ルーフトップガーデン「SHIBU NIWA」があり、渋谷のスクランブル交差点を中心に、渋谷の街並みを一望できる展望テラスになっています。 コスモプラネタリウム渋谷 https://shibu-cul.jp/planetarium コスモプラネタリウム渋谷は、渋谷駅から徒歩5分の場所にある都市型プラネタリウム施設です。 高性能なプラネタリウム機器により、リアルで美しい星空を渋谷で楽しめます。 本格的なプラネタリウムですが、渋谷区が管理する施設のため、入館料は大人600円、小中学生300円と大変良心的な価格です。 代々木公園 https://www.tokyo-park.or.jp/park/yoyogi/index.html 渋谷駅から徒歩12分と、少し歩いたところに広々とした森林公園があります。 都会のど真ん中にありながら、緑が豊かな代々木公園では、サイクリングをしたり、散歩をしたり、自分の好きな方法でのんびりと過ごすのがおすすめです。 ドッグランもあるため、愛犬を連れてお散歩する人も多くいます。 GMOデジタル美術館のイベント・展示 開催中 終了 開催予定
2024.08.17
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バンクシー(生年月日未公表-2000年代ごろから活動)アーティスト、政治活動家[イギリス]
神出鬼没で謎の多いグラフィティアーティスト「バンクシー」とは バンクシーは、正体を明かすことなく、世界中の壁やストリート、橋などさまざまな場所にメッセージ性の強いグラフィックを描き話題を集めました。 神出鬼没で、本名や年齢、性別など多くの情報が謎に包まれており、初期の活動場所がイギリス中心であったことから、イギリス人ではないかと推察されています。 バンクシーの作品は、いつどこで描かれているのか分からず、夜が明けてみるといつの間にか壁に作品が描かれていたというものがほとんどです。 中学を退学になりグラフィティ活動を開始する バンクシーがグラフィティ活動を始めたのは、中学校を退学したことがきっかけであったといわれています。 中学生のころ、大けがを負ったクラスメイトの事故の犯人であると疑われ、濡れ衣を着せられて地元ブリストルの中学校を退学になってしまったそうです。 そして、14歳ごろからグラフィティ活動をスタートさせました。 当初は、フリーハンドで作品を描いていましたが、街中の壁やストリートに絵を描く行為は違法であるため、スピーディに作品を完成させ警察に捕まらないよう、途中からステンシルを使うようになったそうです。 社会を風刺した鋭いメッセージ性のある作品 バンクシーは、消費社会や戦争など、政治や資本主義的な社会を痛烈に風刺する作品を多く残しています。 人々に議論を促し、社会問題に目を向けさせることがアートの役割であると、バンクシーは語っており、グラフィティアートを通じて、現代社会の在り方に問題提起をし続けているのです。 バンクシーは、積極的にチャリティ活動を行っており、地元のブリストルでは展覧会を開催して現地経済を活性化させたり、多くの慈善団体や施設に寄付や作品の寄贈を行ったりしています。 『The Son of a Migrant from Syria』は、フランスの難民キャンプがあるカレー地区にある作品で、古いパソコンと大きな袋を手に持つスティーブ・ジョブズが描かれています。この作品は、難民支援を訴えかけているといわれており、難民の受け入れをしなければ、未来のスティーブ・ジョブズの可能性を奪うかもしれないというメッセージが込められているのです。 実は、スティーブ・ジョブズは、シリア移民の息子であったのです。 移民の受け入れは自国の負担を大きくし、資源を枯渇させてしまうと不安視されていますが、シリア移民の息子であったジョブズが創設したアップルは、世界で最も高い利益を上げている企業であり、年70億ドル以上もの税金を国に納めています。 アップルがこれほどまでに大きな企業になったのは、シリアの移民を受け入れたからだと、訴えかけています。 『Shop Until You Drop』は、ロンドンの高級ショッピング街のビルの高層部分に描かれた作品です。 ショッピングカートを押す女性が落下する様子が描かれており、消費社会への風刺を描いているといわれています。 買い物に夢中で足元を見ずに踏み外してしまったのか、高価な買い物をし続け人生から転落してしまったのか、どちらにせよ消費することで経済を回す資本主義に対する痛烈な批判ともとれる作品です。 バンクシーの作風:3つの特徴 バンクシーが制作される作品の主な特徴は、グラフィティアート・ステンシルアート・ネズミのモチーフです。 グラフィティアートを多く手がける グラフィティは、落書きの意味を持ち、グラフィティアートとは、1960年代末から1970年代のニューヨークの街や地下鉄、高架下などの壁面に描かれるようになった絵を指しており、ストリートアートとも呼ばれています。 バンクシーは、公共の壁面にスプレーで作品を描いていることから、グラフィティアートの一つといえるでしょう。 ステンシルアートを用いている バンクシーのグラフィティアートには、ステンシルアートが用いられています。 ステンシルアートとは、ステンシル(切り抜き版)を利用して描くアートのことで、あらかじめ描きたい絵の形にくり抜いた型に、ペイントやスプレーをかけ作品を制作していく手法です。 型を準備しておけば、壁面に設置してスプレーを吹きかけるだけで描けるため、神出鬼没で誰にも見つからないように描かなければいけなかったバンクシーにぴったりの手法といえます。 このステンシルアートは、バンクシーが開発したものではなく、パリのグラフィティアーティストであるブレック・ル・ラットによって、1980年代にはすでに取り入れられていました。 ブレックは、ステンシルアートの父とも呼ばれており、ラットをはじめとした動物をモチーフにしていたこともあり、バンクシーは彼に影響を受けていたとも考えられています。 ネズミのモチーフをよく描いている バンクシーは、世界中のあらゆる場所にネズミをモチーフにした絵を描いています。 ネズミはさまざまなパターンで描かれており、例えば、落書きのための筆やスプレー缶をもったネズミ、ローラーやペンキ缶をもったネズミ、メッセージが書かれたプラカードを掲げるネズミ、傘をさすネズミ、ラジカセで音楽をかけるネズミなどがあちこちに描かれています。 街中に潜むネズミは、ゴミにまみれ、地下を走り回って病原菌をまき散らす厄介な存在でもあり、そのネズミを文明開化された都市から切り離された人々、いわゆるマイノリティな存在と重ね合わせて社会へ訴えかけていると考えられるでしょう。 また、ネズミはバンクシー自身を表しているともいわれています。 グラフィティアートは、本来禁止されている場所に作品を制作するため、都市の中に身を潜め、人目を忍んで描きます。夜の街に突如として現れて作品をこっそりと制作する自分自身を、ネズミに重ね合わせているともいえるでしょう。 そのため、街中に描かれているネズミの多くは、グラフィティを描くための道具を持っているとも考えられます。 バンクシーが起こした4つの大事件 謎の多いバンクシーは、グラフィティアートを使った前代未聞の事件をいくつも起こしています。 複数の有名美術館で作品を勝手に展示 バンクシーは、有名美術館に自分の作品を勝手に展示するという、異例の大事件を起こしています。 世界中の美術ファンが訪れるロンドンのテート・ブリテン美術館。 2003年、第七展示室を映し出す監視カメラには、つばの広い帽子とオーバーコート身につけた一人の男の姿が映っていました。男性は、ある壁面の前で立ち止まり、紙袋から額装と絵を取り出すと、なんと美術館の壁面に絵を勝手に飾り始めたのです。 そして、壁に絵を飾り終わると、何食わぬ顔で美術館を後にしました。 この飾られた作品がバンクシーのものであると判明したのは、絵の横に貼られた作品解説ラベルにバンクシーと書かれていたからでした。 勝手に飾り付けられた作品は、2時間半後に絵が自然に落ちるまで、誰も展示に気付かなかったそうです。 バンクシーは、大英博物館、ロンドン自然史博物館、ルーヴル美術館、ニューヨーク近代美術館、ブルックリン美術館など世界規模のミュージアムでも同じように自分の作品を勝手に展示しています。 美術品を盗難するのではなく、自分の作品を展示品として飾る行為は、前代未聞の事件として話題を集めました。 動物園の檻の中に侵入し作品を描く 美術品の展示事件を起こしたころと同じ時期に、バンクシーは動物園にも侵入して作品を制作しています。 バンクシーは、バルセロナの動物園の象が入っている檻に侵入し、壁一面に縦に棒を4つ並べ、横線を1本引いた記号を壁一面に描きました。 まるで遭難者が、遭難してから何日が経過しているかを記録しているようなこの作品は、動物園の存在意義を問いかけているようです。 ブリストルやロンドン、メルボルンなどの動物園の檻にも不法侵入し、作品を制作しています。 檻の中のサルが「おいらはセレブだってば。ここから出せよ」と手書きされた段ボールを手にしていたり、ペンギンの暮らす囲いの壁面には「魚ばっかりで飽きちゃったわ」というセリフがペイントされていたり、まるで動物園の囚われた動物たちの声を代弁しているようなアートを残していったのでした。 期間限定「ディズマランド」を開園 バンクシーが「悪魔のテーマパーク」というコンセプトで開園させたのが、ディズマランドです。 2015年8月から5週間の期間限定でオープンしたディズマランドは、ロンドンから電車で2時間ほどの距離にあるウェストン・スーパー・メアという地域に作られました。 この場所はバンクシーの出身地とされているブリストルからもほど近い場所にあります。 ディズマとは「陰鬱」「不愉快」などの意味をもっており、「Amusement Park」ではなく、「Bemusement(困惑) Park」と銘打っています。 17か国、約50人の現代アーティストによる作品があちこちに飾られているのが見どころです。 また、入口のセキュリティからユーモアが溢れており、入管・税関、保安検査場のように見せている入場ゲートは、すべて段ボールで作られています。 テーマパーク内には、風刺を利かせたさまざまな作品が展示されていて、子どもが楽しむというよりも大人が考えさせられるパークであったといえるでしょう。 世界中を驚愕させたサザビーズのシュレッダー事件 世界を驚愕させた有名な大事件といえば、シュレッダー事件を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。 2018年10月5日のロンドンで開かれたサザビーズオークションで、バンクシーの『風船と少女』の落札が行われました。 100万ポンドの値がつき、落札された直後、額縁の下部に隠されていたシュレッダーによって作品が裁断されてしまったのです。 作品の半分ほどが切り刻まれたところでシュレッダーは止まり、作品はスタッフによって運び出され会場を後にしました。 バンクシー本人のSNSでも切り刻まれる瞬間の様子が動画で投稿されており、衝撃を受けた人も多いでしょう。 シュレッダーにかけられたのち、『風船と少女』は『愛はごみ箱の中に』とタイトルが変更されました。 『風船と少女』を落札した人物は大変驚いたそうですが、このできごとにより価値が高まったとし、そのまま『愛はごみ箱の中に』を購入したそうです。作品は、落札者のもとへ送られる前に、サザビーズのギャラリーで2日間展示されたのち、ドイツのフリーダー・ブルダ美術館にて1か月間展示されました。 年表:バンクシー バンクシーはその正体が分からず、年齢なども不明のため、主なできごとを中心に年表にまとめました。 西暦 できごと 2001 メキシコ・チアパス州で壁画を描く。 2003 ゲリラ個展『ターフ・ウォー』をロンドンで開催。バンクシーの名前がイギリス中に広まる。 2005 大英博物館に『ペッカム・ロック』を無断で陳列。ヨルダン川西岸地区の分離壁に9つの絵を残す。 2006 ブリストルで裸の男がバスルームの窓からぶら下がる壁画を描く。パリス・ヒルトンのデビューアルバムのフェイクを制作し、レコードショップに無断で陳列。 2007 ヨルダン川西岸地区ベツレヘムで分離壁にステンシル画を描く。 2009 『Banksy versus Bristol Museum』を開催し、注目を集める。 2010 『ザ・シンプソンズ』のオープニングアニメーションを演出。 2013 ニューヨークでアーティスト・イン・レジデンス『ベター・アウト・ザン・イン』を開催。 2015 ガザ地区にて破壊された家の残骸にグラフィティを描く。『ディズマランド』をオープン。 2017 ベツレヘムに『ザ・ウォールド・オフ・ホテル』を開業。 2018 サザビーズオークションにて『赤い風船に手を伸ばす少女』がシュレッダーで切断される。 2019 兵庫県洲本市でバンクシー作とみられるネズミの絵が発見される。 2020 新型コロナウイルスと戦う医療従事者をテーマに『Game Changer』を発表。 2021 『愛はごみ箱の中に』が再び競売にかけられ、過去最高額で落札される。 2022 ウクライナにてロシア軍によって破壊された都市で7点の作品を発表。 2023 スコットランド・グラスゴーで14年ぶりの公式個展『CUT&RUN』を開催。 2024 イギリス・フィンズベリー・パークで新たな作品を発表。
2024.08.17
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