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「北川民次展―メキシコから日本へ」を訪れてその歩みを知る
皆さんは、北川民次(1894年-1989年)という画家を知っていますか? 彼は、メキシコで画家・美術教育者として活動した人物で、生誕130年となる今年「生誕130年記念 北川民次展 ―メキシコから日本へ」が開催されています。 晩年まで精力的に制作活動を行っていた北川民次は、メキシコから日本という特異な歩みの中で、何を見出し、何を探求していたのか。 その答えを探るべく、今回は世田谷美術館で開催されている「北川民次展―メキシコから日本へ」に行ってきました! 「北川民次展―メキシコから日本へ」は世田谷美術館にて開催中 「北川民次展―メキシコから日本へ」は、緑豊かな世田谷区の砧公園内にある世田谷美術館にて開催しています。 最寄り駅はいくつかあり、用賀駅からは歩いて17分ほどのため、のんびり歩いて向かうのもよいですね! 各最寄駅からは、世田谷美術館行きのバスが出ているため、事前に時間をチェックして利用するのがおすすめです。 世田谷美術館の館内には、ロッカーが完備されています。 チケット窓口近くには、大きな荷物は預けて美術鑑賞するよう促す案内もあるため、チケット購入後に大きな荷物はロッカーにしまってから展示室に向かいましょう。 ロッカーは100円が必要ですが、返却されるタイプのため無料で利用できます。 今回訪れた「北川民次展―メキシコから日本へ」は、1階展示室にて開催中。 館内の撮影は基本的に禁止されているようでしたが、本企画展については写真撮影OKの案内がありました。 企画展では、油彩約60点、水彩・素描・版画など約50点に加え、1920~1930年代メキシコの多様な芸術活動の動きが分かる資料、当時北川が親睦を深めていた芸術家たちの作品も展示しており、合計約180点を鑑賞できます。 北川民次が生涯を通して何を見つめ表現をしていたのかを考えさせてくれる約30年ぶりの回顧展です。 たくさんの作品とメキシコ芸術の歴史的な資料に触れ、北川が何を思い絵を描いていたのかを想像してみましょう。 テーマごとに違う側面を見せる、北川民次の作品たち 「北川民次展―メキシコから日本へ」は、5つのテーマから構成されており、異なる魅力をもった作品が数多く展示されています。 1.民衆へのまなざし 2.壁画と社会 3.幻想と象徴 4.都市と機械文明 5.美術教育と絵本の仕事 各テーマにおいて、作品を通して北川が多くの人に何を語りかけていたのかを想像しながら、企画展を見ていきましょう。 第1章:民衆へのまなざし 北川民次の作品には、常に市井の人々への深いまなざしが感じられます。 社会情勢に翻弄されながらも力強く生きる民衆の姿がテーマとなった数多くの作品からは、時代を超えた人間の普遍的な強さや美しさを感じられるでしょう。 『トラルパム霊園のお祭り』1930年/油彩/キャンパス 一つの絵に、生と死の2つを主題として取り入れた作品で、単なる描写により描かれたのではなく、北川の見方や考えを取り入れている点が新しい試みです。 北川は、1914年ごろから渡米してニューヨークの劇場で働きながら美術学校で絵を学んでいました。 そのころに社会派の画家ジョン・スローンのもとで学んだのが、民衆を描くことと、物事をリアリスティックに捉える意識でした。 リアリスティックとは、見たままを描くのではなく、モチーフの本質を見極め絵に表現する姿勢です。 生の象徴である「赤子」と死を連想させる葬列を一つの画面に収めた『トラルパム霊園のお祭り』では、リアリスティックの姿勢が分かりやすく表現されていますね。 他にも、先住民の伝統と西欧的な白人社会との関係性を表現した作品や、日本の軍国主義に踊らされる民衆を描いた作品なども展示されており、北川が社会の暗部や矛盾を鋭く見つめ、批判的な作品として反映してきたことが分かります。 第2章:壁画と社会 1920年代メキシコで盛んになっていた「壁画運動」に影響を受けた北川は、日本へ帰国後に壁画を思わせるような壮大かつメッセージ性の強い作品を多く残しています。 視覚的な美しさだけではなく、社会や人間に対する深い洞察が反映された作品を観ていると、多様な社会を生き抜く人々の個々の存在を強く感じられます。 『タスコの祭』1937年/テンペラ/キャンバス 『タスコの祭』は、『メキシコ三童女』とともに、第24回二科展に出品された作品です。 作品を鑑賞して気になったのが、『タスコの祭』とおめでたいイベントをイメージさせるタイトルであるのに対して、登場人物たちの表情がどこか沈んでいるように感じられる点です。 一般的にお祭りというと、楽しげで賑やかな雰囲気を思い浮かべますが、この作品では薄暗い背景が広がり、人物たちの表情は喜びや歓声とは呼べないもののように感じられます。 画面の右上には楽器を演奏する人々が集まっているものの、表情が明るいとはいえません。 特に、しゃがんでお祭りの様子をじっと見つめるおじさんの視線が印象に残りました。 また、右奥の背景に小さく描かれた人物の中には、手を上げて楽しそうに走っている人の姿も見えます。 大きく描かれた喜びの表情が乏しい人々と、遠くではしゃぐ人の姿が作品全体に不思議な空気を与えていると感じられました。 独特な雰囲気の背景には、タスコという街がかつて銀鉱山で栄え、メキシコ革命という激動の時代を経験した歴史が影響しているのかもしれません。 表面的には賑やかな祭りの光景であっても、歴史の暗い影や社会の複雑な現実が北川の視点を通して描き出されているように思えます。 と、さまざまな想像を掻き立てられる作品で、とても印象に残りました。 第3章:幻想と象徴 北川は、時に幻想的で象徴的な要素を含んだ作品も作成していました。 時代の流れに抗うかのような力強さを感じさせてくれる作品や、現実の枠組みを超えた世界へと誘うような作品など、現実描写にとどまらず、より深い哲学を観る者に問いかけてくるようです。 『メキシコ静物』1938年/テンペラ/キャンバス 『メキシコ静物』を鑑賞した際、その独特で異様な雰囲気が目を引きました。 単なる静物画の枠を超え、シュルレアリスムやダダの影響を感じさせる、夢幻的で不思議な世界観を持っているようでした。 特に、ジョルジョ・デ・キリコの作品に見られるような、時間や空間の感覚が歪んだような感覚が漂っており、現実と幻想の境界が曖昧に感じられるのが印象的です。 静物画のモチーフとしては、一見日常的なものが描かれているのですが、その配置や色彩、影の使い方が非常に異質で、どこか不気味さを感じさせます。 北川の『メキシコ静物』は、静物画でありながらも、シュルレアリスムの影響を受けた独特の世界観を持ち、鑑賞者を非日常へと誘う作品だと感じられました。 『岩山に茂る』1940年/テンペラ/キャンバス 『岩山に茂る』を鑑賞した際、まず目に飛び込んできたのは、うねる植物の異様な姿でした。 植物とはいいますが、一般的にイメージするような緑色ではなく、薄茶色や肌色に近い色調で描かれており、まるで苦悩し、悶える痩せ細った人間の姿を連想させます。 細かく描かれた木の幹や枝のシワが、痩せた人間のあばら骨のように見えるため、生命力に満ちた植物というよりも、飢えた人間の身体を象徴しているかのようです。 さらに、細く垂れ下がるつるが髪の毛を思わせ、全体的に人間的な要素を感じさせる描写が多いように感じられました。 また、左下に描かれた緑の植物と小さく咲く花が、この暗い世界の中における一筋の希望を象徴しているかのようです。 痩せ細った植物の中で唯一、命の力強さを感じさせる部分があり、作品全体の中で儚くも確かな光として存在感を表していました。 貧困や飢え、戦争などあらゆる困難にも希望があることを、この小さな花が語りかけているように感じました。 第4章:都市と機械文明 北川は、急速に近代化する社会の中で、機械文明に対しても鋭い視点を持っていました。 産業化が進む風景や機械化する都市を描いた作品には、機械と人間の共存やその影響を考察する姿勢が見て取れます。 『赤いオイルタンク』1960年/油彩/キャンバス 工業化された風景と存在感を放つ赤いオイルタンクが印象的な作品です。 瀬戸の陶磁器産業が時代の変化とともに登り窯から石炭窯、そして重油窯へと移行するなかで、北川はその風景の変貌を鋭い視点で捉えているように感じられます。 煙突から立ちのぼる黒い煙と、重く垂れこめる灰色の雲は、工業化がもたらす公害や環境問題に対する北川の批判的な視点を感じさせます。 産業化によって変わりゆく瀬戸の景色は、かつての自然との調和から、より無機質で冷たさを感じさせるものへと変わっていったのかもしれません。 また、この作品には人や動物が一切描かれていません。 北川の他の風景画では、よく人物が描かれていることが多いのに対し、この作品では完全に無機質な工業の風景のみが描かれています。 「無人」の風景は、時代の変遷と共に変わりゆく瀬戸と、その中で失われていく自然や人間との繋がりなどへの北川の静かな怒りや哀愁を感じさせていました。 第5章:美術教育と絵本の仕事 北川はメキシコ時代に、現地の大人や子どもたちに表現の機会を提供する「野外美術学校」で教師として活動していました。 戦時中には絵本の制作にも熱心に取り組み、戦後は日本でも美術教育に力を入れます。 『老人』1932年/油彩/キャンバス この作品に描かれているのは、トラルパンの野外美術学校の生徒であったドン・ペドロ・ラミレスです。 北川が「信心深く、人の良い老人」と評したペドロの人物像とは対照的に、この絵の中の老人は寂しげで、どこか悲しみを内に秘めているように感じられます。 北川が語る「子どものような純粋さ」を持つペドロの印象と、絵の中で表現されたペドロの表情の違いは、彼の内面的な葛藤や、これまでの人生の苦労を反映しているのかもしれません。 彼の眼差しにはその純粋さだけでなく、人生の重みや、長い年月を経て抱え込んだ深い感情が映し出されているのではないでしょうか。 『老人』は、北川の観察を通じて、人間の多面的な姿を描き出すとともに、内面に潜む葛藤や苦労を静かに表現した作品という印象を受けました。 https://daruma3.jp/kaiga/239 メキシコにちなんだグッズも! グッズショップでは、定番のポストカードはもちろんのこと、今回の企画展のテーマにちなんだメキシコ雑貨や工芸品も販売されています。 メキシコのオトミー族による手織物や手刺繍も販売されており、独特なデザインと鮮やかな色彩が魅力的です! メキシコの魅力が盛り込まれており、色鮮やかな雑貨や、美味しいコーヒーや紅茶、そしてチョコレートなども販売されています。 ぜひ、北川民次が愛したメキシコの風土や文化に触れてみてはいかがでしょうか。 企画展とあわせてオリジナルグッズのチェックも楽しみましょう! 展示にちなんだイベントチェックも欠かせません 世田谷美術館で開催されている「北川民次展―メキシコから日本へ」に関連して、企画展とコラボした魅力的な期間限定メニューを楽しめます! 美術館に併設されたカフェや近隣のお店が、北川民次が過ごしたメキシコをテーマにした特別な料理を提供しています。 美術館の併設レストラン「セタビカフェ」では、メキシコ風の軽食として「トルティーヤチップスとディップソース」を提供。 サクサクとしたトルティーヤチップスにお好みのディップソースを合わせ、お酒のおつまみや小腹がすいたときの軽食にぴったりです。 美術館の併設レストラン「ル・ジャルダン」では、メキシコの代表的な料理「ブリトー」や「ケサディーヤ」が期間限定で登場します。 これらは、北川民次がメキシコで実際に味わっていたかもしれない料理。 たっぷりの具材を包んだブリトーや、チーズとトルティーヤの絶妙なコンビネーションが楽しめるケサディーヤで、北川が過ごした時代のメキシコに思いを馳せてみては。 「北川民次展―メキシコから日本へ」で作品制作の思いを知ろう 世田谷美術館で開催されている「北川民次展―メキシコから日本へ」は、民衆を見つめ続けた芸術家、北川民次の作品を通じて、彼の人生と芸術に触れる貴重な機会です。 北川はメキシコと日本という異なる文化を舞台に、社会の変化や民衆の姿を鮮やかに描き続けました。 彼の多様な作品群は、時代を超えて見る者の心に訴えかける力を持っています。 この機会に、ぜひ世田谷美術館を訪れて、北川民次の世界を体感してみてください。 開催情報 『北川民次展―メキシコから日本へ』 場所:〒157-0075 東京都世田谷区砧公園1-2 期間:2024/9/21〜2024/11/17 公式ページ:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/ チケット:一般1,400円、65歳以上1,200円、大高生800円、中小生500円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください https://daruma3.jp/kottouhin/682
2024.09.26
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ヤノベケンジ(1965年- )現代芸術作家、京都芸術大学教授 [日本]
芸術に漫画・アニメ・特撮映画などを取り入れた「ヤノベケンジ」とは ヤノベケンジが制作する作品は、ユーモラスがあり、子どもから大人まで親しみのもてる作品でありながらも、その奥には社会的メッセージが込められています。 多くの作品は、ヤノベケンジが構想を練った壮大なストーリーにもとづいて作成されており、そのストーリー性が、人々を魅了する要因の一つともいえるでしょう。 幼いころに大阪万博会場跡地で遊んだ体験が原動力に ヤノベケンジを創作の道へと突き動かさせたのは、幼いころに遊んだ大阪万博会場跡地での経験といわれています。 ヤノベケンジが6歳で大阪府茨木市に引っ越してきたときには、すでに大阪万博は終了し、跡地は再利用の計画が頓挫し更地工事が続いている状況でした。 大阪万博跡地でみた近未来的なパビリオンの残骸や、巨大ロボットが放置されているお祭り広場で遊んだヤノベケンジは、未来の廃墟をイメージしたそうです。廃墟と聞くと、寂しい気持ちや悲しい気持ちになりそうですが、ヤノベケンジはむしろこの場所から何でも創り出せると胸が高鳴ったのを覚えているそうです。 このできごとをきっかけに、子どものころから特撮に夢中になり、怪獣のイラストを描いたり造形したりしてSF雑誌『宇宙船』に投稿していました。 ユーモラスな作品を次々に制作していく 1989年に京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻を卒業後、ヤノベケンジは短期留学で、イギリスの国立大学であるロイヤル・カレッジ・オブ・アートへ行き、その後1991年に京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了しています。 ヤノベケンジは、1990年に京都のアートスペース虹にて、生理食塩水を入れたタンクの中に鑑賞者が浸かり瞑想する体験ができる『タンキング・マシーン』を制作しました。 この作品は、第1回キリンプラザ大阪コンテンポラリーアワードで最優秀作品賞を受賞しています。 1992年には、水戸芸術館で個展「妄想砦のヤノベケンジ」を開催し、美術館に住み込んで「サバイバル」をテーマに、放射能汚染された環境でも生き抜ける機能を備えたユーモラスのあるデザインのスーツや、サバイバル用の機械一式、それらを収納して移動するための車などを発表しました。 以後、ヤノベケンジは「サバイバル」をテーマに、世界の終末のような環境下でも使える機械彫刻シリーズの制作を続け、1994年以降は拠点をベルリンに移して、欧米でも精力的に活動を続けました。 海外では、日本のサブカルチャーと関連して取り上げられることが多く、大きな注目を浴びています。 「アトムスーツプロジェクト」でチェルノブイリを訪問 1990年代の後半から、史上最後の遊園地計画「ルナ・プロジェクト」の構想を練り、その一環として「アトムスーツプロジェクト」をスタートさせました。 どこか鉄腕アトムを思わせる、ガイガーカウンター付き放射能感知服を制作・着用し、チェルノブイリ原発やその周辺の放置された都市の廃墟を歩き回ります。 また、スーツを着用して大阪万博跡地にある万博記念公園や砂漠、海岸なども歩き回り、幼いころに感じていた未来の廃墟への時間旅行を行いました。 チェルノブイリの激しい放射線量や開催後30年を経て朽ちていく様子、遊園地や保育園、軍用車の残骸など、現実の廃墟を目のあたりにしたヤノベケンジは、そこで生きる人々たちとの出会いや体験を通して、以後「廃墟からの再生」をテーマにした作品制作に移行していきました。 チェルノブイリの保育園でみた人形と大阪万博跡地の廃墟でみたロボットからインスピレーションを受け、大型ロボットや子どもの命令のみによって歌い踊り火を吹く巨大な腹話術人形型ロボットなどを制作します。 また、2003年には、大阪万博の美術館であった国立国際美術館にて集大成的展覧会『メガロマニア』を開きます。 解体されたエキスポタワーの朽ち果てた展望台の一部分を使用し、展望台内で生えていた苔を生育する作品の制作も行いました。 精力的な活動でさまざまな領域に表現を広げていく ヤノベケンジは、1990年に芸術家としての実質的なデビューを果たし、約30年間創作活動を続けてきています。 移り変わっていく社会の状況をみながら、彫刻や絵画、インスタレーション、絵本、映像、CG、映画、舞台など、表現の幅を広げその時々にあった創作活動を行っています。 また、イッセイ・ミヤケ、パパ・タラフラマ、ビートたけし、宮本亜門、増田セバスチャン、堀木エリ子など、さまざま分野で活躍しているクリエイターやアーティストともコラボを果たし、多くの芸術を創作してきました。 近年は、全国各地に巨大彫刻やパブリックアートを設置し、作品が一般の人々の目に触れる機会も多くなっています。 年表[ヤノベケンジ] 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1965年(昭和40年) 0歳 大阪府茨木市に生まれる。 1989年(平成元年) 24歳 京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻を卒業。 1990年(平成2年) 25歳 作品『タンキング・マシーン』を発表。第1回キリンプラザ大阪コンテンポラリーアワード最優秀作品賞を受賞。 1991年(平成3年) 26歳 京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。 1992年(平成4年) 27歳 水戸芸術館で個展「妄想砦のヤノベケンジ」開催。サバイバルマシーンのコンセプトを発表。 1994年(平成6年) 29歳 ベルリンに移住し、活動拠点を置く。 1997年(平成9年) 32歳 「アトムスーツプロジェクト」を開始。チェルノブイリ原発や万博記念公園で撮影を行う。 2003年(平成15年) 38歳 国立国際美術館で展覧会「メガロマニア」を開催。大阪万博のエキスポタワーの一部を使用した作品を展示。 2005年(平成17年) 40歳 豊田市美術館で個展「KINDERGARTEN」を開催。大型ロボット『ジャイアント・トらやん』などを発表。 2011年(平成23年) 46歳 東日本大震災と福島第一原発事故の影響を受け、『サン・チャイルド』を制作。 2012年(平成24年) 47歳 福島市や茨木市に『サン・チャイルド』像を設置。 2016年(平成28年) 51歳 第29回京都美術文化賞を受賞。 2018年(平成30年) 53歳 福島市に設置された『サン・チャイルド』が、批判を受け撤去される。 2021年(令和3年) 56歳 岡山県倉敷市の大原美術館で作品『サン・シスター(リバース)』を一般公開。 ヤノベケンジの作品が鑑賞できる展示・イベント
2024.09.10
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東郷青児(1897年-1978年)画家[日本]
日本最初期の前衛絵画を描いた「東郷青児」とは 東郷青児 生没年:1897年-1978年 東郷青児は、夢見るような甘い女性像を描き人気を博した日本の洋画家で、昭和の美人画家として、戦後の日本で一世を風靡しました。 絵画作品だけではなく、本や雑誌、包装紙などにも作品が使われ、多くの人に親しまれていました。 詩人画家・竹久夢二の雑貨店で働く 東郷は、鹿児島県鹿児島市に生まれ、幼いころに家族で東京に引っ越しており、小学校の同級生には洋画家の林武がいました。 東郷は、中学時代から絵画を学んでおり、中学4年のころに出会った画家で詩人の竹久夢二の作品に感動し、青山学院中等部を卒業すると画家を志すようになりました。 夢二に憧れを抱いた東郷は、17歳で夢二の雑貨店「港屋絵草紙店」で働き始めます。 このお店は、恋多き夢二が唯一籍を入れた女性、たまきのために開かれたお店で、たまきは一回り以上年の離れた東郷を弟のようにかわいがり、夢二の写しの手伝いを東郷にお願いしていました。雑貨店で写しをして技術を磨いていった東郷の美人画には、夢二の影響を受けているであろう特徴が見受けられます。その後も、東郷は女性美への探求を続けていくのでした。 前衛的なピカソ・女性的な作風のラファエロから影響を受ける 東郷が18歳のころ、東郷の才能に気づいた作曲家の山田耕筰から支援を受け、絵画の世界へと進んでいきます。耕筰は、作曲家として活動していましたが、当時のヨーロッパ絵画の最先端を研究していた人物でもありました。 その後、有島生馬に師事し、18歳のときに開催した初個展では、未来派風の前衛的な新人として注目を集めています。翌年、19歳で二科会に初出品した『パラソルさせる女』が二科賞を受賞し、才能を開花させていきました。 20代になるとヨーロッパへ留学し、東郷の作風に大きな影響を与える転機が訪れます。 東郷は、20世紀最大の画家と評されるピカソや、エコール・ド・パリの代表的な画家といわれていた藤田嗣治らと交流する機会を得て、画家として新しい学びや影響を受けました。 また、ピカソの前衛的な芸術だけではなく、ミケランジェロをはじめとした古典芸術にも深く感銘し、ヨーロッパにいる間にキュビズムや未来派、シュルレアリスムなど、さまざまな芸術を吸収し、独自のスタイルを確立させていきました。女性的で優美な作風が特徴のラファエロにも影響を受けており、東郷独自の美人画を描くベースとなったともいえるでしょう。 帰国後は、震災から復興した東京を彩るモダニズム文化の流れに乗り、絵画だけではなくさまざまな分野で活躍していきます。 1935年前後からは、洋画家の大先輩である藤田嗣治と大画面の装飾画に挑み、百貨店や画商から毎年のように個展開催の依頼がくるようになりました。 1960年代からは、二科会の交換展のために毎年世界各国を訪れるようになり、同時にこれまでのスタイルを変化させ、盛り上がった絵の具と荒々しいタッチで抽象画にようなデフォルメを取り入れていきました。 また、アフリカやアラブ諸国、南米などの風俗をモチーフに取り入れ新しいスタイルを生み出していきます。 64歳になると二科会会長に就任し、72歳のころにフランス政府から「芸術文化勲章オフィシエ」を授与されます。 さらに翌年、日本でも「勲三等旭日中綬章」を受章するなど、画家としての地位を確立させていきました。 洋菓子店の包装紙のデザインも手がける 東郷は、絵画だけにとどまらず、さまざまな分野でデザインの才能を発揮しました。 挿絵や洋菓子の包装紙、化粧品のパッケージ、マッチ箱、本の装丁など、あらゆる製品のデザインを手がけています。 東郷のアートは身近なものにも組み込まれ、多くの人に愛されました。特に、洋菓子店の包装紙はファンの間で人気が高く、ブックカバーや栞として利用する人もいたそうです。 2007年に閉店した吉祥寺の老舗喫茶店「ボア」では、包装紙だけではなくケーキの箱や店の名前、ロゴに至るまで東郷がプロデュースしたことで知られています。 また、小説家の谷崎潤一郎とコラボし、谷崎の耽美的な言葉と東郷の柔らかな曲線の美人画が融合した作品も制作しています。画業だけではなく、フランス文学の翻訳や小説の執筆など、幅広い分野で活躍を収めました。 芸術のデパートと呼ばれる芸術家ジャン・コクトーが書いた小説『恐るべき子供たち』は、翻訳から挿絵、装丁まで東郷が担いました。 東郷青児が描く美人画の特徴 東郷の描く美人画は、「青児美人」や「東郷様式」などと呼ばれ、独自のスタイルを確立していました。 ヨーロッパ留学を得てさまざまな経験と刺激を受け、西洋絵画の伝統技法を融合させ時代の先駆けとなる、新しい女性の理想像を表現しました。 デフォルメされた艶やかな曲線や、限られた色数のみを用いたシンプルな色彩が、青児美人の大きな特徴といえます。 大胆な構図やフォルムは、ピカソからの影響を受けており、自信のある色以外は使わないという教えのもと、東郷は独自のセンスで女性を表現していきました。 東郷は、流行りのファッションにも敏感で、女性が着用しているトレンドアイテムを絵画に取り入れていました。 東郷の描く女性像には、着物から洋服、当時フランスで流行っていたモード系、世界各国の伝統衣装など、さまざまな衣装が着せられ、東郷の繊細な美意識が表現されています。 年表[東郷青児] 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1897年(明治30年) 0歳 4月28日、鹿児島県鹿児島市稲荷馬場町に生まれる。 1914年(大正3年) 17歳 青山学院中等部を卒業。この頃、竹久夢二の「港屋絵草紙店」に出入りし、下絵描きなどを手伝う。 1915年(大正4年) 18歳 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所で制作。日比谷美術館で初個展を開催。有島生馬に師事。 1916年(大正5年) 19歳 第3回二科展に『パラソルさせる女』を出品し、二科賞を受賞。 1920年(大正9年) 23歳 永野明代と結婚。 1921年(大正10年) 24歳 フランスに留学。国立高等美術学校に学ぶ。長男志馬が誕生。 1924年(大正13年) 27歳 ギャラリー・ラファイエット百貨店のニース支店とパリ本店で装飾美術のデザイナーとして働く。 1928年(昭和3年) 31歳 帰国し、第15回二科展に留学中の作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。西崎盈子と関係を持つ。 1929年(昭和4年) 32歳 愛人の西崎盈子と心中未遂事件を起こす。事件後、宇野千代と同棲。 1930年(昭和5年) 33歳 ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳し、白水社より刊行。 1931年(昭和6年) 34歳 二科会に入会。 1933年(昭和8年) 36歳 宇野千代と別れ、みつ子と同棲開始。 1934年(昭和9年) 37歳 麻雀賭博の容疑で警視庁に検挙される。 1939年(昭和14年) 42歳 みつ子との間に長女たまみ誕生。 1951年(昭和26年) 54歳 歌舞伎座用の緞帳を制作。 1957年(昭和32年) 60歳 日本芸術院賞を受賞。 1960年(昭和35年) 63歳 日本芸術院会員に就任。 1961年(昭和36年) 64歳 二科会会長に就任。 1969年(昭和44年) 72歳 フランス政府より芸術文化勲章オフィシエを授与される。 1970年(昭和45年) 73歳 勲三等旭日中綬章を受章。 1976年(昭和51年) 79歳 勲二等旭日重光章を受章。東京・西新宿に東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館)が開設される。 1978年(昭和53年) 80歳 4月25日、急性心不全により熊本市で死去。正四位、文化功労者追贈。
2024.09.10
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岡本太郎記念館 [東京都港区南青山]へ行ってみよう
岡本太郎をリアルに感じられる、元アトリエ兼住居の記念館 岡本太郎記念館は、岡本太郎が亡くなる1996年に84歳で亡くなるまでの42年間、実際にアトリエ兼住居として利用されてきたスペースです。 パートナーである岡本敏子が、次世代の人々に岡本太郎とその芸術を伝えたいとして、亡くなってわずか2年後に記念館として開館しました。 かつてモダニズム建築を実践した建築家の坂倉準三が設計した旧館はそのままに、隣接する木造2階建ての書斎や彫刻アトリエを新築し、展示棟を建て直しました。 現在、記念館としてアトリエやサロン、庭を公開しており、2階の企画展示室では、たびたび企画展を開催しています。 日本万国博覧会に飾られた『太陽の塔』をはじめとしたさまざまな巨大モニュメントや壁画などの構想を練り、制作していたアトリエには、今も太郎の爆発的なエネルギーが満ちているでしょう。 展示 岡本太郎記念館は2階建てになっており、1階のサロンとアトリエは、常設展示室として利用されています。 建物に入ってすぐ右手側の通路を進むと、1954年に建てられた自宅兼アトリエにつながります。 サロンは、かつて岡本太郎が来客を応対をしたり、取材を受けたりしていた場所です。 実際に利用されていた当時から、岡本太郎の作品が飾られていました。 アトリエには、床に飛び散った絵の具や、デスクの上に散らかった画材道具などが、岡本太郎が実際に使っていた当時のまま残されているのが特徴です。 しばらく眺めていると、何事もなく岡本太郎が現れ作品制作を行いそうなほど、自然な状態で残っています。 2階は企画展示室となっており、さまざまなテーマで年間を通して企画展を実施しています。 テーマごとに展示される作品が変わるとともに、雰囲気も一新されるため、何度来館しても新鮮な気持ちで展示を楽しめるでしょう。 庭も展示スペースの一つとなっており、遊び心溢れた空間が広がっており、オブジェと緑に満ちた空間では、作品に触ったり座ったりできます。 名古屋の久国寺に依頼されて制作した梵鐘『歓喜の鐘』の模型は、木づちが用意されており、実際に鳴らして音色を楽しむことも可能です。 実際の『歓喜の鐘』よりもサイズが小さいため、高く澄んだ音がします。 本物の音色を聞いたことがある人は、聞き比べてみるのもよいでしょう。 ミュージアムショップには、100冊以上の関連書籍や岡本太郎の作品をデザインしたさまざまなグッズが販売されています。 グッズ目当てで訪れるファンの方もいるそうです。 コレクション 岡本太郎記念館では、主に未完成作品やマルチプル、そのような作品のスケッチ、関連資料などが収蔵されています。 『坐ることを拒否する椅子』 『こどもの樹』 『岡本太郎の等身大マネキン』 なお、岡本太郎が制作した完成品のほとんどは、川崎市の岡本太郎美術館に寄贈されています。 特徴/ここがオススメ 岡本太郎記念館は、すべての場所で自由に写真撮影ができます。 サロンに設置されている等身大の岡本太郎マネキンとも記念撮影が可能です。 ただし、作品保護のため、館内でのフラッシュ撮影は禁止されているため注意しましょう。 館内の作品は、見て楽しむものですが、庭に飾られているオブジェたちは触れたり座ったりして楽しめます。 岡本太郎が制作した作品に触れてみて、さらには一緒に写真撮影をして、岡本太郎の芸術性に対する理解をより深めていけるでしょう。 美術館情報 岡本太郎記念館 住所:〒107-0062 東京都港区南青山6-1-19 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/SHfJuFYGcLaY3KRJ6 アクセス:銀座線・千代田線・半蔵門線 表参道駅より徒歩8分 ほか 開館時間:10:00~18:00(最終入館17:30) 休館日:火曜日※祝日の場合は開館 年末年始(12/28~1/4) ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 岡本太郎記念館の展示・イベント
2024.09.10
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オディロン・ルドン(1840年-1916年)画家[フランス]
象徴主義絵画をけん引した「オディロン・ルドン」とは オディロン・ルドン 生没年:1840年-1916年 オディロン・ルドンは、フランスの象徴主義を代表する画家で、モノクロの作品が多かったことから「黒の画家」とも呼ばれていました。 ルドンの作品は、1884年にジョリス=カルル・ユイスマンスが書いた小説『さかしま』で取り上げられたことで注目を集めるようになっていきました。 15歳ごろから本格的に素描を学ぶ ルドンは、南フランスのボルドーの街で、裕福な家庭に生まれました。 身体が弱かったルドンは、その後ボルドーから30kmほど離れた田舎町ペイル=ルバードへ里子に出され育ちます。 幼いころから素描を描き始めており、10歳のときには学校で素描の賞をもらっています。 15歳のとき、地元の水彩画家であるスタニスラス・ゴランから本格的に素描を学び始めました。 絵を描くことが好きだったルドンですが、父は画家に反対し建築家になることを勧めていたため、建築家を目指すことに。 1862年、22歳の秋、ルドンはフランスの美術学校であるエコール・デ・ボザールの試験を受けますが、不合格となり建築家への道をあきらめます。 再び画家を目指し始めたルドンは、1864年に新古典派の画家ジャン=レオン・ジェロームのもとで絵を学びますが、アカデミックな教育があわず翌年に帰郷しました。 終戦後はパリで芸術活動を開始する 故郷のボルドーに帰ってからのルドンは、彫刻制作を始めるとともに、フランスの版画家ロドルフ・ブレダンのもとで版画やエッチングを学びました。このころから「黒」のカラーがもつ無限の可能性に着目し、自身の木炭画や版画を「ノワール(私の黒)」と呼び、黒を用いた独創的な作品を描くようになっていきました。 普仏戦争が勃発してからは、芸術活動を一時中断し従軍しますが、1871年末に病気のため戦線離脱。終戦後は、素描家を目指し再びパリに移住し、芸術活動を再開させます。移住当時は、木炭を使った素描をメインに活動を進めていましたが、サロンでリトグラフの技法を学び、木炭画とリトグラフを主軸として芸術活動を進めていきました。 1879年、初の石版画集『夢の中で』を刊行。 発行部数は25部と少ないものですが、職業画家としての記念すべき第一歩の作品といえるでしょう。 その後、ルドンは石版画集や単独絵画作品を数多く手がけ、グラフィック画家として活躍の場を広げていきました。 象徴主義の画家として注目を集める 1890年代、ルドンはノワールではなく、パステル画や油彩画を好んで描くようになりました。 1894年、老舗のデュラン・リュエル画廊にて大規模な個展を開催し見事成功をおさめ、象徴主義の画家としての地位を確立させていきました。 1899年、同画廊にてナビ派やシニャックを含む若い画家たちが、尊敬の意を込めてルドンを迎え、グループ展を開催し、ルドンはナビ派として紹介されます。 当時、象徴主義が注目を集めていたことから、ルドンの作品は多くの若手画家たちの心を打ち、新しい絵画の先駆者として認識されるようになっていったのです。 ルドンは、若手画家たちと交流を深めていくようになり、その影響から絵画作品だけではなく室内装飾も手がけるようになりました。 装飾絵画から抽象絵画へ変化する 1899年、ルドンはロベール・ド・ドムシー男爵から、ブルゴーニュのセルミゼルにあるドムシー・シュール・レ・ヴォルト城のダイニングルームに飾るための装飾絵画の制作を依頼されました。 この装飾絵画17枚が、ルドンが制作した作品の中でも最も先鋭的といわれるものとなり、ルドンの作品が装飾絵画から抽象絵画へ移行するターニングポイントになりました。 また、ルドンはドムシー男爵に依頼され、夫人と娘のジャンヌの肖像画も描いています。 ルドンの芸術活動の特徴 ルドンは、夢や無意識下の幻想的で不思議な世界観をもった作品を多く制作しました。 幻想的でファンタジー性のある作品たちは、ルドンの死後、シュルレアリスムの先駆けとも評価されています。 多彩な画法を使い分けていた ルドンといえば、モノクロで描かれた木炭画を想像する人が多いのではないでしょうか。 しかし、得意としていた木炭画以外にも、パステル画や油彩画などへ表現方法を広げ、多彩な作品を制作しています。作品の色合いも、モノクロから色彩豊かなものに移り変わっていきました。 仏教やヒンドゥー教にも関心があった ルドンは、仏教やヒンドゥー教をはじめとしたさまざまな宗教にも関心をもっていたといわれており、それらの世界観を融合させた作品も多く制作しています。ルドン作品の幻想性や神秘的な世界観は、宗教の思想が影響しているとも考えられるでしょう。 ルドンは、若いころから植物学者であるアルマン・クラヴォーから読書の手ほどきを受けており、アルマンはルドンの精神的指導者でもありました。 アルマンから文学をはじめとし、最先端の科学や世界の多種多様な思想などを教わったことがきっかけで、東洋の思想にも強い興味を抱いたと考えられます。 20世紀はじめごろの10年間では、さまざまな宗教絵画が一つの作品に混ざりあった神秘的な作品を描いています。 代表的な作品には、『釈迦の死』、『釈迦』などがあり、東洋の宗教に強い影響を受けていることがわかりますね。 幻想的な世界観 ルドンが描く作品の大きな特徴は、無意識下を投影した幻想的な世界観をもっている点です。 当時、心理学者フロイトが唱えていた無意識の存在が世の中に広まっており、精神世界を投影したルドンの不思議な世界観の作品は、広く受け入れられたのです。 また、ルドンの画風は、19世紀後半のパリで巻き起こっていた反物質主義的な運動に後押しされ、写実主義や印象派へのアンチテーゼとしての評価も受けています。 退廃的な雰囲気 ルドンが制作した作品には、退廃的で暗い印象を受けるものも多くあります。その中でもとくに、モノクロのリトグラフ作品では、不安や絶望を思わせる印象の作品が多く残されています。 しかし、モチーフの表情をよく見てみると、どこか愛嬌のあるキャラクターに見えることも。 不穏な空気感を抱かせながらも、どこか人間としての温かみも感じられる不思議な世界観が、多くの人の心を惹きつけているのでしょう。 目と花をよく描いていた ルドンは、目と花に着目した作品をよく描いていました。 目に重きをおいた代表作の一つに『キュクロプス』があります。 キュクロプスとは、ギリシャ神話において卓越した鍛冶技術をもつ隻眼巨人として登場する下級神。凶暴で人を食らう恐ろしい人物像で知られていますが、ルドンが描くキュクロプスは、どこか寂しげな表情に見えます。 まるで、ルドン自身の内向的な性格をキュクロプスに反映しているかのようにも感じられるでしょう。 ルドンがよく花の絵を描いていたのは、若いころに植物学者アルマンのもとで学んでいたことがきっかけで、よく植物観察をしていたためともいわれています。 息子の死と誕生により作品に変化が ルドンは、若いころからモノクロのリトグラフや鉛筆画を多く制作していました。 しかし、49歳で次男のアリが誕生したころから、カラフルな作品も増えていったといわれています。 ルドンは、長男を半年で亡くしており、アリの誕生は大変喜ばしいことであったと考えられるでしょう。 アリの成長がルドンの生きがいになり、人生にも彩が生まれ、そのような色彩豊かな作品が増えていったのではと想像させてくれます。 しかし、アリも第一次世界大戦で生死不明となってしまい、76歳だったルドンはアリの行方を探すために各地を訪ねて回りました。 ルドンは、アリを探して回るなかで、風邪をこじらせ1916年にパリの自宅でその生涯に幕を閉じました。 ルドンが描いた色鮮やかな世界観は、息子アリをきっかけに始まり、終わったといえるでしょう。 [年表]オディロン・ルドン 西暦 満年齢 できごと 1840年 0歳 4月20日、フランスのボルドーで生まれる。本名はベルトラン=ジャン・ルドン。 1851年 11歳 ボルドー近郊の町ペイル=ルバードで、少年期を過ごす。 1860年 20歳 植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に影響を受ける。 1864年 24歳 パリでジャン=レオン・ジェロームに入門するも、数か月で辞め、ボルドーに戻る。 1870年 30歳 普仏戦争に従軍。 1872年 32歳 パリに定住。 1879年 39歳 初の石版画集『夢の中で』を刊行。植物学者アルマン・クラヴォーに捧げる。 1880年 40歳 クレオールの女性、カミーユ・ファルテと結婚。 1882年 42歳 新聞社ル・ゴーロワで木炭画と版画の個展を開催。石版画集『エドガー・ポーに』を刊行。 1886年 46歳 長男ジャンが誕生するが、半年後に夭折。 1889年 49歳 次男アリが誕生し、画風が明るい色彩を使うスタイルに変わる。 1904年 64歳 レジオンドヌール勲章を受章。 1913年 73歳 アーモリーショーにて1室を与えられ展示を行う。 1916年 76歳 7月6日、パリの自宅で死去。直前に消息不明だった次男アリの捜索に奔走していた。
2024.09.10
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移ろいゆく季節を楽しめる根津美術館の「夏と秋の美学」展に行ってみた
皆さんは、江戸琳派の異才・鈴木其一(1795年-1858年)を知っていますか? 彼は、江戸時代後期に活躍した琳派の絵師で、独自のスタイルを確立させ近代日本画に大きな影響を与えたといわれています。 今回は、そんな鈴木其一と琳派の作品を展示する根津美術館の「夏と秋の美学展」に行ってきました! 「夏と秋の美学展」は根津美術館にて開催 日本の夏から秋にかけて移ろいゆく季節の美しさを堪能できる「夏と秋の美学展」は、表参道駅から徒歩8分の都会にある根津美術館で開催されています。 根津美術館は、美術品鑑賞だけではなく、広い庭園を散策できる美術館でもあります。 庭園については、のちほどあらためて紹介します! 根津美術館は、入り口から館内に入るまでの廊下に竹がズラリと生えており、外観から日本の趣深さがあるすてきな美術館です。 開館10分前に到着しましたが、すでに入り口前には十数人の人が並んでいました! 美術品だけではなく、日本らしい外観や庭園があるためか、海外観光客と思われる人たちもたくさん待っていたのが印象的でした。 「夏と秋の美学展」のチケットは、日時指定の事前予約が可能です。 当日、予約をしている人としていない人で列が分けられ、予約している人たちが優先的に案内されるため、待つのが苦手な人は事前予約がおすすめです! 開館時間となり、さっそく館内に足を踏み入れてみると、目の前がガラス張りになった開放的な空間が広がっています。 展示室は1階と2階であわせて6つあり、「夏と秋の美学」展は、展示室1・2で行われています。 なお、展示の写真撮影は禁止されています。 写真撮影は根津美術館の庭園で楽しむのがお勧めです! 琳派作品を中心とした「夏と秋の美学」展の展示について 日本では、古くから春と秋の季節が好まれ、『古今和歌集』でもその偏愛が表れています。 しかし、江戸時代になると、夏と秋の組み合わせも目立ち始めたそうです。 暑い夏に力強く生きる生命と静けさが訪れる秋を対比する感性が、高まっていったといわれています。 「夏と秋の美学」展では、そんな季節感を表現した美術作品を通して、日本の伝統的な美意識がどのようなものだったのかに迫っていきます! 展示されている作品には、初夏から晩秋までの季節の移り変わりを描いたものが多くあります。 メインともなる鈴木其一の大胆な色使いや独特の筆致が光る作品も公開されています! また、琳派の祖・俵屋宗達の工房の優品も合わせて展示されており、夏から秋に移り変わる季節を美術の中でどのように表現してきたかを堪能できる企画展です。 作品は、以下5つのテーマに分けられ展示されていました。 ・夏のおとずれ ・真夏の情趣 ・夏から秋へ ・涼秋の候 ・秋の叢 また、この企画展では琳派作品だけではなく、歌川広重や冷泉為恭、上村松園、住吉広定など名だたる画家が描いた作品も展示されています。 季節の移り変わりをどのように表現しているのか、一つひとつの作品を鑑賞していくのもよいですが、琳派はとそれ以外で比較してみたり、制作された時代でどのように変わるか比較してみたりと、いろいろな楽しみ方ができますね。 冷泉為恭の『納涼図』では、親子と思われる3人が屋敷の一角で涼を取る姿が描かれており、はだけた着物が夏の暑さを象徴しているように感じられます。 また、着物のゆるさと、身をくつろがせる姿からは、現代にも通じる夏の過ごし方を思わせてくれますね。 「夏から秋へ」をテーマにした展示では、夏の花として白い百合がさまざまな作品に登場しているのが印象的でした。 暑い季節に咲く優雅で美しい白百合は、古くから多くの人々を魅了していたようですね。 白い百合が描かれている作品で、印象に残ったのが鈴木其一の『夏秋渓流図屏風』です。 くっきりとした色使いと大胆な構図で異彩を放っていました! 川の流れが鮮やかな群青で描かれ、植物は鮮やかな緑で表現されており、そのコントラストがとても強烈でした。 また、金色の線を用いて川の流れを表現しており、琳派ならではのデザイン的な要素が強く感じられる一方で、他の作品とは一線を画す独特の画風が印象に残っています。 濃い青や緑の背景に浮き上がるように描かれている真っ白な百合は、とても素敵に見えました。 また、右から左に視線を移すにつれて、枝に垂れ下がる枯れ葉が目に入ります。 枯れ葉はグラデーションで描かれ、ほかの植物や川の描写とは異なる繊細さが感じられました。 淡い黄色や橙色で表現された枯れ葉は、夏の終わりから冬の訪れまでの静かな自然の移ろいを表現しており、その繊細な色の変化は、季節の微妙な移り変わりを見事に捉えているようでした。 住吉広定の『舟遊・紅葉狩図』は、作品全体が「漢と和」「夏と秋」「男性と女性」といった対比で構成されている点が印象的です。 画面右側では、鮮やかな緑と青を背景に、日本らしい松の木と白い州浜が描かれ、女性たちが優雅に舟遊びを楽しんでいる姿が和の風情を漂わせていますね。 公家の女性たちが着物をまとい、静かに舟を漕ぐ様子は、穏やかな夏のひとときを象徴しているかのようです。 一方で、画面左側には、険しい崖を背に滝のように流れる川が描かれ、その荒々しい風景が中国の山水画を思わせます。 男性貴族たちが紅葉狩りを楽しむ様子が描かれており、秋の深まりを感じさせる紅葉と、滝の力強い水流が対照的に表現されています。 左右に配置された異なる季節と風景の対比が巧みに描かれており、色彩の鮮やかさやモチーフの違いが視覚的な楽しさを引き立てていると感じられました。 秋の叢というテーマで展示されていた2つの『武蔵野図屏風』も印象に残っています。 それぞれが秋の風景を象徴する美しさを異なる視点で描いていました。 No.27の『武蔵野図屏風』は、その独特な構図と表現がとても記憶に焼き付いています。 風景画では、よく山や川、海などが描かれるイメージがありますが、この作品ではそれらの要素が一切描かれていません。 屏風の下半分に、背の高い草が密集して生い茂っており、その中に風景の広がりを感じさせるものが一切なく、草むらが全体を覆っています。 さらに、よく目を凝らしてみると、濃密な草の間にぽっかりと浮かぶ丸い月が描かれています。 この月の描かれ方は特に不思議で、草の中に月が沈んでいくのではなく、草の上を転がっているかのように見えるのです。 月が空ではなく、草の中に「落ちている」ように見えるこの表現が、この屏風の独自性を際立たせています。 自然の中にある静けさと、奇妙な月の存在感が融合し、見る者に秋の深まりを感じさせるとともに、少し異世界に迷い込んだような感覚を味わわせてくれる作品でした! 一方、No.28の『武蔵野図屏風』は、屏風の右側には太陽、左側には月が描かれています。 の対比は、昼と夜、あるいは時の移ろいを表しており、自然のリズムを感じさせてくれますね。 太陽は叢の奥にゆっくりと沈み、月は奥からゆっくりと昇っていくような描かれ方をしており、これによって見る者は昼から夜へ、夏から秋への移り変わりを視覚的に体験できるのではないでしょうか。 根津美術館のみどころは美術作品だけではなく庭園にもある! 根津美術館の魅力は、貴重な美術作品だけではありません! 根津美術館の敷地内に広がる大きな庭園も魅力の一つです。 庭園内には順路がなく、自由に散策できるため、訪れるたびにルートを変えて異なる景色を楽しめます。 庭園内には、鎌倉時代の石仏や灯籠、中国の明時代のブロンズ像、韓国・調整時代の石塔や灯籠といった、初代根津嘉一郎が集めたコレクションが点在しており、精巧な美術品が散策中に突然目の前に現れる瞬間は、まるで異世界に迷い込んだかのような感覚を与えてくれます。 この異世界感には心を打たれるものがあり、まるで物語の一端に立っているかのような独特の景観は、ほかの日本庭園では味わえない特別な体験ではないでしょうか。 特に印象的だったのは「天神の飛梅祠」。 学問の神様である菅原道真にちなんだ「飛梅伝説」に基づいて名づけられたものだそうです。 飛梅伝説とは、左遷された道真を慕い、一夜にして太宰府まで飛んでいった梅の木の伝説です。 歴史的な背景を知ると、庭園の一つひとつのスポットにもより深い感慨を抱くことができますね。 また、根津美術館の庭園は、東京都内でも有数の紅葉の名所としても知られており、秋には美術展鑑賞とともに、色鮮やかな紅葉の庭園を楽しむために多くの人が訪れます。 庭園と美術が調和するこの場所は、まさに季節の美しさを五感で味わえる贅沢な空間です。 根津美術館の企画展に訪れた際は、ぜひ庭園散策もしてみてくださいね。 ミュージアムショップでは作品をデザインしたオリジナルグッズが販売されている 根津美術館のミュージアムショップでは、展示作品に関連した魅力的なグッズが数多く取り揃えられていました。 企画展の作品を印刷したポストカードやミニ屏風、折り畳み傘、オリジナルスカーフ、香り箱、扇子、クリアファイルなど、オリジナル商品が充実しており、ここでしか手に入らないアイテムが並んでいます。 特に注目したいのが、色鮮やかな染め布「更紗(さらさ)」をモチーフにしたグッズです。 更紗は、4000年以上前にインドで発祥し、大航海時代に世界中に広まった布で、ペルシャやエジプト、ヨーロッパ、東洋などで人気を集めました。 日本でも大名や茶人が愛した美しい更紗が、根津美術館で丁寧に再現され、スカーフやポーチなどのアイテムとして展開されています。 ミュージアムショップで販売されているグッズには、東洋古美術を中心に展示する根津美術館ならではのこだわりが詰まっており、お気に入りのグッズを購入することで展覧会の余韻を日常でも楽しめます。 「夏と秋の美学」は季節の移り変わりの美しさを思い出させてくれる企画展 「夏と秋の美学」展は、数百年も前に描かれた琳派や有名画家の作品たちが、今なお私たちに季節の移り変わりの美しさを感じさせてくれる素敵な企画展でした! 夏の爽やかな情景や秋の深まる風情が繊細に描かれた作品たちは、時を越えて夏から秋への季節の移り変わりの美しさを私たちに感じさせてくれます。 今回の企画展を通じて、絵画の中に息づく自然の美しさと季節の儚さをあらためて感じました。 また、日本の伝統美術の豊かさを再認識する貴重な機会となり、充実した美術鑑賞となりました。 根津美術館には、庭園を望めるNEZUCAFEが併設されています。 季節によって異なる表情をみせてくれる庭園の景色をガラス越しに眺めながら、おいしいフードとドリンクを楽しめます。 企画展を鑑賞した後は、庭園の景観を堪能しつつ、展示会の余韻に浸るのもおすすめです。 なお、NEZUCAFEの利用は美術館入館者のみとなっているため、美術鑑賞とあわせて楽しみましょう! 店舗情報 NEZUCAFÉ 根津美術館 https://www.nezu-muse.or.jp/sp/guide/cafe.html 開催情報 『夏と秋の美学展』 場所:〒107-0062 東京都港区南青山6-5-1 期間:2024/9/14~2024/10/20 公式ページ:https://www.nezu-muse.or.jp/ チケット: オンライン日時指定予約:一般1,300円、学生(高校生以上)1,000円 当日券(窓口販売):一般1,400円、学生(高校生以上)1,100円 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.27
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ヤノベケンジの妄想が爆発した「太郎と猫と太陽と」展に行ってみた!
皆さんは、現代アートシーンの風雲児「ヤノベケンジ」を知っていますか? オレンジの宇宙服のような潜水服のようなものを着た白い猫のオブジェを見かけたことがある人もいるのではないでしょうか。 猫が宇宙服を着るという摩訶不思議なオブジェを制作したのがヤノベケンジなのです! 今回は、岡本太郎記念館で開催されている「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」に行ってきました。 ヤノベケンジは、なぜ宇宙猫という不思議な生き物を生み出したのか、太陽の塔からどのような着想を得て制作にあたったのか。 岡本太郎記念館の中を縦横無尽に飛び回る『宇宙猫』を眺めながら、ヤノベケンジの原点となる岡本太郎の『太陽の塔』をオマージュした作品制作の背景に触れていきましょう。 岡本太郎の自宅兼アトリエだった岡本太郎記念館にて開催中 「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」は、南青山にあるかつて岡本太郎が自宅兼アトリエとして実際に使っていた岡本太郎記念館にて開催されています。ここは岡本太郎記念館ということもあり、岡本太郎が制作した作品もあらゆる場所に展示されており、建物内に入る前の庭スペースにもオブジェがところ狭しと飾ってありました! 2階のベランダには、ミニ太陽の塔が手すりに手をかけて外をのんびり眺めています。 2階から庭を眺めているのか、記念館に訪れる人を観察しているのか、そんなミニ太陽の塔に軽く会釈をして記念館に入っていきます! 入口入ってすぐ左の小さなカウンターにてチケットを購入します。スタッフの方に確認したところ、館内は写真撮影OKでミュージアムショップのグッズも撮影OKとのことでした。 また、館内は、もともと自宅兼アトリエであったからなのか土足厳禁。チケットを購入したら靴を脱いでスリッパに履き替え、作品を観ていきましょう! 「太郎と猫と太陽と」展の展示について 展示は、岡本太郎のサロン・アトリエスペースと2階上がってすぐの展示スペース、2階の奥にある部屋での映像上映スペース、庭スペースの4つに分かれていました。 展示のメインとなるのは『BIG CAT BANG』。 ヤノベケンジの壮大な妄想ストーリーである『BIG CAT BANG』は、初めタイトルを聞いただけでは「大きい猫が爆発する展示…?」とピンときていませんでしたが、オブジェたちやヤノベケンジが描いたスケッチ、さらにはヤノベケンジと岡本太郎、太陽の塔らの関係性の分かる映像上映を見ていくうちに、どんどんとストーリーに引き込まれていってしまいました! 『BIG CAT BANG』にピンときていない方、すでに理解していて展示を楽しめている方も、まずは映像上映を鑑賞すると、よりヤノベケンジや太陽の塔に対する知識を深められ展示を楽しめるかもしれません。 岡本太郎のサロン・アトリエに散らばる宇宙猫 1階入口入って右手側には、岡本太郎のサロン・アトリエがそのまま残されています。 岡本太郎が実際に制作をしていた空間を眺めていると、宇宙服を着た猫があちこちを飛び交っているのが目に入ってきます! 岡本太郎が制作したオブジェの上で、泳ぐような姿勢をみせる宇宙猫。 さらに、岡本太郎本人がシリコンに埋まって作ったといわれているマネキンの上にもちょこんと宇宙猫が! 腕をだらんと下げてくつろいでおり、岡本太郎になついているようにも見えますね。 サロンから奥に進むと、かつて岡本太郎が制作に没頭していたであろうアトリエがあります。 棚にはキャンバスが大量に置かれており、デスクの上には筆などの画材が大量に置かれていました。 そして、もちろん机の上にも宇宙猫が飛び交っていました! アトリエに残されているピアノの鍵盤の上にも宇宙猫が。 岡本太郎が残した芸術性にあわせて音楽を奏でてくれているのでしょうか。 サロンやアトリエを飛び交う宇宙猫はまだまだたくさんいます! ぜひ、企画展中に訪れて、岡本太郎の作品と宇宙猫がどのような配置で置かれて、どのような意味を持たせているのか、自分の目で見て妄想してみてください。 2階展示室の宇宙猫オブジェたち 2階の展示室に上がると、ヤノベケンジが制作した宇宙猫をメインに作品が展示されています。 まず目に飛び込んできたのは、黒い壁一面に描かれた宇宙船『LUCA号』と宇宙猫たちです! 太陽の塔をオマージュした宇宙船を中心に、周囲には宇宙猫が地球に生命の種をまき、人類の誕生をも守るシーンなどが描かれています。壁画の下側には、猫化した岡本太郎の姿もあります。 「始まりは爆発だ!」と叫んでいる岡本太郎あらため猫本太郎。 岡本太郎の名言「芸術は爆発だ!」をオマージュしたセリフと思われますが、芸術の衝動に突き動かされて創作を続けた天才芸術家岡本太郎と、地球の誕生を見届け衝動に突き動かされるまま地球に降り立ち、そこで生命を爆発的に繁殖・進化させていった宇宙猫を重ね合わせてこのセリフを使用したのかなと感じました。 また、今回は宇宙船『LUCA号』の内部が初公開となり、赤い内壁はよく見ると猫の顔の形をしています。 おびただしい数の真っ赤な猫の顔はどこか不気味さも感じられ、宇宙船の中心には金色の生命の種が! そのほかにも宇宙船『LUCA号』の一部分のオブジェや、『BIG CAT BANG』の絵をつなぎあわせた映像作品などさまざまな展示物があるため、ぜひ一つひとつのストーリーを妄想しながら鑑賞を楽しみましょう! 2階の映像上映と構想スケッチたち 2階展示室の奥の小部屋では、ヤノベケンジのプロジェクト映像が放映されていました。 内容は『太陽の塔、乗っ取り計画』『太陽の子、太郎の子』『インタビュー』の3本立てとなっており、ヤノベケンジをよく知らない方は、初めにこの映像を見てから作品を鑑賞すると、より理解が深まるのではと思います! ヤノベケンジと岡本太郎の関係性についても深く知ることができるでしょう。 また、プロジェクト映像を上映している部屋の壁一面には、これまでヤノベケンジが考えてきたアイデアのドローイングや作品がびっしり貼られています! 青い壁面が、地球や宇宙の神秘性を表しているようにも感じられ、わくわくするようなドローイングに不思議さが加わり、一つひとつの作品に魅了されてしまいました。 こちらの部屋には小さなイスがいくつか用意されており、座って鑑賞を楽しめます。映像も写真や動画撮影がOKで、多くの人が映像でヤノベケンジという人物像に触れながら、貴重な映像の撮影をしていました。 「インタビュー」の映像では、岡本太郎の「芸術は爆発だ」からインスピレーションを受けて、『猫大爆発』の展示作品を制作したことや、パンデミック後の憂いを払拭し、未来ある若い世代の人たちが、新しい未来を見つめるきっかけになればという気持ちをもって作品を制作していることなどが語られており、ヤノベケンジがどのような思いで作品を制作しているか、何をきっかけにプロジェクトを企画しているかなどが分かる映像になっています。 また、今回のメインテーマになっている宇宙猫と宇宙船『LUCA号』についても語られており、宇宙人である宇宙猫が地球に生命の種をまき、生命を育てていく過程のストーリーは、太陽の塔の生命の樹の前日譚として制作したそうです。 また、太陽の塔は燃料が切れて帰れなくなった宇宙船『LUCA号』の耳が落ちた残骸の姿であるとしています。 ストーリーについて知識を深めてからもう一度展示室の作品をみてみると、これまでとは異なる見方ができ2度楽しめるのではないでしょうか! 庭に君臨した迫力のある巨大宇宙猫 岡本太郎記念館の庭には、岡本太郎のオブジェがいくつも展示されていますが、今回庭の奥にはこれまでのシリーズで最も大きい『SHIP’S CAT』が展示されていました! 妖しく緑色に光る眼は、夜になるとその輝きがさらに妖しさを増し、宇宙猫が地球外生命体であることを思い知らせてくれるでしょう。 庭にももちろんミニ宇宙猫が飛び交っています。 巨大『SHIP’S CAT』にばかり目が行きがちですが、小さな宇宙猫たちもしっかり探してみてくださいね。 https://daruma3.jp/kaiga/332 ミュージアムショップにてヤノベケンジグッズも販売中 館内のミュージアムショップでは、ヤノベケンジのグッズもいくつか販売されていました。 今回の展示のメインである宇宙猫を正面にプリントしたTシャツも販売されており、キャラクター性がありながらもちょっとリアルな宇宙猫のデザインは、個性を出すのにぴったりですね! ほかにもサコッシュや絵本、フィギュアマスコットなども販売されていました。 岡本太郎グッズもあわせて販売されているので、セットで購入するのもおすすめです。 また、宇宙猫のミニフィギュアが手に入るガチャガチャも用意されていました! 1回500円と、グッズとしてはお手頃価格のため、何か一つ記念に持ち帰りたい…!という方は、記念にガチャガチャをするのもおすすめです。 ヤノベケンジの壮大なストーリー作品と岡本太郎との関係性が分かる企画展! 「太郎と猫と太陽と」展は、ヤノベケンジの壮大な妄想ストーリーである『BIG CAT BANG』の世界観が存分に楽しめる展示となっています! また、ヤノベケンジを創作の世界に駆り立てた岡本太郎の存在や、関係性などに触れる映像作品も鑑賞できるため、ヤノベケンジ本人はもちろん岡本太郎の人物像についても知識を深められるでしょう。 岡本太郎記念館で開催されたこの企画展は、奇想天外な発想が面白いと岡本太郎も喜んで天から見守っているのではないでしょうか。 もしかしたら、自分も一緒に参加して新しい芸術を爆発させたかったなんて思っているかもしれませんね。 キャッチーなオブジェたちがわくわくを生み出してくれるとともに、これからを生きるわたしたちに夢や希望を与えてくれる壮大な作品を鑑賞した後は、近くの南青山骨董通りにあるスターバックスで余韻に浸るのもおすすめです! 岡本太郎記念館を出て右に進むとある骨董通りにあるこちらのお店は、店内も広くカウンター席やテラス席もあるため、その日の気分にあわせて場所を変え、楽しむのもよいでしょう。 店舗情報 スターバックス 南青山骨董通り店 https://store.starbucks.co.jp/detail-410/ 「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」開催情報(岡本太郎美術館) 「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」 場所:岡本太郎記念館 住所: 東京都港区南青山6-1-19 Google map:https://maps.app.goo.gl/NMectzn7pHhERYqr9 期間:2024/7/12~2024/11/10 公式ページ:https://taro-okamoto.or.jp/ チケット:一般 650円(550円)、小学生300円(200円)※()内は15人以上の団体料金 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.26
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ひんやり涼しくなれる太田記念美術館開催の「浮世絵お化け屋敷」展!
皆さんは、浮世絵がどのような作品か知っていますか? 浮世絵とは、江戸時代から大正時代にかけて描かれていた風俗を題材にした絵画作品です。 憂き世に浮かれて楽しく暮らそうという意味を込めて、「浮世」の字が使われています。 浮世絵に描かれるジャンルはさまざまです! 武将を題材とした「武将絵」、美女をメインに描く「美人画」、風景に焦点を当てた「風景画」、歌舞伎役者を描く「歌舞伎絵」など、多彩な種類があります。 そして、今回、太田記念美術館で開催される企画展で展示される浮世絵の題材となっているのは、暑い夏にぴったりの「妖怪・お化け・幽霊」です! 今回は、太田記念美術館で開催されている暑い夏を涼しくする企画展「浮世絵お化け屋敷」に行ってきました! 暑い夏を涼しくしてくれる「浮世絵お化け屋敷」は太田記念美術館にて開催中 妖怪や幽霊などのお化けを描いた浮世絵は、近年人気を集めています。 荒れ果てた屋敷に棲みついた妖怪、無念を晴らすべく人を襲う幽霊、ユーモアたっぷりの憎めない妖怪など、浮世絵にはさまざまなお化けが登場します。 「浮世絵お化け屋敷」でも恐ろしい姿で人を怖がらせる妖怪や、ユーモラスな姿でくすっと笑わせてくれる妖怪まで、前後期あわせて174点が展示される、みどころ満載の展示会です! 初日の夕方16時ごろ訪れてみると、次々に美術館に入っていく人が! 17時に受付終了、17時半の閉館ですが、館内もまだまだ人がたくさんいました。 壁面に飾られた浮世絵たちを、順路に沿って見ていく形式ですが、どの展示室でも壁沿いにお客さんの列ができていました。 太田記念美術館は、原宿駅から近い場所にあるアクセスのよい美術館であるため、夏休み中は平日でも混雑が予想されます! 17時になり受付が終了した後は、徐々に人も減っていき、自由に見て回れるようになりました。 全体を鑑賞して、さらに気に入った作品をじっくり鑑賞したいと考えている方は、閉館30分前や開館直後など、人の少ない時間帯を狙いましょう! また、浮世絵は海外からの人気も高い日本伝統の絵画ジャンルだけあって、海外からのお客さんもたくさん来館していました。 「浮世絵お化け屋敷」のみどころ 太田記念美術館で開催されている「浮世絵お化け屋敷」では、さまざまな浮世絵師のお化けを描いた絵が展示されています。 歌川国芳や歌川国貞、月岡芳年など人気浮世絵師が描いた不気味で恐ろしい妖怪や幽霊の代表作も大集合します! ネットやポスターなどで見かけていた有名な作品を、生で鑑賞できるチャンスです! また、お化け屋敷ということで、恐ろしい妖怪や幽霊も描かれていますが、浮世絵によってはユーモラスで可愛らしい妖怪たちもたくさん登場します。 踊る猫又やゆるキャラのような姿の妖怪など、恐ろしいはずなのにどこか憎めない愛嬌のあるお化けに目を惹かれます。 「浮世絵お化け屋敷」では、怖カワな浮世絵を楽しみましょう! また、今回展示される作品の約2割が新収蔵品の浮世絵です。 これまで、太田記念美術館では何度か妖怪や幽霊をテーマにした浮世絵企画展を開催していますが、今までの企画展を見てきた人でも新たな作品に出会えます! 新たに収蔵された初公開作品は38点ありますので、繰り返し訪れたことがある人も足を運んでみましょう。 全11ジャンル!さまざまな妖怪・お化けたちが… 「浮世絵お化け屋敷」は、展示室内全体、全作品の撮影が禁止されていますので、間違って写真を撮らないよう注意しましょう。 1階展示室の始まりには、浮世絵とは何かを説明するポスターが掲載されているため、浮世絵を詳しく知らない方は、よく読んでから作品を鑑賞すると、より楽しみ方の幅が広がります! 展示は、以下11のジャンルに分けられ展示されていました。 ・不気味な屋敷 ・祟る怨霊たち ・怒れる亡霊たち ・哀しむ幽霊たち ・鬼 ・河童 ・天狗 ・土蜘蛛 ・狐 ・さまざまな妖怪たち ・慌てふためく人間たち 『和漢百物語 大宅太郎光國』月岡芳年/1865年 この作品は、大宅太郎光國が相馬の古内裏に潜入した際に、骸骨と遭遇したシーンを描いています。 相馬の古内裏と聞くと、歌川国芳の有名な『相馬の古内裏』を思い浮かべる人も多いでしょう。 この作品は、その『相馬の古内裏』と同じ物語のワンシーンを描いているのです! 国芳の浮世絵では巨大な骸骨が登場しますが、芳年の浮世絵では巨大な骸骨は登場しません。 その代わり、人よりも少し小さな骸骨が複数登場しており、大宅太郎光國を襲うわけでもなく、互いに戦いを繰り広げ、しばらくすると霧のように消えてしまったと作品紹介がされています。 「浮世絵お化け屋敷」展では、同じ物語を描いた作品が複数登場します。 一つひとつの作品の描き方や雰囲気、内容を見て楽しむのはもちろん、浮世絵師によってどのような描き方の違いがあるかを比較してみると、新たな発見ができるかもしれません! 前期の展示では、相馬の内裏をテーマにした作品が3つほど展示されていました。 骸骨のほかに、がまがえるや妖怪が登場する作品もあるため、見比べてみるのがお勧めです! 『東駅いろは日記』歌川国貞(三代目豊国)/1861年 この作品は、市村座で公演された「東駅いろは日記」に取材して制作された浮世絵です。 画面の中央には、大きな黒い影のような化け猫が墨で描かれ、闇の中で光る黄色い鋭い目が怪しげで恐ろしい雰囲気を醸し出しています。 中央にいる十三代目市村羽左衛門が演じる女性は、化け猫に身体を乗っ取られており、手足をくねらせるような姿勢が猫を連想させます。 この作品で、注目したいのが大きな化け猫ではなく、画面の手前で踊っている小さな猫又です。 手ぬぐいを被り軽快な踊りのポーズを決めている猫又がなんとも可愛らしく、恐ろしいワンシーンであるにもかかわらず、小さな猫又の姿を見て笑顔になってしまいました! 祟る怨霊たちをテーマにした浮世絵群では、四ッ谷怪談の絵が4つ、皿屋敷の絵が2つ(前期展示)と、同じ物語の作品が複数展示されているため、こちらも比較して見てみるとよいでしょう。 『新形三十六怪撰 四ッ谷怪談』月岡芳年/1892年 この作品では、毒を飲まされる前のお岩が、赤子と仲良く横になっている暖かなシーンが描かれています。 しかし、天井からは帯が垂れ下がり、蛇のようにうねっている様子も描かれており、この後の不穏な展開を予期させるような構成になっています。 『木曽街道六十九次之内 追分 おいは 宅悦』歌川国芳/1852年 この作品では、毒を飲まされ顔がただれて醜くなったお岩が描かれています。 一つ前の『新形三十六怪撰 四ッ谷怪談』と連続して展示されていて、別々の浮世絵師が手がけた四ツ谷階段の話がつながるよう展示に工夫がされていました。 作品の雰囲気を比較するとともに、つながったストーリーを楽しみながら鑑賞するのもよいですね。 怒れる亡霊たちをテーマにした浮世絵では、亡霊が雷を落としたり、大波を起こしたり、大蛇になったりと、さまざまな形で恨みを晴らす姿が浮世絵の中で表現されていました。 また、平知盛の亡霊がさまざまな作品に登場しているのが印象に残っています。 源義経に壇ノ浦まで追い詰められ、平家を率いていた平知盛は、最期を覚悟し入水。 平家は滅び無念の死を遂げた知盛の怨念がすさまじく、江戸時代でもインパクトのあるエピソードとなり、浮世絵の題材として用いられていたのではないでしょうか。 さまざまな妖怪たちをテーマにした浮世絵作品では、ワニやタコ、コウモリ、海坊主、古狸、真っ青な山姥、蛇など多彩な妖怪やお化けが描かれており、江戸時代の人たちがどのようなものに恐れを抱いていたかが分かります。 水の中や山の中を背景にした作品も多く、自然に対する脅威の感情を、潜在的に持ち合わせていたのではとも感じさせられました。 『越中立山の地獄谷に肉芝道人蛙合戦の奇をあらはし良門伊賀寿の両雄に妖術を授く』歌川芳虎/1852年 中央背景には、巨大なかえるを描き、それを従える、がまがえるの精霊・肉芝道人が妖術でたくさんのかえるを召喚させ、戦わせる様子が描かれています。 かえるたちは真剣に戦っているのですが、蒲の穂や蓮の葉を槍のように構えて戦う姿が可愛らしく見えてしまいました。 描かれた人物の真剣さに迫力を覚える一方で、背後に描かれた妖怪たちもキャラクター性が強く、ポップな印象を受けました。 『髪切の奇談』歌川芳藤/1868年 この作品で登場するのは、髪を切る妖怪「髪切」です。 夜中に突然出現し、女性の髪の毛を食いちぎる恐ろしい妖怪ですが、絵に描かれた髪切の姿は、二足歩行のずんぐりむっくりなまっくろい生物。 恐ろしくはありますが、どこか現代のゆるキャラのようなデザインにも感じられますね。 慌てふためく人間たちをテーマにした浮世絵では、妖怪のいたずらに慌てる人間たちの様子をユーモアたっぷりに描いている作品が多く、愉快な気持ちで楽しめました! 狸に化かされる人、真っ黒な獣に驚き悲鳴をあげて尻もちをつく女性、籠にいれた魚を幽霊にとられる人など、妖怪たちがどのようなドッキリを行っているか楽しみながら鑑賞しましょう。 『新形三十六怪撰 おもゐつつら』月岡芳年/1892年 舌切り雀の結末を描いたこちらの浮世絵では、葛籠から飛び出してきた妖怪たちの姿に驚いたお婆さんが尻もちをつく様子が描かれています。 ろくろ首や河童やかえるを思わせる緑色の妖怪とともに、宇宙人としても出てきそうなデザイン性の妖怪も登場しているのがみどころです! お土産にも!浮世絵モチーフのユニークなグッズたち 太田記念美術館は館内受付にて、「浮世絵お化け屋敷」展の作品全174点を掲載した展覧会ブックレットを販売しています。 A4サイズでカラーの全64ページとボリューム満載です! 今回の企画展の作品を気に入り、自宅でもう一度見返したいという方にお勧めです。 また館内の地下1階には、手ぬぐい専門店が併設されています。 伝統的な文様からモダンなデザインの手ぬぐいまで多彩なグッズを取り扱っているため、あわせて見てみるのもよいでしょう。 涼しげな空気を感じたいなら「浮世絵お化け屋敷」展を見に行こう 総勢174点の作品が大集合し、妖怪やお化けの恐ろしい姿で、暑い夏に涼し気な空気を送り込んでくれる「浮世絵お化け屋敷」展。 恐ろしいだけではなく、ユーモラスな妖怪やお化けもたくさん描かれているため、子どもと一緒に楽しめる夏休みにぴったりな企画展です! 前期と後期ですべての作品を入れ替えるため、同じ企画展で2度楽しめるのも魅力的ですね。 ぜひ、夏休みの思い出の一つとして、太田記念美術館で開催されている「浮世絵お化け屋敷」展を訪れてみてください。 開催情報 『浮世絵お化け屋敷展』 場所:東京都渋谷区神宮前1-10-10 期間:前期2024/8/3~2024/9/1、後期2024/9/6~2024/9/29 公式ページ:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/ チケット:一般1200円・大高生800円・中学生(15歳)以下無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.25
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国立西洋美術館[東京都台東区]へ行ってみよう
さまざまな西洋美術に触れる、国立西洋美術館 1959年、国立西洋美術館は、フランス政府から寄贈返還された「松方コレクション」を保存するとともに多くの人に作品を公開するために設立されました。 松方コレクションとは、株式会社川崎造船所の初代社長である松方幸次郎が、ヨーロッパで収集した西洋美術コレクションのことです。 美術館を建設するにあたって、日本政府はフランスで有名な建築家ル・コルビュジエに設計を依頼し、建設には彼のアトリエで仕事をした経験のある日本人の3人の弟子、板倉準三・前川國男・吉阪隆生があたりました。 1959年当時に設立された建物は、現在「本館」と呼ばれており、1979年には新館、1997年には、前庭の地下に企画展示館が増築されました。 展示 国立西洋美術館では、常設展と企画展の両方の展示があります。 常設展では、中世末期から20世紀の初めにかけての西洋絵画と、ロダンをメインにフランス近代彫刻を展示しています。 また、1960年に開館1周年を記念して「松方コレクション名作選抜展」を開催して以降、さまざまな特別展や共催展などを開催してきました。 2023年には、「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」、「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」など、7つの展覧会が開催されました。 また、国立西洋美術館の正面入り口前の広場には、彫刻作品が展示されています。美術館内に入る前から、西洋の美術を堪能できる魅力があります。 コレクション 国立西洋美術館は、370点もの松方コレクションを中心に始まり、現在では6000点もの作品を所蔵しています。 そのジャンルも多岐にわたり、絵画から彫刻、素描、版画、写本、工芸などさまざまです。 『三連祭壇画:キリスト磔刑』ヨース・ファン・クレーヴ 『シャボン玉を吹く少年と静物』ヘーラルト・ダウ 『自画像』マリー=ガブリエル・カペ 『アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)』ピエール=オーギュスト・ルノワール 『赤い鶏と青い空』フェルナン・レジェ 絵画作品では、14世紀半ばから20世紀半ばまでの作品を展示しており、時代の移り変わりとともに変化していく西洋美術を堪能できます。 特徴/ここがオススメ 国立西洋美術館は、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の一部として世界文化遺産に登録されています。 ル・コルビュジエが長年追求した、無限成長美術館というアイディアのもと設計された国立西洋美術館は、巻貝のような渦巻き状の平面構成をとっており、年月を経て所蔵品が増えていっても、展示室を外側に増築できる画期的な建築構造になっています。 無限成長美術館の実現例は、この国立西洋美術館とインドにある2つの美術館の合計3館しかありません。 作品を鑑賞したあと、西洋美術についてもっと知りたくなった方向けに、本館のカフェ「すいれん」前のフロアには、西洋美術に関連した本が置かれています。 国立西洋美術館を訪れた際は、鑑賞した作品に関連する図書で、さらに興味を深めてみるのもよいでしょう。 美術館情報 国立西洋美術館 住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号 GoogleMap:https://maps.app.goo.gl/gXFmZgSp9AtSpsRv8 アクセス:JR上野駅下車(公園口出口)徒歩1分 ほか 開館時間:火~水 9:30~17:30 金・土 9:30~20:00 ※入室は閉室の30分前まで 休館日:毎週月曜日 ※最新の情報は公式サイトをご覧ください 料金:常設展 一般500円(400円)、大学生250円(200円)※()内は20名以上の団体料金 ※企画展は展示によって異なります 公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/
2024.08.19
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リトグラフの魅力に触れる「西洋版画を視る」に行ってみた!<国立西洋美術館(東京都台東区)>
国立西洋美術館で開催されている「西洋版画を視る」シリーズは、今回で3回目。これまで西洋版画の主な技法に着目し、制作方法や特徴的な表現を紹介してきました。そして現在開催されている「西洋版画を視る」では、石版画と呼ばれるリトグラフをメインに取り上げています。 リトグラフという言葉を聞いたことがあっても、どのように作品が制作されているのか知らない人も多いのではないでしょうか。 今回は、国立西洋美術館で開催されている「西洋版画を視る」に行ってきました! 「西洋版画を視る」は国立西洋美術館にて開催中 国立西洋美術館で開催されている今回の「西洋版画を視る」シリーズでは、リトグラフ作品がおよそ40点集結しています。 リトグラフ発祥の地といわれているドイツから各国への広がっていた初期作品から、リトグラフが大衆から人気を集めていたころの作品、多色刷りによりポスター作品で多くの人から高い評価を得ていたころの作品まで、時代の移り変わりによって変化していったリトグラフ作品を楽しめるのが見どころです! また、「リトグラフ作品ってどのように作られているの?」と思っている方も安心です。 制作工程の一例を映像と展示で解説されているため、リトグラフそのものの知識を身に付けてから作品を楽しめる工夫がされています。 リトグラフならではの描写と魅力に意識を向け、歴史を辿りながら作品をじっくり「視て」楽しみましょう! 「西洋版画を視る」は、常設展のチケットにて鑑賞できます。 チケット売り場は国立西洋美術館の入口手前の右側にありますので、購入してから館内に入りましょう。 なお、国立西洋美術館内には、ロッカーが用意されていますので、荷物が多い方は、こちらで預けてから鑑賞するのがおすすめです。 リトグラフとは リトグラフの「リト(litho)」は、ギリシャ語で「石」という意味の「lithos」が語源。 リトグラフでは、水と油が反発しあう特性を利用して制作が行われます。木版画やエングレーヴィング、エッチングなどのように版に凹凸をつけるのではなく、石版の上に絵を描き、化学処理を施すことで平らな状態でも作品を印刷できるのが大きな特徴です。 「西洋版画を視る」の展示について 「西洋版画を視る」の展示は、常設展スペースの一角(新館2階 版画素描展示室)で行われており、常設展のチケットを購入すれば鑑賞できます。 常設展内のスタッフさんに確認したところ、基本的に写真撮影OKとのことでした! NGの作品には、カメラに✕マークの印がありますが、「西洋版画を視る」の展示作品は、すべて撮影ができましたので、直接目で楽しむとともに、写真に撮って自宅に帰ってから改めてじっくり見てみるのもおすすめです。 常設展を進んでいくと、版画素描展示室前に「西洋版画を視る」のポスターがあるため、迷わずたどり着けるかと思います! 展示室前では、リトグラフが完成するまでの流れを放映していました! リトグラフがどのように作られているかを確認できる映像のため、リトグラフについてのイメージを膨らませておきたい人は、映像を見てから作品鑑賞に移りましょう!上映時間は約5分で、手軽に見ることができるのも嬉しいポイントです。 版画ができあがるまでの流れを把握してから展示を鑑賞すると、これまでとは違った視点で作品を楽しめますね! 映像を見ていて、作品を制作し始める前に、石同士を削って前に描いた作品の絵を消す作業が印象的でした。一つの石で何枚もの版画を刷れるとともに、別の絵にも再利用しているからこそ、安価で制作でき、大衆にも広まったのではと考えさせられますね。また、石を削ってしまえば、同じ作品はもう制作できなくなるため、少しもったいないなという気持ちにもなりました! いよいよ、展示室に入っていくと、壁面はすべて濃い青色で統一されており、作品の額縁もやわらかな印象のある明るい木材で統一されており、シンプルでリトグラフ作品を引き立たせる工夫が印象的でした。 1.リトグラフの誕生と伝播 リトグラフは、1798年ごろのミュンヘンにて、俳優で劇作家であったアロイス・ゼネフェルダーによって考案されました。瞬く間にヨーロッパ中に広まっていったリトグラフの技術は、多くのロマン主義の画家たちに取り入れられました。 ここでは、リトグラフが伝わっていった初期のころの作品が紹介されています! 『プルチネッラ』エドゥアール・マネ(1874年) 『プルチネッラ』 作家名:エドゥアール・マネ 制作年:1874年 カラー・リトグラフ、ウォーヴ紙 展示室に入ってすぐにある作品です。 マネによる唯一の多色刷り作品であり、カラー・リトグラフが流行するより前に先駆的に制作された作品といわれています。 カラフルな軍服が、真っ白で立派な髭を際立たせているように感じられました。 軍服なのに、多彩な色を使っており、道化師プルチネッラのつぶらな瞳も相まってポップで可愛らしい印象があります!細かく見ていくと、洋服のシワや光のあたり具合によってできる明暗まで繊細に表現されており、リトグラフも直接描くように細かな表現ができることに驚きました。 『ザルツブルクとベルヒテスガーデンの7つの地方 一週間の7日に合わせて』より『月曜:ザルツブルク手前のローゼネッカーガルテン』(1818/23年) 『月曜:ザルツブルク手前のローゼネッカーガルテン』 作家名:フェルディナント・オリヴィエ 制作年:1823年 この作品は、白黒のリトグラフで、まるで鉛筆でデッサンしたかのような繊細さが感じられました。 リトグラフは、クレヨンや鉛筆タッチの自由な線や風合いを表現できる技法といわれていますが、この作品をみると、鉛筆で直接描いたといわれたら信じてしまうほど、細かなタッチで人物や風景が描かれていました。 のどかな自然と町の風景が描かれており、手前の人物は濃く、背景の山々は薄くなっていて遠近感が表現されているのも印象的です。 モノクロのリトグラフでも、色の濃さを細かく変え、遠近感を表現できるんですね! 『ボルドーの闘牛』より『二分された闘牛場』フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1825年) 『二分された闘牛場』 作家名:フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 制作年:1825年 こちらは、クレヨンによるスケッチ風の大胆なタッチが特徴的な作品です。 先ほどの作品と比較すると、インクの色合いが濃く感じられますね。 芯の太い鉛筆で塗ったような表現が印象的で、絵ではありますが走り書きのような表現方法が作品の躍動感を生んでいるように感じられ、作品から闘技場の熱が伝わってくるようでした! 2.リトグラフの大衆化 ドーミエと『カリカチュール』 リトグラフによる制作が広まっていく中で、政治や社会を風刺する作品が発展していきました。 写実主義の画家で知られているオノレ・ドーミエは、鋭い洞察力とユーモアに加え、卓越したデッサン力をもっており、権力を痛烈に批判したリトグラフ作品を制作し、多くの民衆に支持されました。 『誘惑』オノレ・ドーミエ(1835年) 『誘惑』 作家名:オノレ・ドーミエ 制作年:1835年 画面上部の作品が『誘惑』です。風刺新聞「カリカチュール」に掲載された作品の一つで、『聖アントニウスの誘惑』の主題をパロディ化した作品です。 描かれている悪魔たちは、閣僚を表現しており、誘惑される聖人は豚の顔をしているのが印象的でした。 悪魔といえど恐ろしすぎず、キャラクター性の強いデザインから、ドーミエのユーモアが感じられますね。 3.リトグラフ芸術の再燃 ―ブレダン、マネ、ルドン リトグラフは、1820年代に最盛期を迎え、商業的に盛り上がっていく一方、芸術作品としては衰退の一途を辿っていきました。 しかし、1860年代になると芸術家の関心は再びリトグラフに向けられるようになり、独創的な作品も数多く誕生したのでした。 『善きサマリア人 』ロドルフ・ブレダン(1822年-1885年) 『善きサマリア人 』 作家名:ロドルフ・ブレダン 制作年:1822年-1855年 リトグラフ、チャイナ紙 新約聖書の中で、イエスが語った「善きサマリア人」のたとえ話がモチーフとなっている作品です。 この作品を見たとき、繊細な描写に圧倒されました!作品の隅から隅まで自然の風景を細かく描いており、ブレダンの卓越した技術を堪能できる作品ではないでしょうか。木の枝1本1本や葉の葉脈も生き生きと描かれており、近くでじっくりゆっくり鑑賞したくなる作品です。 森の奥に小さく見える一つひとつの建築物も細かく表現されており、空には何羽も鳥が飛び、鑑賞するほど気付きが生まれ、一つの作品でいくつもの作品を鑑賞したかのような充実感を味わえます! 緻密に描かれた森の中をよく観察してみてください。 よくよく見ると、森のさまざまな場所に動物が隠れるように描かれています。遠くから鑑賞していると木々の模様に見えていた場所も、よく見てみると動物が!さるやふくろう、犬、とかげのようなものも描かれており、「ウォーリーを探せ」のような楽しみ方もできます。 ぜひこの作品を鑑賞するときは、どんな動物が描かれているか探してみると、さらに楽しめること間違いなしです。 『キリスト』オディロン・ルドン(1887年) 『キリスト』 作家名:オディロン・ルドン 制作年:1887年 先ほどの『善きサマリア人』とは異なり、シンプルな作りが印象的な作品です。 象徴主義を代表する画家オディロン・ルドンが描く作品は、無意識化を投影した幻想的な世界観が特徴です。 この作品は、全体的に薄暗く、顔がこけているようにも見え、退廃的な印象に感じられますが、大きく描かれた目に少し可愛らしさもあり、暗さの中にユーモアも感じられる作品でした。 4.カラー・リトグラフの流行とポスター芸術の開花 『ノートルダム・ド・ラ・クラルテ』マキシム・モーフラ(1861年-1918年) 『ノートルダム・ド・ラ・クラルテ』 作家名:マキシム・モーフラ 制作年:1861年-1918年 この作品は、何人もの画家たちによるオリジナル版画を集めた版画集『レスタンプ・オリジナル』に掲載された一作品です。この展示では、4枚の絵が横並びに飾られており、色が塗り重ねられていく様子がわかるよう、展示方法が工夫されていました。 1枚目は、まだ下書きのような印象がありますね。 2枚目では、輪郭がはっきりとしてきますが、まだまだ完成形には遠いような印象を受けます。 3枚目で、雲の模様が浮かび上がってきて、建物の影も表現されていますが、まだぼんやりした色合いのように感じられます。 4枚目では、輪郭がくっきりとして、それぞれのモチーフが独立しているのがわかりますね。 重ね刷りによって作品が作り上げられていく様子を楽しめる展示でした。 『フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー』ジュール・シェレ(1893年) 『フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー』 作家名:ジュール・シェレ 制作年:1893年 カラー・リトグラフ この作品を制作したシェレは、ロンドンでカラー・リトグラフの技術を学び、1866年にパリで印刷所を開設した人物でもあります。アメリカ出身のダンサーであるロイ・フラーを描いたこのポスターは、彼女のパリ・デビュー公演で飾られたもので、ドレスの色合いが鮮やかかつポップで、真っ黒な背景が明るいイエローのドレスを引き立たせている印象でした! また、ドレスの影は黒ではなく、薄いブルーで表現しているのも印象的です。 顔の影も薄いブルーで表現しており、独特な雰囲気に惹きつけられました。 背景と影の薄暗い色が、鮮やかなドレスとオレンジのヘアーをより際立たせているようにも感じられました。 5.「画家にして版画家」 ―ボナール〈パリの生活情景〉 ピエール・ボナールは、ポスター作品により人気を高めたカラー・リトグラフをさらに発展させた人物といわれています。 ボナールは、日本の浮世絵からインスピレーションを受け、大胆な構図や平坦な色彩を特徴とした作品を制作しました。 この最後の章では、リトグラフが100年の時を経て辿り着いた芸術性を楽しめます。 『パリの生活情景』より『夕べ、雨の街』ピエール・ボナール(1899年) 『パリの生活情景』より『夕べ、雨の街』 作家名:ピエール・ボナール 制作年:1899年 カラー・リトグラフ この作品は、パリの日常的な生活情景に着目して描かれた表紙と12点のカラー・リトグラフ作品からなる連作の一つ。4年もの制作期間を経ているため、少しずつ作風が変化していっており、ぜひ展示会では作品を順に鑑賞していき、違いを楽しんでみてください。 『夕べ、雨の街』では、雨上がりのパリの街並みが描かれています。濡れた地面に街の灯りが反射している様子を描くことで、雨上がりの街を表現している点に魅力を感じました。画面のほとんどが黒で描かれている分、灯りを表現している黄色のカラーが映えていますね。雨や水を表現する色は一切使われていないにもかかわらず、雨上がりを表現している点に感動しました! 国立西洋美術館では西洋美術に関連するグッズが販売されている 「西洋版画を視る」の展示に特化したグッズ販売はされていませんが、国立西洋美術館のミュージアムショップでは、西洋美術に関連するさまざまな商品が販売されていました。また、グッズだけではなく西洋美術に関する本や、特定の画家に特化した本、子ども向けの美術本なども販売されており、展示を鑑賞したあと、西洋美術についての知識を付けたいと感じた人は、ぜひ書籍もチェックしてみてください! そのほかにも、西洋絵画が描かれた絵はがきや、クリアファイル、ネクタイ、ポスター、額絵専用フレームなどさまざまなグッズが販売されていました。 西洋美術の中でもリトグラフ作品を深く知りたい人はぜひ「西洋版画を視る」の展示会へ! 今回、「西洋版画を視る」シリーズのリトグラフ作品に着目した展示会を鑑賞してきました! リトグラフ作品が何か知らない人も、展示室前の映像や展示室内の説明書きをみればどのような作品であるかが掴めます。 平日の午前中に鑑賞しましたが、比較的人が少なく、じっくり作品を見て回ることができました。私は11時過ぎごろ美術館を後にしたのですが、そのときにはチケット売り場に列ができていました。 今回の展示は写真撮影ができるため、ゆっくり作品を見て回りつつ写真撮影も行いたい方は、人の少ない平日午前に行くことをおすすめします! 描いたままの線が版画になるリトグラフは、画家が描いた絵の雰囲気を忠実に再現できる魅力があります。 リトグラフに興味がある方は、リトグラフの制作工程から、時代に移り変わりによって発展していったリトグラフ作品を鑑賞できる「西洋版画を視る」にぜひ訪れてみてください。 「西洋版画を視る」開催情報(国立西洋美術館) 「西洋版画を視る」 場所:国立西洋美術館 住所:東京都台東区上野公園7-7 Google map:https://g.co/kgs/PPhLcrw 期間:2024/06/11~2024/09/01 公式ページ:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024lithography.html チケット:一般500円、大学生250円、高校生以下及び18歳未満・65歳以上は無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.08.19
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