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歌川芳艶(1822-1866)浮世絵師 [日本]
歌川国芳の門弟「歌川芳艶」とは 歌川芳艶は、江戸時代末期に活躍した浮世絵師で、奇想の絵師と呼ばれていた歌川国芳の弟子の一人です。 月岡芳年や落合芳幾などの国芳門下と比べると、知名度の低い浮世絵師ですが、国芳の武者絵の才能を最も引き継いだ浮世絵師ともいわれています。 15歳で歌川国芳の門下に入る 芳艶は、日本橋本町の駕籠屋である「十ノ字」の息子として生まれ、15歳になると武者絵を得意とする国芳の門下に入ります。 17歳のときに、髪結床ののれんに中国の人気小説である『水滸伝』に登場するキャラクターの「九紋竜」と「魯智深」の雪中奮闘の図を描きました。 それを見た国芳は、力強さと艶やかな色彩から、画号「芳艶」を与えました。 歌川芳艶と呼ばれていますが、歌川の名が入った落款が見られないため、後半生に使用していた「一英斎」という画号と芳艶を組み合わせ、「一英斎芳艶」と呼ぶのが正しいとする意見もあります。 芳艶は、同じ歌川派の門下である歌川国輝とライバル関係にあり、刺青の下絵で競い合うと、芳艶といえば「自来也」、国輝といえば「狐忠信」と並んで称されました。 30歳を過ぎて賭博にはまる 芳艶は、師匠の国芳譲りの迫力ある武者絵で頭角を現していきましたが、30歳を過ぎたころ、賭博にはまるようになり、遊郭のある色街に入り浸るようになっていきました。 その行動は、同門の浮世絵師たちから反発を買い、師匠の国芳から破門を言い渡されてしまうのでした。 破門後、芳艶は2、3年の間、浮世絵師としての仕事から距離を置きます。 しかし、1856年ごろから浮世絵師の本業を再スタートさせ、師匠にも劣らない力強い武者絵を数多く制作するようになりました。 芳艶が再び筆を執り浮世絵制作に踏み切ったのは、博打仲間であった歌川芳鶴が獄死したためといわれています。 役者絵や風景画も描いている 再スタートを決めた芳艶は、武者絵だけではなく役者絵や風景画、開港した横浜をテーマにした横浜絵など、多彩なジャンルに挑戦しますが、国芳譲りの武者絵ほど個性を発揮する作品は生まれませんでした。 また、武者絵以外のジャンルの作品は、多く残されていません。 一方で、のれんや看板絵などの大きな作品も手がけるようになり、こちらでは制作した作品が多くの人からの人気を集めていたようです。 1863年、徳川14代将軍である徳川家茂の上洛に取材した『御上洛東海道』シリーズの制作にも参加し、芳艶は全162作品中16作品を担当しました。 当時の幕府では、徳川将軍を浮世絵に描くことは禁止されていたため、『御上洛東海道』シリーズでは、家茂の行列をモデルに鎌倉幕府初代将軍であった源頼朝の姿で作品を描いています。 芳艶は、生涯作品を制作し続けており、45歳で亡くなりました。 芳艶亡き後は、門下であった2代 歌川芳艶や歌川艶長、歌川一豊などが、江戸時代の終わりから明治時代にかけて活躍しました。 国芳魂を受け継いだ浮世絵師 江戸時代の終わりに活躍した浮世絵師の芳艶は、ほかの才能ある国芳門下の陰に存在が隠れてしまい、現代においてはほとんど名前が知られていません。 しかし、師匠の国芳が得意としていた武者絵の画風を継承していた芳艶は、師匠を超えるとも思わせてくれる迫力と魅力に満ち溢れた作品を残しています。 国芳の武者絵の才能を、最も色濃く受け継いだのは、芳艶ともいわれているのです。 歌川芳艶が描いた浮世絵作品 芳艶は、師匠の国芳譲りの迫力ある武者絵が有名な浮世絵師です。 『川中島大合戦組討尽 帆品弾正昌忠 高松内膳』 この作品は、1857年に制作された全12枚の『川中島大合戦組討』シリーズの8枚目にあたる作品です。 川中島の戦いとは、現在の長野県北部である北信濃をメインの舞台とし、現在の山梨県である甲斐国の戦国大名の上杉謙信が1553年から1564年の間にわたって繰り広げた合戦を指します。 『川中島大合戦組討尽 帆品弾正昌忠 高松内膳』では、武田信玄軍の帆品弾正昌忠と、上杉謙信軍の高松内膳の戦いが描かれています。 『頼光雲気を察して足柄山に公時を得る』 この作品は、平安時代の伝承をテーマにしており、平安京の武将である源頼光が、静岡県と神奈川県の境にある金時山周辺の足柄山の峠を通ったときの様子を描いています。 作品は、足柄山の地で暮らす怪力自慢の金太郎と出会ったときの様子を描いており、頼光と金太郎、頼光四天王と呼ばれる重臣の碓井貞光、渡辺綱、卜部季武が登場します。 5人がいる場所に、突然雲気が立ち上り、その中から金太郎を育てた山姥が登場するシーンが描かれており、浮世絵の右手側には扇を高々と掲げる頼光は、目の前で起こった摩訶不思議な光景にまったく動じない様子が表現されているのです。 『高松城水責之図』 この作品は、1582年に巻き起こった備中高松城の水攻めの様子を描いています。 備中高松城の水攻めとは、織田信長の命を受けた豊臣秀吉が、毛利氏配下の清水宗治が守っている備中高松城を水攻めにした戦いのことです。 備中高松城を孤立させるために荒々しく流れ込んでいく水を大胆かつ繊細な表現で描いているのが特徴です。 風にたなびく吹き流しの動きには躍動感があり、戦いの迫力が伝わってきます。 武者絵を得意としていた芳艶の多彩な表現力がうかがえる作品です。 年表:歌川芳艶 西暦(和暦) 満年齢 できごと 1822(文政5年) 0 日本橋本町二丁目に生まれる。本名は甲胡万吉。 1837(天保8年) 15 歌川国芳に入門。師匠から「芳艶」の号を与えられる。 1839(天保10年) 17 『花紅葉錦伊達傘』の挿絵を手掛ける。 1856(安政3年) 34 再び画業に復帰し、武者絵で人気を博す。代表作に『本朝武者鏡』がある。 1860(万延元年) 38 武者絵に加え、役者絵や横浜絵など新たなジャンルにも挑戦。 1866(慶応2年) 44 死去。狩野派の影響を受けつつ、武者絵を中心に後世に影響を与える。
2024.11.25
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信長の新たな一面や性格が垣間見れる「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」
戦国時代を駆け抜けた武将「織田信長」。 信長は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した日本の武将であり、天下統一を目指した人物です。 信長の性格は、一般的に冷酷とされることが多いですが、実際には複雑な側面を持っていました。 永青文庫で開催中の「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」では、そんな信長の意外な一面を感じ取れるかもしれません。 今回は、永青文庫で開催中の「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展に行ってきたので、その魅力をお伝えします! 歴史好きの方だけではなく、ちょっと信長に興味がある人でも心をぐっと掴まれる内容でした。 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展は永青文庫にて開催中 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」は永青文庫にて開催されています。 今回は、江戸川橋駅から15分ほど歩いて、会場まで向かいました。 永青文庫につく手前、胸突坂と呼ばれる傾斜が急な坂があるため、体力に自信がない方はバスで向かうとよいかもしれません。 バスはJR山手線の目白駅や東京メトロ副都心線の雑司ヶ谷駅などから出ています。 胸突坂をのぼると永青文庫に到着します。 外観は白い壁とシンプルなデザインが印象的です。 周囲の閑静な住宅街に溶け込むように建てられており、一見すると美術館とは気づきにくい造りになっています。 また、館内全体は、展示されている貴重な美術品や歴史資料の保護を目的として撮影禁止となっています。 さっそく、歴史を読み解くヒントにもなるであろう信長の手紙を鑑賞していきましょう。 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」の概要 戦国乱世を駆け抜けた織田信長、その名を聞いて思い浮かぶのは「革新者」「破天荒な戦国武将」など、さまざまなイメージでしょう。 そんな信長の知られざる一面に触れられる特別な企画展が永青文庫で開催中の「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」です。 永青文庫が所蔵する細川家伝来の信長の手紙は、重要文化財に指定されている貴重なコレクションで、その数なんと59通! さらに2022年に新たに発見された1通を加え、合計60通が今回の企画展で公開されています。 一人の武将に関するこれだけの書状がまとまって残っている例は他になく、質・量ともに圧巻の内容です! この企画展では、長の手紙を通じて、室町幕府滅亡や一向一揆との戦い、長篠合戦、荒木村重の謀反、そして本能寺の変に至るまでの激動の10年間を、配下の細川藤孝らとのやり取りを交えてじっくり紐解いていきます。 革新的で残虐、時に超人的とも評される信長像は果たして事実なのでしょうか。 本展は、信長自身の言葉から、その真実に迫る絶好の機会です。 これまで漠然と抱いていた信長のイメージが覆されるかもしれません。 当時の武将たちが書いた手紙…その姿を想像するだけですごい! 会場は4階から2階までと広く、まさに信長の人生の一部を辿る旅のような企画展でした。 4階では、新発見の手紙や、今回の展示の目玉となる文書が並び、まさに「信長ファン必見」の空間ともいえるのではないでしょうか。 3階には、戦国時代の重要な出来事が歴史順に展示されており、歴史の流れを感じながら鑑賞を楽しめます。 展示されている手紙たちには、詳細な解説と現代語訳が添えられていました。 戦国時代の言葉に疎い私でも意味が伝わり、手紙の重要性や歴史的背景が理解でき、より感動が深まりました! 永青文庫に信長からの手紙が集結している理由 企画展に訪れてみて気になったのが、どうして永青文庫にこんなにも多くの信長の手紙が伝わっているのかということです。 実は、そのカギを握っているのが細川家の当主たちなのです。 まず注目したいのが初代当主・細川藤孝。 信長からの手紙の多くは藤孝宛てで、内容もさまざまあります。 戦功を称える感状(戦功を報いる書状)や日常的な贈答の礼状、さらには戦況報告などがあり、信長と藤孝の信頼関係が感じられます。 その後、2代当主・細川忠興宛ての手紙もあり、現存する唯一の信長直筆の手紙も忠興へのもの。 藤孝と息子の忠興が信長から大変大きな信頼を受けていたことが、これほど多くの信長の手紙が細川家に伝わる一因だといえます。 また、信長からの手紙たちが現代まで細川家に伝わる背景には、3代当主・細川忠利の努力も大きく関わっています。 忠利は、祖父である藤孝の功績を証明するため、手紙の保護に尽力したそうです。 信長の書状は一時、細川孝之(藤孝と正妻・麝香の末子)の元に渡ってしまっていたのですが、忠利はなんとその書状を自分の手元に戻すため、父・忠興を通じて回収を試み、成功しています。 忠利の熱い思いがあったからこそ、信長の貴重な手紙が現在もこうして残り、私たちが触れることができるのです。 新発見となった信長の手紙から読み取れる歴史的背景 今回新たに発見されたのは、元亀3年(1572年)の信長から藤孝宛ての書状。 この年は室町幕府が滅亡する前年で、信長の政治的な動きが激しく変わっていく時期にあたります。 永青文庫が所蔵する手紙の中でも最も古い年代のものとなり、その貴重さもひとしおです。 信長が藤孝に宛てたこの手紙では、信長は、足利義昭を将軍として擁立していたものの、その関係が崩壊し始めていたことに言及しています。 「元亀3年の年頭から、将軍の側近たちは誰も手紙や贈り物を寄こさず、絶交状態になっているが、そんな中で藤孝、あなただけは毎年のように音信をくれる。本当に嬉しい」と手紙の中で感謝の気持ちを表現。 そして、「大事な時期になった今、あなたの働きかけにかかっている」と、藤孝に対して信長派への支持を拡大するよう頼んでいるのです。 これは信長がその時期、いかに藤孝を信頼していたかを示すエピソードであり、当時の政治的な緊張感をひしひしと感じさせます。 新発見の手紙をはじめ、手紙の内容からは、信長の周囲との細やかなコミュニケーションが垣間見えます。 信長のイメージはしばしば攻撃的で冷徹なものとして語られますが、これらの手紙からは、周囲の武将たちとの協力や信頼関係の構築に積極的に努めていた様子がうかがえます。 信長の人間性や政治的な手腕を深く掘り下げる貴重な資料が揃っており、展示を見ていると、これまでの信長のイメージが少しずつ変わっていくかもしれませんね。 織田信長自筆の手紙は60通中たった1通のみ 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展では、信長が藤孝らに宛てた数多くの手紙を見られますが、実際には信長がすべて自ら筆を執っていたわけではありません。 当時の武将たちの多くは、右筆(書記官)が内容を口頭で聞き取って文書を作成し、武将はそれを確認して最後に花押(署名)を押す形でした。 それでも、信長が用いた「天下布武」印や、豪快な花押は、彼の力強い個性を感じさせてくれますね。 そんな中、特に目を引いたのは、15歳ごろの忠興(細川忠興)に宛てた信長自筆の感状です。 松永久秀追討のための軍に参加し、軍功を挙げた際に信長が忠興に送った手紙で、その筆跡はまさに「天下を治める者」の風格を感じさせる堂々としたものでした! 45歳の信長の自筆の字は、力強く、筆圧が強く、右筆(書記官)が書いたものと比べると、その豪快さに圧倒されました。 意外な関係性が垣間見える石田三成が細川忠興に宛てた自筆書状 2021年に紙背文書として新たに発見された、石田三成が細川忠興に宛てた自筆の書状も、歴史を知っている人からすると貴重な手紙なのではないでしょうか。 この書状は、関ヶ原の戦い(1600年)で二人が敵対する関係となる前、1586年ごろのものです。 まだ20代の若き武将である三成と忠興が「茶会」を巡って気軽にやり取りをしている内容が綴られています。 書状の中で、27歳の石田三成が24歳の忠興に対し、「いいことがあったから金を貸し付ける。忠興もいくらか金子を出資しないか?」と提案しています。 三成らしい鋭い金銭感覚が垣間見えるもので、当時の彼の性格や考え方をうかがわせますね。 一般的に、石田三成と細川忠興は関ヶ原で敵対関係にあったとされ、その後の歴史で不仲だったことはよく知られています。 しかし、この文書からは、まだ両者が若かったころに、冗談を交えた気楽なやり取りをしていたことがわかります。 のちの展開を知っている人たちにとっては、少し切なさが感じられる一通です。 また、この書状は細川忠興が記した「風姿花伝」の裏紙に書かれていたことが発覚し、その発見エピソードもとても興味深いものでした。 藤孝・忠興父子に協力を仰いだ明智光秀の直筆書状 本展では、明智光秀の直筆書状も展示されていました。 この手紙は、本能寺の変からわずか7日後に書かれたもので、信長を討った理由が書かれた貴重な史料です。 光秀の心情が率直に綴られており、藤孝・忠興父子が信長の死を受けて剃髪し弔意を示したことに対して「当初は立腹したが思い直した」という言葉を残しています。 そして、この手紙では信長を殺した光秀が藤孝と忠興父子に対して、「自分に味方してほしい」と切実に訴えているのです。 実際、藤孝と光秀は非常に密接な関係にあり、光秀の娘・玉(後のガラシャ)を忠興が妻に迎えるなど、家族ぐるみでの繋がりがありました。 しかし、光秀がこの手紙を送ったときには、藤孝・忠興父子はすでに豊臣秀吉側についており、光秀の申し出には応じませんでした。 このことが光秀にとってどれほど大きな痛手となったかは言うまでもなく、その後、光秀は秀吉に敗れることとなります。 本展では、秀吉と細川家が通じていたことを示す資料も紹介されています。 「杉若藤七書状写」では、秀吉の家臣である杉若藤七が藤孝の家臣である松井康之に宛てた手紙の写しで、細川家が謀反に関与していないことを秀吉が理解していると記されています。 この手紙は光秀の書状が書かれる前日に送られたものです。 これらの書状を通して、本能寺の変という戦国時代最大の事件における人物たちの複雑な思惑や微妙な立場が浮かび上がります。 光秀、秀吉、そして細川家の三者がどのように絡み合っていたのかを知ることができ、歴史の渦中で繰り広げられたドラマを感じることができました。 歴史のリアルを感じる、「信長の手紙」展 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」展を訪れた後、感じたのは、書状が持つ力強いリアルさでした。 信長が部下に宛てた戦功を称える言葉や、細川家と信長の両者がどれだけ互いの絆を大切にしていたか、光秀が本能寺の変の後に書いた心情など、どれも一瞬一瞬の感情が切り取られた貴重な資料です。 文字の背後には、織田信長や細川家、そして時代を生きた武将たちの生々しい感情が宿っているのだと感じられる企画展でした。 また、展示を通して、ただの歴史の一部を学んだのではなく、信長の時代を生きた人々の心の動きに触れたような気がしました。 「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」は、歴史的な出来事を俯瞰するだけでなく、その時代を生きた人々の思いに寄り添うことができる貴重な企画展です。 永青文庫で開催されている「信長の手紙」展をじっくり鑑賞した後は、ぜひ徒歩1分の場所にある「肥後細川庭園」へ足を運んでみてはいかがでしょうか。 熊本藩主・細川家の下屋敷跡として整備されたこの庭園は、池泉回遊式庭園の美しさが楽しめる癒しのスポットです。 歴史と自然が融合したこの空間で、展覧会で感じた時代の息吹を静かに振り返りながら、のんびりとしたひとときを楽しんでみてください。 織田信長や戦国時代に興味のある方には、企画展へぜひ一度足を運んで、この書状に込められた歴史の重みを直接感じてほしいと思います。 開催情報 『信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―』 場所:永青文庫 住所:〒112-0015 東京都文京区目白台1-1-1 期間:2024年10月5日~2024年12月1日 公式ページ:https://www.eiseibunko.com/ チケット:一般1,000円、シニア(70歳以上)800円、大学・高校生500円、中学生以下は無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.11
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現代日本美術の息吹を感じられる「日展」へ訪れてみた
皆さんは、日展を知っていますか? 正式名称は、「日本美術展覧会」といいます! 明治に開催されて以降、文展・帝展・新文展・日展と名称を変えながら開催が続いている伝統的な展覧会なのです。 毎年秋に東京の上野公園にある東京都美術館で開催されていましたが、現在は六本木の国立新美術館で開催されています。 日展では、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5つの部門の作品が勢ぞろいしており、国立新美術館の1階から3階までのフロアを使用して、毎年約3000点の新作が並びます。 今回は、そんな国立新美術館で開催されている「日本美術展覧会」に行ってきました! 公募展の入選・特選作品と会員作品が集まる日展は国立新美術館にて開催中 日展は110年以上続く歴史ある展覧会で、伝統的な作品から現代的な作品まで、幅広い分野の作品が並ぶのが特徴です。 部門は、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5つあり、国立新美術館の1・2・3階のフロアを使って膨大な量の作品を展示しています。 作品の数は、入選者と会員あわせて約3000点以上と見ごたえがあります。 「日展」は三部構成の見ごたえ抜群な展示 日展は、1階が日本画と工芸美術、2階が洋画と彫刻、3階が書の構成で展示されています。 膨大な量の作品が展示されていますが、会場内はスペースが大きく空いていて広々としているので、ゆっくり・じっくりと鑑賞を楽しめます。 また、複数の分野をまとめて鑑賞できるため、ふだん日本画は鑑賞するけどほかの分野はあまり見たことがなかった、という方でも興味を広げられる場であると感じられました! 展示されている作品の横にQRコードが示されているものもあり、スマートフォンで読み取ってみると、作家からのコメントや想いを読むことが可能です。 目に留まった作品にQRコードが示されていれば、ぜひ作家の作品に対する想いをみてみましょう。 また、彫刻作品の中には手で触れてよいマークが示されたものもあります。 ふだんの美術鑑賞では、なかなか作品に触れる機会がないかもしれません。 実際の作品に触れてみることで、いつもとは異なる新鮮な気持ちで作品と向き合えるでしょう。 日展は伝統ある展覧会でありながら、作家と鑑賞者の距離が近くなる展示の工夫がされており、子どもから大人まで楽しめる展覧会であると感じられました! それでは、さっそく1階の日本画の展示会場から見ていきます。 日本画というと、歴史や古典をベースにした、古き良き日本を思わせるような作品が多いのかなという印象をもっていました。 しかし、実際にはカラフルで鮮やかな絵や、現代の人物や風景を描いた新しい表現やユニークなモチーフの作品も多く、新鮮な気持ちで鑑賞を楽しめました。 日本画の作品は、額縁もシンプルなものが多い印象でしたが、中にはオリジナルの画を描いた額縁に飾っている作品も。 ゆるっとした可愛い猫たちが描かれていて、暖かい気持ちになりました。 みなさんは、フィナーレと聞くとどのような光景をイメージしますか? もともとは、オペラや交響曲などの楽曲の最終楽章を指す言葉で、終幕のような意味合いがあります。 フィナーレと聞くと、最後の盛り上がりをみせるシーンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 例えば、花火大会の最後に大量の花火が一斉に打ちあがり、夜空を鮮やかな色で埋め尽くす瞬間を思い浮かべます。 また、映画やドラマのストーリーが終息し、感動的なシーンとともに美しい音楽が流れる時間など。 希望的、感動的な印象を創造する人が多いでしょう。 しかし、この作品では、フィナーレというタイトルでたくさんのひまわりが枯れてうなだれている様子が描かれています。 夏の終わり、生命の終わりを想像させ、美しさと儚さの両方を感じさせてくれます。 また、多くの人が想像するフィナーレよりも寂しげな印象がありますが、枯れた生命がもう一度夏に咲き誇るという自然のサイクルを思わせ、新たな始まりや希望が含まれているようにも感じられますね。 この作品にはQRコードはありませんでしたが、気になる作品が描かれた意図や込められた気持ちを想像するとともに、QRコードで作家のコメントを確認してみるのも新しい美術鑑賞の楽しみ方といえます。 続いては、日本画部門に隣接している工芸美術部門を見ていきます。 工芸美術部門では、多彩なジャンルの作品が展示されていました。 陶芸から磁器、漆、染め、織り、彫金、ガラスなど、素材も形態も多種多様で、自由を感じさせる展示でした。 ジャンルが豊富なため、何をどこからどのように見たらよいのかと迷ってしまいます。 しかし、バラエティに富んでいるからこそ、自分の直感に従って目に留まった作品をじっくり鑑賞してみるのもよいでしょう。 たくさんの出会いにより、自分がどのようなものが好きなのかが見えてくるかもしれませんね。 真っ黒なオブジェに描かれた繊細でありながらも色鮮やかな羽に目を惹かれて足を留めました。 漆で絵や文様を描き、金や銀の蒔絵粉で装飾する蒔絵の技法によって制作されたオブジェで、漆黒のような黒色に金色と細く鮮やかな羽が儚げに表現されていて、幻想的な雰囲気が印象的でした。 次に2階へ移動して、洋画の会場を見ていきます。 大きなサイズの作品が多いように感じられ、会場内の四方の壁を埋め尽くすように配置されており、見ごたえのある会場でした。 また、洋画を鑑賞していく際に、日本画とは異なる豪華な印象の額縁が多く使用されているように感じました。 細部まで装飾が施された額縁は、作品そのものの存在感も引き立てており、絵画がもつ魅力を最大限に引き出しているような印象を受けます。 洋画部門では、ボールペンで描かれた作品も展示されていました! ボールペンというシンプルな道具でありながらも、顔の凹凸や祈るように組まれた手の影までリアルに表現されている点が印象的です。 背景には星座と細かい字がたくさん描かれており、ボールペンならではの表現に魅了されました。 彫刻の会場内では、さまざまな作品が目を引きます。 人をモデルにしたものが多いのですが、その表現は多種多様! 裸のものもあれば、服を着ているもの、さらには布を一枚羽織っただけのスタイルまで。 中には、ジーンズを履いた現代的な彫刻もあって、思わず「今っぽい!」と感じてしまいます。 また、人だけではなく動物たちの彫刻も展示されていました。 熊やワニなど、リアルなフォルムで作られた彫刻が目の前に現れると、その迫力に思わず圧倒されます。 素材やスタイルの幅広さが魅力の彫刻たちは、見るたびに新しい発見があってとても楽しめます。 数多くの彫刻からお気に入りの一体を見つけるのも、この展示の楽しみ方かもしれませんね。 彫刻を見るとき、「なぜこのポーズを選んだのか」「何をみてポーズを決めたのだろうか」など、さまざまな想像が膨らみます。 想像力を働かせると、作品が一気に生き生きと感じられて、鑑賞がもっと楽しくなります! さらに、素材やモチーフからも作者の個性が伝わってきます。 同じ「人」や「動物」を描いていても、作品ごとにまったく違う雰囲気やメッセージが込められているのが面白いところです!。 最後に3階の書を鑑賞していきます。 書の展覧会と聞くと、いわゆる「縦長の掛け軸風の書」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、ここではそんなイメージを覆すような作品がたくさんありました。 縦長の作品だけではなく、冊子くらいの小ぶりな書や、横長のダイナミックな書もあって、サイズも形もいろいろ。 さらに、字体も作品ごとに違っていて、力強い筆遣いが印象的なものもあれば、繊細で美しいラインを描いたものもあります。 実は、日展で最も応募作品数が多いのがこの書部門だそうです。 楷書や草書など、さまざまな書体が並ぶと、そのバリエーションの豊富さに圧倒されます。 大小のサイズや独自の表現が感じられる作品が目を引き、どれもが一つの芸術として見応えたっぷりです! 筆の運びや文字の形に込められた感情や技術の違いを見ると、書道がただの文字を書く作業ではなく、深い表現の世界であることを改めて実感します。 毎回見るたびに新たな発見があり、書体の持つ力強さや優雅さに魅了されること間違いなしです。 お気に入りの作品のグッズが見つかるかも 展示作品をモチーフにした絵はがきやポスターをはじめ、多彩なアイテムが並んでいます。 お気に入りの作品を手元に置いておきたいという気持ちを、叶えてくれるラインナップです。 友人へのちょっとした贈り物にもぴったりであり、自分の部屋をギャラリーのように彩るアクセントになります。 展示の余韻をそのまま持ち帰り、日展の世界を日常でも楽しむのも、アート鑑賞の醍醐味です。 アートを楽しむすべての人に日展はオススメ! 国立新美術館で開催中の日展では、期待以上に充実した時間を過ごすことができました。 広々とした展示会場で作品の前に立ち、細部を間近で眺めたり、少し距離を取って全体の構成をじっくり楽しんだりと、さまざまな視点から鑑賞できるのが魅力です。 また、会場内ではスーツ姿の関係者と思われる方々も多く見かけ、日展がいかに多くの人々にとって重要な場であるかを実感しました。 展示されている作品の美しさだけでなく、アートを愛する人々との交流の場としての雰囲気も楽しめるのが、この展覧会の素敵なところです。 「アートの世界に浸る」とはまさにこのことでしょう。 また、国立新美術館内には、1つのレストランと3つのカフェがあり、待ち合わせや軽食、くつろぎの時間、さらには特別なご会食まで、さまざまなシーンに合わせた食の空間が充実しています。 展示を鑑賞した後は、カフェで美味しい飲み物を片手に余韻を楽しむのもおすすめです。 次回開催が楽しみになるほど、心に残る体験を提供してくれる日展。 また訪れる機会があれば、さらに深くその魅力を味わいたいと思います。 開催情報 『日展』 場所:国立新美術館 住所:〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2 期間:2024/11/1~2024/11/24 公式ページ:https://www.nact.jp/ チケット:一般1,400円、高・大学生 無料、中学生以下 無料 ※詳細情報や最新情報は公式ページよりご確認ください
2024.11.11
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伝統工芸品・工芸品・民芸品の違いとそれぞれの特徴
古くから伝わる技術を使って日本各地で作られるさまざまな工芸品は、伝統工芸品や民芸品などと呼ばれています。 地域に密着した工芸品や民芸品の違いを知ることは、旅の楽しみを増やしてくれるでしょう。 国内外から注目される、日本の工芸技術 日本では昔から、さまざまな技術を使った工芸品や民芸品が作られています。 工芸品とは 工芸品とは、日常的に使われる陶磁器や木工品、漆器などのうち、実用性に加えてデザイン性が認められるもののことです。 特に伝統的な技法を用いて作られるものは、伝統工芸品または伝統的工芸品と呼ばれることもあります。 民芸品とは 民芸品とは、人々の暮らしの中で生まれた手づくりの日用品のこと。 工芸品の中でも、より小規模に生産されるものが民芸品と呼ばれる傾向にあります。 生産地の風土や風習を色濃く反映したものが多いことも、民芸品の特徴です。 伝統工芸品と伝統的工芸品とは 伝統工芸品と伝統的工芸品は、同じような意味で使われることが少なくありません。 しかし、厳密には「伝統的技法を使用する」「主に手作業で製造されている」など、5つの条件を満たすとして、経済産業省が指定する工芸品だけを伝統的工芸品といいます。 2023年10月現在、日本には241種類の伝統的工芸品があります。 一方、伝統工芸品に明確な定義はありません。 長い年月にわたって受け継がれた技法を用いて、手作業で作られていると多くの人々が認めているものが、伝統工芸品であるとする考え方もあります。 お土産などで人気の工芸品・民芸品 伝統工芸品は、お土産としても人気です。 各地を代表する工芸品・民芸品を押さえておきましょう。 北海道・東北地方 木彫りの熊や曲げわっぱは、北海道・東北地方の代表的な工芸品・民芸品です。 木彫りの熊 (北海道) 北海道のお土産として有名な木彫りの熊は、函館近郊の八雲町が発祥といわれています。八雲町は、明治維新の後に旧尾張徳川家の藩士たちが移り住んで開かれた町。旧尾張徳川家19代藩主の徳川義親は、旅行で訪れたスイスの民芸品を参考に、副業として木工品を作ることを町民に奨励しました。 その結果、作られた品物の1つが木彫りの熊です。 木彫りの熊には、定番の鮭を加えたポーズのものから、抽象的で作家性の高いものまでさまざまな種類があります。 曲げわっぱ (秋田県) 曲げわっぱの産地としては、秋田県大館が有名です。 大館曲げわっぱは、天然の秋田杉を薄く加工して作られます。 丸みのある形状を生かし、弁当箱やおひつなどに使われることが多いことも特徴です。 寒い気候の秋田県では、真っ直ぐで強度の高い杉が育ちます。しかし、自然保護のため、2012年に天然の秋田杉の伐採は禁止されてしまいました。 在庫を使って曲げわっぱの生産が続けられているものの、天然の原料を使うものは、今後も希少価値が高まっていくでしょう。 関東地方 関東地方に今も伝わる伝統工芸品としては、高崎だるまや江戸切子があります。 高崎だるま (群馬県) 群馬県高崎市周辺で生産されているだるまを、高崎だるまと呼びます。 だるまの生産が始まったのは、江戸時代に、豊岡村で山縣友五郎が作ったのがきっかけといわれています。当時は、赤色の原料の入手が難しく生産量は限定的でした。 しかし、江戸時代後期に幕府が開国を決めると、海外から原料を輸入できるようになり生産量は増加しました。 現在では、だるまの国内シェアの8割を高崎だるまが占めるといわれています。 江戸切子 (東京都) 江戸切子とは、江戸(現在の東京)で作られている切子細工のガラス工芸品。1834年、加賀屋久兵衛がイギリスのカットグラスを真似て作ったのがはじまりといわれています。 明治時代には、イギリスから招いた技師の指導を受けたことで技術も向上しました。 江戸切子の独特の文様は、菊の花や麻の葉、籠の目などをモチーフとしています。江戸切子の製造工程の中でも、文様を刻むのは特に難しく、熟練の技が必要です。 中部地方 伊賀焼や豊橋筆は、中部地方を代表する伝統工芸品です。 伊賀焼 (三重県) 伊賀焼とは、三重県伊賀市周辺で生産される陶器です。 高音で何度も焼くことにより、独特の力強い風合いが生まれます。桃山時代には、侘び寂びを感じさせるとして、千利休などの茶人に愛好されました。 現代では、耐火性を生かして土鍋や食器などに使われます。 同じ原料を使う信楽焼とは、耳と呼ばれる取っ手の有無で区別されます。 取っ手があるのが伊賀焼です。 豊橋筆 (愛知県) 愛知県豊橋市周辺で生産される筆を豊橋筆と呼びます。 70%のシェアを占める書道用の高級筆として特に有名です。また、最近では化粧用や工業用としても使われて、熊野筆に次ぐ全国第2位の生産量を誇ります。 1804年に豊橋市周辺を治めていた吉田藩が、京都から職人を呼び寄せたことで筆の生産が始まりました。練りまぜという技法を用いて作られる豊橋筆は、なめらかな使用感や墨とのなじみのよさが評判です。 近畿地方 近畿地方では、丹波焼や紀州漆器が今も生産されています。 丹波焼 (兵庫県) 平安時代末期から鎌倉時代にかけて生産が始まった丹波焼は、六古窯の1つです。 かつては壺や甕、現代では食器や花器など一貫して日用品が中心に作られてきました。なお、鎬模様と呼ばれる、ヘラやカンナでつけられた稜線模様は、丹波焼の特徴。また、窯元によってさまざまな個性の作品が作られているため、好みや用途によって選ぶとよいでしょう。 紀州漆器 (和歌山県) 紀州漆器とは、和歌山県の海南市で作られる漆器です。 当初は生産地の名前を取り、黒江塗と呼ばれることもありました。 紀州檜を原料に、室町時代から生産が始まったといわれています。 黒塗りの上に朱塗りを重ねることで強度が高まるのに加えて、わずかに透ける黒と赤の美しいコントラストが特徴です。 水や熱に強く実用性が高いため、椀や箸、弁当箱などとして日常的に使用できます。 中国・四国地方 中国・四国地方の伝統工芸品として、三次人形や土佐打刃物が挙げられます。 三次人形 (広島県) 三次人形は、広島県北部の三次地方で江戸時代から作られている人形です。 焼成した粘土をニカワで彩色した人形は、光沢があるため「光人形」と呼ばれることもあります。 子どもの成長を願い、出産や節句のお祝い品として贈られるほか、最近は記念品やお土産としても人気。モデルとなっている人物は、天神や七福神などの神様、花魁、武者など約140種類にもおよびます。 土佐打刃物 (高知県) 土佐打刃物とは、高知県の高知市周辺で作られる各種刃物のことです。 職人が一つひとつ丁寧に作るため、注文に合わせて鎌から包丁まで多種多様な形や大きさの刃物があることが特徴です。 高知市周辺では、林業が盛んなため、昔から木を切るための刃物が必要とされてきました。 また、17世紀に土佐藩が行った元和改革により、農耕用の刃物の需要も高まったことが、土佐打刃物の起源になったといわれています。 九州地方 九州や沖縄の民芸品としては、オッのコンボやシーサーが有名です。 オッのコンボ (鹿児島県) オッのコンボは、鹿児島県に伝わる起き上がりこぼしです。 七福神の1人である大黒天の妻をかたどっているといわれており、赤く丸みのある姿はだるまのようにも見えます。 鹿児島では、台所に大黒天の人形とともにオッのコンボを飾る風習があります。 シーサー (沖縄県) シーサーは、ライオンをモデルとする魔除けの像で、石や陶器で作られたものを屋根の上に置くのが一般的です。最近はコンクリートや金属で作られたものもあります。 また、カラフルに彩色された小型のものは、お土産として人気です。 1689年に設置された「富盛の石彫大獅子」が記録に残っている最も古いシーサーです。当初は、琉球王国の施設や、村落の入口などに設置されていました。 一般家庭に普及したのは、明治時代からだといわれています。 地域の特色のある工芸品・民芸品は旅の楽しみの1つ 日本全国には、地域ごとにさまざまな種類の工芸品・民芸品があります。 土産物の定番になっているものもあれば、全国規模の知名度を誇り、日用品として一般的に使われているものもあります。 それぞれに由来や歴史があるため、詳しく知れば知るほど奥深いのが工芸品や民芸品です。 工芸品・民芸品をその土地を知る楽しみの1つにしてみてはいかがでしょうか。
2024.11.10
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伝統工芸品(伝統的工芸品)の種類と価値とは
伝統工芸品または伝統的工芸品と呼ばれるものには、さまざまな種類があります。伝統工芸品と気づかずに、日常的に使っているものもあるかもしれません。 伝統工芸品と伝統的工芸品 伝統工芸とは、長い年月にわたって受け継がれてきた技術や技法のこと。伝統工芸を使って作られた工芸品は、伝統工芸品や伝統的工芸品と呼ばれます。 2つの用語の定義は、やや異なります。 伝統工芸品とは 伝統工芸品と呼ばれるものには、明確な定義はありません。 一般的に伝統的な技術を使って作られており、製造工程に手作業が多いものを伝統工芸品と呼ぶ傾向にあります。 なお、各都道府県や自治体が伝統工芸品として認めたものは、全国に1200種類程度あるといわれています。 伝統的工芸品とは 「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて経済産業省が指定したものが、伝統的工芸品と呼ばれます。 伝統的工芸品に指定されるのは、以下の5つの条件を満たす工芸品です。 ・主として日常生活の用に供されるもの ・その製造過程の主要部分が手工業的 ・伝統的な技術又は技法により製造されるもの ・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの ・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの 引用元:経済産業省HP:https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html なお、伝統的工芸品に指定されるには、産地から経済産業省に対して申請手続きが必要です。したがって、5つの条件を満たしていても、伝統的工芸品としての申請を行っていない工芸品もあります。 伝統工芸品の種類 伝統工芸品というと、陶磁器や人形、織物などを思い浮かべる方が多いでしょう。 しかし実は、伝統工芸品には、非常に多くの種類があります。 例えば、香川県の丸亀うちわや兵庫県の播州そろばんも伝統工芸品の一つです。 そのほか、伝統的工芸品の種類としては、織物、染織品、その他繊維、陶磁器、漆器、木工品、竹工品、金工品、仏壇・仏具、和紙、文具、石工品、人形、その他の工芸品、工具用具・材料などがあります。 身近な日用品にも、伝統工芸品に該当するものがあるかもしれません。 代表的な伝統的工芸品 日本全国各地で、さまざまな伝統的工芸品が作られています。 中にはお土産としてもらったり、日用品として使用したりしているものがあるでしょう。 なお、2023年10月時点で経済産業省が指定する伝統的工芸品は、全部で241品目あります。 北海道・東北地方 北海道・東北地方の伝統的工芸品には、南部鉄器や宮城伝統こけし、会津塗などがあります。 南部鉄器(岩手県) 南部鉄器は、岩手県の主に盛岡市や奥州市水沢で作られている伝統的工芸品です。 江戸時代の盛岡藩主である南部重直が、茶の湯のために京都から鋳物師を呼んで作らせた湯釜が南部鉄器のルーツです。 現代では、和モダンをテーマに可愛いフォルムやスタイリッシュなデザインなど、さまざまな南部鉄器が販売されています。 おしゃれで実用的なため、現代では国内外から人気があります。 宮城伝統こけし(宮城県) 宮城県伝統こけしは、すべての工程を手作業で行い制作されたこけしを指します。 江戸時代から主に温泉地での土産物として盛んに作られるようになりました。 こけしには、伝統こけしと呼ばれる種類があります。 11系統あるうちの、鳴子系・弥治郎系・遠刈田系・作並系・肘折系の5種類が、宮城県にあるのです。 昭和前期以降、芸術品としての評価が高まり「こけしブーム」が起きたこともあります。 会津塗(福島県) 会津塗とは、福島県会津地方で作られる漆工芸です。 1590年、豊臣秀吉の命で会津領主となった蒲生氏郷が、奨励したことで大きく発展しました。 木地には、朴、栃、欅などが用いられており、沈金や蒔絵などによる優美な意匠が特徴です。 関東地方 益子焼、江戸木目込人形などは関東地方の伝統的工芸品です。 益子焼(栃木県) 益子焼は、江戸時代ごろから栃木県の南部に位置する益子で盛んに作られるようになった陶器です。 現在、益子には250以上の窯元があるといわれており、国内だけではなく海外からも多くの陶芸家が益子に移住し、陶器を制作しています。 流し掛けと呼ばれる技法によって生み出される、流れるような勢いのある絵柄が特徴です。 江戸木目込人形(埼玉県) 木目込人形とは、桐のおが屑と糊を混ぜて固めたものに溝を彫り、そこへ布地を入れ込んで作る人形のことです。 京都で発祥し、江戸で発展したものを江戸木目込人形と呼びます。 京都で作られるものよりもほっそりとした顔立ちで、目鼻立ちがくっきりしているのが特徴です。 江戸木版画(東京都) 江戸木版画とは、多色刷りの技術ならびにその技術によって作られた木版画のことです。 色ごとに複数の原版を作り、それらを重ねながら何度も摺ることで、カラフルな一枚の絵を作り上げます。 江戸時代に確立した技法であり、絵師・彫師・摺師の分業制によって制作されることも特徴です。 鎌倉彫(神奈川県) 鎌倉彫とは、繊細な彫刻を施した木製の箱などに、漆を塗り重ねた漆器です。 乾口色と呼ばれる茶褐色のものが一般的で、古くは仏具や香入れとして、最近ではお盆や皿などとして使用されることがあります。 中部地方 中部地方の伝統的工芸品には、美濃焼や常滑焼などの陶磁器や小千谷縮のような織物などがあります。 小千谷縮(新潟県) 小千谷縮とは、新潟県塩沢町の小千谷地区で作られている麻織物です。 平安後期には、現代に伝わるいざり機を使う技法が確立していたとされています。 1200年以上にもわたって技術を継承してきたことが評価され、「小千谷縮・越後上布」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。 美濃焼(岐阜県) 岐阜県の東濃地方で作られている美濃焼は、素焼きしたものに釉薬をかけ、もう一度焼いて仕上げられる陶器で、釉薬が生み出す美しい色合いが特徴です。 ろくろなどを使う成形の工程や、素焼きの前の絵柄つけなどに多くの手作業を必要とします。 常滑焼(愛知県) 常滑焼は、愛知県の常滑市を中心に作られている焼き物です。 平安時代後期に始まったとされ、六古窯の一つにも数えられています。 基本的に釉薬をかけないため、土に含まれる酸化鉄の働きによって焼き上がりが赤褐色になることが特徴です。 輪島塗(石川県) 輪島塗は、石川県輪島地方で作られてきた漆器です。 布で補強した器に、土を混ぜた下地を塗ることで強度の高い漆器ができることが特徴です。 漆を複数回にわたって丁寧に塗り重ねているため、堅牢かつ金銀が鮮やかに映る艶やかな漆器が魅力です。 現代のような輪島塗は、江戸時代に完成したと考えられています。 近畿地方 近畿地方の伝統工芸品には、さまざまな種類の陶磁器があります。 伊賀焼(三重県) 伊賀焼とは、三重県伊賀市と名張市で作られる陶器のことです。 8世紀の天平年間に、伊勢神宮の神瓶を制作するために興された窯が、伊賀焼のはじまりと伝えられています。 何度も高温で焼成される伊賀焼には、土に含まれるガラス質や焦げなどにより表面に模様が生まれます。 その模様が侘び寂びを感じさせるとして、茶人に愛されました。 信楽焼(滋賀県) 信楽焼は、滋賀県甲賀市を産地とする焼き物で、六古窯の一つに数えられています。 信楽焼の原料は、伊賀焼と同じく琵琶湖層土で、茶碗や花瓶、建築用のタイルまで現在でも多くの日用品が生産されています。 京焼・清水焼(京都府) 京焼・清水焼は、京都で生産される焼き物の総称です。 多種多様な技法を用いたものがそろうため、用途や好みに合わせて選べます。 特に、ご飯茶碗や抹茶碗などが多く作られています。 播州そろばん(兵庫県) 兵庫県小野市で作られているのが、播州そろばんです。 江戸時代初期から、商人や寺子屋に通う子どもたちの間で計算道具として使用されてきました。 播州そろばんは、珠が均一にそろっており使い勝手がよいことや、見た目の美しさが高く評価されています。 中国・四国地方 陶磁器のほか、筆やうちわなども中国・四国地方の伝統工芸品です。 備前焼(岡山県) 岡山県で生産されている備前焼は、六古窯の一つに数えられる炻器です。 炻器とは、陶磁器の一種で、磁器のように叩くと金属のような音がする一方、陶器の光を通さないという性質を持っています。 保温性が高く丈夫であることから、実用性が高いとして人気があります。 熊野筆(広島県) イタチやたぬきといった動物の毛を使って伝統的な技法で作られる熊野筆は、筆記用具としてだけではなく、最近では化粧筆や画筆などとしても人気です。 なお、江戸時代末期に村人たちが農閑期に作ったのが、熊野筆のはじまりといわれています。 萩焼(山口県) 山口県萩市で生産される陶器を萩焼と呼びます。 江戸時代に当時の藩主であった毛利輝元の命により、朝鮮出身の李勺光と李敬が窯を興したのが萩焼のはじまりといわれています。 素朴な見た目ながら、使うほどに味わいが出るのが萩焼の魅力です。 砥部焼(愛媛県) 砥部焼は、愛媛県伊予郡砥部町を中心に作られている磁器です。 近くの砥石山から石を切り出した際に取れる屑石を原料に作られます。 白磁に藍色の染付が特徴です。 丸亀うちわ(香川県) 丸亀うちわは、47もの工程を経て香川県丸亀市周辺で作られるうちわです。 現代では、年間1億本以上が生産され、国内シェアの9割を占めるといわれています。 九州地方 九州・沖縄地方にも、さまざまな種類の伝統工芸品があります。 博多人形(福岡県) 江戸時代頃から福岡県博多地区で作られている、色付けされた素焼きの人形を、博多人形と呼びます。 明治時代には国際的にも評判となり、1925年にはパリ万博に出品されました。 型を使う複製品と1点ものがあります。 有田焼(佐賀県) 日本を代表する焼き物の一つである有田焼は、佐賀県有田町周辺で生産されている磁器です。 真っ白な素地に、さまざまな釉薬を使って色や絵柄をつけている特徴があります。 また、ヨーロッパなどの海外への貿易品として発展した歴史もあるため、龍や吉祥文様など中国風の柄が多いことも特徴です。 琉球漆器(沖縄県) 沖縄で生産される琉球漆器は、芸術性が高く、贈答品としても人気の漆器です。 中国から伝来した技法をベースとしているため、中国風の絵柄やハイビスカスなどの沖縄の植物をモチーフにしたものが多く見られます。 日本の文化に触れる、伝統工芸品・伝統的工芸品 伝統工芸品・伝統的工芸品は、日本の伝統的な技術を用いて作られる工芸品です。 全国各地で、その地方の風習や風土に根ざした伝統工芸品が作られています。 伝統工芸品・伝統的工芸品を使ったり所有したりすることは、日本の文化に触れることにつながるでしょう。
2024.11.10
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骨董品の最適な管理方法を知って、長く大切に扱う
骨董品とは、ただ古いだけのものではなく、古い工芸品や美術品の中でも、特に価値が高いものを指しています。 大切にしている骨董品の価値を保つためには、骨董品全般に共通する管理方法を理解するとともに、骨董品の種類ごとの注意点を守らなければなりません。 骨董品をよりよい状態で持ち続けるために、適切な管理方法を知っておくとよいでしょう。 骨董品の管理方法はどうすれば安心? 骨董品を良好な状態で保管するためには、温度と湿度の維持が非常に重要です。 高い湿度は、金属や木材の腐食、カビ発生の原因となるため、骨董品全般で、避けるべき環境といえます。 また、極端に高温や低温の環境も、骨董品の状態を悪化させる要因となるため注意が必要です。 温度が高いと、骨董品の素材が変形や劣化し、温度が低すぎると繊細な素材が脆くなってしまいます。 湿度・温度を適切に管理することは、骨董品をよりよい状態で保管し、長きにわたってその価値を維持するために欠かせません。 湿度は50%前後、温度は20度前後が最適な環境とされているため、直射日光のあたらない通気性のよい場所に保管するのが望ましいでしょう。 湿気をコントロールするために、加湿器や除湿機が必要であれば使用し、エアコンや暖房器具を活用して、温度をなるべく一定に保つことが大切です。 骨董品によって最適な管理方法とは 骨董品を適切に管理することは、価値を高く保つために必要なことであり、大切な骨董品を長く愛好するためにも重要です。 骨董品の種類は多岐にわたり、それぞれに適した管理方法があります。 骨董品を適切に管理するには、種類ごとの特徴を理解し、最適な環境を整えることが大切です。 絵画・掛軸 骨董品の中でも、特に絵画や掛軸は、湿気に対して非常に敏感であるため、湿度を慎重に管理する必要があります。 過度な湿気は、紙やインク(墨)を変質させたり、表面の剥離を引き起こしたりしてしまうのです。 また、湿気だけでなく、直射日光や極端な温度変化も、骨董品の劣化を早めてしまうため、適切な管理を心がけましょう。 絵画や掛軸にとって理想的な環境を維持するためには、定期的な換気と温度調節が必要です。 室温は20度前後、湿度は50%前後が保管に理想的な環境とされているため、その範囲内に温度・湿度を調節できる環境を作りましょう。 掛軸に関しては、和紙と糊が湿気を非常に嫌うため、通気性と吸湿性に優れた桐箱で保管することが推奨されます。 直射日光や蛍光灯などの紫外線を避けるために、UVカット機能のある額に入れるのも一つの手です。 また、カビやシミを防ぐために、定期的な虫干しも大切です。 陶器 絵画や掛軸とは異なり、陶器は湿気に強いと考えられがちですが、実はそうではありません。 骨董品の陶器は、長い年月の中で表面に微細なひび割れや傷が生じる場合があります。 そのため、湿気の多い場所では表面の細かな傷などから水分が入り込み、割れや欠けの原因となってしまうのです。 また、直射日光は退色や変色の原因となるため、なるべく日光のあたらない場所での管理が望ましいでしょう。 陶器同士が触れ合わないように保管し、子どもやペットが近づかない環境にしておくことも大切。地震の揺れにも備え、多少の衝撃では落下しないような場所に保管する必要もあります。 陶器は割れやすいため、衝撃対策をしっかり行いましょう。 茶道具 茶道具は、使用するとき水に触れるものですが、保管する際には湿気を防がなくてはなりません。 茶道具の中でも木製の道具は、湿気により変形してしまうおそれがあるためです。 また、金属製の道具の場合は、湿気がサビの原因を作ります。 直射日光による退色や変色にも気を配り、布や紙に包んで保管するのがよいでしょう。 また、茶道具の中には小さな道具も多いものですが、すべての道具をまとめて布で包んだり、一つの箱に入れてしまうことはお勧めできません。 道具同士が触れ合って、割れたり欠けたりする可能性があるためです。 小さな道具は個別に包み、箱に入れて保管すると、破損のリスクを軽減できるでしょう。 日本刀 日本刀を保管する場合も、まずは湿気と温度管理に細心の注意を払う必要があります。 床の間や壁などに飾るとき以外は、装飾のない白鞘に収めて保管するのがよいでしょう。白鞘は、湿気と乾燥を適度にコントロールしてくれるため、日本刀を保管する際に適した外装です。 湿気を防ぐことで刀身をサビから守れますが、それに加えて定期的な手入れを行うことで、日本刀をさらに良好な状態に維持できます。日本刀は、鑑賞のたびに手入れをすることが理想とされているため、鑑賞の頻度が高い場合は、それだけ手入れの頻度も高くなるでしょう。しばらく鑑賞しない場合でも、数か月に1度は手入れをし、湿度・温度が管理された保管場所に収納してください。 骨董品は管理方法次第で価値が変わることも 骨董品は古くから残っているものであるため、適切な管理方法で常に良好な状態を保つ必要があります。 管理方法が不適切であった場合、骨董品の価値が大きく損なわれるおそれがあります。 価値の低下を防ぐためにも、骨董品の種類にあった管理方法を理解し、常日頃から実践することが大切です。 骨董品は古い時代に制作されたものであるため、適切に管理していても、傷や汚れがついてしまう場合があります。 骨董品買取業者を利用した骨董品の売却時、傷や汚れが気になっても無理に取り除かないほうがよいでしょう。 修理によってかえって状況を悪化させてしまったり、骨董品の価値より修理費用が高くついてしまったりする可能性があるためです。 骨董品を売却する場合は、専門家への査定依頼がお勧めです。
2024.11.10
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骨董市で掘り出し物を見つけよう!希少なお宝が見つかることも…
お気に入りの品や欲しかった品、珍しい品など掘り出し物が見つかることを期待して骨董市に参加する方は多くいます。 イベントや催事として開催されることが多い骨董市ですが、どのような商品が並べられているのか、詳しく知らない方も多いでしょう。 まだ、骨董市に参加したことがない方や、これから参加してみたいと考えている方は、骨董市を楽しむためのポイントを押さえて、お気に入りの品に出会えるようにしましょう。 骨董市とは 骨董市とは、全国から集まった骨董品が販売されるフリーマーケットのようなものです。 古美術品や古道具、陶磁器など並べられている作品のジャンルは、多岐にわたります。 骨董市で、価値の高いものや欲しかったものに偶然出会えると、心が高鳴るでしょう。 骨董市は、定期的に開催されるものもあれば、限定的に開催されるものもあります。開催日も、週末や特定の日にちのみなど、イベントによって異なるのが特徴です。開催時間は、一般的に朝から夕方までのため、骨董市に行き慣れた方であれば、早朝から現地に訪れ、掘り出し物に狙いを定めることもあるようです。 初めて参加する場合は、品物をゆっくり吟味できるよう、午前中の早い段階から足を運んでみてはいかがでしょうか。 骨董市に掘り出し物はある? 骨董市を楽しむにあたって、最低限守っておきたいマナーを把握しましょう。 ・出店スペースに出入りする場合は、店主に一言挨拶する ・品物を手に取って見たい場合、店主に一言断りを入れる ・品物は壊れやすいため、丁寧に扱う ・品物に接触しないような服装を心がける 骨董品は、作られてから時間が経っている作品ばかりのため、取っ手やつまみだけを持ち上げると、壊れてしまう可能性があります。 両手で丁寧に持ったり、高い位置で粗雑に扱ったりしないような意識が大切です。 また、掘り出し物を見つけたい場合は、店主とコミュニケーションを取りましょう。 分からないことは気軽に聞いてみると、知識を深められるとともに会話を通じて自分の好みを再認識できるかもしれません。 コミュニケーションを取ると、値段交渉に進みやすくなるメリットもあります。 骨董市には、さまざまな作品が出品されていますが、中には高額商品も含まれています。 しかし、骨董市は真贋の審査が厳格になされているわけではありません。 購入価格が高額だったにもかかわらず、査定してみると購入金額に見合うような価値は持ち合わせていなかったというケースもあるでしょう。 そのため、さまざまな価値の品物がおいてあることを前提に楽しむことが大切です。 もちろん、貴重な掘り出し物が見つかる可能性もゼロではありません。 ぜひ骨董市にて自分の目で見て、価値のあるものや気に入ったものを選定する楽しみを味わってみてください。 全国で定期的に開催される、骨董市 骨董市は、全国各地で定期的に開催されており、規模の大小はさまざまです。 アンティークや骨董品に興味を持つ若者も年々増えてきており、全国の骨董市は盛り上がりをみせています。 北は北海道、南は沖縄と、幅広い地域で開催されていますが、規模や頻度は東京がもっとも高い傾向です。 また、骨董市以外に蚤の市やマルシェといった名称で開催されていることもあるため、名称が異なるイベントでも、出品される品物が何かをチェックしてみるとよいでしょう。 気になる骨董市が開催されていれば、思い切って行ってみることをお勧めします。 骨董品・古物探しだけじゃない!骨董市の楽しみ方 骨董市の楽しみ方は、骨董品や古物探しだけではありません。 蚤の市やマルシェなどの名称でも開催される骨董市では、食事や軽食の移動販売車が参加していたり、フードコートが併設していたりと、食事も一緒に楽しめるケースがあります。 また、郷土芸能の披露をはじめとした地域性や独自色のあるイベントも同時に開催されており、観光としても楽しめるでしょう。 出店ブース巡りに疲れ、ほっと一息つきたいときは、気軽にカフェを楽しめます。 また、地産地消の地元食材に出会えることもあり、規模が大きいイベントでは、1日中楽しめる点が骨董市の魅力でしょう。 掘り出し物を自分で見つける楽しさが骨董市にはある 骨董市は、欲しかったもの以外にも、今まで出会うことのなかった掘り出し物を、自分で見つけられる楽しさがあるイベントです。 十分に楽しむためにも、最低限のマナーを守る必要はありますが、あまり気負いせずに気軽に参加してみることをお勧めします。 また、骨董市にあわせて飲食店が出店されているケースも増えています。 骨董市は、楽しみ方のバリエーションが多い催し物であるため、気になる方はぜひ一度参加してみましょう。
2024.11.10
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屏風絵は骨董品として価値がある?高額買取のポイントとは
飛鳥時代に中国から伝わったとされる工芸品の「屏風」。 大昔から大変価値のある調度品や芸術品として、大切に扱われてきました。 現代においても、お寺や格式ある和室には、屏風が置かれているものです。 しかし、一般家庭に置くにはサイズが大きく「邪魔だから売ってしまいたい」と考える方も珍しくありません。 買取を依頼する際、価値のつく屏風には条件があります。 自宅にある骨董品・屏風の買取はしてもらえる? 屏風の買取は、専門の査定士でも難しいといわれています。 サイズが大きく、チェックする範囲が広いため、価値を見極めるのに時間がかかるのです。 また、作家の名前や贋作の可能性など、複数の要素によって価値が大きく変動するため、一概にすべての屏風に価値があるとは限りません。 骨董品の価値を決めるうえで、保存状態は非常に重要です。 作家名や年代など専門的な情報は、査定士にしかわかりませんが、傷や汚れは一般の方でも比較的チェックできる項目といえます。 査定に出す前に、自身の目で古い傷や汚れがないかチェックしましょう。 その屏風にも価値があるかも 価値を知らずに所有していた屏風が「実は著名な作家の屏風だった」といったケースも、ゼロではありません。 屏風・掛軸・浮世絵など、日本の工芸品に記されている画号(作家名)は、著名な作家の別称が用いられる場合があります。 例えば、浮世絵師で有名な葛飾北斎は「画狂老人卍」「勝川 春朗」など、作家名を生涯で30回も変更しています。 葛飾北斎と記されていない浮世絵でも、実は葛飾北斎本人の可能性があるのです。 「聞いたことのない名前だからリサイクルショップで売ればいいかな」とは考えず、保存状態がよいならプロの査定士へ相談しましょう。 工芸品の知識に詳しい専門家が、自宅にある骨董品の正体を明らかにします。 屏風に汚れや傷があっても大丈夫? 骨董品は、相当な年数が経過しているため、保存環境や人の手によって劣化している可能性があります。 状態がよいに越したことはありませんが、古いアイテムである以上、経年による劣化は避けられないでしょう。 骨董品の買取においては、買取前の修繕・清掃は避けたほうがよいとされています。 新しい傷や汚れが発生すると査定額が下がるため、基本は触らずに査定士に相談するのがお勧めです。 特に屏風や掛軸は、傷や汚れが起こりやすく、古いものほど慎重に扱う必要があります。 高価買取が期待できる作家 著名な作家が作った屏風は、高価買取が期待できます。 場合によっては、国宝級の可能性もあるため、出自が不明な屏風が自宅や実家で見つかったなら「落款」と呼ばれる作家名を調べてみましょう。 横山大観 作家名:横山大観 生没年:1868年〜1958年 代表作:『海に因む十題・山に因む十題』『生々流転』 横山大観は、明治初期から昭和にかけて活動していた芸術家です。 朦朧体と呼ばれる絵画技法を用いた、みずみずしいタッチと独特の表現が作品の魅力。 文化勲章など数々の賞を受賞する実績を持ちます。 代表作である『海に因む十題・山に因む十題』『生々流転』は、重要文化財に指定されました。 屏風の作品は、そのほとんどが美術館にて保管されているため、新たな作品が発見されれば高額買取が期待できるでしょう。 尾形光琳 作家名:尾形光琳 生没年:1658年〜1716年 代表作:『燕子花図』『八橋図 六曲屏風一双』 尾形光琳は、江戸時代中期から後期にかけて活動した琳派の絵師です。 当時、画家の流派では、世襲や師弟による技術の伝承が行われていましたが、琳派は先人の模倣のみで研鑽を行う珍しいスタイルでした。そのため、尾形光琳は過去の偉人たちの模写に多く取り組んでいたそうです。 代表作は『燕子花図』『八橋図 六曲屏風一双』。 背景に金箔を使った豪華絢爛さが特徴で、現在は国宝に認定されています。 ほかにも模写作品が多数存在するため、発見されれば高価買取が期待できるでしょう。 長沢芦雪 作家名:長沢芦雪 生没年:1754年〜1799年 代表作:『虎図襖』『白象黒牛図屏風』 長沢芦雪は、江戸時代中期に活躍した絵師です。 円山派の祖である円山応挙を師に持ち、自由奔放な作品を多数制作しました。 類い稀なセンスを持ちながら、粗暴の悪さが際だっていたことでも知られます。 長沢芦雪は、屏風の作品を多数手がけており、主に動物をモチーフにしたものが人気を集めていました。 少しデフォルメが入った作風は、かわいらしさも感じられます。 もし、自宅にかわいらしい動物の屏風があるなら、長沢芦雪の作品かもしれません。 棟方志功 作家名:棟方志功 生没年:1903年〜1975年 代表作:『釈迦十大弟子』『東北経鬼門譜』 棟方志功は、明治時代から昭和時代にかけて活動していた版画家です。 希代の変人として有名ですが、世界的な知名度を誇り、版画の巨匠とも呼ばれています。 代表作の『釈迦十大弟子』は、12作品からなる釈迦の十代弟子をモチーフにした版画で、ダイナミックな構図が特徴です。ほかにも作品によっては1,000万円以上もの価値を持っているものもあります。 さまざまなジャンルの版画を手がけた棟方志功ですが、中でも屏風作品は、非常に高い価値があるとされます。 もし、棟方志功の屏風作品が自宅にあった場合、数百万円を超えても不思議ではありません。 屏風を高価買取してもらうためのポイント 屏風を高価買取してもらうには「保管状態」「作家名」「年代」「付属品」の4つが大きく関わります。 まず、保管状態ですが、傷や汚れはもちろん、破れやカビがあるとマイナス査定です。 屏風や浮世絵などの絵画作品は、状態によるマイナス幅が大きく、著名な作品でも大幅な減額が予想されます。 修繕や清掃の必要はありませんが、ほこりを払う程度のメンテナンスはしておいたほうがよいでしょう。 作家名と年代については、落款を確認します。 屏風作品は、贋作も多く、また作家も多数存在します。 判別がつかない場合や、落款がない作品については、査定士に相談しましょう。 著名な作家の作品と判明すれば、買取金額は跳ね上がります。 付属品は、作品の説明書きや箱などを指します。 場合によっては、本物であると証明する材料にもなり得るため、付属品も大切に保管しましょう。 屏風買取は信頼できる骨董品買取業者へ相談を 骨董品を査定してもらう場合は、実績と評判のある業者への依頼をお勧めします。 悪質な業者だと、不当な買取価格の提示や、査定結果を偽るといったケースも考えられます。 実態のわからない怪しい業者は、依頼を避けましょう。 屏風を手放すことを考えている方はもちろん、その価値を知りたい方も、まずはプロの査定士へ相談してみてはいかがでしょうか。
2024.11.10
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伝統ある日本人形は骨董品として高額買取が期待できる
日本人形は、民芸品や工芸品として昔から愛されてきました。 自宅に古い日本人形がある方は、多いのではないでしょうか。 日本人形の中には、芸術的・歴史的価値を持つものがあります。 そのような日本人形は、骨董品として買取できる可能性があるため、骨董品買取業者に相談するのがお勧めです。 昔からある日本人形は買取してもらえる? 日本人形は、昔からある工芸品の一つです。 骨董品としての価値があるものは、買取が可能です。 日本人形とは 日本人形とは、髪を結い、和服を着た日本の伝統的な人形です。 一般的に日本人形という場合、市松人形や衣装人形を指すことが多いものの、ほかにもさまざまな種類があります。 日本では、平安時代に健康に育つことを祈って生まれた子どもの枕元に人形を置く風習がありました。このとき置かれた人形には、子どもの身代わりとなって厄災を引き受ける役割がありました。 この人形が日本人形の起源だと考えられています。 また、江戸時代には嫁入り道具の一つとして人形を持たせることが広まりました。日本人形に姫君や町娘、舞妓などの女性をかたどったものが多いのは、花嫁の厄除けの意味があったからだといえます。日本人形を婚礼道具とする風習は、1980年代ごろまで続きました。 日本人形は骨董品買取してもらえる? 最近は、日本人形を婚礼道具としたり行事の際に飾ったりする家庭が少なくなっています。 需要減少のため、日本人形を買取していない業者もあるため注意が必要です。 一方で、日本人形の中には、骨董品として高い価値を持つものもあり、積極的に買取している業者もいます。 例えば、以下のような人形は、高く売れる可能性があります。 ・有名作家や人間国宝の作品 ・江戸時代以前に作られた日本人形 ・鑑定書つきの人形 ・保存状態のよい人形 日本人形の買取価格を決めるポイントの一つが、作家です。 有名な作家や、人間国宝に指定された作家が手がけた日本人形は、高額買取されやすいでしょう。 また、有名作家の作品といわれるものの中には、贋作もあります。 本物だと証明する鑑定書がついていることも、買取価格が高くなりやすい人形の特徴です。 江戸時代以前の日本人形は、希少価値が高いため高額買取が期待できます。 また、どのような人形であっても保存状態がよければ、買取価格アップにつながる可能性があります。 日本人形の種類 日本人形は、特徴や産地などによっていくつかの種類に分けられます。 市松人形 市松人形とは、江戸時代に広まった代表的な日本人形の種類です。 短い黒髪の少女の人形で、着物を着ているのが特徴です。 ただし、当初は着せ替え人形として裸の状態で販売されていたといわれています。 人間国宝の平田郷陽のほか、大木平蔵、山川永徳斎などが、市松人形の主な有名作家です。また、目にガラスを使ったものや、上質な布で作られた衣装をまとったものなどが高額買取されやすい傾向にあります。 御所人形 御所人形は、江戸時代に主に宮中で愛好された日本人形です。 体型や表情などは幼児をモデルとしており、一般的な座り姿や立ち姿のほかにハイハイしている姿など、さまざまなポーズのものがあります。 また、着衣のものと裸のものと2種類あることも御所人形の特徴です。 京都で作られる御所人形の有名作家としては、伊東久重や島田耕園などがいます。 伊藤久重の作品は、御所人形の中では特に買取価格が高く、20万円程度で取引されることもあります。 ひな人形 ひな祭りの定番であるひな人形も、日本人形の一種です。 多くの方にとって最も身近な日本人形といえるでしょう。 本来は、各種の人形のほか、ぼんぼりや屏風といった小道具がそろった七段飾りが正式とされています。しかし、最近の住宅事情から三段や五段のコンパクトなひな人形も人気があります。 ひな人形のうち、骨董品として特に価値があるのは、江戸時代に作られた享保雛や次郎左衛門雛です。 五月人形 5月5日の子どもの日に合わせて飾られる五月人形も、日本人形です。 女の子のためとされるひな人形に対し、五月人形では、男の子の健やかな成長を願い、兜や甲冑を飾ります。 五月人形の有名作家には、兜や甲冑の制作や修復も手がける平安住一水、鈴甲子雄山などがいます。 木目込人形(きめこみにんぎょう) 木目込人形とは、おが屑と糊で作ったボディに溝をつけ、その溝に沿ってちりめんや友禅などの布を入れ込んで作る日本人形のことです。 京都が発祥で、のちに江戸(東京)でも作られるようになりました。 木目込人形の作家としては、人間国宝の野口園生や、師弟関係にあたる田中秀代が有名です。 また、木目込人形の原型と言われる加茂人形も、骨董品として高い価格で取引される傾向にあります。 御台人形(おだいにんぎょう) 御台人形とは、御所人形を桐の台に乗せ、周囲を動植物の模型で飾ったものです。 御台人形は、身の丈1尺(約30cm)で頭が大きく作られており、白い肌に幼児の姿をしています。 健康を願い、天皇皇后両陛下から皇室の子どもたちへ下賜されます。 初節句などのお祝いごとにふさわしい、明るい雰囲気のものが多いことも特徴です。 こけし人形 主に、宮城県を中心とする東北地方で作られてきたこけし人形も、日本人形の一つです。 1300年ほど前の奈良時代から、こけしに似た木工玩具が作られていたという記録があります。 ただし、現在のような彩色された人形が作られるようになったのは、江戸時代のことです。 昭和前期にこけしの芸術品としての価値が認識されると、ブームとなり生産量が増えました。そのため、戦前に作られたもののほうが、骨董品としての価値が高いといえます。 こけしの作家としては、版画家としても名高い棟方志功や佐藤正廣が有名です。 博多人形 博多人形は、江戸時代初期から福岡県で作られている素焼きの人形です。 1600年に、黒田長政の筑前入国に伴って多くの職人たちが集められました。 集まった職人たちが素焼き人形を制作し、現在の伝統的な博多人形の礎が築かれたといわれています。 江戸時代後半から、特に活発に生産されるようになり、明治時代には海外へ輸出されることもありました。 博多人形と名付けられたのは、1925年のパリ万博出品がきっかけだったといわれています。 博多人形の有名作家には、人間国宝の中村信喬や宗田源造がいます。 奈良人形 奈良人形は、奈良県の代表的な木工芸です。 荒々しいともいえる大胆なタッチが、まるで一刀で彫ったように見えることから、奈良一刀彫とも呼ばれます。 奈良人形のルーツは、神事で使われる人形。 のちに、江戸時代に岡野松壽 と名乗った彫師が、一般向けに神事用に似せた人形を作り始めました。この人形が、やがて奈良人形と呼ばれるようになったのです。 奈良人形の有名作家といえば、江戸時代末期に活躍した森川杜園です。 鹿を中心とする動物の人形を得意とし、1893年のシカゴ万博に出品された『牝牡鹿』は、文化遺産に指定されています。 大切にしてきた日本人形だからこそ、価値の分かる骨董品買取業者へ 日本人形の歴史は、平安時代に始まったといわれています。 江戸時代から1980年代ごろまでは、婚礼道具の一つとして使われることもありました。 伝統的な技術で作られた日本人形には、骨董品としての価値があります。 大切に受け継がれてきた人形を、納得いく形で処分するには買取がお勧めです。 有名作家や人間国宝が作った人形や、江戸時代以前に作られた古い日本人形、保存状態のよいものなどは、特に高額買取が期待できます。 日本人形を手放すのであれば、価値の分かる骨董品買取業者へ相談しましょう。骨董品を専門としない業者に買取を依頼する場合、相場より安い価格で売ることになるかもしれません。そのため、信頼できる骨董品買取業者を選ぶことが大切です
2024.11.10
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骨董品査定は写真だけでもできる?自宅から簡単無料相談
骨董品をお持ちの方なら、自分が所有する骨董品を査定に出したらどれくらいの価値がつくのかと考えたことがあるのではないでしょうか。 最近では、近くに骨董品買取の店舗がない場合や、店頭に品物を持っていく時間がない方のために、オンラインによる写真査定が行われています。 オンラインによる写真査定は、手間と時間がかからない査定方法として人気です。ただし、写真査定だけではわからない価値もあるため、最終的には実物を見てもらうことをお勧めします。 骨董品は写真だけで査定してもらえる? 近年では、高性能なカメラを搭載したスマホの普及により、高画質の写真を簡単に送信できるようになりました。 それにともない、骨董品もメールやLINEで写真を送るだけで査定してもらえるサービスが増えています。 骨董品写真査定の際に気を付けたいポイント 骨董品の写真査定は、大変便利ですが、写真だけで査定が行われるため、いくつかの点に注意する必要があります。 依頼者が撮影した写真だけで骨董品の価値を正確に査定しなければいけないため、正面・背面・底面などさまざまなアングルから写真を撮る必要があります。 作者名や作品名などの記載があれば、それらも撮影し忘れないよう注意しましょう。 また、骨董品の細部や付属品の写真を撮ることも重要です。 品物の状態やサイズなども測定して正確に伝え、撮り逃しや伝え漏れがないようにしましょう。 骨董品写真査定のメリット 骨董品の査定を写真で行うメリットとして、手軽に依頼できることが挙げられます。 店舗に出向くためにスケジュールを調整したり、遠い場所から骨董品を査定場所まで運んだり、時間や場所による制約を受けずに査定を受けられるのは、大きなメリットです。 多くの写真査定は、24時間対応しているため、日中忙しい方でも都合の良い時間に査定を受けられます。大手の骨董品買取業者では、写真査定を実施している店舗が多く、安心して査定を受けられる点も魅力です。 骨董品写真査定のデメリット 骨董品を写真査定に出すデメリットとして、査定に出す骨董品の点数が多い場合は、相当量の写真を撮らなければならない点が挙げられます。 1点の品物でさえ、さまざまなアングルの写真を撮らなければならないため、点数が多くなると非常にたくさんの写真を撮影しなければなりません。 また、実物を直接見ずに行う写真査定では、細かい部分がチェックできないため、真贋を判断するのが難しい場合もあります。 写真査定は、簡易的なものと割り切り、本当の価値を知りたい骨董品に関しては、後日直接査定を依頼するのがよいでしょう。 最終的な価格決定や真贋判断をするためには、鑑定士が直接目で見る査定が不可欠であるといえます。 骨董品は直接査定してもらうことでより安心できる 骨董品の真贋を判定し、適正な価値を見極めるためには、専門家の目による査定が欠かせません。実物の骨董品を直接見てもらえれば、品物の細部まで観察が可能になり、より正確な判断ができます。 直接査定には、持ち込み査定や訪問査定のほか郵送による査定もありますが、骨董品を直接目で見て触れて査定する点は同じです。 持ち込み査定 持ち込み査定は、点数が多い場合は手間がかかり、事前予約が必要な場合もあるため、ある程度の時間と労力が必要です。 査定額に納得がいかなかったり、偽物であると判断されたりした場合に、持ってきた骨董品をまた持ち帰るのにも手間がかかるでしょう。 しかし、その場で査定のフィードバックを受けられる点に大きなメリットがあります。 今すぐ価値を知りたいという方に適している査定方法です。 また、査定の過程を直接確認できるため安心感があり、詳細な解説や判断の根拠をその場で聞くことが可能です。 訪問査定 訪問査定では、骨董品買取店の査定士が自宅に訪問して査定をしてくれます。 地域によっては、対応エリア外のケースがあり、誰でも訪問査定を受けられるわけではない点がデメリットといえるでしょう。 また、自宅や実家に訪問してもらうため、他人を家に入れることに抵抗がある方や、スケジュール調整がしにくい方には不向きです。 しかし、骨董品を移動させることなく査定が受けられるメリットは大きく、品物の点数が多い場合や重い品物があるときには非常に便利な査定方法でしょう。 郵送査定 郵送査定では、品物を買取業者に郵送することにより、専門家の直接査定を受けられます。 郵送中に骨董品が破損しないように配慮する必要があります。 また、査定結果がわかるまでにタイムラグが発生する点がデメリットです。 しかし、郵送査定は、品物を運ぶ手間やスケジュール調整が不要というメリットがあります。 写真査定と類似した点もありますが、郵送査定の場合は写真ではなく、直接骨董品を査定士に見てもらえるため、安心感があるでしょう。 悩んだらまずは骨董品の写真査定相談を活用してみよう 自宅や実家に骨董品が眠っており、売却を考えているがまだはっきりと決めていないのであれば、骨董品の写真査定相談を活用するのがお勧めです。 店舗に持ち込む方法や訪問してもらう方法、郵送により査定してもらう方法などには、それぞれにメリット・デメリットがあります。 自分に適した方法を選んで、買取をスムーズに進めましょう。 また、業者によって見積もりの方法や対応可能な内容が異なるため、事前に連絡を取って確認しておくと安心です。
2024.11.10
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