-
信楽焼 買取 | 高額買取が期待できる条件や買取業者とは
信楽焼は価値ある骨董品 信楽焼は、温かみのある発色と土の独特な質感が特徴的な作品で、信楽焼によって作られた生き物たちは、幸運を運んでくれる縁起物として知られています。 福を呼ぶ信楽たぬきや福帰る信楽かえる、福をはこぶ信楽ふくろうなど、さまざまな生物が信楽焼によって製作されています。 わびさびを感じられる信楽焼は、日本のみならず海外からも高い人気を誇っている作品です。 たぬきだけじゃない、信楽焼 信楽焼は、鎌倉時代中期ごろから製作が始まったといわれており、聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手した際に、布目瓦、汁器の須恵器が製作されたそうです。 信楽焼はたぬきの置物で有名ですが、それ以外にも水がめ、茶壷、種壷、茶器、徳利、火鉢、植木鉢など、大きいものから小さいものまで、さまざまな焼き物が製作されています。 骨董品として価値の高い信楽焼 信楽焼は、滋賀県甲賀市信楽を中心に生産されている焼き物を指します。 古くからの伝統を引き継いで製作されている信楽焼は、1976年に国から伝統工芸品として指定されたことで、より全国に知れ渡るようになりました。 信楽焼は、優れた耐火性と粗い土質が特徴で、陶土に木節粘土をあわせているため可塑性があり、コシにより大物や肉厚の焼き物を作る際にも適しています。 焼き上がりは、肌色やピンク色、赤褐色系の美しい色合いが表れ、表面にビード口釉や焦げをつけて他産地にはない個性を表現しています。 温かく人間味あふれる柔らかな表情は、信楽焼作品の特徴の一つです。 信楽焼は、良質な陶土によって土の質感を楽しめるとして、多くの人気を集めています。 そのため、有名な作品や保存状態のよい作品では、高価買取も期待できるでしょう。 有名な信楽焼作家 信楽焼には有名な職人が多くおり、作品によっては高価買取が期待できます。買取市場の相場を調べるためにも、人気作家の名前や作品の特徴を把握しておくことが大切です。 北大路魯山人 京都生まれの北大路魯山人(1883-1959)は、信楽焼だけではなく数々の芸術分野で活躍した人物です。 20歳で実母のいる東京に移り住んでから、最初は書や篆刻分野で活動をしていましたが、30代後半ごろからは、料理の器作りに没頭するようになり、ついには自分で窯を作り器を製作するまでになりました。 陶芸家としても活動を広めていた魯山人は、信楽の良質な土を大変気に入り、たびたび信楽を訪れていたそうです。 魯山人は、信楽焼独特の明るい緋色を活かした深みのある作品を製作し続け、人々を魅了しました。 人間国宝の認定を2度受けていますが、芸術家に勲章はいらないという信念を持っており、どちらも辞退しています。 多彩な芸術家である魯山人が製作する信楽焼は、高価買取が期待できる作品です。 高橋春斎 高橋春斎(1927-2011)は、20世紀を代表する信楽焼職人の1人で、父である3代目高橋楽斎に師事し、1968年に自らの窯を開いています。 信楽陶芸展や滋賀県文化賞などさまざまな賞を受賞しており、滋賀県の指定文化財保持者の認定も受けています。 荒々しさの中にも温かみを感じられる高橋春斎の作品は、素朴で味わい深い魅力が人気の理由の一つです。 骨董品市場でも独特の味わいに魅了される人が多く、高価買取が期待できるでしょう。 辻清明 辻清明(1927-2008)は、信楽焼の職人でありながら東京都名誉都民にも推挙された人物です。 10代のころから陶芸に興味を持ち、陶工のもとで学びを得ていました。 清明の作品は、自然釉を使用した信楽焼が特徴で、光風会展の出品工芸賞や日本陶磁協会賞など、数々の賞を受賞しています。 有名な作品には、土で羽を表現している『信楽フクロウ』があり、「明る寂びの美」と呼ばれる独特の世界観を表現した数多くの作品は、骨董品市場でも人気を集めています。 大谷司朗 滋賀県生まれの大谷司朗(1936-)は、信楽焼職人として信楽町の重要無形文化財に認定されている人物です。 第2回朝日陶芸展にて初入選後、数々の賞を受賞しており、信楽焼の匠として一目置かれる存在でもありました。 中世以降の陶芸家に好まれた、黄瀬戸と呼ばれる長石や石英粒の混じった粗い信楽の土を用いると、火色や灰被りなどの文様が表れます。 その黄瀬戸を用いた司朗の作品は、明るい緋色やまろやかな器形などと表現されています。 自宅にある信楽焼を高く売りたい 遺品整理により、名前も知らない骨董品を譲り受けることもあるでしょう。 手元に信楽焼と思われる作品がある場合、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。 有名職人が手がけた作品であれば、思わぬ高価買取が期待できるかもしれません。 売却するにしても、自宅で使用するにしても、作品の価値を知っておくことで、適切な扱いができるようになります。 高価買取が期待できる作家物や古信楽焼 信楽焼の中でも、有名な職人が製作した作品や古信楽焼は、特に高価買取が期待できます。 古信楽とは、鎌倉時代から室町時代ごろに製作された信楽焼を指しており、古い作品では多少保存状態がよくなくとも、高い価値をつけてもらえる可能性があります。 有名職人の作家物も高価買取が期待できる作品で、今回紹介した作家以外でも高価買取のチャンスはあるでしょう。 所有している信楽焼が作家物であるかを確認するためには、作品本体の裏面に押されているケースの多い、落款をチェックしましょう。 ただし、本物であるかどうかは、専門家に確認してもらわなければ判断が難しい部分もあります。 落款と思わしきものを発見したら、一度査定に出してみるのも一つの手段です。 古びていてもその古さが価値になることも 信楽焼の中でも特に古い時代に作られた古信楽は、琵琶湖層から採れた細かい石粒を使用しており、土の風合いをより感じられる作品です。 独特の風合いを好む人も多く、古さゆえの希少性も相まって、骨董品市場でも大変人気の高い作品です。 そのため、骨董品としての価値が高い古信楽は、高価買取が狙えるといえるでしょう。 不用品買取業者やオークションで失敗する前に 信楽焼をはじめとした焼き物の買取は、専門知識が豊富な査定士への依頼がお勧めです。 不用品買取業者やオークションで買い取ってもらうと、適切な価値が判断できずに適正価格よりも安い値段で引き取られる可能性があります。 価値ある作品を適切な価格で買い取ってもらうためにも、骨董品や焼き物に関する知識や経験が豊富な鑑定士に査定を依頼しましょう。 手放す前に、まずは正しい価値を知ることが大切です。 信楽焼のたぬきにはどんな意味や歴史がある? 信楽焼のたぬきは、縁起物として有名な作品で、商売繁盛や福を招く、金運アップなどの効果があるといわれており、開店祝いや引っ越し祝いの贈り物として人気の高い作品です。 信楽焼のたぬきは、信楽焼作品の中では比較的歴史が浅く、明治時代に狸庵初代である藤原銕造が製作した作品が始まりといわれています。 信楽焼のたぬきが縁起物といわれる理由は、たぬきの名前にあります。 たぬきは「他を抜く」とも捉えられ、商売繁盛の縁起物として店先によく置かれるようになりました。 また、信楽焼のたぬきは八相縁起と呼ばれる8つの縁起を持つ姿で製作されています。 8つの縁起物とは、大きな笠・大きな目・顔・徳利・通い帳・大きなお腹・大きなしっぽ・大きな金袋です。 信楽焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 手元にある信楽焼の価値を正しく知りたい方は、高価買取の実績がある買取業者に相談しましょう。 実績が豊富な業者は、信楽焼をはじめとした焼き物の知識や経験が豊富であると考えられます。 専門的な知識を持っている査定士に依頼すれば、適切な価値を判定してくれるでしょう。 お手持ちの信楽焼を売却しようか迷っている方は、まずは一度無料査定を受けて価値を知ることをお勧めします。 価値を知ったうえで、自宅で普段使いするのか飾るのか、または買い取ってもらうのかを判断しましょう。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 陶器
-
常滑焼 買取 | 高額買取が期待できる条件や買取業者は?
常滑焼は価値ある骨董品 常滑焼は、伝統ある陶器で、基本的には職人が一つひとつ丁寧に作り上げています。 生産の地である常滑には、招き猫や土管が並び、レンガで作られた煙突といった景観を楽しめるやきもの散歩道があります。 常滑焼に興味を持って、生産地を訪れたいと感じた方は、ぜひ現地で散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。 使い込むことで味わいの増す、常滑焼とは 常滑焼とは、日本の伝統工芸品の一つで、愛知県の知多半島中央部の伊勢湾に面した常滑市を中心に作られている製品です。 酸化鉄を多く含んでいる朱泥と呼ばれる土を使用しており、赤褐色の独特の風合いに焼きあがる特徴があります。 そのため常滑焼は昔、赤物とも呼ばれていました。 釉薬を使用しない素焼きで製作されるのが一般的で、焼成温度が高いため固く締まり、素焼きでありながら強度に優れている点も特徴の一つです。 骨董品として価値の高い常滑焼 常滑焼の歴史は、約900年前の平安時代末期までさかのぼります。 当時、酒や油などを貯蔵するための壷や鉢、かめなどが焼かれており、この時代に焼かれたものは、古常滑と呼ばれています。 室町時代に入ると、常滑で製作された壷やかめなどの大きな器は、船で日本全国に輸出されるようになりました。 江戸時代以降は、以前から製作されていた真焼けと呼ばれる高温で焼き締めた吸水性の少ない焼き物のほかに、赤物と呼ばれる低温で焼いた吸水性のある赤褐色の焼き物も製作されるようになりました。 明治時代には、欧米の技術を取り込み機械化され、常滑焼が大量生産されるようになります。 技術も高まったことで製作できる焼き物の種類も増え、質の高い常滑焼が製作できるようになりました。 また、常滑焼は2017年に日本遺産へ登録されています。 有名な常滑焼作家 愛知県常滑市を中心に製作されている常滑焼には、優れた職人が多く存在します。 常滑焼の買取を検討するとき、有名作家であるか確認できるようにするためにも、代表的な作家の名前や概要を知っておくとよいでしょう。 森下宗則 森下宗則は、1954年、愛知県常滑市生まれの職人で、朱泥の急須や湯のみを多く製作しており、桜や梅などの花や幾何学文様を彫った美しい作品が特徴です。 1981年には、第10回長三賞陶業展最高賞を受賞、2000年には、第29回長三賞陶業展・長三賞受賞、2003年には、第17回日本煎茶工芸展にて日本煎茶工芸協会賞を受賞するなど、数々の優れた作品で結果を残しています。 吉川雪堂 吉川雪堂は、精巧な急須を製作する常滑焼職人で、遠方から雪堂の急須を求めて常滑を訪れる人がいるほど、人気を集めています。 一般的な急須は、遠目から見たときはきれいでも、よく見ると細かな線や凹凸が入ってしまっています。 雪堂の作品は、無地でシンプルな急須で、一見特徴があまりないように感じますが、近くで見てみても凹凸や線が一切ありません。 高い技術によって、滑らかで美しいフォルムの急須を製作しており、この精巧さは唯一無二といわれています。 三代 山田常山 三代 山田常山は、1924年、愛知県常滑市生まれの職人で、1946年から二代 山田常山である父に師事します。 1961年に三代を襲名後、フランスで開かれた第3回ビエンナーレ国際陶芸展で名誉最高大賞を受賞しています。 日本でも、日本陶磁協会賞を受賞し、数々の功績を残しました。 さらに、1994年には朱泥急須で愛知県指定無形文化財保持者に指定され、1998年には常滑焼の急須で、愛知県初となる人間国宝に認定されました。 山田宝生 山田宝生は、1950年、愛知県常滑市生まれの職人で、1971年に宝生陶房を設立し、常滑焼を製作。 1987年には、第一回日本煎茶工芸展にて文部科学大臣奨励賞を受賞し、第三賞陶芸展では入選を果たしています。 宝生が製作した急須は、細かく彫刻された花鳥風月のデザインが有名で、端正でこだわりのある作品が特徴です。 自宅にある常滑焼を高く売りたい 自宅の大掃除で常滑焼が発見されたとき、どのくらいの価値があるのか知りたい方も多いでしょう。 有名作家や年代物の常滑焼を知っておくと、査定価格を確認するための判断材料になります。 高価買取が期待できる作家物や年代物の常滑焼 常滑焼は、ほかの焼き物と同様に、有名な作家が製作した作品ほど価値が高い可能性があります。 製作した作家を知るためには、落款や銘、共箱、作品の底などに名前が記されていないかチェックしましょう。 また、多少保存状態がよくなくとも、年代物であれば高い価値が付く可能性があります。 まずはどのようなものでも査定に出すことをお勧めします。 ひびや欠けは自分で直さない方がいい 常滑焼は、ほかの焼き物や骨董品と同じように、保存状態がよいほど高価買取が期待できます。 しかし、ひびや欠けがあるからといって価値がゼロになるわけではありません。 有名作家の作品や年代物は、それだけで価値が高いため、傷みがあっても高値での買取が期待できるでしょう。 そのため、ひびや欠けは修理せず、一度査定に出して価値を把握しましょう。 鑑定が難しいからこそ信頼できる買取業者へ相談を 常滑焼の価値を正しく判断するためには、骨董品や焼き物に関する専門的な知識が必要です。 素人目で価値を判断するのは難しいため、価格を知りたい場合は、実績や経験が豊富な査定士に査定を依頼しましょう。 急須から置物まで…日常になじむ常滑焼 常滑焼は、日常的に使用される食器だけではなく、急須や置物までさまざまな作品があります。 誰もが一度は目にしたことのある急須 常滑焼は、強度に優れている焼き物で水が漏れにくいため、急須に適しているとして江戸時代後期から製作されるようになりました。 また、常滑焼の急須を用いると、お茶の味がまろやかになるともいわれています。 これは、土に含まれている鉄分が、お茶のタンニンと反応して、渋みを打ち消すためです。 急須によって用いる土の配合が変わり、作品が違えばお茶の味も変化するため、淹れてみて初めて味がわかるという楽しみもあります。 実は招き猫もたくさん 常滑焼は急須で有名ですが、招き猫も数多く製作されており、常滑系と呼ばれています。 招き猫製作の始まりは、江戸時代後期ごろといわれており、常滑の招き猫は、大きな丸い目と二頭身のフォルムが特徴的です。 常滑焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 常滑焼は、現在でも職人が丹精込めて手作りしている作品が多くあります。 急須や招き猫など多彩なジャンルの作品が製作されており、有名作家が作ったものであれば、高価買取が期待できるでしょう。 常滑焼の価値を適切に査定してもらうためには、骨董品や焼き物に関する知識が豊富な査定士への依頼がお勧めです。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 陶器
-
瀬戸焼 買取| 専門業者に相談して最高額で買取を
相続によって受け取るものはさまざまで、中には瀬戸焼をはじめとした陶磁器を受け取ることもあるでしょう。 なかなか自宅で利用する機会がない場合、売却しようと考える人もいます。 瀬戸焼を売却したい方は、事前に特徴や有名作家などを把握しておくと、買取相場をチェックしやすいでしょう。 瀬戸焼は価値ある骨董品 瀬戸焼は、陶器と磁器の両方が作られているという特徴があります。 また、時代の変化にあわせて新しい技術や文化を柔軟に取り入れている点も魅力の一つです。 瀬戸焼の買取相場は、作家や作品の種類、保存状態などさまざまな要素によって変動が起こります。 有名作家の作品であったり、保存状態が大変良かったりすると、高価買取が期待できるでしょう。 白く美しい素地をもつ、瀬戸焼 瀬戸焼とは、愛知県瀬戸市を中心に製作されている焼きものを指します。 瀬戸は、良質な陶土が豊富で、中国の青磁や白磁を思わせる白く美しい焼きものが製作できる世界有数の産地です。 陶土として利用される瀬戸の木節粘土や蛙目粘土は、耐火性が高く可塑性に優れており、年度中には鉄分がほとんど含まれていません。 そのため、白い焼きものを製作することが可能なのです。 この性質を活かした多彩な施釉製品が古くから作られ、瀬戸焼の特徴となりました。 特性を生かすために、白い素地に鮮やかな青を発色するコバルト顔料を絵付で施し、上から透明な釉薬をかけて焼く瀬戸染付の技法が発展していきました。 骨董品として価値の高い瀬戸焼 瀬戸焼は、約1000年前から一度も途切れることなく生産が続けられてきた伝統的な焼きものです。 瀬戸焼の起源は、5世紀後半ごろから現在の名古屋市・東山丘陵周辺で須恵器の生産を行っていた猿投窯にあるといわれています。 瀬戸の丘陵地帯には、瀬戸層群と呼ばれる地層があり、焼きもの製作において原料となる良質な木節粘土や蛙目粘土、ガラスの原料となる珪砂の確保ができました。 山間地帯には、松をはじめとした樹林が広がっており、瀬戸の恵まれた自然が窯業の発展を大きく支えたといえるでしょう。 12世紀後半、古瀬戸と呼ばれる新たな施釉陶器の生産が始まり、国内唯一の施釉陶器生産地として四耳壺、瓶子、水注が作られ、日本全国に流通していきました。 15世紀後半ごろからは、丘陵斜面を利用した地下式の窖窯から地上式の大窯に変化していき、17世紀の初めには連房式登窯が利用されるようになりました。 19世紀に入ると磁器の生産もスタートし、アメリカへ輸出したり万国博覧会へ出品したりと、海外とも盛んに交流するようになっていきます。 また西洋の技術も取り入れられるようになり、染付けの顔料となる酸化コバルトや石膏型を用いた成形法などが伝わりました。 現在では、時代の移り変わりとともに変化していく生活様式に合うよう、食器やノベルティ、陶歯、自動車の部品など、さまざまな製品を製作し続けています。 瀬戸焼は、買取市場でも価値の高い作品が多く、高価買取が期待できる陶磁器の一つです。 瀬戸窯を開いた「陶祖」 鎌倉時代に瀬戸窯を開いた「陶祖」と呼ばれている人物が、加藤四郎左衛門景正 (藤四郎)です。 1223年、道元に命じられ中国に渡り、陶磁の技法を伝えたといわれています。 瀬戸で初めて釉薬を使って焼きものを製作し、古瀬戸焼を伝えたことで、せとものが全国の市場に流れていったと考えられています。 しかし、加藤四郎左衛門景正に関する史料は、江戸時代以前からのものがほとんどなく、瀬戸窯の始まりが平安時代までさかのぼることが考古学調査によって判明するにつれ、瀬戸窯を開いた人物という説が疑問視されるようになっていきました。 現在では、加藤四郎左衛門景正が実在した人物であるかも論争されており、伝説の人物となっています。 有名な瀬戸焼作家 瀬戸焼を製作する職人は数多くいますが、有名な職人が製作した瀬戸焼は、高価買取が期待できるでしょう。 瀬戸焼の買取を検討している方は、有名作家を把握し、自宅にある作品が誰のものか確認してみることをお勧めします。 加藤唐九郎 生没年:1897年-1985年 愛知県瀬戸市で生まれた加藤唐九郎は、父が半農半陶で窯業を営んでいたこともあり、幼いころから陶芸と触れ合う機会が多くありました。 父から窯を譲り受けたあとは、製作に取り組む一方で、志野・織部・黄瀬戸などの桃山時代に使われた陶器である桃山古陶の研究と復元にも尽力しています。 加藤唐九郎は、1929年に瀬戸市で築窯したあと、志野茶碗の『氷柱』や『魚文花瓶』で注目を集めるようになりました。 海外でも精力的に活動しており、パリの陶芸展に出品もしています。 また、1952年には織部焼の技術が評価され、国の無形文化財有資格者に認定されました。 力強く風格のある作品は、絵付けや形の両方で高い評価を受けています。 原憲司 生没年:1947年~ 東京の下町で生まれた原憲司は、1969年から幸兵衛窯5代の長男である加藤卓男から13年間にわたって技術を学び、1982年に美濃大平の地で独立しました。 原憲司は、桃山古陶の研究もしており、材料に強いこだわりをもち復元を成功させました。 その功績が称えられ、2018年には、可児市重要無形文化財「黄瀬戸」技術保持者第一号の認定を受けています。 黄瀬戸だけではなく、志野・瀬戸黒・総織部なども手がけており、茶碗や花入、鉢などをメインに製作を続けています。 加藤梅太郎 生没年:?年-1885年 加藤梅太郎は、幕末から明治時代にかけて活躍した陶芸家で、瀬戸焼の陶工である加藤春岱の弟にあたる仁十郎の長男です。 つまり、加藤春岱はおじさんにあたります。 赤津窯卸窯屋における最後の名工とも呼ばれた春岱が、1838年に罪を得て卸窯の職を免じられたとき、長男の光太郎が継いだものの病弱のため、最終的に加藤梅太郎が譲り受けることに。 1866年、春岱が罪を許され御窯屋に復帰するまでの期間、加藤梅太郎は赤津窯卸窯屋を守り切りました。 その後は、赤津の自窯に戻り製作を続けたといわれています。 自宅にある瀬戸焼を高く売りたい 自宅を整理しているときに、見慣れない焼きものが発見されることもあるでしょう。 発見された焼きものが瀬戸焼だったとき、自宅で使用する人もいれば、買取査定に出してなるべく高価買取してもらいたいと考える人もいます。 高価買取が期待できる作家物や古越前焼 瀬戸焼の中でも、有名作家が作った作品や古瀬戸などが特に高価買取を期待できる作品です。 例えば、人間国宝に認定されている加藤土師萌や、日展で入賞している加藤重高、瀬戸市指定無形文化財に認定されている加藤作助などが製作した作品は、価値が高く高価買取が期待できるでしょう。 また、一般的に室町時代以前に作られた瀬戸焼が該当する「古瀬戸」も価値が高く、高額査定が狙えます。 古瀬戸は、釉薬で作品全体が覆われており、高級感あふれる見た目の印象から、人気を集めています。 一見傷に見える瀬戸焼特有のカセも、価値として捉えられる傾向です。 カセとは、釉薬の表面に細かいヒビが入り、水分が染み込んだり、温度差によって膨張や収縮を起こしたりすると発生する釉薬の剥離です。 傷ものとして扱われてしまうイメージですが、カセは古瀬戸の魅力の一つでもあります。 ひびや欠けは自分で修復しないで、まず相談を 瀬戸焼にヒビや欠けがあっても、独断で修理するのは避けましょう。 有名な作家ものや、古瀬戸であれば、完璧な保存状態ではなくとも、高値で買い取ってもらえる可能性があります。 また、器のヒビに見えるものが、実はカセである可能性も考えられます。 むやみに修理してしまうと、かえって価値を下げてしまうことにつながりかねません。 そのため、まずは修理に出す前に、査定依頼をしてどのくらいの価値があるかを確認しましょう。 本物の価値が分かる買取業者へ相談を 瀬戸焼を買取に出す際は、作品の価値が分かる買取業者に依頼しましょう。 骨董品や瀬戸焼に関する知識のない業者に買取査定を依頼すると、本来の価値を正しく査定できない可能性があります。 有名作家の作品で、大変価値があるにもかかわらず一般的な瀬戸焼の価格を提示されることもゼロではありません。 適正価格で買い取ってもらうためには、焼きものや瀬戸焼の買取実績が豊富な業者に依頼しましょう。 瀬戸焼と黄瀬戸、瀬戸黒は違うもの? 黄瀬戸と瀬戸黒は、美濃焼きの種類を指しており、黄瀬戸は室町時代から作られている朽葉色の陶器です。 希少価値が高く重宝されているのは、桃山時代の美濃産と考えられるでしょう。 一方、瀬戸黒は、黒釉陶器を指しており、茶碗としてよく用いられています。 美濃の瀬戸黒は、千利休の好みによって作られたともいわれています。 黄瀬戸や瀬戸黒も、瀬戸焼同様に須恵器によって発展した焼きものです。 現在では、和食器や洋食器などさまざまなジャンルで活用されています。 「せともの」の語源になった瀬戸焼 せとものとは、陶器や磁器などの器を指しており、瀬戸焼が語源になったといわれています。 瀬戸焼は、普段使いできる作品が多く、一般の人々にとって身近な器であったため、器全体を指す言葉として「せともの」が使われるようになったそうです。 また瀬戸焼は、信楽・越前・備前・丹波・常滑と並んで日本六古窯の一つに数えられる陶器です。 江戸時代の後期には、磁器も製作されるようになり、一つの地域で陶器と磁器の両方を作る珍しい産地といえます。 瀬戸焼は、時代の移り変わりにあわせて新しい技術や文化を取り入れ進化し続けていったため、知名度が高く陶磁器全体を表す言葉としてせとものが定着したとも考えられるでしょう。 瀬戸焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 伝統ある瀬戸焼を買取に出したいと考えている方は、瀬戸焼をはじめとした陶磁器の買取実績が豊富な業者を探しましょう。 瀬戸焼や古瀬戸は、骨董品や芸術品に分類されることもあります。 骨董品に詳しくない業者では、本来の価値を見出せない可能性があるでしょう。 そのため、骨董品を取り扱っており、経験豊富な査定士がいる買取業者への依頼がお勧めです。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 陶器
-
越前焼 買取 | 骨董品価値の高いものは高額査定も
自宅の整理をしていると、覚えのない焼きものが出てくることもあるでしょう。 それは、もしかしたら有名な作家が製作した備前焼かもしれません。 備前焼をはじめとした陶磁器類を処分するなら、売却も検討しましょう。 作品によっては、高額査定が期待できるため、まずは信頼のおける査定士への査定依頼がお勧めです。 越前焼は価値ある骨董品 越前焼は、現在でも素朴で頑丈かつ風情ある日用品として、人々に親しまれています。 古くに製作された越前焼で、歴史的価値のある作品は、骨董品として高価買取が期待できるでしょう。 現代でも越前焼は、温かみのある土と灰釉の味わいが美しい民芸品としての魅力を持っており、古くからの伝統を守りながら多くの人々に引き継がれています。 温かみがあり素朴な、越前焼とは 越前焼とは、福井県中北部の越前町を中心に製作されている陶器を指しています。 越前焼は主に、壺・甕・すり鉢の3器種をメインに、生活雑器として使用されていました。 使用される土には、鉄分が多く含まれているのも特徴の一つで、耐火性が強い製品です。 鉄分により表面が赤黒・赤褐色の焼き上がりとなり、土が焼き締められます。 これらの特性により、越前焼は水漏れが起こりにくいため、水やお酒、藍染といった染色液の保管などに用いられていたほか、穀物の貯蔵や保存にも適しています。 骨董品として価値の高い越前焼 越前焼の歴史は古く、焼きもの自体の起源は約1300年前までさかのぼるといわれています。 越前町の産地としての始まりは、約850年前の平安時代末期ごろです。 もともとは、須恵器を製作していた地域ですが、平安時代末期に常滑の技術を導入し、焼締陶の製作が行われるようになっていきました。 現在、越前陶芸村のある越前町小曽原で最初の窯が築かれ、その後、熊谷・平等など各丘陵地に広がっていったそうです。 常滑焼から伝播した越前焼 越前焼に似ているといわれている常滑焼は、東海地方で製作されている製品です。 もともと北陸の越前焼は、広大な白山連峰の反対側に位置している常滑焼に強い影響を受けたといわれています。 そのため両者は非常に似ており、鎌倉時代に作られた2つの作品を見比べてみても、外形から区別するのは難しいといわれるほどです。 越前焼と常滑焼を区別するためには、壺や甕の内面の継目を確認する必要があります。 成形は、輪積み成形かつ数段を継ぎはいで作られますが、越前焼は丁寧になでられているのに対して、常滑焼は粘土同士の継目が粗い特徴があります。 室町時代の作品になると、越前焼は地域独特の個性がみられるようになり、口造りで常滑焼との違いが表れてくるようです。 常滑焼は、口の折り返しがきつくN字形であるのに対して、越前焼は、上に折り曲げるだけのシンプルな構造をしています。 また越前焼には、壺や甕、すり鉢の内部にヘラ描きされた文様である刻文があり、種類や量が多い特徴があります。 初期の作品に入っている文様は、宗教上の印形のようなものと推測されていますが、桃山時代以降は、窯印として入れられていたそうです。 自宅にある越前焼を高く売りたい! 自宅の大掃除をしていると、思わぬ掘り出しものが見つかることもあるでしょう。 もし、自宅から越前焼が発見されたら、処分方法を決める前に価値を知りたいと考える人もいます。 価値の高い作品であれば、買取を依頼するケースもあるでしょう。 高価買取が期待できる作家物や古越前焼 越前焼は、ほかの焼きもの同様に、有名作家が製作した作家物や昔に作られた古越前焼などであれば、高価買取が期待できます。 また、越前焼の価値を知るための手がかりとして「印」があります。 越前焼には基本的に装飾が施されませんが、鎌倉末期以降では押印が装飾的に使われているのです。 線のみで構成された格子目や菊花文、「大」「本」などの文字をあわせたものがあり、江戸時代まで利用されました。 また、装飾とは異なりますが、鎌倉時代の終わりごろから室町時代の始めにかけては、壺底に「下駄印」や、記号のような「窯印」、宗教印形としても用いられる「刻文」などがみられます。 越前焼が製作された時代や価値を知るためには、多彩な「印」をチェックしてみるとよいでしょう。 保存状態が良ければ、さらに高額査定の可能性も 越前焼を高価買取してもらうためには、作られた時代や作家が誰であるかとともに、保存状態も大切な要素です。 作品に割れや欠けがあると、マイナス評価を受けやすいでしょう。 ただし、割れや欠けがあるからといって価値がゼロなわけではありません。 有名な作品や古くに作られた作品であれば、多少保存状態が悪くても、高額査定を十分期待できます。 そのため、手元にある備前焼が少し傷ついていても諦めず、まずは一度査定に出してみましょう。 その業者は信用できますか? 越前焼を売却するときは、信頼できる業者選びをしましょう。 越前焼は、骨董品や美術品のような扱いとなるため、骨董品関連の知識が豊富な業者への依頼がお勧めです。 また、買取実績が豊富な業者も、適切な査定をしてくれる可能性が高いといえます。 知識や経験の少ない業者に依頼してしまうと、越前焼の適切な価値を把握していないケースがあります。 相場よりも低い価格での引き取りになる可能性もあるため注意が必要です。 お勧めできない処分方法は、以下の通りです。 ・リサイクルショップ ・不用品回収業者 ・遺品整理業者 ・ネットオークション ・フリマアプリ 越前焼を売るなら、知識や経験が豊富な骨董品買取業者に依頼しましょう。 現代の生活にも根付く、越前焼 備前焼は、味わい深い見た目も魅力的ですが、強度の高さもメリットの一つです。 水漏れが起こりにくいため、古くから水瓶として利用されてきました。 現在では、茶碗や皿など一般的な食器類だけではなく、コーヒーカップやワインカップなども作られています。 和食で利用するイメージが強い備前焼ですが、洋食のシーンでも利用しやすい製品も増えています。 越前焼は、瀬戸焼の登場により江戸時代中期ごろから少しずつ勢いを失っていきました。 明治時代には、勢いを取り戻そうと信楽や瀬戸、美濃、九谷などから陶工を招いて食器や花瓶作りを始めたり、磁器や色絵陶などを取り入れたりもしましたが、どれも定着せず、明治の終わりから大正時代にかけて、多くの窯元が廃業に追い込まれました。 しかし、越前焼は戦後に再び注目を集めるようになります。 日本六古窯の一つとして数えられるようになったことや、越前陶芸村の建設によって全国から多くの陶芸家が集まってきたことなどがきっかけとなり、多くの人から人気を集めるようになりました。 現在では、焼締陶の伝統を守りながらも、新しい作品を生み出そうと試行錯誤が繰り返されています。 現在でも人気の高い越前焼は、製品の種類や品質によっては高価買取が期待できるでしょう。 備前焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 素朴でシンプルなデザインが特徴の備前焼を売却したいと考えている方は、買取実績が豊富な業者へ相談しましょう。 越前焼は、自然釉がみられることや、鉄分の多い土を用いるため、赤褐色から黒色までさまざまな変化を見せてくれることが魅力の一つです。 所有している備前焼の保存状態を確認し、割れや欠けが少なく品質が良好であれば、高額査定も狙えるかもしれません。 まずは、一度経験豊富な査定士に査定を依頼しましょう。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 陶器
-
備前焼 買取 | 骨董品価値の高いものは高額査定も
備前焼は、陶芸品の一つで、よく料亭で使用されているのを見かけたことがある人もいるのではないでしょうか。 また、自宅を整理しているときに備前焼が出てきて、どのくらいの価値があるのか気になることも。 備前焼を買取に出す際は、備前焼の特徴や高価買取が狙える作品の特徴を把握するとともに、適切な業者へ依頼することが大切です。 備前焼は価値ある骨董品 備前焼や焼き物の一種で、一つひとつ手作りされているため、一つとして同じ色や模様が存在しません。 備前焼は、高温で約2週間焼き締めるため、投げても割れないといわれるほど丈夫です。 そのため、すり鉢や壺、大きなカメなどとしてよく用いられています。 素朴で奥深い、備前焼とは 備前焼とは、岡山県備前市伊部地区周辺で作られた焼き物を指します。 陶磁器の表面を覆うガラス質の膜となる釉薬を一切使用せず、1200~1300度の高温で焼くのが特徴です。 質の良い陶土を使用して一点ずつ成形し、乾燥させ、絵付けせずに焼くため、土味がよく表現されている魅力があります。 また、作品の詰め方や燃料となる松割木の焚き方により、焼き味が胡麻・棧切り・緋襷・牡丹餅などに変化します。 現在では、細かな気孔があり、通気性に優れているため、切り花が長持ちするとして花びんとして活用されたり、微細な凹凸によりきめ細かな泡ができるため、ビールグラスとしてもよく用いられているのが特徴です。 骨董品として価値の高い備前焼 備前焼は、古墳時代の須恵器の製法が変化して誕生した焼き物で、平安時代に熊山のふもとで生活用器の皿や椀、盤、瓦などが南大窯跡で生産されていたのが始まりといわれています。 鎌倉時代に入ると、壺や甕・すり鉢がよく製作され、このころから現在の備前焼に共通する赤褐色の焼肌の作品が作られるようになりました。 室町時代の終わりごろからは、伊部の地から採れた「ひよせ」と呼ばれる粘土が用いられるようになり、成形にもろくろが使われるように。 さらに、量産ができるよう半地下式の大形の穴窯も作られ始めました。 江戸時代になると、藩の保護や統制のために小規模の釜がまとめられ、南・北・西に大規模な共同窯が作られ、窯元六姓による製造体制が整えられたのです。 しかし、江戸時代末期になると、京都・有田・瀬戸などで磁気の生産が盛んになり、備前焼は圧迫されるようになっていきました。 現在では、備前焼の職人が人間国宝に指定され、低迷期を脱したといわれています。 また、純日本的であるとして国内だけではなく海外からの人気も高まっており、伝統を守りつつ個性豊かな作品が製作されています。 備前焼の価格は幅広く、有名な職人が手がけた作品であれば、買取においても高値が期待できるでしょう。 有名な備前焼作家 備前焼の職人は、人間国宝に指定されている人が何人もいます。 人間国宝や、有名な職人が製作した備前焼は、骨董品としての価値が高い傾向です。 -金重陶陽 生没年:1909年-1995年 金重陶陽は、備前焼の職人として初めて人間国宝になった人物です。 「備前焼中興の祖」とも呼ばれており、文化賞の受賞や紫綬褒章の受章など、さまざまな功績を残しています。 陶陽は、優れた職人であると同時に、多くの弟子を育成して人間国宝を何人も輩出しました。 土の良さを引き立たせたダイナミックな作品には、現在でも多くのファンが存在します。 買取市場では、新品未使用の作品が20万円ほどで買取されるケースもあるようです。 -藤原啓 生没年:1899年-1983年 藤原啓は、もともと小説家を目指しており、陶芸を始めたのは40歳ごろと遅咲きの職人ですが、人間国宝にまでのぼりつめた人物です。 同じく備前焼の職人で人間国宝であった金重陶陽や、多彩な芸術に精通していた北大路魯山人から指導を受け、技術を磨いていきました。 シンプルでありながら味わい深い作品は、お酒をたしなむ人たちから人気を集めています。 作品によっては、15万円ほどで買取されるケースもあります。 藤原雄 生没年:1932年-2001年 藤原雄は、備前焼の職人として人間国宝にのぼりつめた藤原啓の長男で、同じく人間国宝に認定されている人物です。 視力が弱く、右目が0.03、左目はまったく見えないというハンデを背負いながらも、父の強い薦めで普通学校に進学しており、大学まで卒業して就職したあと、父親に師事し備前焼の職人として活躍するようになりました。 日本のみならず世界各国で個展を開いており、藤原雄の作品は海外の博物館にも展示されています。 買取価格は、作品によって変動はありますが、なかには10万円以上での買取事例もあるようです。 山本陶秀 生没年:1906年-1994年 山本陶秀は、人間国宝の備前焼職人で、「ろくろの名人」や「茶陶の陶秀」と呼ばれるほど高い技術を持ち合わせています。 美しい白色が印象的な土肌の作品が人気を集めており、スペイン国王に献上されたこともあり、国際的に認められている人物です。 備前焼の伝統である独特な自然の風合いを守りつつ、現代的にアレンジした大胆な作風が多くの人を魅了しています。 作品への評価は国内外問わず高く、1959年にはブリュッセル万国博覧会でグランプリ金賞を受賞しています。 買取価格は、小ぶりな作品は数万円台から、大きな作品では10万円以上になることもあるようです。 伊勢崎淳 生没年:1936年~ 伊勢崎淳は、備前焼の職人で、2004年に人間国宝に認定されました。 父の伊勢崎陽山も、同じく備前焼職人で、岡山県重要無形文化財保持者に認定されています。 イサムノグチや池田満寿夫をはじめとした現代アーティストとも親交があり、2002年には新総理官邸の陶壁を制作し、話題を集めました。 備前焼の伝統に、独創的な世界観を織り交ぜた作風は、多くの人から高い評価を受けています。 土の良さを感じさせてくれる作品が多く、料亭でも愛用されています。 市場にはあまり出回っておらず希少価値が高いとされており、買取価格は数万円台から10万円以上になる作品もあるようです。 そのほかの人気作家 朴訥で野性味あふれる作風が特徴の中村六郎や、土そのものの特徴を生かしたデザインで製作する赤井夕希子、備前焼ならではの質感や味わいに重きをおいた平川忠なども人気の高い備前焼職人で、現在でも多くのコレクターから支持されています。 歴史ある古備前焼 古備前焼とは、製作年代の古い備前焼を指しており、一般的には平安時代から室町時代に製作されたものを、古備前焼と呼んでいます。 時代の範囲には諸説あり、鎌倉時代から桃山時代までを古備前とするケースや、江戸時代末期までを古備前とするケースもあり、明確な区切りがありません。 備前焼の中でも、昔に作られた古備前焼は、価値が高いといわれています。 自宅にある備前焼を高く売りたい! 自宅で備前焼を発見した人の中には、使用せず買取に出したいと考える人もいるでしょう。 備前焼の黄金期は、桃山時代といわれており、その時代に製作された備前焼は骨董的な価値が高く、高値での買取が期待できます。 また、一般的に古備前焼に分類されている室町時代ごろまでの作品は、特に価値が高いとして珍獣されています。 なかでも、黒備前焼と呼ばれる古備前焼は、現存数が少ないこともあり、買取価格も大変高くなる傾向です。 高価買取が期待できる作家物や古備前焼 備前焼の中でも、有名な作家物や、古備前焼は高値の買取が期待できます。 有名な職人が製作したかどうかは、サインによって見極めるため、自宅から備前焼が出てきたら、まずは製作した作家がわかるサインが残されているかを確認しましょう。 また、有名作家の作品には偽物がつきものであるため、真贋を見極めるためにも有名作家のサインの特徴を捉えておくことも大切です。 高価買取を目指すのであれば、作品だけではなく陶印や共箱、栞、鑑定書などがあるかも確認しましょう。 ひびや欠けがあってもまずは査定を 買取価格は、保存状態の良し悪しにも左右されるため、なるべく割れや欠けが発生しないよう適切に保管しておくことが大切です。 割れや欠けは、マイナス評価となりますが、決して査定額がつかないわけではありません。 有名作家の作品や古備前焼であれば、多少コンディションが悪くとも、高値がつく可能性もあります。 そのため、保存状態が良くない作品であっても、まずは買取査定を依頼してみましょう。 リサイクルショップや不用品買取業者への相談は慎重に 備前焼を買取に出す際は、業者選びが大変重要で、作品に対する知識がない業者を選んでしまうと、本来の価値で査定してもらえない可能性があるでしょう。 備前焼の高価買取を狙うなら、価値のわかる骨董品買取業者への相談がお勧めです。 お勧めできない業者としては、リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者、ネットオークション、フリマアプリなどがあります。 今も昔も人気の備前焼 備前焼は、越前焼・瀬戸焼・常滑焼・信楽焼・丹波立杭焼とあわせて、日本六古窯として日本遺産に認定されています。 また、備前焼は釉薬を使用していないため、土本来の性質が活かされており、表面の微細な穴によって通気性に優れている特徴があります。 この穴によって、水を新鮮に保つことが可能なため、お茶やコーヒーなど水から作られる飲み物と相性が良いとされているのです。 また、微細な穴によってビールの泡のきめが細かくなり、口当たりをまろやかにしてくれる特徴があります。 ウイスキーやワイン、ブランデー、日本酒、果実酒などのほかのお酒も、穴のおかげで薫りが増すといわれています。 現在でも備前焼は人気があり、市場価値も高い作品です。 備前焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 備前焼は、日本の伝統的な陶芸品で、有名作家が製作したものや、古い時代に作られたものでは、高い価値がつく可能性もあります。 備前焼の高価買取を狙うなら、骨董品や陶芸品の買取実績が豊富で、価値を適切に判断してくれる業者に査定依頼しましょう。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 陶器
-
大島紬 買取 | 骨董品価値が高く高額査定が期待できます
日本を代表する伝統的な織物「大島紬」は、高級絹織物としても知られており、着用する人を上品にみせてくれるとして人気があります。 現代では、着物を着る機会が減り、大島紬を所有していてもなかなか活躍の機会がないと悩んでいる方もいるのではないでしょうか。 利用する機会がないのであれば、いっそのこと買取に出してしまうのも一つの手段です。 適切な価格で買い取ってもらい、新しい購入者に大切に使ってもらうのもよいでしょう。 大島紬は高価買取が期待できる? 伝統的な織物である大島紬の着物は、軽くてシワになりにくい特徴があります。 丈夫な作りをしているため、何十年にもわたって着用でき、世代を超えて受け継がれている着物もあります。 大切にしてきた大島紬の着物を、着る機会がないために手放そうと考えている人もいるでしょう。 伝統的な織物であるため、なるべく高値で買い取ってもらいたいと思うものです。 適切な価値を知りたい方は、専門の買取業者へ査定を依頼しましょう。 大島紬とは 大島紬とは、約1300年もの歴史ある伝統品で、鹿児島県の奄美大島や鹿児島市、宮崎県の都城市などで作られている絹100%の織物のことです。 発祥地は、奄美大島で、結城紬と並んで高級紬の一つとして数えられ、しなやかで軽く、光沢のある地風が特徴です。 661年、大島紬に使われているテーチ木染めが奄美大島で始められたとされており、1720年には紬着用禁止令が発令された影響で、真綿糸献上品として織られるようになったそうです。 明治時代に入ると、商品用に生産されるようになり多くの人々の注目を集めました。 大正時代にかけて生産量が増加し、1921年ごろには33万反もの大島紬が生産されるように。 しかし、昭和時代に入り第二次世界大戦が勃発すると、大島紬の生産が停止されてしまいます。 戦後、1954年に本場奄美大島紬協同組合が設立され、本格的に生産が再開されたのでした。 現在は、着物だけではなく、財布やバッグ、洋服、ネクタイなどさまざまな形で大島紬が生産されています。 また、大島紬の染め方は数種類あり、主な方法は以下の通りです。 ・泥大島紬 ・泥藍大島紬 ・正藍大島紬 ・草木染大島紬 ・白大島紬 ・色大島紬 高額査定が期待できる理由 大島紬が高額査定になりやすい主な理由は、希少性の高さとブランド力の高さの2つです。 大島紬は、生産量が極端に少ない織物で、市場へ製品が大量に出回るものではありません。 先染手織りかつ締機で手作業により経・緯絣の加工をしている大島紬は、熟練の職人が一つひとつ丁寧に手作りしているため、1つの製品ができあがるまでに多くの手間と時間がかかります。 そのため、まとまった量の生産ができず、希少価値が高まっているのです。 大島紬の技術継承者は、年々減少傾向にあり、今後も希少価値は高まっていくと予想されます。 高価買取してもらいやすいもう一つの理由が、伝統工芸品としてのブランド力の高さです。 大島紬は、古くからある伝統的な織物で、日本最古ともいわれている染色技法をもっています。 独特な泥染め技法や絣模様は、日本だけではなく海外からも人気を集めています。 日本の伝統的な技法を用いた信頼あるブランド力と、国内外からの注目度が、大島紬の買取市場での価値を高めているといえるでしょう。 大島紬の着物の買取相場は?いくらくらいで売れる? 大島紬の着物の買取価格は、数万円が相場といわれていますが、価値の高いものだと100万円を超えることも。 有名なブランドの大島紬は、高値で買い取ってもらえる場合が多く、特に都喜ヱ門は、高価買取が狙えるでしょう。 また、泥染めの際に白土を使用して白く染めた糸を使う白大島は、大島紬の中でもより希少価値が高いため、高価買取が期待できます。 高額査定のためにチェックしておきたいポイント 歴史ある織物の大島紬は、着物の中でも高値で取引されやすい製品です。 高価買取を狙うのであれば、高値で買い取ってもらいやすい製品の特徴を把握しておきましょう。 証紙があるかどうか 証紙があるかどうかも、大島紬の買取額に大きな影響を与えます。 証紙とは、産地や製織方法などの情報が書かれた書類で、着物の証明書です。 着物が厳しい審査をクリアして認められた証拠にもなるため、証紙があると品質の高さを証明でき、高価買取につながるでしょう。 主な大島紬の証紙は、以下の通りです。 ・伝統工芸品マーク:経済産業省が認めた伝統工芸品であると証明する書類 ・旗印:鹿児島県産の大島紬であると証明する書類 ・地球印:奄美大島産の大島紬であると証明する書類 ・鶴印:宮崎県都城産の大島紬であると証明する書類 大島紬製品を買取に出す際は、上記の証紙をまとめて査定してもらうと買取額のアップが期待できます。 証紙の有無は、品質の信頼度が大きく変わるため、大島紬を購入したり譲り受けたりした際は、証紙があることを確認し、大切に保管しておきましょう。 マルキ数 マルキとは、大島紬の柄を表現するために使われた絣糸の量を表す単位です。 マルキ数が多いほど手が込んでおり、買取価格も上がりやすい傾向があります。 一反を構成する経糸1240本のうち、絣糸がどのくらい使われているかを表しており、80本で1マルキとなります。 マルキ数が多くなると絣糸の本数が増えて手間はかかりますが、それだけ繊細に柄を表現できるということでもあるのです。 大島紬の買取を依頼する際は、マルキ数に注目しましょう。 大島紬の買取相談はどこに相談するのが良い? 所有している大島紬を手放そうと考えたとき、どのような方法が最適か悩んでいる方も多いのではないでしょうか。 大島紬の処分方法としては、専門の買取業者への依頼のほか、ネットオークション、フリマ、リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者などを利用する方法があります。 ネットオークションやフリマを利用すれば、自分で価格を設定して売却できるメリットがありますが、大島紬の価値を正しく判断できていないと、損してしまう可能性があるでしょう。 また、買い手とのやり取りや、注文後の発送準備など自分でやらなければならない工程が多いため、手間もかかります。 リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者を利用すれば、不要になったものをまとめて処分できますが、骨董価値のある製品は知識がないと正しい価格をつけられないため、本来よりも安い値段で引き取られてしまうおそれがあります。 大島紬本来の価値を見いだし、適切な価格で売却したい場合は、大島紬に関する知識をもった専門の買取業者へ依頼するのがお勧めです。 人気の大島紬にはどんな特徴がある? 高級絹織物の着物として人気の高い大島紬ですが、どのような着物を大島紬と呼んでいるのか、知らない方も多いのではないでしょうか。 高額査定を狙うのであれば、所有している大島紬が、本物であるかある程度判断できるようにしておいた方がよいでしょう。 大島紬の条件や人気の柄を確認し、手元の着物に当てはまっているかチェックしてみてください。 大島紬の条件 長い歴史を誇る伝統の織物「大島紬」は、鹿児島県や奄美大島、宮崎県都城市で作られていますが、大島紬と呼ばれるには、一定の条件を満たす必要があります。 通商産業省が、昭和55年に大島紬を伝統的工芸品に指定するにあたって、以下の条件を設けました。 ・絹100%で作られていること ・経糸と緯糸が一本ごとに浮沈する平織りであること ・先染手織りであること ・締機を使って手作業により経・緯絣を加工していること ・手機で経・緯絣を織り上げていること 現在、上記の条件を満たした織物が、大島紬と呼ばれ市場に出回っています。 大島紬は希少 大島紬は、大量生産が難しく希少価値が高いのも特徴の一つです。 大島紬と呼ばれるための条件にもある通り、職人が丹精込めて手作業で作っているため、1つの製品を完成させるまで手間と時間がかかります。 機械で大量生産できないため、市場に出回る数が少なくなり、希少価値が高まっています。 大島紬の人気の柄 大島紬の柄は、数種類あり、伝統的な柄は生活や地名などから考えられています。 代表的な柄は、以下の通りです。 秋名バラ柄 秋名とは、奄美大島の地名で、バラは花のことではなくザルの方言です。 幾何学柄が施されており、シンプルで上品な柄が特徴で、コーディネートしやすい点も魅力の一つです。 龍郷柄 龍郷柄は、奄美大島に生育しているソテツとハブを幾何学模様で表現した柄です。 女性用着物に用いられる柄で、奄美大島を代表するデザインともいえます。 西郷柄 西郷柄は、男性用着物の最高峰といわれており、伝統的な柄の一つです。 細かな柄が入っており、遠くからだと無地に見えますが、奥行きのある深い味わいがあります。 亀甲柄 亀の甲羅を表現した柄で、六角形を連ねた模様が特徴的です。 男性の風格を引き立たせる柄といわれており、男性用着物の代表的な柄の一つです。 そのほかにも女性用の大島紬には、古典模様や草花模様、幾何学模様、更紗模様、モダンアートなどがあります。 大切な大島紬の買取相談は、実績ある買取業者へ 大切にしてきた大島紬を手放すとき、ただ処分してしまうのではなく、買取業者に依頼して価値を査定してもらうことをお勧めします。 正しい値段で売却でき、大切にしてくれる人のもとへ渡れば、嬉しい気持ちになります。 大島紬の適切な価値を判断するためには、専門的な知識が必要となるため、リサイクルショップや不用品回収業者よりも、専門の買取業者に依頼するのがお勧めです。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 骨董品全般
-
着物買取 | 受け継いだ着物や珍しい着物…高額査定のポイントとは
日常生活で着物を着る人は少なくなりましたが、特別なイベントで着物を着る機会は、現代でも多くあります。 しかし、頻繁に着るわけではないため、一度利用した着物をどのように扱えばよいか悩んでいる方も多いでしょう。 利用する機会がない着物は、処分するのではなく一度買取業者に相談してみるのがお勧めです。 タンスに眠る着物…高く買い取ってもらえる? 「成人式で利用して、それ以降着る機会がない振袖」や「昔に訪問着として利用し今は着ていない着物」、「遺品整理をしていたらタンスから出てきた着物」など、さまざまな形で眠っている着物をお持ちの方もいるのではないでしょうか。 立派な着物を処分してしまうのはもったいないと感じる方も多くいるでしょう。 もし、着なくなってしまった着物をお持ちであれば、一度買取査定を依頼するのがお勧めです。 着物の買取を行っている業者であれば、大切にしてきた着物の価値を正しく査定してくれます。 買取してもらえれば、新しい買い手に着物が引き継がれ、また大切に利用してもらえるでしょう。 どんな着物が高く売れる? 着物と一口にいっても多くの種類があり、柄やサイズもさまざまです。 せっかく買取依頼するのなら高値で買い取ってもらいたいと考えるでしょう。 着物を高く買取してもらうためにも、まずは自分自身が、着物の査定で見られるポイントを理解しておくことが大切です。 査定ポイントを把握したうえで、お手持ちの着物の特徴と照らし合わせ、高価買取が狙えるか確認してみましょう。 なお、特徴が当てはまらなくても買取自体は行ってくれるケースも多いため、所有する着物に価値がないと決めつけず、一度買取業者に相談するのがお勧めです。 生地の種類によっても価格は変わる? 着物に使われている生地の種類によって、着物の価値は大きく変動します。 着物には主に絹や木綿、麻、羊毛、ポリエステルなどが利用されています。 絹は、よく高級な着物に使われている素材で、光沢があり上品な着物に仕上がるのが特徴です。 体によくなじみ動きやすい生地ですが、湿気に弱く傷みやすいため、適切な方法で扱う必要があります。 正絹と呼ばれる絹を100%使用した生地は、着物の中でも最高級品とされています。 木綿は、スタンダードな素材で、絹よりも価格が安い傾向がありますが、肌触りがよく通気性や耐久性、吸水性に優れているのが特徴です。 ただし、縮みやすくシワになりやすいため注意しましょう。 麻は、通気性がよくやわらかくて着心地のよい素材です。 弾力性がなく、シワになりやすかったり、色落ちがしやすかったりするデメリットがあります。 麻のメリットを生かしつつデメリットをカバーするために、木綿と麻を混ぜて作られた綿麻と呼ばれる生地があります。 木綿特有の肌触りと麻の通気性が活かされており、強度が増すことでシワができにくいのが特徴です。 羊毛は、吸湿性が高く水をはじき、シワになりにくい特徴があり、冬場でも温かみを感じられる素材です。 ただし、耐久性が低く、虫がつきやすい点に注意しましょう。 夏場でも着られるサマーウール、絹を混ぜたシルクウールなど、幅広い種類があるのも特徴です。 基本的に普段着に利用される生地のため、価格も手に取りやすいといえます。 ポリエステルは、よく洋服に使われている素材で、ポリエステルで作られた着物は、自宅で洗濯が可能で、取り扱いやすいのが特徴です。 ただし、吸湿性や保温性が低く、着物の絵柄が映えにくいデメリットがあります。 化学繊維で大量生産が可能なため、最も安価になりやすい素材です。 保存状態が良くないと買取不可? シミや虫食いなどがあり着物が傷んでしまっていても、買い取ってもらえる可能性はあります。 着物は、大切に保管したり定期的にクリーニングに出したりしていても、シミやカビが付着してしまったり、虫食いが生じてしまったりするものです。 買取に出そうと考えても、着物に傷みがあると買い取ってもらえないのではと不安に感じるでしょう。 もちろん、状態のよい着物に比べたら価値は下がってしまいますが、買取自体ができないわけではありません。 現在、着物は日本だけではなく海外からの需要も高く、外国人観光客が着物を着て観光地を巡る光景を見たことがある人も多いのではないでしょうか。 また、海外では着物を洋服にリメイクするのも流行っており、着物の生地そのものにも注目が集まっています。 着物の海外需要の高まりにより、着物が重宝されていることから、多少の傷みがあっても買い取ってもらえる可能性があるのです。 流行の柄ではないのだけれど… 着物にも、洋服と同じように流行の色や柄が存在しているため、人気のない柄や色の着物は買取価格が下がってしまう可能性があります。 10年以上前に流行した着物は、現在では人気がない柄となってしまっているケースも多く、親や祖母から受け継いだ着物は、買取価格が低い傾向です。 しかし、昔流行った柄でも、レトロなデザインが人気を集め再び流行する可能性もあるでしょう。 また、着物の価値は柄だけではなく、状態や生地の種類、ブランドなどから総合的に判断するため、柄が古いからと買取をあきらめず、まずは買取業者に相談してみるのがお勧めです。 有名作家や老舗ブランド 有名作家や老舗ブランドが作った着物は、高額買取が期待できます。 有名な着物作家には、北村武資や木村雨山、久保田一竹などがおり、老舗ブランドには、尾峨佐染繍、大彦、銀座きしやなどがあります。 作家物であるかを見極めるポイントは、落款や証紙などです。 落款は作家の印鑑のようなもので、主におくみや衿先に押されているケースが多いようです。 証紙は、有名産地や伝統工芸品の着物などの組合が発行する書類で、証紙があると本物であることの証明になります。 落款や証紙があると着物の価値が明確になり、正しい査定が期待できるでしょう。 有名産地 有名産地で作られた着物も高価買取が期待できます。 大島紬の発祥地である鹿児島県奄美大島や、結城紬を作る茨城県・栃木県、西陣織を作る京都の西陣地域などが有名産地です。 他にも全国各地に有名な産地があり、それらの地域で作られた上質な着物は、高値で買い取ってもらえる可能性があるでしょう。 着物の丈が長い、未使用も査定アップポイント 丈の短い着物よりも、長い着物の方が買取価格が高くなりやすく、未使用であればさらに査定評価がアップします。 丈が長く大きな着物であれば、体型を選ばず幅広い人が着用でき、販売時の需要が高いため、買取価格もアップしやすくなります。 着物の丈が長ければ、生地が多く使用されており、仕立て直しがしやすいことも高価買取になりやすい理由の一つです。 着物を手放すにはどういった方法がある? 着物を手放す際、考えられる方法としては、専門買取業者、リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者、ネットオークション、フリマなどがあります。 リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者では、不要になったものをまとめて処分できるメリットがありますが、着物に対する専門知識をもっているとは限らないため、本来の価値よりも安値で買い取られてしまう可能性があるでしょう。 ネットオークション、フリマは、自分で価格設定が可能ですが、出品や発送までの手間がかかるうえに、個人間のやり取りとなるためトラブルが発生するリスクもあります。 専門買取業者であれば、着物に関する知識を備えているため、価値を正しく判断してくれるでしょう。 査定も無料で実施している業者が多いため、気軽に査定をお願いしてみるのがお勧めです。 高額査定が期待できる着物のブランド・産地 着物を高値で買取してもらうためには、高額査定が期待できる着物のブランドや産地を把握しておくことが大切です。 機械で大量生産している着物よりも、手織り勝手作業で柄を染めている伝統的な着物の方が価格が高くなりやすいといえます。 大島紬 大島紬は、鹿児島県奄美大島発祥である伝統工芸品の絹織物です。 新品で購入すると最低でも数十万円はする高級紬の一つで、先染めした絹糸を使って織りあげることで表現される絣模様が特徴です。 一般的に大島紬では、経糸と緯糸のどちらにも絣糸を用いて模様を織りあげていきますが、緯総絣と呼ばれる絣糸を緯糸だけに取り入れる織り方もあります。 緯総絣では、経糸に柄が入らないため、一般的な方法よりも織るのが楽になりますが、価格は1/10ほどになるといわれています。 友禅(京友禅・加賀友禅) 京友禅は、京都の伝統工芸品で、加賀友禅は石川の伝統工芸品であり、どちらも絹織物の白布に絵を描いて染め出すのが特徴の着物です。 京友禅・加賀友禅は、ともに職人の手作業によって作られており、一着数百万円と高額になる着物も多くあります。 友禅は防染するために、図柄の輪郭線にあわせて細い口金の先から糸目と呼ばれる細い糊を一定の太さで出し、図柄を描く必要があります。 この糸目を引く作業は、高い技術力が必要なうえ手間がかかるため、着物の価格も高くなりやすいといえるでしょう。 江戸小紋 江戸小紋は、型を活用して染められる着物で、遠くから見ると色無地に見えますが、近くで見ると細かい模様が全体に入っているのが特徴です。 細かい模様を織りあげるためには、高い技術力が必要となり、手間や労力がかかる分、価格も高くなりやすいといえます。 新品で購入すると一着数十万円はするといわれています。 近年は、機械技術の発展により、機械で模様をプリントするケースも増えており、機械プリントの着物は、手作業で染めた江戸小紋より安価に購入できるのが特徴です。 志ま亀 志ま亀は、1810年創業の老舗着物ブランドで、もともとは京都のみで着物の製造を行っていましたが、昭和25年ごろに東京へ進出し、全国に名が知れ渡っていきました。 志ま亀は、さまざまな着物の制作を行っており、柄の種類が豊富な特徴があります。 幅広い世代になじむ着物を作るために、年齢によって染色を変え、私服として街中で着ても違和感のない仕上がりを目指しています。 JUNKO KOSHINO JUNKO KOSHINOは、若い世代から人気を集めているデザイナーで、JUNKO KOSHINOが手がける着物は、若い世代からも注目されています。 有名デザイナーのデザイナーブランドは、需要が高いため、着物や浴衣なども高価買取が期待できます。 着物は「格」で需要が違う?より高額査定が期待できる着物は? 着物には、正装用や普段着用などの格が存在し、格により買取価格も変動するのが特徴です。 着物の格は高い順に、黒留袖・色留袖・振袖・訪問着・付け下げ・色無地などがあります。 黒留袖は、女性着物の中で最も格式の高いものですが、既婚者だけが着用できるもので、利用シーンが限られてしまうため、買取相場はあまり高くないのが現状です。 色留袖は、誰でも着用が可能で結婚式や披露宴などで親族が着用するケースの多い着物です。 こちらも利用シーンが限られてしまうため、格が高くとも高額買取はあまり期待できないでしょう。 振袖は、主に未婚女性が着用する着物ですが、現在は既婚女性でも気にせず着用する風潮になりつつあります。 振袖は、有名作家の一点もの作品や、高級品なども多く出回っているため、買取相場も比較的高めといえます。 訪問着は、結婚式やお茶会などさまざまなシーンで着用できる着物のため、中古市場での需要も安定的に高く、高価買取が狙える着物です。 付け下げや色無地は、訪問着よりも買取価格が低くなる傾向ですが、作家物や伝統工芸品の着物などは、高価買取が期待できます。 格の違いによって買取価格の傾向がありますが、着物の査定では、格だけがチェックされるわけではなく、素材や種類、柄、状態などを総合して判断されることを心得ておきましょう。 大切な着物を売るなら、実績ある買取業者へ相談を 大切にしてきた着物を手放すなら、着物の買取実績が豊富な買取業者に相談しましょう。 着物の種類や状態によっては高価買取が期待できるため、経験豊富な査定士に査定してもらうのがお勧めです。 無料で査定を行っている業者も多く存在するため、複数の業者で買取価格を比較してみるのもよいでしょう。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品買取
-
自在置物とは | 海外から評される技術の高さ
自在置物とは 自在置物とは、日本の金属工芸の一つで、鉄や銅、銀、金と銅の合金、銀と銅の合金などの金属板を素材に、龍や蛇、鳥、エビ、伊勢海老、蟹、蝶などの動物の模型を指します。 単に、写実的に作成するだけではなく、体節や関節の部分を本物のように動かせることも追求しており、内部の仕組みが複雑になっているのも特徴の一つです。 たとえば、蛇の自在置物であれば、円筒型のパーツを数百個組み合わせており、とぐろを巻かせたり、流線型を描いたりと、自在に形を変えられる魅力があります。 自在置物は、日本よりも海外で高い評価を受けており、1888年にフランスで出版された日本美術の紹介雑誌『Le Japon Artistique』にて紹介されています。 自在置物の起源 自在置物は、明らかになっていないことも多いですが、起源は江戸の中期ごろです。 当初は、関東を中心に制作されていましたが、その後、北は弘前、南は高知と分派が全国各地に広がっていきました。 自在置物は、大名の手土産にするために制作されるようになったのではないかといわれています。 甲冑師が、武具や防具を受注するために、大名に自在置物を贈り、技術の高さをアピールしていたそうです。 自在置物を製作する甲冑師 戦国の世が終わりを迎え、平和な時代が訪れた江戸時代、武具類の需要が減少したことを受け、甲冑師の一部は技術伝承と収入を得るために、本業である甲冑だけではなく、鍔や轡などの武具、馬具、火箸、花瓶、箱といった民具を鉄で造り販売するようになりました。 自在置物は、この流れを受けて、室町時代から続く名家である明珍派の工人たちによって生み出された作品です。 明珍派の工人は、鉄を打ち出して加工する技術に長けており、自在置物の複雑な仕組みや繊細な表現が活かされています。 日本で作られる金工作品の写実性が向上するのは、江戸時代後期ごろからですが、自在置物の誕生は、それよりも早いといわれています。 お土産として人気となる 来日した西洋人が自在置物に興味を持つようになり、お土産物として人気を集めるようになりました。 日本人が得意とする繊細な細工の自在置物は、西洋人の心を魅了したといえるでしょう。 そして、明治時代に入ると、廃刀や西洋式生活が導入されるようになり、甲冑師や金工の職人たちは職を失ってしまいました。 そのような時代背景があり、職人は自在置物を盛んに制作するようになりました。 外交官の佐藤尚武が駐在先のフランスに、お土産として高瀬好山の工房で制作された置物を贈ったところ、評判がよかったため、追加注文を出したという話があるほど、海外でも人気のある工芸品です。 現在の自在置物 現在も、京都で金工を仕事にしていた冨木伊助や、伊助から金工を学んだ高瀬高山の作品が残されています。 高山は、金沢生まれで、神戸の貿易会社に勤めていた経験があり、販売経営で優れた才能を発揮していたそうです。 1893年に京都で独立したのち、明治の終わりには皇太子殿下の御買上げに預かり、昭和の初めまで、さまざまな展覧会に作品を出品しています。 当時需要が高かったため、制作が追い付かなくならないよう、工房制作の体制を取っていました。 現在、自在置物を制作している人物は、2人のみといわれています。 1人は、伊助の子孫にあたる冨木宗行で、2人目は、宗行の弟子である満田晴穂です。 「自在置物」が定着し、認知度も上がる 伝統工芸品である自在置物の名称は、比較的新しい時代に作られています。 東京国立博物館が明治時代の終わりに購入した里見重義作の銀製の龍の箱に、『純銀製自在 龍』と書かれていました。 当時の台帳には『自在龍置物』と登録したため、1983年に博物館で特別展を開催した際に、同じような作品に「自在○○置物」と名づけ、自在置物という言葉が用いられるようになったといえるでしょう。 木製の自在置物 基本的に、自在置物は、鉄や銀、銅などの金属で制作されていますが、木を用いて制作された自在置物作品もあるのです。 接合部分は、はめ込む仕組みになっており、制作する生き物の動きによって割れたり欠けたりしないよう、高い技術が必要です。 また、木で制作される自在置物も、写実性が高く本物にそっくりな魅力があります。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 工芸品
-
伝統工芸とは?世界が驚く技術や長年大切にされている文化に触れる
日本工芸とは 一般的に工芸とは、日常生活において利用される道具類の中で、材料や技巧、意匠によって美的効果を与えられた製品を指します。 工芸品は、生活用品としての実用性を兼ね備えており、彫刻や絵画などの芸術・美術とは異なり、建築とともに応用芸術の一種として扱われています。 また、多くの工芸品は手作業によって製作されており、伝統的な技術や技法を用いているのも特徴の一つです。 作品によっては、職人の技術や創造性が反映されたものもあり、実用性がありながらも鑑賞としての楽しみ方も持ち合わせています。 工芸の種類 工芸には、利用される材料や技法によってさまざまな種類のものがあります。 木工 木工は、木材を加工して製作された工芸品です。 木に直接彫刻する「彫物」や、薄い木材を曲げて形を作る「曲物」、木をくりぬいて製作する「刳物」、板を組み立てて製作する「指物」などがあります。 日本は、国土の7割が森林であり、木は古くから住宅や家具、日用品など、私たちの身の回りのものの材料として多く利用されてきました。 さまざまな技法により製作された木工の工芸品は、日本の暮らしを古くから支えてきたといえるでしょう。 漆器 木で木地と呼ばれる形を作り、漆の木の樹液を上から塗って製作する工芸品です。 漆は、水が染み込みにくく、酸やアルカリにも強い特徴があり、防虫や防腐性にも優れており、食器として古くから利用されてきました。 漆を塗り重ねるほど強度が増し、揮発させ飴色にしたものに顔料を混ぜると色漆となり、美しい発色が見られます。 竹工 竹を加工して製作された工芸品が竹工で、軽く弾力性があり耐水性に優れている竹を利用することで、長持ちする日用品が製作できます。 日本には約600種類の竹が生育しており、竹工はそのうちの約10種類の竹を使って製作されています。 編物や組物などの技法があり、古くから、箸、茶筅、籠などの竹細工も製作されてきました。 石工 石を加工した工芸品で、石灯籠や鉢物、五重の塔、彫刻物などの種類があります。 石灯籠は、仏教とともに日本へ伝わり、平安時代にはすでに神社仏閣の常夜灯として利用されていました。 石は、丈夫で長持ちする上に加工により美しい見た目を表現できるため、古くからさまざまな形で用いられてきました。 ヨーロッパや中国などと比べると、日本は木造建築がメインですが、石垣や庭石、墓石などにも石工が用いられています。 染物 織り上げた白い生地に、さまざまな染料で模様を描く工芸品で、糸をくくったり板にはさんだりして、一部の白い部分が染織されないようにして模様を描く「絞り」や、模様を切り抜いた型を用いて染める「型染め」や「小紋」、染めを防ぐ糊で模様の輪郭を描く「筒描」、防染した内側を染める「友禅」など、時代によってさまざまな染めの技法が生まれています。 織物 色を染めた糸を織って製作する工芸品で、色の染め方や織り方によってさまざまな模様を表現するのが特徴です。 ストライプやチェック柄などを表現する「縞」や「格子」、糸の一部を防染して白い部分を残した糸を使用して織る「絣」などがあります。 編物 糸を編んで製作した布や衣類、装飾品などを指す工芸品で、ニットやメリヤスとも呼ばれています。 手編みのニットから機械編みの靴下まで、手法や製品の種類が豊富で、伸縮性のある編物には独特の風合いがあります。 皮革 動物の皮を加工した工芸品で、カバンや財布、靴などの生地として利用されています。 なめしの技術により、皮の状態を安定させることで腐敗を防止し、柔軟性や弾性、耐熱性、耐水性などに優れた素材となります。 手入れを適切に行えば、何十年と持つ製品を作れることから、親から子へ何代にもわたって受け継がれるものが作れるのも魅力の一つです。 陶器・磁器 陶器や磁器は、土をこねて成形し、窯で焼いた焼き物を指す工芸品で、陶器であれば「陶土」が利用され、土独特の風合いが楽しめます。 磁器であれば「陶石」を細かく砕いた粉が用いられ、地の色が白く水を通しにくい特徴があります。 また、陶器は透過性がありませんが、磁器には透過性があるのも特徴です。 和紙 植物繊維を水に溶かして、簾桁と呼ばれる道具を用いてすくって薄く平らにし、水を切って乾かして紙にした工芸品です。 破れにくく丈夫なのが特徴で、伝統的な和紙は手すきで作られています。 和紙の技術の起源は諸説ありますが、日本書紀に記されている610年に朝鮮から仏教の僧が日本に伝えたとする説が有力です。 平安時代には、日本独自の文化が花開き、和紙の製造方法でも日本ならではの流し漉きが誕生しました。 金工品 金や銀、銅、鉄などの金属を加工した工芸品で、湯釜や鐘、生活用品では、鍋や包丁、カトラリーなど、さまざまな用途の製品に利用されています。 技法もさまざまで、代表的なのは、鋳型に金属を流しいれて形を作る「鋳金」や、あとから金属の表面に美しい文様を彫る「彫金」などです。 人形 こけしのように木を彫って作られる「木彫り人形」、木彫りの人形に溝を掘り布挟んで着飾る「木目込人形」、「土人形」、「衣装人形」などがあります。 国の指定を受けている伝統工芸品の人形は、8種類です。 ガラス ホットワークと呼ばれる、原料を加熱して自由自在に加工する技法と、コールドワークと呼ばれる、すでにできあがっているガラスを常温で削り、加工する技法があります。 ホットワークによって作られるガラス製品には、肥前びーどろや佐賀ガラスなどがあり、コールドワークによるガラス製品には、江戸切子や薩摩切子などがあります。 明治工芸とは 明治工芸とは、海外輸出向けに作られた工芸品で、近代化に向けて必要となる外貨を獲得するために製作されました。 1868年、江戸幕府が崩壊し明治政府が誕生すると、日本は、西洋諸国に対抗するために近代化を目指すようになりました。 工業の機械化や鉄道網の整備などを精力的に行い、国力を高める殖産興業政策を推進するためにも、外貨が必要だったのです。 当時の日本には、まだ現代のような技術や工業製品が生まれていなかったため、外貨獲得のために伝統的な工芸品の輸出を柱にしました。 武家社会の崩壊により、街に溢れていた将軍家や大名家お抱えの刀装金工師や蒔絵師などに、輸出用工芸品の製作を依頼したのが始まりです。 1873年、日本が初めて参加した第1回ウィーン万博において、鎖国により広く知られていなかった日本の金工をはじめとした数々の工芸品は、欧米人には大変新鮮に映り、ジャポニズムという言葉が生まれるほど、日本の伝統文化が海外で大ブームを巻き起こしました。 明治工芸には、金工や彫刻、自在置物、七宝、陶磁、提物、漆器などの工芸品がありました。 明治工芸は、現代では再現が難しい作品が多く、超絶技巧と高く評価される海外輸出向けの製品であったため、日本国内にはあまり残されていない希少な工芸品です。 自在置物とは 自在置物とは、日本の金属工芸の一つで、龍や蛇、鳥、エビ、伊勢海老、蟹、蝶などの動物が表現されているものが多いのが特徴です。 体節や関節部分を本物のように自由に動かせるようになっており、内部の構造が複雑で製作するのに高い技術力が必要な工芸品です。 材料には、鉄や銅、銀、金と銅の合金、銀と銅の合金などが用いられています。 たとえば、蛇の自在置物であれば円筒形のパーツを数百個組み合わせて製作されており、置物にとぐろを巻かせたり、流線型を描かせたり、姿かたちを自由に変えられる魅力があります。 明治工芸として製作された自在置物は、日本国内よりも海外で高く評価されており、1888年にフランスで出版された『Le Japon Artistique』という日本美術の紹介雑誌でも、自在置物が紹介されていたそうです。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 工芸品
-
工芸品(伝統的工芸品)は高額買取してもらえる?
日本の伝統的な技術を用いて作られる工芸品は、お土産物として購入する人もいれば、日常的に利用している人もいます。 全国各地でさまざまな種類の工芸品を購入でき、日用品としての使い道もあることから、手放す際に買取に出す人は少ないでしょう。 しかし、工芸品の種類や作品によっては、価値が高いものもあるため、そのまま処分してしまうのはもったいありません。 処分を検討している方は、一度査定に出して、作品の価値を確認しましょう。 工芸品買取を相談しよう 芸術的要素を備えながらも日常使いできる工芸品は、古くから日本で親しまれてきた伝統的な道具です。 日用品として捉えている人も多く、骨董品として買い取ってもらおうと考える人は少ないかもしれません。 しかし、ものによっては高額買取が期待できるため、価値や売却方法を事前に知っておくことが大切です。 工芸品/伝統的工芸品とは 工芸品とは、一般的に日常使いしている道具類の中でも、材料や技巧、意匠によって美術的な効果も兼ね備えた物品を指します。 生活用具として実用性のある道具のため、彫刻や絵画とは異なり、建築と同様に応用芸術の一つとして捉えられています。 工芸品に該当するものは、陶磁やガラス、金工、漆工、木工、竹工、人形、染織などです。 工芸品の中でも、伝統的工芸品と呼ばれるジャンルは、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」によって定められています。 日常的に使われているもので、伝統的な原材料を使用して、伝統的な技術や技法を用いて、主要部分を手作りしている工芸品を、伝統的工芸品と呼んでいます。 現在、指定されている伝統的工芸品は、237品目あり、そのどれもが長年の技術を継承して制作されてきた日本が誇る文化といえるでしょう。 自宅にあるコレクションや相続品を整理したい 日常的に使われる工芸品や伝統的工芸品に、どのような価値があるか知らない方も多いでしょう。 日用品のため、骨董品としての価値はないと判断し、処分してしまっていないでしょうか。 自宅にあるコレクションや相続した工芸品を整理したいと考えている方は、一度骨董品買取業者に査定を依頼しましょう。 自分では価値がないと考えていても、思いもよらない価値をつけてもらえるかもしれません。 工芸品・伝統的工芸品であるか分からない、誰が制作した作品か分からないというものであっても処分する前に、価値を知っておくのもよいでしょう。 そもそも工芸品には価値がある? 日常使いのできる工芸品には、骨董品としての価値がないと考える人も多いのではないでしょうか。 身近な存在である工芸品ですが、ものによっては高価買取が期待できるため、まずはどのようなジャンルの工芸品があり、日本でどのように発展してきたのかを知って、工芸品の価値を再認識しましょう。 工芸品の歴史 工芸品のような、日常的に利用する道具は、旧石器時代や縄文時代から存在したとされていますが、商品としての工芸品はまだ登場していません。 その後、奈良時代に入ると、木工や金工の最高技術を用いて制作された東大寺大仏が登場するなど、職人による工芸品づくりが徐々に広まっていきました。 江戸時代になると、工芸とそれらの造形が多彩になり、工芸品制作の技術は江戸時代に完成したとまでいわれるように。 本格的な研究と産業育成が開始されたのは、昭和に入ってからで、現在の経済産業省である商工省が、国立工芸指導所を設立したことに始まるといわれています。 工芸産業の育成は、世界恐慌で悪化した地方の経済対策として打ち出されました。 その後、建築家として有名なブルーノ・タウトなどを指導者として日本に招き、工芸に関連する技術者の育成に励みました。 現在、工芸品や伝統的工芸品の出荷額は、1983年をピークに減少傾向にあり、この状況を危惧し、2017年には一般社団法人日本工芸産地協会が設立。 日本各地の工芸産地の自立や100年後も続くものづくりを目指して活動を続けています。 身近なところにもある、工芸品 現在、伝統的工芸品には237品目が指定されており、工芸品や伝統工芸品はさらに多くの種類があります。 宮城県のこけしや鳴子漆器、東京都の村山大島紬、江戸切子、神奈川県の箱根寄木細工、石川県の輪島塗、三重県の伊賀焼、滋賀県の信楽焼など、全国各地に工芸品が存在します。 種類が多いため、実物を見たことがあるものや、名前も知らなかったものなど、さまざまあるでしょう。 例えば、村山大島紬とは東京都武蔵村山市周辺で制作されている織物を指しており、正藍染めを特徴とする村山紺絣と、玉繭から作る絹織物の砂川太織が融合して発展した工芸品です。 奄美大島で制作されている大島紬に似ているため「大島」の名がついたといわれています。 箱根寄木細工とは、さまざまな色合いの木々を組み合わせて幾何学模様を表現した工芸品です。 工芸品は、全国各地で制作されておりジャンルも豊富であるため、知らず知らずのうちに見かけていたり、利用していたりするかもしれません。 どんな工芸品が価値が高い? 工芸品は種類が多く、特徴も多種多様であるため、どのような工芸品に高い価値がつけられているのか知らない人も多いでしょう。 工芸品の中でも、やはり経済産業大臣の指定を受けている伝統的工芸品は、価値が高くなる傾向です。 例えば、鉄瓶は、お湯を沸かす鉄製の道具として活用されるもので、電気ポットやケトルで沸かしたお湯よりも、軟水化されまろやかな感触になるため、人気を集めています。 鉄瓶の中でも、岩手県の南部鉄器は伝統的工芸品に認定されており、貴重な鉄瓶の中には、約500万円の価値がつくものもあるそうです。 有名な工芸品作家や作品 有名な工芸品作家が作った作品は、高価買取が期待できます。 所有する工芸品が誰によって作られた作品か把握するためにも、代表的な工芸品作家や作品を把握しておくとよいでしょう。 今泉今右衛門 今泉今右衛門とは、江戸時代から続く肥前国の陶芸家の名跡で、鍋島焼の伝統を受け継いでいます。 色鍋島と呼ばれている色絵は、古くからの伝統と高い品格を持ち合わせており、赤絵の調合や技術は、一子相伝の秘宝として現代まで伝えられています。 江戸時代から始まり、現在制作を担っているのは14代今泉今右衛門です。 酒井田柿右衛門 酒井田柿右衛門とは、江戸時代から続く肥前国の有田焼の名跡で、現在15代まで続く伝統的な陶芸家です。 柿右衛門様式の陶芸には、やまと絵風の花鳥図をモチーフにしたデザインが施されている特徴があります。 モチーフは暖色系で描かれ、乳白色の豊かな余白がモチーフをより際立たせています。 有田焼の中でも、柔らかく暖かみのある雰囲気が魅力の一つです。 秋山 信子 生没年:1928年-2024年 秋山信子は、日本の人形作家で、1996年には重要無形文化財「衣裳人形」の保持者として、人間国宝にも認定されました。 人形作家の大林蘇乃に師事し、粘土の一種である桐塑や和紙貼、木目込などの伝統的な人形制作技法を習得します。 1960年に開催された第7回日本伝統工芸展で初入選し、大阪府教育委員会賞を受賞。 その後、1963年に日本工芸会正会員に認定されています。 工芸品を手放すにはどんな方法がある? 工芸品を手放す際の方法として、ネットオークション、フリマ、リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者、骨董品買取業者などの利用が挙げられます。 ネットオークション、フリマでは、価格を自由に決められるメリットがありますが、価格交渉をされたり、多くの問い合わせに回答したりと、手間や負担が大きいデメリットがあります。 リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者を利用すれば、手放したいものをまとめて買取もしくは回収してもらえますが、骨董品に関する専門知識をもっていない可能性も高く、本来の価値よりも低い値段で引き取られてしまう場合があるでしょう。 骨董品買取業者であれば、専門的な知識や査定実績もあるため、お手持ちの工芸品の適切な価値を判断してくれると期待できます。 とはいえ、業者によって実績や経験が異なるため、複数の業者で査定してもらい、条件のよい場所で買い取ってもらうことをお勧めします。 大切にしてきた工芸品を売るなら、実績ある買取業者へ相談を 工芸品は日常使いできるものも多く、一見骨董品としての価値がないと思われがちですが、作品によっては高額買取になる可能性を秘めています。 そのため、売れないだろうと処分せずに、一度査定に出して価値を確認するのがお勧めです。 骨董品買取業者では、無料査定を行っているケースも多いため、価値を知ってから手放すかを判断したい人にも適しています。
2024.12.13
- すべての記事
- 骨董品
- 骨董品買取
- 工芸品